2018年5月21日 (月)

■0521■

J Wings  2018年7月号 本日発売
Ddn0nvbvaamiv34『ひそねとまそたん』樋口真嗣総監督インタビュー
カラー見開きで樋口さんのインタビューをメインに、作品紹介、キャラクター紹介などを構成しました。
「なぜ、ミリタリー専門誌にアニメの記事が?」「どうせ、プレスリリースをメーカーが送って、編集部が穴埋めに使ったんだろ?」 いえ、ぜんぜん違います。
『ひそまそ』というアニメには自衛隊の戦闘機が出てくるので、だったら国内の戦闘機を専門的に扱った雑誌でアピールすれば? っていうか、どうしてそれをやらないの? と言い出したのは、航空機メーカーに勤める私の旧友なのです。


その友人には具体的なメリットはひとつもないのに、イカロス出版さんに連絡をとってくれて、「Jウィング」「MC☆アクシズ」、両誌の編集長、営業担当の方も出席して、とりあえず『ひそまそ』で何か出来ないか?というブレストを行いました。
その場で、Jウィングさんが「掲載するとしたら、テレビアニメとは縁のないウチがやるべきでは」と判断し、とりあえずモノクロ半ページ。そのスペースで何が出来るか、誰ならインタビューがとれそうか、僕もすべてのカードを出しました。それと、締め切りまで10日しかありません。当然、自分のスケジュールも織り込んでアイデアを出します。

その夜、Jウィング編集長さんが、ダメモトで社長に直談判。モノクロ半ページが、カラー2ページになりました。
即座にワーナー・ブラザースさんの広報に連絡をとりますが、何しろゴールデンウィークのまっただ中。最初は「あまりにも日数がないので、期待しないでほしい」との返答でした。この時点で、最初に想定していたインタビューイは、NGとなりました。


そこで誰も「もう無理だ、やめよう」と言い出さなかったのが不思議で、僕はワーナーさんに「せっかく門外漢の雑誌がカラー2ページも空けてくれるのに、もったいないですよ」と話した記憶があります。
するとワーナーさんもさるもので、ほぼ夜中近くに携帯が鳴り、「明日なら、樋口総監督が動けるそうです」と言うじゃないですか。こちらは今すぐにでも出かけられる体勢でしたから、即座にJウィングさんにも連絡して、とりあえず取材場所は市ヶ谷駅前の喫茶店に決めて、監督、ワーナーさん、私、編集長の4人が集まることになりました。

樋口監督には、『ギャラクティカ』のトークイベントなどは取材しましたが、顔を合わせるのはフィギュア王のインタビューで、『日本沈没』の撮影現場にお邪魔して以来です。
だけど、Facebookで「どこも『ひそまそ』を取り上げないなら、僕が絶対にどこかでページとりますよ」と監督に約束したんです。いま思い出した。その約束は守れました。


インタビューは一時間ぐらいで無事に終わって、僕はモデルグラフィックス誌でも『ひそまそ』を取り上げたいので、そのまま航空自衛隊にぶっつけで取材に行こうと思い、防衛省に向けて歩き出しました。Jウィングの編集長さんは、空自の広報室の電話番号を暗記していたので、その場で電話して、とりあえずその日の取材はNGとなりました。

「しまった、樋口監督にサインをもらうのを忘れた……!」と、編集長が言います。読者プレゼント用のサインです。あわててワーナーの担当さんに電話しましたが、つながりません。もうバラして電車に乗っちゃったんだなあ、とガックリしていたら、「あれあれ、あの歩いてくる人って樋口監督ですよねえ?」と編集長が指差すんです。さっきの喫茶店とはぜんぜん別方向なのに (何しろ僕たちは防衛省に向かって歩いていましたから)、樋口監督も「あれ? どうして俺がこっちに来るって知ってたの?」と驚いています。どうも、その近辺に自衛隊グッズのお店があって、監督はそこに寄りたかったようです。
Kimg1126「いえ、実はサインをお願いしたいのですが」「いいよ」ということになり、近くの神社でサインをいただきました。「この神社って、品川くんから逃げてきた人たちを撮るのに使った所だよ」「えっ?」「品川神社が使えなかったから、ここで撮ったの。それで、さっきのお店を見つけたわけ」という、『シン・ゴジラ』つながりのオチでした。


帰宅して、その日の夕方ぐらいに原稿をアップしました。ラフも切って、画像と一緒に編集部に渡しました。その時点で、校了日まで4日ぐらいだったので、そういうときは通常の3倍で書きます。もちろん、クオリティを落とさず。内容は自信あります。絶対に面白い。

今回の仕事は、「想定外だけどパーフェクト」。最初に話を持ってきた友人はもちろん、関係者全員の即断即決で出来た仕事です。いま、三鷹コラルで開催されている『この世界の片隅に』資料展もそうですが、「アニメなんだからアニメに興味ありそうな人たちの方だけ向いてればいい」では閉塞するだけです。横や斜めに広げないと、面白くなりません。
アニメにまったく興味のなかったJウィングさんは、次号も『ひそまそ』やりたいと言うので、今日の午後、打ち合わせです。

チャップリンの『モダン・タイムス』を観たので、台湾のドラマー、羅小白さんのパフォーマンスと絡めて書きたかったのですが、それはまた機会があれば。

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2018年5月17日 (木)

■0517■

EX大衆 6月号 発売中
Ddjg82evmaejobv『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 誕生 赤い彗星』マスターガイド
CGプロデューサーの井上喜一郎さんにインタビューさせていただきました。井上さんとお会いするのは、『ゼーガペインADP』のブックレット以来です。
EX大衆誌でアニメやSFX映画の記事をまかされるようになって、もう十年以上になります。かつてはテキストが少なめで、煽るような茶化すようなテキストを求められました。今の担当者になってから、自分たちが本当に良いと思った部分だけをぎっしりと書く方針に変わりました。


今週末の19日(土)から、三鷹駅南口の商業ビル「三鷹コラル」で、32765396_1706292052798035_146402158 『この世界の片隅に』資料展が開催されます()。6月1日~3日までの広島物産展と連動した企画で、物産展を企画された広島市出身の方、地元で上映イベントを企画された方たちの働きかけで実現しました。アニメ業界と関係の薄い方たちとアニメの話をすると、新鮮な気持ちになれます。
僕はMAPPAさん、ジェンコさんと連絡をとりながら、原画や背景画をお借りして、展示パネルを構成しました。ひさびさに、片渕須直監督ともお会いしました。

監督の個人事務所に行くと、ドアと窓が開け放たれていて、監督は窓際に腰掛け、カーテンをなでる4月の風の中で、メガネをかけて分厚い本を睨んでいました。
その知的なムードは、もはや“色っぽい”と言ってもいいぐらいでした。監督と話すと、何をどうやっても2009年の秋から冬にかけて、『マイマイ新子と千年の魔法』が苦境に立たされていた頃の雰囲気になって、あの頃の資料がポロッと出てきたりします。
『この世界の片隅に』の成功がなかったら、きっとほろ苦いような気持ちで、そうした資料を見ることになったんだろうなあ、などと思いつつ……。


“「オタクは性犯罪者」という偏見があるが、僕は「スポーツは乱暴者がエラぶっていて、一般的なモラルが全く通用しない理不尽な世界で、子供の教育に本当に悪い」って偏見持ってますけどね。”(

“大学の体育会系のクラブやサークルで輪姦事件が続いても「スポーツで体を鍛えすぎると性欲が強くなって性犯罪に走りやすい」とか「チームの一体感などを刷り込むと集団で犯罪行為を行なったり隠蔽する危険性が」とは言わないのにね”(

“まさにこれだよね、僕たちの小中高生活を統治していたもの。()”

もう、あれこれ事件やニュースを引き合いに出すまでもないと思う。
高校時代、僕は甲子園を目指す健全な球児たちの「裏の顔」を反吐が出るぐらい見せつけられたし、怪我をしかねないほどの暴力を振るわれても体育教師は見ないフリをしていたし、スポーツ界に対して不信感と嫌悪感しかないですけどね……。
スポーツ界だと体力と政治力が結びついて露呈しやすいだけで、誰にでも「他人に言うことをきかせたい」支配欲があるんだと思う。僕のようにオタク業界でデスクワークをしていても、理不尽な要求を飲ませようと圧力をかけてくる人がいる。そういう人は、己の支配欲を制御できないんだと思う。


映画『ワンダーウーマン』を見ていてウンザリさせられたのは、冒頭に女だけが暮らす理想郷が出てくるんだけど、それが力の強い戦士が政治の中枢にいるマチズモ的世界であったこと。男性優位社会を、ただ女性のルックスで糊塗しただけ。
ポリティカル・コレクトネスに配慮して、女性監督も登用しているはずのハリウッドですら、父権的な社会から抜け出せていない。

残虐な犯罪が起きるたび、脊髄反射的に「死刑にしろ」とツイートする人が多い。僕は被害者遺族として裁判に出席して「容疑者を極刑にしてほしい」と意見陳述したが、もちろん通らなかった。人を殺しても求刑8年とか、そんな程度だったから。
「ムカつくから死刑でいいよ」ツイートを見るたび、愚民どもの野蛮な懲罰感情にたずなをつけるためには、そうそう簡単に死刑にできない法整備にしておいて良かったな、と思わざるを得ない。

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2018年5月13日 (日)

■0513■

HJメカニクス 18日発売予定
Dcvfohwvaaut4c9●第2特集「ガシャプラ 装甲騎兵ボトムズが僕らを幸せにする理由」
五十嵐浩司さんのサポートとして入りましたが、扉の写真撮影からページ構成までアイデア出しを行い、五十嵐さんがサンライズから借りてらしたアニメの画像も選んで、タイトルにいたってはグレッグ・イーガン『幸せの理由』(“Reasons to be Cheerful and Other Stories”)から拝借してますからね。
五十嵐さんは無二の親友ですが、今回ばかりは、さすがに私の存在がウザかったと思います……。


だけどやっぱり、ガシャプラの企画をなさった長谷川淳さんのインタビュー、これはロボプラモ好きは絶対に読んでいただきたい!
なぜ立ちポーズで固定なのか、固定なのに肩や足首がボールジョイントである理由、ぜんぶ書いてあります。だって、ボトムズを片膝立ちで飾る人はいないでしょ? 「いい立ちポーズ」をビシッと決めるためにグキグキと関節を微調整しまくっている人が大半では……。
あと、長谷川さんが赤字を入れたも図面も、なるべく多く掲載しました。文字が読めるといいのですが、1/24、1/35、1/48、1/60、1/20と、全スケールのスコープドッグが体の上を通り過ぎていった男たちのハートがズビビッと共振する「分かってる」感がギュウギュウに詰まってます。

たとえばラウンドムーバーの四箇所ある球体はそこで切れるんじゃない!とか。肩装甲の丸みは、もっと緩やかなんだ!とか。ソリッドシューターのスコープ基部は斜めだよね!とか。
いまボトムズというか、ガシャプラでロボット・プラモ、このサイズの立体物を作る意義と説得力が、ぜんぶ詰まってます。これが「2018年バージョンの決定版」なんですね。


そういえば、バンダイ1/20スコープドッグのプロポーションが途中から変更になっている……というインタビューに出てきた話を、11日の静岡ホビーショーでもB社の方に聞いてきました。まあ、とてもここには書けないお話を、たっぷりと聞かせていただきました。
その後、ホビーセンターに移動してFigure-riseLABO関連のインタビューをさせていただき……、朝から会場に行って、取材時間まで暇なんじゃないかと思っていたら、あちこちから声をかけていただき、立ち話で十分に楽しませていただきました。
Kimg1184_2モデルグラフィックスで5年ちょっと連載を続けて、Twitterで色も塗らないプラモの組み立て過程を掲載して、アキバ総研でもホビー業界インサイドの企画を提出して、取材先をぜんぶ自分で決めて……それらが、効いてきました。ちゃんと「プラモの記事を書いてる廣田」と認識されていて、嬉しいです。


『ボトムズ』で言うと、僕は20代の終わりごろ、WAVEから再販された1/60キットのパッケージ、塗装見本をすべて塗りました。下手でもいいから制作意欲を掻き立てるような荒々しい感じで、とのオーダーで、それこそ今日の食費すらないような状況下で塗りました。
『ボトムズ』は大好きだから嬉しかったんだけど、お金をもらえるレベルではないと気づいてモデラー業はやめて、今またこうして新しい1/60にプロのライターとして再会できて、感無量ですよ。昨日と明日がつながった感じです。

さっきまで書いていたFigure-riseLABOのページも明後日入稿でテキストはアップしてるし、写真も数時間かけて撮ったし、合計3誌で『ひそねとまそたん』の記事を書いているし、地元のパネル展も権利元と話しながら進めているし、明日も取材はあるし、仕事上のストレスは皆無に等しいです。
僕はもうプラモデルに色は塗らないし、「塗装すらできないヘタレのプラモ好き」として、悠々自適に仕事できています。ライターデビューしてから20年かけて、ようやく「自分の仕事」を作りはじめてます。

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2018年5月 5日 (土)

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ヒーローが目覚める瞬間は、こうして生まれる!「西遊記 ヒーロー・イズ・バック」日本語吹替版主演・咲野俊介、独占インタビュー!【アニメ業界ウォッチング第45回】
T640_759436ソフト発売のタイミングで主演声優の咲野俊介さんのインタビューをお願いしたら、配給会社さん、メーカーさんが頑張ってくださいました。吹き替えの技術的な話も聞けて、大満足です。
中国ではオタク層の熱烈な支持を受けて大ヒット、咲野さんが着てらっしゃるTシャツも、ファンたちが「もっと大人っぽいデザインにして!」と要望して路線変更したグッズの一部だそうです。
本国版・海外板のポスター・ビジュアルは、いずれもアーティスティックでクールなものばかり。こんな子供っぽい宣伝をやったのは日本だけのようで、世界から取り残された感覚があります。吹き替え板が出色のクオリティであることが救いです。


「Nintendo Labo」、少しずつキット内容を組み立てている。組み立てる過程がメインなのだから、やはりプラモデル的な製品なのだと思う。ゲームは(よく出来ているけど)、あまりにシンプルでオマケみたいな感じ。
Kimg1153プラモデルと違って、「Labo」はいちいち組み立てている相手のことを気にして、「疲れたかな? ちょっと休もうか」「ここはちょっと難しいよ」「でも間違っても大丈夫だよ」「いい仕事したぜ!」など、あれこれ話しかけてくれる。もう、それが嬉しくて嬉しくて、涙ぐみながら組み立てている。ドーパミンがどばどば出ているのが、よく分かる。首筋の裏側のあたりが、シュワーッと炭酸のように泡立つ感じがするのだ。

あるいは、「脳にアイロンをかけられる」と表現してもいい。ダンボールの部品を切り抜きながら、ときどき笑わせられ、誉められてホロリとして、だけど終わってから手に入るのはダンボール製の玩具と簡単なゲームだけ……なんだか、自分が無垢で純粋な子供に戻ったような気持ちになる。
おそらく自己啓発セミナーっぽいんだ、この世界……こういう書き方をすること自体、すでに予定調和のような、言いくるめられたような、不気味な快楽に漂っている。


だけど、もう逃れられない。明日も誉めてもらいたさに、ダンボールを切り抜くだろうと思う。そして、自分の感情の素朴さに酔いしれ、脳内快楽物質のトリコになるんだろうと思う。もう後戻りは出来ない……こんな新鮮で危険な感覚を味わうのは、20代の後半以来だと思う。

で、僕は「Nintendo Labo」を模型メーカーは真似すべきだと単純に考えていて、タミヤですら説明書が難解だという以前からの疑念に確信がもてた。タミヤ製キットの組み立て説明図の分かりづらい部分をメモするのは、「Labo」に触る前からやっているので。
Dscn8368_5041「Nintendo Labo」はダンボールを折りたたむべきところでは、ポワッと白い煙が出る。“漫符”の導入によって「折る」ことの重要性を示しているわけだが、バンダイは何年も前からニッパーで切るところに火花のような記号を配置して「切る」感触を強調しているし(本文中では四角い枠のニッパーのアイコンとなる)、音がするまで押し込むところには「パチン!」と擬音が書いてある。
むしろ、細かくて効率的にパーツ分割されたタミヤ製品が、直感的な説明をできずに損をしていると以前から思っていた。負けるな、プラモデル。応援するぞ。


ひさびさの映画は、ジョン・フォード監督の『荒野の決闘』。
1946年だから、『市民ケーン』より5年後か。酒場で手術するシーンは、『市民ケーン』のように計算されたライティングだったが、全体にセリフに頼った凡庸な出来だと思った。
Mv5bzgy0njfkyzityzewnc00ywzjlwfhyzgそれでも、いつくか感心させられるシーンがある。
理髪店でヒゲを剃ってもらっていたワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ)。その店内に、銃弾が飛び込んでくる。酔っ払ったインディアンが暴れているのだ。
画面左手に建物があり、インディアンが立てこもって銃を撃ったり火を放ったりしている。ワイアット・アープは画面右手にある階段を昇り、画面左手(つまりインディアンの立っている側)の2階窓を蹴破って、建物に潜入する。
アープが窓から建物内に入るとき、女性の悲鳴があがり、アープの「失礼、ご婦人方!」というセリフが聞こえる。まあ、それはアクセントにすぎないんだけど、なかなか気のきいた演出だ。

さて、2階窓から建物に潜入したアープはどうするつもりなのか? 心配そうな人々の様子がインサートされた後、アープは一階の玄関から、気絶したインディアンの足をつかんで、ずるずると引きずって出てくる。
アープが建物内でインディアンをKOしたこと、アープが凄腕であることが一瞬で分かる。それは画面左に向かったアープが、左から右に歩いてくる、つまり「行って戻ってきた」ことで強調される。


土砂降りの中、牛の番をしていたアープの弟が殺されているのが見つかる。
雨に打たれる死体を見せる前、雨水であふれた鍋、皿を映す。この方が、いきなり死体を見せるより不吉な予感がする。

ラストの決闘シーン、男が銃を構えて移動する……が、手前に柵がある。あるいは、手前で馬たちが動いている。視界に障害物を入れて、ストレスを感じさせる。ついには、右往左往する馬だけを撮る。こちらは決闘を見たいのに、あえて馬を見せる。画面いっぱいにうごめく馬たちは、「決闘はどうなるんだ?」と焦る僕たちの気持ちと同調する。
僕にとって、映画の「本体」とはシーンやシチュエーションを描写する力であって、全体的なストーリーは気にならないというか、意味をなさないことが多い。

「Nintendo Labo」を経験しても、映画の見方は変わらなかった。

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2018年5月 2日 (水)

■0502■

荒唐無稽な絵で事実を伝える「ルパン三世 ルパンVS複製人間」の演出力【懐かしアニメ回顧録第41回】
51pyc4gyl今回は一日しか執筆時間がとれなかったので、やや早送り気味にメモをとりながら見ていきました。石川五ェ門が敵を斬ったとき、画面そのものを切って左右にズラす、その演出にピンポイントで着目することにしました。

画面を割ること自体には、元ネタというか先例があると思います。チェコ映画の『ひなぎく』なんかは、まさに画面を切り刻みます。ただ、五ェ門が斬った、敵に勝ったという流れの中で劇的に使っているから、価値があると思うわけです。


ここ何日かは、GWの中休みなので取材に行って、帰って仮眠してから、その日のうちに原稿をアップして各方面に送って、翌朝はラフと作品解説を書いて送って……と密度の高い日々をすごしていました。
雑誌は、あとモデルグラフィックスとホビージャパンが残っています。どちらも連休明けに撮影です。片方は、静岡ホビーショーを前にして、インタビューが決まっていないという状況です。

あと、地元でアニメのパネル展をやります。その準備を4連休に当てたい。
ただ、版権元から最終確認と画像素材が来ていません。そういうときは、最低限の素材で何ができるか、バックアップを考えます。雑誌も同じです。「これがなければ、まったく何も出来ない」なんてことはないはずです。取材がないならないで、考察を書くなりすればいいわけです。

今は、決断力があって、シャキシャキと事態を前に進める人たちとばかり仕事できているので、ストレスはないです。自分に裁量権があるかぎり、僕は徹夜もします。そのあとで8時間ほど寝られると分かっているからです。誰かに「徹夜しろ」と言われたら、もちろんやりません。


おかげで、ぜんぜん映画を見られていないのですが、その代わりに「Nintendo Labo」を買ってきました。僕は離婚した13年前にゲーム機を捨てて、ずーっとゲームと無縁の生活を送ってきました。中毒になるのが分かりきっていたから。
31740077_1689056367854937_889015061だけど、「Nintendo Labo」はプラモデル的にヤバイよ、とプラモデルづくりの人から聞かされたので、いきなり4万円ほど投資して、その価値は十分にありました。

まず箱を開けると、「ソフトを起動させれば分かるよ」で、余計な注釈や説明が一切なし。あと、「ここは慎重にヨロシク」。ユーザーとの距離感が密接。ひとつでもパーツが出来たら「よし、よく頑張った!」と誉めてくれる。はい、プラモデルの説明書には一切書かれていないことばかりですね。

「Nintendo Labo」は作りかけのパーツを360度、モニター内で回して見ることができます。気のきいたプラモデル、たとえばバンダイのプラモデルなら「別の角度から見た図」が載っていて、それで十分です。しかしスケールモデルの説明図は、「別の角度が見るとどうなるか」「一連の作業を終えると何が出来るのか」、提示できていません。フジミ模型さんの艦NEXTは、パーツを組み付けおえた全体像をポイントごとに載せているので、勉強なさっているんだと思います。

だけど、プラモデルを作っても、プラモデル・メーカーは誉めてくれません。プラッツさんの『ガールズ&パンツァー』のキットだと、キャラクターが説明図の中から誉めてくれますかね。まあ、ユーザーとの距離感をもっと詰めてほしいと、いつも思っています。
だって、「Nintendo Labo」で名前を入力しておくと、「●●よ、お前の作っているところ、ぜんぶ見ていたぞ!」って話しかけてくれるんですよ。泣くかと思いました。もう、初めて道具に触ったサルですよ。僕には、プラモデルの説明図が「Nintendo Labo」を真似しない理由が思い当たらないです。
プラモデルには、他のメディアとタメを張ってほしいんです。ゲームも面白いが最近のプラモも面白いんだな、という状況は可能なはずです。今のプラモは、ユーザーに努力を求めすぎだし、「パーツ数の少ないスナップフィットでも組んでろ」では何も解決しません。


もうひとつ、「Nintendo Labo」ってガンダムっぽいんです。アムロが初めて乗ったときって、こういう感じだったのかも知れない。「武器ないのか、武器は?」とアムロがコクピットで言うと、おそらくガンダムのマイクが音声認識して、ピコーンとビームサーベルの位置を示してくれる。そうやって、解釈がアップデートできてしまう。
『機動戦士ガンダム』って技術論、インターフェース論でありつづけている。子供にも分かるような平易なインターフェースの兵器が量産されたら、そりゃあジオン軍は負けますよ。そういうストーリーだったんじゃないか、最初の『ガンダム』って?というように、斜めの方向から斬り込んで、考えていきたい。あれもこれも、すべて。

まあ、そんなこんなで。僕は犬や猫が、最後の瞬間まで自分が死ぬなんて露ほども思ってなくて水を飲みに歩いて行く、そういう生き方をしたいんです。

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2018年4月28日 (土)

■0428■

キャラクターデザイナー・吉田すずかが、今だから語るタツノコキャラたちの本当の魅力【アニメ業界ウォッチング第44回】
T640_758130周囲から「ティンカー・ベルのグッズを集めるのは分かるけど、なぜ中年男が『アクビガール』を?」と不審に思われつつも、グッズを集めつづけてきました。
三鷹の駅ビルが『アクビガール』とコラボを始めたとき、「今しかない」とタツノコプロさんにお願いして、純粋に「好き」だけで成立させたインタビューです。だけど、すずかさんのお父さんが元気だったころの熱気のあるタツノコプロの雰囲気が、ちょっと伝わってくるのではないでしょうか。


昨日、出版業界とは無縁な企業で働く友人に誘われて、ある出版社へ行ってきました。話のお題としては、「とあるアニメ作品が個人的に気になっているので、これをどうにかして記事にしたい」。
だけど、アニメ作品だからといってアニメ雑誌に持っていくのは、自分の仕事ではない。この作品を見るべき人は、おそらく「こっち」の世界にいるはずだ……という直感のような動機で、彼は動いていました。出版社にメールして、ブレストの場を設けてもらえたのは、出版とは関係ない友人の功績です。
A誌編集長、B誌編集長が列席しましたが、どちらの方もアニメに詳しいわけではありません。営業局からもひとり出席し、忌憚なく意見をかわし合いました。

するとまあ、「うちのような誌面にアニメの絵が載ったら、確かに面白い」で、その夜には上層部に話をとおして、カラー2ページを獲得してくれたのです。
ブレストの席では「モノクロ半ページ」だったのに、あっという間に話が広がったのです。来月発売号に載ります。


僕はプラモデルの世界で意識的に仕事を広げていますので、昨日出席したメンバー全員に「最近、プラモデルを作りましたか?」と聞いてみました。全員が「模型雑誌の表紙を見ると、とても上手に色が塗ってある。あんなものは自分には作れないので、何年も買っていない」。
だけど、『ガンダム』だけでなく『ワンピース』や『スター・ウォーズ』のようなメジャー・キャラクター、最近では『パシフィック・リム』まで塗装不要のプラモデルになっている。飛行機や艦船模型でも塗装不要でクオリティの高いものが売られている。そこをもっとアピールしないと「上手に作れないから、自分はプラモデルとは関係ない」という思い込みを打破できません。

プラモデルだから、とにかく模型雑誌にプレスリリースを送っておけばいいだろう……では、ぜんぜん広がりません。そして、「上手く作れないから」なんて理由で模型に興味をもってもらえないのであれば、「上手く作れる人だけが得をする」状態はよろしくないわけです、簡単な話ですよね?
だから、作例をいっさい作れない、塗装すら出来ないエアブラシすら持っていない僕が、模型メーカーに取材に出かけて、公式に製品のキャッチコピーを依頼されたり、好き勝手をやる必要があるのです。
「下手だから」という人たちにだって、発言権はあるし、興味を持ってもらいたい。彼らを「初心者」として最下層に位置づけている以上、どんどん窮屈な息苦しい世界になっていく。
世界を広げるためには、模型と直接のつながりがない媒体へも、どんどんアピールしなくてはいけない。メーカーにその体力がないなら、僕のようなどこにも属していないフリーランスが繋ぎますよ。仕事なんて待つものじゃない、自分で作るものです。


アニメに話を戻すと、ビッグヒットしたタイトルを持つ大手メーカーさんは、どうしてあんなに居丈高な態度になってしまうのですか? 大手の版権窓口は、どこもたいてい、僕は酷いと思っています。お役所みたい。エンタメやってる人たちの態度じゃないですよ。
いろんな働き方をしている人たちが、アニメで何かやりたい、大好きなあのアニメと私たちの仕事が繋がるんじゃないか?と考えてらっしゃいます。まったく意外な、まったく異業種の方たちが興味を持ってアイデアを出してくれたのに、ほとんど門前払いをくらう例をいくつか見ましたし、自ら経験もしました。

だから、僕はアニメの仕事を減らし気味にしています。長い時間をかけて信頼関係を築けた版権元さんとだけ、こまめに連絡をとりあって、積極的に企画を提案しています。
大ヒット・タイトルを抱えているから態度がでかくなって新参者を排除するなんて、あまりに愚かしい。「あの作品は、あそこが版権窓口だから、やめとこうぜ」「不愉快な思いをするだけだ」なんて話は、よくしています。

ヒットしたから勝ち組で偉そうにできるとか、プラモが下手だから黙ってなきゃいけないとか、そういう窮屈な世界がイヤだから、趣味があるはずですよね? 楽しく、自由に、豊かに生きたいはずですよね?
だったら、もっともっともっと、いろいろな立場の人たちと、どんどん会って話しましょう。僕ひとりでは解決できない問題でも、まったく違う世界の人たちがヒョイと答えを出してくれます。思いがけない価値観を教えてくれます。僕はそういう雑多な、いろいろな人たちが混生する世界で息をしていたいんです。

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2018年4月15日 (日)

■0415■

フィギュア原型師・林浩己が“ストーリー性のあるフィギュアを目指す意味”を語る!【ホビー業界インサイド第34回】
T640_757368十数年前、離婚と同時に模型趣味に戻ってきたとき、模型ファクトリーで見かけたのが林さん原型のレジン製フィギュアでした。各社の発売しているウェザリング用マテリアルやアフターパーツと一緒に、いっぺんに僕の心をとらえた「2010年代の豊かな模型状況」の中に、間違いなく林さんの1/20スケールのフィギュアも位置しています。


吉祥寺オデヲンで、『パシフィック・リム:アップライジング』。
640クライマックスの東京バトルは、たぶん日本に観光に来た中国人たちへのサービスではないかと思う。少なくとも、日本人に媚びたわけではない。というのも、お台場にあるはずのガンダム立像が戦場のど真ん中にあり、(エンディングにサンライズの名前が表記されているので納得したが)不自然にも破壊されることがなかったからだ。
もはやロボット映像の「本物」は暴れ狂うイェーガーたちの方であって、あの世界でも『ガンダム』は虚構のままで、だからこそ壊さないでそっとしておいてやるよ、と目配せされたような気分になった。
「ガンダム、恐るるに足りず」と言われたような気がしたのだ。

ほんの一瞬、『ガンヘッド』が夢見た日本アニメならではの知性とセンスで、「本物の」ロボット映画を作ってハリウッドに一泡ふかせる、という試みは、もう十分すぎるほど達成されたと思う。何なら、『ロボ・ジョックス』からアーカイヴして、いかにして日本風ロボットの映像化が洗練されてきたか、歴史を紐解いてもいいぐらいだ。
日本人のプロデューサーが見つけた実写ロボット映画の製作意図は少しも間違っていなくて、この20年間、単に日本人を排斥した形でハリウッドのSFXアーティストたちの手で着々と完成に向かっていた。ゲームや製作ツールの進化も、呼応していたはずだ。

『ロボ・ジョックス』から『パシフィック・リム』まで見事にバトン・リレーされているマスター・スレーブ方式の操縦方法は好きではないのだが、日本式のレバー操作ロボットがハリウッドで「実用化」されることは、おそらく無いだろうと思う。実写ロボットの洗練化・様式化は、もはや達成されているからだ。


その一方で、僕はビルとビルの間を飛んだり跳ねたりしながら戦うロボットたちのアクション・シーンに感心しながら、これの何がそんなに感動的なのか、じっと考えていた。

四方田犬彦さんが、サイレント映画時代のアクション俳優たちを引き合いに出しながら語っ640_1 た「登場人物の細々とした内面描写や長々とした科白回しから離れて、純粋な身体の運動を映像としてとらえ続けていたいという欲望」、それがCGロボットによって達成されてるからじゃないか、と気がついた。つまり、延々とつづく戦闘シーンは、サイレント映画的で、その間だけは「ドラマ」がストップしている。純粋なアクションだけが映画を支配している。
どうしても僕たちは、登場人物の「内面」が「セリフ」として言語化されていたり、泣き叫ぶ・激怒するなどの視覚化された「感情描写」がないと「中身が無い」などとバカげた評価をくだしがちだ。この映画の「中身」は、ありありとスクリーン上に表出した「純粋な身体の運動」だ。誰もが、その目で見ているはずだ。

この映画は、ロボットの数だけは多いのに、アクションのパターンが少なすぎるように思った。そのような批判なら、分かる。登場人物の過去がどうの、という批判は「ウサギを追いはじめている」、つまり目の前にないはずの抽象概念に振り回されてるんじゃないだろうか。
銀座の裏庭に富士山がある、この幼児的な箱庭感覚は事実誤認なのではなく、この映画の美学なんだと思う。

(C)Legendary Pictures/Universal Pictures.

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2018年4月14日 (土)

■0414■

スター・ウォーズ モデリング アーカイヴII 発売中
Dapk5l1u8aaz8ui●全キット・レビュー
『フォースの覚醒』『最後のジェダイ』『ローグワン』も含めて、限定の色替えキットは除いて、すべて組みました。去年から、えんえんと組んでは書き組んでは書き……で、気がついたことはすべてメモしてあります。購入の参考にどうぞ。

●「旧三部作も新三部作も全肯定! 『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』は、みんなを幸せにする映画!」
『ローグワン』の登場メカ、人物(女優)、惑星を吟味しながら、評判の悪い新三部作を我田引水的に引き立てた見開きコラムです。


この本の全キットレビューは、とにかく素組みです。色は塗りませんし、シールも一部にしか貼っていません。ニッパー一本のみ、最低限の材料でどこまで面白がれるか?というスタンスを貫いています。

『スター・ウォーズ』はミニチュアSFX映画なのだから、映画をお手本に塗装するのが王道の楽しみ方であることは間違いないです。
だけど、「お手軽な組み立てホビー」としてバンダイのプラモデル製品は先鋭化しています。ダボ穴は前後左右を間違えないよう、形が工夫されています。細かなディテールを少ない手順で組み立てられるよう、パーツ分割も高度に効率化されています。そこをスキップして「どうせ接着して塗装するのだから関係ない」では、メーカーがどんな製品を提供してくれたのかを無視することになり、レビューになりません。
塗装技術のない人、時間がないから形になればいいやという人を切り捨てず、しっかり寄り添うことは模型誌の義務です。
そもそも、接着剤を使わなくても気軽に組み立てられることが、一般の『スター・ウォーズ』ファンに伝わってないとしたら、それは大変な損失です。


「この通りに作って塗れば、作例と同じものが皆さんの手に入りますよ」と、指導するのは良いんです。そのまま地続きで、「個性を出そう」「自分だけのプラモを作ろう」などと矛盾したことを言うと、そこで行き詰ってしまう。別のベクトル、「個性なんて出したくない」「誰が作っても同じになるプラモが欲しい」で何がいけないの?と思います。

自分に正直になる、という簡単そうなことが、実は日本では難しい。


ワンダーフェスティバル上海に参加された方たちが、口々に良い意味でのカルチャーショックを語り、現場にいなかった僕には、一言も返す言葉がありません。

ホビー業界、プラモ業界は血行不良に陥っているのかも知れません。90年代後半に完成品フィギュアのブームが巻き起こったのは、それまでプラモデルにもガレージキットにも触れてこなかった人たちが、アニメやゲームから流入してきたからだろうと思います。
それ以前は、美少女フィギュアですら「知識と技術を磨いて、最終的にはガレージキットを作ろう」「そこがゴールだ」という職人気質、一本道の世界だったと思います。00年代前半、高品質な完成品が万単位で売れたことにより、モデラーの常識は覆されたはずです。
その観点に立つと、「プラモデルや組み立てキットの歴史は20年しかない」という言い方も出来るのです。ここ2~3年、食玩やガシャポンで増えている比較的安価な組み立てキットは、20年前にこの世界に入ってきた人たちに向けられているんじゃないでしょうか。
バンダイが高額製品で色分け・スナップフィットを徹底させはじめたのも、やはり20年ちょっと前です。

なので、今はゴールを設定しない。それぞれ、ゴールは曖昧なままにしておく。スッと離れたり、またスッと戻ってこられるフットワークの軽さを尊重すべきです。

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2018年4月 5日 (木)

■0405■

Figure-rise LABOは「プラモデル」という箱舟で未知の大海へ漕ぎ出す
公式サイトに、コラムを書かせていただきました。
2月ごろ、テストショットを受け取ってすぐ書いたものなので、ちょっと前のめりすぎて下手な文章だと思います。バンダイさんからは、「自分たちはこの製品にずっと関わってきて、冷静に何がどう良いのか、伝えづらくなっている」とのことで、僕に冷静に製品の魅力を書いてほしい、というご依頼でした。だけど、このコラムの時点で、僕も冷静ではなくなっていると思います。
本当は、あと2パターンぐらい書き方を提案できたんです。その相談ができなかったので、雑誌の企画でフォローを入れるつもりでいます。

ただ、アニメキャラの瞳の描画がデジタル化によってどのようなモードを生んだのか、それを射出成形のみで再構築しようとすると、どういう解釈とメソッドが必要になるのか。これはアニメとプラモデル、両方の「表層」を観察していないと、気づけないことです。
今、「表層」を価値づけする人が、ほとんどいない。「何となく良いと思う」「とにかく好きだ」「よく分からないけど猛烈に感動した」等、感情の振幅だけが重視されるのは、僕は怖い風潮だと思っています。


ポケットに、指令書がくしゃくしゃのレシートの中に紛れ込んでいる。
通信の代わりに、ポケットの中に指令書が転送されてくる。

ロボットへの指令は、「お前は、上等なシャツのように、自由そのものになるのだ」など、詩的なセリフで行う。

味方のロボットは大聖堂の地下にある巨大コントロール・ルームで、50名のスタッフによって動かされている。
主人公も、かつてはオペレーターの出身だった。
コントロール・ルームは、キリスト教圏の各国にある。
最新鋭戦闘機やヘリのような、スマートなイメージ。だが、動きは鈍重で、とても大きい。

敵のロボットは、19世紀ぐらいに作られたロボット兵器である。火炎放射器やハンマーなどの古風な武器を持つ。
たいがい、呪術的な力で個人の怨念や嫉妬によって動かされる。
鬼の顔などが彫られており、リベットが打たれ、第一次大戦風である。
操縦者は、どこか遠くからリモコン操作している。姿は見せない。
ドイツの怪兵器のイメージ。
水陸両用だったりする。

味方のロボット“エルヴァ”
主動力・重力アシスト機関
武装
右副腕・モンロー=ノイマン式爆砕穿孔器
左副腕・準グラヴィトン級80口径熱線銃



これは、「短編小説メモ」として四年間、忘れ去られていた文書ファイルです。当時は、プラモデルと小説による「フォトストーリー」で、同人誌(というか、カラーコピーしただけのペーパー)を作ろうと思っていたのです。スーパーフェスティバルで、一枚百円で売るつもりでした。
以下、プロットらしきものが続きます。



第一話

僕は、着いたばかりの南欧の架空の街で、彼女と待ち合わせる。
彼女と自転車に乗って、あちこちの店先を回る。大聖堂、ケーブルカー。ケバブを路上で食べる。路面電車の終点である周囲には、人々が列をなしている。
ここは、ほんの20年前に内戦のあった土地である。しかし、子供たちが元気に橋を渡っていく。遠くには、団地が見える。

僕は、気分が滅入って、ホテルに戻る。同時に、彼女と別れる。僕は、彼女は堕落したと思う(コスプレか髪を染めたせいで)。
ひとりホテルに戻ると、路面電車をたどれば、中央駅に出られると分かる。帰り道を知りたいので、その道を辿ることにする。

すると、道の途中に、巨大ロボットが現われる。戦争時代のロボット。
僕のポケットに、指令書が入っている。上空の輸送機から、ロボットが投下される。夕暮れの街で、ロボット同士の戦いが始まる。僕は、適切に指示を飛ばす。

敵ロボットは敗退する。その火花の向こうに、彼女が見える。
彼女は、何かキツいことを言って立ち去る。
僕は、呆然として見送る。引き返して、カフェでビールを飲む。
翌朝、路面電車で中央駅へ向かう。

昨夜の戦闘跡は、工事現場になっている。夢だったのかも知れない。
僕は、中央駅からタクシーを拾う。「エアポート」と言うと、運転手は「エアポルト」と言い直す。



これは明らかに、二回目のクロアチア旅行での体験に、架空の女性キャラクターとロボットを絡ませただけです。今後、僕が小説など書くかどうかは別にして、自分の体験を自分で粉飾して、自分を楽しませるだけの行為は必要な気がしています。
「メモ」には、クロアチア語とスウェーデン語を使ったネーミング案が書かれ、最後に第1話の書き出しが数行だけ残っています。主役ロボットの“エルヴァ”とは、スウェーデン語で「11番目」という意味です。



諜報機関“街路の鉄薔薇”は、重力アシスト機関を応用した11番目のロボットを作戦に投入。コードネーム“エルヴァ”は、過去3回、僕のコントロールで諜報任務に就いた。
だが、3度目の作戦後、エルヴァは地球低軌道を飛行中に消息を絶った。それから4年――。
“街路の鉄薔薇”を脱退した僕は、東欧のある街で、かつての恋人と待ち合わせていた。


結構いいじゃん、と思ってます。旅行をベースにしていることもあるけど、これは好きで書いている、と自分でも分かります。こういう自分を楽しませる文章を失って、とにかく書いて金にしなければ……と焦っている人生は、虚無です。

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2018年4月 1日 (日)

■0401■

【アニメ業界ウォッチング第43回】「クラスの隅っこにいる人」のために、アニメを創る──「鬼平」監督、宮繁之の語る“創作の動機”
Dzld3lsvwaayhwy 『鬼平』監督の宮繁之さんの登場です。
「 クラスの真ん中にいた人は、その後の人生もうまく行くだろうと思うんです。クラスの端っこで勉強や運動ができなかったヤツが淘汰されてしまうのは、あまりにつまらない。それでは、夢も希望もないじゃないですか。僕もかつてはクラスの端っこにいたし、端っこに追いやられている人たちの背中を押すのが、僕の仕事だろうと思うんです。」
3ページ目が特に熱いので、是非ご覧ください。


レンタルで、『そんな彼なら捨てちゃえば?』とジョン・フォード監督の『騎兵隊』。
『騎兵隊』は『駅馬車』から20年後、1959年のカラー作品だけど、これもまた最初から最後まで面白かった。
Mv5bmtyxotkyodmxmf5bml5banbnxkftztcジョン・ウェインは南北戦争の北軍の大佐で、捕虜にした南軍の女スパイ(コンスタンス・タワーズ)と懇意になってしまう。酒場で酔って自分の過去を女スパイに話した大佐は、「話しすぎた」と後悔したあと、「こいつのせいだ!」と酒瓶を放り投げる。画面手前に重ねられたグラスが、パーンと砕け散る。画面のいちばん手前で。
会話しているカットでは、カウンターに大佐と女スパイが並んでいるのを正面から撮っている。酒瓶を投げるカットだけ、カウンターの横から撮っている。画面の手前で、盛大にグラスが砕けるように。
あえて文学的に解釈するなら、砕け散ったグラスは、過去にとらわれた大佐の苛立ちを代弁している。だけど、そのカットがシーンの最後だから、シーン転換のテンポをつけるために派手な絵で終わらせたかっただけなのかも知れない。

いずれにしても、構図をどんどん変えて、次から次へと思いがけない絵を見せて、最後まで飽きさせない。それが映画だ、と僕は思う。


『騎兵隊』では、基本的にバストショットかミディアムショットで、3~4人の人物を横に並べて会話させていMv5bzguwodcyzdutmgi4nc00odfilwjhotc る(ほとんどが左のような構図)。
だけど、女スパイは画面手前へ動くことが多い。馬に乗って脱走しようとするカットでも、奥から手前、手前から奥へ走る。あと、北軍の兵士に文句を言うとき、奥から手前にスッと歩み出て、進路をはばむとか。「次はどう動くんだろう?」という興味が生まれる。
南軍の騎兵たちが突撃してくるシーンがいくつかあるが、敵軍は奥から手前に突進してくる。味方の軍はフレームの左右からインしてきて、横一列に並ぶ。この映画なりの秩序がある。筋が通っている。

フレームをどう使うか、俳優をフレームに対してどう動かすか。そうした「図像」がドラマを生むから、映画は「面白い」のであって。


たまたま、さっき『ダンケルク』の記事を読んだんだけど、IMAXカメラが巨大で重かったとか、現場が大変だったとか、伝え聞いた情報によって映画を価値づけるのは手抜きだよ。
「監督の意図」をインタビューから拾ったり、「IMAXだから凄い」と言うのは「バンダイだから金型技術が凄い」と言うのと変わらない。何をどう撮っているか、フィルムをどう繋いだか、その原理を無視してはいけない。

「映画は鑑賞する時代から、体験する時代へ」といったコピーを目にするけど、何か根本的な思い違いをしているとしか思えない。椅子を揺らさないと臨場感が出ないのであれば、それは演出が足りてないか、そもそも臨場感など出す意図がないのか、どちらかでしかない。
どんな表現にも構造や原理があり、そこをストレートに見ようとしないから「号泣した」「一緒に来た人が引くほど泣いた」と、無闇に感情を誇張した感想になってしまうんだと思う。

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