2023年6月 6日 (火)

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スーパーマンたちが10代の姿に!何度でも“聴きたくなる”「ジャスティス・リーグxRWBY」豪華声優が参加した吹替版の魅力とは?
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ムービーウォーカーに掲載されたコラムです。
自分には、もうこういう短いスパンの仕事は来ないだろうと思っていたら、編集者さんが『RWBY』の日本語版に詳しいライターということで探し当ててくれました。
版権元からの要請を上手くさばいて、こちらへの要求と修正を最低限に抑えてくれて、こんな有能な編集者がいたのか……と、短い納期ながら気持ちよく仕事できました。


『RWBY Volume.1』の日本語吹き替え版の試写会に呼んでもらったのは、もう8年ぐらい前。
最初は類型的な美少女キャラを並べただけのコミカルなアクション物かと思っていたら、最後のエピソードで、慄然とした。それまでチーム論、リーダー論がストーリーを牽引してはいたけれど、最後はチーム内での人種差別の話だった。
被差別人種のブレイクと、上流階級の令嬢ワイスが対立する。最後に、ワイスは「これからはチームメイトに相談なさい」とブレイクに告げる。ちゃんとチーム論に回収している。しかし、このエピソードではゲスト的にロボット少女のペニーが登場して明らかに異質な存在として扱われるので、人種対立や差別といったテーマは解決するどころか、むしろ深まっているのだ。

テーマだけの問題ではない。
行方をくらませたブレイクを探して歩くメンバーたち。高慢な態度の中にも迷いを見せるワイスの芝居は、モーションキャプチャーを使って細かな芝居を拾っている(「無実なら逃げないはずですわ」と、つまらなそうに呟くところ)。
コミカルな動きの多いアニメなので、さり気ない日常芝居が良いアクセントになる。
ペニーが大活躍した後、すでに仲間のもとへ戻ったブレイク、ペニー(一人だけあぐらをかいているのが可愛い)らのところへ、ワイスが黙って歩いてくる。このラストシーンでワイスとブレイクは和解するのだが、まず停車しているパトカーの絵にかぶせて警察無線がノイズっぽく入り、ワイスの足がフレームインすると同時に、静かなピアノ曲が始まる。
ド派手で子供じみたアクションで始まったのに、情感豊かにひっそりと幕を閉じる大人のセンス。その深い余韻に陶然として、誰とも話したくなくて、ひとりでワーナーの試写室から遠い駅まで歩いた。少し泣きながら帰った記憶がある。「こんな良いものがまだ世の中にあったのか」という驚き、喜びだった。
それ以降、『RWBY』に関ることはすべて僕の個人的体験であり、いかようにも書くことが出来る。


仕事で、先月末から何度か横須賀美術館へ通っている。泊まりで行っても午前中は時間が自由なので、横須賀中央駅の西側の山を登ってみた。
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山に向かう道なので、商店の向こうは空だけだ。日曜だからなのか、ほとんどの商店が店を閉めている。
その静寂の中、DIYのお店が歩道に花をいっぱい並べていた。自分は脳内麻薬物質が過多だと思うのだが、その光景だけでも天国のように美しく、山の上にある横須賀市自然・人文博物館までの道のりが楽しくて仕方なかった。

将来の収入など、いろいろ不安なはずなのに、世界の存在を感じているだけで嬉しい。今日、曇り空の早稲田通りを歩いたけど、風が涼しくて気持ちよかった。雨の日も晴れの日も、ぜんぶ愛おしい。


最近観た映画は、『ブレイクアウト 行き止まりの挽歌』『さらば映画の友よ インディアンサマー』をプライムビデオで。
原田眞人監督の『さらば映画の友よ』は、二回目かも知れない。観客ほったらかしの支離滅裂な内容だが、『ピアニストを撃て』のような爽快感はない。この10年後が『ガンヘッド』である。
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『ブレイクアウト』は、ひさびさに目が釘付けになるほど集中して観られた。ロッポニカという変なブランド名になって、「邦画ってダセえなあ」と当時は失笑していたものだが、いざ見てみると、日活の底力を感じさせる娯楽作だった。
クライマックスは二転三転しすぎるが、パトカーが三台も潰れる派手なカーチェイスがあったりして、ちっとも飽きさせない。車が納屋に突っ込むシーンでは、納屋の中にもカメラを置いて撮っている。
何より感心させられるのは、シーンをまたいで霧雨が降りしきっていること。雨がやむと、地面がしっとり濡れている。当たり前のようだが、時間をかけて計画しないと、こういう撮影はできない。霧雨が、絶望的な逃避行の情感を醸しだしている。何となく晴れ、何となく曇りではダメなのだ。

藤竜也の顔に傷ができて、それが少しずつ治っていく……こういう描写も、技術と段取り、スタッフワークの賜物である(ちなみに、特殊メイクは原口智生さん)。村川透監督のキャリアを、甘く見ていたようだ。ロッポニカ作品=低予算という思い込みもあった。
こと実写映画に関しては、僕の興味は「現場の記録」からどれぐらい離れているか、「現場の記録」から一歩も出ていなくても、それはそれで映画の在りようではないのか……と、その辺りに滞留しつつある。

DC LOGO, JUSTICE LEAGUE and all related characters and elements [c] & TM DC. RWBY and all related characters and elements are TM & [c] Rooster Teeth Animation. [c] 2023 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

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2023年5月30日 (火)

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ホビージャパンヴィンテージ Vol.10 明日発売
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1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』放送、『ガメラ 大怪獣空中決戦』公開などを起点としたキャラクター文化の夢のような繁栄期を多数のプラモデルと共に振り返る40ページ巻頭特集の構成・執筆を行いました。
インタビューは『カウボーイビバップ』の南雅彦プロデューサー、メカニックデザイナーの山根公利さん。もう一本、平成『ガメラ』シリーズの怪獣造形で知られる原口智生さんにも取材しました。ツクダホビーのソフビキット、あんなにお金のない時期だったけど、ちゃんと八王子の模型屋で買って組み立てたんだよなあ……と、ちょくちょく書いているように、苦しいアルバイトで貧乏暮らししていた90年代がものすごく懐かしい。なので、この特集には、当時の風俗や流行もなるべく掲載しました。
(地下鉄サリン事件は、八王子の模型工場でアルバイトしているとき、ラジオで聞いた。そのアルバイトは時給1000円で、他のバイトたちより多くもらっていたのに、それでも3食100円の焼きそばを友達に買ってきてもらって、毎日そればかり食べていた。その友だちは奥さんの実家に住んでいたので、晩御飯に呼んでくれたりもした)


ようやくライター業にありつけたのは1998年、『ガンダム』20周年の前年。それまではテレビで『Gガンダム』や『∀ガンダム』を見て、アルバイト代でオモチャやプラモを買っていた。『Vガンダム』の頃は、すぐ近所に住んでいた女友達に録画してもらっていた。
その人とは、互いの家で安酒を飲んだりして、クリスマスには彼女の友だちと3人でパーティーしたことさえあるのだから、貧乏とはいえ割と楽しかったんではないか……と、まるで他人の人生を覗き見ているような不思議な気持ちになる。

何が苦しかったかといえば、自分は本当は映画監督(というか何か凄いクリエーター)になるべき才能があるのに、誰からもぜんぜん認められてない……という自己肯定感の低さなんだろうな。25歳のときに彼女ができて、僕のシナリオを読んで「凄いじゃない、もうプロ並みだね」と誉めてくれたけど、ぜんぜん価値がないと自分で分かっていたから、余計に苦しくなった。恋人だからって内輪受けでシナリオを誉めてもらって、恥ずかしくすらあった。
「こんな程度の低いシナリオを誉めてしまうような女と付き合っていたら、さらに自分はダメになってしまう」という不安が強まり、その恋人とは1年ぐらいで別れてしまった。あれほど彼女が欲しくて誰にでも声をかけていたくせに、いざ女が出来ると不満しか出てこない。

枯渇感・飢餓感を自分で再生産しているというか、わざわざ苦しくなるほうへ自分から向かって行って、「ホラな、やっぱりダメだったろ?」と不幸を確認して、そこに安住していたんだと思う。本気じゃないというか、本当は何をどうしたいのか考えていない。
人生には何か難解で崇高な答えがあって、何かしらの困難な方法によって、この脆くて傷つきやすい自我が救済されねばならないと、30代前半まで信じていた。「いつまでたっても一向に救われない自分」に酔っていた。だから、よく泣いていた。何もかもが、つまらなかった。


先ほど書いた『Vガンダム』を録画してくれていた女友だちは、僕の嘆き癖をよく見抜いていて、恋人ができるたび「結局、きみもマイホームパパ、平凡な人生か」と揶揄してきた(当時は、FAXでよくやりとりしていた)。無論、僕が結婚する時にも、精一杯の嫌みを言っていた。確かにその後、離婚したり何だりで、ひとりで海外へ行くのが楽しみな人生になったのだから、女友達の言うことは大当たりだったのだ。
女友達は、僕のパニック発作にも理解があって、取材で人と会わねばならないと電話で告げると,「じゃあ、お薬いっぱい飲まないとね」と精神安定剤のことを肯定的にとらえてくれていた。今ここにいる自分を否定せず、精いっぱい楽しむしかないのだと、あの人には分かっていたんだろうな。
壮絶にオンチな僕のことを笑わず、よくカラオケにも行っていた。「じゃあ、20代のころ楽しかったんじゃん!」と、我ながら思う。

その女友達は旅行作家になって、今でも本を出しつづけている。
「〇〇君(僕につけられた仇名)も、海外へ行けばいいのに」と、よく言っていた。彼女に言われた通り、離婚後の僕は海外旅行を大好きになったのだから、羅針盤はそっちを指し示していたのだ。きっかり30年前の話である。思い出しながら、唖然としている。
あの絶望的な貧乏時代に、「こっちへ行けば脱出路があるぞ」と道は示されていた。だのに、僕にはそれが脱出路に見えなかった。


プレイステーションのギャルゲーを買って、西八王子駅南口の古本屋で安い本やCDを買って、少しでも知識を増やして……そうこうする間に、30歳をすぎてしまった。
八王子~豊田の低賃金の工場、アルバイトでしか稼げないと信じていた沢山の人たち。彼らを乗せたバス。あの小さな世界が、今では不思議と愛らしい。その後につづく、牢獄のような結婚生活すら、ふいに愛おしくなるのだから人生は面白い。自分を肯定すると、過去がすべてポエムになる。


最近観た映画は、変わった邦画『ケイコ 目を澄ませて』、『TANG タング』、あと仕事関係で『ジャスティス・リーグ』など。
ドン・バージェスが撮影監督をした『フォレスト・ガンプ 一期一会』も再見したが、『キャスト・アウェイ』とは演出に明確なスタイルの違いがあって、共通点は見つけづらかった。


パニック発作で、初来店時には猛烈に発汗してしまった喫茶店、3度目に行って来た。
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小学生の頃に自転車で通りすぎた道、中学~大学にかけて犬を散歩させた道が、水槽の向こうに沈んでいるかのような静寂に包まれている。その向こうでは、物理的でない雄大な時間が流れている。それは死を内包した、永遠の時間とも言える。

一万円で買ったバッグが壊れてしまったので、駅前のカバン専門店で18,000円のカバンを買った。
そのカバンを背負って歩くこれからの時間を買うつもりで、ケチらずにお金を使う。服でもそうだが、「本当に欲しかったのはコレじゃない」と思って歩いていると、毎日が暗くなる。未来へ投資するつもりで買う。

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2023年3月 4日 (土)

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魚河岸の顔「ターレットトラック」のナゾ 実は名前すら曖昧? 何度もプラモ化されてきた“魅力”
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小さいけれど、ひさびさに仕事の告知。「乗りものニュース」にプラモデルのコラムが掲載されました。
メーカーさんに自分で連絡して、画像を提供してもらって……という細かい実務はいとわないけど、小さなウェブ媒体で少しずつ書いていく機会は激減してるし、よほどの事情がないかぎり、やらないと思います。
いまメインでやっている仕事は早くて3ヶ月後、半年後……というスパンです。そういう仕事をする時期に、自分は入ったのだと思います。


水曜日は東京駅近辺、アーティゾン美術館とインターメディアテクへ行ってきた。
アーティゾン美術館はダムタイプの展示が楽しみだったが、あまりにも規模が小さかった。ただ、余白を怖れない大胆な会場の使い方は見習うべきなのかも知れない。お化け屋敷のような、暗闇を効果的に使った展示だった。
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インターメディアテクは入場無料なのに特別展示がふたつもあり、どちらも凄く参考になった。上の写真は 『被覆のアナロジー —組む衣服/編む建築』、これも十分に凝ったレベルの高い展示だが、目当てにしていた『極楽鳥』は夜~朝焼け~昼(天空)へと背景のパネルの色が置き換わっていく。
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会場全体が青空に変わるところは、新しく壁を斜めに立てて、角を折れると、視界が一気に明るく変わるよう工夫してある。その瞬間が気持ちよくて、つい何度も同じ場所をうろうろしてしまう。


ヨルダン旅行から帰国して、早くも20日間が経過して、なじみの喫茶店にモーニングを食べに行くようになって、すっかり日本の日常に戻ってきた。
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ただ、あらためて土日や祝日に飲食店へ行ってはいけないと思い知らされた。土日にしか来られない客が集まるので、(いつもの静かな店なのに)周囲に無遠慮に資料やパソコンを広げるような客がいる。これでは、チェーン系の喫茶店と変わらない。
でも、せっかく僕は平日昼間からウロウロできる身分なのだから、僕のほうから土日祝日は出かけないようにするーーこれが最も頭のいい対策だろう。

「土日祝日には飲食店へ行かない」……これはマナーや身だしなみの本で知った概念だが、なかなか説明しづらい。
10人の客しか探しあてられない個人経営の喫茶店と、ほっといても100人の客が集まるチェーン系の喫茶店では、後者の方が「世間」の平均に近づく。雑多で、マナーの悪い人も多く混ざっているのが「世間」というものだと理解し、「世間」が正しいわけでも優れているわけでもない……とあきらめれば、おのずと自分の属する次元の選択肢が浮かび上がってくる。
(他人に期待するぐらいなら、自分の心の中を整備したほうが効率がよいし勝率が上がる。他人に頼るのは、そもそもハイリスクな選択だ)


何度も書いていることだが、20代の僕は「チェーン系の牛丼屋に行かないと食事できない」「なぜならお金がないから」と信じていた。
よく探せば、同じ金額でもっと多様な食事ができただろうに、食事に対する好奇心も探求心も薄かった。お金ではなく、精神的な余裕がなかったのだ。
だから、ろくに探しもしないで街中で目立つチェーン系の店へ、習慣で通っていたに過ぎない(チェーン系の店はスマホアプリのように、怠惰な人でも気がつくようデザインや色彩が設計されている)。なのに、それが唯一の選択肢だと頑なに信じていた。
「貧しさ」とは、つまり狭くて安易な「価値意識」のことなのだと今なら分かる。人生に何も付加価値のない人に残るのは、「せめて長生きしたい」。これは、いい尺度だと気がついた。


最近観た映画は『バグダッド・カフェ』(3回目)『ダイアモンドの犬たち』、『バハールの涙』、『漁港の肉子ちゃん』(2回目)、『アンデルセン物語 にんぎょ姫』、あと『フードインク』(確か2回目)、『ショックウェーブ』などのドキュメンタリー。
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『バグダッド・カフェ』は、映画冒頭でカフェへ持ち込まれた魔法瓶の色が、映画の随所に使われている。給水塔、窓に貼られたセロファン、そしてカフェ側の登場人物の服装が、ちょっとずつレモンイエローになっている。異邦人であるドイツ人の婦人も、最後の最後でレモンイエローのシャツを着る。
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綿密に設計されたデザインではないが、象徴的な色として意識しているのは間違いない。

『バハールの涙』は、クルド人の女性たちが小規模のゲリラ部隊を結成する。一種の戦争映画だ。
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主人公バハールの部隊が、苦難の末に敵の拠点を制圧する。バハールは電波塔によじ登り、そこに掲げられていた敵の黒い旗を投げ捨てて、「自由クルディスタン万歳!」と叫ぶ。ここはロングである。次のカットは、くすんだオレンジ色の空に黒々とした雲が流れていくだけ。夕闇に染まっていく空だろう。ズーン……と重たい音楽が流れる。
その次のシーンは拠点外観のロング、そして内部なので、空と雲のカットは時間経過ぐらいの効果しかない。しかし、雲はスロー撮影で動きを早く加工してある。すなわち、実時間ではなくバハールの心理描写、心の中の風景だとも捉えられる。

こういう瞬間があるから、僕は映画を見ている。『バハールの涙』自体は、古典的なヒューマン・ドラマに過ぎない。しかし随所に、ストーリーやドラマに還元できない感覚的な描写が散りばめられているのだ。

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2023年1月29日 (日)

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ホビージャパンヴィンテージ V0l.9 31日発売
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いつものように、巻頭40ページの構成・執筆です。『ボトムズ』は、あまり顧みられない1/48シリーズも取り上げてます。
インタビュー・特集タイトルの題字は、高橋良輔監督。開発者インタビューは、元タカラで創映社の設立メンバーでもある沼本清海さん。そして、1/24スコープドッグを開発した泉博道さん(元タカラ)。こうした方々へは、もうぶっつけでメールしてアポをとるのです。


27日は凍えるような寒さの中、寺田倉庫Gへ。『狭土秀平 土に降る 』、無料で見られる。
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床に土や瓦礫を広げる手法はシンプルだけど、確実な異化効果が出る。作品ひとつひとつのインパクトが薄いのであれば、空間を大胆にデザインして意味を増幅することで、満足度の高い展示になる。
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(庶民的な喫茶店に行くつもりが、ヴィーガン向けメニューのある意識高い系のお洒落カフエしか空いてなかった。計1900円ほどしたが、若者で混みあった店内で、不思議とくつろぐことが出来た。)

その夜は、英国人アーテイストに取材。素晴らしく博識で研究熱心で、ほがらかな人だった。こういう幸せそうな人となら、また会いたいと思う。通訳してくれた日本人男性も、おおらかで親切で、すっかり好感をもった。
「僕は、感動するために仕事をしているんだ……」と、帰りの電車のなかで噛みしめた。僕は、仕事を楽しんでいる。他の誰からどう見えようと、楽しいんだ。


1/31に巣鴨に前泊し、翌朝に成田から飛行機でヨルダンへ行く。

2/1 成田→チューリッヒ 飛行機移動 チューリッヒ泊
2/2 チューリッヒ→アンマン 飛行機移動 アンマン泊
2/3 アンマン泊
2/4 アンマン→アカバ バス移動 アカバ泊
2/5 アカバ→ペトラ バス移動 ペトラ泊
2/6 ペトラ泊
2/7 ペトラ泊
2/8 ペトラ→アカバ→ワディ・ラム バス移動 ワディ・ラム泊
2/9 ワディ・ラム泊
2/10 ワディ・ラム→アカバ バス移動 アカバ泊
2/11 アカバ→アンマン バス移動 アンマン泊
2/12 アンマン泊
2/13 アンマン→チューリッヒ 飛行機移動 チューリッヒ泊
2/14 チューリッヒ→成田 飛行機移動
2/15 成田着

こうして書きだすと、2週間も面倒だとは思う。せめて、10日間にしたかった。
でも、このままジーッと日本にいたまま、日々の楽しみが美術館とクラフトビールだけという自分は考えられない。思ったよりホテル代などで出費がかさんで不安にはなるけど、やはり何もしない自分は枯れて衰えていくだけだと思う。
海外の価値を知らずに「節約、節約」と小銭を溜めてホームレスになるのと、幅広く見識を広げて体験を重ね、すばらしいアートや美味い酒を知ってからホームレスになるのとでは別世界だと思う。
だからやはり、数十万の貯金があるのに「海外へ行かない」「新しい体験をしない」選択は、あり得ないのだ。


撮影の合い間、クラフトビール好きのカメラマン氏と雑談していて、「自尊心」という言葉が口をついて出た。
ようするに、140円の発泡酒しか知らない状態よりも、同じ量なのに300円以上もするクラフトビールをわざわざ探して、「絶対に美味い」という保証もなしに買って試すことで「自尊心が養われるよね」と、僕は言った。
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「絶対に美味いという保証」……その考え方こそが、貧しさへの入り口だ。駅前のドラッグストアには、酒ばかりか納豆や牛乳やパンまで売られていて、毎日の食生活が一店で完結するようになっている。クーポン券やポイント値引きなど、提供する側にだけ都合のいい予定調和のシステムに飼いならされて、自分で主体的に店や商品を選択する自由から引きはがされてしまう。
ファストフードを自分で選んでいるのではなく、「ファストフードを食べるしかない自分」に慣らされてしまうのだ。僕の20代が、まさにそれだった。

クラフトビールを醸造している人のインタビューで、「日本ではラガービールばかり大量に売られているが、本来のビールは多様性のある飲み物だ」と言っている人がいた。タップバーに置いてあった本に、「どうして大手メーカーのビールが安く買えるのに、わざわざ自分でビールを作るのかって? そりゃ美味いからでしょ」と書かれていて、とても勇気が出た。そう、自分で価値を作ってしまえばいいのだ。
「自分で価値をつくる」のであれば、ホームレスは悲惨とは言い切れない。そもそも、どこからどこまでが悲惨なのだろう? 母が殺され、父が殺人犯となり、兄が50代で変死した僕は悲惨? こんなに自由に生きているのに?
(何が最悪なのかは「何が自分にとって良いことなのか」を精査しないと、決められないはずだ。何も考えてない怠惰な人は、とりあえず「死ぬのは悲惨」「死は悪いこと」「長生きしたい、長生きすべき」という幼稚な価値観に留まりがちだ)

いま、貧困生活を送る人たちのルポルタージュを読んでいるが、彼らは空威張りこそすれ、自尊心が欠けている。貧乏を恥じている。貧乏生活はみっともないし、生活保護は恥ずかしい……自分を誉められない状態は、たとえお金があっても苦しいのではないだろうか?
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僕が「ホームレス」を連発しているのは、「ただ単に生きるためだけ」の労働をしたくないから。「無職はみっともない、人に言えない」「就職していないのは恥ずかしい」、その意識こそが貧しさなのだが、世間体のためだけに働いている無能な人は多い。無能な自分を受け入れて、自分の納得のいく生き方をすれば楽なのに。
僕がフラリと海外へ行くのもホームレスを選択肢に入れるのも、「何が良いのか」「何をしたいのか」「自分がしたくない嫌なこととは本当は何なのか」を見極めるためなのだと思う。


最近観た映画は、『レナードの朝』がすごく良かったペニー・マーシャル監督の『サンキュー、ボーイズ』。それと、スタンリー・キューブリック監督の『アイズ ワイド シャット』。これは確か二回目。
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『アイズ ワイド シャット』は、もはや構図がどうのという映画ではない。世俗的で、陳腐ですらある性へのモヤモヤと背徳感。トム・クルーズとニコール・キッドマンの美貌が、その陳腐さに一枚のスキンをかぶせる。もしかすると、とても知的で高雅な映画ではないか?といったミスリードが生じるのだ。
しかし、映画は「裸を見たい」「暴力を見たい」という下世話な欲望と切り離せないのだと再確認して、何だかホッとするのである。

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2022年11月28日 (月)

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ホビージャパン社が本格的スケールモデルを展開しはじめた理由、誰もが憧れる「74式戦車」プラモに搭載された超絶ギミック開発の舞台裏【ホビー業界インサイド第86回】
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僕はホビージャパンから仕事を請け負っていますが、このプラモデルを開発しているのはまったく別の部署、担当者も知らない人なので、いきなりTwitterのダイレクトメッセージを送って、取材をお願いしました。


クラフトビール専門のお店が、徒歩圏内に3軒もあるので、つい通ってしまう。2~3日に一度は行ってしまう。
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これは武蔵境なので、途中までミニバスで行ったのだが、わざわざ遠くまで行って一杯だけ……というのも楽しい。ただ、250mlで750円だから、やっぱりお金のかかる趣味ではある。それでも、一度に2杯は飲んで味の違いを感じられないと、気がすまない。400円ほどするミックスナッツは、味にノイズが混じるし割高なので頼まないようにして、少しずつビールだけを舐める。
お茶のような、自然物だと感じられる味がすると、「美味い」というよりは「出会えた」「探し当てた」感動がある。バクチのようだし、恋愛のようでもある。
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喫茶店は、ほとんどモーニングしか行かなくなったが、朝8時の空いている時間を狙っていくのが楽しい。
やっぱり、時間との関係が大事なんだと思う。夕方から喫茶店へ行く気はしない。これから始める、という午前中の気分に喫茶店は向いている。酒は「終わらせる」「止める」気分なのだと思う。その分、空間の広がりを犠牲にして真っ暗な店内へ昼間から入ることもあるので、そこは店を選ぶなりして改善したい。


ヨルダンへの旅行は、いろいろと面倒なことになりそうだ。
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首都アンマンに19:30に着いたら、ホテルに一泊だけして、翌朝には国内線でアカバに飛ぼう。アカバで一泊して、日数のかかりそうなペトラ遺跡へ移動して2~3日宿泊。ペトラ遺跡のあるワディ・ムーサからワディ・ラムへは、バスかタクシーで1時間程度なので、そこで2泊してからアカバへ戻り、また飛行機でアンマンへ……。
と、2か所の観光地を巡るだけで、かなり面倒。そもそも、飛行機やバスの到着時間とホテルの予約とが、そんなにうまく合致するんだろうか? そういえば、トランジットでスイスでも宿泊しないといけない。

しかし、2019年のアゼルバイジャンでも現地でバスを探したり、ジンバブエでは国内線を予約して移動ばかりだったのだから、必ず出来るはずだ。
本当は、時間を削ってまで段取りを組みたくはないのだが、海外旅行とは、そもそもこういう趣味だった気がする。丸3年も行ってないので、忘れかけている。


最近観た映画は、『荒野の決闘』。ジョン・フォード監督。
1946年の映画なので、劇映画は技術的に熟成してきていて、町のセットを丸ごと立てるなど金もかかっている。
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技術や様式が安定しすぎたこの時代の映画は、退屈なところもある。しかし、数人の男たちが閑散としたひと気のない牧場で撃ち合うクライマックスは、「手に汗にぎる」でも「ハラハラドキドキ」でもなく、淡々とした「表現」になっている。
男たちが物陰にかくれて、自分が撃つチャンスをうかがっているところへ、馬の群れがなだれこんでくる。真っ黒い馬たちが男たちの視界を遮るし、フレームの中を埋めて観客の得られる情報を遮断しかく乱する。ストレスを生じさせるから、決闘の行方が気になる。

こちらに背を向けてフレーム内へ男が歩いてきて、なぜか地面に向けて銃を撃つ。そこにあった水桶に弾が当たり、水面が跳ねる。
そのまま男は倒れる。実はフレーム外で撃たれていたのだ、と分かる。情報が単一方向に流れておらず、前後の流れで認識させる。すると、撃ち合いはただの撃ち合いでなく、「撃ち合いを表現したもの」に変わる。

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2022年11月16日 (水)

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「仕事」としてアニメーターという人生を生きる――ベテラン原画マンの横山健次に、「無理せずマイペースで長く働けるコツ」を聞く【アニメ業界ウォッチング第94回】

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横山さんは、『バイファム』のセル画がTwitterに載っていて、それでずっと覚えていて取材のお願いをしました。
人と争うことなく比べることなく、ゆったりのんびり自分だけの理想と楽しみと充実感を追っていく……理想の仕事のしかただと思います。取材場所に選んだ大泉学園近くの清潔な会議室も、いい雰囲気でした。


クラフトビールのことを少し調べながら、なるべくブルワリーのある店で飲むようにしてみた。

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すると、以前のように「なんとなく高級感をおぼえながら酔えればいい」という雑な気分から遠のいて、自分の選んだ銘柄が間違っていなかったか、慎重に味と香りを楽しめるようになってきた。生ビールのようにぐいぐい飲むのではなく、ワインのように舐めるように味わう……一杯あたりが高いのだから、なおさら丁寧に飲むようになる。

豊かさも貧しさも、心の問題なのだとつくづく思う。今よりお金のあったころの僕は、夕方から朝まで歓楽街で飲んでは記憶をなくしていた。そんな自暴自棄のために一晩に何万円も使っていたのだから、工場でアルバイトしていた貧困時代と精神的には大差ない。
金銭のあるなしは実は関係なく、いかに満足感・充実感の贅肉をそぎ落として混じりけのない静謐なものにするか……それが重要なのだ。


そういう文脈で言うと、どんなに自信満々に見えて才能のある人でも、虚栄心などの夾雑物が混じると、とたんに心が濁ってしまう。
自己愛性パーソナリティ障害の人はたいてい、そういう精神状態だと思う。せっかく立場や能力に恵まれているのに、「他人を従わせたい」「自分を実際よりも大きく見せたい」欲望が強すぎて、本来の価値を曇らせている人って、意外と多い。

本当に凄い人でも、「どうだ、凄いだろう?」と自分からアピールしすぎて台無しにしてしまう。そこから心に磨きをかけるのが、本当に難しい。ようするに、自分で自分を「まあまあ頑張ったな」と密かに認めてやる、甘やかしてやるのは健全なことなのだが、他人から常に注目されたい、過剰に称賛されたいという“関係”に執着すると、周囲も本人も自己愛の泥沼でもがくことになる……ということだ。

何よりも、自由であること。とらわれず、こだわらないことが幸せの正体なのかも知れない。


「マスクはもう、おまじないみたいなものになっています」
「そもそも、なんでマスクをしているのか、という本来の目的がもう曖昧になっています。マスクに限らず、感染対策は目的を見失っている状態が続いているんです」(

死はいけないもの、忌むべきもの、悪いことという考えが社会の根本にある。「命は平等」とか「ひとりも死なせない」とか、そういう平坦で高圧的で実感のないスローガンは「寝ないで、ボロボロになるまで頑張った(だから価値があるはず)」といったブラック企業の思想と、どこかで繋がっている気がする。
だから、「(私の言うこと聞かないと)沢山の死者が出ますけど、いいんですか?」という脅し文句が成立する。

11年前に僕の母が殺されたように、人は理不尽に死ぬ。その非合理さ、無意味さを受け入れるには強くなくてはいけない。「命は平等」? そんな甘いことは言っていられなかった。自分の冷淡さ、残酷さをも認めて、自分の武器とせねば乗り切れない時だってある。


最近見た映画は、ピーター・ジャクソン監督の『ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド(彼らは生きていた )』。
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途中で、俳優を使った疑似ドキュメンタリーではないかと疑ってしまうほど、デジタル技術で克明に再現された記録フィルム。
ドラマ、物語に還元できない「人が生きている」実体験感がある。ご飯を食べて、用を足して眠ることだけが人間の本質として残る。だが、戦争という状況は生活の基本と対立し、兵士たちは糞尿にまみれながら、ぎりぎりの食事で生きのびる。「なぜ、ここまでして生きていくのか」という不可解な問いが浮かび上がる。

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2022年10月29日 (土)

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「イルカがせめてきたぞっ」や、妖怪のフィギュアを作る造形作家・怪奇里紗が、ガレージキット教室を続けている理由とは?
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美人でスタイル抜群、作る物がことごとく面白い造形作家・怪奇里紗さんのインタビュー記事です。取材場所は、上野駅前の雑居ビルの最上階の格安貸し会議室で、その怪しい雰囲気を面白がったりもしました。
こういう、どちらが上でも下でもない、肩の凝らない仕事が好きです。作家は唯我独尊になりがちですが、怪奇さんは他人と程よい距離を保てる方でした。

えっ、砲塔だけ? ド定番「戦艦大和」プラモの新趣向 マニアも嬉しい究極の“割り切り”?
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こちらは、フジミ模型さんに協力していただいた「乗りものニュース」のレビュー記事。こういうアクセス数の多い大手サイトの隅っこに、ちょこっと書かせてもらえるのも、ホッとします。


木曜日は、武蔵小金井駅から20分ぐらいの場所にある小さな美術館、はけの森美術館へ「花侵庵と現代作家:No.1志村信裕」を見に行く。
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うっそうと緑の茂る公園の中に茶室があり、窓からのぞきこむと水場のあたりに金魚の映像がプロジェクターで投射されている。真鍮の蛇口に金魚の姿が重なると、キラッと照り返しが起きる。ただそれだけの作品で、本館の中に展示してあった作品は面白くなかったのだが、この美術館は周辺の環境が素晴らしかった。
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思わぬところに木々に囲まれた小さな道があったり、小川が流れていたり、歩いていて飽きない。ちょっとずつ迷いながら、少し汗もかいて多摩川線の新小金井駅へ辿り着く。
武蔵境駅まで一駅なので、駅前で靴を二足買って、ガード下のondでクラフトビール。そこそこお値段が張るのだが、気分がいいので良しとする。二杯も飲んで、ミックスナッツも追加注文した。
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酒は、気分いいときに飲むにかぎる。


翌日、早起きできたので三鷹駅近くの319へモーニングを食べに行く。8時台なら空いてるだろうと思ったら、カッコいい雰囲気の男性一人客などで混んでいる。やっぱり、話題になってるんだなあ……。
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ちょっとコーヒーを飲み足りないので、少し歩いて横森珈琲へ。
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ここでコーヒーだけ頼むのは、初めてかも知れない。
そこそこ仕事の進行が早いので、午後は井の頭公園の松月へ。一番搾りとソーセージ盛り。
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お会計は1050円だったのだが、950円と勘違いして千円札を出したまま、「50円玉がないので」と変な言い訳をしてしまった。これじゃあ、「1000円にまけろ」と言ってるみたいだ。こういう小さな失敗、小さな恥を飲みこみながら、ちょっとは良いことを探して生きている。
こんなに出歩いて、いつ仕事してるんだ?と我ながら思うのだが、仕事は予定よりも一日早く終わった。

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2022年10月23日 (日)

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ジブリを遠く離れて――。「鹿の王 ユナと約束の旅」で初監督、アニメーター安藤雅司の歩んだ20年の軌跡【アニメ業界ウォッチング第93回】
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安藤さんに最初にお会いしたのは、『千と千尋の神隠し』の公開前のインタビュー時。次が『君の名は。』の公開前。この人がスタジオジブリを離れてからの仕事歴を追ったら、独特のアニメの歴史が浮かび上がってくる気がしました。


金曜日は、東京オペラシティアートギャラリーへ「川内倫子 Rinko Kawauchi M/E 球体の上、無限の連なり」を見に行く。
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床いっぱいに、川面を撮影した動画を映写したり、すごく好みだった。
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四面ある壁のうち、二面にのみ映写するセンスもいい。この方が、視線や空間が自由になる。あと、二面に違った映像を同時に映す展示はよくあるけど、脳が物語を拒絶するので好き。
廊下には小さなモニターとヘッドフォンが並んでいて、音楽ユニットとコラボした短編映画のようなものが見られる。まるで、自主映画のような自由な雰囲気。日常の風景をラフに撮っていて、すごく良かった。
オペラシティアートギャラリーはコレクション展もよくて、李禹煥や中西夏之の作品も見られた。小さいけど、充実感を味わえる美術館だ。


マスクについては、受付では何も言われず。
場内で「混んできたので、お願いします」と女性職員にマスクを差し出されたが、「すみません、できないんですけど」の一言で引っ込んでくれた。しかし、一人で黙って見ているだけなのに、俺がどうやって誰を感染させるのだろう?
この前に来たときは警備会社のオジサンに言われたけど、統一ルールはないようだ。受付では、何も注意されなかった。


“自分が本当に欲しいもの、自分が本当にそれ無しでは生きていけないようなものは、そう多くない。ましてそれに多額のお金が不可欠であることは、さらに少ないだろう。たとえば現代においてさえ多くの人々は「正社員になって稼ぎたい」と思っているが、稼いだ結果として何が欲しいのかは分かっていないはずだ。”

生活保護をポジティブにとらえて、「働きたくないから」という自分の意志を尊重する人のNOTE。
確かに、「正社員になりたい」「家庭をもちたい」といった他人の欲望に、若いころの僕は捕らわれていた。だから、アルバイトを転々とする生活を惨めなものと捉えては沈み込み、恋人さえ出来れば何もかも報われるはずだと信じ込んで、いつも焦っていた。
しかし、それらはすべて、学生時代に周囲へ向けていた羨望の残骸にすぎない。社会に出ても、多くの人は残骸の中に暮らしている。僕は離婚と母の死を経て、そこから抜け出すことができた。だから、自分を惨めに感じさせることは一切、絶対にやらない。
一人が怖くないどころか、孤独ほど贅沢なものはないと知っている。他人にとってはどうでもいいだろうが、自分にとって自分は特別だと分かっている。なので、自分が自分であることの権利を行使し、嫌なことは拒絶しながら、好きなことだけやっている。


最近観た映画は、『野蛮なやつら』『少女』『海と毒薬』『帝銀事件 死刑囚』。
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『海と毒薬』は大学のころに流行った映画で、犬の内臓を使ったという手術シーンのエグさは、80年代の特殊メイク・ブームも作用しているのかも知れない。
前半、若い女性の手術がどんどん失敗していって、床に落とされるガーゼが一個、また一個と増えていくカットの緊迫感は今見ても凄い。ついに女性が死んでしまった後、ガーゼのない水が流れるだけの床をサラッと映している。物語に回収されない、不可解な感情を表現しようとしているのが意欲的だ。

『帝銀事件 死刑囚』は、冒頭で湯呑を使って毒物を飲まされるシーンを衝撃的に見せておいて、それなのに劇中では何度も新聞記者たちが湯呑で酒を飲むシーンを挿入している。彼らが湯吞を使うたび、毒物の存在が否応なく頭をよぎるという悪趣味な趣向が効いている。

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2022年10月16日 (日)

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EX大衆 2022年11月号 発売中
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小特集「『うる星やつら』リブートだっちゃ」の中で、昭和版の『うる星やつら』について、コラムを書きました。


最近観た映画は、『愛と哀しみの果て』 、『7月4日に生まれて』、『13デイズ』。
『13デイズ』が、ダントツで面白い。感情描写は抑えめに、冷徹に事実だけを重ねてキューバ危機の舞台裏を描く。ほとんど密室での会話劇なのだが、2時間半のうち、残り30分のところで偵察機が撃墜されるエキサイティングなシーンがある。
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そこだけSFXを駆使して、アクション映画のようにトーンが遊離していて緊張感を高める。それと同時に、危機が去ってストーリーが落着する間際、戦死したパイロットを弔うシーンを挿入して映画を重々しく締めくくっている。
プロットを見渡すと、会話だけで済ませてもいいような小さなシーンなのだが、映像的なスペクタクルとして活用し、投げっぱなしではなく、最後にさり気なくキャッチしている。意外性があるし、知的だと思う。


月曜日は、練馬区立美術館「日本の中のマネ」展へ。
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祝日だったのだが、それほど混んではいなかった。森村泰昌氏と福田美蘭氏のパロディ的な、批評性のある大型作品が良かった。
(マスクを差し出されたが、「できないんです」と言うと「体質的な問題ですか」と勝手に納得して、引っ込めてくれた。)

翌日火曜日、上野で取材だったので、谷中まで歩いた。15時ぐらいで、ちょっと汗ばむぐらいの陽気。
またしても道に迷ってしまい、谷中銀座ではなく日暮里駅の前に出てしまう。すると、いつも帰りに立ち寄る中華料理屋が、連休明けのせいか休みであることが分かった。
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逆に、谷中銀座の中にあって、いつも休みの生レモンサワー屋が珍しく開いていたので、商店街に面したテラス席に座った。隣では、若い主婦二人組が飲んでいる。平日の昼間でも、こういう自由な人たちがいるのか。
しかし、お店の雰囲気は今ひとつだった。事前に、お気に入りの中華料理屋が休みだと分かっていて良かった。さっさとあきらめがついた。まあ、こういう日もある。

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2022年10月 8日 (土)

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低価格帯フィギュアを開発する苦労と楽しみとは? フリュー株式会社の新フィギュアブランド「TENITOL(テニトル)」の開発チームに聞く【ホビー業界インサイド第84回】
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フィギュアを企画・開発するチームですが、広報まですべて女性で、華やかな楽しい取材でした。


最近観た映画は、『トッツィー』と『ファイヤーウォール』。
『トッツィー』は以前に見たような気がするが、タイトルの出方がいい。演劇の稽古をしているシーンをランダムに繋いでいるが、女性の鮮やかな服が中央に来た瞬間、タイトルが白抜きで入る。
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本編はたいしたことないが、よくデザインされている。赤系の衣装は、この映画のあちこちにポイント的に配されているような気がする。

『ファイヤーウォール』はヒッチコック的な、古典的といってもいいほどのサスペンスだが、抜群に面白かった。
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ハリソン・フォードの演じるセキュリティ・エンジニアが家族を人質にとられて、銀行強盗の片棒をかつぐ羽目になってしまう。
まず、主人公の家庭と職場での有能さを端的に紹介しておいて、いきなり「ギャンブルで借金があるだろう」と思いがけぬ言いがかりをつけられるシーンで、ぐいと引き込まれた。ここまでがちょうど、冒頭の10分である。つかみが肝心だ。
そして、強盗チームの犯人に騙されて、バーで一杯やっているシーンと家に強盗たちが乗り込んで家族を拉致するシーンをカットバックさせる。後者は手持ちカメラで荒々しく撮っているのに対して、前者はバーの椅子で話している主人公をフィックスで単調に繋いでいるだけ。ようするに、ハリソン・フォードは座っているだけ……。そこに着目しないとダメだ。

どんな映画でも、座ったまま事態の進行に関われない人物に、観客は感情移入する。無論、ハリソン・フォードは最後の最後には犯人を相手に立ち回るのだが、それまでは座ったままパソコンをいじるようなシーンが多い。
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でも、不自由な人物にこそ気持ちが寄り添う。「何とかしないと!」という焦りを感じる。ヒッチコックの『裏窓』が典型例だ。

ラストも、気がきいている。
主人公は犬の首輪に取りつけたGPSを頼りに家族を探すが、犬が見つかったので秘書の女性に預けて、一人で家族の救助に向かう。何もない場所に犬と取り残された秘書は、携帯電話を取り出す。そこで、シーン転換。
大掛かりなアクションがあって犯人を倒した後、主人公は家族を連れて画面手前へ歩いてくる。そこへ、犬がフレームインしてくる。カメラが家族の背中をとらえると、対面には秘書が立っていて、彼女の後ろにパトカーが止まっており、さらにもう一台が来る。トラックアップして、家族の歩く方向へ電車の線路が伸びている……完璧に美しい構図だ(取り残された秘書と犬がどうなったのか?の答えにもなっている)。
もう少し正確に言うと、このラストカットの前に家族を見ている秘書のアップが2度入る。彼女のような“傍観者”に、座ったまま映画を見ている観客は感情移入してしまう。


今朝は朝7時半に起きたので、9時からオープンする喫茶店へモーニングを食べに行く。
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椅子にショールがかけてあるので、ほんのりと季節を感じる。
土曜日なので、開店して間もないのに混んでくる。もう少しコーヒーを飲みたいので、今年オープンした店に移動する。
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インテリアが凝っているので、盛んに写真を撮っている女子たちがいる。マガジンラックに入った雑誌や本の趣味がよく、つい見入ってしまう。
こういうお店にふさわしい自分になろうとすると、身が引き締まるような気がする。朝から、一日まったく好きなように生きている。


マスクについては、もはや精神病理的に外せない(恥ずかしい、怖い)という人たちが気の毒に思えてきた。
マスクを外してもいいという風潮が怖くて、無理矢理な理屈をつくってTwitterで反論している人たちも、やっぱり弱いんだと思う。

僕の貧乏なころがまさにそうだったが、自分では望んでいないはずの苦しい生活に執着し、ますます辛くなっていく。それが底辺の生き方。日本は30年も景気が低迷していて、みんな自信がない。だから、ちょっとずつ苦しい思いを共有して絆だけ深めようとする。

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