2022年8月13日 (土)

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70年代ロボの再生に重ねる、我が人生と人の世と……。鬼才のプラモデル作家、タンゲアキラさんに会ってきた【ホビー業界インサイド第83回】
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いい歳をしてアニメを見て、ロボットやフィギュアを作ることの意味を、あらためて問われる思いがしました。タンゲさんほど「自分の人生をやり直すため」と意識できる人は、少ない気がします。
僕の場合は運動が苦手で気が弱かったから、「人に見られる」「話す」ことが嫌だった。それで、身体性を感じなくてすむアニメや漫画の世界へ逃げたはずだったんですけど……そうした要因が、複雑に絡み合ってるから“コンプレックス”なんでしょうね。

そこそこ自分の人生にゆとりが出てくると、コンプレックスについて深く考える必要もなくなる。でも、コンプレックスが強靭なバネとなって自分を助けてくれたことは間違いない。


昨日は、アニメ映画『夏へのトンネル、さよならの出口』の試写へ。
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路線としては、新海誠作品のようなファンタジックな恋愛物には違いない。しかし、死の影や家族に対する不信感が背景にあり、雰囲気は暗い。それは悪いことではない。静謐だし、表現は繊細で美しい。
それでいて、一気に画面が華やかになるような大胆な工夫がある。空騒ぎする軽薄な作品よりは、こうして丁寧に、慎重につくられた作品に好感をおぼえる。16年も昔のことを思い出している今の自分の心象には、フィットした。


試写室が築地に近かったのだが、半分以上の飲食店が17時に閉まっている。茅場町か蔵前のテラス席に移動してもよかったのだが、気分的にすぐに飲みたかった。
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たまたま開いていた海鮮丼の店に入ったら、「居酒屋メニューです」と飲み用のメニューも出してくれて、すっかりご機嫌になった。ほとんどの料理が、1000円以下である。ほかの客たちも、飲みモードに入っている。この安心感。
だから結局、こうして自分の機嫌をとるのは自分しかいないと僕は知ってしまった。誰かと二人で出かけるほうが幸せだとは思っていない。ひとりが楽しいんだから、仕方がない。

ひとりで酒の量をコントロールし、ひとりで酔いを楽しみ、次どうするかを自分で決める……圧倒的な自由。今日の仕事も明日の仕事も、ぜんぶ自分でペースを決められる。充実感がある。
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今朝は早起きできたので、雨が降り出すまえに、お気に入りの喫茶店へ。
ひたすら、静かな一人の時間を満喫している。


とは言え、雨女さんとのメールのやりとりを復元できないか試してみたり(当時はガラケーだったのでさすがに残っていないらしい)、2006年ごろの吉祥寺のキャバクラ事情を記した2ちゃんねるのスレッドを検索し、ようやく雨女さんの勤めていた店の名前を思い出したりした。
しばらくの間、雨女さんの電話番号とメアドがスマホにも残っていたのを、漠然と覚えている。今こんなに思い出すぐらいなら、一年後でも数年後でも連絡すれば良かったじゃん?と思うだろうけど、16年たってワインが熟成するように「思い出して楽しむ頃合い」になったんだろうね。

先ほど書いた吉祥寺キャバのスレッドに「あの頃には、もう戻れないのか」「涙がでてきた」という、誰かの書き込みがあった。……うーん、そういう気持ちでもないんだよな。当時の僕は、人の気持ちの分からない幼稚な男だった。でも同時に、雨女さんと疲れない距離を保てるぐらいの、そこそこの価値もあったと思う。
ようするに、都合のいい思い出し方をしている。思い出は別に、明日の決断を変えたりはしない。ほんのり香る、人生のスパイスだ。


最近見た映画は『草原の実験』、『グーニーズ』。

(C) 2022 八目迷・小学館/映画『夏へのトンネル、さよならの出口』製作委員会

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2022年8月 4日 (木)

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80年代ロボアニメで「主人公メカの量産タイプ」といえば、「特装機兵ドルバック」のキャリバー(グンゼ産業)しかないよね!?【80年代B級アニメプラモ博物誌第24回】
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いつもの連載、旧キットの素組みレビューです。コメント欄で、ちょっと怒られてしまった……次回から、ちょっと気をつけます。


先日の猛暑日、ある監督さんの取材に出かけた。乗り換えに手間どって、汗だくでスタジオにたどり着いた。
先についていた編集者は、もちろんマスク。だけで、僕はぜえぜえ言うほど息を切らしていたので、マスクせずに雑談していた。会議室で監督を迎えるときは、使い古したマスクを便宜的に着用。それはマナーではないかと思った。
しかし、監督さんは「あっ、マスクしないとね」と、名刺の受け渡しの挨拶の時のみマスクをつけて、インタビュー中はマスクを外してらした。こちらが写真を撮る都合もあった。

取材後、また38度の猛暑の中を駅まで歩くときは、僕はマスクを外した。編集者はマスクしてたと思う。
ただし、電車に乗る時は僕もマスクをつけた。ずっとマスクをしている編集者が、僕のせいで「あいつらノーマスクで話してるぞ」と周囲から白い目で見られるのは、さすがに可哀そう。そこまで、僕は頑固に我を通そうとは思わない。ケースバイケース、柔軟でいいじゃないか。


その前日、国立新美術館へ行った。
Twitterで検索すると、「ノーマスクの客がいた」「美術館側は注意すらしない」と文句が書かれていた。なら、マスクしなくても大丈夫だ。
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ルートヴィヒ美術館展、どうしても見たかったわけじゃないが、ひさびさにアートに触れる解放感を味わった。
やはり僕は、抽象画に心打たれる。カール・オットー・ゲッツ、ウィレム・デ・クーニングの絵を、監視員の人に不審がられるほど、何度も見た。


(以下、経緯を知らない人からすると妄想のように読めてしまうかも知れないが……)
母を刺殺した父は、もともと高圧的な人物だった。
ただ、問題の本質を直視する勇気がない。飼っている犬のふとももに大きな腫瘍が出来たときも、「あれはオデキだ」と言って譲らない。手術して切り離さないといけないほど大きな腫瘍なのに、口先で事態を軽く見せようとする。
もっと昔、僕が中学か高校のころ、やはり犬が具合が悪くなってしまったので、一駅離れた病院へ連れていこうと提案した。父親は大げさに目をむいて、「誰がどうやって連れていく?」と信じられないように言った。 自信がない人って、どうやれば実現できるかを考える前に、「不可抗力には逆らえない」ってポーズをとりたがる。ただ勇気がないだけなのに、被害者であるかのように振る舞う。

決定的だったのは、兄(長らく精神病院に入院しており先々月、アパートの外で死んでいたと警察から連絡をうけた)が父の机から現金を盗みはじめた時だ。
僕は、兄が父の寝室から出てくるのをはっきりと見た。その直後に現金がなくなっていたのだから、兄が盗ったと考えるのが合理的だろう。しかし父は、「盗む瞬間を見たのか?」「証拠がないだろう?」と、決して兄を追求しようとしない。自分の息子が窃盗を働いたと認める勇気がないのだ。
僕が適当に「本人が盗んだことを覚えてないのかもな」と出まかせを言ったら、「な? な、そうだろう?」と耳当たりのいい、都合のいい、解決方法を模索しなくていい意見には飛びつく。結果、兄は80万円もの借金をつくり、(本人に返させればいいものを)父はその全額を返してしまった。取り立て屋が実家周辺をうろつくようになり、引っ越しせざるを得なくなったという。(そうした愚策のあおりを受け続けたのが母であった)

本当に解決しなければいけない問題を直視せず、的外れなところで余計な苦労をする。無意味なことで汗を流して、努力している気分だけを表面的に味わう。やがて、取り返しがつかないほど問題が巨大化して、人生を台無しにしてしまう。
大学時代に片思いしていた女性が「違和感のあることを続けていると、いつかとんでもない結果になっちゃうのよ!」と言った。ゾーッとして、僕はその人をあきらめる気持ちになれた。


とりとめない話を思い出してしまうのだが、20代半ばに交際していた女性には、2歳の子供がいた。
それは、何人もの女性と同時に付き合うモテモテ男に騙されて、孕んだ子供であった。結納の日、その男が別の女を連れてきて、婚約がご破算になったのだという。彼女は添加物が大嫌いで、子供に使う石鹸、シャンプー、食品や調味料、すべて無添加専門店で高いものを購入していた。
それは、子供の健康のためでもあろうが、自分を騙した男のような「悪いもの」「外部」を遠ざける護符のようなものに、僕には見えた。普通のスーパーで売っている洗剤を、彼女は「毒」と吐き捨てるように言っていた。

今のコロナ対策パニックにも、同じものを感じる。

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2022年7月31日 (日)

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こんな時代だから、若い子たちががんばれるアニメにしたかった! 劇場版『Gのレコンギスタ』完結に向けて、富野由悠季監督の言葉を聞く【アニメ業界ウォッチング第90回】
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富野さんにはもう何度インタビューしているか分からないけど、だからこそ、ナアナアにならないように気をつけたいと思った。
このインタビューの時は機嫌がよくて、僕が『G-レコⅣ』のここが良かったと褒めるたび、「うんうん、あそこはね……」と反応がスムースだったので、だからこそ緊張感を記事に出さないといけない。実際には中盤にあった『キングゲイナー』のやりとりを、記事の最初に持ってきたのは、「つかみ」でもあるけど、ちょっとピリッとした空気を出したかったからです。

こんな感じに、インタビュアーは聞くだけでなくて、持ち帰った素材を構成して演出しています。
だから、自分が可愛いインタビュアーは、さもインタビューイと仲がよい感じに、自分が頭のいい感じに構成します。僕は、「このインタビュアーはバカじゃないの?」「コイツわかってないな」と思われた方が、記事としてはメリハリがつくと思います。嘘をつかずに優れた記事を書いたほうが読む人が喜んでくれて、もっと大きな視点で自分を肯定できる。

なので、インタビュアーがしっかり主体性を持っていないと、単に「著名人やクリエイターと会って話せた自分が可愛い」自慰行為のようなだらしない記事になってしまう。あるいは、「だってインタビューイがそう話したんだから、そのまま書くしかなかった」という他責的な仕事になってしまう(社会の半分ぐらいの人は、そういう仕事のしかたをしていると思います)。
「主体性がある」というのは、自分の主張をくどくど書くことではなく、必然性のある構成を考えること。偉そうに粉飾しないで、読者さんにとって分かりやすい記事にすること。それがインタビュアーの主張ですよ。


最近観た映画は、『最強のふたり』、『愛は霧のかなたに』、『それでも夜は明ける』。どれも二回目。
特に『それでも夜は明ける』は、ひとつひとつのシークエンスはよく覚えていたのだが、今回はその端正な撮り方に唸らされた。
たとえば、主人公が白人の労働監督官を殴って、縛り首にされかけるシーン。まず、木にかけられたロープが画面を斜めに切りさくように位置している。次に、この構図。
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主人公はつま先で必死に立ってないと首がしまってしまうので、じりじりと苦しそうに動きつづけている。このカットは、やけに長いな……と思っていたら、後ろの小屋から同じ黒人の奴隷たちが出てくる。彼らが苦しんでいる主人公を助けるのかと言うと、主人公を無視して仕事にとりかかるだけ。ただ静かな、いつもの風景なのである。
まさか、このまま見殺しなのかと思っていると、この構図のまま画面左側から女性が足早にフレームインしてきて、主人公に水を飲ませる。水を飲むところで、ようやくアップになる。

……が、構図はより痛烈になる。苦しむ主人公の肩越しに、親子で楽しそうに遊んでいる黒人たちが見えるのだ。
この長い時間は、主人公の吊るされていた時間でもあるが、黒人たちが奴隷として苦しんでいた歴史的な長さでもある。なので、構図も「奴隷が苦しむことが日常である」比喩的な意味をまとう。
奴隷の才能に理解のある白人の家主が馬でかけつけ、ようやく主人公を吊るしているロープを切る……バタッと地面に倒れた主人公は映さず、アクションカットで屋敷の床で倒れている絵につなげている。ここで安堵した主人公のアップでなく、前シーンから続く構図なのは「状況は何も変わっていない」ことを表わしている。単なるシーン転換のテクニックとは言い切れない。

こうした発見に満ちた啓発的な映画は、実は20本に一本ぐらいしかない。
しかし、上に書いたことは僕にとって新しい発見ではない。優れた映画は、すべてこれぐらいの演出効果を持っているからだ。なので、どうすれば驚くべき映画と出会えるだろうか、それとも劇映画が僕の人生に果たす役割は終わったのかも……と考えている。


また、19世紀の奴隷制度を描いた『それでも夜は明ける』に惹きつけられるのは、強者が理不尽な暴力で弱者をもてあそぶ、いつの世にも通底する真理を描いているからだろう。
僕は色が生白くて不格好で、おどおどしているいじめられっ子の癖に、40年ぐらいかけて自己実現できた。でも、だから妬まれる。仕事上で脅されたことも、数知れない。それを不公平だ被害者だと嘆くぐらいなら、僕は対策を考える。母が父に殺されるという異常な状況でさえ、僕は感情ではなく実務で切り抜けることが出来た。一週間後の自分の心を平穏にするため、今日は何をすべきか考える。
多数派のなかで安穏と生きてきた人は、戦略を立てられない。草食動物には、狩りをすることは出来ない。残酷なようだが、それが理不尽に嘲笑されてきた僕の答えである。

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2022年7月 1日 (金)

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アメリカ発CGアニメのスピンオフを、日本アニメの文法でつくる! 「RWBY 氷雪帝国」のストーリーを創出した虚淵玄(ニトロプラス)×冲方丁の仕事術【アニメ業界ウォッチング第89回】
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他でもない大好きな『RWBY』なので、バンダイナムコピクチャーズさんに連絡して、取材が実現しました。


6/23~24にかけて、神戸市と福岡市へ二泊三日の旅行。美術館の方たちと打合せするのがメインだったが、鉄人28号やνガンダムの立像を見学して、最終日は一人で福岡アジア美術館と福岡県立美術館、福岡城・鴻臚館を見学。フラッと一人で昼飲みしたりして、まあまあ楽しかった。
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ひとつ、どうしても記しておきたいことは、帰りの飛行機(行きは新幹線だった)。窓際の席で、しかも隣が女性だったので、離陸時は叫びそうなほど緊張した。離陸してから、飛行機が激しく揺れたのも怖かった。逃げるように精神安定剤を飲み(薬の入った財布を手元に置いておいて良かった)、文庫本二冊に集中した。
しかし、離陸直前、席から立ち上がって「やっぱり降ります!」と逃げ出しそうなほどの圧迫感だった。海外旅行のときは、必ず通路側を予約している。窓側だけと閉塞感が怖い。あと、女性という存在が怖い。離婚後に女性に好かれていた時期も、この恐怖症は治まらなかった(その女性たちと一緒にいても、まるで緊張はしないのだが、別の場面では凄まじい緊張感に苦しんでいた)。

いつも行っている喫茶店でも、思いがけず混んでいて隣が女性だと、滝のような汗をかいてしまう。このパニック発作のような症状、本でも一度も見たことがない。広場恐怖症に近いのだろう。


その飛行機は、Peach Aviationであった。詳しく知らなかったのだが、一昨年、機内でマスク強要をめぐるトラブルがあったためか、とても冷たく「今すぐ着用してください」と搭乗口で言われた。機内では先述のようなパニック状態だったので、ずっと顎まで降ろしていた。
ほかには、福岡県立美術館がマスクにうるさい。アジア美術館は「マスクできません」という札を下げておけばオーケー、鴻臚館は「マスクがないなら、じゃあ話さないでください」。私ひとりしか客がいないのに(笑)。でもまあ、Peachや県立美術館の冷徹な態度に比べれば、柔軟性があって可愛らしい対応だった。

東京に帰ってきてから、すさまじい猛暑のため、ほとんど家にいる。取材で出かけるとき、大きなビルだと受付でマスクするよう指示されるが、それ以外の場所では完全に自由だ。仕事相手がマスクしている場合がほとんどだが、いつの間にか相手も外していることが多い。
せめて午前中の涼しい時間を選んで喫茶店へ行こうと外へ出てみると、まだ8割ぐらいの人が汗をかきながらマスクしていて、呆れながらも「まあ、こんなもんだろうな」とも思う。常々、満員電車とかサービス残業などの理不尽で過酷な状況に、なぜみんな耐えているのか不思議に思っていたが、学校という場所が忍耐強い労働力を量産する工場だと思えば、今のマスク社会になっても何の不思議もない(学校が、何か創造的なアイデアを学ぶ場だと勘違いしている人が多い)。

気温が36度もあるのにひたすら耐えてマスクしている大人は、「嫌だけどみんなに合わせる」という道を選択したか、もっと恐ろしいのは無意識に苦痛の多い道を選んでしまっているかだろう。
「マスクを続ける自由もある」などという屈折した言い方が出てくるのは、「自分の意志をもって自由になっている奴らが妬ましい」「奴らではなく俺らが自由という形にしてほしい」という歪んだ平等感のあらわれだろう。負けた人間は、形にこだわる。


一人を得させるぐらいなら、みんなで損をしたほうがマシ。それが、日本社会だと思う。
先述したように、僕はパニック発作を抱えている。だけど、嫌なことは徹底して避けている。どこにも就職していないが、いつも十分なお金を稼げて、いつでも好きな時間に寝ている。毎日、好きなものを食べている。好きな場所へも行っている。嫌なら帰るだけだ。
でも、今のマスク社会になって、どうやら8割ぐらいの人が理不尽な我慢をしているらしいと分かってきた。「そんなわけがない」と思ったら、あなたは残り2割の側だろう。カッコよくてお洒落な人たちが猛暑の中、マスクをして歩いていると、「なんだ、彼らは8割の側だったのか」と不思議な気持ちになる。

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2022年6月18日 (土)

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頭のデカい悪役ロボは好きですか? 「機甲戦記ドラグナー」の1/144ゲバイ(バンダイ)なら、頭デカいよ!【80年代B級アニメプラモ博物誌第23回】
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いつもの素組みレビューです。


木曜日、どちらかというと仕事上の都合により、市民優待枠でジブリ美術館へ行ってきた。10年ぶりぐらいだろう。
僕は外を歩くときはマスクをしないのだが、入り口で「マスクはお持ちですか?」と呼び止められた。なぜマスクを着けねばならないのか聞いてみると、ややキレ気味に「皆さんにお願いしてますからっ!」とのことであった。
子供たちが遊べる猫バスのコーナーでも、全員がマスクをさせられていた。すっかり気持ちが覚めて、目当ての企画展だけ早足に見て、30分ぐらいで帰って来た。Twitterで調べてみるとジブリ美術館のマスク強制は悪名高く、3歳以上は必ず着用なのだという。
メールで「科学的、医療的な根拠は?」と問い合わせてみたが、返事はない。

コロナが流行る何年も前の話である。SNSで「風邪が治ってきたので、ちょっと近所までお買物」と書いた人に対して、「ムッ! 風邪は治りかけが肝心ですぞ」「気を緩めないように!」など、上から𠮟りつける人が結構いた。ようは、コロナ騒動の本質ってそれでしょ? 病気をダシにして他人に言うことを聞かせたい、上に立ちたい、自由を制限したい。仲間外れをつくりたい。でも、そういう空虚な上下関係や圧力によって、社会が維持されてることも間違いないと思う。
「コロナ」の部分に、いろいろなものを代入して、憎悪と排除を正当化してきたんだろう。


小学校5~6年生のとき、担任教師が「先生は仕事があるので、次の一時間は好きなことしていいぞ」と言った。
驚いたことに、40人ぐらいの生徒は僕以外全員、ドッジボールをするために校庭へ駆け出して行った。僕は教室に残り、一人で『ミクロマン』のイラストをコツコツと描いていた。
たぶん、本気でドッジボールをやりたかったのは数人だったと思う。あとの何十人かは空気を読んで、仲間外れにならないために参加したに過ぎないだろう。それが社会なんだと思う。みんな、そこまで本気で考えていない。みんなが「いい」と言う映画を見に行って、なんとなく「いい」気持ちに染まっている。そのまま平凡に歳とって、なんか不都合ある?という話だ。

僕はドッジボールどころか、体育や運動が致命的にできなかったため、自分で楽しみを探すしかなかった。小学校高学年で『ミクロマン』なんて買っていたので、「まだそんなオモチャ買ってるの?」「幼稚だね」と言われた。そう言っていた彼が中学生になり大学生になり、他人に合わせながら自分を殺して、少しでも得するために四苦八苦していたのを、僕は知っている。自分独自の楽しみや生きがいや価値観を見つけられず、周囲に合わせるのに終始している人のほうが、実は社会の圧倒的多数なのだ。
「地域の仲間」とかさ。「同じ学校の出身」とかさ。何も見つけられなかった人が最後に頼るのが、「組織」「決まり」なんだ。それは不思議なことではない。バカは理不尽な決まりが好き。決まりにさえ従っていれば、どんなバカにも生存権が与えられる。
決まりに従えないバカは、自分の居場所を自分で作るしかない。僕という人間は、その記録なのだ。

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2022年6月14日 (火)

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ホビージャパン ヴィンテージ Vol.7
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先月末、ようやく発売となったムックです。巻頭特集の構成と執筆を担当。

未来バイクが巨大ロボの腕になる! だけど片腕だけ? 「魔境伝説アクロバンチ」のバンチャー・アロー(アオシマ)を変形させてみた!【80年代B級アニメプラモ博物誌第22回】

アキバ総研に書いている素組みコラムです。

「積んどくモデラー」の楽しみ方 プラモ買っても作らない派がグッとくるポイントとは

乗りものニュースに書いているコラムです。


先月末に世田谷美術館と五島美術館をハシゴし、今月は横須賀中央に前泊してバスで横須賀美術館へ行った。
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その間、あちこちで夕飲みしているのだが、やはり飲みすぎると酔うことが目的化してしまい、つい家でも安いワインを飲み続けてしまう。すると、その日に払ったコスト(お金だけでなく、自分の足で探した情報の価値や恵まれた天候)は台無しになってしまう。


最近観た映画は『ブルーサンダー』、『未来警察』、『アシュラ』、『さらば愛しき人よ』。
原田眞人が1987年に撮った『さらば~』は、80年代の軽佻浮薄な気分やファッション、当時の業界人のカメオ出演に感傷的な気分にさせられ、なおかつ原田得意のひねった癖に彩られた悪役たちが楽しい。『ガンヘッド』を経由して『タフ』シリーズへ至るアクションの系譜が、明らかにこの映画から始まっている。

日本映画も面白いなと思いはじめたので、なんとなく「女性向けのポルノだろう」との偏見から遠ざけていた『娼年』を気まぐれに観てみた。
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そして、その成熟した人間観に、すっかり感心させられた。映画が終わるころには、冒頭に登場した軽薄な女子大学まで、身の詰まった彼女だけが生きてきた唯一無二の性を背負っているように見えてくる。ひとりひとりの女優が、恥も照れも年齢も武器にしながら、その人だけの喜びを表現していた。

ネオンサインに彩られた夜の街はCGのように人工的に美しく撮影され、昼間働いている人々が歩く横断歩道は穏やかなグレーに沈んでいる。表層的に生きるしかない凡人たちを軽蔑しているわけではない。グレーの世界には、グレーの世界なりの穏やかな落ち着いた美しさがある。凡人たちだって、言葉に出来ないだけで彼ら固有の生と性を生きているはずなのだ……そんな厳粛な距離感が、映像の質感から伝わってくる。
映像なんて綺麗に撮れれば何でもいいんだろうと、ずっと思ってきた。『娼年』の映像には、倫理と世界観がある。ひさびさに、誠実な表現を見た気がする。

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2022年5月 1日 (日)

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「機甲創世記モスピーダ」のレギオス・アーモダイバー(イマイ)を組み立てたら、“中間形態”ゆえの不安定さにクラクラした!【80年代B級アニメプラモ博物誌第21回】
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今月の素組みは、『モスピーダ』のアーモダイバーです。


少し前に、「自己愛性パーソナリティ障害の呼び名が使いづらい、もっと的確で手軽な呼称がないか」と書いた。
漫画や広告を吊るし上げるツイフェミの人たちも、ほとんど自己愛性~で解説できてしまう気がしている。高校のころ、痴漢を捕まえたら相手は大企業の社員で、謝りに来たという話をTwitterで読んだ。
確かに日本社会に痴漢は多く、嫌な思いをしてきたことは分かるのだが、途中で「はっきりいうけど、大学は海外に行ったんだよ」という話題の切り替え方をしている。本当の話なら「はっきり言うけど」なんてもったいつけなくてもいいと思うのだが、留学したとか英語が話せるとか外国人の友人がいる、海外で働いている系の見えすいた自慢はフェミ……というより、自己愛性~の人にすごく多い気がする。
「実は自分は凄いんだ」「学業が優秀だったんだ」と隙あらば注釈を入れざるを得ないのは、社会に対して「役に立っていない」というコンプレックスがあるからじゃないだろうか。それでいて、プライドが高くてバカにされたくないから「なめんなよ!」とネットでイキるしかなくなる。

男性フェミニスト(?)のシュナムルさんの発言でも、「こんなに専門的で難しい話を娘に聞かせてやっている知的な俺」に陶酔している様子が、あちこちに顔を出す。いかに知識が多くても、そうやってTwitter上での自慢話にしたとたんに安っぽくなることが分かってない。……いや、分かってはいるんだけど、自分の夢想する「理想の自分」を維持するため、「生身の自分」を犠牲にしているというべきか(もし娘さんが実在するなら、父親が自慢するダシに使われて可哀そうな気がする)。
結果、現実の自分はほったらかしで理想だけが際限なく高くなっていく。せめてネットで勇ましい自慢話をして現実を忘れるしかない、それが自己愛性~の悲劇だと思う。
「ありのままの自分が好き」なのではなく、「過剰に理想化された自分が好き」なので、相手を自分の幼稚な幻想に巻き込もうとする。


先ほどの「痴漢を捕まえた」ツイートで勉強になったのは、「二次被害になるので痴漢被害者の連絡先は被疑者には教えないはずなので、警察の人が悪いんじゃない?」と、冷静に矛盾をついてきた人がいたこと。
それに対するツイート主の答えは、「父と今話をしていたのですが、父の記憶は警察から弁護士があって直接謝罪をしたいと言ってるが、私が未成年だし当事者なので親が代理でみたいな話から連絡が来たと言っていました。」
「いま父と話をしていた」って、後から設定を付け足したにしては、あまりにも苦しいでしょう……というより、いかにも取ってつけた言い訳だと自分では思わないのだろうか? 自己愛性~の人は、あからさまな嘘を相手に呑ませる傾向がある。「これ以上疑うなら、あなたも加害者だ」などと相手に罪悪感を抱えさせて、自分が身軽になろうとする。

「信じてもらえないなら、まあ仕方ないか」と、大きく構えることが出来ないんだよね。「いつ、どこでボロが出るか」「ちゃんと自分の期待どおりに他人が評価してくれるだろうか」と、いつも張りつめていて息苦しい。だから事前に、自慢話で防御せざるを得ないわけだ。
「もうちょっとうまい同調の仕方あるじゃん、勉強になりますーでもお詳しいんですねーまだまだ女性差別は根深いですねーでも。なんでこんな融通聞かない頑固親父みたいなリアクションしかとれないんだろ。」
これはシュナムルさんに対する感想だけど、まさにこれ。融通がきかない。自分が悪くなくても軽く謝罪しておくとか、その場を気まずくせずに自分が多少は損をするような大らかさがない。フェミというより、自己愛性~の人たちの特徴。自分が少しでも折れたら負け、という狭量さ。「まあ、いいか」「別にいいですよ」と、自分や他人を許せる優しさこそが、人生を豊かにするのだと思う。

※メモ
“だから反出生主義でもフェミニストでもないんだってば。自分が得ることの出来ない「幸せ」とされてるものすべてを否定することで、自分を救おうとしているだけの人達なんだってば。目的がそこなの。正義じゃないの”


ほぼ2~3日に一度は、夕飲みに出かけている。陽気がいいので、電車に乗ってまで飲み場を探してしまう。
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都内某所……とだけ言っておくが、イベント参加のために泊まったホテルから二駅。以前に時間が合わなくて入れなかった店の前に、開店時間と同時に着いた。庭園に隣接しているので、ビニールカーテンの向こうは夢のような夕暮れの光景だった。

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2022年4月24日 (日)

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おとなが愉しむ プラモデルの世界
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セブンイレブンで発売されているムック本。監修・執筆を行いました。
お勧めキットのセレクト、各メーカーさんへのサンプル送付のお願い、画像の申請、取材の申請、撮影のディレクション、とにかく何でもやりました。静岡コーナーと田宮俊作さんのインタビュー、店舗ガイドなどは他のライターさんです。
ぴあのディレクターのほか、編プロさん、構成などを考えたライターさんとはリモートで定例会をもち、ほんのたまにお会いして一緒に取材したりしました。何でも意見できて、のびのびと仕事のできる優れたチームでした。誰かのミスは、必ず誰かがキャッチしていました。
そして、ストレスをためずに自由に仕事ができて、十分なギャラを得られた経験は、真っ青な空のように自分の人生を照らしてくれます。

アニメ業界の新人たちに必要なこととは――? アニメーター・コーチ、小島昌之さんに聞いてみた【アニメ業界ウォッチング第88回】

釣りファンも模型ファンも注目、「ルアープラモ」をつくった老舗の金型メーカー、株式会社マツキさんに人気の秘密を聞いてみた!【ホビー業界インサイド第80回】
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目の前に川の流れている下町の工場と呼ぶべき金型メーカーさんに、取材してきました。模型専門誌が拾わない小さなニュースは、しっかり僕が取材していきます。


19日(火)は新宿に前泊して、初台の東京オペラシティアートギャラリー、「篠田桃紅」展へ。
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無意味に思える抽象的な描線を、何とかして動物や人間に解釈しようとするのは、僕の認識力がそのように慣らされているせいだろう。抽象画を見ることは、その脳の慣れを排除することだ。
やがて、力強い描線が普段は眠っている深層へと訴えてくる。それは僕たちが無意識野に押しやっている、言語化未満のかすかな記憶だ。たとえば、若いころの強烈な思い出を正確に記述しようとすると、「こんな人と会った」「こんな事があった」といった物語的な出来事ではなく、色や模様で表現せざるを得ないのかも知れない。それが生きる、感じつづけるということではないだろうか。
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アートギャラリーはコレクション展も充実していて、中西夏之の絵もあった。こうした絵は目覚める直前の混濁した意識、遠すぎて思い出せない記憶の再現に思えてならない。
この日、中野までのバスが出ているのに気がついて、見知らぬ通りをバスに揺られて、放浪の人生を送っているかのようなゾクゾクする気持ちを味わった。


水曜日はスタジオで撮影、木曜日は吉祥寺まで裾上げしてもらったパンツを取りに行って、帰りに松月でビールを一杯やった。
金曜日は根津美術館へ、「燕子花図屛風」展へ。
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屛風絵は、立体的に展示するのでディオラマ的な表現だ。そのグラフィカルなデザイン性に、興味をそそられる。そして、人の大きさに合わせて描くので、実物を見ないと評価ができない。
すばらしく天気がいいので、ひさしぶりに海へ向かう。竹芝近辺のレストランは、ホテル併設で料金が高すぎる。なので、台場で以前によく利用していたレストランへ行った。
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中東系のウェイターが、「予約席ですけど5時までなら使っていいですよ」とテラス席に座らせてくれた。安いし、信用できる店だ。
家族連れが、ワインをあけて賑やかにパーティを開いている。しかし、海側はおそろしいほどの静寂で、その鮮やかな対比に「永遠」を感じる。誰にも邪魔されない、完全な自由。
しかし、お会計のときに大学生のような若い男たちが、だらしなく座ってビールを飲んでいるのが見えた。うるさくしないのは別にいいのだが、こうまで安いと色々な層の客がテラス席で飲みたがる(平日だったのだが)。なので、自分だけの特別感が薄れてしまうのだ。


翌日の土曜日は朝から打ち合わせで、昼からは自由なので、てきとうにバスに飛び乗った。この解放感!
しかし、夏のような気候の中、昼飲みの場所を探すのは手間取った。まず江戸川橋で地下鉄に乗り換えて、三田駅で降りた。御成門の近くの高層階にあるレストランがホテルに併設で、あまりに金額が高かったからだ。駅からすぐの居酒屋にテラス席があるというのだが、そこは雑居ビルの踊り場のような場所で、お世辞にも眺めがいいとは言えない。
そこで、そこから10分ちょっと歩くが、以前にマークしておいた運河沿いの店を訪ねてみることにした。
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駐車場もあるが、とにかく空いている。入ってすぐのところに、子供向けのくじのような物が置いてある。近くに高層マンションが多いせいか、よく子供連れが来るようだ。
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テラス側は川沿いの遊歩道に面しており、なんと船から来るお客さんもいた(調べてみたら、隣にホテルがあった)。
とても静かで、僕の後ろに近所の親子連れが来て、子供はアイスクリーム、お母さんはアイスコーヒーだった。店員さんは、とても親しそうに話しかけていた。駅からは歩くが、近所の人に支えられているのだろう。開店一周年だそうだが、きっと長く愛されるだろう。

グーグルマップを見てみると、以前に倉庫街を眺めながら飲むために行ったバグースバーが近い。歩いて行ってみることにした。
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ところが、この写真より一段低いところに、遊歩道と混じり合ったようなベンチ群があり、そこで外国人たちが酒盛りしていた。アベックで、缶ビールか何かを傾けている人たちもポツポツいる。
以前の僕なら、彼らをタダで楽しんでいる人として軽蔑しただろう。しかし、彼らの席の方が運河に近い。なぜか、あれはあれで楽しいんだろうな……という気持ちになった。前日の、アクアシティお台場5Fのレストランは、テラスの向こうが空だけだったので陶酔感が決定的に違う。その時その時の気分にもよるのだろう。


最近観た映画は、ゴダール監督『女は女である』、ジョディ・フォスター監督『マネーモンスター』、『ガス燈』、『にがい米』、『山河遥かなり』。
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『にがい米』が、圧倒的にリズミカルで躍動感があって面白かった。
厳しい労働に耐えている女たちが、一斉に反乱を起こす。
田んぼで腰を曲げて働いていた女たちが、申し合わせたように手を止めて腰を伸ばす。次のカットでも、別の女たちが腰を伸ばす。監督している数人の男たちが、同じタイミングで振り返る。次のカット、また女たちが手を止めて腰をのばす。別の監督役の男が、振り向く。次のカット、もたしても別の女たちが腰を伸ばす。
ここでようやく、男が「仕事を続けるんだ」と怒鳴るが、それまでまったく台詞がない。女たちが手を止めて曲げていた腰を伸ばす、そのミュージカルのような演技の積み重ねだけで、反乱が起きたことを示している。こういう機能的なシーンを、いつも探している。

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2022年4月15日 (金)

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EX大衆 2022年5・6月号 本日発売
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“ファーストガンダムの隠れた名作が映画化! いま、新たな1ページが開かれる 『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』考察ガイド”、特集記事を執筆しました。ザク研究、映画化されなかったベスト・エピソード選集など。
この手の企画記事は、お手の物です。

カメラは近づき、カメラは遠ざかる――「戦闘メカ ザブングル」第1話に見る富野演出の基本【懐かしアニメ回顧録第89回】
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アキバ総研で連載しているコラム。ひさびさにストーリーではなくて、演出のことを書けました。


「いま、ウクライナで起きていることが理解できる」と古くからの友人が言うので、プライムビデオで『あの日の声を探して』を見た。
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現代とは思えないような、泥臭く原初的な人間の堕落、憎悪がむき出しに描かれている。
確かに優れた映画なのだが、そういえば「友人が話題にしていたから」……などという理由で映画を見ること自体、ひさしぶりのことだ。いつもは、ただ自分の内面や記憶とのみ対話して、その日にやりたいことを決めている。誰とも話さない。せいぜい、喫茶店の人に注文を言うか、クリーニング店に衣類を出すとき、事務的な会話をかわすぐらいだ。

どこからどこまでを友人と呼ぶのか分からないが、少なくとも「親友とそれ以外」という考え方をやめた。「彼は親友だから」と関係を口にした途端、たちまち呪縛となる。そこまで他人に期待しない、そこまで他人を追わない……それが、僕の生き方になっている。
たまたま、仕事でも付き合いのある人と飲む機会が重なったのだが、やはりどうしても相手のペースが気になり、自分の機嫌とのバランスを考えてしまう。相手を尊重しつつ、自分が後悔したりしないように……そのバランスを考えるのに疲れたから、ひとりで過ごすようにしている。
反面、友人がひょいと映画のタイトルを口にしてくれたように、自分とは関係なく遠くで世界が動いているのだと実感できる、この距離感も心地いい。孤独だけど孤独じゃない。海外旅行へ出ると、この温かい疎外感をキープできる。
こんな雨の日、喫茶店で窓際にすわって濡れた街路を眺めるのもいいが、常連客が大声でマスターと雑談している、その自分とは無関係の世界の残響に身を浸すのも楽しいものだ。ずっと、自分には孤独を楽しむ素養があった。しかし、若いころは「友達はたくさん居るべき」という俗説に取りつかれていたので、この年になってようやく味わい方が分かってきた。


一方、他人に依存し、他人を犠牲にすることで不自然なまでに自分が優れている、ケタ外れに優遇されていると意識しつづけねばならない自己愛性パーソナリティ障害の人たちに、もっと手短な呼び名はないだろうか?と考えている。「人格障害」では差別になるので、「パーソナリティ障害」なのだと聞いた。長すぎて覚えづらいとは、誰も思わなかったのだろうか。
「発達障害」「PTSD」という呼び名は、社会に定着した。言葉は悪いけど、バカとかマヌケとか無能とか、あきらかに社会に存在していたのに「努力が足りない」などと適当に言いくるめられてきた多数の人たちが、顕在化された。「発達障害」という呼称で救われた人は、かなり多いと思う。
そして、自己愛性パーソナリティ障害の人たちによるモラハラやドメスティックバイオレンスなどの加害と支配は、社会の一部と言ってもいい。しかし、彼らはナルシシストとかサイコパスとか、おおいに曲解されうる通俗的な呼び名しか与えられていない。それでは、問題が可視化できない。

自分が常に話題の中心にいないと気がすまず、ウソをついてまで他人の心に踏み込んでくる……何か問題が起きたとき、自分だけは責任を負うまいと他人を攻撃する。そういう幼稚でずる賢い人たちのせいで、どれほど多数が人生を台無しにされただろう? 自己愛性パーソナリティ障害は、社会の病根だと言ってもいい。
そういう迷惑な人たちは社会で養ってあげて、本当に仕事のできる人たちのみが、十全に能力を発揮できる間だけ働けばいいと僕は考えている。


『あの日の声を探して』以外で、見た映画。
『リリーのすべて』、『キャッツ』。どちらも、トム・フーバーの監督作品だ。
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『リリーのすべて』は、性別と異なる内面を持った男性が主人公で、しかも彼は画家である。したがって、『英国王のスピーチ』以上に画面は絵画的に構成されている。二重になった自我を表現するため、鏡面も積極的に使われている。その絵画性に着目すれば、『キャッツ』のように人工美にあふれた作品も理解できる。『キャッツ』はカット割りも構図もへったくれもなく、俳優と特殊メイクとCGによって描かれた動くイラストレーションだった。

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2022年4月 2日 (土)

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キャラクター・プラモデル・アーカイブVol.001 4月5日発売
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企画から半年も経って、よ~うやく発売になります。作例ページ以外のキット素組みレビューなど構成・執筆です。
「ホビージャパン ヴィンテージ」の特集ページをまとめて、『戦闘メカ ザブングル』のページを他の2作品に合わせて新しく編集し、インタビューも新規に加えました。富野由悠季監督、出渕裕さん、湖川友謙さん、設計者の村松正敏さんです。
富野監督のインタビューは、プラモデルも含めたメカニック観を語ってもらったもので、なかなか他では読めない貴重な内容になっていると思います。


先日、クリーニング店で太っちょの女性に待たされた話を書いた。ちょっと意地悪く書きすぎたかも知れない。
つくづく、僕は人間社会を軽蔑してるんだろうと思うけど、「店」「客」は簡単に誰でも力関係を築けるので、注意して振る舞わなければならないと実感している。
セルフサービス式で、駅から近いチェーン系の店には、最底辺の客が集まる。撮影や取材の帰り、「改札内だし、軽く駅そばでも食べていくか」などとフラリと寄っていくと、だらしなく椅子に座って、食べ終わっても無料で取り放題のネギなどをつまみながら、ずーっとスマホを眺めている自堕落なサラリーマンを見かけてしまう。
「こっちは客だぞ」「片付けるのは店員の役目だろ?」という力関係に持たれかかった人間は、とことん図々しく、だらしなくなる。


僕がよくビールを飲みに行く公園の休憩所があるが、中年女性でひどい客がいた。
まず、注文した料理を残す。ただ残すのではなく、皿の上に散乱するように汚く残す。口を拭く紙ナプキンなども折りたたまずに、適当に丸めるめて机の上に捨てる。そして、家族経営の小さな店なのに、1万円札を出す。
それぐらいなら、「たまたま大きな札しかなかったのかな?」と思う程度だっただろうが、その人の入った後に店のトイレに入ると、手を洗う水が出しっぱなし。使ったトイレットペーパーが、床に落ちている。
それで、わざと500円程度の支払いに万札を出したのではないか……と、疑ってしまった。もちろん、店の人たちは「お釣りのお札がなくなった」と困っていらした。

ここまで読んで、「どうしようと客の自由だろ?」と思った人もいるだろう。
だから、それが底辺の、貧乏の、品位の低い発想なのだ。一万円札を持っていようと、心が貧しければ貧乏だ。
普段から、「私はそれなりに品位を保つ努力をしている」という自信があれば、お店の人も同じ人間なのだから、私のせいで余計な仕事が増えないように……と考える余裕が生まれる。店を汚く使う人には、「こっちは客だぞ!」という幼稚な特権意識しかない。


40代に入ってから、清掃のアルバイトをしていた時期がある。
それなりに名前の通った飲食チェーンの本社オフィスだったのだが、トイレの使い方の凄い人がいた。便器が新しくなった時があったのだが、まず自分が最初に汚さないと気がすまないらしく、朝一番に出社してきて、「まだ掃除終わらないの?」とタメ口で聞いてくる。
そのうえ、男性トイレで大便をして、いつも流さない社員がいた。「清掃のバイトのやつらに俺のクソを流させたい」という、あれも力関係に基づく特権意識だったのではないだろうか?

「いい大人が、ウンコを使って特権意識を誇示するか?」と思うだろうが、僕は大人なんてそんなもんだと思っている。社会を支配しているのは高い志しなんかではなくて、どっちが上か下か、誰がこっちの仲間か、ムカつく相手には嫌がらせだ……大人の社会の大半を占めるのは、小学生レベルの力関係だと思う。
駅のトイレは、たいていドロドロに汚れているが、あれも「清掃員の人たちに掃除させる」ことで「自分は少なくともアイツラよりは上だぞ」と思いたいだけなんじゃないか……そう考えたくなるほど、異常な汚さだと思う。


僕はよくテラス席に座ってビールを飲むが、実は眺めのいい店の外、2~3メートルの距離にタダで利用できるベンチが設置してあることが多い。だけど、そっちへ座るぐらいなら、僕は家へまっすぐ帰る。
同じ眺めでも、ちゃんと店員さんの管理する席に座る。そうすることで、自分の行動を制限する。他人様のスペースを借りることによって、「綺麗にテーブルを使おう」「店員さんのことも考えよう」という意識が芽生える。僕の場合、もともとがハゲていてカッコ悪いオジサン客なのだから、他の客や店員さんに気持ち悪く思われないようキチッと座り、きれいに飲食しようと気を引き締める。
わざわざお金を払わないと座れない場に入ったのだから、それに相応しい客であろうと努める。すると、心の中も整理されていく。たいした人間はないけれど、とりたてて恥ずかしい人間でもないだろう……という高度をキープしていれば、電車の中でデーンと足を投げ出すような迷惑な人間にならずに、自信をもって納得のいく人生を送れるだろうと信じている。

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