2022年9月30日 (金)

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ホビージャパン ヴィンテージ Vol.8  本日発売
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巻頭のアートミック特集40ページを構成・執筆しました。キットレビューのほか、吉祥寺怪人さん×柿沼秀樹さんの対談、荒牧伸志さん、宮武一貴さん、園田健一さんインタビューもやりました。


水曜日から木曜日にかけて、大船の観音と鎌倉の大仏を見学しに行った。
まずは大船へ行って、ホテルに荷物を置いて、江の島へ遊びに行った。結婚していた16年前は嫁さんと初詣に行ったものだが、離婚後に一回、ビールと天ぷらを食べに来た程度だ。
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もちろん、午後4時~5時ぐらいの夕暮れを狙ってテラス席を渉猟する。実は、そんなに奥まで行かなくても海の見えるテラス席はちらほらある。だけど、そこで妥協しないのは、もはや性癖である。奥まで行って、そこが混んでいたり閉店だった場合に初めて引き返す。つまり、最上のものを知らない者に妥協する資格などないと思うのだ。
結果は、断崖から海へ張り出した西向きのテラス席に座れた。まずは、江の島ビール。
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エビの塩焼きが来るころにはビールが空いてしまうので、普通の中瓶をオーダーして、この上ない楽園が目の前に出来上がった。レモンとはじかみ生姜の置き方からして、かなりレベルの高い店だと分かる。
他にも、一人でビールをやっている男性がいた。たいていはカップルか女性同士でかき氷など食べており、満席ということはなく常時2~3席は空いているのがいい(「テラス席に蜂がいて料理の中に入るかも、店内の方が落ち着きますよ」という店員さんの忠告も効いていそう)。
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写真には映らなかったが、雲の中にうっすらと虹が混じっていた。こんな天国のような景色を、当たり前の日常として受け入れている店員さんたちは、どんな気持ちで生きているんだろう? 島の中で寝起きしてるんだろうか?

島を降りる17時半ごろには、もう夕陽の見ごろは終わってしまっていた。なので、今回も運は僕の味方をした。たいていの店は日没前に閉まってしまうが、この店は18時まで営業していると調べてあったのも良かった。
しかし、薄暗くなった島へ向かうカップルがいると、なんだか「今から行ってもつまらないんじゃない?」という寂しいような、それでも僕の知らない世界があるのだろう……といった穏やかな気持ちになる。閉館の近い美術館でチケットを買うカップルにも、同じような気持ちをいだく。


その夜はホルモン焼き(自分で焼くタイプ)の店、和食の店に寄ってからホテルへ帰ったが、どちらもイマイチの店だった。料理が美味くても、出てくるのが遅すぎると一杯余計に酒を頼むことになり、酔いすぎてしまうのだ。こっちは料理との相性や食べすすむバランスを考えて酒を頼んでいるのに。

翌朝、駅近くの昭和っぽい喫茶店でモーニングを食べて、バスで大仏を見て、さっさと鎌倉駅へ移動。神奈川県立近代美術館・鎌倉別館まで歩く。
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こういう作品に「初恋」などというタイトルを付けられて、ハッとしてしまう。タイトルで余計な意味づけをされている作品が多い気がするが、古い布に微細な刺繡をほどこす沖潤子さんの作品は別だった。タイトルによって、作品の見方を教えてもらえる。
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「幸運は強い意志を好む。偶然も強い意志がもたらす必然である。」
沖さんがラジオや読書で出会った言葉をメモしている、そのノートも展示してあった。小さいけど、気持ちの行き届いた良い美術館だった。僕がいる間は、僕ひとりしか客がいなかった。鶴岡八幡宮は混んでいたのに、徒歩数分の美術館だけはひっそりしていた。こういう寂しさは、とても贅沢だと感じる。


鎌倉駅前の蕎麦屋で、天ぷら盛り合わせ(海老2本と季節の野菜)と瓶ビール。トータル、1700円という安さ。
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もう少し歩いたところに、テラス席でクラフトビールを飲めるお洒落なレストランがあったのだが、ほぼ満席でガヤガヤしていて駄目。昨夜の居酒屋で失敗したせいもあって、天ぷらで一杯やりたい気分だったので、たまたま見つけた蕎麦屋に入った。昼飲みを喧伝している居酒屋もあったけど、観光地なので賑やかすぎる。ちょっと外れにある寂しい店がいい。
テーブルで栓をあけてくれたし、タレではなく塩で食べさせる趣向もいい。ビールには、しば漬けが付いていた。
ビールを追加しなくてすむように、途中から飲むペースを落とした。だらしなくグイグイ飲まないことだ。


一応、マスクのことを書いておく。
居酒屋二軒、喫茶店一軒、蕎麦屋一軒、どこでもマスク着用のお願いはされず。
近代美術館ではお願いはされたものの、「ちょっと出来ないんですけど……」と弱気に言うと、くしゃみや咳をするときはハンカチを当てて等の注意事項を見せられただけでオーケー。
他の人にもマスクを外せとは、僕は言わない。僕はもともと社会不適合なので、好きなようにしているだけ。苦しくても周囲に合わせたい人は、別にそれで構わないと思う。


鎌倉~新宿は一本で帰れるが、グリーン車にした。約一時間。
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結婚している頃に住んでいた戸塚駅前には、記憶にある建物がそのまま残っていた。しかし、あそこから脱出することで僕の人生が始まったので、センチメンタルな気分にはなれない。30代後半までの自分は、負け犬根性が身に染みついていた。ライター業だけでは、生活は不安定だった。
しかし、元妻がお金の管理や家事を手堅くやってくれて、僕の極貧生活がリセットされた。「少しずつでいいから貯金しろ、マイナスにはするな」という考え方の人だった。そのことには感謝している。離婚後、みじめで無意味なアルバイトをしなくても、好きな仕事だけで生きてこられている。

電車が都内に入ると、大井町や大崎あたりから見慣れたビルが多くなっていく。センチメンタルになれるのは、この光景だ。
無数の記憶のレイヤーが、かすかに脳裏に浮かび上がってくる。たくさん歩いたし、たくさん飲んだ。キャバクラを遊び歩いていた放蕩の日々も楽しかったのだが、一人で出かける時間が、何よりも充実している。自由で、何もかも自分で決められる最良の日々を、自分で手に入れることが出来た。

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2022年9月19日 (月)

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殴られた巨大ロボットに、果たして痛覚はあるのか――? 「マクロスF」屈指の名シーンに学ぶ【懐かしアニメ回顧録第94回】
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巨人化したクラン・クランが、ミハエルの乗るバトロイドの頬っぺたを「バカッ!」とビンタする、抱腹絶倒の痴話げんかシーンです。

編集側から『マクロスF』でどうか……と提案されて、赤根和樹さんが絵コンテを書いた第4話の作画の面白さに、あらためて感嘆させられて、そちらを取り上げるかどうか迷いました。ランカの歌唱シーンには、ロトスコープも使われていたと記憶します。ハイエンドな3DCGを駆使する一方で、人間の筋肉というか、手の力で魅せる作画もある。そのごった煮感が、この時代のアニメの面白さです。
上の記事にも書いたように、『創聖のアクエリオン』で3DCGのロボット描写が生き物のように進化して、作画と鍔迫り合うレベルに到達した。では一体、アニメーション映像の面白さの本質とは何か? 「動き」だとしたら、一秒あたりのFPSさえアップすればそれでいいのか?と、考えるテーマが広がります。


最近観た映画は、ドキュメンタリー映画『画家と泥棒』、イタリアの『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』、ポール・ヴァーホーベン監督『エル ELLE』、『ブラックブック』。ヴァーホーベン監督の2本には、たいへんな感銘を受けた。
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どちらも、女性が考えうるかぎりの侮辱と暴力にさらされるが、毅然として、勇気と行動でしぶとく活路を切り拓いていく。
『ブラックブック』では、ナチスの人種弾圧によって両親と弟を目の前で撃ち殺された主人公が、「不思議なことに涙が出ないの」と差し出されたハンカチを拒否する。俗世間は、「家族を殺されて絶対に悲しいはずだ」と決めつけるが、主人公はそんな浅い次元に生きていない。美貌も歌声も、使える武器をすべて駆使して、次々と降りかかる理不尽な困難を巻き返していく。
歴史を舞台にした一種のファンタジーだろうが、それは意志の力に満ちたファンタジーである。
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映画のタイプとしては、思わせぶりな暗喩に満ちた『エル ELLE』のほうが好きだ。
主人公はゲーム会社の女社長で、CG映像をテスト映写するシーンがある。その中では、ゴブリンが女性をレイプするのだが、まずはそのCGの質感・デザイン・動きがチープで、すごく気持ち悪い。その悪趣味さも凄いが、レイプシーンのカメラアングルが、どういうわけか冒頭で主人公がレイプされる実際の場面と同じなのだ。
すると、ゲームのCG映像が実際に起きたレイプを象徴的になぞっている(ゲームで起きたことが現実にも起きた)ことが観客には伝わるのだが、映画の中の登場人物は誰ひとり「映画を撮っているカメラ」など感知していない。映画で撮られた世界に、映画を撮っているカメラは存在しないのだ。

だから(と言うべきか「しかし」なのか)、「たまたまカメラアングルが一致する」出来事など起こりえず、そこには映画制作者の意図だけが残される。我々はその意図を探ろうという欲望に、とりつかれる。
いつもいつも、僕たちは物語が矛盾しているとか登場人物の行動に必然性がないなどと粗探しをするが、なぜ存在していない世界に合理性を求めるのだろうか。「映画とは何か?」「何が映画を映画たらしめているのか?」といった本質的な問いから、僕たちは目をそらしつづけている。ヴァーホーベン監督は、その僕たちの怠慢さを見抜いているのだ。


金曜日、小学校時代からの旧友と有明へ食事に行った。
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お台場で下車して、待ち合わせ場所の有明まで歩いた。酒も美味しく(二日酔いにもならず)話も面白かったのだが、やはり友人は「電車内ではマスクしないと変なやつだと思われちゃうから」と、マスクをつけた。
でも、僕は「外しなよ」とは言わない。会社員をやっていくには、「大勢の中に染まる」「目立たない」ことも必要だろうからだ。善悪でもなければ、マナーとも違う。彼にとっては、スーツを着るのに近いのかも知れない。

“匿名性のなかに隠れたい、他人と距離を置きたい、という心理で「外したくない」「外したいと積極的に思わない」という人も多いように思う。”
“それはある意味で仕方がないことであり、自己防衛の一環であると思う一方で、「そうしないと要られない」依存状態にあるなら、それは決して健全なことでもないと思っている。”


僕は、飛行機の窓際の席に押し込められて、叫びそうになるパニック発作を社会に分かってほしいと思う。
同じように、マスクをせずにいられなくなった人たちのことは理解したいとは思う。自分が苦しんだから、他人に苦しみを押しつけたくない。僕が二日酔いになるぐらい酒を飲むのと同じように、タバコが好きな人には「好きなだけ吸いなよ」という立場だ。
しかし、その引き換えに僕自身の自由を差し出そうとまでは思わない。

マスクを着けない人は入れません、と美術館の入り口で言われる。マスクは、通行証として機能している。しかし、そんなものが無効であることを僕は示しつづけていきたい。これまでの人生で、死ぬほど無理強いをさせられてきたからであり、別に社会正義のためではない。
「子供たちに未来を見せてあげたい」と、仕事で言われた。子供たちに未来を残したいと本気で思うなら、彼らが大人になった時に絶望して他人を威圧しなくてすむように、僕たち自身が今、のびのびと自由に生きて「こんなに楽しいぞ」と、身をもって証明する以外にない。ファンタジーのように、もやもやと頭の中に想像するのが「未来」だと無責任な発想でいるのではないだろうか。

『ブラックブック』で、ユダヤ人なら人権を剥奪して殺してもよい社会が描かれる。しかし、当時のドイツ社会の人々に悪意はなかったと思う。マスクを着けることも着けさせることも、悪いことではないどころか、健康によいし礼儀正しい振る舞いだと、人々は信じている。こうやって歴史は繰り返される。それは治しようがない。マスク社会が消え去っても、再びどこかで繰り返されるんだと思う。

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2022年9月 1日 (木)

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子ども時代の原風景を探して……石田祐康監督が最新長編アニメーション「雨を告げる漂流団地」にこめた想いを語る
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あの『ペンギン・ハイウェイ』の石田監督、インタビューがかないました。『ペンギン~』は、丘を切り開いた新興住宅地、バスの終点、雷雲のせまる薄暗い喫茶店、空間の設定が素晴らしかったです。



昨日は、アーティゾン美術館と東京ステーションギャラリーへ行った。
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平日昼なのに、なぜかそこそこ人の入っているアーティゾン美術館は青木繁、坂本繁二郎、「ふたつの旅」。悪くなかったけど、この館はコレクション展のほうが予想外の作品に出会えて面白い。
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東京ステーションギャラリーは「東北へのまなざし」と題して、戦前に東北の文化を研究したブルーノ・タウトらの足跡をたどる。その手記は温かみに満ちていて、ガイド役の日本人のメモが時系列で並行するように配置してある。
何より、東北ならではの防寒用の衣装、生活用品が可愛らしく、とても凝っていて、まるで異世界の文化を見ているかのようで、涙腺が緩んできた。こんな視点もあるのかと、おおいに勉強になった。

さて、どちらの施設でも「マスクは?」と言われたのだが、「出来ないんですけど」と答えるだけで見逃してくれた。
「では、ハンカチを口元に」とも言われたのだが、「話してない時もずーっとですか?」と聞いたら、「そうですね……、では話すときだけですかね」と口ごもってしまった。頼む側も、よく分かっていないのだ。


“娘(小1)「プールでも一言も喋っちゃいけないからシャワーが冷たすぎて『冷たい』って言っちゃったから先生にあと2回喋ったらプールから出なさいって言われた。3回喋ったらプール出なきゃいけないルールなの」って聞いて衝撃。
黙食、黙プール…いい加減にしてほしい。
市営プールに見学いってほしい”

人間には本能レベルで「他人を支配したい、コントロールしたい」欲求があって、それを正当化する言い訳はコロナ感染対策でも、「不安に思うお客様」でも、何でもいいんだよ。無症状の感染者の買い物すら「なんとなく不安だから」規制したいんでしょ? 社会全体が、縛ろう・我慢させよう・罰しようという奴隷的なムードになっている。
子供だけは例外にしてあげよう、自由にさせてあげようという余裕すらない。立場の弱い子供だからこそ巻き添えにしろ、大人の言うこと聞かせろという最悪のパターンに陥っている。
ここまで社会に抑圧されて育った子供たちは、ひどく神経質で意地悪な大人に育つのではないだろうか? 暴力で統制するのが当たり前の社会になりかねない……というか、もうなっていないか?

マスクをさせる、マスクをすること自体が、子供たちに我慢を強いるグロテスクな支配構造を肯定することになる。だから、僕たちは無意味なルールに従っちゃいけないんだよ。


おととい、谷中銀座の奥のだんだん坂で素晴らしい餃子屋に出会ったばかりだが、昨日は丸の内のビルの七階で飲んできた。この時も、一階の車の行きかうバーにもテラス席があるし、そこでいいか?と妥協しかけた。でも、「いや上階にテラス席があるはず!」と探したおかげだ。
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どの店の席……と決まっているわけではない。店は屋内に4~5店舗あり、店頭でワインやビールを買って、テラス席に持っていくことが出来る。まだ15時ぐらいだから夕飲みではないけど、頭の真上には屋根がなくて、直接空なのだ!
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一日おきに飲んでいるので、ちょっと気をつけないといけないのかも知れないが、この雄大な空のもとでくつろぐだけで、人生が豊かに、無限に広がっていく気がする。頭上を過ぎていく雲を眺めているだけで、意識が肉体の制約から解放されていく思いがする。
サラリーマンの男性や、小奇麗なお姉さんがノーパソを広げて仕事していたが、その気持ちはとても分かる。こういう場所でなら、絶対いい仕事ができそう。
いつか、ルーフトップに仕事場が持てると信じている。いま、年収300万に満たない年さえあるのに、一体どうやって?と自分でも思うのだが、必ず運は向いてくる。僕には分かる。

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2022年8月30日 (火)

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「闘士ゴーディアン」(バンダイ)を組み立てて、動物マスコットと関節機構で300円キットの常識を改革する! 【80年代B級アニメプラモ博物誌第25回】
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ガンプラ登場直前に発売された、タツノコプロのアニメロボです。


昨日の月曜日は、上野の森美術館へ行ってから鶯谷を経由して日暮里まで歩き、谷中銀座のデザイン性の高さに驚かされた有意義な一日だった。
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地図で調べた昼飲みできる串焼きのお店が中休みに入ってしまい、だけど気分は最高なので、どうしても飲みたい……テラス席のある喫茶店は埋まっているし、いっそ、まるでセンスのないダサいエスニック料理屋で妥協するか?と悩みつつ、ちょっと坂の上まで出てみたら、本当に気分にぴったりの清潔な中華料理店があって、迷うことなくビールを頼んだ。
いつも「楽しもう、楽しもう」と思っていると、向こうから来てくれるものだ。もう本当に、「待っててくれた」ってタイミングで、その店が目の前に現れた。店の規模も空き具合も、飲み屋でなくて餃子が売りってところもピッタリで……。最初は、つまらない日暮里駅の反対側で遠くの喫茶店まで歩くかグダグダ迷っていて、完全に行き当たりばったりなのに、こんな事ってあるのか!

つまんない人生を送っている人って、「たまたま運が悪いだけだ」と思いたがるけど、幸運を迎え入れる心の形になっていないので、良いものが来てるのに気がつかない。そういう人って、いつも「あれが買えなかった」「俺だけ食べれなかった」とマイナスのことにばかり執着している。


朝から、不思議な一日だった。
心療内科へ精神安定剤を処方してもらうため、月に一度は朝から病院前に並ぶのだが、この日の先生との会話が奮っていた。
私「行きつけの喫茶店で、マスクしてないことをとがめられてしまって」
先生「まだそんな人いるの? 店に言われたの?」
私「いいえ、常連客に言われました」
先生「そんな店、もう行かなければいい!」

さすがに病院だったので2人ともマスクしての会話だったが、先生が嫌マスクとは思わなかった。
その後、上野の森美術館で「マスクできないのですが」と受付で言ったところ、そのような旨を書いたシールさえ目立つところに貼ってくれれば、別にマスクしなくていいという。だから、マスクなんて「私は大人しくルールに従います」というアイコンでしかないんだよ。
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単なる公募展で、同じサイズの絵が大量に並んでいるだけだったが、中にはハッとさせられるほど手慣れた筆致の作家がいた。そういう人は地元ではそこそこ名前が通っていたりして、バカにできないんだなあと、よい勉強になった。


科学博物館はマスク圧が強そうだったので避けて散歩しているうち、鶯谷のラブホ街に迷い込んだ。
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こんなガシャポンの置いてある案内所があって、風俗嬢と客……というカップルが、いたるところにいた。
嬢はミニスカートで太ももがむちむちしていて、気の強そうな人が多かった。客は千差万別で、さえないオジサンはまあ分かるとして、若くて爽やかなサラリーマンが「じゃあね」と、ホテル前で嬢に手を振っているのも見た。


まだ未成年のころ、付き合っていた同年齢の女性と上野の居酒屋で飲んだものだが (彼女が埼玉県に住んでいたので上野がちょうど良かった)、鶯谷のラブホに寄った記憶はない。根津~千駄木のラブホには、よく行った。
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(鶯谷ラブホ街のど真ん中にある、竹藪に包まれたバー。ここで客と嬢が待ち合わせたりするのだろうか?)

ご存知のように僕はキャバクラ大好きだが、せいぜいセクキャバどまりで、実際にヌイてもらうような風俗はなぜか好きではない。でも、お金だけで肌を重ねるその場かぎりの関係って、むしろロマンがある気がしてきた。

……雨女さんとの思い出のお好み焼き屋、吉祥寺「まりや」()のすぐそばのホテルで、デリヘル嬢を呼んだことがあった(だから、本当に思い出の場所だったら、そんな近くで風俗嬢と遊んだりしないだろうと我ながら矛盾を感じるのだが……)。
その嬢は陥没乳頭だったが、そこそこ若くて可愛らしく、ホテルを出たところで腕を組んでくれた。「そんなことまでしてくれるの?」と驚いたら、「イヤ?」と聞き返してきた。今となっては、ああいう刹那的な関係こそ貴重な気がしてくる。

雨女さんとは、店のオープンラストまで毎回8時間ぐらい話していたはずだ。
そんな中、彼女が「ねえ、そういうのはやめておきなよ」と何かアドバイスしてきたことがあった。何の話題だったかは覚えていないのだが、そういうシンプルな言葉の中に、嘘の入らない人だった。なので、泥酔しつつも「うーん、そうだな。やめとくかな」と従うと、「うんうん、やめときな」と同調してくれた。結婚していた奥さんとは、そういう気持ちいいやりとりが、一切なかった。
雨女さんとはいつも、テンションが高いわけでもなく、ドキドキするわけでもなく、のほほんと過ごしていられた。


ようやく、海外旅行の見通しが立ってきた。あと1年は日本で仕事するしかないのだが、マスクだらけの雑踏を見ていると、本当にこの国は終わったのだと感じる。ワクチンが陰謀だとかいう話には、まるで乗れない。そうではなくて、単にエラい政治家たちが愚鈍で不勉強で要領が悪くて、どんどんバカな状態に陥っているだけだ。
でも、国民は義務教育で「判断は先生に任せて、自分たちは考えずに従う」ようしつけられて大人になってしまったので、何ら決断できない。結婚しても子供が生まれても、孤立を恐れて守りに入り、何も創造的なことができない。

ぼーっとスマホ歩きしている人たちは、ようするにスマホに依存させられるサイドの人間であって、彼らを依存させるように自分の能力で企画やプログラムを考えられるのは少数派なのだ。小学校のころから、ずっとそうだった。独創力があって、創造的に楽しく生きられるのは全人口の2割ぐらいだろう。
取り残されたおバカさんたちが、今になって「だって人間は平等なはずだろ?」「お前だけズルいぞ!」と焦っているだけ。マスクに執着している人たちを見ると、よく分かる。


あれから見た映画は『ワンダーウォール』、『ある日どこかで』。

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2022年8月21日 (日)

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富野由悠季の監督デビュー作、「海のトリトン」はギラギラした怒りと渇きに満ちている【懐かしアニメ回顧録第93回】
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富野監督の初期三作、『トリトン』『勇者ライディーン』『無敵超人ザンボット3』は、いずれも海辺の町から始まります。
『トリトン』の第1話は、ここに書ききれないぐらい密度が高く、生活に密着しながら人間関係の軋轢を描く手つきは、ルキノ・ヴィスコンティ監督『揺れる大地』を想起させます。
実写映画と富野作品の関連は、一度どこかでじっくりと掘り下げてみたいです。『ザンボット3』も、かなりネオ・レアリズモに近いと思います。


外を歩くときにすっかりマスクをつけなくなったが、「マスクしてください!」と他人に注意するのは気持ちがいいので、この不思議なルールは長らくなくならないだろうと思う。
さすがに、マスクをつけないと入店できない店は珍しくなったが、店主が心配性だと分かっている場合は、入るときだけマスクをするようにしている。お気に入りのお店の店主と喧嘩するほど、僕はかたくなではない。

阿波踊りがノーマスクで行われたため、自称医療関係者やマスコミは数字を恣意的に扱い、祭の直後に感染が広がったと騒ぎ立てた。なぜ総理大臣がノーマスクで海外の要人と会談しているのに、僕や貴方が暑いなか歩くだけでマスクを着けさせられているのか、合理的な説明のできる人間はいない。心のどこかで「だって総理大臣はエラいから」と、「学校の先生はエラい」「上司には逆らえない」程度の幼稚な世界観を捨てきれないでいる。自己肯定できていない、自分の足で立っていない。自分自身の権利意識に鈍感だから、ひどい目にあわされているのに気がつかないのだ。
自分が苦しいのは自分のせいだと認めたくない。なにか「自分の外部」……例えばルールを守らない他人のせいで、毎日つまらないだけだ……という形にしておきたい人は、そこに「コロナ」の三文字を代入した。本当に解決すべき内的な問題を直視せずにすむからだ。


自己評価は異常なまでに高いのに、実社会では望まない仕事に従事させられている自己愛性パーソナリティ障害の人……たとえばシュナムルさんなど攻撃的なツイフェミたちがそうだが、彼らは他人が「生まれながらの性癖や能力によって満ち足りる」ことが我慢ならない。だから、それらしい理由をつけて、他人の娯楽……萌えイラストや阿波踊りを排除しようとする。
コロナの前から、ずっとそうだった。他人が楽しそうにしていると怒りだす狭量な人たちが、コロナという仕組みを発見し、それに飛びついたに過ぎない。「感染対策してください!」「マスク外しちゃ駄目ですよ!」……暑がる子供に「我慢!」と怒鳴る母親もいた。彼らはコロナが出現する前から他人を排除したり強制することで正気を保ってきたのだから、コロナの三文字が消え去っても、排除と強制だけは何らかの形で続けるだろう。繰り返しになるが、本当に解決すべき問題はその人の内部にあるのだから、勇気をもって内面を直視する以外、人生を改善する方法はない。
(マスク一色の猛暑の町を歩いていると、孤独になる勇気のある人は数えるほどなのだと実感してしまう。)

「俺は正しくコロナだけが怖いのだ」という人は、とっくに他人を許しているはずだ。たとえば、「俺の店ではマスクしてほしいけど、外では自由にしていいよ」といった具合に。しかし、まず何はともあれ「他人を許さない」ことが先行している人にとって、他人の行動制限ができて、他人の楽しみを奪えて、頭ごなしに怒鳴ったり怒ったりできるコロナは、あまりに使い勝手がいい。
いま日本で起きていることは、そういうことだと僕は解釈している。

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2022年8月13日 (土)

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70年代ロボの再生に重ねる、我が人生と人の世と……。鬼才のプラモデル作家、タンゲアキラさんに会ってきた【ホビー業界インサイド第83回】
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いい歳をしてアニメを見て、ロボットやフィギュアを作ることの意味を、あらためて問われる思いがしました。タンゲさんほど「自分の人生をやり直すため」と意識できる人は、少ない気がします。
僕の場合は運動が苦手で気が弱かったから、「人に見られる」「話す」ことが嫌だった。それで、身体性を感じなくてすむアニメや漫画の世界へ逃げたはずだったんですけど……そうした要因が、複雑に絡み合ってるから“コンプレックス”なんでしょうね。

そこそこ自分の人生にゆとりが出てくると、コンプレックスについて深く考える必要もなくなる。でも、コンプレックスが強靭なバネとなって自分を助けてくれたことは間違いない。


昨日は、アニメ映画『夏へのトンネル、さよならの出口』の試写へ。
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路線としては、新海誠作品のようなファンタジックな恋愛物には違いない。しかし、死の影や家族に対する不信感が背景にあり、雰囲気は暗い。それは悪いことではない。静謐だし、表現は繊細で美しい。
それでいて、一気に画面が華やかになるような大胆な工夫がある。空騒ぎする軽薄な作品よりは、こうして丁寧に、慎重につくられた作品に好感をおぼえる。16年も昔のことを思い出している今の自分の心象には、フィットした。


試写室が築地に近かったのだが、半分以上の飲食店が17時に閉まっている。茅場町か蔵前のテラス席に移動してもよかったのだが、気分的にすぐに飲みたかった。
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たまたま開いていた海鮮丼の店に入ったら、「居酒屋メニューです」と飲み用のメニューも出してくれて、すっかりご機嫌になった。ほとんどの料理が、1000円以下である。ほかの客たちも、飲みモードに入っている。この安心感。
だから結局、こうして自分の機嫌をとるのは自分しかいないと僕は知ってしまった。誰かと二人で出かけるほうが幸せだとは思っていない。ひとりが楽しいんだから、仕方がない。

ひとりで酒の量をコントロールし、ひとりで酔いを楽しみ、次どうするかを自分で決める……圧倒的な自由。今日の仕事も明日の仕事も、ぜんぶ自分でペースを決められる。充実感がある。
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今朝は早起きできたので、雨が降り出すまえに、お気に入りの喫茶店へ。
ひたすら、静かな一人の時間を満喫している。


とは言え、雨女さんとのメールのやりとりを復元できないか試してみたり(当時はガラケーだったのでさすがに残っていないらしい)、2006年ごろの吉祥寺のキャバクラ事情を記した2ちゃんねるのスレッドを検索し、ようやく雨女さんの勤めていた店の名前を思い出したりした。
しばらくの間、雨女さんの電話番号とメアドがスマホにも残っていたのを、漠然と覚えている。今こんなに思い出すぐらいなら、一年後でも数年後でも連絡すれば良かったじゃん?と思うだろうけど、16年たってワインが熟成するように「思い出して楽しむ頃合い」になったんだろうね。

先ほど書いた吉祥寺キャバのスレッドに「あの頃には、もう戻れないのか」「涙がでてきた」という、誰かの書き込みがあった。……うーん、そういう気持ちでもないんだよな。当時の僕は、人の気持ちの分からない幼稚な男だった。でも同時に、雨女さんと疲れない距離を保てるぐらいの、そこそこの精神的な余裕もあったと思う。
ようするに、都合のいい思い出し方をしている。思い出は別に、明日の決断を変えたりはしない。ほんのり香る、人生のスパイスだ。


最近見た映画は『草原の実験』、『グーニーズ』。

(C) 2022 八目迷・小学館/映画『夏へのトンネル、さよならの出口』製作委員会

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2022年8月 4日 (木)

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80年代ロボアニメで「主人公メカの量産タイプ」といえば、「特装機兵ドルバック」のキャリバー(グンゼ産業)しかないよね!?【80年代B級アニメプラモ博物誌第24回】
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いつもの連載、旧キットの素組みレビューです。コメント欄で、ちょっと怒られてしまった……次回から、ちょっと気をつけます。


先日の猛暑日、ある監督さんの取材に出かけた。乗り換えに手間どって、汗だくでスタジオにたどり着いた。
先についていた編集者は、もちろんマスク。だけで、僕はぜえぜえ言うほど息を切らしていたので、マスクせずに雑談していた。会議室で監督を迎えるときは、使い古したマスクを便宜的に着用。それはマナーではないかと思った。
しかし、監督さんは「あっ、マスクしないとね」と、名刺の受け渡しの挨拶の時のみマスクをつけて、インタビュー中はマスクを外してらした。こちらが写真を撮る都合もあった。

取材後、また38度の猛暑の中を駅まで歩くときは、僕はマスクを外した。編集者はマスクしてたと思う。
ただし、電車に乗る時は僕もマスクをつけた。ずっとマスクをしている編集者が、僕のせいで「あいつらノーマスクで話してるぞ」と周囲から白い目で見られるのは、さすがに可哀そう。そこまで、僕は頑固に我を通そうとは思わない。ケースバイケース、柔軟でいいじゃないか。


その前日、国立新美術館へ行った。
Twitterで検索すると、「ノーマスクの客がいた」「美術館側は注意すらしない」と文句が書かれていた。なら、マスクしなくても大丈夫だ。
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ルートヴィヒ美術館展、どうしても見たかったわけじゃないが、ひさびさにアートに触れる解放感を味わった。
やはり僕は、抽象画に心打たれる。カール・オットー・ゲッツ、ウィレム・デ・クーニングの絵を、監視員の人に不審がられるほど、何度も見た。


(以下、経緯を知らない人からすると妄想のように読めてしまうかも知れないが……)
母を刺殺した父は、もともと高圧的な人物だった。
ただ、問題の本質を直視する勇気がない。飼っている犬のふとももに大きな腫瘍が出来たときも、「あれはオデキだ」と言って譲らない。手術して切り離さないといけないほど大きな腫瘍なのに、口先で事態を軽く見せようとする。
もっと昔、僕が中学か高校のころ、やはり犬が具合が悪くなってしまったので、一駅離れた病院へ連れていこうと提案した。父親は大げさに目をむいて、「誰がどうやって連れていく?」と信じられないように言った。 自信がない人って、どうやれば実現できるかを考える前に、「不可抗力には逆らえない」ってポーズをとりたがる。ただ勇気がないだけなのに、被害者であるかのように振る舞う。

決定的だったのは、兄(長らく精神病院に入院しており先々月、アパートの外で死んでいたと警察から連絡をうけた)が父の机から現金を盗みはじめた時だ。
僕は、兄が父の寝室から出てくるのをはっきりと見た。その直後に現金がなくなっていたのだから、兄が盗ったと考えるのが合理的だろう。しかし父は、「盗む瞬間を見たのか?」「証拠がないだろう?」と、決して兄を追求しようとしない。自分の息子が窃盗を働いたと認める勇気がないのだ。
僕が適当に「本人が盗んだことを覚えてないのかもな」と出まかせを言ったら、「な? な、そうだろう?」と耳当たりのいい、都合のいい、解決方法を模索しなくていい意見には飛びつく。結果、兄は80万円もの借金をつくり、(本人に返させればいいものを)父はその全額を返してしまった。取り立て屋が実家周辺をうろつくようになり、引っ越しせざるを得なくなったという。(そうした愚策のあおりを受け続けたのが母であった)

本当に解決しなければいけない問題を直視せず、的外れなところで余計な苦労をする。無意味なことで汗を流して、努力している気分だけを表面的に味わう。やがて、取り返しがつかないほど問題が巨大化して、人生を台無しにしてしまう。
大学時代に片思いしていた女性が「違和感のあることを続けていると、いつかとんでもない結果になっちゃうのよ!」と言った。ゾーッとして、僕はその人をあきらめる気持ちになれた。


とりとめない話を思い出してしまうのだが、20代半ばに交際していた女性には、2歳の子供がいた。
それは、何人もの女性と同時に付き合うモテモテ男に騙されて、孕んだ子供であった。結納の日、その男が別の女を連れてきて、婚約がご破算になったのだという。彼女は添加物が大嫌いで、子供に使う石鹸、シャンプー、食品や調味料、すべて無添加専門店で高いものを購入していた。
それは、子供の健康のためでもあろうが、自分を騙した男のような「悪いもの」「外部」を遠ざける護符のようなものに、僕には見えた。普通のスーパーで売っている洗剤を、彼女は「毒」と吐き捨てるように言っていた。

今のコロナ対策パニックにも、同じものを感じる。

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2022年7月31日 (日)

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こんな時代だから、若い子たちががんばれるアニメにしたかった! 劇場版『Gのレコンギスタ』完結に向けて、富野由悠季監督の言葉を聞く【アニメ業界ウォッチング第90回】
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富野さんにはもう何度インタビューしているか分からないけど、だからこそ、ナアナアにならないように気をつけたいと思った。
このインタビューの時は機嫌がよくて、僕が『G-レコⅣ』のここが良かったと褒めるたび、「うんうん、あそこはね……」と反応がスムースだったので、だからこそ緊張感を記事に出さないといけない。実際には中盤にあった『キングゲイナー』のやりとりを、記事の最初に持ってきたのは、「つかみ」でもあるけど、ちょっとピリッとした空気を出したかったからです。

こんな感じに、インタビュアーは聞くだけでなくて、持ち帰った素材を構成して演出しています。
だから、自分が可愛いインタビュアーは、さもインタビューイと仲がよい感じに、自分が頭のいい感じに構成します。僕は、「このインタビュアーはバカじゃないの?」「コイツわかってないな」と思われた方が、記事としてはメリハリがつくと思います。嘘をつかずに優れた記事を書いたほうが読む人が喜んでくれて、もっと大きな視点で自分を肯定できる。

なので、インタビュアーがしっかり主体性を持っていないと、単に「著名人やクリエイターと会って話せた自分が可愛い」自慰行為のようなだらしない記事になってしまう。あるいは、「だってインタビューイがそう話したんだから、そのまま書くしかなかった」という他責的な仕事になってしまう(社会の半分ぐらいの人は、そういう仕事のしかたをしていると思います)。
「主体性がある」というのは、自分の主張をくどくど書くことではなく、必然性のある構成を考えること。偉そうに粉飾しないで、読者さんにとって分かりやすい記事にすること。それがインタビュアーの主張ですよ。


最近観た映画は、『最強のふたり』、『愛は霧のかなたに』、『それでも夜は明ける』。どれも二回目。
特に『それでも夜は明ける』は、ひとつひとつのシークエンスはよく覚えていたのだが、今回はその端正な撮り方に唸らされた。
たとえば、主人公が白人の労働監督官を殴って、縛り首にされかけるシーン。まず、木にかけられたロープが画面を斜めに切りさくように位置している。次に、この構図。
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主人公はつま先で必死に立ってないと首がしまってしまうので、じりじりと苦しそうに動きつづけている。このカットは、やけに長いな……と思っていたら、後ろの小屋から同じ黒人の奴隷たちが出てくる。彼らが苦しんでいる主人公を助けるのかと言うと、主人公を無視して仕事にとりかかるだけ。ただ静かな、いつもの風景なのである。
まさか、このまま見殺しなのかと思っていると、この構図のまま画面左側から女性が足早にフレームインしてきて、主人公に水を飲ませる。水を飲むところで、ようやくアップになる。

……が、構図はより痛烈になる。苦しむ主人公の肩越しに、親子で楽しそうに遊んでいる黒人たちが見えるのだ。
この長い時間は、主人公の吊るされていた時間でもあるが、黒人たちが奴隷として苦しんでいた歴史的な長さでもある。なので、構図も「奴隷が苦しむことが日常である」比喩的な意味をまとう。
奴隷の才能に理解のある白人の家主が馬でかけつけ、ようやく主人公を吊るしているロープを切る……バタッと地面に倒れた主人公は映さず、アクションカットで屋敷の床で倒れている絵につなげている。ここで安堵した主人公のアップでなく、前シーンから続く構図なのは「状況は何も変わっていない」ことを表わしている。単なるシーン転換のテクニックとは言い切れない。

こうした発見に満ちた啓発的な映画は、実は20本に一本ぐらいしかない。
しかし、上に書いたことは僕にとって新しい発見ではない。優れた映画は、すべてこれぐらいの演出効果を持っているからだ。なので、どうすれば驚くべき映画と出会えるだろうか、それとも劇映画が僕の人生に果たす役割は終わったのかも……と考えている。


また、19世紀の奴隷制度を描いた『それでも夜は明ける』に惹きつけられるのは、強者が理不尽な暴力で弱者をもてあそぶ、いつの世にも通底する真理を描いているからだろう。
僕は色が生白くて不格好で、おどおどしているいじめられっ子の癖に、40年ぐらいかけて自己実現できた。でも、だから妬まれる。仕事上で脅されたことも、数知れない。それを不公平だ被害者だと嘆くぐらいなら、僕は対策を考える。母が父に殺されるという異常な状況でさえ、僕は感情ではなく実務で切り抜けることが出来た。一週間後の自分の心を平穏にするため、今日は何をすべきか考える。
多数派のなかで安穏と生きてきた人は、戦略を立てられない。草食動物には、狩りをすることは出来ない。残酷なようだが、それが理不尽に嘲笑されてきた僕の答えである。

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2022年7月 1日 (金)

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アメリカ発CGアニメのスピンオフを、日本アニメの文法でつくる! 「RWBY 氷雪帝国」のストーリーを創出した虚淵玄(ニトロプラス)×冲方丁の仕事術【アニメ業界ウォッチング第89回】
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他でもない大好きな『RWBY』なので、バンダイナムコピクチャーズさんに連絡して、取材が実現しました。


6/23~24にかけて、神戸市と福岡市へ二泊三日の旅行。美術館の方たちと打合せするのがメインだったが、鉄人28号やνガンダムの立像を見学して、最終日は一人で福岡アジア美術館と福岡県立美術館、福岡城・鴻臚館を見学。フラッと一人で昼飲みしたりして、まあまあ楽しかった。
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ひとつ、どうしても記しておきたいことは、帰りの飛行機(行きは新幹線だった)。窓際の席で、しかも隣が女性だったので、離陸時は叫びそうなほど緊張した。離陸してから、飛行機が激しく揺れたのも怖かった。逃げるように精神安定剤を飲み(薬の入った財布を手元に置いておいて良かった)、文庫本二冊に集中した。
しかし、離陸直前、席から立ち上がって「やっぱり降ります!」と逃げ出しそうなほどの圧迫感だった。海外旅行のときは、必ず通路側を予約している。窓側だけと閉塞感が怖い。あと、女性という存在が怖い。離婚後に女性に好かれていた時期も、この恐怖症は治まらなかった(その女性たちと一緒にいても、まるで緊張はしないのだが、別の場面では凄まじい緊張感に苦しんでいた)。

いつも行っている喫茶店でも、思いがけず混んでいて隣が女性だと、滝のような汗をかいてしまう。このパニック発作のような症状、本でも一度も見たことがない。広場恐怖症に近いのだろう。


その飛行機は、Peach Aviationであった。詳しく知らなかったのだが、一昨年、機内でマスク強要をめぐるトラブルがあったためか、とても冷たく「今すぐ着用してください」と搭乗口で言われた。機内では先述のようなパニック状態だったので、ずっと顎まで降ろしていた。
ほかには、福岡県立美術館がマスクにうるさい。アジア美術館は「マスクできません」という札を下げておけばオーケー、鴻臚館は「マスクがないなら、じゃあ話さないでください」。私ひとりしか客がいないのに(笑)。でもまあ、Peachや県立美術館の冷徹な態度に比べれば、柔軟性があって可愛らしい対応だった。

東京に帰ってきてから、すさまじい猛暑のため、ほとんど家にいる。取材で出かけるとき、大きなビルだと受付でマスクするよう指示されるが、それ以外の場所では完全に自由だ。仕事相手がマスクしている場合がほとんどだが、いつの間にか相手も外していることが多い。
せめて午前中の涼しい時間を選んで喫茶店へ行こうと外へ出てみると、まだ8割ぐらいの人が汗をかきながらマスクしていて、呆れながらも「まあ、こんなもんだろうな」とも思う。常々、満員電車とかサービス残業などの理不尽で過酷な状況に、なぜみんな耐えているのか不思議に思っていたが、学校という場所が忍耐強い労働力を量産する工場だと思えば、今のマスク社会になっても何の不思議もない(学校が、何か創造的なアイデアを学ぶ場だと勘違いしている人が多い)。

気温が36度もあるのにひたすら耐えてマスクしている大人は、「嫌だけどみんなに合わせる」という道を選択したか、もっと恐ろしいのは無意識に苦痛の多い道を選んでしまっているかだろう。
「マスクを続ける自由もある」などという屈折した言い方が出てくるのは、「自分の意志をもって自由になっている奴らが妬ましい」「奴らではなく俺らが自由という形にしてほしい」という歪んだ平等感のあらわれだろう。負けた人間は、形にこだわる。


一人を得させるぐらいなら、みんなで損をしたほうがマシ。それが、日本社会だと思う。
先述したように、僕はパニック発作を抱えている。だけど、嫌なことは徹底して避けている。どこにも就職していないが、いつも十分なお金を稼げて、いつでも好きな時間に寝ている。毎日、好きなものを食べている。好きな場所へも行っている。嫌なら帰るだけだ。
でも、今のマスク社会になって、どうやら8割ぐらいの人が理不尽な我慢をしているらしいと分かってきた。「そんなわけがない」と思ったら、あなたは残り2割の側だろう。カッコよくてお洒落な人たちが猛暑の中、マスクをして歩いていると、「なんだ、彼らは8割の側だったのか」と不思議な気持ちになる。

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2022年6月18日 (土)

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頭のデカい悪役ロボは好きですか? 「機甲戦記ドラグナー」の1/144ゲバイ(バンダイ)なら、頭デカいよ!【80年代B級アニメプラモ博物誌第23回】
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いつもの素組みレビューです。


木曜日、どちらかというと仕事上の都合により、市民優待枠でジブリ美術館へ行ってきた。10年ぶりぐらいだろう。
僕は外を歩くときはマスクをしないのだが、入り口で「マスクはお持ちですか?」と呼び止められた。なぜマスクを着けねばならないのか聞いてみると、ややキレ気味に「皆さんにお願いしてますからっ!」とのことであった。
子供たちが遊べる猫バスのコーナーでも、全員がマスクをさせられていた。すっかり気持ちが覚めて、目当ての企画展だけ早足に見て、30分ぐらいで帰って来た。Twitterで調べてみるとジブリ美術館のマスク強制は悪名高く、3歳以上は必ず着用なのだという。
メールで「科学的、医療的な根拠は?」と問い合わせてみたが、返事はない。

コロナが流行る何年も前の話である。SNSで「風邪が治ってきたので、ちょっと近所までお買物」と書いた人に対して、「ムッ! 風邪は治りかけが肝心ですぞ」「気を緩めないように!」など、上から𠮟りつける人が結構いた。ようは、コロナ騒動の本質ってそれでしょ? 病気をダシにして他人に言うことを聞かせたい、上に立ちたい、自由を制限したい。仲間外れをつくりたい。でも、そういう空虚な上下関係や圧力によって、社会が維持されてることも間違いないと思う。
「コロナ」の部分に、いろいろなものを代入して、憎悪と排除を正当化してきたんだろう。


小学校5~6年生のとき、担任教師が「先生は仕事があるので、次の一時間は好きなことしていいぞ」と言った。
驚いたことに、40人ぐらいの生徒は僕以外全員、ドッジボールをするために校庭へ駆け出して行った。僕は教室に残り、一人で『ミクロマン』のイラストをコツコツと描いていた。
たぶん、本気でドッジボールをやりたかったのは数人だったと思う。あとの何十人かは空気を読んで、仲間外れにならないために参加したに過ぎないだろう。それが社会なんだと思う。みんな、そこまで本気で考えていない。みんなが「いい」と言う映画を見に行って、なんとなく「いい」気持ちに染まっている。そのまま平凡に歳とって、なんか不都合ある?という話だ。

僕はドッジボールどころか、体育や運動が致命的にできなかったため、自分で楽しみを探すしかなかった。小学校高学年で『ミクロマン』なんて買っていたので、「まだそんなオモチャ買ってるの?」「幼稚だね」と言われた。そう言っていた彼が中学生になり大学生になり、他人に合わせながら自分を殺して、少しでも得するために四苦八苦していたのを、僕は知っている。自分独自の楽しみや生きがいや価値観を見つけられず、周囲に合わせるのに終始している人のほうが、実は社会の圧倒的多数なのだ。
「地域の仲間」とかさ。「同じ学校の出身」とかさ。何も見つけられなかった人が最後に頼るのが、「組織」「決まり」なんだ。それは不思議なことではない。バカは理不尽な決まりが好き。決まりにさえ従っていれば、どんなバカにも生存権が与えられる。
決まりに従えないバカは、自分の居場所を自分で作るしかない。僕という人間は、その記録なのだ。

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