2019年5月 6日 (月)

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過酷な物語を抽象化する“童話”としての「機動戦士Vガンダム」【懐かしアニメ回顧録第54回】(
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僕は1999年のガンダム20周年前後にライターデビューしたので、当時整備された宇宙世紀年表の「史実」にもとづいて、モビルスーツの全高設定だの出力だの武装だの、あとはリアルだの富野節だの上っ面だけの決まり文句を叩き売りしてきました。
でも言っちゃ悪いけど、模型雑誌っていまだに同じこと書いてますよね。それか、ロボット戦の部分を無視してドラマだけ語るか、どちらかだと思います。

富野由悠季監督は一作ごとに作品のコンセプトを変えているはずですが、しかし、ほとんど上手くっていません。
玩具を売りたいのであれば、第1話で味方のロボットを出さなければ失格です。ドラマを優先した結果、主役ロボを出せなくなった? それは作劇が下手くそであるか、玩具を売るビジネスをバカにしているからです。まず、そこを冷静に見つめないと、本質的な評価はできないと思います。
それでは、当時のスポンサーがどこで、本当に玩具やプラモデルを売らないと番組が成り立たないのか? ちゃんと確認したことがありますか? 評価する側も「あれは玩具会社の都合で……」と出鱈目なごまかしをしていないか、十分に気をつける必要があります。さもなくば、僕たちの洞察力はアップデートできず、「懐かしい~!」と叫ぶたびに脳細胞がどんどん死んでいくだけです。

「富野さんや安彦さんが間違ったことを言うはずがない」という思い込み、僕には全体主義のように見えてゾッとします。
せめてリアルタイムに『ガンダム』を経験してない世代は、オジサン世代の陶酔ぶりを疑いの目で見てください。懐メロと化した『ガンダム』は、醜悪なだけです。


最近、レンタルで見た映画は『ワイルド・スピード』、『勝手にふるえてろ』、『フルメタル・ジャケット』、『トパーズ』、『引き裂かれたカーテン』、『ベン・ハー』。
誰もが『ワイルド・スピード』がもっとも新しい製作年度なのだから、映画の形式としても新しいと認識しているだろう。レストランでの会話シーンを見てみると、立って歩いているモブたち(顔は切れている)をドリー移動でナメて、画面外から主要人物たちの会話を入れる。そのままドリー移動していくと、人物が座って会話している(顔がフレームに入っている)……と、『カサブランカ』の頃と変わらない演出をしている。
だから、映画の形式なんてそうそう簡単に新しくならないんだって……。被写体が派手ならば映画も派手になるというほど、甘いものではない。

反面、『引き裂かれたカーテン』の中盤、農家でのアクション・シーンの迫力はどうだろう?
Highlight
主人公は西側の諜報部員で、お目付け役の男に正体を見破られてしまう。主人公は男に首を絞められ、農家の女は包丁で男の胸を刺し、さらにスコップで足を殴打し、ついにはオーブンの中に頭を突っ込ませて殺す。
短いショットを激しくカットバックさせ、じりじりと男はオーブンに近づいていく。ついに頭をオーブンに突っ込まれた男は絶命するわけだが、死ぬまでが長い。しかも真上から撮っているので、顔は見えずに男の痙攣した手だけがずーっと、ヒクヒク動いている。じれったい。
そして、男が動かなくなると、今度は首を絞められていた主人公と男を引きずっていた女が、ゼイゼイと息を荒くして、その場にへたりこんでいる。何十というカットを短くカットバックさせたあとの、長い長いロングショット。フッテージだけ見ると、確かに古臭い。特殊メイクはチャチだし、撮影も綺麗ではない。
でも、映画は被写体で決まるわけではない。どう撮って、どう繋ぐか。それだけが、映画を支配するんだよ。


でも、ヒッチコックはまだ分かりやすい方であって、ハリウッドが超大作ばかり連発していた50年代後期の『ベン・ハー』は、さすがに間伸びした構図なんじゃない?と油断していると、これがまた引き込まれる。壮大な英雄譚で、『スター・ウォーズ』EP1~3は、これがやりたかったんだな。
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たとえば上のカット。ガレー船で奴隷として酷使されるベン・ハーは、戦争で船が破壊された隙に脱出し、ついでに艦隊の司令官を助ける。助けるというか、復讐の意味で殺さず、生き恥をさらさせるわけだ。
ところが、友軍の船に拾われた司令官は自分に差し出された水を飲まず、奴隷であるベン・ハーに先に渡す。これだけの演技で、彼の心のうちが分かるよね。
ベン・ハーは水を飲み、器を司令官に戻す。すると、司令官は同じ器から水を飲むわけだ。ひとつの器から、奴隷と司令官が水を分け合う。もう、ほんのこれだけで2人の関係が激変したことが分かる。こんなシンプルで雄弁なカット、なかなかお目にかかれない。

だけど、ここまで平板な構図でいいの? カッティングの工夫もないのに、どうして俺はこんなに感動してるんだろう? その理由を考えつづけようとすると、図書館に行って映画の専門書を漁ることになる。だって、ネットには「泣いた」と「ネタバレ」しか書いてないもん。

(C)Universal Pictures
(C) 1959 - Warner Bros. All rights reserved.

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2019年5月 3日 (金)

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モデルグラフィックス2019年6月号
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●組まず語り症候群 第78夜
今月は編集部からの持ち込みで、イタレリ製の1/24トラック・アクセサリーセットです。

異色作「ベターマン」の生まれた時代と環境を、米たにヨシトモ監督が振り返る【アニメ業界ウォッチング第53回】
『ガオガイガー』をリアルタイムで観ていたので、米たに監督がオリジナル企画を撮ると聞いたときは、本当にドキドキしました。だけど、この記事はパプリシティですからね。僕が残したいと思っていた部分は、土壇場で切られてしまいました。

プラモデルやフィギュア製品を「撮影する仕事」とは――? ベテランのホビー専門カメラマン、高瀬ゆうじさんの目撃した昭和~平成のホビー業界【ホビー業界インサイド第46回】
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バンダイ近辺を取材中、ごく普通に耳に入ってきたのが、キャラクター製品専門の高瀬カメラマンのお名前でした。私も、中高校生のころには、誌面でお名前を覚えていました。思わぬ話が聞けたし、記事の反響もあり、満足しています。
予定どおりの話を聞くってのは僕の仕事じゃないし、そうならないように気をつけてるつもりです。ホビー(フィギュアやプラモデル)は、文字パートが非常に弱いですから。


コミティアで発売される同人誌『MANGAの自由』()で、インタビューを受けました。
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GMOメディアが、個人の制作した美少女フィギュアのブログを「児童ポルノ」と呼んで切り捨てたとき、抗議のために署名を集めましたので、それに始まる活動いくつかについて取材されました。最後に抗議活動をしたのは、テレビで児童ポルノ所持容疑の男性の私物として、市販のキャラクター・フィギュアが映されたとき。2016年3月、愛宕警察署まで抗議に行きました。
だけど、その後も美少女フィギュアって酷い目に遭わされています。最近では、フィギュアの首をすげかえてオークションで販売しただけで逮捕されましたよね。著作権法違反の容疑だけそうだけど、版権元からの通報ではなくて、警察の独自判断でした。そして、またしても水着姿の美少女フィギュアが「犯罪」を強調するためにテレビに映されました。

さすがに、ネットで「おかしいのではないか?」という声は高まってきました。
だけど、フィギュアメーカーや模型会社は「我関せず」の立場を貫いています。もし、フィギュアではなく漫画だったら、作家や出版社団体が抗議声明を出すと思います。ホビー業界って、そういう動きが一切ないんです。「社会性がない」と思われても、仕方がないでしょう。文化として未熟だから、警察のいいカモになっているのではないでしょうか。
メーカーさんは弁護士と相談して「黙っていても不利益はない」「余計なことを言うと危険だ」と、判断したのかも知れません。でも、そういう問題じゃないと思います。特に、個人が犯罪者のように排除されているのに、組織に属していながら沈黙しているのは、ちっともカッコよくないです。恥ずかしいです。「児童ポルノ」という、まやかしの言葉の圧力に、まんまと屈しているから。

だけど、酒の席とかでは「廣田さん、ああいう活動してて大丈夫なんですかねえ」なんて説教されるわけ。普段、フィギュアを商売にしている人から。もちろん、全員がそういう卑怯者ばかりじゃありませんけど、組織の中から個人に文句を言うのは楽でしょうよ。どんな立派な製品をつくっていても、どんなに素晴らしい技術やセンスを持っていようとも、心の底で僕は軽蔑してしまう。
だって、酔って僕の活動を批判するのは、「あの時、自分は何もしなかった」って恥じてるからでしょ? 「何もしない」「言わない」のは、頭がよさそうに見えます。でも、「何もしなかった」ことで責任を逃れられるかというと、世の中そんなに甘くはないですよね。皆さん、ご存知のはずだ。   


NHKになぜスクランブル放送をしないのか質問したら逆切れされた3-1
先日の選挙以来、「NHKから国民を守る党」の動きは、とてもスリリングです。上にリンクした電話のやりとりを聞いたら、受信料なんて払う気は消し飛びます。
なぜNHKがスマホやPC所有者からも受信料をとろうと息巻いてられるのかっていうと、不義理やウソや誤魔化しに誰も対峙してこなかった、それだけの話です。「何もしないのが、かえってカッコいい」「ここは黙ってやりすごすのが賢い」と、僕らは義務教育のころから組織への盲従を叩き込まれてきたんじゃないだろうか。牙を抜かれつづけてきた。でも、牙を抜かれたまま人生を終えるのは、どう言い繕っても負けだと思う。負けは負け、勝ちに転じることはない。

NHKのように有名タレントをいっぱい出演させている組織が、そんな詐欺みたいなことを働くわけがない?
その、「有名人が出てるから」「でかい組織だから」間違うはずがないって考えが、すでに「組織への盲従」そのものなんだよ。身も心も差し出せなんて、組織は絶対に言わない。彼らは僕たちに、「とにかく黙っていてくれ」と願っている――。それを忘れないでほしい。

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2019年4月14日 (日)

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宇宙世紀的な設定やスペックに頼らない、明快な“ロボット活劇”としての「∀ガンダム」【懐かしアニメ回顧録第53回】

模型雑誌を見ていても「ガンダムの特集」となると、いきなりモビルスーツの形式番号や生産拠点、開発経緯の話になってしまうんですね。『∀ガンダム』は、宇宙世紀のタコツボから縁を切った作品であり、では代わりに何を見せ場にするの?と言ったら、このコラムで解説したような「作画枚数に頼らず、リピートや止め絵をカメラワークを主体に見せる」効率的な戦闘シーンだったのかも知れません。
放送当時、僕はまさしく「コレン、ガンダムと叫ぶ」から『∀』にハマったのですが、その理由は、敵・味方のロボ戦をオーソドックスに見せてくれたからじゃないのか?と思うのです。

ようするに「バカにも分かるように、明快にロボットの戦いを見せられる」、それだけが宇宙世紀モノで当時展開していた『第08MS小隊』、前年にOVAを再編集した映画まで公開された人気作『ガンダムW』にはない、『∀』だけの武器だったのです。でも、棍棒みたいな原始的な武器だったと思います。
その後、キャラクター・ビジネスとしてガンダムを返り咲かせたのは『ガンダムSEED』であり、『ガンダムUC』であったことは言うまでもありません。


上記のコラム記事からは、意図的に「ディアナ・カウンター」という名詞を省きました。ムーンレィスの中に、さらにディアナ・カウンターがある。分かりづらい。地球連邦軍の中にティターンズがあって、エゥーゴもあって、同じロボットを使っている。「ベスパのイエロージャケット」が敵組織の名前かと思ったら、ザンスカール帝国でしょ? この組織の入れ子構造、富野由悠季監督の悪い癖です。その悪い癖を「トミノらしい味わい」と感じてしまう僕たちも、本気で頭を冷やすべき頃合いではないでしょうか。

シド・ミードさんに(まったく新しいアニメ企画ではなく)ガンダムをデザインさせてしまったことにも、疑問があります。
プラモデル化するにはセールスポイントに乏しいし、手描き作画にも向いていない。最後に蝶の羽を生やすのであれば、安田朗さんの柔らかいキャラクターに肌合いのマッチした、シンプルなロボットにすべきだったと、今でも思っています。
小林亜星、西城秀樹、谷村新司……この主題歌チームも、どの世代に訴求力があったのか、僕にはサッパリです。どうも、ビックリさせる方向がバラバラで、商業作品としてのルックスが整わないまま、作品の文学性ばかり評価されてきたのが『∀』の不運ではないだろうか?
そこで今回は、ロボット(モビルスーツという造語もこの作品では上手く機能していない)の戦闘シーンだけに視点を絞って、コラムを書いてみたのです。


現時点の感想を言うと、『∀ガンダム』は誉められすぎで、僕も持ち上げすぎてきたと思っています。
Twitterでは「いいっすよね!」「僕も大好きです!」「懐かしいです!」「泣きました!」で、それ以上に話が進まない。「好きなものを批評する」ことに、僕らは慣れていない。ガンダム・ビジネスにはさほど貢献していない『∀』を「大好き」と言う自分に、酔ってしまっていないか、ちょっと点検してみた方が良さそうです。なぜパーフェクト・グレードで∀が出ないのか? ミードさんのデザインしたターンXやバンディットだけ、まったくの別ブランド、最高級の特別仕様でプラモデルを出せないのか? あちこちに突破口はあったのに突破できなかったのは、何故なのか? 

――こういうこと書くと、「バンダイや富野さんやガンダムの悪口を書いている廣田には、もう仕事を回すな」って言われかねない。そういう幼稚な力関係によって、また輪が閉じてしまうんですよ。課題を抱えた作品が「文句なしの傑作」なんて薄っぺらいレッテルを貼られて、僕らは考えるチャンスを奪われていく。「大好きです」「懐かしいです」と連呼するだけのバカになっていく。富野監督がそんな状況を望んでるんですかね? 僕らにはもっと考える力があり、その力は富野さんが与えてくれたんじゃなかったんですか?


ある仕事で、どうしても『仮面ライダージオウ』を見なくてはならなくなって、その尖ったセンスに腰を抜かしたんです。

「今の小学生って、こんな『マトリックス』を極彩色に染めたようなカッとんだ映像を毎週見てるの?」って。デザインだけではなく、CGや音響(声優の使い方も素晴らしい)も含めた変身シーンが、もうデジタル歌舞伎って感じ。『アベンジャーズ』が、クラシック映画に見えてしまう。
『ジオウ』の変身パターンを一気に見て、「これって『Gのレコンギスタ』のG-セルフ七変化でやれないのかな?」って、ちょっと空しいことを考えてしまって。今からでも、富野さんに進言したら?とさえ思いました。アニメのロボットが特撮ヒーローに勝つには、どうしたらいいんだろう?

あと、東映ヒーローって俳優たちの写真やインタビューを集めたムックまで出てるじゃないですか。お父さん・お母さんは、俳優たちにメロメロなわけで、全方位コンテンツですよね。これがキャラクター・ビジネスの最前線か! そうすると、声優をアイドル化して舞台にあげちゃった方が、ビジネスとしては正しいよね……と、得心がいく。「好き」と「正しい」は別なんですよ。少なくとも僕は、自分の「好き」を疑ってもいい歳です。そして、「好き」の逆は「嫌い」ではありません。もっと上の次元があるんですよ。

(C)2018 石森プロ・テレビ朝日・ADK・東映

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2019年4月 4日 (木)

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“水中ニーソ”でお馴染みの古賀学が歩んできた「平面でないと成り立たない模型」の最新形【ホビー業界インサイド第45回】
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古賀学さんからは、メッセンジャーでいろいろとお話を聞かせていただいていて、この日が初対面でした。数日後に僕のイベント【模型言論プラモデガタリ】に登壇していただいたにも関わらず、まったく発言の機会を与えられず、あまりに申し訳なくて、まだ謝罪にいたっていません。

だけど、この日の取材はエキサイティングでした。
アーティストを名乗る方にインタビューしたのは初めてでしたが、アーティストの発言に価値があるとしたら、僕らのような俗世に生きる人間に新しい視点を与えてくれることでしょう。古賀さんの発言は、たとえば映画を見るときに活用できます。模型、プラモデルについて考えるときも役立ててほしいと思っています。
今回、「ホビー業界インサイド」のコーナーに出ていただきましたが、「超絶テクニックをもったスーパーモデラーの話でないと、模型趣味の役に立たない」と考えている人が大多数だと思います。模型雑誌の根底にも、そうしたロジックが働いています。しかし、そんな平面的な思考では、十年もたたずに袋小路に陥るでしょう。古賀さんのように、模型の構造を念頭において、なおかつ即物的にプラモデルを組み立てるのではない、別のフィールドで別のやり方で実践している人から学ばずして、どんな未来があるというのでしょう?


富野由悠季監督は、たびたび「超一流のものを見ておけ」と発言なさってきました。それは、超一流のアニメを見ておけって意味ではありません。美術品、工芸品の凄く高価なもの、別ジャンルで最高レベルの価値を与えられるものを見ておかないと、程度の低い仕事をすることになるぞって意味です。
それが怖いから、僕は海外へ行ったら、なるべく美術館を見るようにしています。すると、古賀さんのおっしゃるように「作品の横に書いてあるのは題名、制作年、材料」だけかもなあ、と気がつけます。権威のあるものを、批判的に見ることも必要です。
あるいは、アニメ関係の美術展はどうでしょう? 「しょせんアニメなんだから、こんな程度で十分だろ? みんな限定グッズが欲しいだけだろ?」って態度が透けて見える場合が多いように思います。それを見抜いて「もっとレベルの高い次元に引っ張り上げてやろう」と思えるようになるためには、やっぱり「超一流のものを見ておく」、それ以外の方法はないように、今の僕には思えます。

あるいは模型の展示だとか、模型雑誌の見せ方はどうでしょう? 「プラモデルはアートじゃない、(しょせん)趣味だから」と言い訳していては、他の趣味に負けてしまうのではないでしょうか。「楽しめればいい」「人それぞれ」「作る喜びを」……僕には、すべて空しく聞こえます。そういう空疎で耳障りのいい言葉の裏に、「塗装や工作の上手な人が一番偉い」という厳格なテクニカル・カーストが存在していることを、みんな知っているはずだからです。
嘘偽りなく「人それぞれ」の状態をつくるのは、生半可ではありません。多様性多様性といいながらトランス・ジェンダーが放逐され、欧米は人権意識が高いと心酔しながら彼らがアジア人蔑視のCMをつくっている状況を見れば、明らかなことですね。


でも、プラモデルは(望ましい形ではないにしても)メディアに露出する機会も増えてきましたし、業界の外に目を転じれば、チャンスは山ほど転がっています。
僕は「下手」の世界で苦しんできた人間なので、「上手い/下手」で格差が生まれる世界とは距離を置きたいです(上手い人はリスペクトしますし、喧嘩をしたいわけではないので)。「下手」の立場から、状況を良くしていきたいのです。6月にプラモデルの本が出ますが、「私は下手だ」というコンプレックスそのものを無効化するような内容になります。

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2019年3月25日 (月)

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月刊モデルグラフィックス 2019年5月号
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●組まず語り症候群 第77夜
今月は、タミヤのシルバーメッキ特別仕様のランチアストラトスターボです。
あと、『ひそねとまそたん』のVF-1バルキリー仕様は、僕が『ひそまそ』担当として呼ばれたとき、真っ先に提案したものです。当初は各社からのプラモデル発売直前にバルキリー仕様のまそたんを掲載して、プラモの作例をもって華々しく連載を終えるよう計画していました。ところが、プラモデルの発売が未定になってしまったので、僕は「バルキリーまそたんは作るの大変だし、もういいんじゃない?」と言っていました。今月、しっかり掲載されています。

●「絵」を「現実」と誤認させる「東のエデン」の入れ子構造【懐かしアニメ回顧録第52回】
『東のエデン』を見て、「どうしてアニメーションの中の写真やモニターなどの“絵”が“現実”として認識されるのだろう?」などと考えるのは、一万人にひとりぐらいでしょう。だけど、僕はその「気づいてしまった少数派」のために書くんです。「このセリフに感動した!」「このキャラが好きだ!」って話は、他に書く人がいっぱいいる。あと、現場にインタビューしたとしても「特殊な処理を施した」ぐらいの答えしか返ってこないと思います。
ということは、作品を観る側が勉強して、好奇心をもって、主体的に、自分勝手でも何でもいいから解釈していくしかない。主体性のある人は少ないですから、「俺の自己解釈」を書ける人は、それだけで有利です。こうして、毎月お金になっています。「勝手なこと書きやがって」って人は一円も稼げてないわけですから、言わせておけばいいんです。


昨夜は【模型言論プラモデガタリ】第3回、平成ガメラシリーズ完結20周年をフィギュアで祝う会でした。
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なんと、楽屋に撮影監督の高間賢治さんが現れたので、金子修介監督、螢雪次朗さん、栩野幸知さんと並んでいただいて記念撮影です。
高間さんの著書「撮影監督って何だ?」は、「マスターズオブライト」と並ぶ学生時代の必読書……というより、大学を出て同級生との間で話題になっていました。僕は日芸を出て、映画監督にもプロデューサーにもなれずに挫折したけど、それ以外に漫画家になりたくて挫折、ガレージキット原型師としても食っていけず……など数々の挫折経験を、フリーライターという曖昧な職業が、ひとつ残らず吸収してくれています。何ひとつ恨みや妬みにならず、創ることの大変さを知っているから、クリエイターさんに対しては無限のリスペクトを抱けます。

今回のイベントでは、80年代邦画の話をしましたけど、それだって、僕の挫折が生んだ強みのひとつですね。ATGやロッポニカやアルゴ・ピクチャーズの話が出来て、プラモやアニメの話と両立させられる人は、少なくとも職業の中でやってる人はいないですよね。
トークの中でも「若松プロ」なんて言葉がふつうに交わされるので、客席に「こういうレベルの会話で大丈夫ですか?」と聞いてしまったぐらい(笑)。ひょっとしたら、「80年代邦画」って、えらい金脈なのかも知れない。人口ピラミッドを見ても、客層は厚いと思うし、関係者も存命中だし。
(来場者の感想を聞いても、前半の80年代映画パートが面白かったそうだし……)


それとは別に、イベントの主催としては非常に苦しかったです。古賀学さんには飲み放題ということで許していただいたけど、他の出演者へのギャラを合わせると、数万円の支出になってしまいます。プラモデガタリで廣田が小銭を稼いでるぞ……と思われたとしたら、それは逆です。

秋山徹郎さんが株式会社MICの社員として毎回参加してますけど、MICがスポンサーになっているわけではないです。資料のスキャンをお願いしている程度。僕が各方面に交渉して、個人主催だから版権元にも大目に見てほしいとお願いしたり……そして、今回のように来場者が少なくて赤字になった場合は、貯金を切り崩すしかない。サラリーマンのように、会社のお金で……ってわけにはいかないです。

次回()は河森正治さんにダメモトでお願いしたら出演OKだったので、サンライズさんにも話を通して、それほど心配するほどでもない。
だけど、5月以降は不透明です。4社……というか、4人の方に一度は断られています。そんな状況で無理に進めて、傷口が広がらないのか? そもそも自分が楽しいのかどうか。何しろ仕事ではないので、「もういいや」って辞めちゃってもいいのです。「やるからには毎月やらないと意味がない」と言ってくれたのが、秋山さんなんです。だけど、人が集まらない、今回より少ないかも知れない……と分かりきっている状況で、自分は楽しくなるんだろうか? 自分が楽しくないのに「楽しいイベントですよ」と、人を集めるわけにはいかない。
ここで正直さを失ったら、すべてが崩れてしまうのです。木曜日に取材を請けるので、それまでに原稿を書きながら各方面に連絡して、結論を出さないとなあ……。

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2019年3月21日 (木)

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J Wings (ジェイウイング) 2019年5月号 発売中
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●「素組みだからよくわかる! プラモで学ぶ最新鋭機F-35B」後編
構成・執筆ですが、編集部からフィードバックされたアイデアも、かなりの割合で入っています。この記事は、プラモの素組みだけが好きな素人と、ほとんどプラモに触れたことのない航空機の専門家が同じキットを組み立てているから、面白いのです。そのコンセプトにたどりつくまでに、半年ほど話し合いを重ねました。
読者からの反響も結構あるそうなので、今後も模型誌以外のところで、どんどん素組みプラモの面白さをプレゼンしていきたいですし、丸一冊、素組みだけの本も制作中です。


『この世界の片隅に』を特集したモデルグラフィックス誌も、ふだん模型誌など買わない人たちが手にとってくれて、今後二度と手にとらないにしても、その機会をつくれただけで、僕としては満足なんです。
あちこちで「まるでアニメ雑誌」と言われましたが、アニメージュやニュータイプに、撮出しデータを解析した記事など載ってないと思います。僕がニュータイプで最後にやった仕事は声優さんへのインタビュー記事で、誌面は版権イラストだけでした。
「模型ファンが模型誌を買う」「アニメファンがアニメ雑誌を買う」、その閉じたサイクルの中では、僕に新たに提案できることはありません。いつも買わない人に買ってもらうとか、いつも載らない雑誌にプラモやアニメの記事を載せたいんです。

Jウイングさんは、「半分は常連の読者に買ってもらい、もう半分は新規の読者に買ってもらう」ことに常に目指しているそうで、だから僕の話を聞いてもらえたのです。優秀な編集者は数少ないですから、彼らと議論を重ねられるだけでも、とても勉強になります。


僕がアニメ関係者へのインタビュー連載を打ち切った翌日、どこから情報が伝わったのか、大手ビデオメーカーのYさんから「来週、時間ありませんか? ちょっと話があります」と、連絡がきた。
同社を訪ねると、呼ばれたのは僕だけでなく、いろんな媒体のライターとか編集者に声をかけたようで、新作アニメのティザーやトレーラーを延々と流すだけのくだらない上映会が始まった。
チラシや番宣DVDの束が回ってきて「気になる作品はどれですか? 自由に持ち帰ってください」なんて書いてある。
「こんな事で人に時間とらせるから、ダメなんだよ」とため息をついて席を立つと、十年近く前、ある作品でご一緒した広報担当のKさんが追いかけてきて、「廣田さん、ハチマキがケープ・カナベラル宇宙港へ向かうバスに乗りたくありませんか?」と言った。
『プラネテス』の主人公、ハチマキが木星行きのロケットに乗るシーンでは、未来には似つかわしくない田舎の乗り合いバスが出てくる。そのバスのオンボロさが、宇宙へ旅立つ夢やロマンをかき立ているわけで、アニメ版では架空のカントリーミュージックが使われていて、その演出には感心させられたものだった。「ただ、日本語歌詞なのが残念でしたよね」と、Kさんと盛り上がってしまった。
「ようするに、こうやって僕が音楽という側面から作品に感心を持ったり、何か問題提起したいと思う、そのこと自体が“企画”であり、“記事”でしょう? いきなりアニメの宣伝だけ見せられて、さあ取材しろってやり方で、何が生まれるんですか?」と熱弁していると、宣伝課長のGさんがやって来た。

……というのが、今朝がた見た夢です。もっとディテールが豊かで、具体的な作品名もどんどん出てきました。
『プラネテス』の原作には「ケープ・カナベラル宇宙港」なるものは登場しなかったと思いますし、アニメ版でカントリーミュージックを使っていた事実もありません。だけど、僕はクリエイターが魂をこめて、工夫を凝らした演出を見逃したくありませんし、書きとめて伝えたいという欲求もあるのです。
毎月開催している【模型言論プラモデガタリ】()は完全にインデペンデントで、アニメの番組論や作品論もやれる空間になっていますから、別に仕事でなくても集まった何十人かの人たちに伝えられれば、それでいいように思います。後日使いまわせるよう、録音もしています。


「仕事がない」という話を、同業に近い人から聞きます。僕はレギュラーの仕事以外に、「ガンダム最新作で何か出来ないか」といった相談も入ってきますし、一週間ぐらいで形にして編集部に預けられるので、そこそこ重宝がられているのかも知れません。そういう急ぎの仕事にはこだわりがないので、サバサバ割り切るようにしています。
だけど、歳をとって何より良かったのは、別に人に認められなくてもいいや、有名でなくてもいいや……と思えるようになった、諦めがついたことです。その諦めのおかげで、とても仕事がやりやすくなりました。代わりに、絶対にストレスが生じないよう、原稿を書いていてウンザリしそうな仕事は、躊躇なく回避する。そんなことをやらなくても食っていけるよう、バランスをとれるようになったのは、ここ数年のことです。

最近、アニメ作品は宣伝会社に丸投げで、最新情報といえば声優のキャスティングと主題歌アーティストばかり……というパターンが多いため、実りある仕事をするのは困難と思います。せっかくスタッフさんのインタビューを提案しても、他媒体との合同取材にされてしまう。作品も可哀相なら、そんな取材に食いつかねばならない媒体さんもいい記事を書けないし、取材されるスタッフさんも気の毒です。
本当の貧しさとは、アイデアも好奇心も理想も枯渇して、右から左への土木作業になっている状況です。「これは酷いな」と気づけたなら、その貧しさから脱出するチャンスをつかんだも同然です。もしかすると、あなたの仕事は、メディアに記事を書くことではないのかも知れない。一万人の客に届けられなくても、選りすぐりの十人に届けられればお互いに幸せ……という場合だってあります。選りすぐれたお客にしか見えない風景が、必ずあるんです。ほんの十メートルずつ、ちょっとずつちょっとずつ理想が高くなっていく。緩やかに、磨かれていく。それって最高じゃないですか。

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2019年2月25日 (月)

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ハセガワ製、「クラッシャージョウ」ファイター1から考える“キャラクターモデルとスケールモデルの最適な距離感”【ホビー業界インサイド第44回】
T640_801778ハセガワさんに直接取材をお願いしたのではなく、サンライズさんから薦められて、取材を組んでいただいたパターンです。
タイミング的に、自分で製品を予約して、素組みした直後にお話を聞くことが出来ました。

メディアミックス爛熟期に生まれた「フリクリ」が喚起する、アニメと漫画の深い関係【懐かしアニメ回顧録第51回】
90年代末~00年代初頭のアニメは、本当にターゲットを想定せず、好き勝手につくっていたんだなあ……と、改めて思いました。ただ、『フリクリ』はどこかニヒリスティックで、日常に充足しているくせにオタクぶっている感じがして、僕は好きではないです。
僕は屈折した人間なので、恥ずかしさや苦悩や葛藤の痕跡が残った作品が好きです。


土曜日は、友人と『アリータ:バトル・エンジェル』を鑑賞。
640_1ヒロイン・アリータの複雑な表情、向こう側の景色まで透けて見える繊細な関節の造形、そして日本語吹き替えの声音に、ただひたすら溜め息を漏らしつづけた。

映画理論家のルドルフ・アルンハイムによると「映画はモノクロであり、またサイレントであるがゆえに、豊かな色彩と音響にあふれた現実の世界とはまったく別個の、自立した世界を構築することができた。つまり現実の機械的な再現ではなく、絵画や彫刻と同じく、独自の文法をもった芸術として価値付けられた」(四方田犬彦『映画史への招待』より)。
アリータというキャラクターは、女優を撮影しただけの「現実の再現」ではない。CGIなので、映画の中でしか存在できない、純粋に映像的な肉体だ。そこに不気味さもあれば美しさもあるわけだ。


原作の『銃夢』が連載されはじめたのは1990年のことで、同じ年、東映はVシネマ・ブランドから『女バトルコップ』を発売した。
『女バトルコップ』は1988年公開の『ロボコップ』、あるいは1987年発売のOVA『ブラックマジック M-66』など、サイボーグやアンドロイドを主役とした当時最先端のSFX映画やアニメとは別世界、東映のメタルヒーローや刑事ドラマに属する泥臭い作品だ。

だが、1980年代後半、大手映画会社が製作~配給まで支配して身動きとれなくなっていた邦画界の、最果てと言ってもいい現場ですら「美女型ロボット」が企画の遡上にのぼっていた事実を素通りしていいものだろうか。
刑事ドラマや特撮ヒーロー番組をつくっていたオジサンたちでさえ、「アニメ好きの若い連中が夢中になっている女のカタチの戦闘ロボ、あれはアリだよな」と思わせた何かがあったはずで。
640それは異性……彼岸にある女体をシンボライズして、いわば「モノ化」して、永遠に愛玩したい欲望ではないだろうか。
30年も前の日本の漫画に着想を得た『アリータ』とて例外ではない。アリータは当初、殺された娘のために用意されていた華奢な義体しか与えられなかった。アリータをカスタマイズした医師のイドは、彼女を娘の理想化された亡霊として、ずっと手元に置いておきたかったはずだ。
(原作漫画には娘の設定がなかったため、イドはずいぶんフェティシズムの強い変人に見えたものだった。)


斉藤環が『戦闘美少女の精神分析』で、サブカル作品に登場する戦う美少女、メカ少女にスポットを当てたのは、2000年のこと。
戦うメカ少女を実写化するにあたって、「現実の機械的な再現」と手を切って、肉眼では見ることのできない(映像として鑑賞するしかない)CGIを選択したのは、果たして誰だったのだろう。
ジェームズ・キャメロンだとしたら、彼が人間そっくりのアンドロイドや(人間が現実と接触するための)人造生物をクリエイトしつづけるのは、何故なのだろう?

30代の前半までは、実体験の少なさゆえに、現実逃避を正当化する理由ばかり考えていた。球体関節人形に魅了されたのも、その頃だ。乏しい読書体験にすがるしかなかったあの鬱屈した日々を、僕はすっかり忘れていた。
『アリータ』は、僕を自閉的な若者へと引き戻すぐらい、強烈な引力をもった映画だった。

(C)2018 Twentieth Century Fox Film Corporation

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2019年2月22日 (金)

■0222■

モデルグラフィックス 4月号 25日発売
Dz8euymw0aasprb●『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』特集
企画・構成・執筆でクレジットされています。
序文やアニメ素材の解説パート、片渕須直監督のコメント、モデラーさんとの対談などを、まとめて書き起こしています。自分で撮影に立ち会ってラフを切ったページもありますが、艦船や飛行機パートは編集部にお任せして、ハウトゥ記事だけではなく監督のコメントや対談を入れてもらえるよう、先回りしてテキストを書いておきました。
そのテキストがなかったら、『この世界の片隅に』特集とは呼べないので、編集部が独自にまとめてしまう前に、先に書いて割り込ませておくのです。
しかし、コメントを個別に録音している時間はありませんから、打ち合わせの合間合間に、監督に「この演出ってどういう意味ですか?」と聞いておくんです。後からテキストとして使いやすいよう、聞き方を工夫して。その段取りこそが、ライターの技能ですよ。

また、昨夜のイベント【模型言論プラモデガタリ】で見せた「撮出しデータ」を、この特集では多用しています。
撮出しデータは監督との打ち合わせとは別に、僕が何度かMAPPAへ行って、監督から直接受けとってきました。次に、新作カットのデータを使ってもいいかどうか、東京テアトルさんに確認をとります。
それから、ひとつひとつのデータを開いて、編集部に渡せる状態に区分けしてファイル変換して……と、僕がやったのは主にそういう作業ですね。書くより先に実務、実務の連続です。


昨夜、阿佐ヶ谷ロフトAで行われた【模型言論プラモデガタリ】第2回は、モデルグラフィックス誌の販促イベントとして成立させることが出来て、おかげさまで大盛況でした。
モデグラ誌の自分の担当パートを早めに終えて、イベントのプレゼン資料を作っていくうち、やっぱり、撮出しデータを生の状態でお客さんに見せたくなってきました。
Kimg2922金色はどうして金色なのか考えて、『アリーテ姫』で具体的な表現技法に置換したように、空気感や水や光の質感をレイヤー単位で構築していくエンジニア的手腕も、片渕監督の技能のひとつです(ほかに、エンターテイナーとして脚本を書く才能があることは、『名探偵ホームズ』での大抜擢を考えれば、誰しも納得いくでしょう。『BLACK LAGOON』のシリーズ構成も、優れた計算力の為せる仕事です)。

「感動」や「美しさ」の裏には、必ずメカニックが働いています。「なんとなく良いな」と感じるからには、必ず理由があります。
アニメーションは実写よりは素材を分けやすい(というより、素材を作ってから記録するので実写とは順番が逆)ので、「感動」の秘密を発見しやすいと思います。
ところが、アニメの制作素材を模型趣味と結びつける人が、ほとんどいなかった。いえ、模型趣味を切り離して考えても、現場の制作素材がアニメファンの目に触れる機会は、稀ではないでしょうか。かつては制作資料の詰まっていたアニメ誌は、いまや「版権イラストの載った絵本」です。
「公式」という概念が強くなりすぎて、ひとりひとりの受け手が探究心をもって開墾していけるフィールドが貧しくなっているのではないでしょうか。僕のテーマは、公私ともに「名もない個人が自由に、主体的に力を行使して、理想を実現すること」です。イベントを毎月開催することも、そのひとつです。


“登壇者筆頭の廣田恵介さんは、「マイマイ新子と千年の魔法」のとき、続映を求めるネット署名をしてくださったり、書籍「メイキングオブ マイマイ新子と千年の魔法」の編集をしたりしていただいたのですが、実は、映画学科監督コース出身でありつつ模型雑誌ライターをしておられた方で、さて、今回は。”(

この片渕監督のツイートは、イベント後に気がついたのですが、嬉しいです。
アニメの取材仕事を減らしつつも、アニメと映画と模型をシームレスに、建設的な関係にできないか?と、ここ2~3年は模索していて。日芸時代に撮影・現像・編集でフィルムを触っていたこと、サンライズ在籍時にセル画末期の時代の「撮出し」を見せてもらえたことが、今回のモデグラ特集に繋がっています。

それにしても、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』特集を入稿しおわった古屋編集長Kimg2921_3 がイベントに登壇することになり、楽屋で仕事抜きの話をしている時間、そこにクリーム色のセーターを着た片渕監督が、いつもの包容力をもって現れて、とりとめない話を始めたときの和んだ雰囲気は忘れられません。

僕の身内に不幸があったとき、監督が「私も廣田さんの友達のつもりでいます」とメールをくださったこと、忘れてないです。
監督自身も、つらい目やイヤな目に遭ってきただろうと想像します。初めてお会いした10年前より、とてつもなく人間の器が大きくなりました。しかし、頑固なところは頑固なままだし、こちらの仕事に対しても一定の厳しい目を持っておられます。
書店に並ぶモデルグラフィックス誌は、そういう人の目を通過した本なので、期待して手にとってください。

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2019年2月17日 (日)

■0217■

J Wings (ジェイウイング) 2019年4月号 21日発売予定
Dzh5um2vsaa968z『素組みだからよく分かる! プラモで学ぶ 最新鋭機F-35B 前編』
企画・構成・執筆しました。ハセガワさんの1/72 F-35ライトニングII (B型) “U.S.マリーン”を素組みして、編集部と一緒に「どうしてこういう構造になっているのか?」「このパーツ割りは、実機に比べてどうなのか」と検証しつつ、どこも改造せず塗装もせず、ひたすらキットの美しさを愛でながら、同時に機体構造も勉強しよう……という短期集中企画です。
僕からの持ち込みとはいえ、編集部からの逆提案もあり、おおいに助けられました。また、模型誌以外に、プラモの素組みレビューを載せる!という野望を、まずひとつ満たせました。


本日のダルデンヌ兄弟監督映画は、サスペンス・コーナーにあった『午後8時の訪問者』。
640 ある女医の病院で、扉を閉めた後にチャイムが鳴る。研修医の青年が「急患かも」と立ち上がるが、女医は「無視していい」と青年を止める。
そのチャイムが雪だるまのように大きくなっていき、実は殺人事件の起きるトリガーだったと判明する。

女医は、助けを求めてチャイムを押したのに殺されてしまった黒人女性の映像を、後から警察に見せられ、愕然とする。「あの時、私がチャイムに反応していたら…」と罪悪感にかられて、被害者の死因や名前を探り出そうと歩き回る。
ラストになって、またチャイムが鳴る。モニターを見ると、殺された黒人女性そっくりだ。いわば、「チャイムと黒人女性」で映画全体をサンドイッチする「ブックエンド形式」のプロットだ。

ただ、プロットに頼りすぎ、真相はすべてセリフとして語られるのが、今ひとつだった。
むしろ、カメラがゆっくりとPANして対象物をとらえ、再び人物の顔に戻ってきたとき、すっかり構図のありようが変わっている。その計算されたカメラワークに目を奪われた。手持ちカメラではあるが、常に最適の構図を確保するため、膨大な技術が投入されていると気づかされた。


「お前やってることは法律に引っかかってんだよ!」 コインハイブ事件、神奈川県警がすごむ取り調べ音声を入手

性犯罪者は、かよわそうな反撃してこない女性を狙うそうですね。権力者も同じです。弱そうな相手をマークして、恫喝する。NHKの集金人、税金の催告状、すべてそうです。脅して屈服させる。話し合いで説得しようという発想が、そもそも抜けている。
正論では勝てないので、「犯罪だから」「法律だから」でねじ伏せようとする。

上のニュースを見たとき、仮想通貨を先日の改造フィギュア()に置き換えてみた。
取調室で、「こんな少女の人形なんかをいじって、お前は変質者だろ! 恥ずかしくないのか!」ぐらいは言われたでしょうね。容疑は著作権法違反で、いま違法ダウンロードの刑事罰化が進んでいるので、警察を批判しただけで即逮捕になりかねない。
そして、警察職員だけでなく、マスコミも一般市民も「逮捕されたら有罪確定」と信じている。この国の人権意識など、その程度のものだ。しかし取調べ段階ではもちろん、刑が確定しても人権は消滅しない。それが民主主義だ。主権は、我々にあるのだ。

なので、諦めてはいけない。

(C)LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM – FRANCE 2 CINEMA - VOO et Be tv - RTBF (Television belge)

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2019年1月28日 (月)

■0128■

コラム集発刊記念! 高橋良輔監督が語る“文字と言語の作品世界”【アニメ業界ウォッチング第52回】
T640_796850高橋良輔監督にインタビューするのは、『勇者王ガオガイガー』のBD-BOX封入のブックレット以来です。その時、「水陸両用整備装甲車」「機界31原種」などのネーミングは高橋監督の発案では?と質問したのですが、明快な答えは得られませんでした。だけど、その経験が今回のインタビューに繋がっています。

“宇宙用ヘルメット”を使って登場キャラクターの心情を描き出す、「プラネテス」の視覚効果【懐かしアニメ回顧録第50回】
連載コラムです。透明バイザーを使って、キャラクターの顔とキャラクターが見ている対象物を同時に映せる……そこに着眼したまでは良かったのですが、どうにも冴えない文章になってしまいました。文章を書いている時間だけはテンションが上がるので、要注意です。


「ラブライブ!」魔改造フィギュア販売で逮捕…どんな権利侵害があったのか?

先週末に弁護士ドットコムで記事になり、再び話題になった。
(ニュース直後の僕の意見→
取材された弁護士が「改造が許されている例外的なケースでない限り、違法となる可能性がありますので、どうしても趣味で改造をしたい場合は、権利者(著作者)に連絡して許可をとってからにした方がよいでしょう。許可はできれば書面、少なくともメールでもらっておくとより安心です」、つまり個人が趣味でフィギュアを改造する場合でも著作権者の許可をとった方がいいと発言したことから、「そんなバカな」と憤った人が多いようだ。

最初のニュースが流れた時点からその傾向はあったのだが、「僕の考えた法律解釈」を根拠に「ここまではセーフ、ここから先はアウト」と線引きして、「だから○○とか言ってる人はアホ」と、見解の違う他者をさげすむ流れになっている。
勝手に法解釈を広げて逮捕に踏み切った警察を責める人は、ほとんどいない。


自説を述べて、「私の解釈だけがエビデンス」で閉じてしまう一般のTwitterユーザーと逮捕権を有する司法警察職員とでは、招く結果が違いすぎる。
しかし、権力に歯向かうのは怖い。だから、「何もかもが怖い人々は、とりあえず最も強そうなものに縋りつく」(斎藤貴男『安心のファシズム―支配されたがる人々』より)。
結果、警察の勝手な法解釈を肯定したままで「逮捕されたヤツが悪くて、自分たちの趣味は逮捕の対象とならない」ための理屈を捏ね回すことになる。警察からすれば、都合がいい。

僕が小学校・中学校の思い出として真っ先に思い出すのは、何度となく繰り返された学級会での「話し合い」の光景だ。
一時間かけてクラス全員で話し合う。話し合いの方法など学んでいないから、最後には多数決に頼らざるを得ない。「先生、こういう結論になりました」と教師に報告する。教師は「そうですか。でも、その結論ではダメですね。先生の言うとおりにしてください」と、話し合いの成果を台無しにしてしまう。
小学校高学年ともなると、どうせ教師に覆されると学んでいるから、意見を聞かれても「パス」とだけ言って、次の誰かに譲ってしまう。どんな優れた意見を口にしても、教師に潰されるから。
そうやって僕たちは、自尊心を奪われてきた。「選挙なんて行っても無駄だ」と考える大人になってしまった。「警察にたてついても無駄だ」「政府の決めたことが正しい」「反発しているヤツはパヨクだ」。


僕は「アベ政権」が特に劣悪とは思っていないし、反権力気質の人が「反対のための反対」を繰り返している姿を肯定も否定もしない。
だけど、フィギュアの改造……伊集院光さんが、ラジオで「とても丁寧に作られたガンプラにはお金を出してもいいと思ってしまうけど、それも違法なの?」と発言したように、自分の趣味を守るのは、自分しかいない。

3年前、児童ポルノ単純所持で逮捕された容疑者からの押収物として、市販フィギュアがテレビに流された。僕は質問状を出して署名を集め、抗議のために愛宕警察署まで行った()。
自由とは、国家や組織に与えられる物ではない。僕たちの筋肉の中に備わっているものだ。「フィギュアを改造してはいけないのではないか」「この程度の改造ならいいのではないか」「誰かの許可が必要なのではないか」「売らなければ大丈夫ではないか」、そう考えて怯えること自体が、自由を鎖でつなぐこと、自分を檻に閉じ込めることなのだ。

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