2017年4月25日 (火)

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月刊モデルグラフィックス2017年6月号 発売中
0000000033332●組まず語り症候群 第54夜
今月は、ゲームズワークショップの「SPIRIT HOST」というプラ製ミニチュアです。
ゲームズワークショップさんのミニチュアを取り上げるのは2年半ぶり、二度目なのですが、あまりこの連載は読まれてないので、新しいプラモデルの形態を紹介するには、適していないのかも知れません。先月の「ハコルーム」も、あまり認識されていないのでは……。


レンタルで、黒澤明監督の『影武者』。
武田信玄亡き後、彼とそっくりの盗人が影武者に仕立てあげられ、屋敷で暮らしはじめる。
Detail_25_main映画がなかばを過ぎたころである。影武者は、信玄の側室二人に左右から囲まれて、酒を飲んでいる。「どうだ、最近のわしは顔が変わっただろう?」と、影武者が二人に聞く。「お顔は変わりませんが、お声が変わりました」「そう言われてみれば、お顔も少し……」と、側室が左右から影武者の顔をのぞきこむ。自分から問いかけておいて、影武者は正体がバレるのではないかと焦りはじめる。
このシーンをどう撮っているかというと……

●真正面から影武者のバストショット。
●右からのロングショット(上の画像)。
●左からのロングショット。

この三方向のカメラから、側室に囲まれた影武者を撮っている。左右から、同じサイズで人物を撮って、会話の途中で、頻繁にカットを切り替える。すると視点が複数になり、影武者が「左右から交互に見られている」ように感じる。ひとつひとつのカットは安定した構図で、ごく当たり前の落ち着いた画である(上記画像のとおり)。
しかし、左右から撮った画を交互に繋ぐと、せわしない動きと時間が加わり、「焦り」が生じる。

ウソだと思ったら、このシーンだけでも見てほしい。信玄をよく知る側室に左右をふさがれ、さらに左右からカメラで撮られることで、影武者の「正体がバレてしまうのではないか?」という焦り、居住まいの悪さが、映画に芽生えはじめる。映像として物理的に捉えることのできない感情を、構図と編集だけで可視化している。


「もはや、ここまで」と腹をくくった影武者は、「わしは信玄の影武者なのだ」と側室たちに明かす。だが、側室たちは信じない。「おたわむれを……」と笑いだす。「いや、本当だ。わしは雇われただけなのだ」と繰り返す影武者だが、やがて側室たちと一緒に笑いだす。
僕は、このシーンを二度見て、二度泣いた。映画の機械的原理(構図とカット)と文学的な描写(セリフと演技)が見事に連携して、十全に「感情」を表現していることに、心打たれた。

なにも、登場人物に共感するから泣くとはかぎらない。表現が、そのメカニズムを十分に生かしている瞬間、人間の知恵と工夫の素晴らしさに感動することがある。芸術を味わうとは、こういう瞬間を言うのではないだろうか。
多くの感動は、おそらく表面に露出した「機能」によって喚起されている。だのに、僕たちは「表層」を見ようとしない。「表層」を無視して、いきなりテーマやストーリーに触れたがる。抽象的な感想を語ることを「答え」だと思っている。小学校で、頭の悪い教師たちから刷り込まれた態度を、何十年も改めようとしない。感覚が鈍磨していることに気づかない。大人になっても勉強しなければ、感覚など鈍って当然だ。

怠惰なくせに、他人の「頭の良さ」には敏感で、嫉妬深い。「努力など無意味」「恵まれているのは一部の天才だけ」と安易なニヒリズムに陥っている。僕らは、手に負えない、救うに値しない矮小な獣に育てられた。
だから、灰色の学校を抜け出して、映画を見る必要があった。暗闇で、得たいの知れないものたちに対峙する必要があった。
曇りのない本当の答えは、汗と泥の中に埋もれていたんだ。
僕は、何度でも思い出す。無限に映画を見る。見ては疑い、疑っては探す。世界を美しくしているメカニズムを、裸眼で直視するために。

(C)1980 TOHO CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED.

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2017年4月24日 (月)

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アニメ業界ウォッチング第32回:“自分の創作の原点に立ち返りたい”――いま、山本寛監督が「薄暮」をつくる理由
T640_726752孤立無援、徒手空拳でありながらも、決して絶望はしない山本寛監督。今回はクラウドファンディング企画『薄暮』の話ですが、僕自身も震災後に救援物資の搬送や現地の方への取材を行い、あげく『マイマイ新子と千年の魔法』の上映会まで開催してしまった福島県いわき市が舞台……と聞いて、「これは取材させていただくしかない」と、3年ぶりに連絡をとりました。
記事掲載後、支援額が1,300万円を超えました。取材した時点では、700万円でした。この数字の伸びは、「物言わぬ支持者」の存在を示唆していると思うのですよ。


昨日は、17日から一週間にわたって開催されてきた『三鷹在住の漫画家 宮尾岳 複製原画展』の最終日でした。
14時からサイン会で、宮尾先生と約束した13時に三鷹コラルに行くと、すでに閲覧用のファイルにセル画を整理されているところでした。「セロテープと貼っても剥がせるテープがあればなあ……」とおっしゃるので、コラル三階まで買いに走りました。

あとは、『アオバ自転車店へようこそ!』最新刊の表紙に書かれている自転車のオーナーさDscn3883んが、コレクションを二台も持ち込んでくださり、コラルの方が周囲にチェーンを設置するのを手伝ったり……。
そうこうするうち、サイン会を主催する啓文堂書店さんがお客さんを整列させるためのテープを床に貼ったり、ネームを記したノートを設営したり、サインをするのに疲れないような当て木を用意したり、飲み物とコップを並べたり……と、プロの仕事を見せてくれました。
人員整理は僕がやらないといけないのかと思い込んでいたので、整理券順にお客さんを呼ぶ段取りの見事さに、安堵感をおぼえました。


もうひとつ、「展示しなかった複製原画をプレゼントにしよう」と提案したら、宮尾先生がDscn3951ご自分でジャンケン大会を始めたこと。これも、僕が「自分でやらないとダメかな」と思っていたので、先生のコミュニケーション能力の高さに、感服させられたのでした。
サイン会では、少年画報社の方たちがサポートについていたので、僕は写真を撮りながら、ブラブラしていられました。
こんな風にして、さまざまな方面からプロが集まって、何十人というお客さんの集まった会場を取り仕切って、誰もが不愉快な思いをすることなく、笑顔で晴れた日曜日を楽しむことが出来たのです。

一時間半後にサイン会が終わると、関係者の皆さんは4階の飲食店街の「柏や」さんで、休んでいました。僕は席がなかったので、いちど帰宅して、18時からの撤収作業へ向かいました。
そのとき、展示会のデザインと施工を担当してくれた「もくきんど工芸」の方が、「お疲れさま」と笑顔で肩を叩いてくださいました。その瞬間、「自分の仕事を、ちゃんと終えることができた」と実感して、一年ほどかかった準備の日々を想起しました。


お客さんとして訪れてくれたレナト・リベラ・ルスカさんが、僕が取材をうけた番組(J:COMチャンネルの「デイリーニュース 武蔵野三鷹」)の画面を、撮影してくれました。
Camw_vyaal_p9この取材の日は、たまたま宮尾先生が三鷹にいなかったので、やむなく僕が対応しました。地元だからこそ、フリーランスだからこそ発揮できる機動力です。
そもそもの発端は、三鷹駅前でアニメやマンガのイベントをできないか?と、地元の市議会議員に相談したことでした。その日、議員は三鷹コラル商店会の理事とアポをとっていて、引き合わせてくださったのでした。

何度か打ち合わせするうち、宮尾岳先生の名前を僕から出して、「連絡をとってみましょうか?」と提案しました。それが、一年ぐらい前です。先生とお会いするうち、イメージキャラクターや原画展の話が持ち上がり、少年画報社に連絡して、先方へ打ち合わせに行ったら、地元側から「そんなに性急に事を進めないでほしい」と、ストップがかかりました。
地元側の体制を固める間、半年ぐらいブランクがあったと思います。「予算が確保できそうなので、地元向けの企画書を書いてほしい」というオーダーがあり、そこから再始動です。


宮尾先生と少年画報社の担当者と再会し、「三鷹のことを描いた『アオバ自転車店へようこそ!』特別篇を描きましょう」「これから描くとなると、ちょうど開催時期に掲載誌が発売されますから」という話がまとまり、ネームを送っていただき、どれぐらいのボリュームの展示会になるか考えます。
三鷹コラルさんは「20枚は展示できる」と言います。僕としては、モノクロ原画だけでなく、カラー原画も展示したい。コラルさんは「三鷹の風景を描いた絵なら、写真と対比させたい」とおっしゃいます。では、写真はいつ誰が撮るのか、検討します。
カラー原画については少年画報社さんに相談し、複製原画を受けとりに行く日時も決めます。

どんどん時間がなくなっていくので、デザインをしてくださる「もくきんど工芸」さんとお会いして、少ない時間と労力でベストな形になるよう、図面を見ながら仕様を決めます。誰に何を見せたいかでデザインが決まるので、余計を要素を落として、どんどん決断していきます。
その翌日、宮尾先生とお会いして完成原稿のPDFを見ながら、16枚の原画と4枚のカラー原画を選び、それぞれ解説をお聞きして、すべてのコメントを録音します。

帰宅してすぐ、録音データを聞きながら、展示する原画に合わせて書き起こしていきます。宮尾先生からお借りしたロケハン写真があるので、それも原画と対応させてラフを作成します。いつも、本業でやっていることなので、要領はつかんでいます。その日の夜、宮尾先生に原稿を読んでいただき、赤字を反映させた完成テキストを「もくきんど工芸」さんに送り、パネルを作っていただきます。
Dscn3721_257316日夜、設営作業に立ち会いました。
しかし、パネルが出来るまでの間、送信した画像データの確認だとか、新たに加える要素はないのか等、ひっきりなしにやりとりが続きます。設営時には、写真があるパネルを2Fに、それ以外は4Fに貼るよう、お願いしました。人通りの多いところに三鷹の写真を貼ったほうが、地元の方の興味を呼べるからです。
……こうして思いかえすと、中学や高校で熱心に取り組んでいた文化祭に似ているのかも知れません。

僕自身は、何か創作できるわけではありません。だからこそ、創作できる方に、強いリスペクトを感じるのです。その気持ちが、原動力になっているのではないでしょうか。
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2017年4月17日 (月)

■0417■

Febri Vol.41 明日発売
10437175a●Febri Art Style
今回は『リトルウィッチアカデミア』の美術監督、野村正信さんにインタビューしました。
美術ボードだけでなく、初期のコンセプト・アートも掲載させていただきました。


いくつかの原稿、宮尾岳先生の原画展準備、どちらも一段落したので、新宿ピカデリーで『ゴースト・イン・ザ・シェル』。
640_2士郎正宗さんの『攻殻機動隊』の映画化ではなくて、押井守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の実写化。ラストには、川井憲次さんのあのテーマ曲が流れるので、オマージュとか、そういうレベルではない。

クゼというキャラクターが出てくるけど、『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』は関係ない。人形使いの立場を占めるオリジナル・キャラクターが、たまたまクゼって名前なだけ。(素子と出自が近いという点では、確かにクゼなんだけど……果たして、そこまで考えてるのかな?)

アクション・シーンのカット割りばかりか、ビルの谷間から見上げる飛行機のシルエットなんていう、押井監督オリジナルのレイアウトを丁寧にコピーして何がしたかったのかというと、ようするに「95年の『GHOST IN THE SHELL』のクールなアクションは絵に過ぎなかったけど、あれは俳優とCGを使った実写映画として残すべきだよね」程度の動機だと思う。
2D作画の日本のアニメは、しょせんはマイナーであって、「カートゥーンのくせに暴力や裸が出てくるなんてクールだよな」という受け方をしているのであって、電脳空間に流れる情報の海から生命が生まれるなんて文学パートは、やっぱり見てなかったんだなあ……と、ちょっと苦笑してしまった。

原作や劇場アニメのドラマツルギーは継承されてなくて、「私の身体は機械かも知れないけど、心は人間」みたいなモノローグが入って、公安9課の戦いはまだまだ終わらない!という頭の悪いポジティブなラストは、ちゃんとハリウッド娯楽映画になってるじゃん?と、それほど悪い気持ちはしなかった。


士郎正宗さんの『攻殻機動隊』は、電脳化や義体化を積極的に受け入れる楽観さがあって、ドラッグやセックスの描写に嫌悪感をおぼえつつも、「とても尖った価値観だな」と圧倒されもした。
続編の『攻殻機動隊2』は、突き抜けた楽観性が、より加速しているような気がした。なりふり構わぬ快楽至上主義が、芸術的なまでに下世話なエロを追求した『PIECES』に繋がっていくんだろう。 

電脳とか義体というアイデアは30年前のものなんだけど、その設定を使って人間が際限なく快楽を求めたり、無限の利便性に甘えきる泥沼のようなパラダイスを描いたから、いまだに『攻殻機動隊』は新しい。というより、誰も『攻殻機動隊』の価値観を刷新していないというだけの話。
いつもいつも、映像作品では「機械の身体より生身のほうが尊いに決まっている」「テクノロジーの発達に振り回されてはいけないのだ」という保守的なヒューマニズムに陥ってしまい、今回の『ゴースト・イン・ザ・シェル』も同じであった。
プロデューサーのひとり、マイケル・コスティガンは、あのハードコアな『悪の法則』を製作しているんだけど、今回は発言権が弱かったのかな。

アニメはともかく、日本のマンガって、おそろしく先鋭的なんだと思い知らされた。それを実感できただけでも、新宿ピカデリーに行った価値はあった。
(C)MMXVI Paramount Pictures and Storyteller Distribution Co. All rights Reserved.

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2017年4月15日 (土)

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4/17(月)~4/23(日) 宮尾岳 複製原画展 開催!

17796561_1940561366172667_6280010_2 「ミタカ・クリエイターズ・エキスポ 2017春」として、三鷹在住の宮尾岳先生の複製原画展を開催します。場所はJR三鷹駅南口すぐ、三鷹コラル()です。2Fと4Fに、計20枚の複製原画(『アオバ自転車店へようこそ!』最新話数)を展示します。それぞれの原画には、宮尾先生の解説コメントがつきます。
入場無料。

また、23日(日)の14時から、宮尾先生のサイン会を2Fロビーにて開催します。整理券は、3Fの啓文堂書店さんにて配布中!
原画展では、宮尾先生のデザインした「三鷹コラルのイメージキャラクター」も初公開します。


シン・ゴジラWalker 完全形態 発売中
一冊目がとても売れたそうなので、二冊目にもコラムを書いています。
映画『いまを生きる』のラストシーンから、話を始めています。

【懐かしアニメ回顧録第29回】セルと3DCGとの共存は可能なのか? OVA「青の6号」が混沌のすえに獲得したテーマとは?
『青の6号』後半は、海に住む異界のクリーチャーたちとの共存がテーマとして浮上していきますが、それは3DCGという異物を抱えながら制作していたがゆえに表出したのではないか、という論旨です。異質な制作状況が、逆にテーマを絞り込んでいくこともあるのではないか、と思います。
それは『青の6号』を好きとか嫌いとかいう次元の話ではなく、この時代、この作品に固有の価値です。どんな作品にも、必ず固有の価値があります。それを発見し、伝えられる人間になりたいと思っています。


レンタルで、韓国映画『オールド・ボーイ』 。
Oldboyhammer旅先に持っていった本に、カット単位で演出を詳述してあったので、気になっていた。その本には映画の「あらすじ」はラストまで記してあったが、それでスポイルされるものなど何もない。「どのような手段で語っているか」に集中して観ることができた。それぐらい、明示的・暗示的な「意図」が散りばめられた映画。

復讐鬼となった主人公が、あちこちに敵の手がかりを求め歩く。彼の背後で、ドアが開く。ドアに付けられたベルが「チリン」と鳴る。直後、自転車のハンドルに付けられたベルが「チリン」と鳴るショットが、インサートされる。
それを合図に、回想シーンが始まる。少女が自転車に乗って、校庭を走っている。まだ中学生の主人公が、鉄棒にまたがって、彼女を見ている。彼は、鉄棒に逆さにぶらさがる。上下が逆になった絵で、校庭を走る少女の姿が見える。


このような美しい反復が、あちこちで繰り返される。なので、「あらすじ」は反復の中に埋もれて、見えづらくなっている。「あらすじ」は、いくつもの反復を着火させるための導火線でしかない。
反復の中に、小さなドラマが線香花火のように、咲いては散っていく。その演出効果をひとつひとつ記していったら、確かに一冊の本になってしまう。

『オールド・ボーイ』はカンヌ国際映画祭で、審査員特別グランプリを受賞した。特に、タランティーノが絶賛した。タランティーノが好んだことが、ひとつのバロメーターになる。ほとんどの映画は、自分が映画であることに無自覚だけど、彼の愛する映画は観られることを意識している。どのように映画文化の中に受容されたいのか、自覚している映画が多いように思う。
タランティーノは、やたら映画ランキングをつけたがるので、彼の好みをガイドラインに観ていくのも面白いかもしれない。

(C)2003 SHOW EAST

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2017年3月30日 (木)

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神山健治Walker 発売中
C8dlinlvsaa3svu神山健治監督、美術監督の竹田悠介さん、大野広司さんのインタビューを担当しました。
竹田さんは『攻殻機動隊S.A.C.』シリーズや『東のエデン』の美術監督、大野さんは神山監督がキャリアをスタートさせたスタジオ美峰の方ですから、必然的に過去作の話が多くなります。

バランスをとるため、神山監督ご本人には『ひるね姫』の話題だけをお聞きしました。
本全体としては、過去作の美術ボードなども豊富に掲載した、資料性の高いものになっています。


レンタルで、1979年のイギリス映画『さらば青春の光』。原題は“Quadrophenia”で、「四重人格」という意味。この頃の邦題のタイトリングは、本当にセンスがよかった。
Original内容は、モッズと呼ばれるファッションに身をかためた青年の無軌道な生活を、これといった筋立てもなく、アバウトに描いている。モッズはロッカーズと対立しており、後半は彼らとの抗争がメインとなる。
主人公たちの衣装が、とにかくカッコいい。ヌードピンナップを切り抜いて壁に貼っていたり、食堂で食べるランチにいたるまで、いちいち決まっている。ちょっと白々しいぐらいディテールを強調しているな……と思ったら、モッズが流行したのは1960年代の中ごろまでで、実は十年以上前のちょっと懐かしい風俗を描いた映画なのだと分かった。


すこし調べてみたら、この映画は38年ぶりに続編が製作中なのだという。
その話は、いささか唐突に聞こえる。というのも、この映画は線で結ぶことができないから。ある時代の、局所的な風俗を描くためだけの映画で、いま観てもそれ以外の価値は感じられない。だけど、僕はこの映画のおかげで、ドラッグや音楽と絡みあったモッズというカルチャーを知ることができた。というより、この映画を観なければ、知ることはなかった。映画には、そういう役割もあると思う。

1979年は『エイリアン』や『スーパーマン』、『Mr.Boo! インベーダー作戦』『マッドマックス』などの話題作が国内公開された年だ。邦画も『戦国自衛隊』や『太陽を盗んだ男』など、活気を取りもどしていた。ついでに言うと、アニメ映画もブームを迎えていた。
だけど、そういう華やかな部分だけで映画を語るのとは、別の視点も持たないといけない。一本の映画に、特殊な文化が濃縮的に記録されていることがある。「面白い/つまらない」「ヒットした/コケた」だけで映画を観ていると、そうした価値に気づかないまま人生が終わってしまう。


旅行用の下着やTシャツを買ってきて、ようやく荷物をまとめはじめた。昨年のアルゼンチン行きで買ったサンダルも、洗って干してある。
いまひとつ準備不足なんだけど、ケアンズは日本語の通じる(らしい)旅行地なので、困ることはないだろう。今までの旅行の中では、最も近い海外だ。

【追記】『さらば青春の光』という邦題は、モッズというライフスタイルがあまりに局所的なので、日本の観客の視線を「誰にでもある青春の一時期」に誘導するための苦肉の策だったのだろう。
“Quadrophenia”という原題は、ザ・フーを知らないと、いったい何のことだが分からない。だが、その普遍性の欠如にこそ、「忘れられた時代を切り取る」意味があったんじゃないかな……。

(C)1979 Who Films,Inc. All Rights Reserved.

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2017年3月26日 (日)

■0326■

アニメ業界ウォッチング第31回:アニメの原画に触れられる“ササユリカフェ”オーナー、舘野仁美さんの語る動画人生
T640_724880舘野さんのお名前を知ったのは、ドキュメンタリー『「もののけ姫」はこうして生まれた』でした。
ササユリカフェで吉田健一さんの個展へ行った後だったと思いますが、経営者が舘野さんだと知って、それから単行本『エンピツ戦記』を読んで、とにかく、ずっと気になる存在でした。
動画チェックの方にインタビューする機会は少ないので、スタジオジブリ時代についても、語っていただきました。

モデルグラフィックス 5月号 発売中
1475283_p●組まず語り症候群 第53夜
来月発売になるバンダイの「ハコルーム くまのがっこう」のテストショットをお借りして、ランナーとパッケージだけの先行レビューのような内容になりました。
「ハコルーム」は担当編集の推しが強く、僕も「プラモデルではないけど、プラモデルと同じ商品形態をもった製品」には興味をもっていました。媒体は違いますが、「ハコルーム」担当者にもインタビューさせていただきました。来月、掲載されます。


レンタルで、ヒッチコック監督の『サイコ』。
「なんで今ごろ?」と思われるかも知れないが、いま読んでいる映画演出の本に、何度となく出てくるタイトルなので、さすがに頭からちゃんと観なくては……と、焦った。
Original僕が生まれるより7年前の映画なので、特殊メイクはあっさりしている。しかし、「古い」と感じるところはそれぐらいで、モノクロ撮影で血を流す方法が数種類ほど存在していたとか、車を沼に沈めるために撮影用プールの中に装置を組んだとか、階段から落ちるシーンで俳優と背景を別々に撮って合成したとか、メイキングを見ると、むしろ少し未来の話を聞いているように錯覚してしまう。
1960年は劇映画の誕生から半世紀以上が経過しており、飽和するぐらいに劇映画の撮影技術が発達していたということ。

たとえば、僕らは4DXだとかMX4Dだとか聞くと、それこそが最高の映画体験だと思いこんでしまうが、それはやっぱり傲慢なんだよ。サイレント時代に『イントレランス』のような、現在では撮影不可能なスペクタクル大作があったことを、忘れてはいけない。
悪いけど、「4DXで観ないと、本当に観たことにならない」と自慢されると、原始人と話しているような感覚になってしまう。映画館の設備が貧弱でも観客を引き込む、記憶に残すのが映画の「質」だと思う。その「質」は、刷新されることはあっても、古くなって無価値になるようなものではない。


ちょうどよい機会なので、映画評論について、僕がもっとも納得させられた文章()を、以下に転載しておく。

「国、社会、人、経済、政治、全ての要素の鱗片が必ず映画の背後にはある。
それは人間の手によって映画が作られている限り、絶対に変わりが無い。

それを解き明かすのが映画評論であり、解き明かした結果を発表し後世への文化的財産とするのが映画評論家の役目なのである。」

「個々の映画の持つ意味を明かさずして、如何様にして映画を評論することが出来ようか。
それは評論では無く、感想だ。

面白い/つまらない、という言葉は評論としては無意味であって、主観的な感想である。
経済評論家を名乗る人間が、株のチャートを見て、嬉しい/困った、と呟いているのと一緒である。」

「映画評価家とは映画に点数をつける人、映画を褒めたり貶したりする人、と思っている人が多いうえに、映画評論業界内にも分かってない人がいる。

大学の教授は講義をする人ではなくて、研究をする人なのである。
それと同じで、映画評論家は映画を評価する人では無く、映画を解析する人なのである。」

(C) 1960 Shamley Productions, Inc. Renewed 1988 by Universal City Studios, Inc. All Rights Reserved.

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2017年3月20日 (月)

■0320■

劇場アニメの新時代  明日発売
71ishv3dxml_ac_ul320_sr228320_●「画が演技をするということ」 アニメーター/作画監督 安藤雅司の仕事
『千と千尋の神隠し』、『君の名は。』のムックでもお話をうかがった安藤雅司さんに、三度目のインタビューを行いました。
編集部からの依頼で、「アニメと実写の両方を知っている方に」とのことでしたが、よくぞ安藤さんに取材依頼したし、よくぞ僕に回してくれたと思います。

安藤さんは優れた表現者であると同時に、優秀な鑑賞者でもあります。インタビュー中、『この世界の片隅に』を評価していますが、おそらくこのような誉め方は、どのレビュアーも評論家も、していないと思います。
キャラクターデザインはよく話題になるし、絵がリアルだ、絵に説得力があるという誉められ方をされても、作画という工程に評価が及ぶことは皆無といってもいいぐらいです。

僕は「実写以上にリアルだ」なんて無責任な言い方をしたくありませんから、安藤さんの貴重な発言をまとめることが出来て、とても勉強になりました。たいへん有意義なインタビューになりましたので、必ず読んでください。


「アニメ映画」といっても、最近ではテレビ放送されたもの、テレビ放送前提でつくられたアニメもイベント上映されています。果たして、「映画館で上映されたんだから、すべて映画なのだ」とくくってしまっていいのでしょうか? そんな簡単な話なんでしょうか?
たぶん、アニメが「質的に」映画となる条件なり定義なりが、必要なはずなんです。

押井守監督の発言を振り返ると、劇場デビュー作の『うる星やつら オンリー・ユー』を「大きなテレビにすぎない」と反省しています。併映は相米慎二監督の『ションベン・ライダー』でしたが、そっちの方が好き勝手にやっている。
それで、第二作の『ビューティフル・ドリーマー』がどうなったかというと、おそらく『オンリー・ユー』より「映画っぽい」と感じる人が多いのではないでしょうか。

アニメが「質的に」映画である……という定義を考えるとき、いつも押井監督の「大きなテレビ」という言葉が、脳裏をよぎります。
人気のあるキャラクターたちをまんべんなく出して、笑いも涙も盛り込んで、新しい挿入歌もふんだんに入れたけど、それゆえに「大きなテレビ」にしかなっていない。
(いま、その「大きなテレビ」を「劇場版」として公開したら、「これこそ映画の王道だ」と歓迎されかねませんけどね……そういう雰囲気は、ちょくちょく感じます)

「大きなテレビ」ではなく、アニメが「質的に」映画になっているとするなら、「何が」映画たらしめているのか、関心をもっていなくてはなりません。


写実的なキャラクターデザインなら、実写映画に近づくんでしょうか? 現地にロケハンして、実在の場所を背景に描けば、それで現実感のあるアニメになるんでしょうか?
『王立宇宙軍 オネアミスの翼』が公開されたとき、僕は日芸映画学科に在籍していましたが、「あそこまで細かく描くなら、実写でいいじゃないか」と言った学生がいました。『王立宇宙軍』を忠実に実写で再現したら、より完璧な映画になるんでしょうか。アニメは「実写映画に到達すべき、未完成な何か」なのでしょうか?

「絵なのに、リアルだ」という誉められ方をしていると、僕は「うん?」と首をかしげてしまうのです。そう言いたくなる気持ちは分かるけど、言葉が足りてない。
「絵でないと感じられない存在感」を出すため、何かやっているはずなんですよ。3DCGで立体的になったからリアルだとか、その手の認識から抜け出ないといけない。

それには、実写映画もアニメも、熱心にいっぱい観ている人たちが必要なんですよ。
映画とアニメは何が違うのか、なぜアニメが映画になりうるのか。面倒だけど、面白いじゃないですか。今、それを考えるチャンスが来てると思います。

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2017年3月19日 (日)

■0319■

ホビー業界インサイド第21回:あまりに広大で自由な「ゲームズワークショップ」の高密度なミニチュアと世界観に、ホビー業界の沃野を見た!
C7k0fd0vsaay_rwモデルグラフィックス誌の連載、「組まず語り症候群」でミニチュアを取り上げさせていただいて以来、ちょくちょく客としてうかがっていたゲームズワークショップさんへ、ついに取材を申し込みました。
あの壮絶な成型のランナー写真を掲載したのは2014年12月ですから、遅すぎるようなしつこいような、不思議なタイミングでの取材となりました。


すっかり巨匠監督となったチャン・イーモウの2000年の作品、『至福のとき』をレンタルで。
冒頭、白髪の混じった冴えない男と太った中年女性が、お見合いしている。男は、結婚を焦っているが、女には離婚した元夫との間に、子供が2人もいるという。女の家に行くと、たしかに丸々と太った男の子がいる。
Shifukunotoki老けた男と太った母子、こんなパッとしない人たちの映画なのか……とウンザリしはじめた矢先、家の奥に、スラリとした背格好の少女が座っているのに気づかされる。静かに座っている姿を、背中から美しく撮っている。その、凛とした佇まいに、思わずハッとさせられる。
少女は、目が見えない。父親は、少女を置いて失踪してしまった。なので、母親がわりの女は少女を家から追い出して、どこかで働かせたいと愚痴る。それを聞いた男は、目の見えない少女なら簡単に騙せるだろうと、ニセの職場をつくる。

察しのいい観客なら早々と読めてしまうと思うが、男は少女を騙しているうち、彼女を娘のように大切にしていく。少女は騙されていると気づきながらも、不器用な彼を慕っていく。
この甘酸っぱいウソは、いずれバレる。その、ウソの滞空時間に漂う心地よさを、ひたすら堪能する映画だ。


新人の美少女俳優の発掘に長けたチャン・イーモウ監督は、美醜に容赦がない。最初に冴えない中年男と太った女性を同じフレームに押し込め、さらに太った子供を出して画面をギュウギュウに暑苦しくしておいてから、きれいに痩せた少女を出す。
その外見の対比は残酷といってもいいぐらい極端だが、そうでもしなければ、幸薄い少女の美しさが引き立たない。

また、「中年男が盲目の少女を密室で働かせる」設定には、どこか性的な淫靡なムードが入り込みそうなものだが、それについても、先手が打たれている。
金策に困った男は、同僚からの提案で、小さなラブホテルのような施設をつくる。密室にベッドだけ置かれた部屋を、カップルに貸し出すのだ。
当初、男はその部屋で少女を働かせようとするが、部屋は目の前で撤去されてしまう――つまり、性的なムードをもった舞台を、物理的に排除しているわけだ。
それなら、もう映画に性的な関係を持ち込む必要はない。必要はないのだが、少女の下着姿は頻繁に登場するので、海面下でセクシャルな要素は持続している。

プロット上では、性的な要素をしっかり排除している。だが、ビジュアル面では少女の下着姿を隠さない。この二律背反が、映画に力を与えていることは、間違いない。
そして、論理と情動との両方を機能させる作家を、体の芯から尊敬する。そうした作家の才覚に気づける、優れた観客でありたいと努めている。

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2017年3月17日 (金)

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EX大衆 4月号 発売中
Ex_taishu●機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 傑作の理由
モノクロ、4ページの特集記事です。
飯田一史さんにインタビューし、現代社会と『オルフェンズ』を比較した評論記事として掲載しました。
この仕事は、すでに原稿と取材を複数かかえている時期に割り込んできたので、シメキリから逆算して、構成可能な内容を割り出して、その範囲内でやります。
画像はバンダイビジュアルさんから借りられるので、「第○話のあのシーン」だとか面倒な指定はせず、公式サイトにある画像をピックアップしてお願いすれば、そのものズバリの画像が送られてきます。

相手(編集、デザイナー、関係各位)みんなが、なるべく手短に段取りできる方法だけで切り抜けようと努めれば、自分も無理なく仕事を進められるはずです。
「時間がない」と騒ぐ人は、余計な段取りを増やしすぎなんです。


レンタルで、『シークレット・アイズ』。
Main_large娘を殺された女性捜査官ジェシカ、美しい女性検事補クレアのあいだで揺れ動く、男性FBI捜査官レスの姿を描く。
あえてこのような書き方をしたのは、レスが明らかにジェシカへの友情とクレアへの愛情の両方に翻弄されていると分かるシーンがあるからだ。

まず、レスはジェシカの娘を殺したとおぼしき容疑者を尾行し、彼を取り押さえる。しかし、その場に現れたジェシカは「彼は容疑者ではない」と言い張り、レスに悪態をついて立ち去る。そのシーンは、腑に落ちない表情のレスのアップで終わっている。
手詰まりになったレスは、クレアの家へ行く。そのシーンも、レスのアップで始まっている。同じ人物のアップとアップをつなぐと、シーンのつながりは不自然になる。だが、ここではジェシカのために働いたのに彼女に悪態をつかれたレス、困り果ててクレアの家に行くしかなかったレス、彼の心の両面を描かなくてはならない。
よって、アップとアップでつなぎ、観客の注意を喚起する必要がある。事態に翻弄されるレスの気持ちを途切れなく描くには、レスのアップのみでシーンをつなぐのが、もっとも有効ではないだろうか。
レスは、打つべき手がなくなり、立ち尽くしている。その彼の前を、ジェシカが通り過ぎてフレーム・アウトする。つづくカットで、やはり立ち尽くしているレスの向こうに、風景の一部から、クレアが静かに現れる。上手い。完璧に整合している。カットと構図が、ドラマを生み出している。

こうした細部の語り口に、監督の知性や慎重さが端的に現れるのだと思う。


ほかにも、エレベータの中で、セスとクレア、ジェシカの3人が話し合うシーンも印象的だ。エレベータの中は鏡張りなので、3人の姿は右にも左にも、別々の角度から映し出される。
このシーンで、セスは容疑者の少年を「自分たちの手で、殺してしまおう」と提案する。法に準じて行動する彼らにとっては、あまりに重大な決断だ。その迷いを描くには、鏡なり密室なりの仕掛けが必要なのだと思う。
さもなければ、「泣き叫ぶ」「怒鳴りあう」ことが、もっとも強く感情を描く手法になってしまう。

『シークレット・アイズ』で、もっとも唸らされた芝居は、容疑者の少年にブラウスの胸元をのぞかれたニコール・キッドマン演じるクレアが、怒りをおさえた丁寧な言い回しで、少年を性的に侮辱するシーンだ。
演技も素晴らしいのだが、セリフの内容が「事実」を逆手にとった皮肉であって、無根拠に下品な言葉を羅列していないところに着目すべきだ。
強い「思い」の発生源は、つねに冷徹なほどの「事実」なのだと思う。「事実」を見失うと、人間はことごとく堕落する。作品も同じだ。


もう一本、友人に薦められた『ラブ・アゲイン』も観たが、僕向きの映画ではなかった。
努力や才能よりも、「何に拠って立つ」のか、それによって人生の質だとか、力だとかが左右されるような気がする。

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2017年3月12日 (日)

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【懐かしアニメ回顧録第28回】メカニックの“呼び分け”によって生じる「機動戦士ガンダム」の多面的リアリズム
C6mxe32uwai2g7lCS放送で『機動戦士ガンダム』を見ているうち、なぜ“やられメカ”の名前を律儀にセリフに組み込んでいるのか気になり、第一話を中心に「メカがどう呼ばれているのか」、軽く整理してみました。
この手の話では、リアリティを感じさせるために「RX-78-2」などと表記した時点で、悪手となります。番組がオンエアされる瞬間まで、モビルスーツという単語すら、誰も聞いたことがなかったはずです。

富野由悠季監督はファンから「御大」などと祭り上げられ、ガンプラは新しいブランドが出るたび、それが最新の「リアルな」「メカニックとしての」回答である……という反復に陥っています。
「ガンダムはリアルだからリアルなんだ」と繰り返す、怠惰で不毛な状態が、ここ20年ぐらいは続いているのではないでしょうか。

セルとポスターカラーで描かれた世界に、確かな存在感をおぼえたはずです。その生の感覚を、「みんなが理解しやすい形にまとめてしまおう」とする動きは、とてもつまらない。おそろしいとすら感じます。お台場に設置されていた1/1ガンダム、あれが答えのわけがないでしょう。だからわざわざ、第一話まで戻ってみたんです。

本日は、午後から三鷹市主催の「戦跡を訪ねるフィールドワーク講座」に参加。
三鷹コミュニティシネマ映画祭のとき、漠然と聞いていた企画だが、同映画祭で『アリーテ姫』『マイマイ新子と千年の魔法』の上映、片渕須直監督のトークイベント()を企画したドカン隊長から教えられて、応募した(残念ながら、ドカン隊長は抽選から漏れてしまった)。
どこか『この世界の片隅に』の感覚を引きずったまま、三鷹市内の大沢コミュニティセンターへ向かった。

フィールドワークは、調布飛行場を守るための高射砲跡。
Dscn2376_1540四つの高射砲台座跡は、今ではなんと保育園の敷地内にある。
現地の方の説明が、すごかった。まるで目の前で戦場が展開されているかのような言い方で、「あの林の陰からグラマンが低空で飛んでくるでしょ? もう間に合わないですよ」と、今でも残る林を指さす。
「後ろからは、味方の高射砲の撃った弾丸が空中で破裂して、その破片が、ここら辺にバラバラと降ってくるわけです。たまったものじゃないですね」とお笑いになる。

目の前に広がる風景に、まるでVRで戦闘機や高射砲が重ねられたような、異様な臨場感があった。距離感が生々しいんだ。
もちろん、『この世界の片隅に』の映像が頭の中で反復されたことは言うまでもない。現実の光景を想像するのに、アニメの記憶を援用するという倒錯。しかし、あの映画にはそれぐらいの説得力があったし、僕はフィクションを使わないと、現実にアクセスしづらい。


もうひとつの目玉は、公園内に二基のみ残っている“掩体壕”。
Dscn2394_1558これは本土決戦に備えて、航空機を隠しておくために造られた緊急の壕である。特別に、内部に入ることが出来た。
ここに隠されていたのが、タミヤからプラモデルが発売されて間もない飛燕であったという。現地には、1/10スケールの模型もあった。
ここでもやはり、僕はプラモデルというホビーを介して、現実との接点を見つける。それはやはり、ちょっと恥ずべきことなのだろう。

参加者の半分ぐらいは、70代の男性だったと思う。
言葉づかいがハキハキしていて、間違ったことを言ったら「申し訳ありません」と笑顔で頭を下げられる70代は、向上心を失わず、自己鍛錬してきた人なのだろうと想像する。年齢と品位は反比例する。それに抗う生き方を、目の前にした。
実は、そのことに最も教えられた、日曜日の午後だった。明日からは、また取材と原稿の日々が始まる。

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