2020年7月25日 (土)

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「ベターマン」では、“身動きのとれないキャラクター”が世界の秘密を握っている?【懐かしアニメ回顧録第68回】(
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割といつも気にしている、「自由に動き回れない人物に感情移入してしまう」現象について書いています。

このコラムでは第1話についてだけ書きましたが、超人モノというか超常現象アニメ『ベターマン』は面白いです。1999年ごろは、まだまだ『エヴァ』ブームの余熱が冷めていなくて、作家性・企画性の強い自由奔放なアニメが、それなりの予算とスケジュールでつくられていた時代。90年代はシャープな線のシンプルなキャラが多くて、枚数が少なくてもそれなりに動きが映えるところもいい。
「スペシャルコンセプター」「造形師」など、今ひとつ役割の分からないスタッフもいて、豊かな時代だったと思う。06年ごろからソフトの売り上げが落ちて、失敗しないよう慎重な企画が増えてしまった。
90年代後半については、今後どんどん取材して、ゆっくりと検証したい。


さいきん観た映画は、DVDレンタルではパトリス・ルコント監督『列車に乗った男』、大学時代に授業で観た『宗方姉妹』など。
しかし、若松孝二監督が低予算で自主的に撮った『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』、アマゾンプライムで見はじめたら、あまりの迫力に度肝を抜かれた。
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男優・女優ともルックスの整った人を揃えており、「ハイ、ここは悲壮なシーンですよ」「ほら、このシーンは残酷でしょう?」と認識しやすい音楽の入れ方をしているのだが、どこかでフッと撮影現場の荒々しさ、俳優の生身が覗いてしまう瞬間があった。訓練されているはずの機動隊員が、雪原でずっこけたりするのだが、それがリアリティにつながっているのだ。
一方で、山荘で人質になる管理人の奥さんを奥貫薫が演じており、無用なお色気を発散しているのが気になる……これでは、普通の商業映画じゃないかと思う。
しかし、だからこそ、同じようにルックス重視で抜擢されたにキャストに違いない坂井真紀の演じる赤軍メンバーが、自分で顔を殴るよう強要され、ボコボコに腫れ上がった自分の顔面を鏡で見て慟哭するシーンの凄みが出る。

ルックスが武器であるはずの女優が連合赤軍のメンバーを演じるのは、映画を社会にスムースに流通させて、より多くの観客とコミュニケーションするための方便でしかない。「皆さんご存知の坂井真紀さんが出演してますよ、これはただの演技ですよ」と、商品的なインターフェースを整えるわけだ。
ところが、坂井の演じる役は「化粧をしている」「髪を伸ばしている」「オシャレをしている」と責められ、「二度と男に色目をつかえないよう、目もちゃんと殴れ」と命じられて、まぶたが腫れるぐらい顔が変形してしまう。
劇の内部において、女優という職業を、売りであるはずの顔面を、文字どおり「潰して」いるのだ。坂井の泣き方が痛切で、このシーンには戦慄した。


坂井の演じるメンバーを「オシャレを捨てられない」と責め立てる永田洋子に、ちゃんと男性の恋人がいるのには驚いた。
自分と同時代を生きていた若者たちが政治的理由から仲間殺しをした連合赤軍事件の異常性に興味がわいて、この映画を観たわけだが……なんだか、Twitterでのハッシュタグによる稚拙な政権批判、ツイフェミと呼ばれている人たちの男性への憎悪ツイート、同性への「男に媚びてる」などの批判ツイートを想起してしまう。ようするに彼らは、理不尽に暴力的なんだよ。

よく知っているはずの人が、唐突に「検察庁法改正案に抗議します」なんてハッシュタグを使いだした時は、怖かった。政治的だからではなく、その唐突感、理不尽さが。
赤軍派は「総括」などという誤魔化しの、いかにも政治っぽい頭の良さそうな難解な用語で、日常のさまつな苛立ちを解消しようとした。あの時代の「革命」がいま、「反アベ」に入れ替わったに過ぎないのではないか? 安倍総理はそのうち辞めるか死ぬかするだろうけど、そうしたらまた別の何かにブチ切れるんでしょ?

日常がつまらない、人生がうまくいかない。家庭環境に問題があった、学校でいじめられていた……結局、ネットに臓物のようにブチまけた罵詈雑言、不平不満は自分が直面してきた私的な問題が発生源だ。どうすれば楽しくなるのか、幸せになれるのか、それはやっぱり自分で工夫しなければ良くならない。自分の内部から目をそむけているから、暴走する政治が悪い、男たちの性的消費が悪い等、解決しようのない漠然とした理由を外部から接木していくハメに陥る。
彼らは、よく「ヘルジャパン」だの「日本、地獄かよ」と不満を口にするが、あなたの人生、あなたの直面している現実がつまらないのであって、自らの問題を先送りにしている膠着状態が「地獄」なんじゃないの?
ツイフェミの人、男性嫌悪の人が例外なく「反アベ」なのは偶然ではないし、ましてや彼らが正しいからでもない。慢性的なイライラを他人や社会や属性のせいにしたがり、自らは決して努力も工夫もしない性格傾向に過ぎない。

解放されて自由に生きている人間は、ああまで次から次へと怒りや憎しみの原因を探してこられないよね。そうでしょ?

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2020年7月20日 (月)

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500円の“アートフィギュア”が、僕たちの価値意識を革新するかもしれない――株式会社SO-TAのカプセルトイ【ホビー業界インサイド第61回】
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造形作家のムラマツアユミさんのツイートから株式会社SO-TAさんを知って、すぐに取材を申し込み、段取りはとてもスムースでした。最初の返事がもたつくと、たいてい後味の悪い取材になりますが、SO-TAさんは打てば響くような返事でした。メールの返事が早いだけで、信用に値します。

インタビュー記事って、インタビューイの話したことをそのままベタ起こしのように書いていると勘違いしている人が、いまだに多いです。
彼らは、インタビュー記事には、インタビュアーの意志なんて入ってないと思いたがる。実際には、何を聞きたいか、聞けた話にどう価値を見つけて、読んだ人にどんな気持ちになってもらいたいか、インタビュアーがすべてを意図して編集・構成しているのです。
「インタビューイが話したとおり、そのまま書きました」だったら、動画を撮って未編集で流せばいいのです。自分に主体性のない人ほど、他人の仕事もしょせん意図も意志もないものと見下して、ニヒリズムの中に安住したがるものです。


ヒッチコック監督の『舞台恐怖症』を、DVDレンタルで観た。冒頭30分、ひとつの殺人事件が回想にさらに回想を重ねて、バトンリレーのように人から人へ広がっていく描写はエキサイティングだった。
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大女優が夫を殺したことに始まり、それが愛人へと伝わり、その愛人から名もない新人の舞台女優へと主役の座がスライドしていく。新人女優は、大胆な推理力をもった父親を心強い相談相手にして、事件の真相へと迫ることになる。そこまでが、ざっと30分なのだ。

見どころは、大女優の頼みを聞いて、愛人が殺人現場へ服をとりに行くシーンだろう。
カメラは、まず床に落ちた暖炉の火かき棒を映す。それは、大女優と殺された夫との争いの痕跡だ。カメラは愛人の視線をたどるように、ゆっくりとPANする。すると、クローゼットの前に、不自然な格好で倒れている夫がいる。夫の死体が、クローゼットの扉を邪魔しているのだ。では、どうやってクローゼットを開けて、服を取り出せばいいのか?
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カメラは、クローゼットを開こうとする愛人の上半身だけを撮る。愛人は、扉を開けようとするが、足元へ目を落とす。そう、そこに死体が転がって扉をふさいでいることを、僕たちは直前のカットで知らされている。だが、カメラは扉をふさいでいる死体を映さない。「死体を邪魔に思っている愛人の上半身」だけを映しつづける。じれったい。そして、僕たちの感じるじれったさが、クローゼットを開こうと必死な愛人の感じているじれったさとシンクロしていくのだ。

何をフレームに入れて、何をフレームから排除するか? 観客は何を知っていて、何を知らされていないか? 認識を、図像によってコントロールするゲームが映画なのだと思う。


“言論人といえば弱者に寄り添うもので、アーティストといえば差別を告発するもので、正義といえば加害者を絶対に許さないことで、連帯といえばRTとハッシュタグで実現するものになってしまった世界においては、ぼくの居場所はまったくない。この状況は10年ぐらいで変わるのかな。変わって欲しいなあ。”

そう、アーティストといえば判で押したように反体制、スタイル、ポーズとして反戦・反差別。自分が反対しているものの本質と対峙することなく、詮ずるところ、自分だけは清廉潔白な立場をキープしたい。

アーティストにかぎらず、クラスで孤立することなく平均点をとり、これといって劣等感や焦りを感じてこなかった凡人が、何か政治的な発言をプラスオンしようとすると、わかりやすい反体制・反権力の物語を鵜呑みにすることになる。
彼らは苦悩した経験がないから、浅いところで「分かりました」「私も同じこと考えてました」と理解したがる。何を見ても「カッコいいですね、これ欲しいです!」「すげー感動しました! もう、ボロ泣きです!」と、簡単に感情表現したがる。手痛い失敗をしてきた人間は慎重に、自分の感情すら疑ってかかるものだ。
幼稚な人間ほど、「傷ついた」と言えば、すべてが正当化されると思っている。


Twitterは、もはやトレンドが1~2日で移り変わる世界になってしまって、昨日は「いらないおじさん」であった()。
僕の根底には“自虐”があるので、「いらないおじさん」と言われるとドキッとしてしまう。コロナで自粛警察やってる我の強いおじさん達は、人間としてのレベルは低いけど、本人は醜悪なまでの強烈な自己肯定感に満ちていてるから、うらやましくもある。
(レジ袋が有料となり、袋が必要かどうか聞かれて、大声で「いらない!」と怒鳴るおじさん……同性から見ても、うんざりする。)

ただ、僕は人間として堕落したまま、向上心もなく生きていくことをイメージできない。無理なく好きなことだけやれる安穏とした人生を手に入れたが、緊張感を失うことが怖い。

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2020年7月13日 (月)

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“メカメカしいけどかわいい”! 「テクノポリス21C」のスキャニー(アオシマ製)を組んでハートがときめいた!!【80年代B級アニメプラモ博物誌】第1回
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新連載、始まりました。
やっぱり根が屈折しているので、「おっぱいパーツはどう処理している?」という頭の悪い話になってしまいました。でも、バランス感覚なんかより変態性が自分の売りなので、今後も好きなように続けていくつもりです。


最近、DVDレンタルで観た映画は『マディソン郡の橋』、『大脱走』、『リンカーン』、いちぱん良かったのはジョン・カサヴェテス監督の『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』。
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予告を見ると銃撃シーンを主に構成してあるし、ジャケット裏には「フィルム・ノワール」と書かれている。確かに主人公は人殺しをせざるを得ない状況に追い込まれるが、彼はストリップ劇場の経営者だ。
上のカットは殺人を請け負って、怪我を負ったその直後なのだが、自分の店に電話して「ショーはどんな感じ?」「どの演目をやってる?」「曲はどれ使ってる? この曲か?」と、電話に向かって歌いだしたりする。それぐらい主人公は、自分のストリップ劇場を愛している。

そして、ストリップ嬢はひとりひとり個性的で、場末のショーにこんな完成された裸体の美女たちが出演するのかよ?とは思うのだが、皆とても愛らしい。ショーの進行役で道化を演じる「ミスター伊達男」が、映画の終盤で「ここの出し物は、俺のグロな芝居が欠かせないと思う」と、謙遜しながらも誇りをもって語るところが良かった。フィルム・ノワールどころか、底辺のショービジネスの美学を語るような、風変わりな映画になっている。


主人公は殺人を請け負った際、腹に銃弾をくらって、なんとそのまま治療もせずに数日間あちこち忙しく歩き回って、映画のラストでは劇場に来た観客たちに挨拶する。
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一応、腹のあたりから赤い血(というか、明らかに赤いペンキ)が垂れてはいるのだが、瀕死の重傷というのは比喩的な意味であって、そういうリアリティのアバウトさ、出鱈目さはヌーヴェル・ヴァーグっぽい。ラフな、ドキュメンタリックなカメラワークもヌーヴェル・ヴァーグゆずりだ。

さて、上の挨拶のシーンで、主人公は無愛想なバーテンダーやウェイトレスたちを、初めて観客に紹介する。ウェイトレスたちがまた可愛くて、衣装がウェスタン調に統一されている。決して上品ではないのだが、主人公があれこれ考えて決めたんだろうなあ……と、映画が終わる頃には、すっかり共感できるほどになっている。
俳優でもあったカサヴェテス流の、エンタメ論なんだろうな。犯罪映画としての内実を脚本的にも演出的にも破壊して、人間臭さだけ残した。ラフなカメラワークが、温かみをかもす。


さて、ラブドールと性加害の関連性は否定できない、その関連性を疑問視する我々を「性加害応援団」と呼んだ大貫憲介弁護士。
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大貫弁護士の所属する第二東京弁護士会あてに、懲戒請求を行いました。結果次第では、大貫弁護士を告訴します。
最初は、編集者を通じて、取材を申し込んでいたんです。それが最初は返事がなくて、さらに追及してもらったら「コロナで溜まっていた仕事があって、忙しいので」と断られたそうです。せっかく弁明の機会を与えたのに、まあ、しょうがないね。

北区都議補選で、アベノマスクをブラジャーにした選挙ポスターを「女性を差別し続け性的に消費し続ける」という宣言と勝手に受け取って、ハッシュタグまで作って自分より若い女性候補を追い詰めた池内さおりさんも同じく。事務所に取材を申し込んだが、何の理由もなく「遠慮します」との返事
あのね、Twitterで他人を蔑む人って、結局は公の場に出てこない。組織に囲われている卑怯者。おいおい、池内さおりさんは「ヘイトスピーチ許さず」「加害の事実に向き合う」とプロフに書いてるよな? じゃあ、向き合えよ。臆病者。組織にかばってもらって、恥ずかしくないのかよ。ひとりの人間としての誇りはないのか?
アベノマスクブラの件で、しんどうかな候補が演説中に泣いたり、配信で「身の危険を感じる」とまで言っていたのは誰のせいだ? あれだけ責め立てておいて、後はだんまりか? 何が加害の事実と向き合うだ、表面ばかりカッコつけたハリボテの偽善者が。

しかし、大貫弁護士に対しても、池内さおりさんに対しても、俺は頭ごなしに罵倒しようなんて気はないですよ。そこまで失礼はしない。ここではヒートアップしてしまったが、最低限の礼儀は尽くしたうえで、話を聞きたい。別に、人間に幻滅してもいないので。
なぜ意見の違う他人を「性加害応援団」なんて罵倒するのか、合法である選挙ポスターをつぶすためネットや組織力を使うのか、それを落ち着いて聞きたい。まずは、相手の言い分をじっくりと聞く。思想がどうであれ、会って話せば意外と悪い人ではなかった……という経験が、過去にたくさんあるから。
漫画の規制に賛成していた土屋正忠・元衆議院議員、公開討論では話が折り合わなかったけど、別に喧嘩別れはしてない。「声かけてくれて、ありがとうね」という感じだったんです。堂々と、批判覚悟で出てくるということは、僕も相手も同じぐらいリスクを背負っているので、恨みっこなしなんです。少なくとも、敵ではない。こそこそと逃げ回るヤツ、責任転嫁するヤツ、組織を隠れ蓑にして力だけ行使するヤツラを、全身で軽蔑する。
でも、だからといってハッシュタグを流布させて、数の力で相手を追い詰めようなんて卑怯なことは考えないわけ。俺は堂々と、自分の足で立っていたいから。

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2020年6月28日 (日)

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日本文化と共存する“和”の模型メーカー、童友社の「かんたんプラモデル」に大阪城がラインアップされた理由とは?【ホビー業界インサイド第60回】
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何年か前から、ちらほらと「取材したいね」と編集者と相談していた童友社さん、完全新金型の「かんたんプラモデル 大阪城」発売を待って、取材申し込みしました(原則的に、取材は自分で申し込みして交渉します)。
内田社長は、発売時期や人名の間違いを3~4箇所指摘しただけです。それ以外は、僕の構成にまったく手をつけませんでした。だから、こんなに面白い記事になったんです。


“世界と日本を比較するやつにありがちなんだけどさ、海外が優れてると思ったら率先して日本は遅れてるとか叫ぶくせに、やたら「お弁当頑張りすぎ!ファッション頑張りすぎ!

もっと楽していい!」とか日本人の意識高い部分に関してはランク下げようと足引っ張るところだよな。”

↑に対するレス↓

“自分が「上がれない」理由を他責にしたいだけでしょう。
私は悪くない、環境が低いから自分も低くならざるを得ないのだという言い訳にすぎない。

同じ環境なのに高い位置にいる人を認めれば自分が惨めになるので、何かしらの理由をつけて認めない。

根底にあるのは自己愛。”

うんうん、このやりとりが真相だろうね、例の「日本は地獄だ、海外は進んでいる」というテンプレートの内訳は。
だって、コロナで多数の感染者と死者を出した欧米の姿勢を見習わないといけないんだよね、日本は(笑)。欧米の反差別暴動は正しいから、日本でも暴動を起こさないといけないんだっけ(笑)。

「若者だけどコロナに感染して後遺症がつらい」というアカウントがあるんだけど、結局は「日本政府の対応が悪い、ちゃんと補償しろ」ってツイートを繰り返している。会社に補償を求めるとか、地元の自治体に相談とかはしない。具体性がなくて、共感しやすい反体制の主張を繰り返してるだけ。
悪いんだけど、もともと生活が上手くいってない、人生がハードモードだった人ほど「今回のコロナのせいで」って言いたがるよね。小泉今日子とかさ。(コロナで実際に困っている人は、僕の知り合いにもいますよ。だけど、明らかに言い訳に利用している人もいるよねって話。)

「最近、あまり名前を聞かないな」って芸能人や表現者が、幼稚な反体制ツイートをRTしていると、ガッカリというか切ない気持ちになってしまう。「政治的だから」ではなく、幼稚だから。「ああ、売れなくなったのを社会状況のせいにしたいんだな」「自己実現できてなくて、すごく辛いんだな」と分かってしまうから。
で、そういう人たちが飛びつきやすいように、「総理大臣がこっそり法改正して検事長の定年を延ばして、自分を守ってもらおうとしている」とか、分かりやすい物語が用意されている。陰謀論って、全部そう。「私たち無力で貧乏な庶民は、特権階級に騙されている!」と信じさせ、「自分を幸せにするために自分で工夫したり、自分で交渉したりする必要などない」と自己正当化させてくれる。


僕のことをブロックしている勝部元気先生、話題のツイートはスクショかまとめで伝わってしまうので、あまり意味ないかも知れないぞ。

勝部元気氏「50歳くらいのおじさんが『邪魔だ!』といいながらぶつかって来た。女性と間違えたのだろう。女性限定のこういう暴力が社会にあふれ過ぎ。」

この件、勝部さんがナヨッとしているからぶつかって来ただけであって、別に女性と間違えたわけではないと思う。「ぶつかり罪」とか「ストリートバイオレンス」とか、話題をそらせばそらすほど「男性でも、外見が弱そうな人は同性にぶつかられ、暴力におびえて生きているんだ」という本質がボヤけてしまう。男性なのに暴力をふるわれた事実のほうが、勝部さんにとっても深刻なんじゃないの?
「女性だけでなく弱者男性も怯えているんだ」と事実を主張すれば、同性の支持が得られて異性の支持を失うこともないし、何も損することないと思うけどね。

あと、勝部さんは自分のファンとの食事会とか企画してるんじゃん()。しかも、少人数限定の親密な食事会をさ。これがハーレム願望でなくて何なんだろうか(笑)。
彼は、本気で「女性は不当に差別されている、男性である私が何とかせねば」と決意しているは思う。でも、何割かは「女性と仲良くなりたい」という動機も混ざっているよね。それは悪いことじゃないよ。誰にでも、幸せに生きる権利はあるから。
だけど勝部さんは、目先の「とにかく女性の圧倒的支持を得ないと、自分が苦しい」という事情が先行しすぎ。都合のいい立場を得たいのが見え見えだから、同性から信用されない。

左翼……というか、現状を変えたい人って、即座に結果を出そうと焦りすぎるんだよ。今回は負けておいて、その貸しの分だけ、次は成果を出せるな……という計算がない。僕も計算力が低いけど、「今回はバカのふりをして、相手にいい気持ちになってもらおう」ぐらいは考える。そのほうが面白いし、めぐりめぐって、結果が楽しくなるから。

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2020年6月25日 (木)

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モデルグラフィックス 2020年8月号 本日発売
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●組まず語り症候群 第92回
今回は、ハセガワ製の珍品キット「たまごワールド」を取り上げました。


最近、レンタルDVDで借りてきたのは、『ブリッジ・オブ・スパイ』。2015年のスピルバーグ監督作品。
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冒頭カットは、鏡の中から始まる。ソ連のスパイが、趣味で自画像を描いている。カメラが引くと、彼の顔は鏡の中の逆像だと分かる。さらにカメラが引くと、画面右側に彼の描いている絵がフレームインする。つまり、ふたつの顔が同一フレームにINする。これだけで、彼が二重の顔を持つスパイなのだと説明できている。
全編、こんな風に効率的で洗練された演出がつづく。
どうしてワンカット目でスパイの正体をあっさり分かるような演出にしたのかというと、「誰がスパイなのか」というサスペンスには、あまり意味がないからだろう。何でもかんでもドキドキハラハラさせて、最後に感情を爆発させて観客を泣かせるのが映画……と思っていては、人生損をする。


僕がもっとも気に入った演出は、トム・ハンクス演じる弁護士が東ドイツへ乗り込み、司法長官と会うシーンだ。
ハンクスは敵味方のスパイの交換条件を修正して、ソ連領に墜落したパイロットおよび、ベルリンが東西に分断される時に東側に捕らわれた民間人の学生の2人を要求する。ところが、司法長官は出かけてしまう。その横には、書記の青年が座っている。
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ハンクスは、廊下で待たされている。広い事務所の廊下を、書類を運ぶ自転車が何台も行き来する。廊下のすみに、ひとりポツンと座りこんだハンクスの前を二台の自転車が通りすぎる。カメラは自転車を追って、右へPANする。すると、あの書記の青年が歩いてくる。
青年を追い越すように、今度は右から自転車が来る。カメラは再び自転車を追って、左へPANする。すると、自然に青年がハンクスの前まで歩いてくる動きを追うことになる。

つまり、川のように流れる自転車の一群を機械的に追うだけで、その流れの中を歩いてくる書記の青年が、群れの中にまぎれた、とるにたらない存在だと感じられる(実際、彼は司法長官が出かけたことをハンクスに伝えるためだけに来た)。
ところが、ハンクスは青年の英語力を見込んで、彼を抱き込むようにして交渉を有利に進めようとする。人質奪還のため異国まで来たハンクスも、事務仕事をしているだけの青年も、大きな流れの中にいる。……こうして後から見れば、いろいろと文学的な解釈が出来る。本当はこのカットも、シーンはじまりを綺麗に見せるためのテクニックのひとつに過ぎないのだろう。
でも、僕はカメラワークや構図から意図を読みとるほうが好き。
この映画を見た人は、トム・ハンクスとソ連側スパイとの思想や国境をこえた友情に感動したがるだろう。しかし、僕はそこはどうでも良かった。たとえば、映画全編に食器を使った演出が多い。レストランのお皿、密談の席でのグラスなど……どう使って、どんな効果を出しているのか? そこに、映画の面白さがある。僕は、ウソをつきたくないだけだ。


外出禁止や休業を強制できる法改正必要62% NHK世論調査

こうやって個人の主体性を放棄し、他人の自由を奪おうとする凡人ども、愚民どもの怠惰さは、本当に怖い。彼らが怖いのは、創造的な理想がなくて、ただ他人を縛りつけておけば面倒が少なくてすむ、世の中へのイライラが減ってスッキリする……程度に考えているところ。殺伐としているよね。
個人個人の判断にまかせたくない、支配欲だけが増大した自粛警察たちの頑迷さ、「検察庁法改正案に抗議します」ハッシュタグのハナホジ感(誰が適当にやっといてくれ感)は、どちらも同調圧力を強いるものであった。とりたてて理想のない、学級会で意見を聞かれても「みんなと同じでいいです」「多数決に従います」と責任回避していた連中が社会の大半を占めると、あきらめ加減の同調圧力(「俺も我慢するんだから、お前たちも我慢しろ」)を生み出してしまう。


芸能人、ミュージシャンや俳優が売れなくなってくると、何となく左翼っぽい反体制的な方向へ傾いていしまうのは、「大衆の人気を獲得する」商売である以上、自然な流れなのかも知れない。「金持ちや権力者がズルをして、庶民が苦しんでいる」物語を、そのまま売れなくなった自分と重ね合わせることが出来るので、楽ともいえる。

しかし不思議なのは一部の「リベラル」や「左翼」だと思われていた人までが声高に「早く緊急事態宣言を出せ」とか「欧米のようにロックダウンをしろ」と主張していたことである。

だって、彼らは「楽な方向」へ傾いているのだから、権力に頼るようになるだろう。本当に怖いのは思考と主体性を放棄させる同調圧力だと思うのだが、例のハッシュタグ荒らしで、「現政権を許さない」人たちが、どちらかというと全体主義的な傾向であることが明らかになったと思う。ハッシュタグをコピペする態度は、そのまま「考えるな、従え」「同じようにしろ」と言っているように思えて、とにかく怖かった。
フェミニズム的な視点からの「不愉快な性表現は禁じてくれ」は、より公権力を今よりも増強しろと主張しているわけで、自由とは程遠い傾向だ。僕は大変怖い。Twitterでこの手の議論を見ると、皆さん、スクリーンショットを使ったRTをさらにスクリーンショットで撮って、血みどろの論争に明け暮れている。

よくこの手のツイートによく登場する「日本は地獄」などの紋きり口調は、ようするにその人にとって「人生は地獄」であることを物語っている。そして、「海外は進んでいるのに、日本だけ取り残されている、恥ずかしい」という嘆き節は、「本当の自分の人生はもっと理想どおりに進んでいたはずなに、そうなっておらずに恥ずかしい」ことの裏返しなのだろう。あれもダメ、これもダメ、とにかく不満の尽きない人は自分の解決すべき問題を政治問題にすりかえている。なんだか、ちょっと前のネトウヨとまったく同じ心理構造だ。ちょっと可哀想ではある。
日本は、「私は私」「私は私のままで十分に素晴らしい」と思えるような自尊心を、育てにくい教育をしている。本当に改革すべきは、教育だと思う。

(C)Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights

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2020年5月26日 (火)

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モデルグラフィックス 2020年 07 月号 発売中
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■組まず語り症候群 第91回
今回は、エアフィックス製の骸骨を取り上げました。緊急事態宣言の解かれる前、カメラマン、編集者2人の計4人、マスクをしてスタジオにこもって、楽しく撮りました。


『FAKE』の森達也監督が、オウム真理教が崩壊した直後の、末端の信者たちに取材したドキュメンタリー『A』、『A2』の二部作をレンタル配信で観た。(あ、森監督は東京新聞の望月衣塑子なんかにも取材してるんだ……俺は、反原発にかぶれていた時は東京新聞を愛読していたけど、望月って人の最近の反体制なツイートは好きじゃないんだよなあ……)。
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さて、結論から言うと『A2』の方が、信者に対する独占取材になっていて、良かった。前作『A』は、他のテレビ局と混じって取材していることも多かったから、今ひとつピントが絞り込めていなかった。広報部長の荒木さんに女性記者のファンが出来るところは、とても微笑ましくて良かったけれど。

『A2』は、上層部の逮捕によって日本各地へ散っていった信者たちと、住みつかれてしまった住民たちの関係にスポットを当てている。
驚かされるのは、「殺人集団オウムは、この町から出て行け」と怒号を発していた人々が、時間がたつにつれて、信者と仲良くなってしまうこと。まあ、馴れ合いといってしまえば確かにそうなのだが、いざ立ち退きの日になって、「健康でいてほしい」「元気でね」と声をかけあう信者と住民たちの姿には、羨ましさすら感じた。
住民のひとりは、「まっすぐに自分の道を行くなんて立派だ」とすら言う。
また、オウムの広報誌を「俺、これ貰ってないよ」と欲しがる住民までいる。世界観は違うし、交わらない部分もあるんだけど、理解しあわないまま、どちらが上でも下でもなく……この触れあいこそが、多様性ある社会の一形態という気がした。
信者と住民の奇妙な交わりは、既存の世間が受け止められないバッファ領域というか、一種の緩衝地帯なのだ。


そもそも、オウム事件の後、各地で反対活動をしていた大人たちとは、どういう人たちだったのだろう? 中には街宣車で乗り込んでくる右翼もいたが、彼らではなく、普通の住民たち。プラカードと拡声器で、オウムを追い出そうと集会を開いていた人たちにも、「ふだんの暮らし」があったはず。たぶん60代以上の、子育ても終わった人たちだと思う。
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強気で争い好きな性格からして、彼らは右翼っぽく見える。一般の人の、右翼的な部分が活性化すると、反対住民になるのであろう。
また、社会というか世間に居場所がない冴えない若者たちが、純粋に向上心を維持しようとすると、新興宗教ぐらいしか行き先がないのかも知れない。冴えない若者といえば、まさしく僕がそうだ。男性はルックスにそれほど気を使わず、女性は化粧しない。彼らは、セックスどころかキスの経験すらないと、照れくさそうに語る。

だけど、キティちゃんのグッズを「本当は良くないんですけどね」と隠し持っていたり、粗末な食事を分け合って食べていたり、互いにからかい合ったりする彼らは仲がよくて、本当に楽しそうだ。大学というか、中学か高校の部活みたい。僕は、あの輪の中にすら入れない気がする。
それでも、住民サイドよりは、僕は確実に信者たちに親近感をおぼえる。


ここ2~3日、Twitterで小泉今日子を批判したら、リベサヨというのかなあ、ネトウヨの左翼版みたいな人たちから批判された。
ムカッとくるよりは、ちょっと的外れな批判で、ついついおちょくった返事を返してしまった。すると彼らのスルースキルは大したもので、何度も何度も、荒らしのように俺が返信しても、完璧に無視する。
彼らは、毎日ある時間になると相手かまわず批判したり、反体制的なアカウントに「そうですよねえ」と同意のレスをつけるのが日課で、自分から独創的な意見を書くことは滅多にない。嫌味や皮肉を書いたつもりなのかも知れないが、ひねりがなく、笑いのセンスはない。その鈍くささは可愛らしくさえあり、僕は『A』『A2』に出てきたオウム信者を想起してしまった。

つまり、リベサヨというか、反アベの人たちも世間でいうリア充ではない人が多い気がする。結婚して子供がいたり、それなりにモテたりはしても、何というか彼らの中の「世間とうまく馴染まない部分」「不器用な部分」が、反アベという表出の仕方をするだけなのだと思う。
先日書いたように、「誰それ?」というマイナーな俳優さん、最近露出の少ない芸能人も、彼らの自己実現できてない部分、営業的に上手くない部分が先鋭化すると、ついうっかり反体制・反政府発言となり、すでに存在していた冴えない不器用な人たちとの親和力が高まってしまう。

「月刊ムー」で流行った、「私は目覚めた戦士」「仲間の戦士を探している」一般の妄想趣味の人たち。自分が平凡な学生であることに耐えられず、本当は選ばれた戦士なのだと、むき出しの実社会に別レイヤーをかける人たちにも、同じような不器用さ、(失礼ながら)無様さ、カッコ悪さを感じる。
「自分はこんなもんじゃない、選ばれた凄い人間なんだ」という焦りは、社会に馴染もうとする以上、否応なく生じる軋轢だ。それを笑うことは、僕には出来ない。


「芸能人だって政治発言していいじゃないか」という擁護の声は、まるで的外れ。なぜなら、その芸能人の抱える生きづらさが、“現政権への批判”というスキンをまとったに過ぎないから。それぐらい現政権は、無様な状況なので、共感を集めやすい。まあ、さして目新しい現象でもないのだろう。
オウムに限らず新興宗教もそう、ひょっとすると芸能界もそう、選ばれなかった人たちを救済するシステムは社会に必要なんだと思う。その最新形がTwitterなのかも知れない。(芸能界だって、もう端っこの端っこ、たった一回だけCDを出せませたって歌手志望の女性のささやかな暮らしを、僕は20代の終わりぐらいによく見ていたからね。演劇をやるために、高齢女性のヒモになっている男優(なのか?)とも、よく飲んだ。彼らのことを思い出すと、小泉今日子が「お金くれ」って言い出すのは、さして唐突なことでもないような気がしてきた。)

(C)「A」製作委員会

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2020年5月24日 (日)

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メガハウスの「ヴァリアブルアクションキット 新世紀GPXサイバーフォーミュラ」は、どうして“半完成キット”なのか?【ホビー業界インサイド第59回】
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組み立て済みのシャーシに、色分け成形されたパーツを組み上げていく。しかも接着剤もニッパーも必要ないという、異色の製品です。プラモデル・フェチ的ではなく大人向けの高額食玩でもなく、ひさびさに「ホビー」らしい気持ちのいい製品です。

社会に萌えキャラの居場所はあるのか?【第1回】弁護士・太田啓子さんインタビュー
『宇崎ちゃんは遊びたい!』などの萌えイラストを批判する側と、表現する側の両方にインタビューしていきたいね……という話を、EX大衆の編集者と2年ほど前から相談していて、とりあえず第1回は、『宇崎ちゃん』批判で注目された太田啓子弁護士に対するメールインタビューとなりました。
メールで膨大な回答が来てしまったので、整理する意味も兼ねて、直接お会いしてお話しする予定でした。そこへ緊急事態宣言が発布されてしまい、メールでの回答を、分けて掲載することになったのです。なので、ものすごい分量があります。


ただ、ホビーやアニメ業界にインタビューして、新製品や作品を盛り上げる娯楽性の高い記事ならまだしも、表現のような「思想」を聞きたい場合、文字上のインタビューを構成する記事という形で追及しきれるのか……。その限界については、担当編集とも話している。

『FAKE』というドキュメンタリー映画を観た。
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佐村河内守という耳の聞こえない作曲家に、実はゴーストライターに曲を書いてもらっていたという疑惑が浮上する。僕はこの事件そのものをまったく知らなかった。監督の森達也は、佐村河内の家に通い、まず彼が本当は耳が聞こえているのではないか?という疑惑をつきつける。奥さんと手話で会話しているが、それらはすべて演技なのかも知れない。
森監督が佐村河内を疑っていると画面から伝わってくるし、観ている側も「もしかすると、すべて茶番劇なのではないか?」と思わずにいられない。そうした疑いの中、映画は詐欺師扱いされている佐村河内の苦悩に迫っていく。森監督の疑いの目線が、この映画を終始、緊張させている。
これがもし、紙媒体で編集されたルポルタージュだったら、迫力は一割も出なかった気がする。


無論、ドキュメンタリー映画だって、撮ってきた素材を取捨選択して、意図をもって編集して、2時間の映画に構成する“演出”なくしては成立しない、監督の恣意なくしては映画作品たり得ないわけだけど。

映画の本質のひとつは、記録である。また、映画は人を受動的にする。始まったら最後、フィルムが途切れるまで観客の都合など無視して、二時間でも三時間でも続行される。観客はただ、映画の命ずるするままにジッと座りつづけているよりないのだ。
本とか読み物は、読者の能動性にのみ委ねられている。そこが弱点だ。漫画は、絵としての広がりであって、読みとるものではない(これは押井守監督の言葉)ので、訴求力がある。だから、Twitterでは漫画化して物事を伝えようとする人が多い。

そして、先日のようにハッシュタグだけをコピペしただけで、大規模な政治運動を起こしてしまえる。大衆は、どんどん受動的になっている。
数秒間で怒りや笑いをシェアしたい受動的な大衆に、「あなたの意志をもって私の記事を読んでください」とは頼みがたい。そこに、文字媒体の限界がある。


日本芸術文化復興会が、コロナウイルス被害に対応した「文化芸術復興創造基金」を創設したのに、例の法案抗議のハッシュタグや毎日新聞の記事を引用して反政府的なツイートを繰り返した小泉今日子らが、「文化芸術復興基金」の創設を訴えはじめた。

言っちゃ悪いけど、落ち目の芸人、50歳をすぎてもパッとしない俳優は「自分はもっと凄いはずだ」「こんな人生のつもりじゃなかった」と、焦りはじめるんだと思う。だけど、一般人から注目は集めたい。宍戸開とか古舘寛治は俳優として認識されずにTwitter(しかもデマツイート、強気で過激な子供じみたツイート)でのみ有名だし、頭の悪い左翼的発言でお馴染みの室井佑月さんだって、俳優としては数えるほどしか出演作がない。本業と呼べるものが脆弱すぎて、焦っている。挙句、反体制的なツイートで注目され、自分の人気と錯覚している。
小泉今日子も、二年前に不倫で騒がれて事務所を辞めて、それで資金繰りが苦しいのかも……と想像してしまう。ミュージシャンやライブハウス経営者たちは、この難局を乗り切ろうと工夫をこらしてきたけど、この人たちはハッシュタグで、いい気なツイートしていただけ。最後は政府にたかるなんて、俺にはみっともなくて出来ないけどね。

(ももいろクローバーZは、過去のライブを配信して募金を集め、日本医師会に寄付した。 小泉今日子とはやっていることが逆、これが現役アイドル、最前線の芸人の力だと思う。)

(C)2016「Fake」製作委員会

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2020年5月 2日 (土)

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「ハクション大魔王2020」――50年ぶりの続編がつくられた理由【アニメ業界ウォッチング第66回】
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先月1日に取材した記事です。元タカラトミーのモギシンゴさんのおかげで、楽しいインタビューになりました。監督の濁川敦さんの言葉どおり、第2話でプゥータが活躍しはじめてから、すごく面白くなってきました。
また、このインタビューは、タツノコプロの広報の方と直接交渉しながら、進めました。ですから、記事の方向性や役割もハッキリしたし、融通もききました。いつもこんな取材だったらいいのに……と思います。


最近、DVDレンタルで見た映画は『雨月物語』、『アベンジャーズ/エンドゲーム』、『モスラ』。
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特撮モノが増えてきたのは、それなりに仕事に関係あるからだ(私はもう、バリバリ仕事してるし、売り込みもいっぱいやってますんで)。
『雨月物語』は学生時代に観て以来で、長回しのカメラの動きも、わりと正確に記憶していた。しかし、まだまだ膨大な発見がある。DVDを買おうかと思ったぐらい。1953年で、こんな高次元の演出をやっていたんだからな……。たかが90年代の映画を「古い、遅れている」なんてほざいてる場合じゃないですよ。

『エンドゲーム』は自分とは関係ない映画だったのでさておくとして、『モスラ』の膨大なミニチュア・ワークには唸らされた(特に水の表現力)。『ゴジラ』とは異なる、神秘的な世界観も気持ちいい。
怪獣を倒すプロットではなく、西洋人が悪役という点も画期的ではないだろうか。正義をつかさどるのは、有色人種(演じるのは日本人のみ)だからなあ。


さて、新型コロナウィルスをめぐって、陰湿な「自粛警察」が跋扈する世の中になってしまったらしい()。多数のメディアが問題視してくれているのが、まだ救いである。

僕が遭遇した例は、あまりに程度が低くて恥ずかしいんだけど……。Facebookの喫茶店を愛好するグループで、自粛警察の人々に追放されてしまった。その顛末を、以下に記す。
まず、グループに加わったばかりで、「私は喫茶店には行かず、家で自粛してます」と投稿した女性がいた。その投稿に対して、なんだか長文で「家にいてください」「散歩しないと免疫力が下がるんですか?」「外出はロシアン・ルーレットです」、さらに「皆さんがお店に行くから、仕方なく喫茶店の店主はお店を開けているんです」と説教がましく返信している男性がいた。別に店舗経営者でも何でもなく、元・大手喫茶チェーン勤務とプロフィールに書かれていた(現役ではないよ、元勤務だからね)。

だけど、そのグループには毎日、喫茶店に行って、レポート写真をアップしている人もいる。その人たちに向かって「家にいてください」「お店に行かないように」って説教するなら、まだ筋は通っているよね。
どうして加わったばかりの女性、しかも自粛している人に対して説教口調なのか、文章が下手すぎて理解できないので、僕は「誰に向かって何を言ってるのか、サッパリ……」とリアクションしてしまった。すると、その説教男性は「今後は、よく考えてから投稿します」「でも、いいねをつけてくれた人がいるから、文章は削除しません」。

……こうして書いていても、なんだか小学生の意地の張り合いみたいで恥ずかしいんだけど。その男性がやりとりから離脱してしまったので、僕はグループの管理人に、投稿の削除を提案した。
だって、毎日喫茶店に通っている人もいるグループで、「皆さんがお店に行くから、お店はやむなく開店している」、しかも経営者でもないのに「私は喫茶店経営者の代弁をしている」とまで書いているわけだから。ところが、管理人が加わってからが、すごかった。超展開。超バカ。頭悪すぎる。


グループの管理人がどうしたかというと、「私は男性の意見に賛同する」「お店の方の意見も尊重すべきだ!」と書き込んできたんですね。自粛警察、二号。
おいおい、どこにお店の人がいるよ? 説教コメントを投稿した男性は、大手喫茶チェーンに勤務していたとプロフィールに書いてるだけで、勝手に「経営者の代弁をした」と主張しているにすぎないだろう?
「一体、誰が“お店の方”なんですか?」と、管理人にメールしたんだけど、返事はない。

しばらくしてから、管理人が凄いことを書きこんできた。「喫茶店経営者の代弁をしている、と主張している人の意見は、経営者の意見も同然と見なします」
ええええ!? 自己申告で「私は経営者の代弁をしました」と書けば、「この意見は経営者の声です」と判断されちゃうの? しかも、「管理人がすごい飛躍したこと書いてますよ」と俺が投稿したら、管理人は自分の飛躍した発言をメンバーに見られたくなかったらしく、僕とのやりとりを全て削除してしまった。
どうですか、程度が低いでしょう? だけど、怖いとも思った。こんな調子で、デマが広まっていくんだろう。「私は医療関係者です」と文頭に書けば、無条件で信じてしまう人たちがいる。そうやって疑わない、考えない人たちがデマに踊らされて、トイレットペーパーを買い占めたんだと思う。
その頭の悪い人たちは消えてなくなるわけではなく、学びもしないから、今後も延々とバカをやらかし続けるんだろう。そう考えると、かなり怖い。


……なんというか、恥ずかしくないんだろうか。
「いいね」をつけてもらったから間違った発言でも撤回しないとか、人に見られたらヤバい発言をしてしまったから、こっそり削除とか。本業でも、そんな軽いノリで誤魔化しながら、ウソをつきながら、不誠実に働いているのだとしたら、世の中が良くなるわけがない。
まあ、本業でたいした活躍ができないから、SNSで大威張りしているのかも知れない。そうであってほしい。

だって、僕は実力以外で評価されたくないもん。
大学がどこ出身だとか、住んでいる地域がどうだとかで仕事を割り振る人、たまにいる。いい企画を考えても、「確かに面白いんだけど、このジャンルは別のライターさんが担当していて……」と断られる場合も、しばしばある。でも、そのライターさんは、僕のように面白い企画を考えられないんでしょ? 単に「今まで担当だったから」って気をつかわれて仕事をもらったって、俺はそんなのみっともなくてイヤだけどね。まあ、自己都合最優先で「知り合いなんだから、私に仕事を回してくれ」って当たり前のようにねだってくる同業者、たまにいるけどね。そういう恥知らずな人とは距離を置いて、実力だけでつながるように努めてきたので。 
すると、「そのネタなら、廣田が書けるはず」って、ちゃんと能力に相応しい仕事が来るんだよ。濁った水の中に安住している人には、分からないだろうけどな。

だけど、「俺の実力だけを見てくれ」なんて殊勝な人、滅多にいないんだろう。
「私は元○○勤務です」で下駄をはかせてもらったり、「私は医療従事者です」でデマを振りまいたり、そういう人が幅をきかせている。そういう分かりやすい肩書きや見てくれがないと、人の能力を見抜けないおバカさんが大多数なのだろう。
しかし俺は、中学・高校時代の俺のように、「どうして人間はこんなに不公平なんだろう」「どうすれば楽しい人生になるんだろう」と暗黒の底で苦悩している少年たちに手を差し伸ばしたい。その生きづらさは、必ず報われるぞ、と確約してやりたい。
コロナともFacebookの話ともズレてしまったようだが、無関係ではないと思う。ちょっとはマシな世の中にしなきゃ、あまりに報われない。出鱈目をやっている大人たち、いつまでも今のようにのさばってられると思うなよ? 俺が黙っていないからな。

© KADOKAWA CORPORATION 2020

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2020年4月20日 (月)

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「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG」のSF設定は、アニメーションの構造に作用してドラマを革新する。【懐かしアニメ回顧録第65回】
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このアニメが放送されたのは2004年で、僕はまだ結婚していた。日経キャラクターズ!という雑誌が、「クールアニメ」という造語でプロダクションI.GやGONZOの作品を格上げしようとしていて、苦笑しながら横目で見ていた。『攻殻』のような一級品のアニメは日経BPと付き合いの深い編プロやライターの担当で、僕は二番手だった。
でも、僕はそれでよかった。アニメって文化は、くだらないから価値があるんだと、ずっと思っていたから。絵が動く、それも油絵などではなく漫画、黒い実線で輪郭を描いてベタ塗りした簡素な「絵」を動かして、分不相応な文学性や実写的リアリズム、そして性愛(セックス)のような面倒な領域まで縦横無尽に描出する、その大胆不敵さ、傲岸不遜さがアニメの最大の魅力だと思う。

80年代のロリコン文化風の顔つきとバンド・デシネのようなアダルトな肉体描写が異種間で交配したような、下品でグロテスクで、それゆえ果てしなく魅惑的な士郎正宗の世界観と、神山健治監督の生真面目さは、実は相性が悪かったと思う。
士郎さんは、見たことを公言できないほど猛烈な、それこそ、あまりにミもフタもない猥褻さゆえに芸術的なエロ漫画の世界へ進出したが、そういうのはアニメでは無理なんだと思う。『攻殻~』は、この20年で知性的で真面目なSFアニメとして定着しすぎてしまった。エロ、それも名も知られぬまま読み捨てられる劇画誌的なエロは、文化を下支えする。アニメには、最底辺で客をキャッチする下世話なジャンルが欠けているのかも知れない。

アニメを真面目でカッコいいもの、高級なものと規定すればするほど、底力が失われていく。エロや暴力は身体と絡みついているので、絶対に軽視してはいけない。


さて、アニメと恥ずかしさの話題に入ったので、このまま先日のブログ()の続きを書こう。
「体育ができない」と、ようするに自分の身体を過剰に意識させられる。ひとりで勝手に野球をやる分には面白くて、バットやミットを買ってもらうのが楽しみだった。ひとりか、仲のいい友達と、勝手にルールを決めて遊ぶのは楽しかった。
ところが野球チームに入ってしまうと、身体の優劣を見せつけられる。下手な選手が試合に出してもらえないのは分かるし、僕も大勢の前で恥をかきたいとも思わない。
最悪なのは、チームに入ったばかりに、人間関係が変わってしまうこと。「お前のような下手なヤツとチームを組みたくない」と言われるのは、まあ仕方ないだろう。野球と関係ない日常の時間まで、極端な話、登校する時間から「廣田ごときが」「あんなヘナチョコが」と、公然と言われつづける。10歳とか11歳とかで、そういう体験してごらん?

僕は漫画を描くのが得意だったけど、絵を描いていると、「ヘタクソが……」と嘲笑っていたクラスメイトが「先生!」とか言って、媚びてくる。
中学、高校へ進むと、彼らのような凡人でも知恵がついてくるから、体育の時間だけ顔つきが変わる。さっきまで普通に話していたヤツが、目をそらして「だって廣田くん、テニスできないんだもん」と、僕を無視しても正当化される理由を口にする。まあ、大部分がそういう連中ばかりだったよ。人間なんて好きになれるわけないでしょ?

高校一年のとき、野球部の生徒に暴力をふるわれていて、授業中のことだから、教師も見ていた。だけど、「野球部員は甲子園へ行く大事な選手なので、大目に見てやってほしい」という意味のことを言われて、大人にも幻滅した。大人たちが隠蔽するんだから、大学の体育会によるレイプ事件がなくなるわけがない。社会人でもスポーツ選手は高潔な人間、ということになっている。
世の中に対する不信と幻滅をベースに生きてるんだから、そりゃあ独特の人生にもなりますよ。大部分の人は体育の時間に蔑まれたり、人格否定されることはないわけだから。


だから、ちょっとアニメを見てみました、世の中で認められるようになったから一応アニメにもハマってみました程度の凡人が、「僕もオタクっすよ~」とか病んだフリしても、俺に勝てるわけがない。俺はアニメ専門家ではないけど、アニメの歪んだ部分に対する愛着だけは底なしだから。
ブログにこういう事を書いていると、「廣田さんの欠点を見つけたぞ」と勘違いするヤツが出てくる。「俺は体育は得意でしたよ」「廣田さんのように悲惨な人生じゃなかったですよ」だとか、自慢話?をしてくる。だから、そういう薄っぺらな人たちがどう生きてようと、俺はいちばん何とも感じないわけです。俺と同じような屈折とコンプレックスを抱えている人間が、いちばん怖い。何をするか分からないから。

屈辱も劣等も感じることなく生きてきた単なるリア充が「俺は廣田さんほどダサくないですから、ファッションにも気を使ってますから」「廣田さんと違って、ちゃんと女にモテますから」と優位に立とうとしても(信じられないかも知れないけど、そうやって口に出してしまう人が結構いるんだよね……)、ぜんぜん的外れ。どうも、そういう人たちは挫折や屈折がないこと自体が、悔しいらしい。悔しくなければ、30歳、40歳にもなって、わざわざ俺に言いに来ないよね。
何の欠損もない人は、どれほど歪んだ変態アニメを見ようと、その歪みを感知する器官がそもそも無いわけで、おそろしく平凡な感想しか言えない。そして、40歳ぐらいになると、自分の凡庸さに苛立ってくるんだ。何人も実例を見てきたよ。


「知人からホテルをクローズするという苦渋の決断をしたという連絡が入った日にふざけた466億円のアベノマスクが届いた。怒りで胸が震えた。」
こうやって、何もテーマを抱えていない凡俗が政治的なスタンスをとろうとすると、とりあえず反アベ政権になってしまう。「ああ、カラッポの人だな」と分かる。まったく本質を突いていない。本質と対峙するようなベースが、人生に何もないから。
「総理大臣は今すぐ辞職しろ」とかさ。そんな力も方法もない、自分の弱さに甘えているよね。それが凡人の生き方なので、好きにすればいい。どんどんくだらなく磨耗し、人生の質が落ちていく一方だけどな。
言っておくが、安倍総理を失脚させるにはこんな秘策がある、こんなメリットがあるんだぜと知恵をこらすようなら、俺は素直に感心する。だけど凡人は、何も工夫しないんだもん。何か失うかも知れない、後戻りできなくなったらどうしよう、という覚悟がないんだもん。

リベラルとかフェミニストを名乗る人たちが、よく「ヘルジャパン」という表現を使い、「欧米はこんなに進んでいるのに、日本は取り残されていく」と決まり文句を口にするけど、彼らのいう「ヘルジャパン」「取り残された日本」って、つまりは肌で接している現実界すべてのことなんだろうな。政治的な問題を話題にしているんじゃなくて、彼らが解決せねばならないテーマは「生きるのがつらい」「現実が怖い」、それのみだと思う。
だとすればチャンスじゃないか。だって、そんな深刻なレベルまで来られない凡人が大多数なんだから。せっかく人生を革命できるような創造的なテーマを持っているのに、反アベとか欧米礼賛で誤魔化さない方がいい。せっかくの挫折が、もったいないよ。

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2020年4月13日 (月)

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なぜ「星合の空」は途中で終わらざるを得なかったのか? 赤根和樹監督が語る“日本のアニメを存続させるために、いまできること”【アニメ業界ウォッチング第65回】
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どうしてこのインタビューが可能になったかというと、『星合の空』のディスクが今月22日に発売されるため、その宣伝である必要がなくなったからです。
放送前にインタビューを申し込んだときは、エイトビット、TBS、そして外注の宣伝会社へ……とタライ回しだったので、それではロクな環境でインタビューできない(他社の取材と抱き合わせにされる例が多い)ので、断りました。
放送後、『ノエイン』以来の付き合いである赤根監督と直接交渉が可能になったから、こういう話を聞けたわけです。ようするに、製作委員会がインタビューなんて「宣伝」だとしか考えてないから、記事の質が下がるんです。そこに歯止めをかけられるのは、ライターや編集者ひとりひとりです。


ここ数日でレンタルして観た映画は、『戦争のはらわた』と『クレオパトラ』。
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『戦争のはらわた』は中学のころ、三鷹オスカーの戦争映画特集で観たように思う。爆発のスローモーションばかりが話題になるが、この映画は線ではなく点で出来ている。「誰かが銃を撃つ」「撃たれた側が倒れる」流れが、構図とカットで計算されているとは限らず、完全に別々の場所で撮ったカット同士を強引に繋げている。その乱暴さが、ある種の迫力を出している。
こういう「雑さ」は、ネタバレだ伏線だと神経質になってしまった今の娯楽映画では、許されないのかも知れない。


『クレオパトラ』は半裸の美女たちが舞い踊り、入浴シーンも結構あって、その通俗ぶりにちょっと笑ってしまった。
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ただ、上のような並外れたスケールの豪奢な作り物には、素直に感心させられた。
50年代はシネスコやビスタが開発され、映画会社は大画面の迫力を駆使して、テレビに奪われた観客を映画館に呼び戻そうと必死だった。IMAXフィルムで撮られていないのにIMAX上映する今の映画館の趨勢に、かなり似ている。
『スター・ウォーズ』新三部作の巨大なセット志向、「別に作り物に見えてもいい」「っていうか、昔の超大作はセット丸出しだったじゃん!」という開き直りのルーツは、50~60年代に、その萌芽を見ることが出来る。観客の顔色ばかりうかがっている最近の『スター・ウォーズ』が、いかにみみっちいか、分かろうというものだ。

もっとも、ルーカスは『クレオパトラ』のエロティックな要素は、受け継ぎそこねたのかも知れない。『クローンの攻撃』でナタリー・ポートマンの白い服で、乳首が浮いて見えるのでは?という噂があった。
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ご覧のように、縫い目が乳首に見えるだけなのであるが、このコスチュームが破れてヘソが見える……という演出は、童貞くさいルーカスにしては、ずいぶん思い切ったと思う。


吉祥寺のように過密しがちな街は「怖い」と感じるのだが、三鷹市のマイナーな通りは日曜日でもスカスカなので、散歩してきた。
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ところが、中華料理屋からは「ごちそーさん!」と大声で叫びながら暖簾をくぐって出てくるオヤジはいるし、大丈夫なのかなと思ってしまう。アベックや親子連れは、例外なく手を繋いでいる。
マスクが買えなかった、と意気消沈している家族も薬局の前で見かけた。僕はたまたま入荷時間に店にいたから買えたけど、この先が心もとないから、やむなく3日ぐらい同じマスクを使いまわしている。だから、政府の配布する布マスクは、けっこう助かる。

自分の行動には甘いくせに、他人の行動を厳しくチェックしてないか警戒すべきと思う。なぜなら、他罰感情は僕たち自身の心を濁らせ、腐らせるから。
たとえば一部の地域では、ドイツ人がフランス人を差別している()。欧米人・白人の人権意識が、とりたてて高いわけではない。誰もが差別者、加害者になり得る。自分だけは清廉潔白だと思っている人間から、順番に堕落していく。


しかし、今回のコロナ騒ぎ、欧米での感染者数・死者数が増加してから、急に「世界全体の問題」に格上げされたように感じている。
そして、すでに桁違いの被害者を出している国・都市の人たちが「次は日本だぞ」「日本の対策は甘い」など、脅しに来る。以前から、ずーっとそうだったような気がする。何がどう変わったわけでもないのだろう。
もし、中国・台湾・韓国・日本などアジアの一部に感染が留まっていれば、欧米はそしらぬ顔をしていたような気がしてならない。僕らは、彼らの周章狼狽に合わせてやっている部分もあるだろうし、それによって損している部分も助かった部分もあるだろう。

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