2018年8月15日 (水)

■0815■

EX大衆 9月号 16日発売
Dki1giiuwaexqqo498x640●現在進行形『ゲゲゲの鬼太郎』を見よ!
放送中の『鬼太郎』について、誰にインタビューしたいのか聞かれたので、『地球少女アルジュナ』DVDブックレットで何度も原稿をお願いした脚本家の大野木寛さんに取材させていただきました。
この仕事は『我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか』を企画・編集してくれた編集者の依頼なので、彼が決めた文字数どおりに納品して、以降はデザインも見ないし構成もおまかせです。
僕の仕事は「ライター」から逸脱しつつあるけど、いつでも雇われライターに戻れるフットワークも、生存戦略には必要です。


レンタルで、ダスティン・ホフマン主演の『卒業』。
Graduatecovre01967年、トリュフォーやゴダールのデビューから10年と経っておらず、彼らと同世代の映画といってもいい。ヌーヴェル・ヴァーグより明らかに金はかかっているが、実験精神では引けをとらない。
アップの手持ちカメラで情報をそぎ落として臨場感を出したり、カットが変わるとアクションは連続しているのに時系列の異なるシーンへ繋がっていたり、不自然なズームバックで感情表現したり、全編、突拍子のない演出で生き生きとしている。


ただ、やはり映画が新しく更新されつづけていたのは、70年代初頭のニューシネマまで。以降は、SFXやCGによって被写体が変化しただけで、ドラスティックに映画の話法が書き換えられてはいない。アジア映画は活性化したが、それは経済面の話、世界市場に進出したという話だ。映画作家自身は、それぞれの小さな戦場でゲリラ戦を展開している印象がある。
タランティーノがウォン・カーウァイにラブコールを送っていた90年代中盤、ミニシアターの全盛期、ようするにああいう同人的な時代が今もつづいている。映画は組織力や政治力を失った。日本でいうと、ATGはムーヴメントを起こすことが目的の政治活動だったと思う。


ようやく時間に余裕が出てきたので、吉祥寺オデヲンで『未来のミライ』。不入りだと聞いていたが、半分ぐらいの客席は埋まっていた。興行的には下落の一途ではなく少しずつ持ち直していると聞く。
640エンドロールを見て呆気にとられたのは、関連企業の多さだ。こんなにがんじがらめに多方面からの利害が絡んでいるのに、作品の個性を維持しつづけるのは至難の業と思える。「細田守はケモだ、ショタだ」と下卑た感想をつぶやけるのは、奇跡といってもいいほど幸せな状況であって、どこの誰がどう細田監督を守っているのか、おおいに気になる。だが、その人が誰なのかおいそれと探り当てらないのが、今の商業アニメなのかも知れない。もし取材しようとすれば、三重四重に東宝のチェックが入るだろう。

細田守はあいかわらず、どこを切っても細田守。『デジモンアドベンチャー』からずっと。観客には、好きか嫌いかの選択肢しか残っていない。好き嫌いだけで語らせてくれるのって、やっぱり甘やかされているといってもいいぐらい、幸福な状況だ。
(裏を返せば、現場や作り手の生の言葉や状況が届きづらい環境なのかも知れない。)


たったひとつの家族、4歳児の主観だけで成立した小規模な映画だ。
640_1構図はフラットなのに、階段状の住居が画面に奥行きを与えるし、成長とか退行といった抽象性を帯びたりもする。中庭が、4歳児だけに知覚可能な異空間と化すアイデアは面白いと思った。その異空間のルールが何度も改変されて、その破綻ぶりも『時をかける少女』から変わっていない。
美術が良かったのだが、美術をいくら誉めても、作品にとってプラスに働くとは思えない。作画が、キャラデが声優が……といった各論は、もはやアニメ作品の本質ではない。アニメが世の中に評価されていなかった頃は、どんなディテールも評価の対象になったが、今は違う。

絵が綺麗なのは当たり前。綺麗で、そこそこ泣けるやつ。家族とか恋愛の美しさを謳ったやつ。ひょっとすると、大作アニメにはそれしか求められていないのかも知れない。
『未来のミライ』がいいとか悪いとかっていうセコいレベルの話ではない。世の中から求められるアニメがどんどん口当たりのいい無害な映画に希釈されているとしたら、あまり明るい気持ちにはなれない。

『未来のミライ』には、僕は好感をいだいた。だけど、その好感ってやつが曲者なのだ。

(C)Rialto Pictures
(C)2018 スタジオ地図

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2018年8月12日 (日)

■0812■

ご当地でしか手に入らないプラキット、“ゴトプラ”って何だ!? プレックスのデザイナー、坂尾重紀さんに聞いてみた!【ホビー業界インサイド第38回】
T640_772569ゴトプラを開発した坂尾さんは知り合いの編集者から何ヶ月か前に知らされていて、僕から独自にコンタクトをとっていました。おかげで、情報解禁の直後に最速でインタビュー記事を掲載することができました。


プラモデルといえばガンプラと即断される中、ノンキャラクターのプラモデルを売っていくには知恵とセンスが求められます。
ゴトプラは誰でも知っている建物と漢字を組み立てキットという構造でつないだわけですが、では東京タワーは誰がいかにして広めて、大阪城をビジネス化するにはどんな環境が必要だったのか、思いを馳せずにはいられません。「売る」とは、どういうことなのか?を考えざるを得ないわけです。

今回はプレックスの営業さんが記事露出のタイミングを図ったおかげで、記事は普段より読んでもらえています。
一方で、僕が特集を担当したホビージャパンエクストラは書店においておらず(僕も地元では一度も見てません)、ビジネスチャンスを逃しています。卑近な例でいうと、そういうことです。
ガンプラ以外のプラモデルがガンプラほど売れてないのは何故なのか、真面目に考えてる人は少ないのでチャンスだとも言えます。僕にできるのは本をつくることなので、山ほど企画はあるしアイデアは尽きないし、いくつか実準備に入っていますよ。


ようやく、ひさびさに映画をレンタル。トム・ハンクス主演だから、それなりに見ごたえあるのでは?と、知識ゼロで借りてきた『王様のためのホログラム』。
640妻に別れられたサラリーマンが、サウジアラビアの砂漠に仕事で飛ばされる。環境は苛酷だが、彼は美しい女医と知り合い、ストレスを脱していく。例によって、文学レベルのストーリーは僕には把握できなかったし、ストーリーが映画の面白さを左右するとは思えない。

会社のリムジンを下ろされたトム・ハンクスが、呆然と砂漠に立ち尽くす。『北北西に進路をとれ』の飛行機に襲われるシーンのような不条理さが感じられる。砂漠にカメラをすえた瞬間、映画は地平線に支配される。構図が制約をうけることに、反発するか従うか。
そういう話が好きなのに、映画好きを名乗る人から構図の話を聞いたためしがない。


砂漠に立ち尽くすトム・ハンクスの背後に、古びたショベルカーが見える。カットが切り替わると、トム・ハンクスは振り返って、「やあ」と挨拶する。誰に挨拶したのだろう? カメラは、ショベルカーに少し寄る。そこには、ショベルカーの錆の色と同じぐらい汚れた作業服を着た男が座っていたのである。
最初のカットで、僕らは作業服の男を見落としていた。だが、主人公は気がついていた。3カット目で、僕らはようやく監督の目論見に気がつく。この3カットの間で、情報が増えたわけではない。実は、1カット目と3カット目は同じ構図だ。
最初のカットを装飾するように、トム・ハンクスの演技、作業服の男に寄ったカットが足されていく。「実は、ショベルカーに男が座っていたのだ」という情報を、別の角度から説明しているにすぎない。

文語的に言うなら、それは「ショベルカーが働く必要もないぐらい、運転手が暇そうに休んでいるぐらい閑散とした職場を表現している」ことになる。映画レビューや映画評論は、いつも文語的な結論ばかり口にする。
だが、分解しなければ映画ならではの機能を解読することなど出来ない。カットを重ねることで、他人行儀だった映画は、僕らの認識と寄り合わされていく。その過程はエキサイティングだし、機能的に洗練された映画は本当に美しいと、僕は心から酔いしれる。その瞬間を、僕は待ちわびている。ストーリーがどう落着するかなど、本当にどうでもいいことだ。

(C)2016 HOLOGRAM FOR THE KING LTD. ALL RIGHTS RESERVED.

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2018年7月27日 (金)

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モデルグラフィックス 9月号 発売中
Mg180911●『ひそねとまそたん』ミニ特集
全8ページのうち、作例ページをのぞく青木俊直さんインタビューを含む7ページを構成・執筆しました。
青木さんのインタビューに合わせて、作例がフィギュアになることは先に決まっていたので、残りのページで『ひそまそ』を初めて知る人にインパクトを与えられるよう、工夫しました。

●組まず語り症候群 第69回

今回は、シャーペンとパソコンのプラモデルです。担当者が変わると、こんな簡単な連載でも、不思議なことにページの雰囲気も変わります。

ホビージャパン エクストラ 2018 Summer
 31日発売
71xqvovbdsl●プラモデルってこんなに簡単で楽しい! BANDAI SPIRITS ホビー事業部のキャラクター・プラモデルたち
取り上げているキャラクター・プラモデルは『Dr.スランプ アラレちゃん』、『ドラえもん』、『ワンピース』、『ドラゴンボール』、『ポケットモンスター』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』、『スター・ウォーズ』、『仮面ライダー』、『ポチッと発明ピカちんキット』、『パシフィック・リム:アップライジング』、ラストにこの夏の新製品いろいろです。
『ワンピース』と『Dr.スランプ』と『ドラえもん』の企画者お2人の対談、『スター・ウォーズ』開発チームへのインタビューもあります。


この特集はホビージャパン編集部に企画書を提出したところから、ネタ出し、バンダイさんへの取材、20時間におよぶ模型撮影のディレクション、ページにどう写真を配置するかのラフ書き、本文やキャッチコピーやキャプションの執筆、ときには版権元さんへの問い合わせまで、50ページをひとりで担当しました。
もちろん、担当編集さんが台割りを決めて、版権元とバンダイさんへの連絡と確認など、締めるところは締めています。カメラマンさん、デザイナーさんのアイデアも入っています。バンダイさんから「このプラモデルを取り上げてほしい」という要望もありました。

「塗装は一切しない」「シールすら基本的に貼らない」、工具は「安くて入手しやすい最低限のものだけ」、ひたすら手ぶらで「簡単に作れる」ことだけをアピールした企画が、関係者全員に「許された」一点だけでも、僕は希望を持っています。


なぜかというと、塗装も接着もしなくてすむように進化してきたガンプラですら、知らない人や昔作っただけの人は「塗らないとダメなんですよね」と誤解しているからです。
アラレちゃんやドラゴンボールのプラモデルが出ていることさえ、今ひとつ世間に伝わってない。イベントで素組みしたプラモデルを売っていると、「塗装しないとこうならないんでしょ?」と聞かれます。「作りたいんだけど、ニッパーを持ってない」という友だちもいます。
そういう人たちはプラモデルを作らなくていい、関係ないんでしょうか? そういう人たちにこそ、誰でもカラフルな完成品を手に出来るバンダイのプラモデルをアピールすべきではありませんか?

ホビージャパン本誌ではなく、エクストラであれば、他の趣味の雑誌に混じって置いてもらえるチャンスがあるんです。表紙も、編集と営業が何度も話して、絞り込んで決めています。


僕も高校時代は「塗装・改造は当たり前」で、色すら塗らない友だちを軽蔑すらしていました。あるいは、プラモデルはランナー状態がいちばん面白いのだと前提した連載を始めてからも、「プラモについては俺がよく知っている」「俺のほうがレベルの高い思考をしている」、意識高い系モデラーと競争しているような気持ちになり、それはそれで、また疲れるのです。
とにかく、優劣がある世界、誰かが誰かに勝ったり負けたり、教えたり従ったり……という世界から距離を置きたくてしかたがない。

でも、素組みでOKのはずのガンプラですら、「ちょっと上を目指そう」とマーカーによる部分塗装が推奨されたりするのが、模型メディアの常識でした。僕は別に、上は目指したくないのです。横に広げたいのです。
だから、模型雑誌でない媒体に、「こんなプラモがあるんですよ」と宣伝して歩いて、いくつかは記事になってますよ。上下も優劣もない、誰もが気軽に楽しく過ごせる世界が理想なので。


『ワンピース』のプライズ・フィギュアって、喫茶店や美容院なんかに飾ってあるぐらい、超メジャーな立体物です。そういう人たちに「プラモデルもあるのか、ひとつだけ買ってみよう」と思ってもらいたい。
そして、そのまま二度とプラモデルを買わなくてもいいとも思います。なるべく多様な人たちが、ちょっとずつプラモデルに触れては去っていく。そのほうが世の中、豊かになると思います。「素組みじゃダメだ、塗装して上達しよう」って世界は、もう十分に構築されています。濃い人たちに濃いものを投下するシステムは、完備しています。
なので、もっとフワーッと風の吹き抜ける場所がほしい。そう思っているから、プラモデルとアニメについては、いくつもの企画を持っています。「横に広げる」と考えた途端、無限にアイデアが出てきたし、相談する相手も増えたんです。
だから今、企画を考えてどんどん売りこむことが楽しくて仕方ないです。

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2018年7月21日 (土)

■0721■

J Wings 2018年9月号 発売中
Dii_yyluwaa7_ox『ひそねとまそたん』変態飛翔生体 大図解 その2
構成・執筆しました。といっても、僕と編集長がブレインストーミングして「こういうネタでいきましょう」と決めた後、いつも編集長が詳細なデータをどっさり用意してくれて、僕はその文学性の高いデータを誌面に収まるよう、まとめ直しているだけなんです。
各OTFの変形途中図も掲載されています。次号、とりあえずJウイングさんの『ひそまそ』連載は最終回となります

「カウボーイビバップ」から20年、山根公利が語るメカニックデザインの醍醐味【アニメ業界ウォッチング第47回】
T640_768624山根さんと最後にお会いしたのは、10年前だったと思います。『ビバップ』のスタッフのどなたかにインタビューできないか、最初はサンライズさんに相談していましたが、結局は直接、山根さんに取材をお願いしました。

このコーナーは、いつもコンパクトにまとめて、電車の移動中にスマホで読みきれるよう、意識してまとめています。
しかし、山根さんはサービス精神の旺盛な方で、くすりと笑わせるサブの話やデザインについても「もう一言!」と突っ込んだ部分があったのです。それらを入れると4ページになってしまい、ページの切れ目も中途半端なものになるため、かなり悩みました。
本音を言うと、話が横道にそれても過剰な表現になってでも、入れるべきでした。なので、型にはまらず、このコーナーもインタビューイの個性で変化していくことになるでしょう。


しかし、10年前か……。離婚したばかりで、毎月、ボリュームのある創造的な仕事を「フィギュア王」から回してもらい、一方では「グレートメカニック」の編集部と意見が食い違いはじめ、ほどなくしてハブられた頃だ。
ケンカっぱやかったし飽きっぽかったし、だけど収入は良かったので、夜の街で遊びほうけていた。心地いい状況になると、なるべく早くそれを投げ捨てたくなる痛々しい人生だった。自信過剰なくせに、自己嫌悪に悩んでもいた。
山根さんにお会いして、なんとなくあの頃の気持ちに引き戻されて、ついつい大言壮語してしまい、おおいに反省している。山根さんが10年間キープしてこられた人脈に、どうこう口出しできる資格は僕にはない。

僕だけにしか出来ない仕事が見つかったのは、本当にこの1~2年のことだ。
今さら、人間関係を切ってはつなぎ、つないでは切って……という状況ではない。信頼しあえる数少ない仲間たちと、悔いのない仕事をしていきたい。
いま、僕と一緒に仕事をできている人たちは、「大丈夫な人たち」。失敗があってもカバーしあえる人たちが残ってくれた。去るべき人は去ったんだなあ、と実感している。


仕事上の信頼こそ、数少ない仲間たちから得られたものの、僕は愛されるような、思わず手を差し伸ばしたくなるような、そんな可愛い人間ではないのだと自覚もしている。
「誰かに抱きとめてほしい」と思えるような凄惨な体験もまた、僕の人生に起きはしたが、社会的手続きによって、ひとつひとつ完了していった。
仕事をのぞけば、僕は毎日ひとりで過ごしている。明日の夜はひとりでアトラクションを観にいくので、パニック発作が起きないか心配している。知らない人に両脇に座られると、滂沱たる汗が吹き出てくるので……。


熱中症で亡くなる中学生が出てしまい、一挙に教師や学校のあり方に非難の目が集まっている。
それに対して「子供を甘やかすな」という人たちがいる。一方で、子供が校舎のまわりを80周走ったのであれば、それを命じた教師は100周走れ!と「正義の」怒りを叫ぶ人たちがいる。気に食わない連中に罰を与えて苦しめよ、という声が実効力をもてば、どこの誰もが人権を奪われ得る最悪のディストピアが完成してしまう。
いや、社会の一部はもう、「とにかく罰せよ、苦しめよ」の厳罰化へ走り出している。僕のちょっとしたミスが、あなたの暴言ツイートがテロの標的になる。テロといっても、包丁一本、車一台のテロ、あるいはWi-Fi経由のネットリンチだから怖ろしい。

子供たちには、暑さからも教師の支配からも「逃げろ」と言いたい。
僕はひと夏の間、屈辱的な水泳の授業をサボりとおした。体育の教師は僕を呼び出して「イヤなことから逃げ続けていると、とんでもないことになるぞ」と言った。しかし、今の僕は好きなアニメとプラモのことを、好きなように書ける仕事についている。

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2018年7月16日 (月)

■0716■

「時をかける少女」を残酷に支配する「時の流れ」は、構図に刻みつけられている。【懐かしアニメ回顧録第44回】
Dikl3xnueaadt8a近所で見かけた奇妙な看板から席料何万円もする演劇まで、「見た」ことが等価値に体験として語られる世の中なので、「どちゃくそに泣いた」「泣きすぎて思考がストップした」とでも書いたほうが、よほど共感を呼べる。

もしかすると、映画を観た直後の泣きはらした顔だけをアップで掲載したら、PVだけは稼げるんじゃないかと思う。顔写真までは載せなくても「ぐわああああ」「泣けるううううう」と、アニメの感想を実況的にツイートしまくってる人はいた。その方が強烈に伝わるとは思うし「どんな作品なんだ?」と、気にもなる。
だけど、どうしても自分はそれはやりたくない、抵抗があるよなあ……と思うのはなぜかと言えば、発想がテロリズムなんだよね。「号泣して席を立てなかった」ことをもって、自分の体験の尊さを裏付けようって魂胆は。


歌舞伎町のキャバクラに勤める26歳の子と、テアトル新宿で 『時をかける少女』を観たのが12年前。以降、定期刊行のムックや「ニュータイプ」のWEB版に感想を書く機会があって、後者はそこそこ上手く書けたと思う。
だけど、数年ぶりに観て、今回は驚いた。まずは、脚本も作画も粗っぽい。タイムリープの発動条件や前後関係が不明確なのに、主人公のオーバーな感情表現で強引にねじ伏せて進行している。一方的に去っていった千昭を、なぜ真琴が映画の冒頭にまで戻って追いかけるのか、ちょっと動機が分からなかった。相変わらず、どうすれば真琴が自分で目指した日時にタイムリープできるのかも分からない。

だから、いつものように画面に何がどう映っているかだけに注視した。
すると、いくつかポイントが見えてくるのでメモをとって、二回目は書けそうなポイントに絞る。原稿を書きつつ、確認のために何度も同じシーンを見る。
千昭がフレーム外に歩いていって、ひとりになった真琴がアベックの乗った自転車に追い抜かれるところを何度か確認したところで、ようやく涙が出てきた。なぜかと言えば、それは上記コラムに書いたように、構図がロジカルだから。


かつての真琴と千昭そっくりに自転車に二人乗りしたアベックは、いわば真琴の消し去った未来だよね。だから、過去に向かって歩き出した真琴はハッとするんだよ。振り返ると、真琴の主観カットになって、見知らぬ男女の後ろ姿を、カメラは堂々と捉える。矮小ではなく主役のように堂々と、ほどよいサイズで。
その時、「くやしい」と思うんだよ。あんな堂々としたアベックに、自分がなれるチャンスがあったのに自分でチャンスを握りつぶしてしまったことに気がつく。くだらない嫉妬だし、あさましい感情なんだけど、だからこそ共感する。自分を無価値でくだらないと思える人ならばね。

映画にはメカニズム、機能がある。
昨夜、ひさびさにレンタルで『東京物語』を82fcb0c68c770516068cef0d0dfa673a760 観て、やっぱりジーンとしたんだけど、カメラが異様なまでに真正面から俳優をとらえるからでしょ。ひとりきりになった笠智衆と、小さな漁船が港から出ていく引きの絵を、執拗にカットバックさせているから寂しいんだろう……と、僕はこじつけでも何でもいいから第三者に検証可能な理由を探す。そう努めないと、映画だけでなくすべての体験が「くわあああ、泣けたああああ!」で終わっちゃうんですよ。あらゆる体験がSNSで注目を集める道具になってしまう。

「とにかく俺は号泣した」、だから「凄い映画だ、絶対に観てくれ」と自分の感動を盾にとった態度は脅迫、テロリズムに通じる。「この映画に感動しないヤツは劣等感性」とまで言う人がいる。
自分に共感してくれなかった、というだけの理由で人は人を殺せてしまう。それが明らかになった時代に正気を保つには、作品に誠実に向き合い、過剰な共感を期待しないことも大事ではないだろうか。

(C)1953/2011 松竹株式会社

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2018年7月10日 (火)

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GOODS PRESS(グッズプレス) 09 月号 発売中
Dhkp4e5v4ai_kkq『スター・ウォーズ』のハン・ソロ役声優、磯部勉さんへのインタビュー、BANDAI SPIRITSホビー事業部へハン・ソロとルークのプラモデルについての取材を担当しています。

顔面が塗装済みのハン・ソロとルークのプラモデルを「たいした技術ではない」「革新的というほどでもない」と冷たく見ている人もいますが、プラモデルを知らない人に「すごい」と思わせる力が肝心です。


まだおじさんにガチ恋してないの? バ美肉おじさんの魅力にガチ恋距離で迫る(
あまりに露悪的なイラストに引く人が多いだろうけど、オタクのパーソナリティにとって、きわめて重要な話題だと僕には思える。

いつだったか、サンリオピューロランドでキティちゃんの着ぐるみに入って子供たちの相手をしている男性がテレビに出ていて、「着ぐるみの中でかわいい仕草をしている時だけ、本当の自分に戻れた気がする」と語っていたのを思い出した。
VRアプリ「PlayAniMaker(プレイアニメーカー)」()は、キティちゃんの着ぐるみのデジタル版であって、ポリティカル・コレクトネスに配慮しろ、性的表現を排除せよ、性を商品化するな、あるいは男らしくしろ、スポーツのできないヤツらは黙っていろ、結婚も恋愛もしないキモい中年に生きる価値なしの地獄の物理現実からの解放ツールだと僕は思っている。


小学6年生のころ、女のように髪をのばしていたことは、過去に何度か語ってきた。親が髪を切ろうとすると、泣いて逃げ回った。
クラス会で、もう立派な母親になったクラスメートが「女の子みたいにきれいな子だった」と僕のことを噂していて、この歳になっても嬉しいし、「あのまま女の子に間違われたままでいたかった」と、もし人生で後悔があるとしたら、そのひとつだけだよなと、しみじみした。
そして、そのクラスメートの近くの席に座ったところ、彼女も周囲の女性も、僕とは一言も口をきいてくれなかった。仕事以外で女性と口をきくことはないし、女友達もいない。それでいいんじゃない、こんなにも仕事が面白いんだから……。


いま、「オタク」ってひとくくりに出来ないし、「オタク特有の性癖」って語りにくくなっているけど、たとえば早口すぎて会話がなりたたず、社会と折り合っていけない人は今でも多いと思う。
かつては、うまく対人関係が築けない人たちのセーフティネット的に商業アニメが機能していたのではないか……と、『装甲騎兵ボトムズ』の無口で人嫌いな主人公・キリコと自分を重ね合わせていた自分は、孤独だった学生時代を振り返る。

あの頃の、勉強も体育もできずに公然と嘲笑されていた自分に接ぎ木して、オタク趣味や内向性をお金を稼げるぐらいの“芸”にアレンジできたから、今こうして幸せでいられる。
だけど、たとえば演劇を観にいって左右を見知らぬ人たち……夫や妻や子供のいるまっとうな社会人たちに挟まれると、ついに家庭を築けなかった自分の正体がありありと思い出されて、ものすごい量の汗が吹き出てくる。服を買うときも、床屋に行くときもそう。
医者は対人恐怖症だと診断したが、症状としてはパニック発作に近い。根幹のところでボタンを掛け違えていると、僕には分かっている。あわてて精神安定剤を口に放り込む。


結局、この肉体が邪魔なんだ。この歳で「笑顔がいい」と言われるようになったけど、トータル的に根本的に、自分の肉体が好きじゃない。美しくないから。
で、美しくなるため、自分の体を好きになるために「鍛えなくてはならない」「努力せねばならない」としたら、実はそういう問題でもないのだ、とお答えするしかない。男である時点で、まずイヤなんだ。さりとて、性転換したいという次元の話でもない。もっと観念的な話だ。

漫画『攻殻機動隊2』に、マッチョなオヤジの義体の中から小柄な少女が出てくるシーンがあったが、僕はマッチョなオヤジではなくて、小柄な少女になりたい。いまの肉体に足し算しても引き算しても無意味なんだ。
少女の美しさを心からうらやみながら、それと同時に自らがうらやむ少女でありたい……と言えば、いくらか正確だろうか。


いま、自分にしか出来ない仕事がどんどん増えてきて、本当に充実している。
だけど、もう何年もプライベートで異性と話したことがない、旅先で道をたずねられるか、スーパーのレジのおばちゃんに「いらっしゃいませ」と言われるぐらい……と告白したら、みんな引くんじゃない? 女性と話して何が面白いのか、どうしてあんなにモテたかったのか、もう僕には分からなくなってる。性別なんて面倒だなと、つくづく思う。

僕の仕事の多くは、50年分の苦しみや痛みから生まれた理想を、他人の口に入れられるよう、甘口に加工調整したものだ。
だけどもしテクノロジーが自己嫌悪を「なかったこと」にしてくれるのであれば、僕はそっちに賭ける。バーチャルYouTuberは「少女に憧れながら、少女の姿のまま永遠に生きる」不死テクノロジーの、原始の姿なのだという気がしている。

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2018年7月 1日 (日)

■0701■

「リップスティックのプラモデル」は、誰がどんな理由で開発したのか? リサイクル事業の“日本環境設計”が、その秘密を知っていた!【ホビー業界インサイド第36回】(
T640_766655一体どういう経緯で開発された商品なのか気になって、取材をお願いしたところ、かなり意外な顛末を聞けました。
プラモデルの話題は、つい「このように作ろう」「こんな風に楽しもう」とエンドユーザー側で閉じてしまいがちです。それは他の人にまかせて、プラモデルが社会とどう折り合いをつけて居場所をつくっているのかを、僕は取材していきたいと思います。


金曜日は『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』の初日、吉祥寺オデヲンにて、旧友と。
ミレニアム・ファルコンの外装がどう変化していくのかを期待して観にいったのだが、単に無理な飛行をしてボロボロに壊れるというだけで、アッと驚く変化はなかった。しかし、メカニックのコンセプトは優雅で品があって、冷たさすら感じさせるほど洗練されており、それも劇映画の思想の示し方だろうと感じ入った。
2334_l337_main_2もうひとつ、旧三部作の根底に流れている自由への希求、解放と反乱が、そこかしこに見受けられた。
特にドロイド解放運動家のL3-37の存在は、存在自体がパロディであり風刺であり(“彼女”の上腕はR2-D2と同じパーツだ)、シリーズの裏側に見え隠れしていたドロイドに対する不当な扱い(たとえば酒場の主人はドロイドを入店させないし、C-3POは設計者から途中で放棄されて記憶を消去され、一度はバラバラに解体されてしまった)を炙り出していて、興味深かった。


以前に、ジャージャー・ビンクスを無声映画時代の「登場人物の細々とした内面描写や長々とした科白回しから離れて、純粋な身体の運動を映像としてとらえ続けていたいという欲望」と絡めて語ったことがあった()。
Phoebewallerbridge1354098L3-37はジャージャーと同様、CGモデルによる置き換えを前提に演じられたキャラクターだ(左の画像引用元は)。別にスーツメイションでも構わなかったはずなのに、どうしてCGキャラにしたのだろう? チューバッカと差別化する意図が大きかったと思うが、作り手の意図など超えたところで、CGで描写されたキャラクターやメカニックは、劇映画ジャンルで独特の地位を占めつつあるのではないだろうか。

劇中、「ドロイド・プロレス」で人間たちに戦わされている箱のようなドロイドたち。あれはスーツメイションだったと思う。
彼らを「ドロイドとしての誇りを持ちなさい」と啓蒙するL3は、CGキャラなのである。そして彼女は、奴隷として人間を管理していたドロイドの制御ボルト(このガジェットを文芸レベルで扱ったのは本作が初ではないか)を外して、ドロイドと人間の両方を解放する。人間の俳優とスーツメイション、あるいは単なるパペットのドロイドを解放するのがCGキャラ……ここには、「物語」とも「テーマ」とも違う、別のドラマが生じているように、僕には見える。

L3は「登場人物の細々とした内面描写や長々とした科白回し」から映画を解放する、「純粋な身体の運動」そのものなのではないだろうか? 彼女の(解放)運動を純粋に視覚化するために、ひょっとすると生身の身体は邪魔なのかも知れない。


似たことが、CG製のミレニアム・ファルコン、いや物理的に模型として作られたミニチュア全般にも言えるような気がする。それは観客を騙す目的の“作り物”が劇映画の中でどんな役割を果たしてきたか、という遠大な話になってしまうので、ここでは避けよう。

「面白かったか」「感動したか」だけで映画の価値が決められるのは、SNS時代では仕方のないことだ。だけど僕は、網膜に映っているのに「見えていない」ものとして処理されているレイヤーの話をするのが好きだ。

(C)Disney
TM & (C)Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved

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2018年6月23日 (土)

■0623■

月刊モデルグラフィックス 8月号 25日発売
●組まず語り症候群68回
ICM製のT型フォードと女性整備士3体のセットを取り上げています。来月から担当者が変わるので、またちょっと別の方向へ向かいそうな感じです。

月刊ホビージャパン 8月号 25日発売
A14x3svxcl_2●マックスファクトリー1/20ガウォーク
巻頭特集にあわせて、企画担当者にインタビュー。現場に真っ白なテストショットしかなかったので、あえて素組みの同スケールのミンメイを立たせて、グラフィカルな写真でページ構成しました。

●『ひそねとまそたん』16ページ特集
作品解説、キャラクター解説、各話解説、各メーカーの動向、合わせて4ページを手伝いました。
他のページは、岐阜基地への取材、実際のF-15パイロットへのインタビューなど、作品への興味をしっかりと誌面に根づかせた堅実な企画ばかりで、最終回直前に見るには、うってつけの内容です。

いつでも誰かが誰かの代わりをしている――「カウボーイビバップ」の熟成された作劇【懐かしアニメ回顧録第43回】
いつもは構図や演出のことを書いてますが、今回はシナリオに寄った部分です。
「お話」は感性に頼った、情緒的なものだと思われているでしょうが、シナリオは計算の塊です。シナリオの入門書を手にとってみてください。徹頭徹尾、ロジックです。僕の不得意分野です。
だから、この『ビバップ』の記事も、今ひとつ腑に落ちないと思います。フェイが銃を抜くのとスパイクが銃を抜くのは、ほぼ同時刻です。それまでの情報の蓄積、何を伝えて何を隠しているか、もっと厳密に測るべきです。何となくカッコイイ、ではなくて。


シナリオでは誰と誰が出てきて、舞台はどことどこで……と、物語の概略が見積書のように網羅されます。
ようするに、文字を読めば分かるような「物語」が一度、シナリオで完成するわけです。いったん完成したところから、カメラで撮る行為を「また新たに」始めないといけないのです。それだと戯曲と何も変わらないので、だいたい何を話すかだけ決めて、アドリブでカメラを回す監督が伝統的にいます。ジョン・カサヴェテスがそうだし、ヌーヴェル・ヴァーグやネオレアリズモ、彼らの発明を無意識に継承している作家は、今日でも数えきれないほどいます。

僕は、この2018年にアニメーションを題材に、シナリオの論理や演出効果などの分析をやることの空虚さを感じています。社会の中でのフィクションの位置づけが劇的に変わってしまったのに、1996年の『エヴァ』ブームの頃のような、テレビアニメの再評価、再整理、映像作品として価値を測り直す行為を、なんとなく惰性で20年も引きずっている感覚が、僕の中にはあります。
ホビージャパン誌で「各話解説」なんてものを書きましたが、わざとBOOKがどうとか、音響効果がどうとか、カメラの画角が、背景の筆のタッチが……と、文学的な評価をしないように努めました。セリフやシーンから、テーマやメッセージを読み解く試み自体が、あまりにクラシカルで無意味だから。


いや、本当は無意味ではなくて、「どうして泣けるのか」を上手に説明して、「それで俺はあんなに感動したのか!」とネット上で納得することには意味、価値がある。レビューなり評論なりの中身ではなく、手っ取り早く「そうだったのか、やっぱり神アニメだな!」と盛り上がること自体に価値がある。
「映画を一緒に行った友だちが引くほど、声を出して泣いた」「3度、いや4度、号泣した」「泣きすぎて席を立てなかった」とSNSに書くことに、おそらく価値があるんです。バカにしているのではなく、「こんなに凄い体験をした」「猛烈に感情が揺さぶられた」と不特定多数の他人に宣言することが、強く求められている。

僕がヒッチコック映画や黒澤映画の構図の完成度、カメラワークの必然性に言及するのは、考古学のようなものだし、もう死んでしまった研究家たちがたどった道です。だから、誰も共感しない。
最速で最新の映画を観にいって、誰よりも激しく感動を表現すること。「くわー泣いたー!」と、どのタイミングでツイートすれば「いいね」を押してもらえるか、そのノウハウを教える講座があったら、意外と面白いんじゃないかと、割と本気で思ってます。


ロジックでもなく、考古学的な演出解析でもなく、「このうえなく激しい体験」として映像作品が望まれているのだとしたら、4DXだのMX4Dだのも分かるんですよ。再現性に乏しい、期間限定の上映形式だから。

80年代、ぴあを抱えて名画座通いをしていた僕のような世代は、ぎりぎりクラシカルな映画評論に楽しみを見出せます。映画評論的なアニメ評論を読んでみたい、書いてみたいとも思います。だけど、それは20年前にも頑張ればやれたことだろうし、20年前は豊富に読めたような気もします。
あの時代に豊かな評論を読めた人たちは、「あれと似たようなものを書けばそれっぽくなるはずだ」と思い込んでしまっている。僕は書きたいから書いているけど、時代に響かないですよね。それを自覚しないと、仕事としては無益なことを重ねてしまいます。

僕はアニメ媒体からは剥離しつつあって、本当に信頼しあえる人たちと、やや変わった環境に仕事の場を固めつつあるから、それで気がつけたのかも知れません。

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2018年6月19日 (火)

■0619■

4Dアニメ屏風「トキノ交差」によって、四宮義俊監督は何を“乗り越えよう”としているのか?【アニメ業界ウォッチング第46回】
T640_764048渋谷スクランブル交差点の四面モニターでしか完成映像を見ることのできない、インスタレーションのような短編アニメ『トキノ交差』の四宮監督にインタビューさせていただきました。
この一本が、すごい完成度というわけではないです。また、四宮さんに突出した才能があるとは、今は言い切れないと思います。YouTubeにアップされた動画を見て、イマイチだと感じる人がほとんどではないでしょうか?
でも、「ちゃんと渋谷駅前の交差点で見たか?」と反論できるところが、この試みの面白さです。「渋谷駅前でしか見られないなら、こうすべきではなかったのか」とは、誰にも言えないはずです。予定調和より、答えの見えないことの方が、ずっと面白いです。

Jウイング 8月号 21日発売予定
616uuqxpnql●変態飛翔生体 大図解
『ひそねとまそたん』記事、第2回です。今回は、第一回のようなドラマチックな出来事()は起きていませんが、やはり僕にとっては異種体験だったし、完成した記事は航空雑誌のページとしては正常なのか知れないけど、アニメの記事としてはタガが外れています。
僕が出したアイデアを編集長が10倍の濃度にして投げ返してきて、僕が手元にあるアニメ用資料の中から情報を付け加えて、また専門知識で投げ返されて……の繰り返しで生まれた2ページです。

今回は、キャラクターの絵は一枚もないです。その代わり、多分どこにも載っていないであろう設定画が掲載されています。


タミヤ模型の田宮俊作会長が「功労賞」を受けたとのことで、昨日、文化庁メディア芸術祭35524082_1743833632377210_274174896 の受賞作品展に行ってきました。
16日土曜日に俊作会長の講演があったのですが、予約こそしたものの、どうしても外せない打ち合わせが入ってしまい、行けませんでした。ですが、聞きに行った方たちは何とも微妙な感想を持っているようです。

「功労賞」だから、展示スペースが狭いのは仕方ない。だけど、リアルタイムでタミヤのプラモデルを楽しんでいる僕としては、受賞理由が「プラモデルの草成期から業界を牽引してきたから」なのが腑に落ちず、箱絵やロゴマークを今さら評価する姿勢にも首をひねりました。
エポックだったことは分かりますが、51年も昔のキットがロクな説明もなく展示されていて、最新キットがスルーされていたのは「功労賞」、「長いことお疲れ様でした」という意味なのでしょうか。アニメや漫画やゲームは、最先端のものが評価されてるのに、プラモデルだけは「素朴で懐かしいもの」「昔かたぎの職人が手づくりで頑張ってるもの」、ようするに『三丁目の夕日』カテゴリーに入れられてしまう。

そのレベルにまで落とした方が、選者や編集者が楽だし、受け手も楽に理解できるんですよ。楽に理解できるということは、そこから先へは入ってきてくれない、という意味です。


メディア芸術祭を叩いても仕方ないので、もっといい媒体で、いい記事を見てもらえるように努力するしかないんです。

簡単なことが、当事者の勇気がなかったり、段取りが下手だったりして、どんどん潰れていく。潰れないまでも、連絡や報告が雑すぎて、やむなくクオリティを落とさざるを得ないことは頻繁にあります。
どんなに才能やセンスがあっても、締め切りを守れない人には仕事は振れない。すると、ごく少数の人がたくさん仕事を引き受けざるを得ない。その現実を、ありありと肌に感じているところです。

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2018年6月 8日 (金)

■0608■

ニュータイプ 7月号 明日発売
Dfigjk4ucaefnoi『ひそねとまそたん』 小此木榛人役・梶裕貴さん インタビュー
ラストスパートに向かいつつある『ひそまそ』で、後半のキーパーソンとして意外な正体を明かした小此木を演じる声優、梶裕貴さんにインタビューさせていただきました。

とはいえ、僕は最初に予定されていたインタビュアーの代役でしかなくて、どういうページになるのか聞かされていませんし、いわゆる著者校もありませんでした。
梶裕貴さんのファンの方が楽しみにしてらっしゃるので、それで良いのかな……と納得しています。


谷口悟朗監督がアニメ雑誌に触れたインタビューが、ちょっと話題になっているようです()。
僕はもう、アニメ専門の媒体からは距離を置いていて、「アキバ総研」の連載は自分で興味のある作品や人にだけ、直接コンタクトをとるようにしている。インタビュー原稿は事前チェックはしていただくけれど、僕の名前が入る以上、最終的なテキストは僕が決定して、アップしてもらう段取りを組んだ。

というのは、アニメ作品について取材して、監督や声優さんご本人が「ちょっとこの発言は誤解を招きやすいので……」と修正を求めてくるのは分かりますよ? 赤だけでなく、青や緑、黄色で4重ぐらいに訂正が入って、全部つなげると日本語にならない場合さえあるんです。関連各社が、あれこれいじりすぎて。
たいていの編集者は、そのズタボロになったテキストを、そのまま使ってしまう。「文:廣田恵介」と出てしまうのに(笑)。
それに、読者さんに「アニメのインタビュー記事なんて、こんなに雑なものか」と思ってもらいたくないから、僕は最終的に文章を割ったりまとめたりするんです。「えっ、○○監督に修正していただいた文章をさらに直すんですか?」と編集者には青い顔をされるんだけど、当たり前でしょ、こっちだってプロなんだから。


僕は『機動戦士ガンダム』20周年記念のLD-BOX発売告知ページで、初めてライターの仕事をした。今年で、ちょうど20年目だ。
Dscn9007_5448『地球少女アルジュナ』のDVDブックレット制作を頼まれ、『創聖のアクエリオン』ではCDドラマの脚本まで書かせていただいた河森正治監督の『マクロスF』が放送されたのが、2008年。
前二作で仲良くさせていただいたので、『マクロスF』のメイキング記事は「アニメーションノート」と「アニメージュオリジナル」で、本当に好き勝手に伸び伸びとやらせていただいた。今でも誇らしく思っているし、読者からの反響もしっかり伝わってきた。

その時は、プロデューサーや監督と、ときには電話で口論するぐらい、じっくりと内容を煮詰めることができた。他の作品でも、夜中の3時にアニメーターから電話がかかってきて記事の修正を依頼されたりもしたけど、それはそれで納得して修正することが出来た。
それ以降、クリエーター以外の、広報とか宣伝とかの担当者が、無断で記事を書きなおしてしまうことが少しずつ増えていった。まったく違う文章のまま「文:廣田恵介」として出版されてしまったことを悔しいというか、とても理不尽に感じて。


一番ひどい時期には、広報担当者の「これって、ちゃんと自分で調べましたか? ウィキペディアをコピペして楽してないでしょうね?」という小言がゲラに書いてあって、そこまでいくと、権利者という立場を利用したパワハラだよね……。
文字だけの著書で絵を使ってなくても、作品タイトルを使っただけで版権担当者が電話してくるなんて話を聞いたことがある。権利者意識が、肥大しすぎている。

僕が最後に仕事した編集部は、メーカーや制作会社の過干渉を前提に、びくびくしながら作品を選んでいた。巻頭で○○という作品をやることになったので、廣田さんのページでも○○を取り上げてほしい、とか。そうせざるを得ないのは、僕が□□という別作品を提案しても、□□の広報窓口からずーっと返事が来なかったりするから。
仕方なく○○で行きましょうと決めても、1週間たっても2週間たっても、頼んだ素材が届かない。夜中どころか、朝までえんえんと待ちつづけている。

そんな猛烈なストレスを抱えながら、編集者はひとつも文句を言わない。「もう、僕が直接話しますよ」と言っても、なぜか先方の担当者名を教えてくれない。
あなたは誰のために、何を守っているの? どこの誰にこの記事を見せたいの? メーカーや制作会社から怒られまい、と我慢しているだけじゃないの? もはや、僕の意図したページからかけ離れた内容に変えられてしまったし、もういいよ、こんな屈辱に耐えてまでアニメの記事をつくる理由はないよ……ってことなんです。もう、主体性がガリガリと削り取られていくから。


いま、三鷹コラルという商業ビルで『この世界の片隅に』資料展をやっているけど、こっちはDscn8600 ストレスが皆無に等しい。昨年の『魔法の天使クリィミーマミ』ビジュアル展も、版権窓口の方、商品担当の方とひとつひとつ確認しながら、丁寧な仕事をすることができた。
もちろん最初は、こんな場所でのアニメのパネル展なんて影も形もなかったんだけど、地元に認知されてきて、仕事として回りつつあるんです。それで分かったんです。仕事って待つものじゃなくて、自分でつくるものだって。

あと、「Jウィング」の『ひそまそ』記事()みたいに、まったく別ジャンルにアニメの記事を持ってくるとか、横に広げる仕事なら、良くも悪くも、かつての僕のノウハウが生かせる。別の業種の人たちは、まったく新しい常識でアニメに切り込んでくれるから、すごく新鮮だし。
狭い業界の理不尽な決まりごとの中で、周囲の顔色うかがわう必要、本当にありますかね? 自分にとって楽しいことだけ、誠心誠意、やっていこう。濁った水を飲み干せなんて、誰からも強要される覚えはないからね。

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