2022年5月 1日 (日)

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「機甲創世記モスピーダ」のレギオス・アーモダイバー(イマイ)を組み立てたら、“中間形態”ゆえの不安定さにクラクラした!【80年代B級アニメプラモ博物誌第21回】
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今月の素組みは、『モスピーダ』のアーモダイバーです。


少し前に、「自己愛性パーソナリティ障害の呼び名が使いづらい、もっと的確で手軽な呼称がないか」と書いた。
漫画や広告を吊るし上げるツイフェミの人たちも、ほとんど自己愛性~で解説できてしまう気がしている。高校のころ、痴漢を捕まえたら相手は大企業の社員で、謝りに来たという話をTwitterで読んだ。
確かに日本社会に痴漢は多く、嫌な思いをしてきたことは分かるのだが、途中で「はっきりいうけど、大学は海外に行ったんだよ」という話題の切り替え方をしている。本当の話なら「はっきり言うけど」なんてもったいつけなくてもいいと思うのだが、留学したとか英語が話せるとか外国人の友人がいる、海外で働いている系の見えすいた自慢はフェミ……というより、自己愛性~の人にすごく多い気がする。
「実は自分は凄いんだ」「学業が優秀だったんだ」と隙あらば注釈を入れざるを得ないのは、社会に対して「役に立っていない」というコンプレックスがあるからじゃないだろうか。それでいて、プライドが高くてバカにされたくないから「なめんなよ!」とネットでイキるしかなくなる。

男性フェミニスト(?)のシュナムルさんの発言でも、「こんなに専門的で難しい話を娘に聞かせてやっている知的な俺」に陶酔している様子が、あちこちに顔を出す。いかに知識が多くても、そうやってTwitter上での自慢話にしたとたんに安っぽくなることが分かってない。……いや、分かってはいるんだけど、自分の夢想する「理想の自分」を維持するため、「生身の自分」を犠牲にしているというべきか(もし娘さんが実在するなら、父親が自慢するダシに使われて可哀そうな気がする)。
結果、現実の自分はほったらかしで理想だけが際限なく高くなっていく。せめてネットで勇ましい自慢話をして現実を忘れるしかない、それが自己愛性~の悲劇だと思う。
「ありのままの自分が好き」なのではなく、「過剰に理想化された自分が好き」なので、相手を自分の幼稚な幻想に巻き込もうとする。


先ほどの「痴漢を捕まえた」ツイートで勉強になったのは、「二次被害になるので痴漢被害者の連絡先は被疑者には教えないはずなので、警察の人が悪いんじゃない?」と、冷静に矛盾をついてきた人がいたこと。
それに対するツイート主の答えは、「父と今話をしていたのですが、父の記憶は警察から弁護士があって直接謝罪をしたいと言ってるが、私が未成年だし当事者なので親が代理でみたいな話から連絡が来たと言っていました。」
「いま父と話をしていた」って、後から設定を付け足したにしては、あまりにも苦しいでしょう……というより、いかにも取ってつけた言い訳だと自分では思わないのだろうか? 自己愛性~の人は、あからさまな嘘を相手に呑ませる傾向がある。「これ以上疑うなら、あなたも加害者だ」などと相手に罪悪感を抱えさせて、自分が身軽になろうとする。

「信じてもらえないなら、まあ仕方ないか」と、大きく構えることが出来ないんだよね。「いつ、どこでボロが出るか」「ちゃんと自分の期待どおりに他人が評価してくれるだろうか」と、いつも張りつめていて息苦しい。だから事前に、自慢話で防御せざるを得ないわけだ。
「もうちょっとうまい同調の仕方あるじゃん、勉強になりますーでもお詳しいんですねーまだまだ女性差別は根深いですねーでも。なんでこんな融通聞かない頑固親父みたいなリアクションしかとれないんだろ。」
これはシュナムルさんに対する感想だけど、まさにこれ。融通がきかない。自分が悪くなくても軽く謝罪しておくとか、その場を気まずくせずに自分が多少は損をするような大らかさがない。フェミというより、自己愛性~の人たちの特徴。自分が少しでも折れたら負け、という狭量さ。「まあ、いいか」「別にいいですよ」と、自分や他人を許せる優しさこそが、人生を豊かにするのだと思う。

※メモ
“だから反出生主義でもフェミニストでもないんだってば。自分が得ることの出来ない「幸せ」とされてるものすべてを否定することで、自分を救おうとしているだけの人達なんだってば。目的がそこなの。正義じゃないの”


ほぼ2~3日に一度は、夕飲みに出かけている。陽気がいいので、電車に乗ってまで飲み場を探してしまう。
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都内某所……とだけ言っておくが、イベント参加のために泊まったホテルから二駅。以前に時間が合わなくて入れなかった店の前に、開店時間と同時に着いた。庭園に隣接しているので、ビニールカーテンの向こうは夢のような夕暮れの光景だった。

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2022年4月24日 (日)

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おとなが愉しむ プラモデルの世界
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セブンイレブンで発売されているムック本。監修・執筆を行いました。
お勧めキットのセレクト、各メーカーさんへのサンプル送付のお願い、画像の申請、取材の申請、撮影のディレクション、とにかく何でもやりました。静岡コーナーと田宮俊作さんのインタビュー、店舗ガイドなどは他のライターさんです。
ぴあのディレクターのほか、編プロさん、構成などを考えたライターさんとはリモートで定例会をもち、ほんのたまにお会いして一緒に取材したりしました。何でも意見できて、のびのびと仕事のできる優れたチームでした。誰かのミスは、必ず誰かがキャッチしていました。
そして、ストレスをためずに自由に仕事ができて、十分なギャラを得られた経験は、真っ青な空のように自分の人生を照らしてくれます。

アニメ業界の新人たちに必要なこととは――? アニメーター・コーチ、小島昌之さんに聞いてみた【アニメ業界ウォッチング第88回】

釣りファンも模型ファンも注目、「ルアープラモ」をつくった老舗の金型メーカー、株式会社マツキさんに人気の秘密を聞いてみた!【ホビー業界インサイド第80回】
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目の前に川の流れている下町の工場と呼ぶべき金型メーカーさんに、取材してきました。模型専門誌が拾わない小さなニュースは、しっかり僕が取材していきます。


19日(火)は新宿に前泊して、初台の東京オペラシティアートギャラリー、「篠田桃紅」展へ。
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無意味に思える抽象的な描線を、何とかして動物や人間に解釈しようとするのは、僕の認識力がそのように慣らされているせいだろう。抽象画を見ることは、その脳の慣れを排除することだ。
やがて、力強い描線が普段は眠っている深層へと訴えてくる。それは僕たちが無意識野に押しやっている、言語化未満のかすかな記憶だ。たとえば、若いころの強烈な思い出を正確に記述しようとすると、「こんな人と会った」「こんな事があった」といった物語的な出来事ではなく、色や模様で表現せざるを得ないのかも知れない。それが生きる、感じつづけるということではないだろうか。
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アートギャラリーはコレクション展も充実していて、中西夏之の絵もあった。こうした絵は目覚める直前の混濁した意識、遠すぎて思い出せない記憶の再現に思えてならない。
この日、中野までのバスが出ているのに気がついて、見知らぬ通りをバスに揺られて、放浪の人生を送っているかのようなゾクゾクする気持ちを味わった。


水曜日はスタジオで撮影、木曜日は吉祥寺まで裾上げしてもらったパンツを取りに行って、帰りに松月でビールを一杯やった。
金曜日は根津美術館へ、「燕子花図屛風」展へ。
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屛風絵は、立体的に展示するのでディオラマ的な表現だ。そのグラフィカルなデザイン性に、興味をそそられる。そして、人の大きさに合わせて描くので、実物を見ないと評価ができない。
すばらしく天気がいいので、ひさしぶりに海へ向かう。竹芝近辺のレストランは、ホテル併設で料金が高すぎる。なので、台場で以前によく利用していたレストランへ行った。
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中東系のウェイターが、「予約席ですけど5時までなら使っていいですよ」とテラス席に座らせてくれた。安いし、信用できる店だ。
家族連れが、ワインをあけて賑やかにパーティを開いている。しかし、海側はおそろしいほどの静寂で、その鮮やかな対比に「永遠」を感じる。誰にも邪魔されない、完全な自由。
しかし、お会計のときに大学生のような若い男たちが、だらしなく座ってビールを飲んでいるのが見えた。うるさくしないのは別にいいのだが、こうまで安いと色々な層の客がテラス席で飲みたがる(平日だったのだが)。なので、自分だけの特別感が薄れてしまうのだ。


翌日の土曜日は朝から打ち合わせで、昼からは自由なので、てきとうにバスに飛び乗った。この解放感!
しかし、夏のような気候の中、昼飲みの場所を探すのは手間取った。まず江戸川橋で地下鉄に乗り換えて、三田駅で降りた。御成門の近くの高層階にあるレストランがホテルに併設で、あまりに金額が高かったからだ。駅からすぐの居酒屋にテラス席があるというのだが、そこは雑居ビルの踊り場のような場所で、お世辞にも眺めがいいとは言えない。
そこで、そこから10分ちょっと歩くが、以前にマークしておいた運河沿いの店を訪ねてみることにした。
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駐車場もあるが、とにかく空いている。入ってすぐのところに、子供向けのくじのような物が置いてある。近くに高層マンションが多いせいか、よく子供連れが来るようだ。
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テラス側は川沿いの遊歩道に面しており、なんと船から来るお客さんもいた(調べてみたら、隣にホテルがあった)。
とても静かで、僕の後ろに近所の親子連れが来て、子供はアイスクリーム、お母さんはアイスコーヒーだった。店員さんは、とても親しそうに話しかけていた。駅からは歩くが、近所の人に支えられているのだろう。開店一周年だそうだが、きっと長く愛されるだろう。

グーグルマップを見てみると、以前に倉庫街を眺めながら飲むために行ったバグースバーが近い。歩いて行ってみることにした。
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ところが、この写真より一段低いところに、遊歩道と混じり合ったようなベンチ群があり、そこで外国人たちが酒盛りしていた。アベックで、缶ビールか何かを傾けている人たちもポツポツいる。
以前の僕なら、彼らをタダで楽しんでいる人として軽蔑しただろう。しかし、彼らの席の方が運河に近い。なぜか、あれはあれで楽しいんだろうな……という気持ちになった。前日の、アクアシティお台場5Fのレストランは、テラスの向こうが空だけだったので陶酔感が決定的に違う。その時その時の気分にもよるのだろう。


最近観た映画は、ゴダール監督『女は女である』、ジョディ・フォスター監督『マネーモンスター』、『ガス燈』、『にがい米』、『山河遥かなり』。
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『にがい米』が、圧倒的にリズミカルで躍動感があって面白かった。
厳しい労働に耐えている女たちが、一斉に反乱を起こす。
田んぼで腰を曲げて働いていた女たちが、申し合わせたように手を止めて腰を伸ばす。次のカットでも、別の女たちが腰を伸ばす。監督している数人の男たちが、同じタイミングで振り返る。次のカット、また女たちが手を止めて腰をのばす。別の監督役の男が、振り向く。次のカット、もたしても別の女たちが腰を伸ばす。
ここでようやく、男が「仕事を続けるんだ」と怒鳴るが、それまでまったく台詞がない。女たちが手を止めて曲げていた腰を伸ばす、そのミュージカルのような演技の積み重ねだけで、反乱が起きたことを示している。こういう機能的なシーンを、いつも探している。

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2022年4月15日 (金)

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EX大衆 2022年5・6月号 本日発売
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“ファーストガンダムの隠れた名作が映画化! いま、新たな1ページが開かれる 『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』考察ガイド”、特集記事を執筆しました。ザク研究、映画化されなかったベスト・エピソード選集など。
この手の企画記事は、お手の物です。

カメラは近づき、カメラは遠ざかる――「戦闘メカ ザブングル」第1話に見る富野演出の基本【懐かしアニメ回顧録第89回】
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アキバ総研で連載しているコラム。ひさびさにストーリーではなくて、演出のことを書けました。


「いま、ウクライナで起きていることが理解できる」と古くからの友人が言うので、プライムビデオで『あの日の声を探して』を見た。
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現代とは思えないような、泥臭く原初的な人間の堕落、憎悪がむき出しに描かれている。
確かに優れた映画なのだが、そういえば「友人が話題にしていたから」……などという理由で映画を見ること自体、ひさしぶりのことだ。いつもは、ただ自分の内面や記憶とのみ対話して、その日にやりたいことを決めている。誰とも話さない。せいぜい、喫茶店の人に注文を言うか、クリーニング店に衣類を出すとき、事務的な会話をかわすぐらいだ。

どこからどこまでを友人と呼ぶのか分からないが、少なくとも「親友とそれ以外」という考え方をやめた。「彼は親友だから」と関係を口にした途端、たちまち呪縛となる。そこまで他人に期待しない、そこまで他人を追わない……それが、僕の生き方になっている。
たまたま、仕事でも付き合いのある人と飲む機会が重なったのだが、やはりどうしても相手のペースが気になり、自分の機嫌とのバランスを考えてしまう。相手を尊重しつつ、自分が後悔したりしないように……そのバランスを考えるのに疲れたから、ひとりで過ごすようにしている。
反面、友人がひょいと映画のタイトルを口にしてくれたように、自分とは関係なく遠くで世界が動いているのだと実感できる、この距離感も心地いい。孤独だけど孤独じゃない。海外旅行へ出ると、この温かい疎外感をキープできる。
こんな雨の日、喫茶店で窓際にすわって濡れた街路を眺めるのもいいが、常連客が大声でマスターと雑談している、その自分とは無関係の世界の残響に身を浸すのも楽しいものだ。ずっと、自分には孤独を楽しむ素養があった。しかし、若いころは「友達はたくさん居るべき」という俗説に取りつかれていたので、この年になってようやく味わい方が分かってきた。


一方、他人に依存し、他人を犠牲にすることで不自然なまでに自分が優れている、ケタ外れに優遇されていると意識しつづけねばならない自己愛性パーソナリティ障害の人たちに、もっと手短な呼び名はないだろうか?と考えている。「人格障害」では差別になるので、「パーソナリティ障害」なのだと聞いた。長すぎて覚えづらいとは、誰も思わなかったのだろうか。
「発達障害」「PTSD」という呼び名は、社会に定着した。言葉は悪いけど、バカとかマヌケとか無能とか、あきらかに社会に存在していたのに「努力が足りない」などと適当に言いくるめられてきた多数の人たちが、顕在化された。「発達障害」という呼称で救われた人は、かなり多いと思う。
そして、自己愛性パーソナリティ障害の人たちによるモラハラやドメスティックバイオレンスなどの加害と支配は、社会の一部と言ってもいい。しかし、彼らはナルシシストとかサイコパスとか、おおいに曲解されうる通俗的な呼び名しか与えられていない。それでは、問題が可視化できない。

自分が常に話題の中心にいないと気がすまず、ウソをついてまで他人の心に踏み込んでくる……何か問題が起きたとき、自分だけは責任を負うまいと他人を攻撃する。そういう幼稚でずる賢い人たちのせいで、どれほど多数が人生を台無しにされただろう? 自己愛性パーソナリティ障害は、社会の病根だと言ってもいい。
そういう迷惑な人たちは社会で養ってあげて、本当に仕事のできる人たちのみが、十全に能力を発揮できる間だけ働けばいいと僕は考えている。


『あの日の声を探して』以外で、見た映画。
『リリーのすべて』、『キャッツ』。どちらも、トム・フーバーの監督作品だ。
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『リリーのすべて』は、性別と異なる内面を持った男性が主人公で、しかも彼は画家である。したがって、『英国王のスピーチ』以上に画面は絵画的に構成されている。二重になった自我を表現するため、鏡面も積極的に使われている。その絵画性に着目すれば、『キャッツ』のように人工美にあふれた作品も理解できる。『キャッツ』はカット割りも構図もへったくれもなく、俳優と特殊メイクとCGによって描かれた動くイラストレーションだった。

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2022年4月 2日 (土)

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キャラクター・プラモデル・アーカイブVol.001 4月5日発売
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企画から半年も経って、よ~うやく発売になります。作例ページ以外のキット素組みレビューなど構成・執筆です。
「ホビージャパン ヴィンテージ」の特集ページをまとめて、『戦闘メカ ザブングル』のページを他の2作品に合わせて新しく編集し、インタビューも新規に加えました。富野由悠季監督、出渕裕さん、湖川友謙さん、設計者の村松正敏さんです。
富野監督のインタビューは、プラモデルも含めたメカニック観を語ってもらったもので、なかなか他では読めない貴重な内容になっていると思います。


先日、クリーニング店で太っちょの女性に待たされた話を書いた。ちょっと意地悪く書きすぎたかも知れない。
つくづく、僕は人間社会を軽蔑してるんだろうと思うけど、「店」「客」は簡単に誰でも力関係を築けるので、注意して振る舞わなければならないと実感している。
セルフサービス式で、駅から近いチェーン系の店には、最底辺の客が集まる。撮影や取材の帰り、「改札内だし、軽く駅そばでも食べていくか」などとフラリと寄っていくと、だらしなく椅子に座って、食べ終わっても無料で取り放題のネギなどをつまみながら、ずーっとスマホを眺めている自堕落なサラリーマンを見かけてしまう。
「こっちは客だぞ」「片付けるのは店員の役目だろ?」という力関係に持たれかかった人間は、とことん図々しく、だらしなくなる。


僕がよくビールを飲みに行く公園の休憩所があるが、中年女性でひどい客がいた。
まず、注文した料理を残す。ただ残すのではなく、皿の上に散乱するように汚く残す。口を拭く紙ナプキンなども折りたたまずに、適当に丸めるめて机の上に捨てる。そして、家族経営の小さな店なのに、1万円札を出す。
それぐらいなら、「たまたま大きな札しかなかったのかな?」と思う程度だっただろうが、その人の入った後に店のトイレに入ると、手を洗う水が出しっぱなし。使ったトイレットペーパーが、床に落ちている。
それで、わざと500円程度の支払いに万札を出したのではないか……と、疑ってしまった。もちろん、店の人たちは「お釣りのお札がなくなった」と困っていらした。

ここまで読んで、「どうしようと客の自由だろ?」と思った人もいるだろう。
だから、それが底辺の、貧乏の、品位の低い発想なのだ。一万円札を持っていようと、心が貧しければ貧乏だ。
普段から、「私はそれなりに品位を保つ努力をしている」という自信があれば、お店の人も同じ人間なのだから、私のせいで余計な仕事が増えないように……と考える余裕が生まれる。店を汚く使う人には、「こっちは客だぞ!」という幼稚な特権意識しかない。


40代に入ってから、清掃のアルバイトをしていた時期がある。
それなりに名前の通った飲食チェーンの本社オフィスだったのだが、トイレの使い方の凄い人がいた。便器が新しくなった時があったのだが、まず自分が最初に汚さないと気がすまないらしく、朝一番に出社してきて、「まだ掃除終わらないの?」とタメ口で聞いてくる。
そのうえ、男性トイレで大便をして、いつも流さない社員がいた。「清掃のバイトのやつらに俺のクソを流させたい」という、あれも力関係に基づく特権意識だったのではないだろうか?

「いい大人が、ウンコを使って特権意識を誇示するか?」と思うだろうが、僕は大人なんてそんなもんだと思っている。社会を支配しているのは高い志しなんかではなくて、どっちが上か下か、誰がこっちの仲間か、ムカつく相手には嫌がらせだ……大人の社会の大半を占めるのは、小学生レベルの力関係だと思う。
駅のトイレは、たいていドロドロに汚れているが、あれも「清掃員の人たちに掃除させる」ことで「自分は少なくともアイツラよりは上だぞ」と思いたいだけなんじゃないか……そう考えたくなるほど、異常な汚さだと思う。


僕はよくテラス席に座ってビールを飲むが、実は眺めのいい店の外、2~3メートルの距離にタダで利用できるベンチが設置してあることが多い。だけど、そっちへ座るぐらいなら、僕は家へまっすぐ帰る。
同じ眺めでも、ちゃんと店員さんの管理する席に座る。そうすることで、自分の行動を制限する。他人様のスペースを借りることによって、「綺麗にテーブルを使おう」「店員さんのことも考えよう」という意識が芽生える。僕の場合、もともとがハゲていてカッコ悪いオジサン客なのだから、他の客や店員さんに気持ち悪く思われないようキチッと座り、きれいに飲食しようと気を引き締める。
わざわざお金を払わないと座れない場に入ったのだから、それに相応しい客であろうと努める。すると、心の中も整理されていく。たいした人間はないけれど、とりたてて恥ずかしい人間でもないだろう……という高度をキープしていれば、電車の中でデーンと足を投げ出すような迷惑な人間にならずに、自信をもって納得のいく人生を送れるだろうと信じている。

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2022年3月26日 (土)

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旧キットの金型改修で爆誕した1/144ザク・マリナーを組み立てたら、「機動戦士ガンダムZZ」の混沌ワールドに溺れかけた!【80年代B級アニメプラモ博物誌第20回】
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いつもの連載コラムです。

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22日に小田原駅前に泊まり、翌朝一本きりの直通バスで、ポーラ美術館へ向かった。
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林の中の遊歩道は、雪のため閉鎖されていた。よって、林の中に展示してあるという作品には出会えなかった。
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しかし、質感に富んだロニ・ホーンの作品は、ゆったりと空間をつかって展示してあり、雪明りの差し込む半地下の建物にも満足した。
「水の風景」と題して、モネの作品を水をキーワードに集めた展示はロニ・ホーンのモチーフとの共鳴を狙ったもので、その意図の明確さに気持ちがよくなった。いわば、印象派は添え物だ。美術館全体を堂々とひとつのコンセプトが貫いている。これが正しいのだと思う。
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365日、大晦日も元旦も休まず営業しているという(近隣の温泉から足を運ぶ客がいるのだろう)。しかし、こんな山奥のカフェの食材は誰が運んでくるのだろう? こんな都会を離れた寂しい美術館で働くのは、どんな気分だろう?
直通バスは確かに数えるほどだが、この一帯に温泉や遊楽施設が点々としており、スマホでパスポートを提示して路線バスを乗り降りする客もいた。乗り換え場所さえ間違えなければ、簡単に小田原駅まで戻ってくることが出来た。

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東京へ戻ってきた翌日、24日は国立新美術館へ向かった。
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ダミアン・ハースト展は、似たような桜の絵ばかりで、開放的な空間を構成している。しかし、「えっ、これだけ?」と拍子抜けするような物足りなさがある。
もうひとつのメトロポリタン美術館展は、行列が出来ていたので素通りするつもりだったが、空いてきたようなので入場してみた。
しかし、この手の「〇〇館展」はパッケージ化されて巡回しており、美術館サイドが企画したわけではないという。まして、新美術館は収蔵作品がなく、小屋を貸すだけの美術館だ。だから、この日も場所を借りて素人の作品を展示する公募展が二つもあった。

カフェに寄ると、いかにも俗物な画家きどりの老人が、若い女性相手に「あいつは美大出身で、俺が絵の勉強を見てやった」といったホラ話を得意げに吹聴している。
そうした通俗的な雰囲気が、メトロポリタン美術館展には濃厚に立ち込めていた。みんなもっともらしい顔で小さな絵を食い入るように見つめていたが、本当にいいと思っている? お互いに顔を見合わせて感心したようにため息なんてついているけど、ポーズだけなんじゃない? こういう権威にまみれた企画を「つまらない」と言うには、それなりに勇気がいると思う。


白けた気持ちを少しでも消し飛ばしたくて、そのまま陽光に照らされた六本木の街を横断して、森美術館へ向かった。
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Chim↑Pom展。彼らの作品は二つほど見たことがあって、覚悟はしていたのだが、高校の文化祭レベルだった。
権威や道徳を蹴破って乱暴に表現するとしても、技術は問われると思う。彼らの作品……というよりガラクタは、とにかく汚い。下手くそなだけだ。お客さんの半分は呆れていたが、もう半分は熱心に写真を撮っていた。悪いけど、最上級の美術展を見たことがないんだと思う。
福島原発や原爆ドームをモチーフにするとしても、「そうでもしないと注目してもらえない」薄っぺらさと余裕のなさが感じられる。そして、こうした批判からも「ほらね? そう言われることも最初から織り込んであるんですよ」と逃げているような、「本気でない」ムードが感じられて、すっかり不愉快になった。

先ほどのメトロポリタン美術館展もそう。芸術になんて本気で興味があるわけじゃないのに、自分を騙して、それっぽく取り繕ってしまう。「自分は凡人とは違うんだ、感性が優れているんだ」と思い込んでしまう。人生に待ち受ける罠のなかでも、これはなかなか厄介と思う。


さて、どうしよう? まだ昼過ぎだ。海や川が近いわけでもないし、飲む気にはなれないので、どこか喫茶店へ行こうか?
高校のあった国立競技場の近辺はよく歩くが、原宿方面がにぎやかな感じがして、前から気になっていた。
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まず商店街の入り口に神社があり、その向こうには怖気づいてしまうほど洒落た店舗がポツポツと立っている。
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駐車場のようなところに、真っ白なプレハブの小屋があって、「なんの店舗だろう?」と近づいてみたら、扉をあけてショートヘアの快活そうな女性が歯を磨きながら出てきた。まるで、ヌーヴェル・ヴァーグの一場面のようだ。
そこから先は、不思議な気分だった。脳内物質が不均衡になり、認知能力が鈍ったせいだろう。道行く人々が、みんな洒落た格好に見えるのは場所柄かも知れないが、誰もが映画のエキストラのように「よーい、スタート」で演技をしているように感じられるのだ。
人物だけでなく、建物もすべてがセットのような、表面だけのハリボテに見える。それは多少不気味ではあったが、どちらかという気分がいい。酩酊しているような感じであった。すべてが音楽のように調和していた。
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グーグルマップで調べてみると、駅の反対側に、テラス席のあるカフェが見つかった。
川沿いでも海沿いでもないが、流れるような車の列をながめて、右から新宿御苑の鳥の声、左から高架を走る中央線の音の聞こえる都会らしい環境が、今の気持ちにマッチしていた。
クラフトビールを二杯飲んで、帰宅した。あの酩酊した気分には、なかなか戻ることが出来ない。

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翌日、25日は朝から東京国立近代美術館へ向かった。
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鏑木清方展。日本画で美人画なんて興味なかったはずだが、漫画やアニメに通じるような生き生きとしたスケッチには、心をつかまれた。
大きな絵では着物の柄はパッキリと明快に塗り分けてあり、女性の顔はうっすらと透き通るように、まったく別の描き方をしている。技術が、すなわち説得力なのだ。

また、会場の章立ては「生活」「物語」とテーマで追ってきて、第三章で「小さく描く」と絵のサイズへと視点を変えている。その明快さ、大胆さも気持ちがいい。
コレクション展も、気をつけてみると技術に秀でたものが多い。


竹橋から木場へ、バスを使って東京都現代美術館へ。なんと四つも展覧会があるが、すべて観る。
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井上泰之展、吉阪隆正展。特撮も建築も、ただ図面や写真の羅列になりかねない。後者は、建築模型の向こうに実寸大に引き延ばした図面を配して、さらに本人の写真もライフサイズで壁に貼っている。
しかし、どちらも「なるほど、考えたな」という印象。この美術館では、過去に石岡瑛子やミナ ペルホネンなど、興味の範疇外から一気に胸に飛び込んでくるような優れた展示があった。


さて、コレクション展はあまり変わり映えしないのではないか、だからこそハズレのない安心感を抱いてもいるのだが、中西夏之の抽象画が貼られていて、まずはこれが良かった。
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適当に模様を描いているのではなく、色の選び方が洗練されている。
撮影禁止だったが、宇佐美圭司の抽象画も、同じように完成度の高い作品だった。これだけで、十分に満足のいくものだったが、入場無料の展覧会もあった。
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藤井光の、木板や絨毯などの素材を等間隔にぎっしりと部屋に敷き詰めた作品。空間ごと体験する、有無を言わさぬ作品を無料で見られるのは凄い。
もう15時近く、少し日が傾いてきた時間に若いカップルが入り口でチケットを買っていて、「こんな時間から観るのか、もう一日も終わるのに……」と勝手にセンチメンタルな気分になってしまった。曇り空の下、小さな公園で親子が遊んでいても、似たような気持になる。そういう寂しい雰囲気が、僕は好きなのだと思う。


さて、木場近くのケバブ屋にテラス席があると知った。川沿いなので迷わず寄っていこうと思ったのだが、小さなテラスは橋のすぐ近くで、近所の人が自転車で通るような落ち着かない場所だ。
それと、隣のセブンイレブンの前で、中年男が一番安い缶ビールを買って、路上にしゃがんで飲んでいた。あの男と僕と、何が違うんだろう? こんな場所で妥協してはいけない、茅場町から数分のところにビル4Fのテラス席があると聞いていたので、そこを目指す。

ところが、時間帯が悪い。ランチは15時まで、ディナーは17時からという店ばかり。
グーグルマップを必死に調べて、茅場町から秋葉原へ移動、浅草橋近辺のテラス席を片っ端から当たるが、川沿いではなく歩道に面していたり、どこか今ひとつだ。ヘトヘトになってしまったが、ここまで来たら両国へ行くのも同じだと思って、隅田川の向こうのイタリア料理屋を目指す。ところが、その店もランチとディナーの中休み。これはもう、飲まずに帰れという神のお告げなのだろう。

しかし、いつか浅草橋での取材のときに、川の向こうに見えた灯りが気になっていた。確か、水上バスの発着場だ。
そこを目指して横断歩道を渡りエスカレーターで登ると、なんとテラス席のレストランがあった! こういう時の自分の勘というかツキは、なかなかのものだ。
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疲れていたので、素直に「ビールとナッツじゃダメですか?」と言えた。ボーイは「軽食ですか? メニューには載っていませんが……」とクラフトビールを紹介してくれた。もちろん、それにする。そこでしか飲めないものを必ず選ぶ。「いつもの安い生ビールでいいや」などと妥協はしない。
一食4,000円という高級店だが、トータル1,700円ほどですんだ。


最近観た映画は、『クリムゾン・タイド』、『フォレスト・ガンプ/一期一会』。

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2022年3月22日 (火)

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モデルグラフィックス 2022年 05月号
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河森正治さんのインタビューのみ、依頼されて担当しました。
連載が終わっても、なにかと頼りにされるのは、有り難いことです。


“変身”とは、物語に挿入される新しい物語――「劇場版 美少女戦士セーラームーンR」で何が起きたのか?【懐かしアニメ回顧録第88回】
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このコラムは何度も作品を見て、メモをとっているうちにテーマが見つかって、その頃には2日ぐらいしか時間がなくなっているので、いちばん書けそうなテーマでまとめています。
20代のときに『狼男アメリカン』の変身シーンが長い意味を考えた評論を読んで、アニメの変身シーンに応用して考えられないか、ずっと考えていました。これから何度でも考えたいと思っています。


【アーカイブ】メカデザイナーズサミットVol.08
大河原邦男×ストリームベースがガンプラを語る。
1979年アニメ放送からガンプラ発売、当時の熱狂的なブームになにがあったのか!
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昨年、司会をやったトークイベントがアーカイブ化されたので、ぜひご覧ください。
出演は、大河原邦男さん、小田雅弘さん、川口克己さんです。


さて、みぞおちの辺りに違和感があるので、大病院へ行ったら90分も待たされた話を、前回書いた。
数日して、今度は消化器科の町医者へ、予約せずに行ってみた。
すると、「お待ちいただきますよ。一時間ぐらい」とのこと。最初に分かっていれば、ぜんぜん気にならない。空いている静かな待合室で本を読んでいると、きっかり一時間で呼ばれた。こういう仕事を段取りがいい、というのだろう。
医者は、声が大きくて的確なことしか言わない優れた人物だった。エコー検査をやってもらうと、膵臓はよく見えないが、肝臓は通常の大きさ(あんなに毎日飲酒していたのに)。膵臓ではなく、胃酸過多なだけかも知れないので、胃酸を押さえる薬を出してもらって、すっかり足取りが軽くなった。

井の頭公園まで歩いて、喫茶店へ行く。なんと、2軒もハシゴ喫茶してしまった。
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コーヒーカップとスプーンが、和風になっている。
いつも静かな店内では、若いサラリーマンたちが熱心に仕事の話をしていた。「この世の中、そんなにバカばかりでもないんだな」と明るい気持ちになる。
そして、一滴も飲まずに帰宅し、スーパーで安酒を買って部屋で飲むのもやめた。気分のいい、解放されたときに飲むだけにしよう。


昨日は、アーティゾン美術館「はじまりから、いま。 1952ー2022 アーティゾン美術館の軌跡—古代美術、印象派、そして現代へ」へ。
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具象的な絵や印象派よりも、緻密な模様を描いただけのような抽象画に心打たれる。
僕は「同じ絵の前で、3時間も4時間も座っていた」という神話を信用していない。アニメの資料系の展覧会で「5時間会場にいた」という話を聞いても、同じ内容の資料集があれば、それで済むよね?と思ってしまう。数字で、作品の重みを表わすのが好きではない。
どんなに心打たれたとしても、客観的な時間でいうと、数分しか絵の前にいないと思う。見た後のすべての時間、死ぬまでの何年もが刷新される、そっちの事実が重たい。どのように展示されているか、どんなタイミングで見たのか、場所や時間との関係を度外視できない。何度も見た絵が隣に飾られていると、印象はまるで異なる。

「画面が大きいから映画への没入感が増す」とかいう話も、まるで信用していない。
優れた映画なら、スマホの大きさでも臨場感を演出できる。それが表現だと思う。


最近観た映画は、『オーシャンズ11』、『42 世界を変えた男』、『アポロ13』など。

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2022年3月17日 (木)

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ガメラのプラモデルは、まさかの1/700スケール!? エクスプラス「少年リック」の目指す、プラモデル製モンスターたちの理想郷【ホビー業界インサイド第79回】
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オーロラやブルマァクは詳しくないのですが、スターログとビリケン商会はドンピシャなので、素晴らしい内容のインタビュー記事になりました。


長年の飲酒癖のせいだと思うが、膵臓のあたりに違和感があるので、いつも健康診断してもらう内科医へ行った。
すると、近くにある大病院への紹介状を持たされたのだが、これが久々に酷い体験だった。とにかく、待たされる。予約時間の30分前に来いと言われたのに、トータルで90分も待たされて、ようやく診察。
血液検査へ回されたが、これがまた順番が回ってこない。胃カメラの予定を組んでもらっていたが、この調子で毎回何時間も削られてはたまらないので、すべてキャンセルした。看護婦さんは「では、今日の診察代だけでも払っていってください」とキレ気味に言うのだが、支払い用のレシートが出てくるまでが、また長いんだ。

帰ってから調べてみると、その病院は4~6時間も待たせることで有名なようだ。
なのに、みんな医者にペコペコしすぎだと思う。仕事を遅れさせる……、これはどんなバカにでもできること。予定どおりに終わらせるには、プロ意識を高く持って、他人の気持ちに配慮して、問題を察知して具体的に行動しなくてはならない。だが、ほとんどの人はボーッと人生を過ごしているんだと思う。


医者もそうだし、政治家も「誰かにやってほしい」依存心を喚起する職業だと思う。必然的に、彼らはだらしなくもたれ合って、醜い堕落のしかたをする。本質的な問題意識をもたず、似たレベルの者同士で安心しようとする。些末なことを針小棒大に騒いで、さも仕事をしてますというポーズだけとる。自分を騙して、問題から目をそむける。
僕は、グズに仕事や娯楽の時間をつぶされるのはまっぴらなので、病院を出て一駅歩き、テラス席でビールを飲んだ。
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僕は、待つために生きているんじゃない。楽しむために生きているんだ。ただし、今までのように部屋でだらだら飲むのはやめて、外で飲むような時間があるときに1~2杯とする。そして普段は、キャベツと大豆を大量に食べるようになった。
病院で待たされる人生ならば、好きなときに酒を飲んで早死にしたほうが理想的だと思う。「ただ死なないでいる」ことの何が幸せなのだろう? 死ぬことって、そんなに悲惨で忌むべきことなのだろうか?


ようやく、レンタル配信で『DUNE/砂の惑星』を観た。
まず、2時間半も映画館のシートに縛りつけられたくない。なので、ちょいちょい席を立てる自宅のほうがいい。あと、「上映が終わると禁断症状が出る」といった首をひねるような宣伝会社の煽り方に疑問をもった。「映画体験」という言葉にも、本質的ではない誤魔化しを感じる。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、僕と同い年だ。J・J・エイブラムス監督も同い年なのだが、彼らは80年代の青春時代に観たSFX娯楽大作を否定できず、同世代のファンから「イメージと違う」と怒られることばかり恐れている。
『DUNE』は、デビット・リンチ版をシックにリメイクしただけで、何も新しいビジュアルがない。旧作のギルド・ナビゲーターのような、監督の趣味まる出しのクリーチャーも登場しない。ホドロフスキーが構想していた『DUNE』のように、満艦飾で祝祭的な、見る人を選ぶような強烈な美意識もない。ただひたすら、リンチ版『砂の惑星』を映画館で観た同世代からのブーイングを怖れて、当たり障りのない表現にとどまっている。
80年代に中高校生だった世代の、原体験を裏切れずに永遠のファンに留まる態度は、一種の病だと思う。現在の中高年が、過去に裏切られて傷つくことを恐れすぎるのかも知れない。

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2022年2月27日 (日)

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問いかけては裏切られる謎解きの面白さ――「東京ゴッドファーザーズ」を“推理ドラマ”として振り返る【懐かしアニメ回顧録第87回】
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12月も25日を過ぎた寂寥とした年末のムードに浸りながら見ると、外界の空気と劇中の景色が溶けあったような不思議な気持ちにさせられるアニメ映画。
しかし、時間がない中で書こうとするとプロットの巧みさを指摘するのが精一杯で、構図やカット割りがどう機能しているかに踏み込めなかった。「物語」は誰もが読解できるが、「演出」は見えない人には見えない。『インディ・ジョーンズ』で、床に空いた大穴が実はトリックアートで、穴などなかったことを示すショットがある。カメラが横に移動すると画角が変わり、床の穴が錯覚であったと判明するのだ。「演出」とはそのように、観客から見えないよう仕掛けられている。

「物語」はセリフさえ聞き取れれば、誰にでも了解可能だが、「演出」は表層を疑いながら、再び表層へ戻って捉えなおす粘り強さが必要だ。知識も、野心も。何より、誠実に、正直にあらねば「演出」を見つけ出すことは出来ない。


最近観た映画は、原一男監督の『さようならCP』と『全身小説家』。
前者は脳性まひの人たちを丹念に撮ったもので、一時間半の間、字幕なしで彼らの話す言葉を聞きとるよう努めねばならない。
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最初は、彼らに対して嫌悪感がある。だが、彼らが懸命に話すので、何を言おうとしているのか理解しようと努力しはじめる。その過程が、この作品の本質なのかも知れない。
途中、脳性まひの男性の結婚相手が登場する。彼女も脳性まひのようだが、四肢はしっかりしていて、表情と言語に独特のこわばりが見られる程度だ。だが、かなりの美人である。その個性的な美しさは、彼女が障害を抱えているから表出するものではないのか? あの身体の緊張こそが、美しさを形づくっているとは言えないだろうか?
彼らから「障害」という外見的なフィルターを取り除いたら、そこに彼らは残っているのだろうか。僕たちだって「障害」に相当する何らかの屈折したフィルターを被ったまま、「これが普通なんだ」と固く信じて生きているに過ぎないのではないか?

彼らなり僕たちなりを「普通」に矯正したら、もはや「普通」という基準は機能しない。


『さようならCP』の挑むような作風に対して、『全身小説家』は生ぬるかった。
世間から疎外される障害者たちと、いつも大勢のファンに囲まれている有名な小説家とは、正反対に感じられる。しかし、本当にそうだろうか? 
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小説家・井上光晴は、自分の人生を劇的に見せるため、多数のウソをつく。
すると、映画の前半で井上とどんなに親密にしているか、うっとりと語っていた女たちの空々しさが浮かび上がってくる。新年や誕生日など、何かと集まりをもって、酔っ払って男性を怒鳴ったりする井上。周囲から「まあまあ」となだめてもらい、年長者からご機嫌をとってもらう。ああいうドロドロに濃密な環境でないと生きていかれない人生は、僕からすれば地獄だ。
でも、大勢に囲まれてにぎやかに酒を飲むことを人生の成功だと信じてやまない派手好きな男たちは、ウソをついてまで人々を周囲に置いておこうとする。僕は、そこまで他人を追わない。


井上を見ていて思い出すのは、漫画『僕の小規模な失敗』の中で福満しげゆきさんが描いていた、ミュージシャン志望の青年だ。
カッコよくて才能があって、いつも異性にモテる青年は簡単に満たされてしまうので、そこそこの人生で充足してしまう。そんな浅い自分を認めたくないから、いつまでも「武道館でライブしたい」などとリアリティのない夢を語って、ミュージシャン志望でいつづける。
その「ミュージシャンになりたい」という根幹のアイデンティティが、丸ごとウソなのだから苦しいに決まっている。挫折の痛みを知らないので、「まだミュージシャンになれない」という欠落を捏造して、自分を騙しつづける。

そんなウソで底上げした人生を苦しまぎれに生きるぐらいなら、大怪我をするぐらいの挫折を経験したほうが絶対に幸せだし、欠落を欠落として受け入れたほうが堂々と生きられることを、僕は知っている。
「ウソをつかなくてもいい」、これに勝る幸福はない。風のように自由であること、それが何より大切だ。

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2022年2月23日 (水)

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「オヤジの乗る80’sロボット」は、やっぱり最高! クラウンモデルの1/130機甲猟兵スカーツを素組みして確信した!【80年代B級アニメプラモ博物誌第19回】
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クラウン製の低価格キットを組み立てて、詳細にレビューしました。オヤジのフィギュア付きプラモは、やっぱり最高です。


“どこかで見た突き刺さる写真を見て『負けない!』ではなく『同じモノを撮りたい!』と考える人の方が多いらしい。そして、その現場に行って○○と同じ一枚を撮らせろ!当然だろ!と噛み付く者がいる。”

鉄道マニアに関する一連のツイート、非常に納得させられた。このツイートをしたご本人は、時間をかけて偶然を待ち、オリジナリティのある写真を撮っているようだ。それを見たマニアが、そっくり同じ条件で写真を撮ろうとする。
「他人と同じものが欲しい」「他人とまったく同じ思いがしたい、それが権利だ」……一方的に与えられたい 、常に自分が優遇される客の側だと思っている。自分から探さない、自分では選ばない。誰かの探してきたもの、選んできたものを享受したい。

人気ラーメン店に行列してボーッと待っていて、店員に言われた席に座っただけなのに「自分で選択した」気分を味わいたい人たちの心理も、これで説明がつく。あるいは、映画の印象や読解は人それぞれの経験や認識で左右されるというのに「ネタバレ注意」で、正解をひとつに固定しようとする心理。「ネタバレを読んだから、その映画の意味は分かった」と、思考や経験を軽視する態度。
時間と手間をかけて価値観を熟成する楽しみを知らない。自分は客だから、「面倒なこと」をスキップして成果物だけ得る権利があると信じている。それが貧しさだと思う(お金持ちがデザインや質を確かめず、誰が見ても高額だと分かる記号としてブランド品を買う。それも貧しさだ)。


もうひとつ、気になっていることがある。
YouTubeなどのコメント欄に「いち」「1コメ」などと書きこむ人。2ちゃんねるの盛んだった時代から、単に「最初にコメントした」ことを自慢する人がいたと思う。調べていてもなかなか出てこないのだが、確か凶悪事件を起こした若者が掲示板のスレッドで「1コメ」をとれなかったことで激怒したという逸話もあったように思う。
簡単な方法で評価されたい者は、簡単なことで傷つく。自分独自の価値観がない。自分が何をしたいのか、本当は何が欲しいのか追求していない。

僕は体育が苦手で、いつも校庭の隅に居残りさせられ、中学へ進むと学校の授業にほとんど着いていかれず、100点中「5点」などという成績で、だんだんクラスのみんなに嘲笑われるようになった。
でも、何も得意なものがないから自分だけの楽しみを見つけようと必死にもなったし、ずいぶんと回り道をした。20代が終わるまで、猛烈なコンプレックスに苦しんだ。それは誰にも再現できない、僕だけの苦悩だ。その苦悩の中から、自分を満足させられる価値観を組み立てて、今でもそれに手を加え続けている。他の人にはつまらなくても、僕には圧倒的に面白いものが沢山ある。その変態的といってもいい孤高の価値観が、僕の武器だ。
だから、「廣田さんだけズルい」と言われても困ってしまう。クラスのみんなに合わせて生きてきた人は、それなりの人生になってしまう。中年になると、自分の平凡さに気がついて焦りはじめるのかも知れない。物事を疑って探求する人は、世の中の3割ぐらいしかいないんじゃないか。

漫画『ホーリーランド』の主人公がボクシングを始めたのは、「抵抗しないと自分の居場所がなくなる」ことが理由だったと思う。
孤独だろうが屈折していようが変態だろうが、自分が自分になるため、自分を作り上げるための材料だと思えばいい。どんどん探して、どんどん壊して、また組み直せばいい。


最近観た映画は『ホテル・アルテミス』、『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』、原一男『さようならCP』。

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2022年2月13日 (日)

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手が届きそうで届かない宇宙をマンガ映画で表現する――「地球外少年少女」のメインアニメーター、井上俊之の仕事【アニメ業界ウォッチング第87回】

井上さんは、チャンスがあれば絶対に話を聞きたいと思っていたアニメーターです。ただ、『地球外少年少女』の公開タイミングだったので、他の媒体でも井上さんの功績が話題になって、やや新味がなくなってしまったかも……。記者として「どうして今、井上さんなのか?」というタイミングを狙わないといけないのに、「プロデューサーを知っているから、声をかけやすい」という状況に甘えてしまった。そういう状況があると、なんとなく似たようなニュアンスの記事が多くなる。

やっぱり、自分独自のテーマを大胆に提案して、それを受け入れてもらえるぐらいの信用を築かなくては……。それでも、井上さんの発言は、当事者ならではのキレのある、厳しいものになっていると思います。


ありがたいことに仕事が途切れずあるので、新幹線で出かける。
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ホテルで適当に「居酒屋」でマップ検索してみるが、半分ぐらいのお店はコロナのため休業か無意味な酒類制限……かと思うと、堂々と酒を出しているお店も数軒だけあって、大当たりを引いた。
今は右ひざを痛めているのだが、とにかく自分で歩いて探すことだ。駅前にはチェーン系の居酒屋が何軒もあるのだが、ああいう店で一回でも妥協すると、ずるずると落ちていく気がしてしまう。

さて、上の芸術的な温玉シーザーサラダを出してくれたお店。たった一人で数テーブルの面倒を見ている女将さんは、物静かで上品な方なのだが、最初に陣取っていたヤンキー風の中年たちが酷かった(会話の中で50代と言っていたが、幼稚すぎて高校生の会話にしか聞こえない)。
大声で笑ったりするのは、まあ我慢の範囲だ(鞄の中にイヤホンがあったので音楽を聞こうかと迷ったレベル)。すさまじいのは「ウンコ」「大便」「チンチン」などと、下ネタを口にしてはゲラゲラ笑うこと。そのテーブルには女性もいたのだが、まったく気づかいナシ。
かなり寂れた街なので、中学~高校生のころの同級生が疑問ももたずに付き合って、だらしなくもたれ合って大きくなっただけなのだろう。「昔からの仲間」が「いつものノリ」で歳をとると、もう下ネタぐらいしか共有できる話がなくなっていくのかも知れない。あのまま惨めで汚い老人に成り下がって、周囲に迷惑をかけながら死んでいくのだろう。


大学生のころ、マクドナルドで清掃のアルバイトをしていた。例によって、重労働・低賃金のアルバイトしか出来ないと思っていたので、辛くて仕方がなかった。
耳を疑ったのは、閉店後に一人だけ残った女性スタッフに向かって、「そのうち俺たちで回してやるからよ!」とマネージャー(おそらく正社員)が笑いながら言っていたこと。「回す」とは、もちろん輪姦のことであろう。
言われた女性は、苦笑いしていた。
「仕方がない、仕事とか社会ってのは、お互いに我慢し合うものなんだ」とあきらめてしまっている。その「あきらめ」が貧困なのだと、今の僕ならはっきりと言える。マクドナルドだから、ファストフードだからじゃない。「まあ、こんなもんだろう」と自らを低く見積もって、やりたくもないことをやる。それが時給100万円でも、あきらめて妥協して納得してないのに我慢して耐えてやるなら、やっぱり「貧しい」んだよ。


「好きでもないことをやっているヤツの顔は、歪んでいる」……これは、ある有名なミュージシャンの言葉だ。
自分が我慢しつづけている人は、「誰もが我慢しているに違いない」「我慢しないのはおかしい」という歪んだ価値観になる。僕は、世の中の7割ぐらいの人が、ただひたすら「嫌なことを我慢している」のではないかと疑っている。
自分にも他人にも忍耐を強いる体質が、コロナウイルスを口実に若者や子供の楽しみを潰す異常な社会状況を招いている……と、確信する。過剰な自粛を主張する人の発言を遡っていくと、その人自身が抑圧に耐えている場合が多い気がする。もともと自分が楽しくないから、「みんなも楽しんじゃダメだ」という考え方に直結する。

そういう人に仕事で出会って、よくよく話を聞いてみると、「私も我慢してるんだから廣田さんも我慢しないとおかしいよ」という議論に行きつく。こちらは「ハイハイ、それではご自由に」と、手を放してしまう。その場から立ち去るしかない。
そういう人に「僕は自分の好きなように仕事している」と主張しても、「そんなはずがないよ、絶対に嫌々やってるはずだよ?」と言い返してくる。救いがないのはどっちか、よく考えてみてほしい。そういう人は、とにかく楽しそうじゃない。笑っていても暗いというか……幸せな笑いではない。「今回もまた、最悪のパターンですよ」と自分の置かれた状況を皮肉って、自嘲するのが笑いだと思い込んでいるんじゃない? 独特の暗さなんだよね。負け癖がついているというか、幸せになれない方向へ自分から近寄っていっている。

ある経営者の話をYouTubeで見ていたら、リーダーシップのある人は「明るい」と言っていた。「明るい」って、おそらくは表情がすっきりして、隠しごとのないこと。堂々としているが、他人を抑圧したりはしない人。相手を尊重する人。誰に対しても礼儀正しく、丁寧で優しい……でも、貧しい人はこういうポジティブなイメージを持てない。だから、貧しいんだよ。

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