2017年2月16日 (木)

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Febri  Vol.40 発売中
4910037140371今回も「Febri Art Style」担当で、『3月のライオン』の美術監督・田村せいきさんにインタビューし、美術ボードを構成しました。
田村さんは『おそ松さん』の美術監督でもあり、背景のディフォルメ加減には、共通したものを感じます。

『3月のライオン』は、『とんがり帽子のメモル』『メトロポリス』の名倉靖博さんが美術設定を担当してるのも、ちょっとしたポイントなんですよね……。


レンタルで、『レヴェナント 蘇えりし者』。
Sub2_large監督が、抽象的でよく分からなかった『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥだと知って、こんな骨太な映画を撮るのかと驚きもしたし、映画の前半を占めるワンシーン・ワンカットの長回しに納得もした。
撮影監督は、『バードマン』同様、映画一本丸々ワンカット長回しだった『ゼロ・グラビティ』のエマニュエル・ルベツキ。粘り強い、腰の座った映画である。

CGがこんなに普及する前、実写映画は、カメラの前で起きたことの記録であり、それ以下でもそれ以上でもなかった。だから、『蜘蛛巣城』で三船敏郎の首に矢が刺さった瞬間、アッと驚いた。『バリー・リンドン』で、ライアン・オニールの片足が切断されているのを見て、客席がどよめいた。
『レヴェナント』は、あの原初的な、見世物小屋感覚を蘇えらせてくれる映画だ。まず、タイトル・バックの撮影からして、驚かされる。すべるように水面ぎりぎりをカメラが移動し、最初は右から、次に左からライフルの先端がフレームインしてくる。カメラは水面からティルト・アップして、ライフルを構えた親と子の背中、そして全身をフレームにおさめる。そのまま途切れることなく、カメラは彼らの視線を追ってPANする。その向こうには、木立の中に立つヘラジカが見える。再びカメラがPANすると、銃で狙う主人公のアップになっている。仮に、ヘラジカがCGだとしても、ここまでワンカットで収めるには、徹底したリハーサルが必要なはずだ(特に、カメラマンに膨大な計算力が求められる)。

映画の前半には、「いったい、どうやって撮影したんだ?」と首をひねってしまう驚異的なカメラワーク(に付随した弾着、特殊メイク、さまざまな装置の連動)が、数え切れないほど出てくる。


白眉が、主人公が熊に襲われるワンカットだろう。ライフルを構えて森を進む主人公のバスト・ショットから始まり、背後から突進してくる熊が、鼻息でレンズが曇るほど近接し、一度は離れ、また主人公のところへ戻ってきて、彼を振り回し、ついには組み合ったまま、窪地に転がり落ちるまで、ワンカット。
この熊が縫いぐるみなのか、それともCGなのかは、微々たる問題だ。最初に、熊に一撃をくらった瞬間、主演のレオナルド・ディカプリオは骨折していてもおかしくない。それぐらい、豪快に倒れる。
なのに、スタントではなく、本人が倒れている。後から熊を合成するにしても、183センチのディカプリオの巨体を振り回す力を、どこかから調達してこなければならない。熊を演じた俳優が、そんな怪力を持っているのだろうか?

「なーんだ、CGか」と白けている場合ではない。現場で、どれほどの計画性とプロフェッショナルたちの技量が要求されたか、想像するだけで目まいがする。
映画の後半では、ワンカット長回しは減っていくが、主人公と敵役との決闘シーンは、くどいほど念の入った長回し。「どうやって仕込んだんだろう?」と呆気にとられるばかりの血糊、切断される指など、あれこれと仕掛けが満載。
あとからデジタル的に細工したにしても、入念に段取りしていないと、あんな映像にはならない。


これだけ見ごたえ十分な見世物映画なのに、「ストーリー性がない。40点」だとか書いている“映画好き”がいる。
3Dでなくとも、4DXでなくとも、画面が小さかろうと、音声がモノラルだろうと、カメラワークが損なわれるわけではない。CGの普及で、確かに、劇映画の武器のひとつだった信憑性は変化を迫られた。だが、『レヴェナント』は、その何割かを取り戻した。
そして、CGがどうであれ、カメラが進歩しようが退化しようが、カメラのフレームとカッティングだけが、映画を規定しつづける。IMAXで見ようがスマホで見ようが、フレーミングとカッティングは変わりようがない。カメラの動きに無関心で不感症だから、「ストーリー性がない」などという雑な批判が出来てしまうのだ。

もう一本、『ヴィクター・フランケンシュタイン』も観たが、『レヴェナント』に比べれば、かわいいCG映画だった。

(C)2015 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.

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2017年2月12日 (日)

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アニメ業界ウォッチング第30回:「監督」と「演出」は、職業的にどう違うのか? 鈴木利正インタビュー!
T640_721425僕は『輪廻のラグランジェ』の公式ライターだったので、鈴木監督とは、よく顔をあわせていました。
その鈴木監督が『傷物語』の演出を担当していると知り、昨年末にご連絡して、ようやく取材が実現しました。
ちょうど、本日開催の「ラグりん祭り」にお呼ばれしたのですが、あまりに仕事が立て込んでいて……監督には、失礼をしてしまいました。

【懐かしアニメ回顧録第27回】シンメトリーの構図と舞台装置が明らかにする、「帝都物語」と演劇の相関関係
アニメに復帰しはじめた1991年に、たまたまVHSで観た『帝都物語』を取り上げました。
翌年が『ジャイアントロボ』、1994年が『マクロスプラス』ですから、あきらかにアニメが面白くなりはじめた時期。世間的には『セーラームーン』から『エヴァ』への端境期で、何度目かのアニメ・ブームが胎動していたころです。

記事の内容としては、構図と仕草なのですが、どちらにも絞りきれない文章になってしまいました。あまりにも、切り口の多すぎる作品なので……。
本当は、加藤が術をつかうとき、左手を大きくカメラに向けるカットに触れたかった。普通、左手がカメラに迫るまでを作画するところですが、手はカメラの前に固定されていて、加藤の体がズーム・アウトして、ぐーんと後ろに下がるのです。そのカットが、アニメの撮影方法をいかした異様さ、不自然さを出していて、白眉なのですよ。


男児ポルノ画像10万点 神奈川県警など6容疑者逮捕(

さみだれ式に情報が出てきているけど、NPO職員、小学校の臨時教員、大学のダンス部所属で“ミスターコンテスト”にも出場経験あり……と、容疑者のプロフィールや手口が、ここまで明らかになった【児童ポルノ】事件も珍しいだろう。
本来このような、児童への【性虐待記録物】を取り締まる法律だったはず。今回は、加害行為を隠しカメラで撮影していたそうなので、まさに「性虐待」の「記録物」だろう。
性器が映っていようがいまいが、一般人が見て興奮しようがしまいが、児童への性虐待があった事実を重視すべき。

この事件の異様さを知れば知るほど、いきなり秋葉原で合法的に売られているAVを選んで「児童ポルノだ!」と指摘する滑稽さが、さすがに分かるだろうと思う。そんな分かりやすいところで、売られているわけがない。
容疑者たちは、NPO法人のボランティアで子供たちをキャンプに案内したり、教師として食事をごちそうしたりする「善人」だった。
いつも、そう。東小雪さんの手記『なかったことにしくたない』でも、我が子を性虐待した父親は、地元で名士と言われるような有名人だった。
イギリスでも昨年、サッカー選手がコーチに性虐待されていた事件が公になったでしょ? 映画『スポットライト  世紀のスクープ』を観れば、すごい数の聖職者が性虐待していると分かる。大人社会で信頼されている者ほど、要注意……という事態になってしまっている。

「私はこのメーカーの、このAVがワイセツだと思います」と呑気なことやっている人たちは、お気楽で結構なことだ。社会の中で「子供たちにとって、良い大人」として振舞っている加害者と、対峙しなくてすむんだから。
「権威」や「良識」を疑い、その奥底に澱んだ汚泥を見つめるのは、とても勇気のいることだ。


だからいつも、児童“ポルノ”の問題は、“ポルノ”を消費する男性の問題として片付けられてしまう。「未成年の女子に欲情し、彼女たちを搾取する成人男性」といった通俗的イメージに押し込められる。
今回の「男児を性虐待する成人男性グループ」という図式は、「女子高生の制服に群がる援交オヤジ」の短絡イメージなんかより、よほどエグい。生々しい。
だから、「今回の事件は特殊」で片付けられかねない。たった今、別の立場ある大人たちが、児童を同じ目にあわせているかも知れないのに、その可能性を考慮する人は少ないだろう。

なぜなら、通俗イメージを頭に思い浮かべて、「嘆かわしきかな、日本の男」と、浮世離れした嘆き節を繰り返していたほうが楽だから。
僕は無力だが――『スポットライト 世紀のスクープ』は、誰にでも観てもらいたい。森田ゆりさんの『沈黙をやぶって』が図書館にあったら、騙されたと思って、読んでほしい。
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2017年1月31日 (火)

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ホビー業界インサイド第19回:MAX渡辺が語る「マックスファクトリーの30年」、そして「僕が本当に作りたかったもの」
T640_720701この連載では、二度ほどマックスファクトリーさんに取材させてもらいましたが、MAX渡辺さん単独では、これが初となります。
インタビュー中にある、ボロボロの木造アパートに社屋があった時代から、渡辺さんは真っ直ぐな方でした。当時は、僕がガキすぎて、気づきませんでした。


4月1日~8日に、オーストラリアのケアンズに旅行するので、今月はじめに家族で旅行してきた友人から、現地情報を聞く。日本人ばかりで白けると思っていたのだが、ケアンズから少し離れた場所で宿泊して過ごせば、意外とゆっくりできそう。

……にしても、オーストラリアへ旅行する人は、ジェットスターは使わない方がいいと思う。
予約番号が分からないので、問い合わせフォームから質問したところ、「このメアドでは予約されていない」という。だから、「ご都合のよろしいお時間にコールセンターまでご連絡頂けますようお願い致します」という。
それで、電話してみた。自動案内で「90秒あたり10円かかります」「メアドを広告に使わせていただきます」などの音声がえんえんと流れる。その後は「ジェットスターでは、このようなサービスも提供しております」などの宣伝がつづき、電話がつながるまで仕方ないか……と待っていると、いきなりバツンと切られてしまった。

これは凄い。すでに航空券の料金まで払った客に「電話しろ」と依頼しておいて、電話したら切る! 凄いな。不愉快どころか、ちょっと呆れてしまった。こんなもん、仕事でもなければ、サービスでもないよね。だって、連絡させといて、切るんだよ?
本当に搭乗できるんだろうか? 5度目の海外旅行だけど、ここまで不安にさせられたのは初めて。


先日、auショップでスマホの機種を換えたんだけど、接客が素晴らしかった。
まず、客を待たせすぎないよう、手の空いた店員さんが、「どういったご用件ですか?」と聞きに来て、その場で自分で出来ることは、即座に対応する(たとえば「充電できない」トラブルであれば、店内の充電器で試してみるとか)。

窓口に座ってからも、とても快適だった。
こちらが理解できない場合は、別の説明のしかたをする。印刷されたパンフに、手書きで分かりやすい解説を加えて、それを印刷して渡してくれる。
手続きのあいだ、「お時間をとらせて、申し訳ございません」「あと少しで、終わります」と、進捗状況にあわせたフォローを(こちらが気づく前に)入れてくれる。
これは素晴らしいマナーだよ。自分の仕事にも、応用できそう。世の中を、いい方向へ循環してくれる。科学技術だけでなく、人間の能力も進歩してるんだな……と、感銘をうけた。

その後、アンケートで絶賛しておいた。若い店員たちに喜んでもらいたいから。
「こっちは客なんだから、快適にしてもらって当たり前だ!」と居直る老人たちが、世の中を錆びさせていくんですよ。


ひさびさにあった友人から薦められて、レンタルで『アメリカン・ビューティー』。
ちょっと僕には意図のわからない映画だったけど、レンタル店にはブルーレイも含めて、3本も置いてあった。僕には理解できない魅力のある映画なんだろう。

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2017年1月28日 (土)

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月刊モデルグラフィックス 3月号 発売中
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●デザイナーから見た量産型モビルスーツの“統一”と“拡散”の歴史・出渕裕インタビュー
編集部から依頼されたインタビューですが、とても上手くいきました。「面白い」と評判をいただいています。
僕が『宇宙戦艦ヤマト2199』特集で出渕さんにインタビューした実績があったこと、10年以上前にも単独インタビューしていたこと。『ポケットの中の戦争』をB-CLUB誌上の情報もふくめて、リアルタイムで見聞していたこと。その『ポケ戦』を企画した内田健二さんに誘われて、サンライズに在籍していたこと――すべてが、ピタリと重なった結果だと思います。

●組まず語り症候群 第51夜
担当編集からの提案で、1/35チェコ装甲車PA-Ⅱです。
車のキットとして考えれば、カウルが一体成形なのは当たり前です。なので、「一体成形のせいでパーツ総数が少くなるのは良いことなのか、つまらないことなのか?」を問う記事になっているはずです。


最近みた映画は『戦略大作戦』、『スーサイド・スクワッド』。『戦略大作戦』は、中学時代に一度見ている。シャーマンの運転席から兵士が乗り出して、装甲を両手でペタペタ叩くシーンで思い出した。


死んだ母、その母を殺した父とで、行方不明中の兄を断罪するという最悪の夢を見た。
そもそも、僕の家庭の崩壊は、兄がヤミ金融に多額の借金をしたことが遠因だ。
去年か一昨年、ひょんなことから、どこかで死んでいるだろうと思っていた兄が、ここから遠からぬ場所に住んでいるらしいことが分かった。だけど、情報をくれた方には「僕の住所は、決して兄に教えないでください」とお願いした。今度は、僕がたかられてしまうからだ。

ようするに、「もしこのままナアナアですませたら、次にはとんでもない事態になるぞ」という危機予測ができないのが兄であり、父であった。二人も肉親が破滅するさまを見ていれば、そりゃあ学習しますよね。
たとえば、飼い犬が病気になっているのに、父は「大丈夫。いつもと変わらないよ」と、涼しい顔で無視してしまう。僕が動物病院の場所を探して、「ここから30分ほど離れたところに、獣医があるよ」と伝えても、「そんな遠くへ、誰がどうやって連れていく?」と、目を丸くする。父からすれば、僕のほうが狂って見えたのだろうな。

破滅へ向かう楽観主義。正常性バイアスが強すぎ、とんでもない事態を前にしても、「いや、たいした事じゃない。大丈夫だよ」と見て見ぬフリをする。原発事故のとき、そういう人が大勢いたよね。


すこしだけ共通する話だと思うんだが……昨夜、行きたいイベントがあったんだけど、チケット販売サービスがあまりに分かりづらく、チケットを買えなかった。
そのサービス会社に「分かりづらい」「どうすればチケットを買えるのか」と問い合わせメールを送ったのだが、一度目は無視された。イベントの日程が近づいてきたので、「どうして無視したんですか?」「チケットを買いたいのですが……」と、もう一度メールを送ってみた。

すると、「いつも○○をご利用いただき、ありがとうございます」と、返信がきた。
いや、そこはまず「お手数をおかけします」と謝るところじゃないだろうか。一度目のメールは無視したわけだから。なのに、お詫びの言葉は、ひとつも無かった。
一体、このサービスはどういう評判なのだろう?と検索してみたら、やはり「分かりづらい」「二度と使わない」の声が多数だった。だけど、そのサービス会社は「自分が怒られている」「責められている」自覚がないわけです。やはり、一種の正常性バイアス。
最悪の事態を想定しない人は、底なし沼のほとりを素足で歩いている。


ぎっくり腰から、一ヶ月が経過した。今は、地元の整骨院に通っていて、起き上がるのに悲鳴が出るほど酷くはなくなった。
4月のケアンズ旅行に向けて、友だちから現地情報を聞く。何年ぶりかで、別の友だちと飲む。2月の仕事の予定は、ほぼ埋まりつつある。

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2017年1月23日 (月)

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制作会社ルースター・ティースのメインスタッフに聞く、3DCGアニメ「RWBY」の国際的ブレイクの秘密
T640_720238『RWBY VOLUME 3』のイベント上映にあわせて来日されていたRooster Teethのケリー・ショウクロスさん、グレイ・G・ハドックさん、マイルズ・ルナさんにインタビューしました。
急に決まったインタビューで、なおかつ30分ちょっとしか時間がとれず、ややツメの甘い内容ですが、「制作会社を支えたいファンが有料会員になり、ファンのお金で新作をつくり、誰でも見られるようにする(有料会員は非会員より早く見られる)」システムは、大きなヒントだと思いました。

作品一本に付きいくら払う、ではなく、長期的にクリエーターを応援する。スポンサー企業がいないから、クリエーターは縦横無尽に作品をつくれる。「数千円もするソフトを何巻も買うのは抵抗があるけど、この制作会社、この監督の作品なら、次回作も絶対に見るよ」という感覚は、誰にでもあるのではないでしょうか。
(Rooster Teethの有料会員は、いちばん安いランクで、月に数百円です。)


僕は、新房昭之監督やシャフトの作品は今後も観たいけど、『3月のライオン』しか視聴していないNHKに受信料を払うことには、たいへんな違和感があります。 
もちろん、NHK社員のプロデューサーが尽力されていることも取材をとおして知っています。だけど、違和感がある。自分の意志で、自分の選んだ人たちになら、お金を出したい。民主的に選び、自主的に払いたい。

『リトルウィッチアカデミア』が面白いから、TRIGGERにはお金を払ってもいい、とかね。
ただ、先にお金を払った人が「本当のファン」で、完成した作品を享受する圧倒的多数の不特定の人を、フリーライダーのように言いたがる人がいる。そうした優越感や倫理観と、ずっと戦いつづける面倒さは、つきまとうと思う。
僕は、『RWBY』日本語版が好きだから、いちばん高いソフトを買う。儲かってもらって、メーカーさんに今後も製作をつづけてほしいと願っている。買ったソフトを友人に貸して、「あのシーンが面白かったよな!」と語り合えるのが、最高のベネフィットだと思っている。


西野さんという芸人の絵本が無料で公開され、ブログが炎上しているけど、僕はこの人の絵本に興味はない。参加したイラストレーターの方には申し訳ないけど、書籍に邪悪なイメージがまとわりついてしまったので、完全に見る気が失せた。
だけど、アニメ声優さんへの個人攻撃に対して、山本寛監督が「揚げ足取り」と謙遜しつつ、巧妙に反撃しているのには感心した()。声優さんから感謝されようとか、微塵も思ってない潔さが、かっこいい。


Twitterで見つけた、神戸新聞のコラムへの言及()。
まったく同意なんだけど、その下に連なるコメントが、いろいろと酷い。賛同する意見の中で、獣医さんと大学の准教授が「この投書」と言っているけど、最後の記名欄に「本社NIE顧問」と書いてあるじゃん。投書じゃないって分かるはず。簡単なこと。
反論や批判ほど、引用元には正確であらねばならないと思うんだけど、Twitterでは、よく事実確認してない感情優先の発言こそが賛意を得やすい。

先ほどの、西野さんの声優攻撃も、相手の発言を適当に改変して、自分の意見を有利に持ちこんでいる。
相手が憎いなら憎いほど、怒りが激しければ激しいほど、その相手に対しては公平であらねばならない。マスコミを批判するとき、「マスゴミ」なんて書いてしまったら、発言の強度はいっぺんに減じる。怒りや憎しみが曇るというか薄れるというか。下駄を履かせた怒りなんて、ちっとも恐ろしくないじゃん。

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2017年1月14日 (土)

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アニメ業界ウォッチング第29回:神山健治監督が語る、「ひるね姫 ~知らないワタシの物語~」への長い道のり
T640_719649『009 RE:CYBORG』公開時に発売された「文藝別冊 神山健治」以来、5年ぶりのインタビューとなりました。
この連載で、いつか絶対にインタビューをお願いしようと機会をうかがっているうち、5年ぶりの監督作の公開される今年になりました(この連載は、ほとんどすべて、僕がインタビュー相手を決めて、僕が直接交渉しています)。


読者が200人に満たないこのブログの中で、『スポットライト 世紀のスクープ』の記事は、よく読んでいただけているようです()。
あのね、性虐待・性犯罪を生んでいるのは、「権威」なんです。神父だけでなく、警官、教師。あとは上司と部下とか、先輩と後輩とか、親と子とか、対等ではない理不尽な関係を「性」で暴力化する、一種のパワハラだと思います。

高校時代の暗黒の思い出を、ひさびさに語ります。
俺は体育ができない生徒だったので、体育の時間になると、一部のクラスメイトから背負い投げされるなど、いじめのような目に遭っていました。思い切り実名を書いてやりたいけど、國學院高校の野球部の生徒。2人組で、ひとりが暴力、もうひとりが「さあ、今日も始まりました!」とはやし立てる役。
で、なんで体育の時間だけ暴力をふるう?と考えてみたら、女子の目がないから。体育の時間は、男女別だったからじゃないかと思う。

というのは、その野球部2人組は、体育の時間、大声でクラスの女子の実名を出して「○○ちゃんとセックスしてえ!」「△△ちゃんも、いいカラダしてるよな!」と、大声で話していたんだよ。なんで大声で話せるかというと、その場に女子がいないから。
そして、國學院高校は、試合をテレビ中継されるぐらいには、野球が強かったの。だから、野球部員たちは教師から「がんばれよ!」と、無条件で肯定してもらえる、守ってもらえる立場なの。


その「○○ちゃんとヤリまくりてえ!」と猥談していた野球部のヤツらがテレビに出ると、学校の応接スペースで、みんなで試合中継を見るわけ。
男子の中で聞こえるように「ヤリまくりてえ」と言われた女子が「□□くん、がんばって!」と、声援をおくっていた。あのね。君ね、彼らは君のこと、みんなに聞こえるように猥談のネタにしてたけど? でも、「高校球児だから」ってだけで、そうやって応援しちゃうんだ?

ここでも、「権威」に「性」が介在してるよね?
集団で性的暴行を起こすのが体育会系サークルばかり……って理由、ちょっと分かるでしょ? 体力があって組織に従順な彼らは、大人社会から期待され、擁護されている。この汗と酒が腐臭をはなつ「体育会系至上主義」の社会システムを破壊しないかぎり、性虐待・性犯罪は決して無くならない。
あのさ。「秋葉原に児童ポルノが売ってる、児童買春が横行してる」と海外へ向けてスピーチする目立ちがり屋の皆さんさ。向いてる方向が間違ってるよ。社会の強者に立ち向かえよ。

警察官や教師による、度重なる強制わいせつは完全スルー。なのに、わいせつDVD検挙に対して「警視庁、お疲れ様です」なんて、分かりやすすぎるよ。権力に肩入れしすぎ。
(『スポットライト 世紀のスクープ』にも、権力側と癒着し、性虐待をもみ消す弁護士が出てきますけどね……。)


「オタクなら、抑圧される側の気持ちは分かるよな?」というのは、俺の甘ったるい思いこみかも知れない。
だけど、体育会系サークルの集団暴行はリストができるぐらい多発している、警官や教師の性犯罪も検索すれば山ほど出てくるのに、「秋葉原のメイド喫茶がいけない」……そういう主張をする人たちは、どういうわけか警察権力と仲良しだよね。
その理由を考えてみたことは、ありますか?

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2017年1月10日 (火)

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【懐かしアニメ回顧録第26回】生命を媒介する“液体の色”が「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」の世界観を決定する
T640_719243前回のコラムは、大地丙太郎総監督に誉めていただけたのですが、前回・今回とも「書きづらい」原稿でした。
今の時代であればこそ、「事実」を重視したレビューが必要だと、僕は固く信じています。「泣いた!」「傑作まちがいなし!」は、個人の感想としては、ぜんぜんOKなんです。
だけど、プロが後世に作品の価値を伝えていくためには、画面に何がどう映されていたのか、「事実」を材料にする必要があるはずです。

劇中でLCLがどういう溶液なのかといった設定は一切関係なく、『ヱヴァ:序』という一本のフィルムの中で、どのシーンのどのカットに位置していたのか探らねば、「色から見える物語構造」は見えてきません。


つづけてアニメの話をしておくと、『傷物語〈III冷血篇〉』を観てきました。一年前の〈鉄血篇〉は、満席の映画館で汗だくで観たものでしたが、今回は平日平間とはいえ、20人程度の入り。
Tnfigkizu001だけど、ちょっと寂しい雰囲気の中で観たほうが、映画の効果は増すと思う。なぜなら、『傷物語』はヌーヴェルヴァーグであり、ATG映画であり、ロベール・ブレッソンであり、レオス・カラックスだから。映画の歴史に対して、垂直に立っている。依拠する場所がなく、誰からも評価を保障されておらず、それゆえに今後、誰からどれほど高い価値を与えられるか分からない……そういう意味で、僕は以上の映画監督名やムーヴメントと、尾石達也監督の名を連ねたい。

『傷物語』は最初から最後まで、アクションもお色気もいっぱいの商業主義的モチーフを、誰からも望まれないテイストで作品にした。このプロットのまま、180度反対に、甘口につくることは出来たはずなのだ。しかし、自ら望んで孤立した。表現に誠実であろうとすると、孤立せざるを得ない。
たとえPG-12に指定されようと、『物語』シリーズが瓦解することはない。それだけのバッファは、まだアニメ業界にも備わっているのだ。


まず、肌の色をべた塗りにして(なるべく)影色をつけず、ハイライトとして白い点を打つ、グラフィカルな、ポップアートとしてのセル表現がある。
羽川翼が、阿良々木暦を説得しようと、彼のヒザに手を置く。最初は2本なのに、カットが変わるたび、羽川の腕は何本にも増えていく(それだけ彼女が必死なのだという説明が成り立つ……が、「演出」というより、セル部分はすべて「絵」として洗練されている。「絵」は「演出」の隷属物ではないのだ)。

カメラワーク。空撮になると、必ずヘリの音が入る。いや、ヘリの効果音さえ入らなければ、「空撮」とは認識できなかったかも知れない。そうした、僕らの「映像作品への個人的記憶」を、『傷物語』はサーチして、脳の奥から引きずり出す。その結果が、快か不快かに責任は持たない(繰り返すが、「快」に振ろうと思えば、いくらでも手段はあったはずだ)。
建物の周りを、ぐるりとサーチライトが囲んでいる。それが順番に点灯したかと思うと、シーンの終わりでは消えている。「誰がサーチライトのスイッチを入れたのか?」と考えはじめると、とたんに苛立ってしまうだろう。しかし、舞台演劇で照明効果が変わるとき、「誰がスイッチを入れた?」などとは考えない。それと同じことだ。

舞台、写真、実写映画、セルだけではないシネカリのような表現……そんなにもアニメーションの扱えるリアリティは多様なのに、僕らは既視感のある演技や描きこまれた背景を見たとき、迂闊にも「本物みたいだ!」「実写に負けていない!」などと口走ってしまう。
そうした薄っぺらな脊髄反射を無効化するかのように、『傷物語』はアニメ表現にしかない、いやアニメ表現の中にすらない“異場所”を探して、彷徨する。


つい先日、『リトルウィッチアカデミア』を見たばかりだというのに、監督の吉成曜さんが『傷物語』に、原画として参加しているのを知って、目まいを覚えた。あるいは、『傷物語』ラストのアクション・シーンでは『かぐや姫の物語』もかくや、というほどの殴り描きのようなアニメーションもある。特撮カットは、高山カツヒコさんの担当だ。
『傷物語』がどうとか言うより、僕らはもっともっと無秩序な、まるで洗練されていない混沌猥雑とした映像文化群の断面のうち、自分の見たいところを見ているだけなのではないだろうか?

「王道」という誉め言葉の無力さを、ひしひしと感じる。


ようやく米映画『ダンス・ウィズ・ウルブス』を見られたのだが、感想は後日。
(C) カラー/Project Eva. (C) カラー/EVA製作委員会 (C) カラー
(C)西尾維新/講談社・アニプレックス・シャフト

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2016年12月31日 (土)

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【懐かしアニメ回顧録第25回】物語の深層をすくいあげる「十兵衛ちゃん -ラブリー眼帯の秘密-」の「対決の構図」
T640_7186092016年、最後の記事となりました。
とても初歩的なことを書いていると思うんですが、「何を」「どのように」見たのか、分析することが第一歩だと思います。
ファンの映画レビューならまだしも、プロの「映画評論」が感情移入(共感)できたかできないか、泣けたか泣けないか、論者の好みで語られていることに危惧をおぼえます。


レンタルで、ジョージア・イギリス・フランス・ドイツの合作映画『独裁者と小さな孫』。
Main02_large架空の国を舞台にした、寓話的な映画。監督のモフセン・マフマルバフはイラン出身でありながら、イラン政府から何度も暗殺されかけて、生々流転の暮らしを送っている。
その監督の身のうえを顧みると、どこか童話めいた老大統領と孫との逃亡劇に、底知れぬ切実さが加わる。大統領と孫は、旅芸人のフリばかりか、カカシに化けて革命軍の追跡をかわす。
バックボーンの解説のほとんどない、単純化されたシチュエーションの中でこそ「報復の連鎖をとめろ」といったセリフが、不思議な重みをもって聞こえる。


そして、ギックリ腰の鎮痛剤が効いているうちに吉祥寺オデヲンまで歩き、レイトショーで『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』、三回目。
1482112576194興行収入は第3位に落ちたし、客は10人程度。これぐらい閑散としていたほうが、映画の雰囲気にマッチしている。
キャリー・フィッシャーの若すぎる死も、この寂しいムードに花を添えている。エピソード8は撮影済みだそうだが、『ローグ・ワン』における彼女の役割は、狙ってできるものではない。天の配剤だ。

三回目を観ていて気がついたのは、帝国軍内の会話で「デススターの存在が公になれば、数千の星系が寝返る」といったセリフがあったこと。これは、第一作のオープニング・クロールから削除された「帝国が次の戦いに敗れれば、一〇〇〇以上の太陽系が反乱同盟軍に寝返り……」を、復活させたものだ。
デススターの建造や反乱同盟の行動には、常に政治的思惑がからんでいるのだ。ギャレス・エドワーズはルーカスの目撃した銀河を、正確に観測している。

もうひとつ、ジンの回想シーンに出てきた惑星は、コルサントだろう。窓の外に高層ビルが見えている。政治体制が変わっても、元老院も首都機能もコルサントから動くわけがない。
それもまた、「ルーカスの見た銀河」の再現だ。だが、それは「原作の設定に従う」こととは違う。「原作者の感じたリアリティを共有する」「現在の目でリアリティを捉えなおす」に近い。
だから、『ローグ・ワン』はノスタルジアに甘えていない。


1977年の第一作公開以後、ソ連の崩壊があった。アメリカ同時多発テロがあった。米軍のアフガニスタン侵攻があった。
『ブラックホーク・ダウン』や『アメリカン・スナイパー』、『ハート・ロッカー』のような、自国の正義を疑う映画群があらわれた。そして、『ゼロ・ダーク・サーティ』のグリーグ・フレイザーが、『ローグ・ワン』の撮影監督を務めている。
2016年のアメリカ映画が描かなければならない苦悩を、『ローグ・ワン』は一手に引き受けた。その愚直といえるほどの誠実さゆえ、甘美なノスタルジアに酔いたい人からは嫌われるだろう。

『ローグ・ワン』は40年前にキャリー・フィッシャーによって発音された“HOPE”というセリフを、最初は皮肉として使いながら、やがてアイデンティティに高めていく。「誰かに届いただろうか?」「きっと、誰かが受けとってくれただろう」……宛てのない“HOPE”は他でもない、われわれ自身が、40年前に耳にしているはずなのだ(“You're my only hope.”)。
いま、再び“HOPE”が必要な時代になっていないだろうか? 「スター・ウォーズなんて、ご都合主義のカタマリのようなものなんだから……」「娯楽大作なのだから、難しい理屈はおいといて……」 本当にそうなのだろうか? ファンタジーは、頭のうえをフワフワと漂っている空想的なことさえ描いていればいい? その矮小化はジャンルをせばめ、自らを貶めることにつながるように思える。 

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2016年12月26日 (月)

■1226■

モデルグラフィックス 2月号 発売中
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●組まず語り症候群

第50回目となる今月は、マスターボックス社の1/35「かわいいファッションガール」「メイド喫茶」です。

●居てくれればいいんです、デスロイドは!
『マクロスΔ』の作成にあわせた、ミニコラムです。こういうお題のときは、アニメとプラモデルの両方をリアルタイムで知っていて良かった……と感じます。


レンタルで、米映画『告発』と、仏独合作の『パリよ、永遠に』。
『告発』は、アルカトラズ刑務所をモチーフにした法廷劇。『アルカトラズからの脱出』は痛快さすら感じさせるサスペンスフルな娯楽作だったが、『告発』は陰惨な刑務所内の虐待をじっとりと描き、3年間も地下牢に監禁されていた被害者にスポットを当てる。
『パリよ、永遠に』は、『ブリキの太鼓』のフォルカー・シュレンドルフ監督の近作。ドイツによる占領下のパリの、ホテルの一室での数時間のやりとりを描いている。スウェーデンの総領事が、パリの爆破を実行しようとするドイツ人将校を説得する会話劇だ。
どちらも手堅い撮影、落ち着いたカットワークで、最低限必要なことだけをサクッと語る誠実な映画。どちらも実話をベースにしているから、観ただけで小さな肥やしになってくれる。

たとえば、アルカトラズ刑務所のような恥ずべき歴史をもったアメリカが、70年代にそこを娯楽活劇の舞台に選び、当の刑務所を観光地化し、さらに90年代、刑務所の悪業をあばくような映画を撮り重ねた事実だけでも、面白い。
ついでに言うと、アカデミー外国語映画賞に輝いた『ブリキの太鼓』はカナダやアメリカの一部で、上映禁止となった。罪状は「児童ポルノ」とのことだが、気になる人は調べてみてほしい。


それにしても、映画のタイトルを検索するだけで「ネタバレ!」という文字がもれなく目に飛びこんでくる状態は、はたして幸福なことなのだろうか? お前がこの映画の価値を損ねるほど重大な「ネタ」とやらを、本当に知っているというのなら、一度じっくりとヒザをつき合わせて聞いてやろうじゃないか……と、意地悪な気持ちが起きる。

映画の価値を損ねるといえば、一部の映画で、キャラ萌え的な二次創作マンガを見かけると、たちまち見る気が萎えてしまう……という人に会ったこともあるし、僕自身、そういう気持ちになってしまうことがある。「映画には描かれなかったが、実はこの2人の関係は」と同性をカップリングさせたり、「もしこんなシーンがあったら、とても萌える」と妄想するようなマンガ。
妄想は自由なのだが、セリフや描写が元の映画に追いつくレベルではなく、とても貧しいことにガッカリさせられる。「この映画に熱中しているあなた方も、所詮この程度の人間描写に満足してるんだろ?」と、にやけ半分に肩をたたかれたような気分。
ちょうど、僕が著書()に書いた、「『うる星やつら』を好きってことは、どうせラムちゃんに欲情してるんだろ?」といった下賎な同族意識に巻き込まれたときの嫌な気持ちが、胸によみがえってしまうのだ。


ポルノ規制で、二次元コンテンツが真っ先に叩かれるのは、作者の人間性がダイレクトに露呈しやすいせいかも知れない。
「オッパイが大きい」とか「スカートが短い」といった数値化できる表現以上に、人間観だとか倫理観が、作者の意図をこえて伝播してしまうのではないだろうか。誤読の生じうる、かすかな振幅を認めないから、いつも「エッチなのはいけない」「エッチだと思うほうがいけない」といった、低レベルな言い争いに終始してしまう。

人間の高尚な部分を伝えられる表現は、人間の幼稚で汚い部分も、同様に伝えやすいのだ。そこをまず認めないと、話にならない。
自分が嫌悪されたり軽蔑される可能性を、つねに覚悟していないと、表現について語る、まして「守る」なんてことは出来ない。そして、ほとんどの人は、そこまでの勇気をもっていない。

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2016年12月24日 (土)

■1224■

【独占インタビュー】早見沙織・日笠陽子・嶋村侑・小清水亜美に聞く、アニメ「RWBY」の味わい方
T640_718207声優さんのインタビューは、いつもはお断りすることが多いのですが、他でもない『RWBY』で優れた演技を聞かせてくれた4人なので、喜んでお請けしました。
結果、主演4人による『RWBY』分析といってもいいぐらい、奥深いインタビューになりました。


インタビュー掲載が『RWBY VOLUME 3』発売日に間に合ったので、3時間、ノンストップで見直してみた。
VOLUME 3では、主人公たちが安らげる、何度でも平和な日常へリセット可能だった学園“ビーコン・アカデミー”の精神的、物理的崩壊を描いている。物語の舞台を解体する、壮大な試みだ。

その大きな転換のため、VOLUME 3では、これまでいっさい語られてこなかった「物語」がふたつも登場する。ひとつは、「四季の女神」のおとぎ話。主人公たちのチームが4人であることに呼応するように、4人の姉妹の物語が語られる。『RWBY』はお嬢さまや熱血漢、タイプの違う美少女キャラクターを楽しむ通俗性が前面に出ていたが、「四季の女神」が対置されることによって、彼女たちが「4人」であることが象徴性を帯びはじめる。


もうひとつ、主人公ルビーの瞳が銀色であることと関係する、「銀色の瞳をもつハンター」のT640_718305神話。おとぎ話や言い伝えの挿入が、主人公に避けがたい運命を付与していく。
「四季の女神」の物語が敵に利用された直後、「銀色の瞳」の言い伝えが出てくると、かなり煩雑な印象を与える。
しかし、ひとりになったルビーが、ひとりの少女を失った副チームに加わり、4人で旅立つラスト・シーンによって、ふたつの物語は役割を終え、『RWBY』という、さらに大きな物語へと回収される。「四季の女神」によって失われた少女の後継者として、「銀色の瞳」をもつルビーが代入されることで、彼女は二重三重に裏打ちされた強固な神話の中心を歩みはじめる。

ゆるやかに横に広がっていた平坦な作品世界が、縦に尖りはじめた。
口承される物語以外にも、.ルビーたちと敵対する女ボス、シンダーがいかにして2人の部下を得たのか、禍々しい回想シーンもある。


『RWBY』は、キャラクターの顔だけで「日本アニメの影響」と言われがちだが、作画を見てほしい。
VOLUME 3でいえば、飛行戦艦のうえに乗ったルビーが愛用の大鎌“クレセント・ローズ”を振り回すシーン。CGモデルを回しているだけではない。武器の輪郭を手描きで大きくブレさせていたり、複雑な形の“クレセント・ローズ”を、単なる赤い棒として描き、フレームいっぱいに何本も描いていたりする。
こうした極端なディフォルメーションは、金田伊功~今石洋之のライン上に位置しているのではないだろうか。『RWBY』のスタッフ、特に監督のKerry Shawcross氏が『天元突破グレンラガン』を「影響をうけたアニメ」として挙げていることを、無視すべきではない。


レンタルで、1995年の米映画『告発』。もう一本、なにか映画を見たいので、感想は後日。

(C) 2016 Rooster Teeth Productions, LLC

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