2017年3月20日 (月)

■0320■

劇場アニメの新時代  明日発売
71ishv3dxml_ac_ul320_sr228320_●「画が演技をするということ」 アニメーター/作画監督 安藤雅司の仕事
『千と千尋の神隠し』、『君の名は。』のムックでもお話をうかがった安藤雅司さんに、三度目のインタビューを行いました。
編集部からの依頼で、「アニメと実写の両方を知っている方に」とのことでしたが、よくぞ安藤さんに取材依頼したし、よくぞ僕に回してくれたと思います。

安藤さんは優れた表現者であると同時に、優秀な鑑賞者でもあります。インタビュー中、『この世界の片隅に』を評価していますが、おそらくこのような誉め方は、どのレビュアーも評論家も、していないと思います。
キャラクターデザインはよく話題になるし、絵がリアルだ、絵に説得力があるという誉められ方をされても、作画という工程に評価が及ぶことは皆無といってもいいぐらいです。

僕は「実写以上にリアルだ」なんて無責任な言い方をしたくありませんから、安藤さんの貴重な発言をまとめることが出来て、とても勉強になりました。たいへん有意義なインタビューになりましたので、必ず読んでください。


「アニメ映画」といっても、最近ではテレビ放送されたもの、テレビ放送前提でつくられたアニメもイベント上映されています。果たして、「映画館で上映されたんだから、すべて映画なのだ」とくくってしまっていいのでしょうか? そんな簡単な話なんでしょうか?
たぶん、アニメが「質的に」映画となる条件なり定義なりが、必要なはずなんです。

押井守監督の発言を振り返ると、劇場デビュー作の『うる星やつら オンリー・ユー』を「大きなテレビにすぎない」と反省しています。併映は相米慎二監督の『ションベン・ライダー』でしたが、そっちの方が好き勝手にやっている。
それで、第二作の『ビューティフル・ドリーマー』がどうなったかというと、おそらく『オンリー・ユー』より「映画っぽい」と感じる人が多いのではないでしょうか。

アニメが「質的に」映画である……という定義を考えるとき、いつも押井監督の「大きなテレビ」という言葉が、脳裏をよぎります。
人気のあるキャラクターたちをまんべんなく出して、笑いも涙も盛り込んで、新しい挿入歌もふんだんに入れたけど、それゆえに「大きなテレビ」にしかなっていない。
(いま、その「大きなテレビ」を「劇場版」として公開したら、「これこそ映画の王道だ」と歓迎されかねませんけどね……そういう雰囲気は、ちょくちょく感じます)

「大きなテレビ」ではなく、アニメが「質的に」映画になっているとするなら、「何が」映画たらしめているのか、関心をもっていなくてはなりません。


写実的なキャラクターデザインなら、実写映画に近づくんでしょうか? 現地にロケハンして、実在の場所を背景に描けば、それで現実感のあるアニメになるんでしょうか?
『王立宇宙軍 オネアミスの翼』が公開されたとき、僕は日芸映画学科に在籍していましたが、「あそこまで細かく描くなら、実写でいいじゃないか」と言った学生がいました。『王立宇宙軍』を忠実に実写で再現したら、より完璧な映画になるんでしょうか。アニメは「実写映画に到達すべき、未完成な何か」なのでしょうか?

「絵なのに、リアルだ」という誉められ方をしていると、僕は「うん?」と首をかしげてしまうのです。そう言いたくなる気持ちは分かるけど、言葉が足りてない。
「絵でないと感じられない存在感」を出すため、何かやっているはずなんですよ。3DCGで立体的になったからリアルだとか、その手の認識から抜け出ないといけない。

それには、実写映画もアニメも、熱心にいっぱい観ている人たちが必要なんですよ。
映画とアニメは何が違うのか、なぜアニメが映画になりうるのか。面倒だけど、面白いじゃないですか。今、それを考えるチャンスが来てると思います。

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2017年3月19日 (日)

■0319■

ホビー業界インサイド第21回:あまりに広大で自由な「ゲームズワークショップ」の高密度なミニチュアと世界観に、ホビー業界の沃野を見た!
C7k0fd0vsaay_rwモデルグラフィックス誌の連載、「組まず語り症候群」でミニチュアを取り上げさせていただいて以来、ちょくちょく客としてうかがっていたゲームズワークショップさんへ、ついに取材を申し込みました。
あの壮絶な成型のランナー写真を掲載したのは2014年12月ですから、遅すぎるようなしつこいような、不思議なタイミングでの取材となりました。


すっかり巨匠監督となったチャン・イーモウの2000年の作品、『至福のとき』をレンタルで。
冒頭、白髪の混じった冴えない男と太った中年女性が、お見合いしている。男は、結婚を焦っているが、女には離婚した元夫との間に、子供が2人もいるという。女の家に行くと、たしかに丸々と太った男の子がいる。
Shifukunotoki老けた男と太った母子、こんなパッとしない人たちの映画なのか……とウンザリしはじめた矢先、家の奥に、スラリとした背格好の少女が座っているのに気づかされる。静かに座っている姿を、背中から美しく撮っている。その、凛とした佇まいに、思わずハッとさせられる。
少女は、目が見えない。父親は、少女を置いて失踪してしまった。なので、母親がわりの女は少女を家から追い出して、どこかで働かせたいと愚痴る。それを聞いた男は、目の見えない少女なら簡単に騙せるだろうと、ニセの職場をつくる。

察しのいい観客なら早々と読めてしまうと思うが、男は少女を騙しているうち、彼女を娘のように大切にしていく。少女は騙されていると気づきながらも、不器用な彼を慕っていく。
この甘酸っぱいウソは、いずれバレる。その、ウソの滞空時間に漂う心地よさを、ひたすら堪能する映画だ。


新人の美少女俳優の発掘に長けたチャン・イーモウ監督は、美醜に容赦がない。最初に冴えない中年男と太った女性を同じフレームに押し込め、さらに太った子供を出して画面をギュウギュウに暑苦しくしておいてから、きれいに痩せた少女を出す。
その外見の対比は残酷といってもいいぐらい極端だが、そうでもしなければ、幸薄い少女の美しさが引き立たない。

また、「中年男が盲目の少女を密室で働かせる」設定には、どこか性的な淫靡なムードが入り込みそうなものだが、それについても、先手が打たれている。
金策に困った男は、同僚からの提案で、小さなラブホテルのような施設をつくる。密室にベッドだけ置かれた部屋を、カップルに貸し出すのだ。
当初、男はその部屋で少女を働かせようとするが、部屋は目の前で撤去されてしまう――つまり、性的なムードをもった舞台を、物理的に排除しているわけだ。
それなら、もう映画に性的な関係を持ち込む必要はない。必要はないのだが、少女の下着姿は頻繁に登場するので、海面下でセクシャルな要素は持続している。

プロット上では、性的な要素をしっかり排除している。だが、ビジュアル面では少女の下着姿を隠さない。この二律背反が、映画に力を与えていることは、間違いない。
そして、論理と情動との両方を機能させる作家を、体の芯から尊敬する。そうした作家の才覚に気づける、優れた観客でありたいと努めている。

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2017年3月17日 (金)

■0317■

EX大衆 4月号 発売中
Ex_taishu●機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 傑作の理由
モノクロ、4ページの特集記事です。
飯田一史さんにインタビューし、現代社会と『オルフェンズ』を比較した評論記事として掲載しました。
この仕事は、すでに原稿と取材を複数かかえている時期に割り込んできたので、シメキリから逆算して、構成可能な内容を割り出して、その範囲内でやります。
画像はバンダイビジュアルさんから借りられるので、「第○話のあのシーン」だとか面倒な指定はせず、公式サイトにある画像をピックアップしてお願いすれば、そのものズバリの画像が送られてきます。

相手(編集、デザイナー、関係各位)みんなが、なるべく手短に段取りできる方法だけで切り抜けようと努めれば、自分も無理なく仕事を進められるはずです。
「時間がない」と騒ぐ人は、余計な段取りを増やしすぎなんです。


レンタルで、『シークレット・アイズ』。
Main_large娘を殺された女性捜査官ジェシカ、美しい女性検事補クレアのあいだで揺れ動く、男性FBI捜査官レスの姿を描く。
あえてこのような書き方をしたのは、レスが明らかにジェシカへの友情とクレアへの愛情の両方に翻弄されていると分かるシーンがあるからだ。

まず、レスはジェシカの娘を殺したとおぼしき容疑者を尾行し、彼を取り押さえる。しかし、その場に現れたジェシカは「彼は容疑者ではない」と言い張り、レスに悪態をついて立ち去る。そのシーンは、腑に落ちない表情のレスのアップで終わっている。
手詰まりになったレスは、クレアの家へ行く。そのシーンも、レスのアップで始まっている。同じ人物のアップとアップをつなぐと、シーンのつながりは不自然になる。だが、ここではジェシカのために働いたのに彼女に悪態をつかれたレス、困り果ててクレアの家に行くしかなかったレス、彼の心の両面を描かなくてはならない。
よって、アップとアップでつなぎ、観客の注意を喚起する必要がある。事態に翻弄されるレスの気持ちを途切れなく描くには、レスのアップのみでシーンをつなぐのが、もっとも有効ではないだろうか。
レスは、打つべき手がなくなり、立ち尽くしている。その彼の前を、ジェシカが通り過ぎてフレーム・アウトする。つづくカットで、やはり立ち尽くしているレスの向こうに、風景の一部から、クレアが静かに現れる。上手い。完璧に整合している。カットと構図が、ドラマを生み出している。

こうした細部の語り口に、監督の知性や慎重さが端的に現れるのだと思う。


ほかにも、エレベータの中で、セスとクレア、ジェシカの3人が話し合うシーンも印象的だ。エレベータの中は鏡張りなので、3人の姿は右にも左にも、別々の角度から映し出される。
このシーンで、セスは容疑者の少年を「自分たちの手で、殺してしまおう」と提案する。法に準じて行動する彼らにとっては、あまりに重大な決断だ。その迷いを描くには、鏡なり密室なりの仕掛けが必要なのだと思う。
さもなければ、「泣き叫ぶ」「怒鳴りあう」ことが、もっとも強く感情を描く手法になってしまう。

『シークレット・アイズ』で、もっとも唸らされた芝居は、容疑者の少年にブラウスの胸元をのぞかれたニコール・キッドマン演じるクレアが、怒りをおさえた丁寧な言い回しで、少年を性的に侮辱するシーンだ。
演技も素晴らしいのだが、セリフの内容が「事実」を逆手にとった皮肉であって、無根拠に下品な言葉を羅列していないところに着目すべきだ。
強い「思い」の発生源は、つねに冷徹なほどの「事実」なのだと思う。「事実」を見失うと、人間はことごとく堕落する。作品も同じだ。


もう一本、友人に薦められた『ラブ・アゲイン』も観たが、僕向きの映画ではなかった。
努力や才能よりも、「何に拠って立つ」のか、それによって人生の質だとか、力だとかが左右されるような気がする。

(C)2015 STX Productions, LLC. All rights reserved.

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2017年3月12日 (日)

■0312■

【懐かしアニメ回顧録第28回】メカニックの“呼び分け”によって生じる「機動戦士ガンダム」の多面的リアリズム
C6mxe32uwai2g7lCS放送で『機動戦士ガンダム』を見ているうち、なぜ“やられメカ”の名前を律儀にセリフに組み込んでいるのか気になり、第一話を中心に「メカがどう呼ばれているのか」、軽く整理してみました。
この手の話では、リアリティを感じさせるために「RX-78-2」などと表記した時点で、悪手となります。番組がオンエアされる瞬間まで、モビルスーツという単語すら、誰も聞いたことがなかったはずです。

富野由悠季監督はファンから「御大」などと祭り上げられ、ガンプラは新しいブランドが出るたび、それが最新の「リアルな」「メカニックとしての」回答である……という反復に陥っています。
「ガンダムはリアルだからリアルなんだ」と繰り返す、怠惰で不毛な状態が、ここ20年ぐらいは続いているのではないでしょうか。

セルとポスターカラーで描かれた世界に、確かな存在感をおぼえたはずです。その生の感覚を、「みんなが理解しやすい形にまとめてしまおう」とする動きは、とてもつまらない。おそろしいとすら感じます。お台場に設置されていた1/1ガンダム、あれが答えのわけがないでしょう。だからわざわざ、第一話まで戻ってみたんです。

本日は、午後から三鷹市主催の「戦跡を訪ねるフィールドワーク講座」に参加。
三鷹コミュニティシネマ映画祭のとき、漠然と聞いていた企画だが、同映画祭で『アリーテ姫』『マイマイ新子と千年の魔法』の上映、片渕須直監督のトークイベント()を企画したドカン隊長から教えられて、応募した(残念ながら、ドカン隊長は抽選から漏れてしまった)。
どこか『この世界の片隅に』の感覚を引きずったまま、三鷹市内の大沢コミュニティセンターへ向かった。

フィールドワークは、調布飛行場を守るための高射砲跡。
Dscn2376_1540四つの高射砲台座跡は、今ではなんと保育園の敷地内にある。
現地の方の説明が、すごかった。まるで目の前で戦場が展開されているかのような言い方で、「あの林の陰からグラマンが低空で飛んでくるでしょ? もう間に合わないですよ」と、今でも残る林を指さす。
「後ろからは、味方の高射砲の撃った弾丸が空中で破裂して、その破片が、ここら辺にバラバラと降ってくるわけです。たまったものじゃないですね」とお笑いになる。

目の前に広がる風景に、まるでVRで戦闘機や高射砲が重ねられたような、異様な臨場感があった。距離感が生々しいんだ。
もちろん、『この世界の片隅に』の映像が頭の中で反復されたことは言うまでもない。現実の光景を想像するのに、アニメの記憶を援用するという倒錯。しかし、あの映画にはそれぐらいの説得力があったし、僕はフィクションを使わないと、現実にアクセスしづらい。


もうひとつの目玉は、公園内に二基のみ残っている“掩体壕”。
Dscn2394_1558これは本土決戦に備えて、航空機を隠しておくために造られた緊急の壕である。特別に、内部に入ることが出来た。
ここに隠されていたのが、タミヤからプラモデルが発売されて間もない飛燕であったという。現地には、1/10スケールの模型もあった。
ここでもやはり、僕はプラモデルというホビーを介して、現実との接点を見つける。それはやはり、ちょっと恥ずべきことなのだろう。

参加者の半分ぐらいは、70代の男性だったと思う。
言葉づかいがハキハキしていて、間違ったことを言ったら「申し訳ありません」と笑顔で頭を下げられる70代は、向上心を失わず、自己鍛錬してきた人なのだろうと想像する。年齢と品位は反比例する。それに抗う生き方を、目の前にした。
実は、そのことに最も教えられた、日曜日の午後だった。明日からは、また取材と原稿の日々が始まる。

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2017年2月28日 (火)

■0228■

ホビー業界インサイド第20回:ジオラマ作家・WildRiver荒川直人に聞く、「シチュエーション」と「スケジューリング」の重要性
T640_722933ホビージャパン誌の『ローグ・ワン』のディオラマを見て、我慢できずに取材をお願いしました。
荒川さんは「小さいのに本物そっくり」だとか、「考証に正確」といった評価軸から、ほどよい距離を置いてらっしゃる点が心地よいのです。


レンタルで、『ゴーン・ガール』。
Df01828cc_large_2どうも見覚えがあるな……と思っていたら、去年の3月に視聴済みだった。
決定的に、「これは以前に観たぞ」と確信したのは、主人公の家に浮気相手の女性が入ってくるシーン。
そのシーンでは、部屋の扉が画面の左側にある。主人公は、画面右側にいる。女性は、左側の扉から室内に入ってきて、右側にいる主人公のところへ詰め寄る。主人公の家には妹がいるので、彼は「妹に気づかれる」と焦る。

ここで、観ている側まで焦ってしまうのは、位置関係を把握しているから。前のシーンで、妹が泊まっていることは分かっているし、主人公が画面右側にある扉をチラッと見て「妹が寝てるんだ」と言うので、女性が画面の右側に行ったらマズいことになる……と分かるわけ。
女性は一瞬、画面右側へ回りこんで主人公にキスをせがむんだけど、主人公は彼女の肩をつかんで画面左側へ戻す。妹の寝ている場所は画面右側だから、彼は徹底して右側に立って、“敵”の侵入をガードしないといけないわけ。
相手のシュートを防ぐ、ゴールキーパーのように。

あのね。「観ていて、切なくなった」「観ている側も、穏やかな愛に包まれる」なんて叙情的・ポエム的“映画評論”をしているヒマがあったら、こういうところを見てほしいの。
「切なさ」や「穏やかな愛」なんてものも、実はカメラワークやカッティング、構図や人物の位置関係といったロジックによって成立しているからです。


先日のワンダーフェスティバル直後、売ったガレージキットが、ヤフオクで転売されている……というツイートを、いくつか見かけた。
「シリアル番号を付ければいい」「客に誓約書をかかせるようにしては」「住所・氏名などの個人情報を開示してもらってから売ればいい」等、売った側に負担をしいるようなアドバイスが、多数寄せられていた。

だが、それよりも「このキャラクター、大好きなのに」「これ、欲しかったのに」「買おうと思っていたのに」と、およそ模型趣味とは縁遠いと思われるアカウントからの返信が気になった。
暴動に加わるのは、このような「衝動的な感情を表明せずにいられない」人たちなんじゃないだろうか。とにかく、悲しみでも怒りでも憎しみでも何でもいいから、段取りをすっとぱして、誰かに「共感」して憂さ晴らしをしたがる人たちが、僕はいちばん怖い。

だから、facebookで気軽に押せる怒りマークや悲しみマークが怖いし、映画レビューで頻繁に使われる「感情移入」という言葉にも、恐れを感じる。「自然と涙があふれた」なんて感想にも、僕はビビってしまう。
どんな出来事にたいしても、一段階でいいからロジックをはさんで、冷静に自分の心の動きを直視していたい。

(C)2014 Twentieth Century Fox

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2017年2月24日 (金)

■0224■

モデルグラフィックス 2017年 04 月号 発売中
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●組まず語り症候群 第52夜
今回は、エレールの1/60建設機械シリーズ3 ホイールローダー。担当編集さんが用意してくれた、オモチャみたいなプラモデルです。

しかし、今月号の表紙はすごい。どんどんやれ、としか言いようがありません。今までの模型雑誌のあり方が、保守的だっただけ。「買いづらい」とか「模型の雑誌なんだから、模型を表紙にしろ」なんて声は、織り込みずみだと思います。
「○○しなきゃダメ」という縛りが、模型の世界で強すぎたような気がする。比例して、模型雑誌は「こうすれば上達する」ハウトゥ一辺倒になってしまい、その影響を受けつづけた僕らが「模型雑誌はハウトゥを載せるもの」という先入観を壊せないでいるだけだと思う。

テクニックだの上達法だのの前に、手ぶらで楽しめる側面が、プラモデルには山とある。誰も手をつけていない。気づいているのは、からぱた氏()ぐらいなものだろう。


この一週間ほどは、本当にひどいスケジュールになってしまった。
一日二件の取材があり、三本もの仕事を併走させねばならなかった。そんな事態にならないように工夫しているつもりが、断れない仕事ばかり重なってしまった。調整に調整を重ねて、ようやく無理のないスケジュールに戻りつつある。

しかし、映画はレンタルしてこられない、4月の旅行の計画も、ほぼ手つかず。一ヶ月前には、ホテルの予約をしておきたいのに。


世間は、プレミアムフライデーだそうで、サタデーもサンデーも仕事にあてて、平日に遊んでいる僕は、いろいろ考えてしまう。
「時間がない」と、すべての仕事は悪化する。「時間がない」時点で手遅れなので、事態が好転することはあり得ない。「少しでもマシにする」、それが精一杯だ。それを分かっていない人が、大半なのかも知れない。

時間がないと、いくつかの道筋を検討している余裕なんてなくて、見つかった一本きりの道を進むしかなくなる。その道が間違っていたと気づいても、引き返す時間なんてないのだ。
時間がないと、書き上げた原稿を読み直す時間すら削られていく。誤字脱字が多くなる。ふだんなら間違えないような、簡単な数字の読み間違いも起きる。
選択肢はない、事故やミスが多発する。程度の低い本が出来て、僕の評判が落ちて仕事が来なくなる。とにかく、悪いことしか起きない。

「時間がない」時点で、もうすでに間違っている。確実に、仕事のクオリティは落ちる。
仕事がどうとかいうより、そんな雑な生き方はしたくないな、と思う。「時間はないけど、頑張りましょう」なんて平気で言える人は、生き方が雑なんだろう。


ついでまでに、ひどい話をしておきたい。
僕は、自分で受けきれない仕事を、他のライターに回すことができない。
僕の腕がナンバーワンだ、と言いたいのではない。シメキリを守るライターが、あまりにも少ないことを知っているからだ。

ある本に書いたとき、奥付に、見知ったライターの名前が20人ほど並んでいた。
その本の担当編集と飲んだとき、「あの中で、シメキリを守ってくれたのは、廣田さんと○○さんの二人だけです」と聞いた。「ウソでしょう? みんな雑誌やムックに書いている人たちですよ?」と聞きかえすと、「ひどい話だけど、毎度のことです」。
時間がないけど……と相談された仕事を、まさかシメキリすら守れないライターに回すわけにはいかない。そんな無責任なことはしたくない。

逆を言うと、僕のところに仕事が来るのは、シメキリを守れるからにすぎない。
「ライターさんなら、文章が上手いんでしょうね」と、よく言われる。それで鼻を高くしているヤツなんて、相手にしてはいけない。スケジュールを、いかに無理なくさばくか。それが、仕事の9割だ。文章力がどうした、売り込みがどうしたという話は、シメキリを守ってから。
だけど、シメキリを守ってない人がライター講座だとかやっているので、この界隈も、意外と闇が深いのかも知れない。

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2017年2月16日 (木)

■0216■

Febri  Vol.40 発売中
4910037140371今回も「Febri Art Style」担当で、『3月のライオン』の美術監督・田村せいきさんにインタビューし、美術ボードを構成しました。
田村さんは『おそ松さん』の美術監督でもあり、背景のディフォルメ加減には、共通したものを感じます。

『3月のライオン』は、『とんがり帽子のメモル』『メトロポリス』の名倉靖博さんが美術設定を担当してるのも、ちょっとしたポイントなんですよね……。


レンタルで、『レヴェナント 蘇えりし者』。
Sub2_large監督が、抽象的でよく分からなかった『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥだと知って、こんな骨太な映画を撮るのかと驚きもしたし、映画の前半を占めるワンシーン・ワンカットの長回しに納得もした。
撮影監督は、『バードマン』同様、映画一本丸々ワンカット長回しだった『ゼロ・グラビティ』のエマニュエル・ルベツキ。粘り強い、腰の座った映画である。

CGがこんなに普及する前、実写映画は、カメラの前で起きたことの記録であり、それ以下でもそれ以上でもなかった。だから、『蜘蛛巣城』で三船敏郎の首に矢が刺さった瞬間、アッと驚いた。『バリー・リンドン』で、ライアン・オニールの片足が切断されているのを見て、客席がどよめいた。
『レヴェナント』は、あの原初的な、見世物小屋感覚を蘇えらせてくれる映画だ。まず、タイトル・バックの撮影からして、驚かされる。すべるように水面ぎりぎりをカメラが移動し、最初は右から、次に左からライフルの先端がフレームインしてくる。カメラは水面からティルト・アップして、ライフルを構えた親と子の背中、そして全身をフレームにおさめる。そのまま途切れることなく、カメラは彼らの視線を追ってPANする。その向こうには、木立の中に立つヘラジカが見える。再びカメラがPANすると、銃で狙う主人公のアップになっている。仮に、ヘラジカがCGだとしても、ここまでワンカットで収めるには、徹底したリハーサルが必要なはずだ(特に、カメラマンに膨大な計算力が求められる)。

映画の前半には、「いったい、どうやって撮影したんだ?」と首をひねってしまう驚異的なカメラワーク(に付随した弾着、特殊メイク、さまざまな装置の連動)が、数え切れないほど出てくる。


白眉が、主人公が熊に襲われるワンカットだろう。ライフルを構えて森を進む主人公のバスト・ショットから始まり、背後から突進してくる熊が、鼻息でレンズが曇るほど近接し、一度は離れ、また主人公のところへ戻ってきて、彼を振り回し、ついには組み合ったまま、窪地に転がり落ちるまで、ワンカット。
この熊が縫いぐるみなのか、それともCGなのかは、微々たる問題だ。最初に、熊に一撃をくらった瞬間、主演のレオナルド・ディカプリオは骨折していてもおかしくない。それぐらい、豪快に倒れる。
なのに、スタントではなく、本人が倒れている。後から熊を合成するにしても、183センチのディカプリオの巨体を振り回す力を、どこかから調達してこなければならない。熊を演じた俳優が、そんな怪力を持っているのだろうか?

「なーんだ、CGか」と白けている場合ではない。現場で、どれほどの計画性とプロフェッショナルたちの技量が要求されたか、想像するだけで目まいがする。
映画の後半では、ワンカット長回しは減っていくが、主人公と敵役との決闘シーンは、くどいほど念の入った長回し。「どうやって仕込んだんだろう?」と呆気にとられるばかりの血糊、切断される指など、あれこれと仕掛けが満載。
あとからデジタル的に細工したにしても、入念に段取りしていないと、あんな映像にはならない。


これだけ見ごたえ十分な見世物映画なのに、「ストーリー性がない。40点」だとか書いている“映画好き”がいる。
3Dでなくとも、4DXでなくとも、画面が小さかろうと、音声がモノラルだろうと、カメラワークが損なわれるわけではない。CGの普及で、確かに、劇映画の武器のひとつだった信憑性は変化を迫られた。だが、『レヴェナント』は、その何割かを取り戻した。
そして、CGがどうであれ、カメラが進歩しようが退化しようが、カメラのフレームとカッティングだけが、映画を規定しつづける。IMAXで見ようがスマホで見ようが、フレーミングとカッティングは変わりようがない。カメラの動きに無関心で不感症だから、「ストーリー性がない」などという雑な批判が出来てしまうのだ。

もう一本、『ヴィクター・フランケンシュタイン』も観たが、『レヴェナント』に比べれば、かわいいCG映画だった。

(C)2015 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved.

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2017年2月12日 (日)

■0212■

アニメ業界ウォッチング第30回:「監督」と「演出」は、職業的にどう違うのか? 鈴木利正インタビュー!
T640_721425僕は『輪廻のラグランジェ』の公式ライターだったので、鈴木監督とは、よく顔をあわせていました。
その鈴木監督が『傷物語』の演出を担当していると知り、昨年末にご連絡して、ようやく取材が実現しました。
ちょうど、本日開催の「ラグりん祭り」にお呼ばれしたのですが、あまりに仕事が立て込んでいて……監督には、失礼をしてしまいました。

【懐かしアニメ回顧録第27回】シンメトリーの構図と舞台装置が明らかにする、「帝都物語」と演劇の相関関係
アニメに復帰しはじめた1991年に、たまたまVHSで観た『帝都物語』を取り上げました。
翌年が『ジャイアントロボ』、1994年が『マクロスプラス』ですから、あきらかにアニメが面白くなりはじめた時期。世間的には『セーラームーン』から『エヴァ』への端境期で、何度目かのアニメ・ブームが胎動していたころです。

記事の内容としては、構図と仕草なのですが、どちらにも絞りきれない文章になってしまいました。あまりにも、切り口の多すぎる作品なので……。
本当は、加藤が術をつかうとき、左手を大きくカメラに向けるカットに触れたかった。普通、左手がカメラに迫るまでを作画するところですが、手はカメラの前に固定されていて、加藤の体がズーム・アウトして、ぐーんと後ろに下がるのです。そのカットが、アニメの撮影方法をいかした異様さ、不自然さを出していて、白眉なのですよ。


男児ポルノ画像10万点 神奈川県警など6容疑者逮捕(

さみだれ式に情報が出てきているけど、NPO職員、小学校の臨時教員、大学のダンス部所属で“ミスターコンテスト”にも出場経験あり……と、容疑者のプロフィールや手口が、ここまで明らかになった【児童ポルノ】事件も珍しいだろう。
本来このような、児童への【性虐待記録物】を取り締まる法律だったはず。今回は、加害行為を隠しカメラで撮影していたそうなので、まさに「性虐待」の「記録物」だろう。
性器が映っていようがいまいが、一般人が見て興奮しようがしまいが、児童への性虐待があった事実を重視すべき。

この事件の異様さを知れば知るほど、いきなり秋葉原で合法的に売られているAVを選んで「児童ポルノだ!」と指摘する滑稽さが、さすがに分かるだろうと思う。そんな分かりやすいところで、売られているわけがない。
容疑者たちは、NPO法人のボランティアで子供たちをキャンプに案内したり、教師として食事をごちそうしたりする「善人」だった。
いつも、そう。東小雪さんの手記『なかったことにしくたない』でも、我が子を性虐待した父親は、地元で名士と言われるような有名人だった。
イギリスでも昨年、サッカー選手がコーチに性虐待されていた事件が公になったでしょ? 映画『スポットライト  世紀のスクープ』を観れば、すごい数の聖職者が性虐待していると分かる。大人社会で信頼されている者ほど、要注意……という事態になってしまっている。

「私はこのメーカーの、このAVがワイセツだと思います」と呑気なことやっている人たちは、お気楽で結構なことだ。社会の中で「子供たちにとって、良い大人」として振舞っている加害者と、対峙しなくてすむんだから。
「権威」や「良識」を疑い、その奥底に澱んだ汚泥を見つめるのは、とても勇気のいることだ。


だからいつも、児童“ポルノ”の問題は、“ポルノ”を消費する男性の問題として片付けられてしまう。「未成年の女子に欲情し、彼女たちを搾取する成人男性」といった通俗的イメージに押し込められる。
今回の「男児を性虐待する成人男性グループ」という図式は、「女子高生の制服に群がる援交オヤジ」の短絡イメージなんかより、よほどエグい。生々しい。
だから、「今回の事件は特殊」で片付けられかねない。たった今、別の立場ある大人たちが、児童を同じ目にあわせているかも知れないのに、その可能性を考慮する人は少ないだろう。

なぜなら、通俗イメージを頭に思い浮かべて、「嘆かわしきかな、日本の男」と、浮世離れした嘆き節を繰り返していたほうが楽だから。
僕は無力だが――『スポットライト 世紀のスクープ』は、誰にでも観てもらいたい。森田ゆりさんの『沈黙をやぶって』が図書館にあったら、騙されたと思って、読んでほしい。
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2017年1月31日 (火)

■0131■

ホビー業界インサイド第19回:MAX渡辺が語る「マックスファクトリーの30年」、そして「僕が本当に作りたかったもの」
T640_720701この連載では、二度ほどマックスファクトリーさんに取材させてもらいましたが、MAX渡辺さん単独では、これが初となります。
インタビュー中にある、ボロボロの木造アパートに社屋があった時代から、渡辺さんは真っ直ぐな方でした。当時は、僕がガキすぎて、気づきませんでした。


4月1日~8日に、オーストラリアのケアンズに旅行するので、今月はじめに家族で旅行してきた友人から、現地情報を聞く。日本人ばかりで白けると思っていたのだが、ケアンズから少し離れた場所で宿泊して過ごせば、意外とゆっくりできそう。

……にしても、オーストラリアへ旅行する人は、ジェットスターは使わない方がいいと思う。
予約番号が分からないので、問い合わせフォームから質問したところ、「このメアドでは予約されていない」という。だから、「ご都合のよろしいお時間にコールセンターまでご連絡頂けますようお願い致します」という。
それで、電話してみた。自動案内で「90秒あたり10円かかります」「メアドを広告に使わせていただきます」などの音声がえんえんと流れる。その後は「ジェットスターでは、このようなサービスも提供しております」などの宣伝がつづき、電話がつながるまで仕方ないか……と待っていると、いきなりバツンと切られてしまった。

これは凄い。すでに航空券の料金まで払った客に「電話しろ」と依頼しておいて、電話したら切る! 凄いな。不愉快どころか、ちょっと呆れてしまった。こんなもん、仕事でもなければ、サービスでもないよね。だって、連絡させといて、切るんだよ?
本当に搭乗できるんだろうか? 5度目の海外旅行だけど、ここまで不安にさせられたのは初めて。


先日、auショップでスマホの機種を換えたんだけど、接客が素晴らしかった。
まず、客を待たせすぎないよう、手の空いた店員さんが、「どういったご用件ですか?」と聞きに来て、その場で自分で出来ることは、即座に対応する(たとえば「充電できない」トラブルであれば、店内の充電器で試してみるとか)。

窓口に座ってからも、とても快適だった。
こちらが理解できない場合は、別の説明のしかたをする。印刷されたパンフに、手書きで分かりやすい解説を加えて、それを印刷して渡してくれる。
手続きのあいだ、「お時間をとらせて、申し訳ございません」「あと少しで、終わります」と、進捗状況にあわせたフォローを(こちらが気づく前に)入れてくれる。
これは素晴らしいマナーだよ。自分の仕事にも、応用できそう。世の中を、いい方向へ循環してくれる。科学技術だけでなく、人間の能力も進歩してるんだな……と、感銘をうけた。

その後、アンケートで絶賛しておいた。若い店員たちに喜んでもらいたいから。
「こっちは客なんだから、快適にしてもらって当たり前だ!」と居直る老人たちが、世の中を錆びさせていくんですよ。


ひさびさにあった友人から薦められて、レンタルで『アメリカン・ビューティー』。
ちょっと僕には意図のわからない映画だったけど、レンタル店にはブルーレイも含めて、3本も置いてあった。僕には理解できない魅力のある映画なんだろう。

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2017年1月28日 (土)

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月刊モデルグラフィックス 3月号 発売中
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●デザイナーから見た量産型モビルスーツの“統一”と“拡散”の歴史・出渕裕インタビュー
編集部から依頼されたインタビューですが、とても上手くいきました。「面白い」と評判をいただいています。
僕が『宇宙戦艦ヤマト2199』特集で出渕さんにインタビューした実績があったこと、10年以上前にも単独インタビューしていたこと。『ポケットの中の戦争』をB-CLUB誌上の情報もふくめて、リアルタイムで見聞していたこと。その『ポケ戦』を企画した内田健二さんに誘われて、サンライズに在籍していたこと――すべてが、ピタリと重なった結果だと思います。

●組まず語り症候群 第51夜
担当編集からの提案で、1/35チェコ装甲車PA-Ⅱです。
車のキットとして考えれば、カウルが一体成形なのは当たり前です。なので、「一体成形のせいでパーツ総数が少くなるのは良いことなのか、つまらないことなのか?」を問う記事になっているはずです。


最近みた映画は『戦略大作戦』、『スーサイド・スクワッド』。『戦略大作戦』は、中学時代に一度見ている。シャーマンの運転席から兵士が乗り出して、装甲を両手でペタペタ叩くシーンで思い出した。


死んだ母、その母を殺した父とで、行方不明中の兄を断罪するという最悪の夢を見た。
そもそも、僕の家庭の崩壊は、兄がヤミ金融に多額の借金をしたことが遠因だ。
去年か一昨年、ひょんなことから、どこかで死んでいるだろうと思っていた兄が、ここから遠からぬ場所に住んでいるらしいことが分かった。だけど、情報をくれた方には「僕の住所は、決して兄に教えないでください」とお願いした。今度は、僕がたかられてしまうからだ。

ようするに、「もしこのままナアナアですませたら、次にはとんでもない事態になるぞ」という危機予測ができないのが兄であり、父であった。二人も肉親が破滅するさまを見ていれば、そりゃあ学習しますよね。
たとえば、飼い犬が病気になっているのに、父は「大丈夫。いつもと変わらないよ」と、涼しい顔で無視してしまう。僕が動物病院の場所を探して、「ここから30分ほど離れたところに、獣医があるよ」と伝えても、「そんな遠くへ、誰がどうやって連れていく?」と、目を丸くする。父からすれば、僕のほうが狂って見えたのだろうな。

破滅へ向かう楽観主義。正常性バイアスが強すぎ、とんでもない事態を前にしても、「いや、たいした事じゃない。大丈夫だよ」と見て見ぬフリをする。原発事故のとき、そういう人が大勢いたよね。


すこしだけ共通する話だと思うんだが……昨夜、行きたいイベントがあったんだけど、チケット販売サービスがあまりに分かりづらく、チケットを買えなかった。
そのサービス会社に「分かりづらい」「どうすればチケットを買えるのか」と問い合わせメールを送ったのだが、一度目は無視された。イベントの日程が近づいてきたので、「どうして無視したんですか?」「チケットを買いたいのですが……」と、もう一度メールを送ってみた。

すると、「いつも○○をご利用いただき、ありがとうございます」と、返信がきた。
いや、そこはまず「お手数をおかけします」と謝るところじゃないだろうか。一度目のメールは無視したわけだから。なのに、お詫びの言葉は、ひとつも無かった。
一体、このサービスはどういう評判なのだろう?と検索してみたら、やはり「分かりづらい」「二度と使わない」の声が多数だった。だけど、そのサービス会社は「自分が怒られている」「責められている」自覚がないわけです。やはり、一種の正常性バイアス。
最悪の事態を想定しない人は、底なし沼のほとりを素足で歩いている。


ぎっくり腰から、一ヶ月が経過した。今は、地元の整骨院に通っていて、起き上がるのに悲鳴が出るほど酷くはなくなった。
4月のケアンズ旅行に向けて、友だちから現地情報を聞く。何年ぶりかで、別の友だちと飲む。2月の仕事の予定は、ほぼ埋まりつつある。

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