2017年7月22日 (土)

■0722■

アニメ業界ウォッチング第34回:カップヌードルがCMで「魔女の宅急便」をアニメ化した理由
T640_733123一部で、「あの人気アニメを剽窃・改悪している」との批判もありましたが、一本のアニメーションとしてのクオリティを評価すべきと思い、日清食品さんに取材を申し込みました。
制作現場を取材しようとすると、日清さんの管轄ではなくなってしまうようで、何度か交渉した後、宣伝の方から包括的な話を聞くことになりました。


丸一日以上が経過してしまいましたが、阿佐ヶ谷ロフトAでのトークイベント『社会は如何にしてプラモの金型に彫りこまれた美少女のパンツを見つめてきたか』に来てくださった皆さん、どうもありがとうございました。心配していましたが、ほぼ店内が埋まるぐらい、満席に近いほどの入りでした。
Dfku37zuqaab2k7_1_2第一部は、司会の有田シュンさん、永山薫さん、桑田聡さん、さらに飛び入りでマックスファクトリーの高久裕輝さんが登壇してくださいました。ワンダーフェスティバルで発売されるプラキット“minimum factory 霞 C2ver.”のランナー、原型ともなったPVC商品をお題に、プラモデルとしてオッパイが成形される愉悦について語りました。
第二部は、有田さんと永山さんに加えて、田中圭一さん、山田太郎さんが登壇。テーマは一気に表現規制へ。民間企業や警察によるフィギュアへの規制から、漫画での表現自粛、声かけ写真展への批判まで話題が広がりました。


イベントが終わった直後、僕の著書『我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか』を買ってくださった皆さんが、サインを求める小さな列をつくり(下手な字しか書けなくてかみません)、ちょっとした意見交換もできました。
お客さんと話していて印象的だったのは、「表現規制の話を聞きたくて来たけど、前半のプラモデルの話が予想外に面白かった」、逆に「フィギュアの話を目当てに来たけど、後半の表現規制の話題に興味をもった」、両サイドが、ほんのちょっとかも知れないけど、重なってくれたこと。
面白いこと、趣味のこと、エンタメって、つねに実社会から批判される可能性があって、プラモデルやフィギュアとて例外ではない。なのに、ホビー業界・模型業界の中で表現規制に関心があって行動する人が、皆無に等しい。主体的に社会に関わっていかないと、仲間内だけで閉塞した幼稚な趣味だと見なされ、市民権を得られないのではないか。
……こうして文字にしてしまうと、ミもフタもない単純な話ですけどね。ネットの中で思いついた言葉を散発させるだけでは、あまりに脆弱だと思うのですよ。

っていうのは、SNSによって自分たちの部屋が、すべて丸見えになる世界を僕らは生きていて、もう後戻りできないからです。
匿名のSNSで建設的な議論や対策を望むのは、それこそ子供じみた楽観論、無責任な甘えであって、直接対話を前提とした「場」をつくる段階に来ているのですよ。オープンかつフェアな「場」で、理性的なスタンスを保てる人が必要なんです。


今回のトーク企画は、『我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか』を企画した栗田歴さんの「廣田さんの次の著書につながるような、社会と表現とのかかわりに言及する横断的なイベントにしたい」要望から、ゲストが決定されていきました。
Kimg0205(写真右が、栗田さん)つい最近、長女が生まれたことが、彼自身の携わるアイドル系・グラビア系の“セクシャルな”仕事を見つめなおす契機になったそうです。山田太郎さんや田中圭一さん、田中さんを紹介してくださった永山薫さんが登壇してくれることになったのは、栗田さんがイベントの方向性を決定づけたからです。
そして、写真左が、元モデルグラフィックス副編集長の高久裕輝さん。正直にいうと、高久さんこそが表現規制を絡めたイベントを嫌がって敬遠すると思っていただけに、時間をやりくりして猛烈な勢いで駆けつけてくれて、嬉しかったです。
その高久さんは、表現規制に対して活動してきた山田太郎さんを最も高く評価していました。

2人とも、僕に容赦のないダメ出しをしてきた敏腕編集者だけに、上の写真は夢のような組み合わせです。「ディレクターは2人いらない」が僕の持論で、年齢も近くて仕事に誠実で野心旺盛な2人はソリが合わないのではないかと思いましたが、僕のついていけない尖った話を仲良く交わしていたので、安心しました。
表現とか文化の強度、社会への訴求力や信頼性って、少なくともクソリプの洪水の中からは生まれてこないですよ。

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2017年7月19日 (水)

■0719■

ホビー業界インサイド第25回:タミヤ プラモデルファクトリー 新橋店から見える“模型趣味の現在形”
T640_732597この連載では、ホビーの定義を食玩や個人の手づくり作品にまで広げていますが、根本にはプラモデル、それもスケールモデルが位置しています。
なので、タミヤさんには触れておきたいと思い、店舗でのイベントに参加したおり、取材をお願いしました。


レンタルで観た映画は、インド映画『PK』と、黒澤明『野良犬』。
どちらも、頭に入らなかった……。


明日20日の20時から、阿佐ヶ谷ロフトAにて、『社会は如何にしてプラモの金型に彫りこまれた美少女のパンツを見つめてきたか』開催です(詳細→
Denatd4uqaaiz7k
少年ジャンプ連載の『ゆらぎ荘の幽奈さん』のカラー口絵について、Twitterで批判され、女優の春名風花さんが『幽奈さん』を擁護して、同性からひどい言葉を投げつけられ……というやりとりを見てきました。
世の中には、いろんな人がいるし、誰もがストレスなく楽しく生きられる社会を目指さなくては、と思いました。エロ表現を批判している人たちをボコって沈黙させれば問題解決とか、そういう話ではありません。批判するのも、自由のうちなので。


それ以前に、僕らはどういう世界に生かされてきたのだろう?と、ふと立ち止まってしまう。
たとえば、学級会で話しあって、児童たちが決まりをつくったとする。だけど先生が気に入らないと、せっかくの話し合いの結果がナシにされてしまう。小学校のころ、何度かあった。
中学校のころ、教室内で財布か何かがなくなった。誰が盗ったのか分からない。どういうわけか、クラス全員が居残りさせられて、固い床に正座させられた。そのとき、教師が何と言ったか。「みんな、つらいか? 先生だって、つらいんだぞ!」 ウソつけよ。お前は正座なんてしてないだろうが。
さんざん、大人、権威者がウソをついてきた。子供はバカじゃないから、「先生の言ってること、おかしいぞ」って思うよね。だけど、教師ってのは存在自体が権力だから。殴られたし、「バカ」「キチガイ」「死ね」とか、教師から普通に言われていたよね?
だけど親への影響力も絶大だから、逆らえない。

まだ10歳にもならないころから、大人の理不尽な強制力が融通無碍に作用する空間に閉じこめられて、話し合いの結果も、誰かの犯した罪も、すべてひとりの大人が軽さと重さを決めて、そんな環境で無力感を植えつけられないわけないでしょ?
夏休みだって、午前中いっぱいかけても処理できない量の宿題が出される。そんなブラックな労働を課せられたのに、大人になってから「夏休みの宿題を、8月31日に片づけるタイプ(笑)」とか、自嘲的なギャグにしてしまう。「教師や学校を責めても勝てないから、自分が不甲斐ない」という、当たり障りのない落としどころに安住してしまう。

大人になってからの様々な諍い、批判や論争の根底に、「権力に逆らっても無駄」という諦めがある。


だから、日本人は妬みっぽい。「ズルして儲けてるヤツがいる」って話にだけ、やけに敏感。とにかく、権力には逆らわず、現状維持。現状に不満を感じたら、「誰かがズルしてる」と疑いだす。在日外国人が、パヨクがネトウヨが、クソフェミが……って、ようは「誰かがズルしてる」「それで私が損してる」幼稚な陰謀論でしかないでしょ? 自分の努力を、自尊心を取りもどす努力を放棄してますよね?
自尊心を損なわれたまま大人になったくせに「私は一人前だ」なんて思い込んでいるから、過剰に他人に対して威圧的になるんですよ。マウンティングしないと不安なんですよ。

僕はこのブログで、「この人は誰と戦ってるんだろう?」と笑われてきたけど、戦うべき相手を直視できない臆病者は、嘲笑・冷笑に逃避するんですよ。
表現規制とか、表現の自由以前に、「自分に自信がないから、他人に嫉妬しやすく攻撃的になる」性癖を克服しなければ、人の世に未来はない。

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2017年7月15日 (土)

■0715■

EX大衆 8月号 15日発売
81ckvuznd2l●俺たちの『BOYS BE…』再検証
90年代初頭に流行った漫画『BOYS BE…』のミニ特集、後半の前田尋之さんと山本寛監督のインタビューを構成しました。聞き手は、『私の優しくない先輩』の大ファンだという担当編集です。

『BOYS BE…』に関連して、前田尋之さんには恋愛シミュレーション・ゲームと、ラブコメ漫画について。
山本監督にはアニメの中での恋愛シーンや美少女キャラの描かれ方、消費のされ方についてうかがいました。


レンタルで、ヒッチコック監督の『めまい』。『北北西に進路をとれ』の前年の作品で、やはりサスペンスとラブロマンスに溢れた、とても贅沢な作品。時がたつのを忘れるぐらい、没入した。
Vertigo_3映画の前半と後半が、鏡を合わせたように対照する、不思議な構成。
前半ではジェームズ・ステュアートの演じる元刑事のスコティが、キム・ノヴァク演じる謎めいた人妻・マデリンを尾行するよう、友人に頼まれる。マデリンは精神を病んでおり、スコティは果敢にも彼女の命を助ける。

二人は恋に落ちるが、情緒不安定なマデリンは自殺してしまう。やがて、彼女とそっくりなジュディという女性がスコティの前に現れると、今度はスコティが偏執的な愛情をジュディに注ぎはじめる。
その結果、ジュディは死んだはずのマデリンと髪も服も、まったく同じ容貌となり、映画の舞台もマデリンの死の現場へ近づいていく。時間が逆転していくかのような酩酊感を支えているは、厳格なまでに計算された衣装デザインであり、メイクであり、美術であり、そして、そっくり同じ場所でまったく同じように繰り返されるカメラワークである。


後味の悪い映画だが、最初の10分で、非常に冴えた演出を堪能できる。
刑事だったスコティは犯人を追いかけるうちに高い建物の屋根から落ちそうになり、高所恐怖症になってしまう。恐怖症を克服しようと、彼は小さな脚立を一段ずつ登る。
高いところへ登っているから、スコティの顔は煽りで撮られている。だが、煽りで撮っているのは、そんな即物的な理由からだろうか? スコティは脚立を二段目まで上がっても平気なので、自信に満ちている。
ところが、三段目まで登った彼は、焦りの表情を浮かべる。そのカットは煽りではない。俯瞰のアングルで撮られているのだ。二段目より高い三段目まで登ったのに、なぜ煽りで撮らないのか? 「煽り」「俯瞰」といったカメラアングルが、心理描写を兼ねているからだ(俯瞰で撮られた人物は、矮小に見える)。
果たして、三段目まで登って不安な表情になったスコティが真下を見ると、そこには建物の屋根から見た街路が広がっている……そう、彼が現職時代に落ちそうになった、あの建物からの眺めだ。

こういう知的な演出を見せられると、「これは最後まで観るに値する映画だ」と確信できるわけです。
そして、メイキングにはテクニカラー、ビスタヴィジョンで撮られたこの映画のネガ修復の過程も出てきます。「ここまで修復しておけば、あと200年は大丈夫」だそうで、こういうプロフェッショナルたちの仕事は、素直にリスペクトします。


「絶対に他人に見せるな死ぬぞとか国家に脅されて無理やり送りつけられ死ぬほど取扱の面倒なマイナンバーの使いみちがその辺のコンサートのチケット転売防止とかホントにばかみてーだな」(

またしても友人のツイートですが……。フリーランスの人なら、もう覚えてないぐらい、あちこちにマイナンバーをコピーして教えちゃいましたよね? しかも「これが貴方のマイナンバーであることを証明する書類もコピーして郵送しろ」なんて、もう制度の根幹をゆるがす、無限大級にアホな事態に陥っている。
だけど、「お上の決めたことに反発するのは、政治的言動である」とでも思っているのか、だんまりを決めこんだお利口さんが多いよね。結局、大きなものに立ち向かえるかどうか、嫌なことを嫌と言えるかどうかは、性格の問題です。

弱いからこそ、勇気が必要なんだ。勇気がなければ、人生は楽しめない。

(C) 1958 Alfred J. Hitchcock Productions, Inc & Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved.

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2017年7月11日 (火)

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【懐かしアニメ回顧録第32回】“乗り物”から読み解く「魔女の宅急便」の面白さ
T640_73219630年近く前、片思いしていた年上の女性から「一緒に行きましょう」と誘われて観にいった映画です。
当時のジブリ作品はどんどん興行収入が下落しており、『魔女の宅急便』は起死回生の一本でした(配給が東宝ではなく東映である点も、興行筋からも期待されなかったことが伺えます)。

劇中、車に数人で乗り込んで遊びに行く『アメリカン・グラフィティ』的なリア充シーンが、何度か出てきます。そのオールディーズ的な、あるいはバブル景気的な価値観が、童話的世界に生まれたキキの強敵であるような気がしました。それでこのコラムでは「自動車こそが、キキにとっては社会の象徴なのではないか」と、仮説を立てたのです。

すると、クライマックスの「ホウキで自動車を追い抜かす」シーンに、別の意味が加わって見えるのです。


せっかくなので、昨日観て来た『メアリと魔女の花』について。平日昼間、吉祥寺オデヲンは、三割ぐらいの入り。
640「ジブリ作品のパッチワーク」「特に『魔女の宅急便』のパクり」といった批判を目にしたのだが、ようはジブリ的なキャラクターデザイン、色づかい、少女と少年、ネコ、醜悪な魔女といったルックスのみをみんな問題にしているんだと思う。
実際には、ジブリ作品に直接類似したシーンや演出は見当たらない。宮崎駿作品の魅力だった生活のディテールへ偏愛も、メカニックへのフェティシズムも感じられない。絵柄をガラッと変えたら「ジブリ・オマージュ満載」なんて言われなかった気がするし、それだけアニメにとっては絵柄の占めるイメージが大きいんだろう。
いきなりテーマだのストーリーだの感情移入だのメッセージだの、映画の「内面」について語りはじめるより、表層のみに着目して何が悪い?と、僕は思う。


『夜明け告げるルーのうた』のとき、僕はアニメ映画というより、アニメ表現としての純度が高いという意味のことを書いた()。
『魔女の宅急便』は「劇映画」ならぬ「劇アニメ」として完成度が高かったけど、『メアリと魔女の花』は、「劇」「芝居」の枠組みが弱いような気がして、しかも、それをわざとやってるんじゃないのか?という疑念をいだいた。少なくとも米林宏昌監督、ウェルメイドなエンターテイメントには関心が薄いのではないだろうか。(過去の二作も異色作だったし)

宮崎駿風のルックスだけ漂わせておいて、「空を飛ぶ」ことへの信仰心もない、エコロジーもなければ人間の業もない、労働する女性の美しさも描かない。
ひょっとして、宮崎アニメへの返歌、宮崎アニメへの批評になってないか? だとすれば、米林監督は、次回作こそジブリ的なルックスを脱ぎ捨てると思うんですけど……うがちすぎだろうか? 独立第一作は安牌をとったんだろうし、「安牌とって何が悪い? だって皆さん、こういう絵柄が好きでしょ?」と言われているような気がした。


ところで、妹のキャラがドンピシャで好みだった『聲の形』()。
妹を目当てにもう一度見たら、けっこういいじゃん、これ。静かな音楽と入野自由の声のマッチングがいい。何より、セリフがいい。アニメっぽくない。つまり、「出てくる女の子がみんなキラキラしているので、女の子を目当てに観るアイドル物だ」って割り切ると、それ以外の部分が際立って見える。
聴覚障害者の女の子が可愛くて何が悪い、手話で会話するのはかっこいいぞと思えたしね。

(C)「メアリと魔女の花」製作委員会

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2017年7月 7日 (金)

■0707■

月刊GoodsPress 2017年8月・9月合併号 発売中
Decpwduiaas2l6■GP FRONTLINE
バンダイから発売予定の1/72ミレニアム・ファルコンの紹介記事を書きました。
この時はバンダイに質問状を投げただけで、テストショットも何も手元にありませんでした。だけど、第一作『スター・ウォーズ』のスクリプトに当たって、ちゃんとハン・ソロのセリフを引用しました。有名なキャラクターから興味を持たせるほうが、一般誌では有効な気がしたので。

反面、今月下旬発売のモデルグラフィックス誌では、キットの開発スタッフにがっちりインタビューしてきたので、コアなところを記事にしています。


レンタルでアントニオーニの『太陽はひとりぼっち』と、ベルイマンの『処女の泉』。どっちも学生時代に観ているはずなんだけど、今のほうが良さが分かる……なぜだろう? 特に、『処女の泉』の一部の隙もない構図、カットワークに目が釘付けになった。
11023_002日本でもアメリカでも、長い間、削除されたままだったというレイプ・シーン。左の画像のように、人物の後ろに木が倒れていて、画面に絶えず木の枝が入り込む。この画像では、仲良く昼食をとっているので、手前に障害物が入ることはない。ところが、男たちに行く手をはばまれた娘が、木をのりこえて逃げようとするため、その後のほとんどのカットでは、木の枝が斜めに画面を分断している。
セリフはひとつもない。印象だけでしか映画はつくれないんだと分かる。見たそばから、映画は過ぎ去っていくから。

もうひとつ、強烈なカット。娘が犯されているのを目撃した養女が、石をつかんで走ってくる。彼女は男たちを止めようとして、“カメラに向かって”猛然と走ってくる。つまり、映画を、娘が犯されているのを凝視している我々に向かって怒っているわけです。
そのカットが入るだけで、見てはならないものを見ている感じ、罪悪感が増幅する。優れた映画は、観客を共犯者にする。


「ゆらぎ荘の幽奈さん」の性表現「子どもに悪影響」だと波紋(
最初に、問題視されたカラーの画像を見たとき、「過激だな、やりすぎじゃないか」とは思った。だけど、買わないと見られない漫画誌の一部だけを切りとって「ひどい」と叩くのであれば、少年ジャンプでも成人向け漫画誌でも同じだよね。恣意的に一部だけ切りとった側が、実は卑劣ですよ。フェアじゃない。

いつものことなんだけど、告発し、批判した側が反対意見や罵詈雑言をくらうと「ほら、エッチな漫画を見て育った子供たちは、こういう大人になってしまう」と論理をすりかえる。気に食わない相手を叩き、嘲笑し、優位に立つための道具に、自分の嫌いな漫画表現を転用する。人として下劣です。
「ズリネタを擁護したいだけ」という発言も、よく目にする。オナニーは恥ずかしいもの、性欲は禁忌すべきものという前提に立っている。世の中を良くしたいのではなく、「世の中はひどい、救いがたい」と嘆いているだけだし、そのひどい世の中に便乗している。混乱と対立を煽っているだけでしょ? 性別関係なく、人として共感できないですね。


小学校一年生か二年生のとき、友だちの家で、美少女キャラが乳搾りされる漫画を見た。タイトルは思い出せないけど、家に帰ってから、「こんな感じだった」と思い出しながら、ノートに描いてみた。それが人生初の二次元コンプレックス的な体験だった。そのノートを友だちに見られてしまい、「俺が描いたんじゃないよ」と白を切ったところ、「本当はあの漫画が好きなくせに、恥ずかしいから誤魔化してる」と笑われたものだった。

漫画の内容に興奮したのは確かだけど、友だちに笑われたことのほうがショックだった。
そういう子供には、将来がないんですかね? 性犯罪者予備軍に数えられるんですかね?
「性的に乱れた漫画を見ると、子供に悪い影響が出る」という人は、子供をバカにしているし、その子供が思春期をくぐりぬけて、実社会にもまれながら大人として振舞わねばならない複雑な経路を想像できない。
果たして、僕の人生は取り返しがつかないんですかね? そんな話も、20日のイベントではテーマになると思います()。

(C) 1960 AB Svensk Filmindustri

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2017年7月 1日 (土)

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初画集発売直前! アニメーションクリエイター、湖川友謙から教わる“発見”の面白さ
T640_731110はじめてお会いしましたが、非常に話が弾みました。
これまでの経歴のお話も文字に起こしてあったのですが、やはり富野由悠季監督との出会いを冒頭に持ってきたほうが迫力が出るように思い、前半はバッサリと切りました。おかげで、記事の評判は上々です。
画集の宣伝の意味で一迅社さんから持ちかけられたインタビュー仕事でしたが、悩んだすえに請けて、良かったです。


『社会は如何にしてプラモの金型に彫りこまれた美少女のパンツを見つめてきたか』(
7/20(木)に、阿佐ヶ谷ロフトAにて、トークイベントを開催します。ゲストは、桑田聡(月刊モデルグラフィックス編集部)、永山薫(漫画評論家)、山田太郎(前参議院議員)……と、異色の取り合わせとなっています。
前半では、僕よりぜんぜん若い桑田さんと、最新の美少女プラモ事情について語りあい、後半では山田前議員を招いて、ここ数年のフィギュアに加えられた弾圧の歴史を振りかえりたいと思います。永山さんには、前半と後半をつなぐような立場からコメントしていただければ……。

やっぱり、模型メーカー主導で商品のプロモーションを意図したイベントでは、表現規制にまでは踏み込めないし、また踏み込むべきではないでしょう。
僕のイベントだから表現規制についても触れるけど、基本的には楽しいイベントにしたいと思っています。その「楽しいこと」「エンタメ」こそが、規制や自粛とつねに直面しているはずであって。


レンタルで、ヒッチコックの『見知らぬ乗客』、黒澤明の『悪い奴ほどよく眠る』。後者は難解なドラマだったが、いずれも冒頭シーンのカット割がいい。
Ph_1『見知らぬ乗客』は、ポーターに荷物を運ばせた紳士の二人の紳士の足元が、カットバックする。ひとりは画面右から左へ、もうひとりは左から右へと歩く。その足元が交互に映ると、僕たちの脳は「二人は衝突する」と認識する。別々の場所で撮られたカットなのに。
果たして、二人の足元がひとつのカットに収まったとき、彼らの靴はぶつかり合う。そこまでのカットの積み重ねが、これから展開されるドラマ全体を象徴している。畳みかけるような演出で息もつかせねサスペンスを味わわせてくれる映画だけど、まず最初の数分で心をつかまれる。

『悪い奴ほどよく眠る』は逆に、冒頭の結婚式のシーンのみ良かった。
10010413_h_pc_l_2まず、花嫁が会場にあらわれると、画面を占領していた客たちがサーッと左右に分かれる。ここからして、黒澤明特有の「個と群」の美しさを描いたカットです。
カメラは、花嫁が歩くのをフォローするようにPANで追う。ところが、彼女が報道陣の前を通るとき、カメラはそこで止まり、花嫁はフレーム外へ歩いていく。
フレーム内に残された報道陣が、ちょっと歩き方の不自然な花嫁の足元を見て、ギョッとする。その表情を撮ったところで、カットは花嫁の足元をアップで映す。彼女は左右で高さの違う草履をはいていた―ー足が不自由なのだ。カットの最後で疑問を示して、次のカットで答えを出す。理解のテンポ感とでも言おうか、読み取る、了解することによって生じるリズム感が黒澤映画の醍醐味だと思う。
もうひとつ言うと、花嫁は不自由な足で先に歩くけど、報道陣はカメラワークによって「取り残される」。ここですでに「この女性は、映画の中で特異な地位を占めるんだよ」と宣言できている。カメラワークによって。カッコいいですね。
だけど、あとの二時間半は会話劇に終始して、しかも難解でした。
それでも、カット割や構図がセリフ以上に饒舌になることがあるので、黒澤映画は見逃せないのです。

(C)  Warner Bros. Entertainment Inc.
(C) 1960 TOHO CO.LTD. ALL RIGHTS RESERVED.

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2017年6月27日 (火)

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ホビー業界インサイド第24回:シタデルカラーは、本当に魔法の塗料なのか? 高久裕輝(マックスファクトリー)が塗って語る、シタデルカラーの模型的活用法
T640_730468シタデルカラーという塗料はマックスファクトリーが扱っているわけではなく、シタデルカラーが売れたことで高久さんには一円も入らないのですが、「シタデルカラーの面白さ」を発見して言語化したのは間違いなく、高久さんです。
プラモデルって、「面白い」以外に得られるものは何ひとつない趣味なので、ダイレクトに「面白い」と感じられることだけが信頼だと思います。

アニメ業界ウォッチング第34回:地上波放映間近! 翻訳者・瀬尾友子の語る「RWBY」の魅力!
T640_730876来月から地上波放送される『RWBY』、日本語版の生き生きしたセリフの数々を生み出した瀬尾友子さんに、ファン心理丸出しでインタビューしてきました。
ローマン・トーチウィック、グリンダ・グッドウィッチ、ブレイク・ベラドンナ……キャラクターのフルネームがかっこいいですね、という話にようやく共感していただける人に出会えました。


アヌシー国際アニメーション映画祭でグランプリを受賞したおかげで公開館の増えた、『夜明け告げるルーのうた』、ようやく観に行ってきた。しかし、TOHOシネマズ 新宿88席のスクリーンは空いていた。
004_size7なぜここまで遅れたかというと、『夜は短し歩けよ乙女』が、あまりに性に合わなかったため。
湯浅政明監督の完全オリジナルの『ルーのうた』、こちらの方が断然いいです。グランプリも納得できます。アヌシーでは『この世界の片隅に』が審査員賞だったけど、それも分かる。

なぜなら、『ルーのうた』は、表現がリアリズムではないから。魔法やファンタジーがいっぱい出てくるって意味ではなくて、芝居がリアリズムではない。普通の人間が、普通でない動きをしている。
クライマックスで、主人公の少年とガールフレンドが、丸い大きなバルブを、力をあわせて回す。その構図が、きれいな点対称なんです。お前ら、バレエ踊ってるんじゃなくて、必死にバルブ回そうってとき、そんなきれいな構図におさまるのかよ? さらに少年の父親とガールフレンドの祖父も加わるんだけど、彼らもピタリと点対称の位置を占める。
だけど、クライマックスでみんなが力を合わせるシーンに、点対称のきれいに収まった構図をもってくる、絵としての収まりのよさを優先する――このほうがアニメだ、実写映画をリファレンスしていない、原初的なアニメ表現じゃないか?って気がする。


日本のアニメ映画は、リアリズムが支配的すぎると気づかされた。
宮崎駿さんの仕事は、空を飛ぶシーンがあるからリアリズムではないのでしょうか? とんでもない、ちゃんと体重をもった人間の女の子の動きになっているはずです。

特に劇場アニメの場合、枚数をかけていかに既視感のある動きを描けるかがテーマ、ここ20年ぐらいのテーマだったと思う。『君の名は。』『この世界の片隅に』は、荒っぽく言えば、リアリズム路線の頂点なんだと思う。リアルな動きとポピュラリティのあるキャッチーなキャラクターの融合が、沸点に達した感がある。
「アニメなのに実写みたいだ」「実写をこえた表現」という感想に、ちょっと僕は首をかしげていた。ああ、多くの人は「アニメ映画」を「未完成な実写映画」「絵であるがゆえに実写をこえられない表現」と認識してるんだな……と。その認識もやむをえない状況が、20年ほど続いてきたんじゃないだろうか。


『ルーのうた』の背景はベテランの大野広司さんで、さびれた港町を質感豊かに描いている。写実的といっていい。
キャラクター原案は、『午前3時の無法地帯』のねむようこさんだから、地味ではあるけど、ルーもガールフレンドの女の子も、かなり可愛い。
吉田玲子さんの脚本は、もちろん難解なところはなくて、田舎の中学生たちの背中を押すような手堅いドラマになっている。
だけど、動きがドラッギーなんだ。ミュージカル・シーンなんて『ダンボ』の“Pink Elephants on Parade”みたい。快楽至上主義。だから、ウェルメイドな物語の枠組みからは離反しているんだけど、僕はそれでいいと思う。そのほうが自由だから。

だけど、僕が「これはいいものを観ているぞ」と本気でゾクゾクしたのは、主役3人が登校する序盤の地味なシーン。
006_size7閑散とした、港町の坂道を3人が登るのを、背後からロングで撮っている。そこへ、ローカル線の電車がけたたましい音をたてて横切る。3人の姿は、しばらく見えなくなる。
電車が通りすぎると、3人の姿は、もううんと小さくなっている。このタイミングで主人公たちの姿を画面から消してしまうと、彼らの存在が世界の一部にすぎない、電車一本に負けてしまうぐらい小さい存在なのだ……と解釈できるだろう、いくらでも文学的に。
だけど、何よりも、会話している主人公たちを押しつぶすように、灰色の電車が画面をさえぎる、しかもまだ彼らに馴染んでいない序盤でそれをやる大胆さに、気持ちがざわついた。ひょっとすると、あとの90分はオマケなんだよ。もう、電車のシーンで分かったから。「このアニメではすべて分かったうえで、確信犯的に好きなことをやりますよ」って宣言が聞こえてきた。

「アニメ映画」ではなく、物語の枠組みの上を間借りした「アニメ表現」をやる、ということ。実写映画には、準拠していない。その姿勢が、何より良かった。


あと、昨夜はヒッチコックの『見知らぬ乗客』をレンタルで。
黒澤明の『悪い奴ほどよく眠る』も借りてきたので、感想はそれと合わせて。

(C)2017ルー製作委員会

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2017年6月25日 (日)

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月刊モデルグラフィックス 2017年8月号 発売中
Dc_wbfavyaaipdg●序文「HGUCバーザムが逆照射する、ガンプラという文化」執筆
●インタビュー「バーザム語り場外乱闘!」構成

後者は、超音速備忘録()のからぱた氏に登場してもらいました。「作例を載せました」「開発者にもインタビューしました」だけでは、バーザムが発売されたことの事件性を証明することはできないように思ったので、「ガンプラ(ロボット・キャラクターの組み立てキット)を作るとは、そもそもどういう体験なのか」、語ってもらいました。
結果、特集全体を裏から有機的に貼り合わせる、接着剤のような役割を果たしてくれたと思います。

●組まず語り症候群 第56夜
今回はASUKA MODELの1/24カーモデル用アクセサリー、三種類を取り上げています。


【懐かしアニメ回顧録第31回】“見る”ことと“聞く”ことで深化する「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」の世界
この土日は、アキバ総研に記事が大量にアップされますが、このコラムだけは、ぜひ読んでください。
カットワークや構図については、ほぼまったく触れていません。アニメーションに映されているものは、実写の被写体とは質が異なるので、カットワークや構図の効果については慎重になるべきでしょう。

その代わり、誰が何を見たり聞いたりしたのか、脚本レベルのことを検証しています。
アル少年がビデオカメラでガンダムの秘密に触れ、それが物語の序盤を牽引していることは、誰にでも分かると思います。
終盤でも、やはりビデオカメラが重要な小道具となります。アル少年のビデオカメラで撮られたバーニィの遺言を、われわれは“アル少年の代わりに”直視して、バーニィの死がいかに無駄であったか、そうとは知らずに彼がどれほど真摯に戦いにおもむいたのかを眼前に叩きつけられて、呆然とするわけです。
だから、アル少年にとっての戦争は、ポケットに入るほど小さなビデオカメラの中に秘められている。
あるいは、ビデオカメラが「戦場」への入り口と出口の役割を果たしている……という受けとり方もできるでしょう。

ただ、僕は空港で酔った女が恋人に電話するシーンに触れたかったので、バーニィは「聞く」ことで主体性を獲得する、という読み方をしました。
すると、アル少年が物語の終わり近くで「見る」よりも「聞く」ことが多くなっている、バーニィから「聞く」ことを求められているのではないか……こういう仮説が立てられなくもないはずです。(ビデオカメラの重要度は変わらないので、もちろん反論もあるでしょう。)


一年戦争を舞台にした『ガンダム』シリーズは、『ポケットの中の戦争』から9年後に発売されたゲームソフト『ギレンの野望』によって、物語ではなくキャラクターやメカニックを集積したデータベースとして整理されました。正確には、ゲームより以前、プラモデル化によってモビルスーツはデータベース化されています(商品化に際して、リファインされたモビルスーツには新たな形式番号が与えられます)。

『ガンダム』にかぎらず、アニメ作品は好みのキャラクターを検索するためのデータベースとして重宝されているような気がします。二次創作を楽しむためには、物語よりもシチュエーションが大事なはずです。
だから、物語や演出を批評・評論する機会が減るのは、必然なのでしょう。だとしたら、データベースとしていかに優れているか……という批評のかたちがあってもいいような気がします。


昨日土曜は、タミヤファクトリー新橋まで、トークショーを見学に。
Kimg01581/6スケールのオートバイ・キット「Honda CRF1000L アフリカツイン」の実車とキット、双方の担当者が出席。
モータージャーナリストの方が、オートバイに試乗するためにアフリカまで行ったとか、とにかくスケールが違うんだよな……そういう世界の模型、ミニチュアを組み立てることってどういう体験なんだろう? という興味が生じて、ついつい、買うつもりのなかった1/6アフリカツインを購入。

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2017年6月16日 (金)

■0616■

EX大衆 7月号 発売中
Dcq_rpixkaa8x8m●富野由悠季インタビュー! サンライズ栄光の全史
編集部の立てた企画で、「サンライズのロボットアニメを全7ページで特集してほしい、冒頭はカラー」との依頼。
担当編集と熟考しつつ、僕からはサンライズのライツ事業部に「なにか要望があるなら、先に言ってください」と連絡。結果、冒頭は『機動戦士ガンダム Twilight AXIS』のモビルスーツ紹介と金世俊監督のミニインタビューとなりました。
さらに担当編集が交渉して、富野由悠季監督インタビューが実現しました。サンライズからは『無敵超人ザンボット3』を中心に……と、各所の希望を調整した結果、なかなか厚みのある特集となり、読者からの評判もいいようです。


さて、Twitterは漫画家に警察が「申し入れ」を行ったという話題でもちきりです。
漫画家・クジラックス先生、警察の「申し入れ」報道についてあらためて説明 「前例ができたと思ってほしくない」

作家がどう思おうが、前例ができてしまったことは間違いありません。
自分の取材した範囲でいうと、映画倫理委員会(映倫)は、警察が映画館に乗り込んできたり、映画監督をいきなり検挙するような事態が起きないよう、防波堤の役割を果たしています(もっとも、権力の介入をおそれるあまり、表現を萎縮させている面も大いにあります)。
漫画家の場合、そのような防波堤がないため、予告なしに警官が自宅を訪問する事態になったのだと思います。


どうにも気になるのは、クジラックスという方が「たいしたことではない」となだめるような態度をとっていることです。
人がオタクになったり、漫画やアニメを愛好するようになる理由には、いろいろなバックボーンがあると思います。しかし概して、遵法意識の強い保守的な人が多いように見受けられます。嵐が通りすぎるまで知らんぷりをする、事なかれ主義ですよね。
漫画に比べて、アニメやフィギュアの世界で表現規制に興味をもつ人が少ない(というより皆無に等しい)のも、事なかれ主義のあらわれだと、僕は思っています。

「やられっぱなしで、くやしくないわけ?」と思うんです。
僕は漫画よりもアニメに思い入れた中高校生でしたが、当時は体育の時間が涙がでるほど屈辱的で、人付き合いが苦手なので友だちもできづらく、本当に日々が苦しかった。「廣田って、アニメの話をするとき以外、暗いよな」と聞こえるように言われても、ただ黙っているしかなかった。
そういうマイナスの経験があったから、力の強い人間たちに一方的に蹂躙されるのは二度とごめんなのです。自由を、自尊心を死守したいわけです。

だけど、僕と同じような人生観のオタクって少ないみたい。嵐がすぎるまでおとなしく待つ人のほうが多いようで、廣田は過激で好戦的だと見なされているんでしょうね。
うろ覚えだけど、大学時代に読んだ『第二の性』に、こんな意味のことが書いてあった。「自らの怒りを大地に刻みつけられないことは、おそるべき失意である」。
どんどん声に出していかないと、失意のまま人生が終ってしまう。負けっぱなしの人生はイヤだよな、巻き返したいよな……と、今はこんな程度のことしか言えません。
この事件は社会の問題でもあるけど、個人の生き方が問われているようにも感じるのです。

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2017年6月10日 (土)

■0610■

Febri Vol.42 12日発売
Db3hjnkuwaecq6u●Febri Art Style
今回は『神撃のバハムート VIRGIN SOUL』の背景美術にスポットを当てました。
もちろん作品が面白いから取り上げさせていただいたのですけど、前作でムック本を担当したとき、美術監督の中村豪希さんのインタビューが、演出面にまで踏み込んでいて、とても面白かったので。
元・小林プロの美監さんたちは、主張がしっかりしています。次は何を手がけるのか、いつもマークしています。


NHK クローズアップ現代 2兆円↑アニメ産業 加速する“ブラック労働”(
入江泰浩さんが最後に仰った、「NHKさんを含むテレビ局にお願いしたいことなのですが、コンテンツとして今後もアニメーションをつくることが決まっているのであれば、制作費を倍にして、さらにアニメーターが安心して創ることができる、そういう環境をつくっていただきたいと強く思います」、これに尽きるのかも知れない。
だって、『3月のライオン』は製作委員会方式で、NHKも名を連ねているものね。当事者ですよ。番組としては「コンピューターの導入による現場作業の効率化」に話をそらしていたけど、入江さんが話を軌道修正してくれた。

入江さんには、アニメに加えられる表現規制について、月刊「創」でお話をうかがったことがある。だから、アニメと社会のかかわりに関心の高い方だとは思っていた。
Twitterを検索すると、現役アニメーターの方たちが現場環境について、さまざまに発言なさっている。この問題をアニメ業界に取材して生活費を得ている僕らがスルーするのは、恥ずかしいことだと思う。

「スルーしてるんじゃなくて、難しいデリケートな問題だから、うかつな発言を控えているのだ」と仰るだろうけど、こういうのは性格の問題だろう。社会と対峙するには勇気が必要だけど、勇気にもいろいろな種類がある。


たとえば、都議選に出馬予定の女性に「日本のアニメでは下品なロリコンポルノが一般的に流通している」などと言われてしまうのは、アニメ業界にもその周辺にも、表現規制に反対する人が、ほとんどいないから。敏感に察知して行動に移している人は、兼光ダニエル真さんぐらいじゃない?
漫画業界には、論客が多い。だから、おいそれと漫画文化を叩けないムードが形成されている。発言するって大事なんですよ。

アニメ業界の次にボコられがちなのが、フィギュア業界だと僕は思うんです。やっぱり、「児童ポルノ」呼ばわりされたとき、業界内に立ち上がる人がいなかったから。僕の署名には、模型雑誌の編集者が名を連ねてくれたけど、メーカーは黙ったままでしたよね。それで、叩きやすいムードが生まれてしまった。
『コップのカドでグリ美ちゃん』が販売されたとき、僕はゲームセンターやコンビニの店頭からは撤去してもらうよう、電話やメールでお願いした。「売るな」「作るな」ではなく、むしろ今後も自由にフィギュアを売ったり作ったりするためには、「ここは我慢するから、ここは見逃してくれ」と調整していくしかない。反対意見を「論破する」なんて硬直した態度では、いまの社会に聞いてもらえないと思う。


児童ポルノ規正法で容疑者が書類送検されたとき、愛宕警察署が押収したフィギュアを並べたときも、「どんなに少なくてもいい」と開き直って、署名を集めた。
「フィギュア・ファンにはうるさい連中がいて、うかつに叩けないぞ」というムードをつくることが第一。そのためには、業界に近い誰かが動いた証拠を残すしかない。

話をアニメ業界に戻すと、入江さんが番組中で「制作会社もアニメーターも、交渉することに慣れていない」とおっしゃっていたでしょ? 確かに、「業界独特の学生気分のような雰囲気が好きで」という監督さんもいるし、「とにかく現場が楽しかった」という話は、本当によく出てきます。その仲間同士で楽しくやっている一種の“緩さ”につけこまれているのかも知れないけど、僕は、現場の面白さ、良さを伝えていきたいと思っている。別に、問題提起したいわけじゃないんですよ。
「やっぱりアニメは面白いよな」「プラモデルは面白いよな」と思う人が増えなければ、僕の仕事だって存在価値を失うわけだし、それよりも何よりも、世の中を柔らかくしたい。
この前も書いたように、僕は体育の時間に恥をかかされて、いまだに対人恐怖が治っていない。そういう人を増やしたくないわけ。アニメやフィギュアが息抜き、あるいは生きがい……という人たちにとって、生きやすい世の中になってほしいってだけなんです。

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