2018年11月27日 (火)

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“PVC製の組み立て美少女フィギュア”を発売したアワートレジャーさんに聞く“組み立てキットの行方”【ホビー業界インサイド第41回】
T640_788440僕が株式会社ウェーブの依頼で原型や見本を作っているころ、若手で威勢のいい新入社員が永見浩士さんでした。
完成品ブームの前、プラモデルでなければレジンキットしかなかった時代を体験している人は、いまや貴重になりつつあります。そういう人の大半は、業界を去ってしまったからです。


25日日曜日は、大田区久が原の「昭和のくらし博物館」で開催されている「『この世界の片隅に』~すずさんのおうち展」へ。博物館の方たちの温かいもてなしに、すっかり心がほぐれた。自分用に買ってきた絵はがきセットは、広島の方にすべて差し上げた。
46790442_1977127762381128_795703873以前に、この博物館に来たのは9年前……文学フリマで、『マイマイ新子と千年の魔法』トークショーがあった日だった。それこそ、片渕須直監督に「トークショーの前に寄っていきませんか?」と誘われたのだった。それぐらい、仲良くしてもらっていたのだ。

その日はたまたま、『マイマイ新子』の上映存続署名を発表した翌日だったと思う。署名開始にあたって、監督から「勝手なことやらないでほしい、迷惑だ」と言われないように一応の許可はとったけど、プロデューサー陣には無断であった。
なので、絶対に怒られると覚悟していた。

「昭和のくらし博物館」へ向かう車にはプロデューサーたちが乗っていたので、ドキドキしていた。でも、冬にしては暖かい陽のあたる二階の部屋で、皆さん子供のように無邪気にくつろいで、ずいぶん面食らったのを覚えている……その日は結局、誰も署名の話を口にしなかった。
本来なら、署名も何もしないにこしたことはない。入場料を払う以上のことを、観客がすべきではない。そう思っていたから、『この世界の片隅に』のクラウドファンディングを最初に知ったときは、複雑な気持ちだった。


先日の『マイマイ新子と千年の魔法』に関する記事()は、気がついた人だけが心に留めてくれればいいと思って、どこにもリンクを貼らなかった。
Twitterでの反応で興味深かったコメントは、「自分はあくまでも作品とダイレクトに繋がっていたい。そのほうがノイズがない」。……あのね、9年前は「作品とダイレクトに繋がる回路」そのものが切れかけていたわけですよ。だって、一ヶ月もたたずに上映が終わりかけていたんだから。
それで僕は、上映存続の署名活動を始めたわけだし、次の段階では映画館に直接交渉して、上映を途切れないようにした。映画館と共同でイベントも企画したし、ポスターやチラシも自分たちで印刷して配布して歩いた。

そうした経験がある、あるいは知っている人は、製作委員会が(作品を真っ先に打ち切った)新宿ピカデリーで9周年記念上映を企画しくれることのありがたみを噛みしめるだろうし、少なくとも作品を存続させたバックグラウンドを「ノイズ」と切り捨てたりはしないだろう。
それにしても、僕のブログを読んだうえでリンクまで貼っておいて「作品とダイレクトに繋がっていたい」なんて虫がいいというか、気楽で結構なものだなあと思う。
作品をあなたとダイレクトにつなげている配給会社やメーカーがいることぐらい、気に留めといてもらいたい。


今ってすごく分かりやすい時代で、たとえば『西遊記 ヒーロー・イズ・バック』は興行的にふるわない映画だったけど、宣伝会社がまったくやる気がなかった。ここまで放置してりゃあ、そりゃあヒットしませんよね、と合点がいく。
だけど、『マイマイ新子』は『この世界の片隅に』でもずっと宣伝を担当している山本プロデューサーのほか、ブースタープロジェクトという宣伝会社が参加していて、みんな状況を改善しようと真剣だった。それでも、ファースト・ランは散々な結果だったのだ。
その不条理に直面したとき、誰もが苛立ったし、互いに慰めあった。今は「共感を得られたらそれで満足してしまう時代」だけど、当時、愛情と憎しみは紙一重だった。

“なんでこんなに力説してくれるんだろう、と考えたとき思い至るのはやはり、この映画はすでに「作り手の私有物」ではないんだ、ということです。”(

『この世界の片隅に』をあまり好きではないので、廣田さんには話しづらい……と遠慮されている方がいた。もちろん、おおいに話してもらった。信者・アンチみたいな概念が潜在化しているとしたら恐ろしいことだし、可でもなく不可でもなく、誰にでも変心や矛盾を許容する自由な空気を吸っていてもらいたい。そう、ここに願う。

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2018年11月24日 (土)

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モデルグラフィックス 2019年1月号 本日発売
0000000034842_iuvnci7 ●組まず語り症候群
連載第73回は、ホビーリンク・ジャパンの「プラギョーザ」です。
●『ひそまそ』実写化計画
今回はインタビューはありませんが、『ひそねとまそたん』にかこつけたヒコーキ模型カタログを構成しました。次号は、かなり意外な人物にインタビューしますので、楽しみにお待ちください。


21日夜、新宿ピカデリーで『マイマイ新子と千年の魔法』9周年記念上映。一晩寝て、朝から広島へ行き、広島で一泊してから『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の進捗が語られる広島国際映画祭の片渕須直監督のワークショップへ。
46525728_1973918026035435_275660345前売り券は東京で買ってあったが、朝11時からの整理券配布に30分並んだ。ところが、開場の一時間前から「整列開始」と書かれており、受付の人に確認すると、整理券配布と同じ場所に立ったまま一時間並んでもらうという。
そこまでの苦痛を強いられる理由はないので、ワークショップには参加せず東京へ引き返した。2日前の『マイマイ新子』の時から考えはじめた送り手と受け手の関係について、新幹線の車内で考えをまとめた。


『マイマイ新子と千年の魔法』は9年前の正規ロードショーで客足がまったく伸びず、やや遅れてスタートした「ラピュタ阿佐ヶ谷」でのレイトショーが連日満席となって、停滞状況を打破できた。
僕は試写会で見て惚れこんで、片渕監督と主演の福田麻由子さんに取材、その後もなるべく試写に足を運んでいたから、ファン第一号といえるかも知れない。ウェブ上で上映存続署名をはじめたので、そのことで毀誉褒貶、実にさまざまなことをネットでも現実でも言われた。「売名のために作品をダシにしている」なんて、上品なほうだ。署名第一日目から説教され、私生活についてまで匿名掲示板に根掘り葉掘り書かれ、わざわざ書いた本人が「2ちゃんねるであれこれ書かれてるぞ」と教えてくれたりもした。
それはまあ、覚悟していたことなのでどうでもいい。それより、もっと学ぶべきことがある。

21日夜は、9周年記念上映に時間をあわせて、開場に来られない方たちが、同時再生上映会を行った()。企画した方とは、ウェブ上ではよく議論(というか衝突)したもので、今はそれすら懐かしく感じる。
作品を応援するといっても、9年前の公開当時は同じ意見の人を見つけるのが難しく、何をどう進めるべきか喧々諤々だったし、応援のしかたも人によってバラバラだった。
監督やプロデューサー、上映サイドといった「公式」の声が今ほど強くなく、ファンには主体性が求められた。だから僕たちは衝突しがちで、ラピュタ阿佐ヶ谷へ通っていた人が全員、先日の9周年上映に来ているかというと、すっかりファンをやめてしまった人たちもいる。


僕が真っ先に思い出すのは、ラピュタ阿佐ヶ谷で『マイマイ新子』を見て、シルエットを使った大人っぽいポスター・ビジュアルを考案した前岡和之さんだ。
前岡さんのビジュアルは『マイマイ新子』を知らない人にまで訴求したが、彼は公式ポスターを批判した。それで、監督が気分を悪くしてしまい、前岡さんも「監督が気に入らないなら」と、せっかくのビジュアルを削除してしまった。
当時、「送り手も受け手も、どちらもしっかりしてほしい」と、たしか個人の方のブログで批判をされた。まったくその通りと思う。

このことは初めて書くと思うが、プロデューサーや監督は「この人とこの人は味方」と、ファンを選別してしまっていた。
一時的とはいえ、そういう時期があった。
ラピュタ阿佐ヶ谷での上映後、プロデューサーたちの声がけでロビーに残った観客たちとスタッフが記念撮影をしたことがあった。……いや、ちょっと待ってほしい。この会場に来られない地域のファンが知ったら、どんな思いをするだろう? 電車の時間で早めに帰らねばならない人や、声をかけられなかった人たちは除け者なのだろうか?


さらに気まずく感じたのは、『マイマイ新子』の各地での上映がほぼ落ち着いたころ、応援してくれた人への感謝の意味で――と、プロデューサーから食事会への誘いがあったこと。
その食事会に呼ばれなかった人は、どういう扱いなのだろう? ファンではないのだろうか? 奇妙に聞こえるかも知れないが……、僕が『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』のワークショップを参加せず、直前で帰った理由は、その辺りにある。「僕は呼ばれてないのだな」といった疎外感だ。

作品の良さを自らのセンスで見い出し、ラピュタ阿佐ヶ谷へ通って耳でセリフを聞いてメモしてポスターに使った前岡さんは、「監督が気に入らないなら」とポスターを撤回してしまった。それは、彼が未熟だったためだろうか。あるいは、監督が未熟だったのだろうか。そんな簡単なところに話を落ち着けてはいけない、もっと深く学ぶべきことがあるはずだ。
今はSNSのせいで、意見や感情が二極化しやすい。「公式」という言葉が使われるたび、二極化は加速し、ファンは依存的になっていく。
「公式」に対して、従順で温厚な「ファン」が誕生した。

9年間のあいだに失ったもの、以前より強まっているのに見えなくなってしまったもの、語る言葉が足りないだけで存在しないかのように扱われているものもあると思う。
目に見えているものだけが、すべてではない。誰をも裁かず、誰をも罰しないでほしい。

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2018年11月20日 (火)

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EX大衆 12月号 発売中
Img_508c049bbed777c1dde04652cf408_2●機動戦士ガンダム 宇宙世紀メカニックガイド
『ガンダムNT』に合わせて、『逆襲のシャア』~『F91』~『Vガンダム』あたりまでのメカ設定、メカ描写を掘り返しています。サナリィやシルエットフォーミュラ91も出てきます。全5ページ。
ちょうど20年前、ライターとして働きはじめた頃は、まだまだ『ガンダム』コンテンツの規制が緩くて、割と適当なサイドストーリーが多くて、しかも熱烈に愛されていたように思います。
90年代末は新世代ゲーム機が出てきたばかりで、エンタメの世界はとても元気がありました。僕は今よりは貧乏だったけど、毎日毎日、アニメとゲームとオモチャに首までつかって、ずっと遊んでばかりいました。

対立する両者の力の差をモビルスーツで描き分ける「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」の演出力【懐かしアニメ回顧録第48回】
『逆襲のシャア』のメカ演出について書きたかったのですが、前半20分ぐらいでのアムロとシャアの大きさの対比用にモビルスーツが使われている……というお話になりました。
こういうコラムは、とりあえず作品を見ながら要素を書き出していって、書けそうなテーマを三つぐらい比較するんです。なので、あと二つ書けと言われたら、書けてしまいます。

『ひそねとまそたん』  接触編
818cmpabnxl_sx522_ブックレットのインタビューとかミニ記事、キャプション類を書きました。構成は氷川竜介さんです。
僕たちの仕事……、たとえば数ページでアニメの記事を考えてくれと言われたら、作品解説に登場人物紹介に各話解説にインタビューと、条件反射的にフォーマットが思い浮かぶと思います。
そうしたフォーマットは、『宇宙戦艦ヤマト』のときに氷川さんたちが考案したもので、30分のアニメ番組のエンタメ構造をよく解き明かしていて、だからこそ今でも真似されてるんだと思います。
必ずしもそのフォーマットでなくてもいいんだなあ、と気づかされたのは「アニメスタイル」ですね。原画を見開きで載せることで、アニメ表現の本質に触れられる。その方がナマというか、レアな感じがした。
「アニメスタイル」が出てきたのは2000年ごろで、やはりすごく生きのいい時代だったのでしょう。アニメの製作工程がデジタル化されつつある、という時代の雰囲気も良かった。

その頃……僕は、誰も書き手がいなかった『地球少女アルジュナ』のVHSとDVDのキャッチコピーやブックレットをやっていました。『アルジュナ』はパターンでは対応できないタイプの異色作なので、手探りだったし予算もなかったけど、すごくエキサイティングでした。
河森正治さんは『ひそまそ』にも参加してらっしゃるけど、やっぱり野心も好奇心も衰えてない。煮えたぎるような創造力、反骨精神を持っている。炎は消えないんだなあ……。


日本に帰ってきてから一週間が経過して、Twitterでは原爆投下を正当化する人たちが口汚い議論だか罵り合いだかを展開している。
特に、『境界線上のホライゾン』の表紙を、娘が「気持ち悪い」と言ったから「暴力」呼ばわりしているシュナムルって人()。ゲームをしている娘をイラスト化していて、そういうイラストは綺麗だと言いたいらしい。自分の娘を二次元的に美化する情動は、まったくの想像で理想の女性を描くより気持ち悪いんだが……。娘と2人で手をつないでいるシルエットを撮って投稿したり、ちょっと病的なものを感じる。

で、このシュナムルって人が『星の王子さま』が好きで娘に読み聞かせていて、スマホを尻ポケットに入れたつもりが『星の王子さま』の単行本が入っていたそうで、スマホと本は触れば判別つくだろうに、どこまでもキザぶりたいんだな、気持ち悪いなあ……と思っていたから、ジンバブエで「バオバブの木が見られるよ」と言われたとき、気が進まなかった。
だけど、有名になりすぎてしまって、バオバブの木のまわりにダセえ土産物屋が二軒も出店していて、そのような惨状を前にして、妙に安心したのを覚えている。
そういう罪のないどうしょうもなさの方が、俺は美しいと思う。

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2018年11月12日 (月)

■ジンバブエ旅行記-1■

GOODS PRESS(グッズプレス) 2018年 12 月号 発売中
45862143_1958116057615632_76765784180年代アニメのプラモデル特集記事を、全5ページ書きました。ウェーブの『装甲騎兵ボトムズ』開発チーム、大河原邦男先生へのインタビューを含みます。

スーパーミニプラ、ガシャプラ、マクロスモデラーズ、他にもグッドスマイルカンパニーから『六神合体ゴッドマーズ』のプラモデルも発売されました。こんなに豊富なネタがあるのに、「80年代ロボ」の「プラモデル」という括りで見られたことは、なぜか一度もありませんでした。
あちこちに企画を持っていくうち、「大河原メカ」という一本のラインがグッズプレス編集部から出されて、5ページの記事にまとまりました。


11/1(木)~11/10(日)まで、アフリカのジンバブエまで旅行してきた。ハイパーインフレとコレラの国、最新ニュースはクーデターである。
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最初に、いかにも観光地っぽいビクトリア・フォールズ近辺の写真を載せておこう。ここまではガイドブックにも載っているし、飛行機でビクトリアの滝まで来て、Uターンして帰る人も多いと思う。
象の背中に乗って草原をグルリと歩いてまわったり、ワニの赤ん坊に触れるのも、ビクトリア・フォールズの町でツアー会社やタクシーに相談すれば、誰でも出来る。

過去の僕の旅は、すべてガイドブックのページをたどって歩くようなものだった。
今回のジンバブエは、ちょうど一年前にクーデターが起きた国だ。外務省からレベル1に指定されているほど、犯罪が多いそうだ。
ハイパーインフレ後に米ドルが使えるようになったが、調べれば調べるほど交通の便が悪い。僕は北京とヨハネスブルグを経由して2日がかりで行ったが、ジンバブエ国内の移動は飛行機と長距離バスを、旅行の直前になってネットで予約した。夜遅くホテルに着いて、翌朝暗いうちに出発して、移動だけで終わる日が大半になってしまった。
また、首都ハラレでコレラが流行、9月に緊急事態宣言が出されたばかりだ。水道水が飲めないのはもちろん、歯磨きの水すら自分でミネラルウォーターを確保せねばならないのも面倒だった。

■11/2-1 ビール
なんとなく、大きな滝と石造遺跡があるなら行ってもいいかな……ぐらいに思っていた。英語も通じるし、ドルが使えるし、昼間からビールを飲んでも怒られないし。
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ヨハネスブルグ(南アフリカ)からジンバブエへは、小さな飛行機で入国した。二時間ほどのフライトで、夕暮れの雲上の風景は素晴らしいものだった。
機内ではハンバーガーがひとつ出て、飲み物が選べたのでビールを頼んだ。すると、一見すると強面のCAさんが、食後にもビールをくれた(他の人にはコーヒーか紅茶か聞いていたのに、「あなたはビールでいいわよね」と)。
飛行機を降りる時、ドアが開くまではムスッとした顔だったのに、降りてもOKになった途端、グッと親指を立てた。そのCAさんの表情と仕草のギャップが、実はジンバブエの第一印象であり、ジンバブエの女性たちは最後の最後まで、それぞれ個性的な言動で、僕を強烈に魅了しつづけた。

■11/2-2 ハラレ空港
いきなり大きく話が飛躍してしまったが、11/1~2は北京からヨハネスブルグへの移動だけでつぶれてしまう。
最終目的地のビクトリア・フォールズには二泊する予定で、その前後は首都ハラレ、第二の都市ブラワヨに一泊ずつする。ハラレの街はタクシーで通過しただけだが、到着したのが夜だったため、空港の雰囲気からしてヤバいのが分かった。
これは確かに、治安が悪そう。必死にタクシーを探した。Dscn0579

写真がブレているのは、まず天井の電灯が半分ほど切れかけていて、やけに暗いせい。それと、とにかくその場を脱出したかったので、あわてていたためだ。

■11/2-3 『ブルーベルベット』

ところが、空港専属のタクシーが市街へ走り出すと、外は暗闇である。とにかく街灯がない。時折、暗闇の中に人影が浮かび上がる。犯罪や交通事故が多発するのも、道理である。タクシーの運転手と、その相棒は陽気に雑談しているが、車外では雷が光っている。
これは、とんでもない国に来てしまった。この衝撃的な印象は、旅の後半にかけて、少しずつ、劇的に変化していく。

さて、予約してあったホテルの一階には大きなネオンサインがあって、クラブのような音楽が階上まで響いていた。古いホテルの周囲は真っ暗で、とても食事に出られる雰囲気ではない。
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仕方なく、ホテルの一階にある陰気なレストランで、夕食をとった。バイキング形式で、食べた分だけ、レセプションで料金を払う。
客は僕のほかには、老夫婦が一組だけ。ガランとしている。

レストランの隣にバーが併設されているのだが、とても近づく気にはなれない。『ブルーベルベット』かヴィスコンティの映画のような陰気なムードなのだ。シラフのまま、はやばやと寝てしまった。旅先で酒をのまずに寝たのは、おそらく初めてだろう。
そういえば、レセプションは女性たちが仕切っていて、無愛想というわけではないが、あまり熱心に仕事しているように見えず、レストランのボーイたちの陰鬱な表情だけをよく覚えている。

■11/3-1 ハラレ→ブラワヨ

朝5時にタクシーに来てもらうよう、前夜にお願いしてあった。空港~ホテル間は30ドルだったと思う。カードは使えないので、タクシーは現金払いだ。しかし、現金をまとめて持ち歩くのは怖いので、前夜に三つに分割しておいた。いつ盗まれてもいいように……。
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ハラレ市街をタクシーで通過する。なんとなく、ヤバい雰囲気が分かってもらえるかと思う。
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空港は、割とカッコいい建物であった。しかし、僕が使うのは国内便なので、もうひとつの地味な建物へ移動する。
手荷物検査があるのだが、係の女性に「私のこと、おぼえてます?」と声をかけられた。その瞬間から、旅のムードは一変する。

(つづく)

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2018年10月29日 (月)

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二重三重に仕掛けがいっぱい、「Figure-rise Mechanics ハロ」に詰めこまれたプラモデルならではの遊び心!【ホビー業界インサイド第40回】
T640_784476このプラモデルは、おそらく模型雑誌も、コアなモデラーたちもノーマークだと思います。
大河原邦男さんに別件でインタビューしに行ったとき、「ホビー事業部のハロは良いものになりましたよ」と、珍しくご自分から商品名を口に出されたので、取材を入れておいて当たりだと確信しました。
ディテールやギミック、細かなアイデアにいたるまで大河原さんが仔細に監修しています。おそらく、プラモデル商品にここまで大河原さんが関与することは初ではないかと思います。MSVですら、こういう関わり方はしてないはずです。

キャラクターの“実在“と“不在”をレイヤー構造で見せる「serial experiments lain」の演出【懐かしアニメ回顧録第47回】
T640_783989編集者からの提案で、『lain』について書きました。
いつものように映像文法的なこと、アニメの画面を成立させているレイヤー構造について書きましたが、それは割とどうでもよくて。このSNS全盛期に、『lain』や90年代末~00年代初頭のアニメを日本のあちこちで見ていた人たちが再会できていることを、夢のような想いで見つめています。
あの頃はダイアルアップ接続も多く、数分間の映像、たとえば『ほしのこえ』の予告編を見るだけでも一苦労だったように記憶しています。当時はフリーライターとゲーム会社の会社員と、二足のわらじで、会社の近くのアニメイトで『ほしのこえ』のDVDを予約したのを覚えています。
会社には、若いプログラマーやグラフィッカーが大勢いて、ほぼ例外なくアニメを見ていました。だけど、みんなが同じアニメを見られていたわけではなく、視聴環境によって見ている作品がバラバラ。だから、口コミで情報交換するしかなかったように記憶しています。

極端に言うと、個性的でない作品なんて一本もなかった。ひとつの作品がひとつのジャンルみたいな感じ。『lain』だけではなく、『灰羽連盟』、『地球少女アルジュナ』、『ベターマン』、『宇宙海賊ミトの大冒険』、『ヒートガイジェイ』、『プリンセスチュチュ』、『∀ガンダム』、どのタイトルを挙げても、似た作品がない。
「こういうアニメ、知ってる?」と口頭で初めてタイトルを聞いて、だけど見る方法がないって、すごく贅沢な時代だったんじゃないか……。


当時はDVDとVHSが同時に出ていて、どのアニメのソフトを出しても一万枚は堅いと言われていました。詳しい人に聞いてもらいたいけど、2006年をピークに、映像ソフトの売り上げが落ちはじめたと聞きます。
個人的には2005年の『創聖のアクエリオン』が大好きで、超合金の発売にかこつけて「フィギュア王」で連載を始め、河森正治監督と温泉に旅行に行くなど、面白い体験をしました。何より貴重だったのは、ほとんど毎週、河森監督から放送されたばかりのエピソードについて、生で感想やコメントを聞けたこと。
『マクロスF』の取材でサテライトさんに行くころには、そういう自主映画のような親しげなムードは薄らいでいたように思います。

「アニメ批評」という、版権もクリアせず勝手にキャプチャした画像を掲載するデタラメな雑誌があって、僕はWOWOWで全話放映されたばかりの『カウボーイビバップ』の記事を企画したんです。さすがにサンライズの許諾が必要だよな……と、担当者に話しに行ったら、「画像使用料は払ってくださいね、あとは別にいいですよ」とロクに中身も見ない(笑)。
今だったら、三重ぐらいに製作委員会のクロスチェックが入って、原稿が真っ赤になって返ってきます。みんな、原稿に赤を入れて「相手の自由にさせない」ことを、仕事だと思い込んでしまっている。
だから最近、アニメ関連の仕事は面白くないです。僕が自主的にやりたくて、先方からも感謝されてる作品って『RWBY』と『ゼーガペイン』ぐらいだと思う。それ以外の、流れ作業のように請け負ったアニメの仕事で、たとえ原稿が真っ赤に修正されようと、僕はもう見ないです。もっと面白い仕事が、他にいっぱいあるから。


95~97年にかけて『新世紀エヴァンゲリオン』がテレビから映画に進出して、『エヴァ』に追いつけ追いこせのムードもあったと思う。それから10年ぐらいの間に光り輝いていて、今なくなってしまったものって、意外と大きいんじゃないだろうか……。
作品の出来不出来ではないです。もしかすると、一本一本の作品を語る僕たちの言葉が、強くて自信にあふれていたんじゃないか。この作品の良さを伝えられるのは自分だけなのだから、堂々としてないとへし折れてしまう。当時の掲示板って、そういうムードがあったような気がする。今よりはネットの符丁も少なくて、「神アニメ」みたいな他人まかせの言葉もなかった。
『lain』なんてダウナーの極みだし、暗い作品も多かったと思う。でも、ネガティブではなかった。どんな絶望を描いていようと、一本にかける熱量は計り知れなかった。
おそらく今は、製作委員会が広報活動によって「こういう層に、こういう受け方をするように」と、コントロールしようとしすぎるんじゃないかな……。それで、SNSで話題にならなかったら、もう失敗なわけでしょ? ようするに、人を信じてないんだ。

90年代末~00年代初頭って、ネット環境はお粗末だった。衛星放送を見る方法も、よく分からなかった。でも、情報が行き届いていなくて、不透明であるがゆえに、世界を豊かに感じられていた。
今のほうが人権意識も高くて、各方面に配慮が行き届いているはずなのに、すぐにゴールに着いてしまうというか、奥まで鮮明に見渡せてしまう。本当に面白いものは、ひとりひとりが嗅覚で探して当てるしかないんでしょうね。

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2018年10月26日 (金)

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月刊モデルグラフィックス 2018年12月号
Dqus7e4vyaac1xk連載「組まず語り症候群」では、フジミ模型さんの嚴島神社のキットを取り上げています。
短期連載「ひそまそ実写化計画」では、美術監督の金子雄司さんに取材して、金子さんの特撮映画への偏愛ぶりをたっぷり聞いてきました。『ひそまそ』の宣伝期間が終わってしまったそうで、特に公式からのプッシュもなく、来月以降も細々と続けていきます。


キズナアイ叩きとフィギュア叩きが終わったと思ったら、今度は少女型セックスロボット叩き、広く漠然と萌え絵叩きが始まっている。確証に足る根拠もなくオタク文化を規制したがる人々は、仕事や交友で海外とのつながりがあると自慢しているにもかかわらず、どこかで空しさを感じているように見える。
優越感は劣等感から生まれるので、他人にはどうしようもない。彼ら彼女らは、「ショックを受けた、傷ついた」と臆面もなく被害者意識に浸り、BBCの番組プレゼンターなど、カメラの前で涙を浮かべて感情に訴えてようとしている。

だが、泣いたり激怒したり、感情で物事の大きさを表そうとするのは人間として成熟していない。恥ずかしいことだ。映画を観て「メタクソに泣いた」としか言えないやつらと同じ。どれぐらい問題が大きいかは、私が泣いたところを見て察してください、あなたに任せますから、ホラ泣いてるでしょ……というわけだ。
卑怯だと思う。感情を最優先してもらえるんなら、裁判なんて要らない。まずは相手の憐みを買おうなんて、下劣なこと。フェアじゃない。


ミスター慶応、ミスター東大、警官、保育士、今月は性犯罪のニュースが数え切れないぐらい耳に飛び込んできた。性って、やっぱり誰にでも関係があることなんだと、つくづく思う。誰も、性からは逃れられない。

ミスター慶応や保育士たちは、たまたま、異性や子供を支配しやすい立場にいただけだ。僕だって状況次第では、性犯罪をおかさないとは言い切れない。僕の友だちも、仕事仲間も。
人は、誰しも人を犯しうる。殺しうる。「私だけは例外です」というわけにはいかない。恥知らずなのは、「私だけは女性の味方です」と涼しい顔をして自分以外の男を見下しているやつ。僕だってあなただって、女性に加害しうる。まずは、その肉体的事実を認めねばならない。

さもなくば、欧米各国のローマ・カソリック教会のように、聖職者によって数え切れないほどの子供たちが性虐待される事態に対処できない。
映画『スポットライト 世紀のスクープ』で語られていたように、「子育てを街に頼れば、虐待も街ぐるみ」と考えねばならない。弱者を救いうる人間は、弱者を殺しうる。最悪にも最善にもなり得るから、人は生きるに値する。

「オタクどもは性欲にまみれて汚いけど、私は女性の立場を理解しているし清廉潔白です」という人間は、そのへんをスキップして、おいしいとこ取りを狙っている。まるで信用ならない。

「日本は、欧米の性倫理の基準から遅れている」「秋葉原は性犯罪の巣窟」と言いたがるのは、一種の処世術なのだろうと理解している。
自分の人生はもともと冴えなかったのだが、在日韓国人や在日中国人がズルをしている設定にすれば、自尊心の欠如を社会的不平等にすりかえられる――ネトウヨと同じように、目ざわりなオタク文化に自分が負うべき自分の人生の責任をなすりつけているだけなので、萌えキャラがなくなったらなくなったで、今度は別のターゲットを探すだけだろう。

彼らも人生がかかっているから、必死なのである。
本当は、そういう人たちも心穏やかに暮らせる社会が理想だ。

ジンバブエ行きまで一週間を切ったので、今ごろバスを予約したり、空港で過ごすラウンジの場所を調べている。そんなことやらずに、気軽な国内旅行だけですませてもいいんだけど、それではヌルッとした起伏のない人生になってしまい、はやばやと老けこんでしまいそうで怖い。
ジンバブエに、何があるというわけではない。移動が半分以上。ホテルには深夜に着いて、早朝に出なくてはならない。

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2018年10月22日 (月)

■1022■

南雅彦プロデューサーが明かす、「ボンズが20年間もオリジナルアニメをつくりつづける理由」【アニメ業界ウォッチング第50回】
T640_783040このインタビュー記事は、『ひそねとまそたん』のBD-BOXが来月発売なので、個人的応援のつもりで企画したものです。ただ、法人としてのボンズさんにもメリットが必要だと思ったので、「20周年記念展開催の告知も入れますので」と広報の方にお話しして……と、記事を成立させる条件を考えるのが、いちばん面白いです。
そして、南さんの修羅場をくぐりぬけてきた野良犬のようなバイタリティに、ぞっこん魅せられました。この歳でもギラギラしてる人って、本当にいい顔をしてますよね。カッコいいです。


最近、レンタルで観た映画は『ポンヌフの恋人』、『ヴィオレッタ』。それぞれ、公開時に観たきりだった。偶然だが、双方の映画にドニ・ラヴァンが出演している。
Violetta_large『ヴィオレッタ』は、映画倫理機構から「区分適用外」、つまり「審査しないので日本国内で公開するな」と、『ぼくのエリ 200歳の少女』と同様に放置された作品。公開当時は「月刊 創」で配給会社のアンプラグドさん、映倫の大木圭之介委員長(当時)、双方に取材したものです。

いま観なおすと、映画としてはおそろしく稚拙で、映倫の人たちは何を恐れていたのだろう?と、首をかしげてしまう。主演のイザベル・ユペールの下着姿に、グッときてしまった審査委員がいたんだろうな。
3_large「猥褻」という概念は、自分の心の中にしか生じえない。「エッチだ、倫理に反する、見てはならない」と感じてしまう主体は、常に自分だ。その自分の醜さを直視する勇気がないから、誰もが「権力によって罰せられるべき」と責任転嫁する。「児童ポルノ」「性的消費」「18歳未満閲覧禁止」、ぜんぶ権力に判断を押しつける便利な言葉として使い捨てられて、「他でもない、私自身の性欲が歪んでいるのではないか?」と自らを疑う人は少ない。

「欧米に比べて日本は遅れている」、「秋葉原は治安が悪い」、何はともあれ間違っているのは他人であり、優れているのも他人である……と決めておく。改善されるべきは自分ではなく、日本であり秋葉原である。それなら、主体性も向上心も放棄できる。
ラノベの表紙で憤激し、フィギュアのパンツに狼狽し、バルテュスの絵画を見て「児童ポルノだ、禁止せよ」と怯える人々には、何か別の救いが必要だ。
『ヴィオレッタ』を観て、「主演の子がセクシーだ」「かわいらしい」と素直にレビューに書いている人たちは、少なくとも、ストレスなく心穏やかに生きているように見える。


「多分に、怒りの表明という娯楽を楽しんでるんだと思うよ、ご意見を強い言葉で呟く人らは」()、おそらく、そういうことなんだろう。
僕にも、覚えがある。反原発デモに参加していた頃だ。反原発が終わると、次は秘密保護法反対デモだった。原発は今でも止めるべきと思っているが、秘密保護法はなぜ反対しているのか、自分でも分からなかった。みんなで怒鳴っているのが、だんだん気持ちよくなっていったのは確かだ。デモのコールは、いつの間にか「戦争する国、絶対反対」に変わっていた。
Twitterで、「で、次は何に反対したらええんや?」と苛立っている人がいて、ちょっと目が覚めた。デモを何千回くりかえしても、原発はなくならない。原発をやめるには、やめようと主張している僕たち自身が、具体的にコストを払わなければならないはずだ。

正しいと信じれば信じるほど、間違っていく。
原発事故の頃、ひさびさに出会った友人が、「政府が安全だと言っているんだから、安全に決まってるだろう」と、気まずそうに目をそらした。そんな生き方だけは、イヤだと思った。


どんどん話が矮小化していくが……中学校の文化祭で(いや、「祭」は中学生にふさわしくないそうで「文化活動発表週間」と呼ばれていた)、ロックバンドの演奏が禁止されそうになった。
女教師が眉をしかめて、「ロックは禁止、私、ロックはうるさいから嫌い」と言った。僕自身はバンドを組んでいなかったし、ロックも聞かなかった。だけど、「先生が嫌がっているので、あきらめてくれ」と友だちに言うのは、それじゃあ生きている意味がないとさえ思った。だから、辛抱強く職員室で交渉した。

ロックをやっているリア充たちに日和ったわけでも何でもない。彼らの大半は、廣田はアニメ好きで暗くて汚くて、ダサいヤツと思っていただろう。
「なんで教室の隅っこでマンガ描いているようなオタクが、俺たちのために教師と交渉してるんだ?」って、変な顔で見られた。
バンドをやって、女子にモテモテになるのは彼らであって、俺ではないですよ。お前ら、自分のためなんだから自分で戦えよ、とも思った。「なんで教室で愚痴ってるの? 職員室で教師と話そうよ」と言ったおぼえもある。汚らしい、根暗のオタクの分際で、生意気にも。

おそらく、手続きを通して理想を実現しようと、コツコツと実務に励んでいる自分が好きなんだよ。何かに激怒して、相手を罵倒してスカッとした、溜飲が下がったとしたら、それは堕落の合図だね。

(C)Les Productions Bagheera, France 2 Cinema,Love Streams agnes b. productions

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2018年10月18日 (木)

■再び広島・呉へ-1■

EX大衆 2018年11月号 発売中
51jzyd5l_sx387_bo1204203200_●アイドルアニメとしてのマクロス
全4ページのうち半分はストーリー紹介とキャラクター紹介です。
編集者から頼まれたのは、『マクロス』に至るまでのアイドル歌手を主人公にしたアニメの略史、戦争と歌を同居させる映画についてのコラム。後者については『地獄の黙示録』でプレイメイトが慰問に来るシーンについて書くつもりが、音楽による威嚇と戦意高揚という意味では、「ワルキューレの騎行」をヘリから流すシーンが向いてましたね。


ジンバブエ旅行まで二週間しかないのに、先月()につづいて、またしても広島・呉を旅してきた。朝6時の電車に乗って、広島に着いたのが11時すぎ。やっぱり、近い。
Kimg2265たまたま、『“のん”ひとり展 -女の子は牙をむく-』が広島パルコで開催されていたので、路面電車の一日乗車券を買って、すぐに八丁堀へ移動。『この世界の片隅に』関連の仕事をするにあたり、舞台となった場所を歩いてみることが目的だったのに、すでにポイントがずれてきている。


先月、土浦で行われた“『この世界の片隅に』ロケ地を見よう会・江波編”に参加してからどうしても行きたくなって、路面電車の終点の江波に移動。
江波だけは地図を印刷して持ってきてあったので、有名な松下商店(隣はお好み焼き屋になっている)、すずさんが何度か歩いた太田川沿いの道、映画冒頭カットの江Kimg2278波港、すずさんが水原のために「波のうさぎ」を描いた江波山を回る。江波山気象会館は、月曜のためお休みであった。
江波港は「たったこれだけ?」と驚くほど小さく、なんとなく、すずさんが幼年期をすごしたエリアのスケール感を把握できた。
まるで大林宣彦の尾道三部作のような古くて趣のある民家が残っているかと思ったら、真新しいマンションやピカピカの一軒屋もあり、どこか他人行儀で、それでいて人懐っこいような、やや寂しい町だった。
江波山への階段で、おじいさんが竹か何かの葉を切り落とす仕事をしていたが、僕が通るときに手を休めてくれた。「こんにちは」と挨拶すると、「こんにちは」と返してくれた。

太田川沿いには遊歩道が出来ていて、この川を北上して、すずさんが中島本町へおつかいに行ったのだなあ……とイメージしながら、路面電車で原爆ドーム近くへ向かう。


おそらく、すずさんが川をのぼって中島地区に上陸したのは、この辺りではないか……と想像した地点から、平和記念公園に入ると、すぐそこでは広島平和記念資料館の本館が工事中。東館のみ開館していた。はからずも、消滅する前の中島地区の写真や原爆被害の資料を大量に見てから、中島地区の「跡地」を歩く順番になった。
Kimg2314その経験は、自分の人生では味わったことのない不条理なものだった。
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会さんの発行している『証言 記憶の中に生きる町』を、飽くまでも『この世界の片隅に』の資料として読んだところ、当地に住んでいて生き残った方たちのあまりにも生き生きとした思い出語りに「本当にこの町が、一瞬で無くなったのか?」と、なかなか信じられなかった。原爆などではなく、何か別の事情で町が取り壊されただけじゃないのか……。

資料館には、中島地区がたった一発の原子爆弾で消滅した映像がエンドレスで流れているので、僕は「本当に本当なのか?」「この公園が繁華街だったのか?」と、納得いくまで何度も見た。
まだ信じられない気持ちで外(そこは町じゃない、公園だ)に出てから、映画冒頭のに喧騒に満ちた町のイメージを重ね合わせながら、ところどころに建てられた復元地図のプレートを探して歩くと、「何もないこと」「静かで穏やかであること」が、かえって巨大な暴力として感じられた。
『記憶の中に生きる町』も持ってきてあったので、なるべく分かりやすい角にある場所を探してみた。


すずさんがチョコレートやキャラメルを見ていたヒコーキ堂の跡地に立ってみた。そこは本当に、日本のどこにでもありそうな平凡な公園の一角にすぎない。
Kimg2317(左の写真の場所には、つるや履物店があった。右側には三井生命広島支店の大きな建物があったそうだ……劇中で、子供たちがヨーヨーをして遊んでいたあたり。)
ここから、ふと右へ視線を移すと、「レストハウス」と呼ばれるようになった大正屋呉服店だけが、当時の形を維持している。「あっ」と声が出そうになった。地図を見ると、目の前を本町本通りが走っており、元安橋へとつながっている。

すずさんは、消滅した町並みを歩いてきて、そこは迷子になるほど賑やかだった。そして彼女は、唯一、今でも目にして触れることのできる建物に背をもたせかけた。
『記憶の中に生きる町』を歩いてきて、消えてしまった町の形見のような建物に寄り添うから、あのシーンで『悲しくてやりきれない』が流れたのではないか……。


まっすぐ歩くと、映画に何度か登場する相生橋のTの字部分に出る。しかし、すずさんの幼年時Kimg2320代には、まだTの字になっていなかった(春に『この世界の片隅に』資料展を三鷹で開催するときに知った)。
原爆ドーム(産業奨励館)を真正面から見ようとすると、このTの字部分に立つしかない。『この世界の片隅に』は、つい時系列で見てしまいがちだけど、江波から中島地区へ北上して、東へ大きく移動して呉へ移行し、やがて爆心地へ戻ってくる、地理的な広がりをもった物語だった……と考えると、僕には合点がいく。江波から呉へ移動しようとすると、川を通っても路面電車を使っても、中島本町を通過せざるを得ない。物語の中心に位置しているのが、『記憶の中に生きる町』なのだ。
冒頭で江波から中島地区へ移動して、爆心地となった相生橋ですずさんと周作が出会う流れ(『冬の記憶』)からして、物語の中と外とでは意味の重さが違うのではないか……。
原爆で消滅した町を、わざわざ(読者を)歩かせることに意味があったのではないか。この町をアニメ映画として、「生きた町」として復元することが、漫画が描かれた時点ですでに望まれていたのではないか、予定されていたのではないか……という気すらしてくる。

恥ずかしいことに、僕は「片渕須直監督はさすが凝り性だから、昔の町を徹底再現したんだなあ」程度にしか思っていなかった。
監督は、中島本町を歩くシーンを最初に完成させた。当時を体感的に知る人々が高齢で、次々と亡くなっていくからだ。その方たちに一刻も早く見せたいという感覚は、紙の上だけで資料を睨んでいては、決して得られないものだったろう。
そして、映画は「この町は原爆で一瞬にして無くなりました」とは一言も言っていない。それは観客ひとりひとりが遡るべき事実なのだろう。僕は、二年もかかってしまった。

夕方になってきたので広島城近くのホテルへ移動した。
翌朝は、前回と同じく広島港へと移動して、9時20分のフェリーに乗って、呉へと向かう。

(つづく

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2018年10月13日 (土)

■1013 一部で18禁指定されたプラモを組み立ててみた■

■GOODS PRESS(グッズプレス) 2018年 11 月号 発売中
Dpwebs9u4aifapd『ニンジャバットマン』監督の水崎淳平さん、キャラクターデザイナーの岡崎能士さんにお話をうかがいました。

アニメの取材は、「編集者に頼まれたら、やる」というスタンスに移行しつつあるので、この記事もプラモデルの特集を一緒にやってきた仲のいい編集者の頼みなので、断り切れず……という側面があります。
次号では、がっつりとプラモデルの記事をやりますよ!


さて、18歳未満に販売禁止なのかどうなのかよく分からないプラモデル、マックスファクトリーさんの「PLAMAX Naked Angel 1/20 天使もえ」()。
43788870_319796821933738_6151905885「あんたがそこまで気にしてくれるなら」と言うことで、テストショットをいただきました。まず、裸体Ver.をザックリと素組みしてみました。
えらく情報量が多いので、組み立てたあとも飽きないです。たとえばお尻の膨らみを構成する面が、やけに多い。また、左右の肩の突き出し方が違うと、それだけで情報量が倍増します。肩から胸にかけての面の広さや方向が左右で違う!とか、無数の発見にあふれています。
同スケールのアニメ系、イラスト系のフィギュアが、どういう方向へアレンジされていたのか、再発見することにもなります。二次元的アレンジの入ったフィギュアは、ストレスなく、気持ちよく見られるように情報が整理されている。

天使もえさんのフィギュアは、誰の理想どおりにもアレンジされていないので、「お尻の横幅って、こんなにあるのか」「ウェストまわりって、こんなに平べったいの?」「ヒジって、こんな角度にひねることが出来るのか」「こうして屈むと、腰に窪みが出来るんだねえ」と、語弊を招く言い方だけど、見るに当たって“ストレス”があります。予想外の方向へ、予想外のボリュームがあったりする。
いろんな角度から見ていくと、それらのストレスが天使もえさんの「肉体の個性」なのだと分かってきて、自分の指先で組み立てたせいもあり、愛着がわいてきます。
成形色が一色なので、形が強く主張してきます。


僕は、この裸体Ver.を組み立てているあいだ、17歳ごろの気持ちになっていました。その歳で初めて異性と付き合ったせいかと思ったのですが、一晩考えてみると、違いました。
美術系の予備校で、裸婦デッサンをやっていたときの気持ちが、蘇ってきたんです。高校三年生から通いはじめたので、当時は17歳前後ですよ。油絵科には、高校二年生もいました。もちろん、男女混合のクラスで。
だけど、裸婦デッサンや、裸婦を油彩で描く授業があって、全裸の成人女性を間近にしていたのです。16歳や17歳の未成年の前に、陰部も隠さないヌードモデルが立つことがあったのです。

興奮するとか戸惑うとかより先に、正確に紙の上にデッサンしないと、講師に頭を叩かれます。たとえ全裸の女性でも、静物や石膏像と見ている側の感覚は変わらない。「裸が見られてラッキー」なんて下心さえ入りこむ隙間がない。あの、「単なるモチーフとして裸体を冷静に観察する」感覚を、「PLAMAX Naked Angel 1/20 天使もえ」で体験できます。
綺麗だけど、興奮はしないです。「裸なんだから、もちろんエッチだろう」というほど、人間は単純ではないです。


そして、このキットの水着Ver.を組んでみると、「なんで布で隠してあんの?」という違和感が生じる。面白いことに、水着のモールドがあると「エロい」という視点が混入してくる。
Dscn0261_6328ようするに、「エロさ」「わいせつ性」とは、文脈が生み出すものではないでしょうか。「道徳的に見せてはいけないから隠す」、「隠されるべきものが露出している」、そうした文脈がないと、「ただの裸」はエロくなりようがないのでは……。
なので、実物を組んだあとで、ボカシの入った「1/20 天使もえ」の商品写真を見ると、ギョッとしますよ。ボカシがあると文脈が加わって、急にエロくなる。あと、顔や髪が塗装されていることも大きい。成形色一色だと、抽象性が高まるんでしょうね。

今回思い出したのは、高校生のときに (ヘアヌード解禁への流れがあった1984年ごろとはいえ)何も身に着けていない女性を前にしていたこと、それを興奮せずに観察していたことです。
もちろん後々、恋愛して付き合った子の裸を見ると、感動や失望や異次元の興奮や幸福に振り回されることになります。それは「人間関係」という文脈があるから。文脈を無視して、「裸だから」「乳首が見えているから」で隠すことは、僕には雑な感性に思えます。

「裸だからではなく、AV女優の模型だから、未成年の前に出すべきではないのだ」としたら、それは職業倫理や未成年の性意識が遡上にあがり、きわめてロー・コンテクストな問題となります。僕に、そこまでの専門性や思考能力は備わっていないので、まずはこのプラモデルがなるべく多くの人の手に渡ることを祈っています。
テストショットを組んだけれど、もちろん予約は取り消してないです。未成年にも買ってもらって、教材として役立ててほしいです。

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2018年10月 6日 (土)

■1006■

『ニルスのふしぎな旅』グラフィック展 本日開催
Dorztpdxcaej6x8_2本日から28日(日)まで、三鷹コラルで開催されています。春に開催した『この世界の片隅に』資料展と同じく、ディレクションを担当しています。

このパネル展の企画は、一年前の『魔法の天使クリィミーマミ』ビジュアル展でお付き合いの出来たぴえろさんからの私への持ち込み。私から三鷹コラル商店会さんに話して、実現しました。だいたい4ヶ月ぐらいかかっています。
『ニルス』の各話演出として参加した押井守さんのインタビューも行っていますが、これは『逆転イッパツマン』のムック本で、押井さんのインタビューを僕が担当していた縁です。そのとき、プロダクション・アイジーの窓口になってくれた方に、「ひょっとして『ニルス』のことでインタビューできませんか?」とお話しして、押井さんのお時間をいただきました。
実績と信頼がないと、こんなこと個人でやれないですよ。

もっと言うと、パネル制作のデザイン会社さんから見積もり書を出してもらって三鷹コラルさんに提出して、期日を決めて打ち合わせをして、ぴえろさんにデザインを監修してもらって……などが続き、絵を選んだり文章を書いたりは、全体の二割ぐらい。八割は、関係各所との調整です。


昨日の『1005 全年齢向けプラモが「18禁」として排除された話』()、このブログにしてはかなりのアクセス数があり、その間もフィギュア・メーカーや出版社の人たちから、さまざまな情報をもらいました。
股間にボカシを入れたのはメーカー側の手落ち、「さあ、18禁にゾーニングしてくれと言わんばかりではないか」と指摘されましたが、実はボカシが入るまでに二転三転あったとも聞きました。僕がいちばん最初に聞いた話は「股間には何もないので、ボカシは入れない」だったし、ランナーは何も隠さず展示してあったんです。
(メーカー側には、しっかり意思統一してほしかったですけどね)

その辺りの話は、映画『ぼくのエリ 200歳の少女』で、股間にボカシが入れられた顛末に似ています()。『ぼくのエリ』の時は配給会社がボカシを入れた犯人のように責められていたけど、実は「ボカシを入れないかぎり審査しない」と映倫が恫喝を行っていたのです。


さて、「PLAMAX Naked Angel 1/20 天使もえ」が通販サイトで18禁製品にされた件、どんなリアクションがあるのかな?と、Twitterを検索してみました。
やっぱり、「AVが18禁である以上、AV女優のプラモデルも18禁であるべき」「裸なんだから、18禁に決まっている」との意見が多いように受け取りました。
「18禁」って、便利な言葉だと思いましたよ。みんな未成年のことなんて考えてなくて、「ゴミ箱」みたいな感覚で使っている。厄介なものは「18禁」というゴミ箱に放り込んで、そこから先は感知しない。

もうひとつ、僕のブログの文章や主張が「キモい」と笑いあっている人たちを発見しました。
「間違っている」ではなく「気持ち悪い」と言ってしまえば、そこから先の思考を放棄できるし、反論を封じられる。自分が言われてみて、初めて分かりました。
ライトノベルの表紙でも萌えキャラでも「気持ち悪い」で機先を制すれば、言ったもの勝ちで話にならなくなる。「18禁」「気持ち悪い」で、どんな議論も停止できる気がしてきます。

「裸なんて18禁」と言っている人は、「萌え絵なんて気持ち悪い」と言っている人と傾向が似てますね。自分からは、主体的に働きかけようとしない。だけど、自分の要求だけは通したい。


「18禁と決められたからには、18禁でいいだろう」と、完全に思考放棄している人もいました。
だけど、AV女優の裸だから表現規制だとか、メーカー側の表現の自由が……とか、そんな大げさな話ではないんです。

僕がライターになりたての頃、「バカバカしい」という言葉を原稿に書いてはならないと怒られたことがありました。理由を聞くと「バカは悪い言葉、人を罵倒する言葉だから」とのことで、文脈は無視。「バカ正直」という言葉をカットされたこともありました。
くだらない話のようだけど、表現規制って日常に忍び込んでいるから、誰にとっても大事な話題のはず。別に、エロ表現とヘイトスピーチだけが表現規制の対象ではないです。
だけど、いちいち筋を通していたら面倒。「決まりは決まりだろ」で意志も思考も放棄したほうが楽。物事に異議をとなえる人は「パヨク」で片付けてしまえばいいし、世の中の良くないシステムは「アベ政権」のせいにしておけば、自分は無力なままで鬱憤だけは晴れる。

「PLAMAX Naked Angel 1/20 天使もえ」にボカシが入ったり、18禁に追いやられたことは、「面倒だから、誰か適当に処理してくれ」という怠惰な社会の、ほんの末端で起きた象徴的な出来事です。
だって、本気で「18歳未満に売ったらダメ、買わせてもダメ」と主張するなら、18禁製品に区分される前に予約した未成年の販売分は、キャンセルしないとダメですよね? だけど、Amazonもユーザーも、そんな面倒なことしないでしょ?  

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