2017年8月20日 (日)

■0820■

ホビー業界インサイド第26回:バンダイ ホビー事業部に聞いた、「初音ミクのプラモデル」が発売されるまでの表の事情、裏の事情
T640_735538いままで模型誌が取材していそうで取材してこなかった、「フィギュアライズ・バスト」シリーズの企画担当者さんにインタビューしてみたら、美少女キャラが大好きな女性の方でした。
本当に好きな仕事を語るとき、人は誰でも生き生きとするものです。


しかし、メーカーが工夫して独自の技術を使っても高品位モデルを発売しても「なぜこんな余計なことをする?」「こんなに高いプラモデルを誰が買う?」と、自分の主義・事情に引き寄せて、だらしくなく開きっぱなしの口から動物的な文句を垂れ流す人たちもいるわけで。
そういう人たちは、自分がかわいいだけであって、文化や社会を良くしたいわけではないんですね。相手に無限の誠意と努力を求めて、それによって自分の気分が良くなれば収支トントンだぜ、我慢してやるよって人たち。

僕は、「こんな面白いものがあるなら、世の中、捨てたものじゃないな」と思いたいですけどね。


高校か大学のころ、吉祥寺のイトーヨーカドーに入店しようとしたら、扉がガラス製なので、ツエをついたお婆さんが、お店から出てこようとしている姿が扉の向こうに見えた。
ガラス扉はすごく重たいので、お婆さんが通るまで扉をあけて待っていたら、後ろから「行け!」という声がした。サラリーマンの男性だった。
無視して、お婆さんが通るのを待ってから通ったら、その男性は「早く行けよ」と捨てゼリフを残して、俺を追い抜かしていった。
あるいは、俺が扉を開けたら、うすら笑いを浮かべながら、ヒョイと追い抜かしていく男性もいた。たかが重たい扉を開けるだけとは言え、他人の労力にタダ乗りするのがカッコいい、弱者を追い抜かすのがカッコいいと思ってるんだろうな。こいつらのようにはなるまい、と思いましたね。

そして、先日。近所のクリーニング屋で前の人が会計を終えるのを店外で待っていたら、「どうして、外で待ってるの?」と、後ろから声をかけられた。いきなりタメ口で。
狭い店だから、前の人の真後ろで待っていたら、急かしているようで自分も相手もイヤなわけです。だから、外で待っていた。
ところが、俺の順番が来たら、その男性は俺の背中にくっついて、一緒に店内に入ってくるわけです。だから、それをやられると気分が悪いから、俺は前の客の背中にはりつくようなことはしたくなかったわけです。
僕がひとつゴミを拾うと、その場にゴミを投げ捨てていくヤツがいる。それでも、あきらめずにゴミを拾おうと思う。そうすることでしか、世の中の空気は良くならない。


僕をいつも未知の世界へ連れっていってくれる友人、内田さんの貧乏自転車旅行()。
内田さんは他人ばかりか、犬や猫にまで気をつかっているのですが、このジャンル(自転車旅行しながら自撮り)にも、いろいろな人がいるようで。

内田さんの動画はストイックで、まったく不愉快になることはないので、眠れない夜にでも見てください。

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2017年8月13日 (日)

■0813■

EX大衆 2017年9月号 発売中
Dhbcdfgv0aafh53●オールアバウト『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 激突ルウム会戦』
古谷徹さんへのインタビューを含む、全4ページの企画記事です。
作品では、コロニーが一基だけ落とされた「GUNDAM CENTURY」発の歴史をトレースしているので、テレビ放映前から放映後、OVAやゲームによって、曖昧だった「戦史」がどう公式化していったか、ザッと振り返ってみました。

【懐かしアニメ回顧録第33回】「月詠 -MOON PHASE-」で描かれる “ウソだからこそ平和な”日常生活
『月詠』は日常シーンが『8時だョ! 全員集合』そっくりに、舞台上のセットで展開される。セットの裏がステージになっていたり、上から金ダライが落ちてきたり、舞台で演じられるコントそのものだ。
アクティブな、実写映画的なカメラワークは、ヴァンパイアたちと戦うシリアスなシーンに振り向けている。自覚的に抽象度を演劇に近づけたり、映画のフリをして撮ったり、表現の限界に自覚的なところが、新房昭之監督の強みだと思う。


レンタルで、ヒッチコック監督の『鳥』。
Ec6a0857d3f04d62中学生のときにテレビで見て、当時は『エイリアン』を見たあとだったので、60年代の映画は合成丸出しでショボイ、古い……という印象しかなかった。
これから見ようという人は、それぐらいナメてかかったほうが具合いいです。その分、ショックがでかいので。

正直、最初の50分はかったるくて見ていられない。いたずらに混みいった人間関係をダラダラと見せているだけで、見事なまでに何も起こらない。
だが、それでいいのである。……こうして文章で説明するのも野暮なのだが、かったるい映画だなと飽きてきたころに、理不尽に、不条理に(文脈を無視して)鳥たちが襲いかかってくる。それが、記憶とは違って合成丸出しではない。ものすごい量のスズメが、煙突をくぐって、暖炉からなだれ込んでくる。音楽は、まったくない。血糊などのメイクは、さすがに時代を感じさせるが……あとはとにかく、見てもらいたい。吐き気がするぐらい、怖いので。


鳥たちの三度目のアタックを受けた主人公(ティッピ・ヘドレン)は、町にある小さなカフェで、自分の目にした惨状を訴える。しかし、鳥類学に通じた老婆が「鳥にはそんな知能はない」「攻撃する理由がない」と、数字を並べて、きっぱりと否定する。
カウンターに座っていた酔っ払いが「世界の終わりだ」と、いい加減なことを口にする。主人公と老婆は、対立するような形になってしまう。このときの構図には、唸らされた。老婆が鳥たちに攻撃性はないと主張するカットでは、彼女の後ろに常連の客たちがいる。彼らも鳥の攻撃を目にしていないので、老婆の味方だ。
ところが、主人公が事実を話す背後には、無人のカウンターしかない。つまり、味方がいない。いや、カウンターの奥に、ひとりだけ、「世界の終わりだ」と叫んだ酔っ払いが座っている。もしかすると、本当に世界の終わりなのかも知れない。彼女の味方は、その酔っ払いだけなのだ。……とまあ、説明するのも面倒なぐらい、シャープで効果的な構図が使われているので、ぜひ覚えておいてほしい。

もちろん、時代を感じさせるところもある。俳優の演技が大げさで、白けてしまうシーンもある。それでも、映画の前半でほんのちょっとしか出さなかった鳥を、後半では画面を埋め尽くすほど出して、一切の説明なし、ロジックを破綻させる……このクールな発想センスは、決して古びない。尖っている。

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2017年8月10日 (木)

■0810■

ニュータイプ 2017年9月号 発売中
81magfm0cfl●息吹を感じて~脚本家・菅正太郎の軌跡
故・菅正太郎さんについて、佐藤竜雄監督にインタビューしました。
5年前に放送された『輪廻のラグランジェ』で、菅さんはシリーズ構成、佐藤さんは総監督という立場でした。
僕は、放送が決まってから、『ラグランジェ』のオフィッシャル・ライターとしてプロダクションI.Gに呼ばれました。Blu-rayなどのパッケージだけでなく、番組のキャッチコピー、各話あらすじ等、公式な文章はほぼすべて書きました。
「少年ガンガン」と「ヤングガンガン」に連載されていた情報ページも任されました。月刊と隔週刊なので、月に3本、まだ本編が出来上がる前に先行情報を書かねばなりません。制作スタッフは全員忙しいので、声優さんから各話についてコメントをいただくため、何度もアフレコスタジオに行きました。


僕はけっこうお節介なので、『ラグランジェ』の第二シーズンが始まる前に、徳島のマチアソビでコメンタリー付き上映会を開催して、お客さんのために入場特典を用意してもらったり、キービジュアルを提案したりしました。その頃になると、だんだん宣伝費も底をついてきたので、それらの自主的な活動はボランティアでやっていました。
また、『ラグランジェ』のムック本があまりにも軽い内容だったので、世界観の設定ページや本全体への導入パートを設けることを、会議で提案しました。そのとき、新たな設定づくりのため、菅さんに惑星の名前などを考えていただき、僕が書き上げた設定部分をチェックしてもらいました。

その延長上で、「月刊ホビージャパン」に『ラグランジェ』のメカ設定のページを連載しました。なぜなら、せっかくロボットを日産自動車のデザイナーに描いてもらったのに、本編での設定が薄すぎたからです。バンダイビジュアルさんのプロデューサーがページを確保してくれましたが、「タダでもいい」と言ったら、本当に原稿料が出なかったので、びっくりしたものです。
そして、全六回の連載のため、本編にはまったく出てこないメカの開発背景、バックストーリーを考え、菅さんにチェックしてもらい、ときにはダメ出しもあり、ときにはキャラクターや艦船の名前を考えていただき、半年ほどお付き合いが続きました。


打ち合わせの場所は、いつも吉祥寺駅からちょっと離れた喫茶店で、時間帯は夜8時ぐらい。バンダイビジュアルのプロデューサーが同席して、3人だけの打ち合わせです。
あるとき、プロデューサーがどうしても来られないことがあり、菅さんと2人で打ち合わせしていたら話が盛り上がり、「ちょっと飲んでいきましょう」と誘われて、吉祥寺の小さな焼き鳥屋で飲みました。

とりたてて、面白い話だったわけではないです。『DARKER THAN BLACK 黒の契約者』はちゃんと見てくれていたか?とか、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』で神山健治監督に何度も使ってもらえて、すごく嬉しかったとか、今後はもっと頑張るから見ててくれよとか、別に秘密の話でも何でもない。
僕は利害関係のない外部の人間なので、気楽に話していただけたのでしょう。それと、佐藤監督からうかがったのですが、奥さんは菅さんの仕事内容をよく知らされていなかったそうで、あまり自分の参加した作品を振り返って語る機会がなかったのかも知れません。
僕がタダで連載をやっていると話したら、「それはひどい。俺からお金が出るように言っておくよ」と怒ってくれたのを、よく覚えています。


『ラグランジェ』は、当初は別の監督とライターで進んでいたそうですが、そのお2人が抜けたので、まったく新しい設定とストーリーを考えなおしたそうです。仕事している人なら分かると思いますが、一度ポシャったところから再出発するのって、絶対に苦しい。気持ちを切り替えないといけないから、精神的にイヤじゃないですか。クリエイティブ側のスタッフは菅さんひとりしか残らなかったので、張り切るのは分かるし、責任感もあっただろうし、孤独感をおぼえるのも分かります。

その辛さとか、辛さと背中合わせのやりがいだとかは、5年たった今のほうが分かるような気がする……。菅さんは、いつでも「やってられるか」と逃げる権利を擁していたんだけど、とうとう最後の最後まで踏みとどまった。『ラグランジェ』の他のライターさんはギャグとか趣味に走っていたけど、菅さんだけは義務感を優先させていたんじゃないかな……。いちばん外側から作品全体を見ていたので、どうしてもそう思えてしまう。
そういう仕事のしかたを、他人事とは思えなくなってきた。今さらだけど。

だから、俺は作品がつまらなくても「クソ」とか「カス」とか、商業的に失敗しても「爆死w」とか、絶対に言わない。「コケた」とさえ言いたくない。「神アニメ」にも、同様の無責任さを感じる。誉め言葉になっていない。かえって失礼な感じがする。
あのね、他人の仕事を屁のように軽んじているから、「クソ」「神」と言い捨てられるんですよ。観客は当事者。作品を生かすのも殺すのも観客。生まれながらに「クソ」も「神」もないんです。99人が敵になるとしたら、俺はひとりの味方でありたいです。

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2017年7月28日 (金)

■0728■

未来警察ウラシマン COMPLETE BOOK 発売中
Photo●なかむらたかしさんインタビュー
●井口忠一さん×石山タカ明さん 対談
●発掘! なかむらたかし初絵コンテ/第26 話「ネオトキオ発地獄行き」の愉しみ方

以上、三つの記事を担当しました。
このムックは、既出の記事を寄せ集めたものではなく、初出の資料が多いです。最初に企画を聞いたときは、もう少し軽い本になるのかと思っていたのですが、まったくそんなことはありません。

そして、1983年ごろのアニメブームの渦中、どちらへ進むのか判然としないけれど、才能と情熱がひしめいていた時代の雰囲気が、ほんのりと香る本になっています。


レンタルで、『グッバイ、サマー』。
640_2 ミシェル・ゴンドリー監督で、女の子と間違われるほど可愛らしい少年のひと夏の冒険譚……って、もう逆らえない。企画の時点でOK。まあ、期待にたがわず、砂糖菓子のように軟弱で、小憎らしいほどキュートな映画です。

主人公とその親友が飛行機で家に戻るシーンが、難解でありながら、実に映画らしかった。
飛行機が離陸すると、主人公以外の客、機長、みんな眠ってしまう。飛行機は後ろ向きに飛び(フィルムを反転させていてる)、元の空港へ戻る。
そこで主人公がハッと気がつくと、今度は列車に乗っている。車窓から見える風景が逆向きに流れているので、「飛行機も逆向きに着陸したし、いま乗っている電車も逆に走っている」と主人公は取り乱す。
このシーンで、飛行機はフレームの左から右へと移動して着陸する。次のカットは、列車の客席に座っている主人公のバストショット。彼はフレームの右、つまり飛行機の着陸した側に座り、フレームの左を向いている。同じように、飛行機も機首を左へ向けていた。
フレーム内の位置と方向を一致させることで、飛行機と電車が「逆向き」であることに一貫性を持たせている。もしバラバラの方向で撮ったら、「飛行機も電車も逆向き」というセリフと整合しない。

当たり前のことだけど、カットワークは映画のネジみたいなもので、いい加減にしておくとフィルムは空中分解してしまう。物語にリアリティがないとか原作と違うとか感情移入できないとか、そんなことはどうでもいい。僕にとって「ひどい映画」とは、構図やカッティングを何も考えてない映画を指す。


先日の話()に関連するけど、インターネットは僕たちの無責任さ、主体性の欠如と溶けあいつつある。僕たちは真偽のさだかでない情報を鵜呑みにしながら、いつでも「騙された!」と被害者ヅラする準備をしている。

原発に反対する人たちの一部は、いつの間にか放射能の影響で子供たちが死ぬのを待望するようになってしまった。そして一方には、原発や米軍基地建設に反対しているのは在日外国人だ、日当をもらっていると決めつける人たちがいる。
ようするに、誰もが他人に運命や行動を支配されている、誰もが自分の意志でなんか生きてやしないのだと信じたい。だから、私が無責任なのもやむを得ないことなのだ、と。

その、主体性の放棄が怖い。
「自分の考えを言いたいなら小説でも書けばいい」()とも、根底でつながっている。自分の考えを主張していいのは、一部の限られた人間だけだ。僕や貴方のような凡人にそんな特権はないのだから、おとなしくしていろ。黙って流れに従っていろ。
上から管理されなくとも、自ら進んで整列し、行き詰ったら線路に飛び込むよう、日本人は調教されているのではないか。

(C)Partizan Films - Studiocanal 2015

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2017年7月25日 (火)

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月刊モデルグラフィックス2017年9月号 本日発売

0000000033552●組まず語り第57夜
今回は、カバヤ『アイドル天使えり子』の食玩、『美少女戦士セーラームーンR』のガシャポンを取り上げて、「インジェクション成形された美少女の着衣」に、しつこく迫ります。

●MG HEADLINE TOPICS
先日のイベントでも取り上げた、インジェクション・キットとして再生されたPVCフィギュア「霞 C2ver.」について書きました。

●バンダイ1/72 ミレニアム・ファルコン 開発者座談会
早朝から静岡まで取材に行きまして、開発チームに疑問をぶつけてみました。今回の前編は、ちょっと攻撃的・懐疑的かも知れませんが、外部スタッフであり、実質、本キットの“原型制作者”とも呼ぶべき鷲見博さんの研究心と情熱に打ちのめされた一日でした。

そして、「PLAMAX 霞」は13年前のフィギュア製品のスケールモデル。「1/72 ファルコン」は40年前の撮影用プロップのスケールモデルです。「模型の模型」である点に、留意してください。

さて、カップヌードルの『魔女の宅急便』CMについて日清食品に取材したところ()、Twitterで「本当は好反響ではないんだろう」といったツイートが散見されました。悪質なものでは、「ライターがウソ記事を書かされている」といったニュアンスのツイートもありました。
まず、この記事は僕自身が「どういう経緯でアニメが出来たのか」知りたいと思い、自分で取材を申し込みました。どこかから、依頼があったわけではありません。
最初はメールで回答が来たので、「そうではなく、直接会ってお話を聞きたい」と、粘り強く交渉しました。正直、先方にはウザがられていたと思います。
ですから、「本当は好反響ではない」と本気で思う方は、日清食品に問い合わせてみてはいかがでしょうか。
あのCMが嫌いだ、というのは自由です。僕は、あのCMを気に入って、スタッフを調べてみたら、高橋裕一さんや竹田悠介さんといった確かなキャリアを持つ方たちがメインを固めていたので、ますます好きになったわけです。その逆に、「誰がつくっていようと嫌いだ」という気持ちは分かります。
「自分の嫌いなCMが好評なのは、納得がいかない」「腹が立つ」も、自然なリアクションです。しかしながら、「好評というのはウソ情報で、実は裏がある」と考えはじめたら、陰謀論になってしまう。自分の気に入らない選挙結果が出ると、「不正選挙に違いない!」と騒ぎだす人、いるでしょ? あれと同レベルですよ。


『君の名は。』は東宝が数字を水増ししていて、実は250億も収入なかったんですよ。本当は20億も稼いでませんでした。……というデマがあったとしたら、喜ぶ人は多そうですね。
「あんなものが、どうしてヒットするの?」と同世代以上の人にさんざん言われたけど、それは僕やあなたがターゲットから外されているから分からないのであって、ヒットした事実だけは認めないといけない。
だけど、その「くやしいけど認めざるを得ない」のが嫌なんだよ、みんな。だから、監督の不倫報道で溜飲をさげる。「そら見たことか」「しょせん、ヒット作をつくっていても凡人なんだな」「天狗になってる監督、いい気味だ」と、自らを蝕んでいるニヒリズムを満足させる。

あきらめがあるんですよ、根底に。この世はどうせ良くならない、世の中に努力が実った人間なんていない、立派そうにしているヤツは必ず裏でズルをしている。
世の中をよくしたいはずの人が、悲劇がおきればおきるほど「ほら、やっぱり!」と悦に入ったり、被害を大げさに吹聴して回るのは、しばしば目にする光景です。

余談ですが、生徒に「飛び降りろ」と発言した教師に、保護者から処分撤回の嘆願署名が集まりました。そこまでは、報道を信用するかぎり、問題ないんです。
だけど、Facebookで顔と名前を消した保護者の発言(の画像)で、一気に風向きが変わったでしょ? リンク元もなく、客観的に検証不可能な、責任の所在の分からない情報のほうが、受け入れられやすくなってきている気がして、それがいちばん怖いです。


何を見ても「パクリ」「ステマ」と脊髄反射する人って、自分だけは騙されないと思ってるんでしょうね。「分かったぞ、理解できたぞ」って瞬間こそ、いちばん危険というか……もっとも注意深くなるべきではないでしょうか。映画を見ていても、ニュースを聞いていても。

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2017年7月22日 (土)

■0722■

アニメ業界ウォッチング第34回:カップヌードルがCMで「魔女の宅急便」をアニメ化した理由
T640_733123一部で、「あの人気アニメを剽窃・改悪している」との批判もありましたが、一本のアニメーションとしてのクオリティを評価すべきと思い、日清食品さんに取材を申し込みました。
制作現場を取材しようとすると、日清さんの管轄ではなくなってしまうようで、何度か交渉した後、宣伝の方から包括的な話を聞くことになりました。


丸一日以上が経過してしまいましたが、阿佐ヶ谷ロフトAでのトークイベント『社会は如何にしてプラモの金型に彫りこまれた美少女のパンツを見つめてきたか』に来てくださった皆さん、どうもありがとうございました。心配していましたが、ほぼ店内が埋まるぐらい、満席に近いほどの入りでした。
Dfku37zuqaab2k7_1_2第一部は、司会の有田シュンさん、永山薫さん、桑田聡さん、さらに飛び入りでマックスファクトリーの高久裕輝さんが登壇してくださいました。ワンダーフェスティバルで発売されるプラキット“minimum factory 霞 C2ver.”のランナー、原型ともなったPVC商品をお題に、プラモデルとしてオッパイが成形される愉悦について語りました。
第二部は、有田さんと永山さんに加えて、田中圭一さん、山田太郎さんが登壇。テーマは一気に表現規制へ。民間企業や警察によるフィギュアへの規制から、漫画での表現自粛、声かけ写真展への批判まで話題が広がりました。


イベントが終わった直後、僕の著書『我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか』を買ってくださった皆さんが、サインを求める小さな列をつくり(下手な字しか書けなくてかみません)、ちょっとした意見交換もできました。
お客さんと話していて印象的だったのは、「表現規制の話を聞きたくて来たけど、前半のプラモデルの話が予想外に面白かった」、逆に「フィギュアの話を目当てに来たけど、後半の表現規制の話題に興味をもった」、両サイドが、ほんのちょっとかも知れないけど、重なってくれたこと。
面白いこと、趣味のこと、エンタメって、つねに実社会から批判される可能性があって、プラモデルやフィギュアとて例外ではない。なのに、ホビー業界・模型業界の中で表現規制に関心があって行動する人が、皆無に等しい。主体的に社会に関わっていかないと、仲間内だけで閉塞した幼稚な趣味だと見なされ、市民権を得られないのではないか。
……こうして文字にしてしまうと、ミもフタもない単純な話ですけどね。ネットの中で思いついた言葉を散発させるだけでは、あまりに脆弱だと思うのですよ。

っていうのは、SNSによって自分たちの部屋が、すべて丸見えになる世界を僕らは生きていて、もう後戻りできないからです。
匿名のSNSで建設的な議論や対策を望むのは、それこそ子供じみた楽観論、無責任な甘えであって、直接対話を前提とした「場」をつくる段階に来ているのですよ。オープンかつフェアな「場」で、理性的なスタンスを保てる人が必要なんです。


今回のトーク企画は、『我々は如何にして美少女のパンツをプラモの金型に彫りこんできたか』を企画した栗田歴さんの「廣田さんの次の著書につながるような、社会と表現とのかかわりに言及する横断的なイベントにしたい」要望から、ゲストが決定されていきました。
Kimg0205(写真右が、栗田さん)つい最近、長女が生まれたことが、彼自身の携わるアイドル系・グラビア系の“セクシャルな”仕事を見つめなおす契機になったそうです。山田太郎さんや田中圭一さん、田中さんを紹介してくださった永山薫さんが登壇してくれることになったのは、栗田さんがイベントの方向性を決定づけたからです。
そして、写真左が、元モデルグラフィックス副編集長の高久裕輝さん。正直にいうと、高久さんこそが表現規制を絡めたイベントを嫌がって敬遠すると思っていただけに、時間をやりくりして猛烈な勢いで駆けつけてくれて、嬉しかったです。
その高久さんは、表現規制に対して活動してきた山田太郎さんを最も高く評価していました。

2人とも、僕に容赦のないダメ出しをしてきた敏腕編集者だけに、上の写真は夢のような組み合わせです。「ディレクターは2人いらない」が僕の持論で、年齢も近くて仕事に誠実で野心旺盛な2人はソリが合わないのではないかと思いましたが、僕のついていけない尖った話を仲良く交わしていたので、安心しました。
表現とか文化の強度、社会への訴求力や信頼性って、少なくともクソリプの洪水の中からは生まれてこないですよ。

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2017年7月19日 (水)

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ホビー業界インサイド第25回:タミヤ プラモデルファクトリー 新橋店から見える“模型趣味の現在形”
T640_732597この連載では、ホビーの定義を食玩や個人の手づくり作品にまで広げていますが、根本にはプラモデル、それもスケールモデルが位置しています。
なので、タミヤさんには触れておきたいと思い、店舗でのイベントに参加したおり、取材をお願いしました。


レンタルで観た映画は、インド映画『PK』と、黒澤明『野良犬』。
どちらも、頭に入らなかった……。


明日20日の20時から、阿佐ヶ谷ロフトAにて、『社会は如何にしてプラモの金型に彫りこまれた美少女のパンツを見つめてきたか』開催です(詳細→
Denatd4uqaaiz7k
少年ジャンプ連載の『ゆらぎ荘の幽奈さん』のカラー口絵について、Twitterで批判され、女優の春名風花さんが『幽奈さん』を擁護して、同性からひどい言葉を投げつけられ……というやりとりを見てきました。
世の中には、いろんな人がいるし、誰もがストレスなく楽しく生きられる社会を目指さなくては、と思いました。エロ表現を批判している人たちをボコって沈黙させれば問題解決とか、そういう話ではありません。批判するのも、自由のうちなので。


それ以前に、僕らはどういう世界に生かされてきたのだろう?と、ふと立ち止まってしまう。
たとえば、学級会で話しあって、児童たちが決まりをつくったとする。だけど先生が気に入らないと、せっかくの話し合いの結果がナシにされてしまう。小学校のころ、何度かあった。
中学校のころ、教室内で財布か何かがなくなった。誰が盗ったのか分からない。どういうわけか、クラス全員が居残りさせられて、固い床に正座させられた。そのとき、教師が何と言ったか。「みんな、つらいか? 先生だって、つらいんだぞ!」 ウソつけよ。お前は正座なんてしてないだろうが。
さんざん、大人、権威者がウソをついてきた。子供はバカじゃないから、「先生の言ってること、おかしいぞ」って思うよね。だけど、教師ってのは存在自体が権力だから。殴られたし、「バカ」「キチガイ」「死ね」とか、教師から普通に言われていたよね?
だけど親への影響力も絶大だから、逆らえない。

まだ10歳にもならないころから、大人の理不尽な強制力が融通無碍に作用する空間に閉じこめられて、話し合いの結果も、誰かの犯した罪も、すべてひとりの大人が軽さと重さを決めて、そんな環境で無力感を植えつけられないわけないでしょ?
夏休みだって、午前中いっぱいかけても処理できない量の宿題が出される。そんなブラックな労働を課せられたのに、大人になってから「夏休みの宿題を、8月31日に片づけるタイプ(笑)」とか、自嘲的なギャグにしてしまう。「教師や学校を責めても勝てないから、自分が不甲斐ない」という、当たり障りのない落としどころに安住してしまう。

大人になってからの様々な諍い、批判や論争の根底に、「権力に逆らっても無駄」という諦めがある。


だから、日本人は妬みっぽい。「ズルして儲けてるヤツがいる」って話にだけ、やけに敏感。とにかく、権力には逆らわず、現状維持。現状に不満を感じたら、「誰かがズルしてる」と疑いだす。在日外国人が、パヨクがネトウヨが、クソフェミが……って、ようは「誰かがズルしてる」「それで私が損してる」幼稚な陰謀論でしかないでしょ? 自分の努力を、自尊心を取りもどす努力を放棄してますよね?
自尊心を損なわれたまま大人になったくせに「私は一人前だ」なんて思い込んでいるから、過剰に他人に対して威圧的になるんですよ。マウンティングしないと不安なんですよ。

僕はこのブログで、「この人は誰と戦ってるんだろう?」と笑われてきたけど、戦うべき相手を直視できない臆病者は、嘲笑・冷笑に逃避するんですよ。
表現規制とか、表現の自由以前に、「自分に自信がないから、他人に嫉妬しやすく攻撃的になる」性癖を克服しなければ、人の世に未来はない。

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2017年7月15日 (土)

■0715■

EX大衆 8月号 15日発売
81ckvuznd2l●俺たちの『BOYS BE…』再検証
90年代初頭に流行った漫画『BOYS BE…』のミニ特集、後半の前田尋之さんと山本寛監督のインタビューを構成しました。聞き手は、『私の優しくない先輩』の大ファンだという担当編集です。

『BOYS BE…』に関連して、前田尋之さんには恋愛シミュレーション・ゲームと、ラブコメ漫画について。
山本監督にはアニメの中での恋愛シーンや美少女キャラの描かれ方、消費のされ方についてうかがいました。


レンタルで、ヒッチコック監督の『めまい』。『北北西に進路をとれ』の前年の作品で、やはりサスペンスとラブロマンスに溢れた、とても贅沢な作品。時がたつのを忘れるぐらい、没入した。
Vertigo_3映画の前半と後半が、鏡を合わせたように対照する、不思議な構成。
前半ではジェームズ・ステュアートの演じる元刑事のスコティが、キム・ノヴァク演じる謎めいた人妻・マデリンを尾行するよう、友人に頼まれる。マデリンは精神を病んでおり、スコティは果敢にも彼女の命を助ける。

二人は恋に落ちるが、情緒不安定なマデリンは自殺してしまう。やがて、彼女とそっくりなジュディという女性がスコティの前に現れると、今度はスコティが偏執的な愛情をジュディに注ぎはじめる。
その結果、ジュディは死んだはずのマデリンと髪も服も、まったく同じ容貌となり、映画の舞台もマデリンの死の現場へ近づいていく。時間が逆転していくかのような酩酊感を支えているは、厳格なまでに計算された衣装デザインであり、メイクであり、美術であり、そして、そっくり同じ場所でまったく同じように繰り返されるカメラワークである。


後味の悪い映画だが、最初の10分で、非常に冴えた演出を堪能できる。
刑事だったスコティは犯人を追いかけるうちに高い建物の屋根から落ちそうになり、高所恐怖症になってしまう。恐怖症を克服しようと、彼は小さな脚立を一段ずつ登る。
高いところへ登っているから、スコティの顔は煽りで撮られている。だが、煽りで撮っているのは、そんな即物的な理由からだろうか? スコティは脚立を二段目まで上がっても平気なので、自信に満ちている。
ところが、三段目まで登った彼は、焦りの表情を浮かべる。そのカットは煽りではない。俯瞰のアングルで撮られているのだ。二段目より高い三段目まで登ったのに、なぜ煽りで撮らないのか? 「煽り」「俯瞰」といったカメラアングルが、心理描写を兼ねているからだ(俯瞰で撮られた人物は、矮小に見える)。
果たして、三段目まで登って不安な表情になったスコティが真下を見ると、そこには建物の屋根から見た街路が広がっている……そう、彼が現職時代に落ちそうになった、あの建物からの眺めだ。

こういう知的な演出を見せられると、「これは最後まで観るに値する映画だ」と確信できるわけです。
そして、メイキングにはテクニカラー、ビスタヴィジョンで撮られたこの映画のネガ修復の過程も出てきます。「ここまで修復しておけば、あと200年は大丈夫」だそうで、こういうプロフェッショナルたちの仕事は、素直にリスペクトします。


「絶対に他人に見せるな死ぬぞとか国家に脅されて無理やり送りつけられ死ぬほど取扱の面倒なマイナンバーの使いみちがその辺のコンサートのチケット転売防止とかホントにばかみてーだな」(

またしても友人のツイートですが……。フリーランスの人なら、もう覚えてないぐらい、あちこちにマイナンバーをコピーして教えちゃいましたよね? しかも「これが貴方のマイナンバーであることを証明する書類もコピーして郵送しろ」なんて、もう制度の根幹をゆるがす、無限大級にアホな事態に陥っている。
だけど、「お上の決めたことに反発するのは、政治的言動である」とでも思っているのか、だんまりを決めこんだお利口さんが多いよね。結局、大きなものに立ち向かえるかどうか、嫌なことを嫌と言えるかどうかは、性格の問題です。

弱いからこそ、勇気が必要なんだ。勇気がなければ、人生は楽しめない。

(C) 1958 Alfred J. Hitchcock Productions, Inc & Paramount Pictures Corporation. All Rights Reserved.

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2017年7月11日 (火)

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【懐かしアニメ回顧録第32回】“乗り物”から読み解く「魔女の宅急便」の面白さ
T640_73219630年近く前、片思いしていた年上の女性から「一緒に行きましょう」と誘われて観にいった映画です。
当時のジブリ作品はどんどん興行収入が下落しており、『魔女の宅急便』は起死回生の一本でした(配給が東宝ではなく東映である点も、興行筋からも期待されなかったことが伺えます)。

劇中、車に数人で乗り込んで遊びに行く『アメリカン・グラフィティ』的なリア充シーンが、何度か出てきます。そのオールディーズ的な、あるいはバブル景気的な価値観が、童話的世界に生まれたキキの強敵であるような気がしました。それでこのコラムでは「自動車こそが、キキにとっては社会の象徴なのではないか」と、仮説を立てたのです。

すると、クライマックスの「ホウキで自動車を追い抜かす」シーンに、別の意味が加わって見えるのです。


せっかくなので、昨日観て来た『メアリと魔女の花』について。平日昼間、吉祥寺オデヲンは、三割ぐらいの入り。
640「ジブリ作品のパッチワーク」「特に『魔女の宅急便』のパクり」といった批判を目にしたのだが、ようはジブリ的なキャラクターデザイン、色づかい、少女と少年、ネコ、醜悪な魔女といったルックスのみをみんな問題にしているんだと思う。
実際には、ジブリ作品に直接類似したシーンや演出は見当たらない。宮崎駿作品の魅力だった生活のディテールへ偏愛も、メカニックへのフェティシズムも感じられない。絵柄をガラッと変えたら「ジブリ・オマージュ満載」なんて言われなかった気がするし、それだけアニメにとっては絵柄の占めるイメージが大きいんだろう。
いきなりテーマだのストーリーだの感情移入だのメッセージだの、映画の「内面」について語りはじめるより、表層のみに着目して何が悪い?と、僕は思う。


『夜明け告げるルーのうた』のとき、僕はアニメ映画というより、アニメ表現としての純度が高いという意味のことを書いた()。
『魔女の宅急便』は「劇映画」ならぬ「劇アニメ」として完成度が高かったけど、『メアリと魔女の花』は、「劇」「芝居」の枠組みが弱いような気がして、しかも、それをわざとやってるんじゃないのか?という疑念をいだいた。少なくとも米林宏昌監督、ウェルメイドなエンターテイメントには関心が薄いのではないだろうか。(過去の二作も異色作だったし)

宮崎駿風のルックスだけ漂わせておいて、「空を飛ぶ」ことへの信仰心もない、エコロジーもなければ人間の業もない、労働する女性の美しさも描かない。
ひょっとして、宮崎アニメへの返歌、宮崎アニメへの批評になってないか? だとすれば、米林監督は、次回作こそジブリ的なルックスを脱ぎ捨てると思うんですけど……うがちすぎだろうか? 独立第一作は安牌をとったんだろうし、「安牌とって何が悪い? だって皆さん、こういう絵柄が好きでしょ?」と言われているような気がした。


ところで、妹のキャラがドンピシャで好みだった『聲の形』()。
妹を目当てにもう一度見たら、けっこういいじゃん、これ。静かな音楽と入野自由の声のマッチングがいい。何より、セリフがいい。アニメっぽくない。つまり、「出てくる女の子がみんなキラキラしているので、女の子を目当てに観るアイドル物だ」って割り切ると、それ以外の部分が際立って見える。
聴覚障害者の女の子が可愛くて何が悪い、手話で会話するのはかっこいいぞと思えたしね。

(C)「メアリと魔女の花」製作委員会

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2017年7月 7日 (金)

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月刊GoodsPress 2017年8月・9月合併号 発売中
Decpwduiaas2l6■GP FRONTLINE
バンダイから発売予定の1/72ミレニアム・ファルコンの紹介記事を書きました。
この時はバンダイに質問状を投げただけで、テストショットも何も手元にありませんでした。だけど、第一作『スター・ウォーズ』のスクリプトに当たって、ちゃんとハン・ソロのセリフを引用しました。有名なキャラクターから興味を持たせるほうが、一般誌では有効な気がしたので。

反面、今月下旬発売のモデルグラフィックス誌では、キットの開発スタッフにがっちりインタビューしてきたので、コアなところを記事にしています。


レンタルでアントニオーニの『太陽はひとりぼっち』と、ベルイマンの『処女の泉』。どっちも学生時代に観ているはずなんだけど、今のほうが良さが分かる……なぜだろう? 特に、『処女の泉』の一部の隙もない構図、カットワークに目が釘付けになった。
11023_002日本でもアメリカでも、長い間、削除されたままだったというレイプ・シーン。左の画像のように、人物の後ろに木が倒れていて、画面に絶えず木の枝が入り込む。この画像では、仲良く昼食をとっているので、手前に障害物が入ることはない。ところが、男たちに行く手をはばまれた娘が、木をのりこえて逃げようとするため、その後のほとんどのカットでは、木の枝が斜めに画面を分断している。
セリフはひとつもない。印象だけでしか映画はつくれないんだと分かる。見たそばから、映画は過ぎ去っていくから。

もうひとつ、強烈なカット。娘が犯されているのを目撃した養女が、石をつかんで走ってくる。彼女は男たちを止めようとして、“カメラに向かって”猛然と走ってくる。つまり、映画を、娘が犯されているのを凝視している我々に向かって怒っているわけです。
そのカットが入るだけで、見てはならないものを見ている感じ、罪悪感が増幅する。優れた映画は、観客を共犯者にする。


「ゆらぎ荘の幽奈さん」の性表現「子どもに悪影響」だと波紋(
最初に、問題視されたカラーの画像を見たとき、「過激だな、やりすぎじゃないか」とは思った。だけど、買わないと見られない漫画誌の一部だけを切りとって「ひどい」と叩くのであれば、少年ジャンプでも成人向け漫画誌でも同じだよね。恣意的に一部だけ切りとった側が、実は卑劣ですよ。フェアじゃない。

いつものことなんだけど、告発し、批判した側が反対意見や罵詈雑言をくらうと「ほら、エッチな漫画を見て育った子供たちは、こういう大人になってしまう」と論理をすりかえる。気に食わない相手を叩き、嘲笑し、優位に立つための道具に、自分の嫌いな漫画表現を転用する。人として下劣です。
「ズリネタを擁護したいだけ」という発言も、よく目にする。オナニーは恥ずかしいもの、性欲は禁忌すべきものという前提に立っている。世の中を良くしたいのではなく、「世の中はひどい、救いがたい」と嘆いているだけだし、そのひどい世の中に便乗している。混乱と対立を煽っているだけでしょ? 性別関係なく、人として共感できないですね。


小学校一年生か二年生のとき、友だちの家で、美少女キャラが乳搾りされる漫画を見た。タイトルは思い出せないけど、家に帰ってから、「こんな感じだった」と思い出しながら、ノートに描いてみた。それが人生初の二次元コンプレックス的な体験だった。そのノートを友だちに見られてしまい、「俺が描いたんじゃないよ」と白を切ったところ、「本当はあの漫画が好きなくせに、恥ずかしいから誤魔化してる」と笑われたものだった。

漫画の内容に興奮したのは確かだけど、友だちに笑われたことのほうがショックだった。
そういう子供には、将来がないんですかね? 性犯罪者予備軍に数えられるんですかね?
「性的に乱れた漫画を見ると、子供に悪い影響が出る」という人は、子供をバカにしているし、その子供が思春期をくぐりぬけて、実社会にもまれながら大人として振舞わねばならない複雑な経路を想像できない。
果たして、僕の人生は取り返しがつかないんですかね? そんな話も、20日のイベントではテーマになると思います()。

(C) 1960 AB Svensk Filmindustri

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