2020年7月12日 (日)

■0712■

まだ20代で八王子に住んでいたころ、K君という変な友だちがいた。彼はいつもいきなり、フラリと僕のマンションに現れては、これからどこか知らない町へ遊びに行って朝まで映画を見ようとか、創造的で魅力的な提案をするのだけど、結局は僕だけがお金を払って翌日の生活がメチャクチャになってしまうのが常であった。彼のすることの中には犯罪行為も含まれているのではないかと思い、一度など警察を呼んだことさえあった。それぐらい、K君は危険で、だけど魅力的で、いつも言葉だくみに物事を誤魔化して逃げおおせる厄介な、憎い相手でもあった。
彼はアーティスト志望なのか、たまに彫刻のようなものを作っては近所の中古レコード店に売りに行ったりして、考えられないような極貧生活をおくっていた。


K君はたまに、身奇麗な女性を連れていることもあった。彼と同じように貧乏な人だったが、夕方になると路地裏の食堂でエプロンをきゅっと腰に締めていたので、そのお店で働いていたのだろう。彼女は無口で真面目で、たまに幼い子供を連れていたりもした。
僕はてっきり、K君の妻子だろうと思っていたのだが、そうではなくて子連れの女性がK君と恋人になった、というだけの関係のようだった。
もうひとり、K君には不思議な友だちがいた。作家だか哲学者だか、たいへんなインテリで、一緒に飲むと、難しいけれどとても含蓄ある言葉を口にするのだった。仮にJさんとする。


ある時、そのJさんと2人だけになった。僕はK君に日々翻弄されており、毎日とても疲れていると彼に打ち明けたかった。だけど、K君の名前を出してしまったら、またK君はそのことを逆手にとって、ずるく利用して僕を脅かして、ますます窮地に追い込むことだろうと容易に想像できた。
なので、Jさんには「俺の生活、今めちゃくちゃです」とだけ言った。するとJさんは珍しく快活に笑って、とても上手い言い方で「人間、そうそう困ったことには陥らないものだよ」という意味のことを答えた。「そうですね、めちゃくちゃってほどではないですね」「うん、そうだろう」とJさんは僕を励ましてくれて、ひとりで酒を飲みに行った。別れぎわにJさんの顔を見ると、老けた人だと思いこんでいたのだが、僕より年若いほどの人だった。おそらく大変な苦労をして、その過酷な経験が彼を実際以上に老けこませてしまったのだろう。そのJさんもまた、K君よりはマシであったが、それなりに窮乏生活を送っていた。

Jさんと別れた後もやはり、「八王子にこんな場所があったのか」と呆然とするような見たことのない貧しい路地に、僕はひとり残れされた。
酒屋でビールでも買って帰ろうとしたが、どんどん知らない路地に迷い込んでしまった。薄暗いトタン屋根と木々の向こうに子供たちが遊んでいて、その奥に青い海が切り取られた絵はがきのように広がっていて、その美しさに足を止めて、何枚も写真を撮った。
すぐ後ろにおばさんたちの話し声がしたので、彼らの生活圏に足を踏み入れてしまったのだろう。驚いたことに「○○漁協」という看板が見えた。こんなところに漁港があったのか。

それは不気味で神秘的で、だけど魅力的で僕を解放してくれる、不思議な明け方の夢だった。すさまじい極貧生活で気味の悪い場所ばかり出てくるのだが、決して忘れてはいけない事のように思えて、ICレコーダーに夢の中でのことを吹き込んだ。

| | コメント (0)

2007年5月29日 (火)

「図書館まで250メートル」

歩いて15分ほどのところに落ち着いた感じの古本屋があり、午後4時過ぎ、どうしてもそこに行きたくなったので、白いポロシャツをひっぱり出した。
食事もまだだったので、古本屋の先にある中華料理屋にも立ち寄ることに決めて、ヨレヨレになった革靴を履く。

斜めに交差した横断歩道を、風船を両手に三つずつもった女性が歩いてくる。強い西日に眉をしかめながら、子供たちに風船を手渡す。彼女のジャンパーの後ろには、携帯電話会社のロゴ・マークがプリントされていた。
今日は日曜日だ、と気づく。
横断歩道の向かい側に、サッカーのユニフォームを着た少女が二人並んで立っていた。一人は腕組みをして、もう一人は右足に重心をかけて信号待ちをしている。もうずっと、何年もこうやって信号待ちをしてきたんだ、日曜日のたびに。そんな貫禄がただよっていた。

駅前は混みあっていたが、もっとも大きな横断歩道を渡りきってしまうと、ちょっとずつ人通りが少なくなっていく。そして、いくつ目かの信号で、ゆるやかな坂道が目の前を横切る。このあたりまで来ると、自分が一人で歩いていることが急に意識されはじめる。妙な充実感が、つま先まで満ちてくる。
ふいに、自分が何ひとつ荷物を持っていないことに気がつく。それに気がつくために、ここまで歩いてきたのだ、という気すらしてくる。

通りの先には、やけに静かなたたずまいのスーパーがあって、そこを過ぎたところに例の古本屋はある。日曜日なので、客が多い。みんな、店の前に並べられたインテリアだとか陶磁器だとかの雑誌に見入っている。
店内は、こんな晴れた日でもしっとりと薄暗い。店の奥では、いつも神経質そうな女性がパソコンをにらんでいる。何をいくらで買っても笑顔ひとつ見せないのだが、その人が本好きであることだけは分かるので、悪い気はしない。6列並んだ本棚から、一冊の小説を取り出した。背表紙には『楽園ニュース』と印刷されている。カバーをめくると、消え入りそうな文字で「1,400円」と鉛筆書きされていた。

本屋から歩いて数分のところにある中華料理屋に入り、清潔な木製カウンターの上で『楽園ニュース』を開いた。物語は、空港のロビーから始まる。もう一年近くも飛行機に乗ってないな、と思いながら料理が来るのを待つ。
食事を終えて、外に出た。まだ明るい。なんとなく帰る気持ちになれず、料理屋の先にあるT字路に立ち尽くした。「図書館まで250メートル」と書かれた青い看板が、街路樹の下に見えた。ふいに、後ろから自転車が追い越していく。ベースボール・キャップをかぶった女の子だ。彼女は青い看板の前で右に折れると、図書館の方へまっすぐ走っていった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月 6日 (日)

「フォークストン・モデラーズ・コンペティション」

「私たちは、“腕っこき”なんです」。女の子がそんな言い方をするのは嫌いなんだが、とにかく彼女はまだ15歳なので、反論はやめにした。
ジャバ・ザ・ハットの造形物なら、高校生の頃に粘土とパテでつくったことがあった。その頃、俺はあんた方よりちょっと年上だったが、当時は材料も資料もとぼしくてね。何度も映画館に通ったよ。そうそう、俺が初めて女の子と観た映画が『ジェダイの復讐』だったんだ。そう言うと、彼女はちょっと哀れむような感じの嫌な笑い方をした。おいおい、ホントなんだぜ? 俺は頭をかきながら、彼女たちのブースを後にした。まあ、頑張ってくれ。コンペの締め切りまで8時間。15歳だろ。ならば、時間は君らに味方してくれる。三人がかりなら、きっと間に合うよ。
彼女は制服のそでをまくり上げると、仲間たちに指示を出しはじめた。

映画に出てくるジャバ・ザ・ハットを造形したのは、スチュアート・フリボーン。ヨーダの最終的なデザインを決めたのもフリボーンだ。彼は天才だった。今でも天才だ。
ヨーダのモデルは、彼自身とアインシュタインだったんだ。賢者は、賢者をモデルにつくられたってわけだ、知ってた? もっとも『帝国の逆襲』が公開されたころ、あんたのお母さんは小学校か幼稚園だったと思うがね。
さて、どうだったでしょうか。そんなことを言いながら、バーテンダーはグラスを磨いている。
『スター・ウォーズ』がだめなら、『サハラ戦車隊』の話をしようか? ハンフリー・ボガート主演のやつ。撤退戦の映画だ。最近は、撤退戦という言葉が好きで、仕事の席でもよく使う。肯定的にね。この言葉だけは、若いやつには使わせん。
二杯目のマティーニが空になったので、俺は部屋に帰ることにした。「四分たてば、僕は30」とホテルの廊下で鼻歌をうたった。「ワインとマティーニ、どっちを選ぼうか

翌朝、二日酔いのままコンペ会場に行った。
俺の顔を見るなり
、彼女は目をふせた。「Hさん、お引取りください」。おいおい、実物大のジャバ・ザ・ハットはどうなったんだ?
「出来ませんでした」。出来なかっただって? 俺は、とにかく彼女たちのブースに向かった。カポックの削りカスでいっぱいだった。作業机の上には、カエルとナメクジのあいの子のようなクリーチャーが横たわっていた。そいつは確かにジャバ・ザ・ハットに似てはいたが、まず鼻の位置が違う。ハットは、左右で鼻の高さが違うんだ。映画をよく見ろ。背中の解釈もぜんぜん違う。レイア姫が、ハットの首をしめるだろ? セール・バージの船内でレイアが、ハットの体を飛び越える。あそこでちょっとだけハットの後姿が映るんだ。
ともあれ、未完成の状態ではコンペに出品すらできない。他のチームは、ちゃんと塗装まで終えている。俺は審査員ではなく、ただのインストラクターだ。伝説のジェダイ騎士の言葉を借りると、こんな立場だ。「私はあなたをお守りすることは出来ます。しかし、あなたのために戦うことは出来ないのです」。

俺は会場を出た。雑誌に出ているような“腕っこき”の造形家が優賞するのは目に見えていたからだ。
非常階段でタバコを吸っていると、彼女がやってきた。「表彰式には出ないのか?」 彼女は黙ってうなずいた。「このタバコを吸いおえたら、俺は帰る。もう戻ってこないぞ」。
「昨日は、もうしわけございませんでした」。作業の邪魔にならないようにするためだろう、彼女は長い髪を乱暴に後ろで結んでいた。髪にはカポックのかすがこびりついている。まず、ホテルに帰ってシャワーを浴びろよ。午後いっぱい眠れば、元気も出るさ。
「もっと、Hさんのつくったジャバをよく見ていれば、完成率も上がったと思うんですけど……」
「おいおい。あれは23年前につくったシロモノだぜ?」
「あの実物は今……」
「アメリカにある」
「アメリカ?」
嘘じゃない。俺がつくったジャバ・ザ・ハットのミニチュアは、日本のコレクターの手を通して、アメリカに送られた。ケナーやハスブロのフィギュアと一緒に、貸し倉庫にでも叩き込まれているんじゃないだろうか。
彼女は名刺を差し出した。「私、会社もってるんです。造形だけでなく、デザインとかいろいろ……これを機会に、今後いろいろ教えていただれば」
いろいろ。いろいろか。便利な言葉だよ。会社って15歳でつくれるもんなのかねぇ。
「悪いが、若いやつが起業で失敗した例は、いやってほど見てきたんだ。そんなことより、来年のコンペの出場手続きでも……」 自分でも、どれだけ退屈なことを言っているかは分かっている。
彼女はおとなしく名刺をひっこめると、ラッキーストライクの小箱を取り出した。そして、束ねていた髪をほどくと、なれた様子でタバコに火を点けた。「大丈夫です。これを吸いおえたら、もう“ここ”には戻ってきません」。
俺は自分のタバコを吸い終わったので、彼女を残して非常階段を降りていった。彼女はそっぽを向いたまま、フゥッと細い煙を吐いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月19日 (水)

「茶的時間」

  コーヒーがふたつ運ばれてきた。僕のはホット。彼女のはアイス。僕はウェイトレスが彼女の前に置いたガムシロップの容器を無言で手に取ると、手がべとべとになるのも構わず自分のコーヒーカップの中に注ぎこみ、細長い袋に入った砂糖もすっかりカップの中にぶち込み、乱暴にスプーンでかき回した。

 「大嫌いなんだ、コーヒーが」

 「あなたは、子供のようだよ」

 彼女は表情をかえずに繰り返した。「あなたは、子供みたい」

 僕は自分の行為について考えた。どうして喫茶店に入ると好きでもないコーヒーを頼んじまうんだろう? それはきっと習慣だ。喫茶店にはいつも仕事で人と会うときに入る。だから、社交辞令だな。コーヒーを頼むというのは。今は仕事でもないのに習慣でコーヒーを頼んでしまった。そのことに苛立っていたのだ、僕は。その気持ちを彼女に伝えようかと思ったが、片言の日本語しか話せない彼女に理解できるとは思えなかった。僕らは無言を、沈黙を飲み干すため、こうして何時間も向かい合う。ただそれだけの関係だった。

 「ねえ。日本語でオオカミという字は?」

 不意に彼女が尋ねる。紙ナプキンとボールペンを僕の目の前に差し出す。さあ、今から手品を見せてよ。そんな雰囲気だ。

 「これ。これで、オオカミと読む」

 僕は「狼」と書いたナプキンを彼女に差し出す。彼女は首をひねっている。キツネにつままれたように何度も首をひねっている。「狐」とさらに書き加えた。

 「キツネ」

 「ああ、キツネは分かるよ。日本にオオカミいる?」

 どうだっけ。剥製なら見たような気がする。

 「ニホンオオカミというのがいたけど、今は絶滅した」

 「ぜつめつって?」

 「滅んだ。一匹もいなくなった」

 彼女が紙ナプキンを差し出す。僕は「絶滅」、その下に「zetsumetsu」と書いた。ふうん、と彼女はうなずく。たまに饒舌になったかと思えば、こんな話ばかりだ。きっと彼女にとって沈黙も饒舌も関係ないのだろうと僕は思った。家族もない。自分の国に帰るつもりもない。将来の夢もない。「だったら、せめて僕を上海に連れてってくれないか? 旅費は出すから、案内してくれよ」 会ったばかりの頃、そう頼んだことがある。「今年は無理だから来年ね」 彼女にとっては今年も来年も変わりがないのだろう。

 「ねえ、ぜつめつの反対は何?」

 「はんえい」

 僕は答えると同時に、ナプキンに「繁栄」と書いた。今の僕らにもっとも関係のない言葉だ。まるで外国語だ。そんな投げやりな僕の字を見て、彼女は「ああ」と声をあげた。

 「この言葉なら、知ってるよ」

 「ふぅん。きみの国にも繁栄はあるのかい?」

 彼女は黙ったまま漢字でいっぱいの紙ナプキンを驚くほど丁寧にたたむと、革の財布にしまって、それから勝ち誇ったようにうなずいた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月27日 (月)

「熱帯魚」

 私たちは、ごく小さな街に暮らしていた。だが、越してきて間もなく再開発とやらで駅前に小綺麗なデパートが出来た。安いマンションに暮らす私と妻は、寝具売場で買えるわけでもないベッドに横になったり、最新のデザインの冷蔵庫を品定めしたり、そのデパートをちょっとした遊び場にしていた。

 小さな街だったから、知り合いにもよく会った。デザイナーの女友達は結婚前からの知り合いで、独り身だが明るく、ショートヘアの良く似合う美人だった。だが、妻は私が彼女に軽く好意を持っていることを察してか、あまり彼女と話すことはなかった。

 年の瀬も迫った頃、私と妻は連れだってデパートへ向かった。もう日が暮れかけていたが、帰宅時間なので人通りは多かった。広場の一角にテントが設けられ、消費者救済云々、と書かれていた。私は何のことかと首をひねったが、妻は「あんなのサラ金じゃないの、ねえ?」と口をとがらせた。どうやら生活の苦しい人に金を貸し出す機関のようだった。私たちも暮らし向きは明るくなかったので、妻のいらだちは分かった。

 デパートの2階に広場が直結していて、プラネタリウムの投影機を模した大きなオブジェが飾られていた。非常に凝ったつくりで、星座盤がいくつも埋め込まれているのが、エスカレーターからよく見える。店内に入ると、天井から『アジア映画の全貌』と書かれた看板が下がっていた。妻は、私が学生時代に映画を専攻していたことを知っていたので、「ああ、たまに上映会みたいの、やってるね」と反応した。が、私が映画に再び没入することを警戒してか、その声は冷ややかだった。私は、以前なら一人で駆けつけただろうにな、と心の中で苦笑した。

 今日は寝具売場を冷やかすこともなく、エスカレーターを乗りついで屋上へ向かった。小さなジェット・コースターのような乗り物が出来たというので、妻と乗るつもりだったのだ。それを聞かされた妻は、「うん、一緒に乗ろうね」と嬉しそうに手をつないできた。確かに、生活に追われている私たちには、ささやかで久しぶりの娯楽だった。

と、同じエスカレーターに例のデザイナーの女友達が乗っているのに気がついた。彼女は相変わらず一人だったが、やはり屋上の乗り物に乗りに来たのだそうだ。好奇心に溢れ、こうした新しい刺激を一人ででも楽しもうとする彼女が、私には眩しくすらあった。妻が強く私の手を握ったので、女友達は冷やかすようなことを言って、快活に笑った。

 屋上のひとつ下の階では、何とかいう南洋の魚の展示会が行われていた。女友達は、妻と私をその展示会へ誘った。それは確かに珍しい魚だった。綺麗なピンクと白のまだら模様で、エイのように平べったく、タコのくちばしに似た排水口から水を吐いて、素早く泳ぐことが出来た。私はテレビでも、こうした珍しい生物を見るのが好きだった。今日はこの南洋の魚にショーをやらせるという。魚のショーはなかなかの見ものだったが、見物客は私たち3人だけだった。飼育係の青年が、懸命に盛り上げようと、魚に何度もジェット水流をやらせていた。「さあ、もう一頑張りだ!」などと呼びかけていたが、水の中で声が聞こえるのか、魚に識語能力があるのか、私は懐疑的になった。

だが、女二人は水槽の高さに腰を低くし、「可愛い!」と喜んでいた。魚は我々の手前まで泳いできて、大きなヒレをぱたぱたと振ってダンスのような動きを見せた。彼女たちは拍手をしたが、私は魚の突き出した目が面白いなと思う程度だった。だが、彼女たちの拍手に飼育係の青年も嬉しそうに笑って、魚の名前を呼んだ。「よく出来た、○○ちゃん!」

小さな水槽の中で健気に芸をこなす南洋の魚。仲間はいない。広い海洋も知らない。

私は、妻と女友達がしているように腰を低くし、次に魚が芸をしたら、拍手をしようと決めた。

----------------------------------------------------------------------

この夢を見たのは、別れた妻と知り合うずっと前のことだった。
ここに出てくるショートヘアのデザイナーというのは、今は旅行作家になっている元・友人(結婚したときに絶縁された・笑)を百億倍ぐらい美化した感じ。
実際に、妻とその元・友人が出会うことはなかった。

鼻筋がつーんと痛み、頭の後ろをコンとやると涙が出そうだ。昨夜、離婚以来はじめて「哀しい」という心情を味わった。痛恨、という感じだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年2月19日 (日)

「夜」

 名字は平凡だったのか聞いたそばから忘れてしまったが、確か名前は「さえ」といった。「え」は「絵」と書くのだと教えられたので覚えていたのだろう。

 くるくると巻き毛で、美人だが目立たない顔をしていた。声も小さく、聞かれた事だけを丁寧に答えた。

 その夜は電車がなくなるまで飲み、彼女は歩いて自分の家に帰った。私は行くあてもなく暗い住宅街をさまよった。途中、忘年会か何かの一団に出くわした。彼らのふざけようが幼稚に過ぎたので、喧嘩でもしかけようと思ったが、私の足は何となく駅に向かった。

 途中の公衆電話から女友達に電話した。酩酊していたので、よく覚えていないが「さえ」の魅力を熱っぽく語ったようだった。電話の相手は「でも、彼女とは多分もう会えないよ」と妙な確信を込めて言った。何かゾッとした私は、その言葉を打ち消すように力強くアスファルトを歩き続けた。夜の街を歩くのは慣れていたので寂しくはなかった。

 そうすると、いつの間にか「さえ」が隣を歩いていた。なぜ彼女が私を追って来たのかは聞きそびれた。私たちは細かく入りくんだ路地を黙って歩いた。暗闇の待つ狭い階段を先に立って上る彼女の後ろ姿をよく覚えている。

 その界隈は、どこか本郷あたりを思わせるものだった。「今度、下町に散歩に行かないか?」と私は誘ってみたくなった。その時「多分もう会えない」という言葉が浮かんだので、私は黙ったぎり「また次の機会に誘えるさ」と根拠もなく言い聞かせて不安を打ち消した。

 駅に近づくと、いくらか明るかった。24時間営業のコーヒーショップがあったので、私たちはコーヒーを立ち飲みしながら、静かに話をした。そこで初めて、彼女が創作人形のモデルをしている事を知った。人形作りなら以前の私の生業だったので、少し嬉しくなって「どんな画材で色を塗るのだろう?」と聞いた。彼女はバッグから箱入りのパステルを取り出した。妙に粉っぽいので「本当にこれで塗れるのかい?」と私は問い直した。彼女は困惑した様に「先生方はこれを使ってらっしゃるから……」と曖昧な笑みで答えた。

 会話の途中で、私は急に「さえ」と会えなくなる事の意味がありありと分かった。それは余りに明らかで絶望的だったので涙が溢れた。無駄だと知りつつも、私は彼女の名前を二度ばかり呼んだ。

-----------------------------------------------

以上の夢の場合、最後の最後で「ああ、これは夢なのだ」と気がついたところ、そして実在の女友達と夢の中から電話で話せたこと(マトリックスかよ……)が画期的である。
ところで、以上のようなシチュエーションを僕は人生の中で数限りなく体験しているのだが、女にフラれて始発電車まで夜の街をさまよったことのない男など、童貞と同義である。
孤独で惨めで泥まみれの朝を知らない男は、本当の勇気を手に入れることは出来ない。
しょせん、導いてくれる精霊は夢の中にしか現れない。二日酔いに耐えながら毎日を有意義に生きるのだ!(と、自分を元気づけてみたり)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月 4日 (日)

「清掃作業」

 清掃のバイトは楽だった。ビルが大きすぎて監視が行き届かないため、サボり放題だったからだ。夕方、屋外に出るとチケット屋だとかクレープを売る店だとかが賑わっている。その界隈を通り抜けて広いバルコニーから刻々と暮れていく夕空を眺めるのが、日々の贅沢だった。何より、都心から隔絶された埋め立て地のアミューズメント・ビルというのが、孤独癖のある私にとっては奇妙にロマンチックに感じられたのだ。

 ビルは不思議な構造をしていた。貝殻の様に螺旋を描いているので、我々はよく道に迷った。仕事が深夜に及ぶと電源も落とされ、「昔、ここは墓場だったらしい」という常套的なおびやかしが笑いを誘った。デッキブラシ片手に「昔、ここは刑場だった」と唱えれば笑いが噴き出し、たとえ一晩の間ビルから出られなくても、同僚と愉快に過ごせた。


 仕事を終え、地階に通じるエレベータへ乗った。時刻は0時近かった。エレベータの扉は透明で、地下に着いた瞬間、もぞもぞと動く彼女の姿が見えた。厚手のカーディガンを着ていた。もう、そんな季節だったのだ。

 「迷ってしまって……潮留駅まで着ければいいんですけど」

 おそらく何時間も地階をさまよったのだろう、彼女の目は赤く腫れて、短い髪はかきむしったように乱れていた。右手には、デッキブラシ。新入りのバイトだと私は看破した。

 「大丈夫。外に出るにはコツがあるんだよ」

 私は、エレベータを降り、狭い物置から通路に出た。一般の客は立ち入らない近道だ。ウォーターフロントのビルには似つかわしくない古い真鍮製のドアノブを回す。その時だ。「これは変じゃないか?」と私は思った。こんな時間に女性清掃員が残っているなんて。ローテーションで深夜に女性のバイトは入れないようになっているはず。しかも、清掃員は二人コンビが原則なのだ。好んで居残っていた私ならともかく、こんな時間に女一人とは、いかにも不自然に思えた。

 「昔、ここは墓場だった」

 例の常套句が浮かび、よもやと彼女の横顔を見た。血色はよくない。だが、瞳は澄んでいる。そして、見るのがつらいぐらいに疲れていた。

 思い出しても不思議なのだが、私は全く迷うことなく扉を開け階段を上り、広いガラス窓の玄関まで彼女を導くことができた。のみならず「階段が長すぎると思ったら引き返すこと。地階から一階へ出るには、昇りばかりとは限らない」と、彼女にヒントを与えたりもした。この複雑なビルの構造をある程度まで把握していたとはいえ、多分、私は妙に張り切っていたのに違いない。
 途中の物置にデッキブラシを置くように言うと、彼女は躊躇した。

 「これ、別のフロアから持って来ちゃったやつなので……」

 「いいんだよ、誰にも分かりはしないから」
 柱のかげに、そっと隠すようにデッキブラシを置いて戻ってくると、彼女は初めて小さく笑った。

 ガラスに仕切られた表玄関の外は、広い公園の先にモノレールの駅があるだけだった。ここまで来れば、迷うことはないだろう。暗い芝生のあちこちに、街灯もある。

 「あの、出来れば潮留駅まで……」

 送って欲しいという意味だったのだろうが、「駅はあっちだから」、そんな調子に答えて、私は彼女と別れた。しかし、とてもモノレールのある時間ではない。私はビルに帰って仮眠したが、彼女は灯の消えた駅に向かって、一人で公園を歩いて行ったのだろう。あの疲れた目で道を確かめながら。

  私は、彼女と二度と出会う事もないまま、清掃のバイトをやめた。やめた後もしばらく、時々そのビルへ来ては、バルコニーから夕日を眺めた。すぐそこのチケット・ショップで、手に入れたい上映会の券が売れ残っているのを知っていたが、いつも買いそびれて手ぶらで帰った。


------------------------------------------------------

 この文章を掘り起こして思い出したのだが、大学の頃にちょっだけ深夜清掃のバイトをしていたことがあった。ただひたすら無意味だったあんな体験を、いちいち覚えている脳というのは偉い。

 この文章を書いたのはかなり昔のことだが、今になってちょこちょこ手を加えるのは楽しい。くすぐったい感じがたまらん。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2005年11月28日 (月)

「A.M9:40」

寝てました?

ごめんなさい

いい天気ですね

え? 誰でしょう?

あのね 今ね いい天気を見たい人と「いい天気ですね」って言いあってるの

あら 私 間違えました?

名前 聞かせてくれますか?

いくつですか? 0426は分かってるんですよ

もう1本 飲もうかな?

へへへ キャリア・ウーマン

市内です 八王子

テレビかえていいですか?

ごめんなさい

日曜日? アハハ、日曜日だっけ?

貴方も昼間から飲むの? どうして?

むっかつくーこの女って思ってんでしょ

でも もう少し貴方の声を聞いていたいなーなんて

ごめんなさい

むかついてます?

あはは 落としちゃった

聞いてます?

あのね 聞いてもいいですか? ひとつだけ

あなたは、何が楽しくて毎日生きてるの?

私なんて もう死んじゃってもいい

ごめんなさい

むっかつくーこの女って思ってんでしょ

今はねぇ 弱くなってもいい時だから

あ 嬉しいですねぇ そんなこと言ってくれるなんて

あれ なくなっちゃった

私なんて そんなこと言ってもらえる女じゃない

えーとね 富士山が見える ほか?

ちょっと待ってくれます?

こんな時じゃないとね 思ってることも言えないの

私ね 今いちばん話したい人と話してるんだなーって

あのね 今 いまひとつだけ力をふりしぼって言わせて下さい

今ね この時間が大事だって

むっかつくーこの女って思ってるんでしょ

お酒飲むとね どうでもよくなっちゃう もうどうでもいいなって

もっと飲みたくなっちゃった

会おうか?

オーケーオーケー あはは

え? ビールですよ

そう言ってくれる人がね そばにいてくれたらなぁ

んー 大丈夫よ

3の870…5の8 あれ 分かんない

あはは はい どうぞ

ごめんなさい

会おうか?

仕事は仕事 お酒はお酒です

むっかつくーこの女って思ってるんでしょ ブンナグリテーとか

あーあ まったくウザッテー 迷惑だ早く切りたいって

うん 言ってもいいよ 言ってもいいけど

まだ ここにいてくれますか?

ごめんなさい

あ もうなくなっちゃった

もしもし ちょっと待っててね

行きますよ

え? そーです あはは

ありがとうございます 話し相手になってくれて

オーケーオーケー なんでしたっけ?

スリーツーワン、ハイ


----------------------------------------------------------------------

この間違い電話に起こされた日曜日、僕は28歳かそこらだったと思う。
僕も酔っ払いだから、彼女に嫌悪は感じなかった。とにかく、もう飲むのはやめて早く寝て欲しかった。
こんな泥まみれの朝なら、僕自身もう何度も体験していた。だから、彼女を叱る気にはなれなかった。
ろくでなしを理解できるのは、ろくでなしだけだ。それで何が悪いっていうんだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月21日 (月)

酒とオモチャが大好きだった

 「おい、見てくれよ、コレ。まるでジャガイモだろ?」
 苦笑しながら、Oさんは『2001年 宇宙の旅』のディスカバリー号のガレージキットを箱から取り出す。
 「完成させてくんないかな、これ? 酒おごるからさ」
 当時、僕はプロのモデラーとして稼いではいたが、このディスカバリー号は難物だと直感した。ジャガイモを宇宙船に出来るほど、僕は起用じゃない。丁重にお断りして、そのジャガイモをOさんの手の中に戻した。が、結局、Oさんは酒だけはおごってくれた。場所は、いつもの池袋だ。
 酔っ払ったOさんは、「じゃあさ、キャンティーナのフィギュア、作ろうぜ」と身を乗り出した。『スター・ウォーズ』第一作に登場する酒場(キャンティーナ)の異星人バンド。当時のフィギュアメーカーからは、こいつらのフィギュアだけは出ていなかった。だから、偽モノのフィギュアを作ってマニアたちを驚かせようというのだ。
 「パッケージは俺がつくるからさ、本職の腕を生かして合作しようぜ!」
 そう、Oさんの職業はグラフィック・デザイナーだったのだ。歳の頃は30代半ば。ショーケンに似ていて、アマチュア・バンドのボーカリストを担当するロックな中年だったが、彼の本当の宝は事務所の隣に借りた狭い倉庫に眠っていた。
 そのカビくさい一室には、世界各国のマニアとトレードして集めたスター・ウォーズのトイがギッシリと整理されていたのだ。ひとしきりコレクションを自慢したあと、Oさんは深い溜め息をついた。
 「この倉庫の維持費で隣(事務所)が傾いてんだ……まあ、いざとなりゃコレみんな売っぱればいいんだけどさ」。

 ある日、彼の事務所に遊びに行くとAT-AT・スノーウォーカー(『スター・ウォーズ』に登場した四脚戦車だけど、Oさんは“アト・アト・ウォーカー”と呼んでいた)のトイが鎮座していた。全長40センチはあっただろうか。
 「どうだ、いいだろう? さっきアメリカから届いたとこでさあ……」
 彼は、腕を組んだりアゴ髭をいじったりしながら、“アト・アト”をさまざまな角度から眺めていた。オモチャと酒。それを前にしたときのOさんは、まるでプレゼントにかこまれた誕生日の子供だった。だが、僕は余計な事を口にしてしまった。
 「Oさん、この頭部のミサイル、欠けてますね。一本しかないよ」
 「おい、嘘だろ? その辺に落ちてない? お前も探せ」
 でも、ミサイルは見つからなかった。Oさんは眉間にしわを寄せ、数分間も黙り込んでいた。ミサイル一本欠けているだけでコレだ。本当に浮き沈みの激しいオッサンだった。
 そこへ、救世主が現れた。やはりフリーのデザイナーをしているOさんの弟である。弟さんは英語がペラペラだった。Oさんは、直ちに弟さんに国際電話をかけさせた。海外のコレクターに当たって、ミサイルの揃った新品の“アト・アト”を取り寄せるためだ。電話中の弟さんの横で、Oさんは「ミサイル…ミサイルが2本揃っているか聞け…ミサイル…」と呟き続けていた(日本語で)。弟さんの熱心な交渉の末、完璧な“アト・アト”入手の商談がまとまった。笑顔の戻ったOさんは、
 「な? 英語って便利だろ? お前も習っておけよ。せめて、英語のできる奥さんと結婚しろ。な?」
 そういうOさんは、もちろん一言も英語を話せないのであった。
 「んじゃ、飲みに行くか!」

 「コイツと組んでさー、スター・ウォーズの偽オモチャ作るんだよ」
 飲みに誘った友人たち(たいていは音楽業界の人だった)の前で、Oさんはいつも口癖のように言っていた。ところが、僕の方はあまり気がすすまなかった。10センチ程度のフィギュアとは言え、原型を作るのは大変な手間なのだ。当時の僕に遊びでフィギュアを作る余裕は、とても無かった。「材料を探しています」とか、苦しまぎれな言い訳ばかりして結局は手を動かさなかったのだ。そうした引け目もあって、彼の事務所からは次第に足が遠のいていった。

 それから半年ほど経ったころ、Oさんから引っ越し通知の葉書が来た。葉書には、Oさんが“TOY”と書かかれたダンボール箱を持って走る洒落たイラストが描かれていた。その時は、またいつでも飲みにいけるだろうと思っていた。
 さて、都内から郊外のマンションに転居して時間に余裕の出来た僕は、久々にOさんの事務所に電話してみた。しかし、電話は止められていた。引っ越したはずの新居にも、どういう訳か電話は繋がらなかった。事務所の近くに用事があった時に立ち寄ってみたけれど、人の気配はなかった。
 “TOY”の箱を抱えて消えてしまう前に、キャンティーナのフィギュアを作ってやれば良かった、と僕は心から悔やんだ。あのオモチャと酒の日々から10年、キャンティーナのフィギュアも正式にメーカーから発売されてしまい、僕たちの企てもついえた。
 Oさんの事務所で彼の仕事を手伝っているとき、ふとOさんは窓の外に目をやって「世間は休日かー」と呟くことがあった。僕らフリーランスは“世間”から隔絶されていることが誇りであり、誇ったからには“世間”で死に場所を選ぶべきではないのかも知れない。

----------------------------------------------------------------------

数年前、映画『ブリスター!』の公式サイト用に書いた文章をリライトしてみた。
このOさんが、映画ではテラダというキャラクターとなって登場した。
テラダは中年なのにスケボー持ってたりして、本当にカッコいいキャラだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年11月17日 (木)

「木々」

 その家は繁茂した樹木の奧にあり、薄暗い中にコンクリートの壁が陰鬱に見え始めると、私はいつも見知らぬ誰かの庭に入り込んだ様な罪悪感に近い気持ちに陥るのだった。

 その日は、彼の恋人を私の仕事仲間のパーティーに連れていった帰りだったので、いつもに増して罪に似た気持ちを感じながら門をくぐった。彼女は常に私に寄り添い、

「インテリですよね、彼は」

などと快活に私の仲間に話しかけ、

「こんな感じでいい?」

と目で確かめてくる。もちろん、列席した誰もが彼女のことを私の恋人だと信じ込んだだろう。私は目上の編集者に適当な挨拶をすると、

「これから、彼女と約束がありまして」

と早口に言いつくろって、パーティーの場を辞した。もともと来場したくもなかったのだ。その言い訳のために、友人の恋人を拝借したのであった。

 私の恋人役を演じてくれた彼女を友人に返すために、こうして鬱蒼とした木々をくぐっている。こうした罪悪感は、しかし気持ちの悪いものではなかった。彼女は知らない人々と言葉を交わして高揚しているらしく、帰りの車中でも喋りっぱなしだった。

 「最近、あなたの記事ばかりでしょう? この人、雑誌であなたの名前を見るたび、オエッなんて言うの」
彼女は、私に笑いかけた。友人は、その会話を無視していた。

「何がオエッ、なんだよ?」
私は日の落ちかけた窓際で沈黙している友人に問いかけた。私が彼女を連れ出したのが気に入らないのだろうか。

「君の恋人なら、こうして返しに来たじゃないか」

「次に借りるときは、断らなくていい」
彼は怒っている風でもなかった。その朴訥とした言葉には、むしろ不思議な親しみが感じられた。

 ともあれ、彼は何か用事でもあるらしく、どこかに出掛けてしまった。彼が居なくなると、さっきまで数人の人間が思い思いに話していた部屋が、急に深閑と静まった。そんな錯覚を起こさせるほど、彼の家には常に何人かが出入りしているのだった。彼の弟、そのバンドの仲間たち。どこで知り合ったのかファッションデザイナーの卵、以前に働いていたプロダクションの先輩、などなど。彼も彼女も社交的で、誰とでも平等に言葉を交わす……

 ランプシェードが、プリンの様なクリーム色の光をぼうっと灯している。酔ってでもいるかのようにご機嫌な彼女は、何か食べるものを買ってくると言って、車で出ていってしまった。私は、この広い家で留守番をする羽目になった。

 危惧した通り、しばらくすると彼女から電話があった。道に迷ってしまったので、もう少し待っていて欲しいという。慌てていても陽気な彼女の声を聞いて笑いが出た。

「ゆっくり帰ってきなよ」
私はそう答えた。

 私は、すっかり闇に沈んだコンクリートの家を出ると、門の前に座って彼女の帰りを待つことにした。彼女が買ってくるであろう外国製のチーズやクラッカーの銘柄を頭に思い浮かべながら。

 この家の隣は鉄柵に囲まれた教会だと私は知っている。四方から虫の声が聞こえている。少し眠い。携帯電話はポケットに入れてある。もし眠ってしまっても、彼女からの電話が起こしてくれる。座ったまま振り返ると、陰鬱な林の奧にコンクリートの壁が微かに見えた。


----------------------------------------------------------------------


この夢に出てくる友人は、実は先日の日記に出てきたメグロくんだ。
こんな風に、僕は彼と彼女の暮らしの一番外側に触れていたような気がする。
(もちろん、ディテールは粉飾してあるし実体験ではない)
この文章を読み返してみると、ドラマの始まる一歩手前でプツン、と途切れる雰囲気が自分は好きなのだと思う。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧