■ジンバブエ旅行記-7■
■11/7-1 ノーマテンバー
昨夜は、ザンべジ・ビールとポテトチップを食べて、間もなく眠ってしまった。
ホテル“Lynn's Guest House”の主人は、ジェームズ・アール・ジョーンズ風の渋い男であった。22時30分という深夜に着いたのに、まるで怒らず、三つの部屋からひとつを選ばせてくれた。
小屋のような部屋を出ると、外に保温されたお湯とミルクが用意してあった。コーヒーを淹れて、ゆっくり飲んだ。
そこは、暗闇を抜けなくてはたどりつけない光の世界で、風が葉っぱを揺らす音、さまざまな種類の鳥の鳴き声だけが聞こえていた。
約束の10時に、朝食の用意されているコテージへ向かった。すると、メイドさんが「卵はどう料理しますか?」と聞きにきた。目玉焼きにしてもらった。「水は要りますか?」と聞かれた。水道水ではなく、ポリタンクに入ったものを運んできてくれた。
パンだけは自分でトーストしたので、焦げてしまった。この朝食、たった10ドルである。
メイドさんは、上目づかいで睨むような目で、早口で会話を切り上げる人なので、何か怒っているのだろうかと怪訝に思った。料理は温かく、素晴らしい味だった。
「これですべてよろしいですか?」と、メイドさんが踊るようにして部屋に入ってきた。すっかり笑顔になっている。フワッとスカートが舞って、花びらのようだった。「もちろん、とても美味しい」と、僕は答えた。彼女は静かな笑顔を湛え、背筋をのばして凛として遠くを見つめながら、「私の名前はノーマテンバー」と告げた。
その自信にあふれた態度に、僕は呆然と見とれた。「ノーマテンバー……」と繰り返すと、彼女は遠くを見たまま、「イエス」と静かに、はっきりと答えた。
僕は、天国はこのような場所であってほしい、と思った。
ノーマテンバーを遠めに見ると、特に容姿が優れているわけではない。大胆な表情の変化、風景や空気、天気や年月までもが彼女の美しさに味方しているような、世界そのものが美しく、ノーマテンバーはその一部である……とでも言えばいいのか。
ジンバブエで出会ってきた女性たちすべてが、巨大なひとつの癒しであるような気がする。間違いなく、僕は魂の一部を切り取って、あの国に残してきた。それは今でも、ものすごい力で僕の心臓に逆流しようとする。
「思い出すと胸がドキドキする」って、そういうことだと思う。
■11/7-2 ブラワヨ発、ハラレ行き
さて、ブラワヨ発ハラレ行きの飛行機は15時半に出る。13時には、空港に着きたいと思った。そこで、主人にタクシーを呼んでほしいとお願いした。
しかし、待てど暮らせど、タクシーはやって来ない。「タクシー、遅いですね」と言いに行ったら、「えっ?」という顔をされた。主人は言いづらそうにしていたが、バウチャーに「空港への往復シャトル、25ドル」と日本語で書かれていたのを思い出した。彼は片道で25ドルとらざるを得ないので、それで申し訳なさそうにしているのだ。「料金は、ちゃんと払います」と、僕は翻訳ソフトに打ち込んで、彼に見せた。では行こう、という話になった。
昼間のブラワヨ市街を抜ける。
別れ際、「英語を聞くのも話すのも下手で、申し訳ない」と言うと、主人は大きな手で僕の肩をたたき、「大丈夫、ちゃんと伝わってるよ」と微笑んだ。
ひとりで空港のロビーに座っていると、涙が出てきた。ここ数日、出会った人たちのことを思い出しながら、ひさびさに声を出して泣いた。
■11/7-3 ピンクのシャツ
夕方、飛行機は首都ハラレに着いた。
「タクシー?」と、ピンクのシャツの男が声をかけてきた。彼は「日本から来たのか? トヨタの国じゃん!」と興奮して、日本車が南アフリカでどれだけポピュラーか力説した。
しっかしまあ、ここが首都か?と言わざるを得ないヤバい雰囲気が漂っており、タクシーなくして通過は不可能と思われる。
びっくり仰天したことに、運転手は路傍に車を停めると、「ちょっと友だちに手紙を渡してくる」と中央分離帯を横断して、対向車線の車に何かの封筒を渡した。きわめて犯罪的な行為に見えなくもないが、本人はケロッとしている。
今夜のホテルは、「まさか」と思うほど立派な高層ホテルであった。「ところでな、明日の朝は早いんだろう? そんな時間、交通機関は何もないぞ。良かったら、ホテルに迎えに来るけど、どうだ?」と、運転手は提案した。願ってもない話だ。翌朝5時に来てくれるよう頼んだ。
■11/8 寝坊
ところが、遅刻してしまった。スマホの時計が狂っていたので、テレビの時報を見て修正したのだが、どうも近隣の別の国の番組だったようで、きっちり一時間、遅くなっていたのだ。
僕がレセプションに行くと、昨日の運転手が「おい、寝坊か?」と、入ってきた。40分も、僕の時計が遅れている。「そりゃあ、ジンバブエの時刻じゃないぞ。早起きして待ってたのに……とにかく急ごうぜ、ブラザー!」
彼がアクビをかみ殺しながら、苦笑まじりにあれこれ言うので、僕は黙りこんでしまった。40分なんて、僕なら怒って帰っているところだ……。
「ところで」と、運転手は、長い沈黙のあとに口を開いた。「今度は、いつジンバブエに来るんだ?」「今度? 次なんて、いつになるか分からないよ。どうして?」「どうしてって、次にアンタが来たときはビクトリアの滝、遺跡、草原、動物たち、いろいろと見せてやりたいからだよ!」
……ぜんぶ見てきたよ。だけど、言わなくていいよな。そんな野暮なことはしない。
「俺は、アンタを長いこと待たせてしまった。申し訳ない」と、あらためて謝った。「もう気にしてないよ。それより、俺のネームカードを持っているよな? こんど来るときは絶対にメールしろよ」。彼は間違いなく、僕にとってのジンバブエ代表だった。「旅、気をつけて」と、最後に彼は言った。
この後、ヨハネスブルグのホテルで猛烈に不愉快な夜を過ごし、北京まで13時間もの機内泊、さらに空港で12時間を費やしたが、それは書く必要はないだろう。
ジンバブエの出国手続きをするとき、メガネの担当女性が僕のパスポートを見るなり「ジャッパーーーーン!」と無意味に叫んで、笑わせてくれた。さらに言うと、手荷物検査で、もうはちきれんばかりのパツンパツンのシャツを着たグラマーな女性がいて、体を丸めると、しなやかな背中がシャツから丸見えになる。お土産屋に入ったら、その人が店員だった。
「さっき、手荷物検査で水を没収されてたでしょ?」と、彼女は笑った。太陽を空から切り抜いて、こしらえたような人だと思った。
(おわり)
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