2018年4月 7日 (土)

プラモ恋愛小説『ハネダ模型店』 その9

9 ガンヘッド・2
 仕事が引けると、プラスティックの塊に打ち込んだ。体に悪そうなマテリアルが増えたので、窓を開けて、防毒マスクをつけて、残暑の日には首にタオルを巻いて、何だか過激派かテロリストのような格好で、プラモデルを作りつづけた。
 ハネダ模型店のシャッターは、閉じたままだった。落ち葉の頃には、それは当たり前の光景になっていた。閉店の理由を探るほど、僕は無粋になりたくない。だから、手に入れた絶版キットをひたすら削り、磨きつづけた。ところが、何かが終わることを怖れるように、仕上げをためらった。基本塗装が終わったのにスミ入れや汚しをしなかったり、デカールを貼らなかったり、挙句、色を落として、塗りなおしさえした。
 まさか、羽田さんのクリームホワイトのマフラーで季節の変わり目を知ることになろうとは思わなかった。彼女は、トモタカとマユミ夫婦ともう一人、僕の知らない男と駅前を歩いていた。羽田さんと彼氏は、二人とも真っ黒なギターケースを背負っていた。どちらかがベースなんだろうけど、僕には見分けがつかない。羽田バンド、再結成。そういうわけか。
 駅前の細長いアーケードでは、誰もが温かそうなコートを着ていたが、その四人だけは特別に、雲間から差し込む陽光の下を歩いているように見えた。きっと、彼らは凍えたりしない。柔らかな温もりの中で、神の御手の中で、一生を過ごすんだろう。それを邪魔したり、とがめたりする権利も力も、僕にはない。
 彼らに気がつかれる前に、手近なチェーン系の居酒屋へ飛び込んだ。そして、右手の人差し指を立てる。「お一人様ですね」と、アルバイトの女の子が真っ赤な頬っぺたで微笑んだ。
 飲んで何かを忘れようとしても、何を忘れようとしたかってのは、覚えてるもんだ。会計の時、アルバイトの女の子を指差して、「この子の笑顔が素晴らしかったので、時給を上げてやって欲しい」と店長に頼んだ。そんなラッキーが誰かの身の上に起こらなきゃ、今夜はあまりに救われないじゃないか。
 アパートにたどり着くと、ポストの上にリボンの付いた包みが置いてあった。まっ黄色に塗られたガンヘッド。あの日、僕がファミレスで組んでやったやつだ。ところどころ、ピンクのラインが入っていたが、黄色の上にピンクは難しい。ラッカーはテカテカ、線もヨレヨレだ。デザイン・センスもへったくれもない。
「やれやれ。マジで、今夜は最低だ」
 空を見上げると、満天の星。中学の頃、理科教師が「冬の空は、空気が冷たいから星が綺麗だ。寒さをこらえてでも見る価値がある」と言っていたのを思い出した。
【終わり】

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プラモ恋愛小説『ハネダ模型店』 その8

8 スポーツカー
 彼女は、子供のようにハンバーグやスパゲティを注文し、最後に色んな形のチョコレートの乗ったパフェを注文した。たぶん、僕が「ゲッ」って顔をしてしまったせいだろう、彼女は開き直るように両手をテーブルの上で組むと、
「だって今日、誕生日なんですもん」
  子供のように、首を突き出す。僕はその仕草を見て、声を出して笑った。勝手に笑いがこみ上げてきたのは、どれくらいぶりだろう。なのに、彼女はバカにされたと勘違いしたのだろう、
「六月十七日。本当ですよ。二十七歳」
  ふてくれさたように言う。彼女のこすり合わせた手も、控えめに閉じられたまつ毛も、何かをねだっているように見えて仕方ない。とても、あさましい。女ってのは、つくづく卑怯だと思う。でも、この場に居合わせたのが、運のつきだ。
「そうか、オーケー。分かったよ」
 そう言うと、彼女は、ようやく顔を上げた。まったく同時に、チョコの満載されたパフェが運ばれてきた。気味が悪いくらいに、タイミングのいい日だ。こうやって、何かが沸点に達した瞬間、後は覚めていくしかない。僕は何とかして、そのピークを持続させようとあがいた。どうせ落ちるなら、出来るだけ高いところから落ちたい。
「えっ……それ、大事なんでしょ、今池さん?」
 僕は、かつてハネダ模型店が代理店になった「1/35 ガンヘッド」の箱を開けた。ビニールを裂く。「あーっ」と、彼女が間のぬけた声を上げた。「ちょっと臭うから、離れていて」と僕は、テーブルから彼女を離す。付属の接着剤を使うからだ。これは体に良くないからな。工具はない。パーツを手でもぐ。こんな方法でも、子供の頃は上手く組み立てられた。まして、二十年後の僕に出来ないわけがない。今の僕に、出来ないことなんかない。何だって出来る。バカだと思うだろう? でも、誕生日の女の子を目の前にして、何もしてやれない男の方が、もっとバカだ。どれだけ痛い目にあっても、僕はそう思う。
「こうして間近で見ておけば、店に来るガキたちに教えやすいだろ」
 さすが海賊版、パーツ数は少ない。彼女がブラウニー・サンデーを食べ終わる頃には、形になっていた。
「ガンヘッドくん、スタンディング・モード。そら、プレゼントだ」
「わぁ」と大げさに驚いた羽田さんの指の間から、パーツが落ちる。ノーズセンサーの先端だ。接着剤が少ないか、十分に乾いてないせいだろう。
「ほらね……やっぱり、もらえないよ」
 彼女が、パーツを拾いながら言う。
「これ、貴重品。倉庫でも一個しかなかったんだよ」
「最初に買ってもらったプラモデルは」
 彼女の手に、ガンヘッドを戻しながら、
「赤いスポーツカーでね。祖父がトンカチでゼンマイに車輪を打ち込んでくれた。何度も同じキットを買ってもらって、そのうち、僕もトンカチで真似するようになった。今、あの時の祖父のような気分だ。何とか伝えたいんだ。模型の面白さをさ」
 それは本当のことだが、彼女が瞳を潤ませているのは演技だった。演技でも構わない。君には、一生、分からない。僕らがハイエナのように絶版キットを探す理由が。完全に無益な行為に思えるだろう。君のお爺ちゃんがどう言ったかは知らないが、女の子はプラモデルをつくらない。喜ばない。知っている。初めから、分かっていた。最初からボタンをかけ違えていた。だから、トモタカ夫婦のもとで、あんな風になった。この世には、交われない線もある。交われなくても、文句を言うな。
 僕は「トイレに行く」と嘘をついて、こっそり勘定を払い、ファミレスの外へ出た。外は真っ暗だ。僕はネクタイをゆるめ、昼間の余熱の残るアスファルトを歩きはじめた。
 僕は、カッコをつけた。ぶん殴られたボクサーが、まだ負けてないって顔をするみたいに。あれだけ探していた絶版キットを、恋人でもない女にくれてやった。自分に酔った。酔いしれた。自己陶酔は、奈落への一本道だ。
(つづく)

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プラモ恋愛小説『ハネダ模型店』 その7

7 ハネダ模型店
 着替えている途中で気がついた。あんな近所に行くのに、どうして着替える必要がある? ユニクロの一番高いシャツに何の意味があるんだ。これは取り引きだ。クールに立ち回らねば。確か、スーツがあったろう。就職活動の時のやつ。もう、これでいいだろ。あれこれ悩むのもバカバカしい。
 そして、僕は紺色のスーツを着て、ハネダ模型店に向かった。どうせ、閑散としてるんだろ? 営業努力もしてないんだろ? 派遣社員だものな。平凡な派遣社員の道楽じゃないか。こっちも道楽といえばそうなんだが……とにかく、毅然として行け。ガンヘッドさえ手に入れば、もう二度と行くことはないのだから。全力で立ち向かおう。
 まず驚いたのは、小学四年生ぐらいの子供たちが店から飛び出してきたことだ。手に、あの、何だっけ、ストーラリー・ガンダムだか何だかの安そうなやつを持っている。あんな新しい製品、入荷するようになったのか。何てこった、店の前に最新のガシャポンまで置いてあるぞ。
「わあ、営業の人みたい!」
 何ヶ月ぶりかは分からない。それでも、彼女は綺麗だった。髪が少し伸びた。暑いせいか、それとも仕事の邪魔になるせいなのか、伸びた髪をラフにピンでまとめ上げている。そして、埃の匂いの中、かすかにあの香水のかおりが僕の鼻先をくすぐるのだった。
 待て、今はそれどころじゃない。とにかく『ガンヘッド』だ。僕は本能を押さえつけ、クールに事情を説明した。
「ガ、ン、ヘェッ、ド」
 羽田さんは、初めて会った時と同じ手帳に、あの時のように声を出しながら書き込んだ。それから顔を上げると、
「倉庫を見てきますから、すみません、お店、お願いしちゃいますね?」
 別人のようにきびきびしている。マイペースなところは相変わらずだが、ちょっと見直した。
 そして、彼女が出て行ってから、しみじみ思い出した。ノースリーブのワンピースからのぞいた二の腕のまぶしさを。そうか。もう、そんな季節か。よく見ると、店内では扇風機が回っている。お爺ちゃんの代から使っているのか、近ごろ見ない壁掛け式だ。
 ガラッ、と鈍い音がして、あの懐かしいタミヤ・マークのガラス戸が開いた。中学生ぐらいだろうか。ガシャポンのための両替だった。それぐらいなら、お安いご用だ。僕は財布から小銭を取り出すつもりが、札しかない。
「悪いけど、ちょっと待っててくれる?」
 いつもは近く感じるコンビニが遠い。タバコ屋か。タバコは吸わないけど、一番安いのを千円札で買った。よし、百円玉、五個だ。彼女も、いつもこんな苦労をしてるんだろうか? ハネダ模型店は優良店だ。ネットの相場になんか左右されないし、これだけお客がついたのも……きっと、彼女が勉強して、努力したからじゃないか。そう考えると、恥ずかしさがこみ上げてきた。
 そして、すっかり外が暗くなってから店に飛び込んできた彼女は、右手にしっかりと「1/35 ガンヘッド」の箱を持っていた。汗に濡れた額に、髪がひっついている。何も、そんなに急がなくても……案外、たいした女だよ。君は。
「定価、九百円になります」
 僕は千円札を彼女に渡すと、「ありがとう」と言いかけて、ネクタイを直した。僕は、チェスの駒をひとつ戻した。
「羽田さん。お釣りは、結構です。それより、お茶をおごらせて欲しい」
 彼女は白い腕で額をぬぐうと、飾り気のない笑顔で一言。
「お茶っていうか、ご飯にしません?」
(つづく)

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プラモ恋愛小説『ハネダ模型店』 その6

6 ガンヘッド・1
 それから一週間、僕はひどくなっていった。バイトをさぼりこそしなかったが、酒量が増えた。残業して、酒屋の裏で記憶を失った。この辺りは工場が多く、僕と似たような連中は、いっぱい居た。バイトは、冬場でも汗をかくので(品質管理のため、エアコンを入れないのだ)、前日の酔いはすぐに覚める。
 あの「ウェアパペット」のキットは、本棚に置いたままだった。輪ゴムでくるまれた唐草色の包装紙をはがしてしまったら、何だか魔法がとけてしまう気がしたからだ。それが、たいした魔法でないことは、十分に分かっていたはずなのに。
「待てよ、案外……」 僕は、ろれつの回らない脳みそで考えた。「こいつを作ってしまえば、未練やら何やら、消えるのかも知れないな」。
 パーツを、指でランナーから外す。外したサーモンピンクのパーツをポリ製のキャップで繋ぐ。しかし、パーツをちぎった跡が残ってしまう。やはり、ニッパーで切り離したい。百円均一ショップにニッパーがあれば、ヤスリも売ってるかな。魔法をとくには、金も時間もかからない。工具があれば、事足りる。
 酔いが覚めたのかどうかも分からないまま、風呂を沸かして着替えた。
 駅前の百円均一ショップは、まるで秘密の花園で、ニッパーはもちろん、大小の金属ヤスリや、薄刃のノコギリまで売っていた。目の粗い紙ヤスリも重宝しそうだ。あとは、これ。アートナイフだ。ええと、ほかに……そうだな、溶剤系の接着剤。それなら、となり駅のスーパーの四階にあったはず。
 駅への道すがら、古本屋で小学生が漫画を立ち読みしているのを見た。えらく、真剣な顔だ。そうか、今日は日曜日だ。じゃあ、僕の休日の趣味は、プラモデルってことにしよう。接着剤は、プラを溶かすぐらい、強力なやつがいいよな。スチロール樹脂用の。なんだ、バカみたいだ。となり駅のDIYショップには、プラカラーすら売ってるじゃないか。ハネダ模型店に行かなくても、プラモデルを作る工具は揃うんだ。あの女に顔を合わせる必要もなく。
 古いプラモデルは、かなりの数がネット・オークションに出ていた。たまに、絶版キットの価値の分からない主婦が、百円ぐらいで出品している。『ダンバイン』も『ダグラム』も『ザブングル』も、こんなに出ていたのか。僕は、何かの仇を討つかのように、オークションで昔のキットを片っ端から落としていった。
 そんな頃だった。世界初の実写ロボット映画『ガンヘッド』のプラモデルが、アジア圏で出回っていると知ったのは。
 こいつはいいな。手に入れたい。スケールが1/35というのが渋い。連邦兵士のフィギュア付きというのも気が利いているし、どんな色に塗ってやろう……オリーブドラブでWWⅡの米戦車風にするか、アフリカ戦線仕様ってのもイカすぞ。
 ネットで写真を見るかぎり、怪しいパッケージだ。東宝マークとSUNRIZEと刷ってあるんだが、でも、サンライズのつづりが違う。てことは海賊版か? 海賊版でインジェクション・キットなんて割が合わないだろ? しかも、ガンヘッドだぞ? 一度、バンダイでキット化がポシャッて、ガレージキットにされたマイナー・タイトルだぞ?
 しかし、オークションでの値は高騰していった。五千円スタートが、一万、やがて五万。アルバイトから急いで帰ってみると、十一万二千円で落札されていた。
 驚いたのは、月に一、二個は同じガンヘッドのプラキットがオークションに出品されることだった。出品者の説明を読むと、89年当時は国内に代理店があり、そこから卸されたという。どれも十万前後の高値で取り引きされており、とても手の出る代物ではなかったのだが、青森県のアンティーク・ショップに質問してみて、顔色が変わった。発売当時の代理店の名前を、とてもとても、よく知っていたからだ。
(つづく)

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プラモ恋愛小説『ハネダ模型店』 その5

5 スライダー・ガンダム
 この男には、コンプレックスがない。そういうのは、一目で分かるんだ。トモタカは、そういう男だ。彼の奥さんのマユミさんも綺麗だったが、そりゃあ、コンプレックスの欠落した男と結婚するのは美人に決まっている。
 僕とトモタカは、互いに一本ずつ350mlの缶ビールを空けたばかりだった。
「で、あなたは、キミエの何なんですか?」
 そうか。羽田さんの下の名前は、キミエというのか。君のお陰で分かった、ありがたい。
「何って……僕はただの、キミエさんのお客さんですよ」
 こんな言い方は、どこか風俗みたいでイヤなんだが、ソファの前で寝そべっている世帯主は満足そうだ。僕はバックハンドで打ち返した。
「トモタカさんは、何をしてらっしゃるんですか?」
「ソファの前で、サッカーの試合をテレビで見てる」
 緩い球だからって、そんな強く返すこともないだろう。なら、こっちはこうだ。
「僕は、下町の汚い工場でアルバイトしてるんですよね。この季節でも暖房のないような、もう最低・最下層の」
「ああ、そういう意味ね」
 うん。この球は、うまくトモタカ氏の自尊心に飛び込んだらしい。
「俺、ただのサラリーマンですよ」
 その割には、いい部屋だ。「ただの」ってことはないだろう。
「それなりに、苦労されてると思うんですけど」
「じゃあ、それなりに苦労はしてるんじゃないですか? ていうか、せっかくのすき焼きだし、食いません?」
 マユミさんの運んできた鍋は、まるで地獄の釜だった。そこで茹だっているのは、ただの肉や野菜ではなかった。食べやすいようにカットされた牛肉。斜めに包丁を入れられたネギ。硬い部分を捨てられた春菊。僕らの口の大きさに合わせて、管理・加工された植物や動物は、生きることを放棄させられた命のきれぎれだった。
 
 トモタカの見せてくれた、最新のガンプラも似たようなものだった。
「ガンプラには興味津々だって聞いたよ、マニアさん」
 六缶目の缶ビールの蓋を開けた頃、僕はこの夫婦からマニアさんと呼ばれていた。羽田さんは、さすがにこの険悪な空気を感じとってか、酒量をセーブしていた。
「うそうそ、そんな言いかたしてませんよ、今池さん」
 そうか。羽田キミエは僕を助けちゃくれないか。僕は彼女を無視して、トモタカの問いに答えた。
「興味ってほどでは……何しろ、ガンプラって絶版しませんから。川口氏がインタビューで言ってましたよ」
「キミエ、マニアさんのおっしゃる川口氏って誰?」
 トモタカの質問に、羽田さんは首を振るだけだった。僕はビールを一口飲んで、
「川口氏ってのは、元ストリーム・ベースの……」
「バンドですか?」
 羽田さんの突っ込みに、僕は無言で答えた。そうか、この三人、元バンドのメンバーだって、道すがら羽田さんが言ってたっけ……。僕の卑屈な脳は、話題を考える。今、音楽の話を始められたら、僕は疎外感に打ちのめされて、黙って帰るしかないじゃないか。
「トモタカさん、その……一番好きなガンダムって何ですか?」
「ああ、そりゃあ、スライダー・ガンダムでしょ。最新なんだから、最新。マユミくん、俺のスライダー持ってきて」
「……えっ、これ、ガンダム?」
 マユミさんが食後のテーブルに置いたガンダムを見て、ビール一・五缶分ぐらいの酔いが覚めた。小さい。小さすぎる。
「こんなちっちゃいガンダム、よく塗りましたね?」
「またまた。今のガンプラは、最初から色ついてるでしょ」
 そうだっけ。そうなのか。最初から色が着いてるんだ。それって、面白いのか?
「つまり、誰が作ってもそうなる。平等だろ? マニアさんがつくっても、そうなるよ」
「いや。僕と君とは違う」
 うっかり口走って、少し後悔した。羽田さんの顔色が気になる。しかし、事実なんだ。シンナー臭いと母親から文句を言われ、爪にいろんな色のMr.カラーをくっつけて、女子から汚いと嘲られてこそのガンプラだったんじゃないのか? パテ盛りも覚えた。耐水ペーパーも買った。うまく行かなくても、次にトライした。トライできる。何度でも。近所の模型屋で、分厚いイトノコを安く買った。それで世界が変わった。世界を変えられる。変えるんだよ、指先に切り傷をつくりながら。そうやって僕らは、人生観を、世界観を作り上げてきた。形の悪い部品なら、良い形に作り直すべきだ。ガンプラが教えてくれたことじゃないか。
 ――そんなルサンチマンとノスタルジアの交じり合った私的ガンプラ論を胃の奥に詰まらせていると、
「俺もあんたも同じようになるんだよ。メーカーがそういう風につくった以上は」
 それが、僕の聞いたトモタカの最後の言葉だった。
 僕は、こみ上げてきた胃の中のすき焼きの具を、視界いっぱいにブチまけた。スライダー・ガンダムが、僕の吐瀉物で七色にカラーリングされた。
 タクシーのひっきりなしに行き交う国道で怒鳴りあったのを、今でも覚えている。
「あなたからどう見えようと! 彼女も彼も、私の友達なわけぇ、分かる?」
「君の友達なら、あれか? 僕まで友達ヅラしなきゃいけないのか? スジが通らねえ」
「とにかく! とにかく、トモタカに謝る代わりに、いま私に謝ってください」
「そんなことまでして、何らか君自身に、こう、メリットあるのかよ?」
「メリット? ああ! あるわよ!」
 たまたま止まったタクシーの屋根を叩いて、
「だって、モトカレの引っ越し先、あの子たちしか知らないんだもん!」
 モトカレ……って、どういう意味だっけ。酒の染みた脳が提案する。「お前の負けだ。今すぐ、車の波に飛び込んでしまえ」と。それでも良かった。しかし、国道の車たちは、まるで来世へひとっ飛びするかのようにウインカーを輝かせて、いまの僕には眩しすぎるんだ。僕は現世に踏みとどまり、俗な質問を発した。
「モトカレっつーと、バンドの彼か?」
 羽田さんは黙っていた。黙ったまま、クリームホワイトのマフラーで口元を隠した。自身のあさましい未練を。みっともない執着を。僕が覚えているのは、怒っているような、泣いているような赤くなった彼女の目。後は、再びこみ上げてきた嘔吐感。吐いたか吐いてないかは覚えてない。僕は彼女に送られて、アパートまでたどり着いた。僕は足だけでなく手を使って階段を昇り、そんな無様さを見て呆れ果てたのだろう、いつの間にか彼女の姿は消えていた。
(つづく)

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プラモ恋愛小説『ハネダ模型店』 その4

4 ガンプラ
 つまり、僕は「ハネダ模型店」という宝箱を手に入れたのに、それが自分の手に余ると知るや、蓋を閉めて突き返してしまったのだ。翌日からのバイトは、今まで以上に苦痛だった。
 なるべく何も考えまいとしたが、単調な袋づめの作業なので、何も考えないなんて無理な話だった。疲れ果てれば無心になれると思い、深夜まで残業してみた。だが、疲れれば疲れるほど、脳は余計なことを考え出す。今夜もあの店はやっているのだろうか? 新しい客がついて、彼女はあの夜のように飛び跳ねたりしたろうか?
 彼女の店の前を避けて家に帰り、着替えもせずに布団に倒れこむと、もう朝だったりした。
 日曜の午後だった。まだ、前日の酒が残っていたせいか、ついうっかりと店の前の通りに出てしまった。店は閉まっていた。灰色のシャッターの前を、小学生が自転車で通りすぎていく。「こんな日こそ、オープンすべきなのに」。お門違いの憤りが、胸を騒がせた。あるいは、男でもいるのかも知れない。たまの休日だから、店どころじゃないのかも知れない。だとしたら。だとしても、だ。そんな個人的理由で、お爺ちゃんから引き継いだ店を閉めるべきじゃない。しょせん、「平凡な派遣社員」か。本気じゃなかったんだ。僕はポケットに手を突っ込むと、日曜日はいつもそうしているように、駅寄りのスーパーへ食料品の買い出しに行った。
 僕の怒りが理不尽なのは分かっている。怒りというのは、いつだって理不尽だ。もう、あの店は閉店してしまったんじゃないか? そう考えれば、怒りはおさまる。それならそれで、とにかく、ジ・エンドだ。もう何も思い煩う必要はない。
「あ、今池さんが、なんか買ってる」
 一階の食品売り場だった。僕は、二個入り百円の絹ごし豆腐を、カートに入れたところだった。彼女の声をひさびさに聞いて、くやしいことに、僕は嬉しかった。
「えっ、お豆腐? なら、こっちの方が……ほら、安い。お得です」
 そう言って、僕のカートの豆腐を丁寧に入れ替える羽田さんは、同時に僕の煤けた心臓までをも取り出して、新しく新鮮で、ちっぽけで従順な何かに入れ替えてしまった。僕は、バカみたいにうっとりと、彼女のココア色の髪を見つめた。淡いクリームホワイトのマフラーの上で、彼女の髪は、本当に洋菓子のように柔らかそうだった。
「もう、お店、来てくれないかと思ってました」
 彼女が口をとがらせる。そんな言い方をされると、さっきまでの憤りが、罪悪感に取って代わってしまう。日曜日に店を閉めていたのは、彼女の方だ。しかし、店に行きづらい雰囲気を勝手につくったのは、間違いなく僕だった。
「代わりに、付き合ってくれますよね?」
「えっ?」
 彼女のカートの中には、肉やら長ネギ、しいたけが入っていた。
「すき焼きパーティー。友達夫婦の家なんですけど、ここから十分もしませんから、ね?」
 羽田さんには、こういうマイペースなところがある。それはうざっくて、同時にくすぐったい。こうして人を巻き込んでおいて、とっ散らかして去って行ってしまう人間は、これまでにも何人か会ってきた。ちょっと、嫌な予感がする。だけど、その予感が本物なのかどうか僕が確かめる前に、彼女は重要なヒントを見つけ出したかのように僕の腕をつかんで、
「あ、トモタカ! ……って、旦那さんの方ですけど、ガンプラ好きなんですよ、ガンプラ! 今池さんも好きじゃないですか、ガンプラ!」
 いや、一言も好きだと覚えはないが……正直、羽田さんの友達に紹介されるのは、名誉な気がした。つまり、新しい関係に進めるような気がした。彼女に付き合えば付き合うほど親しくなれるはずだと、その頃の僕は信じ込んでいたんだ。最低・最悪の夜が、国道の向こうで待っていることを、露ほども知らずに。

(つづく)

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プラモ恋愛小説『ハネダ模型店』 その3

3 ニチモ
 時計は十時を回っている。灯りの消えた店の前で彼女が出てくるのを待つ数分間、僕は何年ぶりかで自分の心臓が元気いっぱいに脈打っているのを感じた。その時はじめて、店の上にかぶさる、色褪せた空色のビニールテントを街路灯のあかりの中で見た。「プラモデル・ミニカー ハネダ模型店」。
 ワンピースの上に、ニットのガーティガンを羽織った彼女は、まるで色気のないゴムのサンダルをつっかけて出てきた。ちょっと近所のコンビニへ夜食でも買いに……ってな格好だ。こういう時、女性の発する「おまたせ」は、男性の所有欲をいたずらに満足させる。
 僕のアパートとは反対方向になるが、国道沿いのファミリーレストランなら、この時間でもたっぷり話が出来る。
「ミルクティーください。温かいほう」
 彼女が注文してから、僕らはきっかり二時間、ファミレスで話した。彼女の名前も、店名と同じ羽田であること。ハネダ模型店の店主であるお爺ちゃんがこの夏に亡くなってから、店を継ぐ決心をしたこと。昼間は、「平凡な派遣社員」をしていること。
「だから、プラモデルのことなんて、なーんにも知らなくて。それに、昼間の仕事があるから、子供たちが来るような時間には、お店あけられないでしょう?」
 僕は、分かりきったことを聞いた。
「お爺ちゃんっ子だったんだね?」
 彼女は、ティースプーンの柄を細い指でなぞりながら、
「両親が仲悪かったんですよね……だから、逃げ場でしたよ。お爺ちゃんの、膝の上」
 ココア色の髪を、左手でかき上げると、そのポーズのまま黙ってしまった。物憂げな表情になると、彼女の顔からは普段の子供っぽさが消えた。僕はコーヒーを飲むふりをして、髪に手をかけたまま黙り込んでいる彼女の横顔に見とれていた。
「また買いに来るから、頑張りなよ」とでも言って、ここで話を切り上げれば良かった。うっかり、趣味の話なんか振ったのが、いけなかった。
 彼女の表情が豹変した。口元にどこか優越感を含んだ笑みを浮かべ、テーブルの下でリズムを刻みながら、目には見えないギターを弾きはじめた。いや、ベースかも知れない。どっちだろうな。ようするに、僕には楽器の知識なんかゼロってことだ。
「でも、ちょっと一悶着あって、バンドやめちゃって。こないだ、ドラムスの子に模型屋はじめたってメールしたら、理解不能だったみたいで」、そこで息をつぎ、照れたように小さく笑って、「ほら、ロックとプラモデルって、接点ゼロじゃないですか? 説明するのに、チョー苦労しましたよ」。……いや、ギターとかドラムのプラモデル、ニチモから出てたぞ。
 それから彼女は、覚えたての僕の名を口にした。
「あ、でも、今池さんって、洋楽バリバリの世代じゃないですか?」
 名前を呼ばれても、嬉しくはなかった。唐突で、なれなれしいような気さえした。
「私、友達のお兄ちゃんから、よくレコード借りてましたよ。スティングとかボン・ジョヴィとか、あ、あと、カジャ・グーグー」
 僕は、そこで話の腰を折った。
「レコードを買う金があったら、俺はこっちだったから」
 ついさっき、彼女が包装してくれた箱を指差す。不意をつかれた相手は遠くを見るような目になって、もはや二人の挟んだファミレスのテーブルは、深夜の校庭のように無意味に広がっていた。
 その無意味な距離を何とか埋め合わせようと、彼女はあからさまな作り笑いに専念し、自分で包んだ包装紙を丁寧にめくって、
「マニアックな今池さんは、こっち専門なんですね?」
 箱には、セル画の女の子が描かれていた。「ウェアパペット」には、『バイファム』に登場する女の子のフィギュアが一体、付属しているからだ。
「髪を伸ばせば、君とそっくりじゃないかな」
 アニメ・キャラに似ていると言われたら、普通の二十代の女の子はどう思うんだろう? たぶん、あんまりいい気持ちじゃないんだろうな。リアクションに窮している彼女をテーブルに残して会計をすますと、僕は国道を渡ってコンビニで発泡酒を購入、それを半分も飲まないうちに眠ってしまった。
(つづく)

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プラモ恋愛小説『ハネダ模型店』 その2

2 ウェアパペット
 バイファムで、良かったのだろうか? 問題は、そこだ。
 何も決定的なことを口にしなければ、僕は二度とあの店に行かなくてもすんだ。「バイファムを探しています」と言ってしまったばかりに、彼女には店員としての義務が生じ、僕は店に確認しに行かなくてはならない。昨夜のことを、甘くちっぽけな思い出として忘れ流すことが出来なくなってしまったのだ。「いいお店ですね。また、来ます」とか何とか、曖昧な言葉で誤魔化しておけば、もっと緩い関係が保てたのではないだろうか?
 後悔に近い気持ちのまま、ガード下をくぐった。
 バイファムのキットなんて、もう二十年も生産してないはずだ。「すみません、ありませんでした」と謝る彼女の姿が、目に浮かぶ。メモまでとってたのに、そりゃあ可哀相だ。
 もし仮に見つかったとしても、『銀河漂流バイファム』ってロボット・アニメだよな……。「ブリタニア号」は宇宙船だから、まだ大人っぽいけど、ロボットのプラモデルを探してる三十代って、幼稚すぎないか?「小さい頃、オヤジに買ってもらったんですよ。懐かしいなあ」と言い訳しようにも、逆算すれば、当時、中学生であったことがバレてしまう。『ヤマト』あたりにしておくべきだった。それなら、「当時は小学生でした」で計算も合うし、そもそも『ヤマト』はロボットじゃなくて、宇宙船だからな。宇宙船なら、恥ずかしくない。この歳でロボットってのは、ちょっと痛々しいんじゃないか……そんなことを考えながら歩いているうち、店の灯りが見えてきた。
「バイファム、ありましたよ」。
 店の奥で、彼女は満面の笑み。僕の足元のあたりを、指差している。ああ、入り口近くに置いといてくれたのか。気がつかなかった。この箱絵の丸っこいロゴ……間違いなく、『バイファム』だ。でも、これはロボットじゃなくて、何だっけ、宇宙服だ。「ウェアパペット」という、主人公たちの着る宇宙服なのだ。脇役中の脇役。まあ、ロボットのような外観はしているけど、ぎりぎりロボットではない。しかし、こんな脇役ではなあ……。
 いや、ここで失望してはダメだ。目をくわっと見開いて、
「あ、あったんですか!」
 オーバーに叫ぶ。
「倉庫探したら、見つかりました。ひとつだけですけど」
 彼女は、リスのような前歯で下唇をかんでいる。得意そうなとき、こういう顔をする女の子って、いる。だけど、彼女の場合、両頬にえくぼが出来るところが特別な感じがした。
「じゃあ、これ、ください」
 いかにも興奮したように、両手で箱を持ち、彼女に向けて差し出す。
「三百円になります」
 彼女は値札も見ずに、言った。おそらく、僕が買うのを見越して、値札を確かめてあったんだろう。二十年前と同じ値段だ。古いオモチャ屋を渉猟するようなマニアとは、無縁の店なのだ。
「良かったですね」
 彼女は、包装紙にくるまれた「ウェアパペット」を僕に差し出した。包装紙といっても、今どき見かけないような唐草色の薄い紙で、輪ゴムで止められていた。箱の横側は丸見え、プラモデルを買ったことがバレバレだ。だが、そんな包装の仕方が、あの頃は当たり前で……それを、僕より若い女の子が、手際よくこなすのを見て、何だか懐かしいような気持ちになり、僕は硬貨を彼女の小さな手の中に落としながら、呆然とつぶやいた。「ありがとう」、と。その言葉が、さっきまでの緊張をきれいに拭い去ってくれた。
 何か値段に釣りあわないほど貴重なものを内緒で手に入れたような、人に言えない秘密を聞かせてもらったような不思議な高揚感のまま、プラモ箱の堆積層の間を出口に向かって歩いた。僕がタミヤのステッカーの貼られたガラス戸に手をかけた瞬間、それは起きた。彼女は小さな声で「売れた!」と叫んで、僕が振り返った時には、店内の床に着地したところだったのだ。
 僕は、チェスの駒をひとつ、前へ進めることにした。つまり、歓喜のジャンプを僕に目撃された彼女を、お茶に誘ったのだった。
(つづく)

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プラモ恋愛小説『ハネダ模型店』 その1

1 ブリタニアⅡ
 まさか、あれは『レンズマン』のブリタニア号じゃないのか? しかし、待てよ。トミーからは、オモチャも出ていたような気がする……あそこにある箱が、プラモデルだって保証はあるのか? 近くで見てみないと、分からないな。
「お取りしましょうか?」
 僕が「ブリタニア号」の箱を見て動揺しているわずかな間に、彼女は小さな脚立を抱えて、僕の右斜め下に立っていた。そんな脚立なんかに乗っても、あなたの背じゃ届かないと思う。何しろ、「ブリタニア号」は、積み上げられたプラモデルの箱の一番上に置いてあるんだから。だいたい、男の僕が、女の人に高いところのものを取ってもらうなんて、それはよくないよ……。
「あ、いいんです。なんか、勘違いしたみたい」
 僕は遠慮した。つまり、彼女に気を使った。そして、思い出した。女の子に気を使うのなんて、久しぶりだってことを。
「勘違い……ですか」
 彼女は、右斜め下から、ちょっとがっかりしたように呟く。肩にも届かないほどの短い、ウェーブのかかった髪。僕は、ガラス戸に手をかけながら、
「ですね、バイファムとか、ですかね」
「はい。えっ、何が?」
「あ、その、バイファムというのを探してます」
 彼女はどこからか、小さな手帳を取り出すと、「バーイーファーム」と声に出しながら、メモを取りはじめた。
 その間に、僕は逃げ出すように店を出た。夜道に吐く息が白い。
 最初、灯りを見たときは、何かと思った。もう十二時近い。この辺りは個人商店が多く残っているので、古本屋か何かだろう、と思って近づいてみた。だが、狭いガラス戸に貼られたステッカーを見て、ギョッとした。赤と青の星のマーク……こりゃあ、タミヤじゃないか。ラジコン専門店やミニ四駆しかなかったらガッカリだけど、とにかく、入ろう。
「いらっしゃいませ」。ココアのような茶色の髪をした女性が、弾かれたように顔を上げた。うず高く左右に積まれた無数のプラモデルの箱の堆積層の奥、丸椅子の上に彼女は座っていた。まるで、夕食を抜きにされた子供が、親に謝ることも出来ずに所在なさげにしているように見えた。それか、プラモデルのお城に閉じ込められて、脱出することを放棄してしまったお姫様って感じだ。
 模型屋だよな、ここ? なんで、あんな女の子がいるんだ? 二十代半ばってとこだろうか。店主の奥さんか何かか? いずれにしても、密室で女性と二人ってのは避けたい。もう長らく、そういうシチュエーションに巡りあってないし、なんか、彼女のワンピースはオシャレすぎて……とにかく、こういうのは、苦手だ。
 そこで、回れ右をして店外へ逃れようとした時だ。トミー製の「レンズマン ブリタニアⅡ」のキットが、目に飛び込んできたのだ。
『レンズマン』はもう、二十何年前のアニメで……いや、二十何年前ってところがポイントなわけだ。当時、僕は中学生だった。『レンズマン』を映画館に観に行ったかは忘れてしまったけど、トミーがアニメのプラモデルを出すと模型雑誌で知って、ちょっと興味はあった。
 何もかもが楽しかったわけじゃないけど、プラモデルだけは別格だった。ちょっと綺麗に色を塗るだけで、隣のクラスの知らないやつが話しかけてきた。ところが、受験の時にプラモデルを禁止されて、高校に上がってからは、ブームも去ってしまって……そんな感じだったと思う。こうして、アパートの自室で一人横になっていると、夜、散歩がてら模型屋に行ったときのひんやりした空気までもが、脳の奥から再生されてくるような気がした。
 明日も、アルバイトだ。うんざりする。この歳で、アルバイトなんだぞ。二十年前のプラモなんぞ、買ってる場合か。頭の中でこの話題を片づけようとすると、埃だらけのひしゃげた箱の奥、行き場のない子供のようにポケットに両手を突っ込んで座っていた彼女が、かすかに顔を上げた。そうか。あの時、古いプラモデルの埃の中で僕の鼻をくすぐったのは、彼女のつけていた香水の匂いだったんだ。
 知恵の輪を解くような話だ。中古プラモデルと女の子。その二つが、分かちがたく結びついているんだから。僕のとる道は、ひとつしかないじゃないか。プラモ漁りにかこつけて、夜毎、彼女と話が出来るんだぜ? その夜、僕は初めて神様に感謝して、眠りについた。
(つづく)

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