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2023年6月26日 (月)

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上野の森美術館へ、「恐竜図鑑」を観に行った。
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入場料2300円は少し高めだし、たいした構成ではないんだけど、大量の絵の具を使って描かれた古い恐竜の油彩画の数々は、どっしりとした見ごたえがあった。特に、ズデニェク・ブリアンの始祖鳥の絵。南国の鳥のような羽の色……。

僕には、薄れかけているひとつの甘美な記憶がある。
親がどこかのお土産として買ってきた、鳥の鳴き声のする円筒形のオモチャがあった。円筒の表面には、南国の鳥たちの絵が描かれていた。そのオモチャが家にあったのは、確かな記憶だ。家に通ってきていたお手伝いさんが、「子供のオモチャじゃない、そんなの」と笑っていたので、小学五年生ごろであることは確実。

それと結びついて、小学二年生ぐらいのころ、ぼんやりと南国の鳥たちの絵にうっとりと見とれた記憶がある。確か、箱根へ家族旅行したとき、旅館の売店かどこかで、花火を買ってもらった、「ナイアガラ」という花火で、大きな滝のまわりに鳥の舞う絵が描いてあった……ような気がする。そのあたり、鳴き声のするオモチャとごっちゃになっている。
その絵のことを思い出そうとすると、夏休みの昼間、ひとりで明るい風呂場へ立っている情景が思い浮かぶ。祖母に「暑いから水風呂に入りなさい」と言われたような……。
何がどう結びつくのかは分からないが、いつもは夜に入る風呂場に、昼間に裸で入る不思議な、背徳感のような気持ちと南国の鳥たちの絵が、ぼんやりと結びついて記憶の奥底に息づいている。こうして文字にすると、夢の記憶と同じように「どこか違う」ものとして固着していってしまう。


同じように、覚書として書き残しておきたいことがある。
20代のころまで、僕は「声がいい」とよく言われていた。最初は、中学三年生のとき。別のクラスの、当時でいうツッパリ・グループに属していた女子に「声いいですね」と、急に話しかけられた(僕はナヨナヨした色白のオタクだったので、そういう子からは敬語で話しかけられる)。「何か話してみてください」と言われ、「えーと何を?」と答えたら、「わあ、話しちゃった……」とまるで憧れの男子と話せたかのようなリアクションをされた。
言っておくが、僕は髪の毛も鼻毛も伸び放題、制服は汚れていて、女子に好かれるような外見ではなかった。「暗い」と言われるようになったのも、その頃だ。それなのに、声だけでここまでモテ気分を味わえるのかと不思議な気持ちになった。自分の録音された声は、鼻づまりの変な声にしか聞こえないのに。

中学時代には、もうひとつ。確か図書の先生だったと思うのだが、クラスの担任ではない女教師と、何か用があって話すことになった。
「このプリント、図書準備室に運ぶよう村上先生に頼まれたんですけど」とか、そんな事務的なことを告げたところ、「わあ、渋い声」と言われた。こうして書いていても、本当に自分の身のうえに起きたことなのかと疑わくしなってくるが、忘れないうちに書き留めておこう。

男子からも「ヒッサンの声って『ダグラム』のフォンシュタインに似ている」と言われたし、兄からも「ホセ・メンドーサの台詞をしゃべってみてくれ」と頼まれたりした。
……が、同時に「早口」「もごもご言ってて、何言ってるか分からない」とも言われていた。それなら自覚があり、何とかしたいと思っていた。


次が、高校二年生。僕にとっては忘れられない学年で、隣のクラスのカッコいい男子に、猛烈な勢いでいじめられていた。そいつと仲のいい同じクラスの男子からもバカにされ、まわりの女子も一緒に僕のことを笑っていた。
……が、にも関わらず、声だけはモテた。ひとりの女子(そのいじめっ子グループと仲が良い子)が、僕が国語の時間にさされて朗読を始めるたび、まわりの女子と目を合わせることに気がついた。その子は修学旅行のバス車内で「誰か、男子に歌ってもらいたい人は? 名指ししていいよ」と言われて、「廣田くん」と即答した。僕はひどいオンチだったが、男子のひとりが「うーん、いい声」と唸っていた。
こうして書くと手のこんだイジメの一種だった気がしないでもないが、覚えているとおりに書く。

高校二年に決定的だったのは、生徒会の副会長に立候補したときだ。
どういう理由からか、選挙演説は大勢のまえで読むのではなく、放送のみであった。好きな女子が演説会の司会で、「早口になっちゃダメだよ」と可愛らしい口調で注意してくれた。僕は、そのことしか意識していなかったのだが、演説後に生徒会室にいたら、後輩の女子が走ってきて「先輩、みんないい声だって言ってましたよ! 竹中直人みたいだって!」と大声で告げた。
他の生徒に聞くと、僕の演説が校内に流れはじめた瞬間、「おお~」と教室にどよめきが起きたという。結果、対立候補の倍以上を得票して、副会長に当選できた。対立候補は、隣のクラスのいじめっ子たちの一人だったので、それはもう悔しそうだった。
とにかく不潔で不細工で、勉強もスポーツも全部ダメないじめられっ子だったのに、声だけで巻き返せるのだから、そういう事もあるのだと覚えておいてほしい。


面白いことに、僕が好きになった女性にはあまり声を誉められたことがない。
先ほど、演説会の司会をしてくれた女子を好きだったと書いたが、その子とよく二人で居酒屋へ行くようになった(微妙に未成年だった気がするのだが、そういうことには寛容な時代だった)。
居酒屋で「ビールふたつと豚キムチ、あとナスとレンコンの炒め物」みたいな感じで店員に注文したら、「ええ~? とても真似できないよ、すごい」と言われた。ずっと何のことだろうと思っていたのだが、その子に声を誉められたのは、その一回ぐらいではなかったか。

大学四年のころ、アメリカン・トイをコレクションしている年上の人と知り合った。
その人の仲間たちと酒を飲む機会があって、バンドをやっているという女性がきた。「なんか、声渋くないですか?」とまず言われ、「そのお通し、食べないならもらっていいですか?」と聞かれた。「どうぞ」と答えると、友人が「お前、今の声は渋すぎたぞ!」と茶化してきた。
同じころ、漫画の原作などを書いている作家さんと知り合い、よく飲みに行った。その席で、僕のことを指して「ほら、この人、うらやましいぐらいいい声してるじゃないですか」と言うので、そんな風に思っていたのかと驚いた。


ちょっと飽きてきたが、いろいろ思い出してきた。
大学の卒業制作で、教授たちの前で自分の映画について質疑応答する試験があった。他の人はしどろもどろだったが、僕はどの質問にも倍ぐらいの言葉数で反論した。その議論は大した内容ではなかったのだが、当時好きだった子が「ヒロリン、アナウンサーになればいいのに。声がいいから」……と、親密な女性に言われたのはそんな程度だった。

大学卒業後、同学年だった人から「自主映画を撮りたいから、ちょっと出てくれないか」と頼まれた。
自主映画にしては珍しく、メイクの女性が二人ほど来た。彼女たちは別室にいたのだが、撮影後、「素晴らしい声ですね」「うちの会社でPRビデオなどをつくっているのですが、今度ぜひナレーションに……」とまで言うので待っていたのだが、ついに依頼は来なかった。こちらから期待するとダメなのだ。
いくら声がいいと言っても、おそらく「素人にしては」という条件がつくのであろう。「プロの声優になれ、金なら出すからレッスンを受けろ」と勧められたことがあったが、結果はさんざんだった。そもそも、ほとんど自覚がないので、あまり一生懸命に練習しなかったので当然だ。
それが30歳ぐらいで、だんだん声を誉められる回数が減っていった。50歳をすぎてから「昔は、声がいいって言われたもんなのに」と言ったら、「ああ、そういえば」と男性編集者が相槌を打ってくれたぐらい。


特に最近はひとりで過ごすようになって、喫茶店で「トーストとコーヒー」と注文しても「ハイ?」と聞き返されるほど声が小さくなった。
全体的に、他人に対して接し方が雑になった。年をとって声帯が弱くなったから、とでも言い訳したいのだが、姿勢が悪かったり、態度がだらしないとか、正せば直る要素も多いのではないだろうか。

あと、喉の奥が大きく開いていないと声が響かないと言われる。基本的に、身体が緊張しているんだよね。思わぬ場面で猛烈に発汗するのも、根本的な緊張状態のせいだろう。酒を飲んでリラックスすると、もちろん話しやすくなる。
もうひとつ、高校時代に母と喧嘩して、怒鳴ったことがあった。その時は、我ながら太くていい声だと自覚できた。つまり、怒鳴ってまで相手に伝えたい強い思いがないと、声って細くなってしまうんだろうな。ひどい言い方だけど、僕はもう、そこまで真面目に他人に向き合ってないよ。好きな異性もいないし、友だちなんて年に1~2回会うだけでよくない?と思っているし……。他人に向ける意志が弱くなったと思う。ひとりで何でも楽しめるようになったから。

毎日、好きなようにのびのび生きていることと、何も努力していないのに(声でも外見でも)褒められることって別の種類の幸福なんだろう。
今から声を取り戻そうとしても、それは努力して無理やりに得た幸福であって、「望んでもいないラッキー」とは性質が違うよね。せめて、「確かに俺っていい声だな」と自覚して活用していれば、もうちょっと人生前半の自尊心を高められたのかも知れない。30代前半までは、本当に自分が嫌いだったから。声だけ褒められてもちっとも嬉しくない。
僕はいろんなものをあきらめることで、こんなに身軽になれた。自分を好きにもなれた。だけど、生得的な意味では失ったものもあるわけだ。それは明白な事実なので、ともかく受け入れるしかない。というわけで、明日は記者発表。

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