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2023年6月28日 (水)

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昨日は、『日本の巨大ロボット群像』展の記者発表だった。
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五十嵐浩司さんの記事がいちばん正確だと思うので、それをリンクしておこう()。1年ぐらいだろうか、ずーっと取り組んできた。今がいちばん苦しい時期と思う。


記者発表は朝10時半が集合で、打ち合わせ後に晩御飯……という流れもあり得るので、朝は近場でモーニングすることにした。
こういう場合、荷物が多ければ家から近くて駅まですぐのA店にする。B店は、家から7~8分ぐらい。駅まで行くには、10分かかる。しかし、それだけ手間をかけて行くだけの魅力がある。
というより、「わざわざ徒歩圏内へモーニングセットを食べに行く」ことには、時間を自分のコントロール下に置くという意味がある。ぎりぎりに家を飛び出し、目的地にまっすぐ直行では、どんどん精神的に枯渇する。

よって、B店にした。この店へ行くときは、バス通りから路地のような細い抜け道を2本ほど通る。それがまた、「わざわざ」秘密の場所へ出かけるようでゾクゾクするのだ。
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しかし、昨日にかぎって財布を忘れてしまい、マンションの1階から5階まで取りに戻った。
店に着いたときは、9時04分。いつもは、9時の開店前に着いているのに。「着席と同時にハムトーストをオーダーすると、7分後にテーブルに出てくる。それから20分かけて食べ終われば、44分の電車には間に合うはず」……この計画が、くるってしまった。
幸い、窓際の席は空いていた。しかし、汗がとまらない。精神安定剤は一錠飲んであるが、さらにもう一錠。でも、緊張しているわけではないと分かっているので、パニックは起きない。
さて、いつもより4分も遅くついてオーダーすると、やっぱり7分後ピッタリに、ハムトーストが出てきた。素晴らしいオペレーション。

しばらくすると、女性客が2人、3人と来店した。こんな早い時間なのに、こんなに駅から離れているのに、人気あるんだなあと思う。そう、みんな教えられてもいないのに、それぞれの理由でわざわざ来ているお客さんたちなのだ。
いつもより少し早いペースで食べて、10分前の電車に乗れた。
そういえば、背筋をしゃんと伸ばして、いつもより大きな声で店員さんに「ハイ」「ありがとうございます」「ごちそうさまでした」と言えた。いつもは「あー」「はあ…」「うー」と、こんな子供みたいな返事しか出来ない。

でも、前回のブログを書いてみて分かった。せっかく声を誉められていたのに、もごもご話すのは損だよ。はっきり元気よく話せば、もしかすると「いい声だな」と思ってもらえるかも知れないのに、そのチャンスを単なるだらしなさから逃しているだけじゃないか。そう気がついた。
過去は変えられないけど、明日は変えられる。変えなかったら、ただ一方的に悪くなっていくだけ。なので、思い出しづらい過去のことを書いて良かった。僕が怖いのは、「やっておけば良かった」と後悔することだけだ。


記者発表後、横須賀美術館さんと打ち合わせしてから、「近くで食事でも行きましょう」となった。
実は僕、スタジオで解散となったら一人で行くつもりでクラフトビール屋を検索してあった。「そこいいですね」と電話してくれたのだが、15時でいったん休憩だという。「どうしましょうか」と3人ぐらいで検索して、「今から6人ぐらいで行きたいんですが」とドンドン電話してくれる。なんと頼もしい人たちなんだろう。この展覧会のスタッフは、本当に優秀。
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スタジオの人に教えてもらって、宮武一貴さんらも一緒に、中華料理屋へ入った。テラス席が空いていたので、「外にしませんか?」とちょっと強引に誘ったが、外気は涼しくなっていたので丁度よかったはず。
ひとりで、ジョッキ3杯も飲んでしまった。まあ、いいじゃないか。明日、死ぬかもしれないんだから、楽しいときに飲んでおくんだ。
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さらに国立競技場で下車、千駄ヶ谷近くで、ひとりで飲んでいった。曇っているけど、朝から大勢と話していたから、ひとりになりたかった。家でIPAを飲んだら、さすがに二日酔いになってしまったが、これもこれで良しとする。


たとえば、20代後半ごろ働いていた豊田市の工場。流れ作業で、ただひたすらアムウェイ製品を箱に詰めていくだけの毎日の労働。
あの職場にいた若い男女のアルバイトたち、ひとりひとりは個性的で悪い人たちじゃなかった。本当にみんな、あんな退屈で屈辱的なアルバイトをしないと生きていけなかったのだろうか?
そうではないだろう、あんな非効率なアルバイトは、その場しのぎでしかなくて、それぞれ面白い人生が待っていたはず……。西八王子に住んでいた90年代の苦しいバイト時代を思い起すと、ついセンチメンタルになってしまう。
あの時期は、視野が狭かった。でも今、あえて冴えない職場へ行ったら、若いころとは比較にならないほど深く人間を見られるから、むしろ面白いのではないか? そういう誘惑がある。

もうひとつ、声のことを書いていて思ったことがある。
10~20代のころって周囲に大人が少ないから、ちょっと低いだけで「いい声」と聞こえてしまうだけではないのか。30代になると、世の中にはいろんな人がいると分かってくる。だから、僕ぐらいの声は珍しくなくなり、たいして驚かれなくなった。そういうことではないのか。
つまり、中高校生のころは周囲と自分の経験不足でちょっと得していただけではないのか。でも、幸か不幸か、僕はすごく鈍感なので、これでも傷が浅くてすんだような気がする。幸せにも鈍感だったけど、そのぶん痛みも薄くてすんだんじゃない? 

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2023年6月26日 (月)

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上野の森美術館へ、「恐竜図鑑」を観に行った。
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入場料2300円は少し高めだし、たいした構成ではないんだけど、大量の絵の具を使って描かれた古い恐竜の油彩画の数々は、どっしりとした見ごたえがあった。特に、ズデニェク・ブリアンの始祖鳥の絵。南国の鳥のような羽の色……。

僕には、薄れかけているひとつの甘美な記憶がある。
親がどこかのお土産として買ってきた、鳥の鳴き声のする円筒形のオモチャがあった。円筒の表面には、南国の鳥たちの絵が描かれていた。そのオモチャが家にあったのは、確かな記憶だ。家に通ってきていたお手伝いさんが、「子供のオモチャじゃない、そんなの」と笑っていたので、小学五年生ごろであることは確実。

それと結びついて、小学二年生ぐらいのころ、ぼんやりと南国の鳥たちの絵にうっとりと見とれた記憶がある。確か、箱根へ家族旅行したとき、旅館の売店かどこかで、花火を買ってもらった、「ナイアガラ」という花火で、大きな滝のまわりに鳥の舞う絵が描いてあった……ような気がする。そのあたり、鳴き声のするオモチャとごっちゃになっている。
その絵のことを思い出そうとすると、夏休みの昼間、ひとりで明るい風呂場へ立っている情景が思い浮かぶ。祖母に「暑いから水風呂に入りなさい」と言われたような……。
何がどう結びつくのかは分からないが、いつもは夜に入る風呂場に、昼間に裸で入る不思議な、背徳感のような気持ちと南国の鳥たちの絵が、ぼんやりと結びついて記憶の奥底に息づいている。こうして文字にすると、夢の記憶と同じように「どこか違う」ものとして固着していってしまう。


同じように、覚書として書き残しておきたいことがある。
20代のころまで、僕は「声がいい」とよく言われていた。最初は、中学三年生のとき。別のクラスの、当時でいうツッパリ・グループに属していた女子に「声いいですね」と、急に話しかけられた(僕はナヨナヨした色白のオタクだったので、そういう子からは敬語で話しかけられる)。「何か話してみてください」と言われ、「えーと何を?」と答えたら、「わあ、話しちゃった……」とまるで憧れの男子と話せたかのようなリアクションをされた。
言っておくが、僕は髪の毛も鼻毛も伸び放題、制服は汚れていて、女子に好かれるような外見ではなかった。「暗い」と言われるようになったのも、その頃だ。それなのに、声だけでここまでモテ気分を味わえるのかと不思議な気持ちになった。自分の録音された声は、鼻づまりの変な声にしか聞こえないのに。

中学時代には、もうひとつ。確か図書の先生だったと思うのだが、クラスの担任ではない女教師と、何か用があって話すことになった。
「このプリント、図書準備室に運ぶよう村上先生に頼まれたんですけど」とか、そんな事務的なことを告げたところ、「わあ、渋い声」と言われた。こうして書いていても、本当に自分の身のうえに起きたことなのかと疑わくしなってくるが、忘れないうちに書き留めておこう。

男子からも「ヒッサンの声って『ダグラム』のフォンシュタインに似ている」と言われたし、兄からも「ホセ・メンドーサの台詞をしゃべってみてくれ」と頼まれたりした。
……が、同時に「早口」「もごもご言ってて、何言ってるか分からない」とも言われていた。それなら自覚があり、何とかしたいと思っていた。


次が、高校二年生。僕にとっては忘れられない学年で、隣のクラスのカッコいい男子に、猛烈な勢いでいじめられていた。そいつと仲のいい同じクラスの男子からもバカにされ、まわりの女子も一緒に僕のことを笑っていた。
……が、にも関わらず、声だけはモテた。ひとりの女子(そのいじめっ子グループと仲が良い子)が、僕が国語の時間にさされて朗読を始めるたび、まわりの女子と目を合わせることに気がついた。その子は修学旅行のバス車内で「誰か、男子に歌ってもらいたい人は? 名指ししていいよ」と言われて、「廣田くん」と即答した。僕はひどいオンチだったが、男子のひとりが「うーん、いい声」と唸っていた。
こうして書くと手のこんだイジメの一種だった気がしないでもないが、覚えているとおりに書く。

高校二年に決定的だったのは、生徒会の副会長に立候補したときだ。
どういう理由からか、選挙演説は大勢のまえで読むのではなく、放送のみであった。好きな女子が演説会の司会で、「早口になっちゃダメだよ」と可愛らしい口調で注意してくれた。僕は、そのことしか意識していなかったのだが、演説後に生徒会室にいたら、後輩の女子が走ってきて「先輩、みんないい声だって言ってましたよ! 竹中直人みたいだって!」と大声で告げた。
他の生徒に聞くと、僕の演説が校内に流れはじめた瞬間、「おお~」と教室にどよめきが起きたという。結果、対立候補の倍以上を得票して、副会長に当選できた。対立候補は、隣のクラスのいじめっ子たちの一人だったので、それはもう悔しそうだった。
とにかく不潔で不細工で、勉強もスポーツも全部ダメないじめられっ子だったのに、声だけで巻き返せるのだから、そういう事もあるのだと覚えておいてほしい。


面白いことに、僕が好きになった女性にはあまり声を誉められたことがない。
先ほど、演説会の司会をしてくれた女子を好きだったと書いたが、その子とよく二人で居酒屋へ行くようになった(微妙に未成年だった気がするのだが、そういうことには寛容な時代だった)。
居酒屋で「ビールふたつと豚キムチ、あとナスとレンコンの炒め物」みたいな感じで店員に注文したら、「ええ~? とても真似できないよ、すごい」と言われた。ずっと何のことだろうと思っていたのだが、その子に声を誉められたのは、その一回ぐらいではなかったか。

大学四年のころ、アメリカン・トイをコレクションしている年上の人と知り合った。
その人の仲間たちと酒を飲む機会があって、バンドをやっているという女性がきた。「なんか、声渋くないですか?」とまず言われ、「そのお通し、食べないならもらっていいですか?」と聞かれた。「どうぞ」と答えると、友人が「お前、今の声は渋すぎたぞ!」と茶化してきた。
同じころ、漫画の原作などを書いている作家さんと知り合い、よく飲みに行った。その席で、僕のことを指して「ほら、この人、うらやましいぐらいいい声してるじゃないですか」と言うので、そんな風に思っていたのかと驚いた。


ちょっと飽きてきたが、いろいろ思い出してきた。
大学の卒業制作で、教授たちの前で自分の映画について質疑応答する試験があった。他の人はしどろもどろだったが、僕はどの質問にも倍ぐらいの言葉数で反論した。その議論は大した内容ではなかったのだが、当時好きだった子が「ヒロリン、アナウンサーになればいいのに。声がいいから」……と、親密な女性に言われたのはそんな程度だった。

大学卒業後、同学年だった人から「自主映画を撮りたいから、ちょっと出てくれないか」と頼まれた。
自主映画にしては珍しく、メイクの女性が二人ほど来た。彼女たちは別室にいたのだが、撮影後、「素晴らしい声ですね」「うちの会社でPRビデオなどをつくっているのですが、今度ぜひナレーションに……」とまで言うので待っていたのだが、ついに依頼は来なかった。こちらから期待するとダメなのだ。
いくら声がいいと言っても、おそらく「素人にしては」という条件がつくのであろう。「プロの声優になれ、金なら出すからレッスンを受けろ」と勧められたことがあったが、結果はさんざんだった。そもそも、ほとんど自覚がないので、あまり一生懸命に練習しなかったので当然だ。
それが30歳ぐらいで、だんだん声を誉められる回数が減っていった。50歳をすぎてから「昔は、声がいいって言われたもんなのに」と言ったら、「ああ、そういえば」と男性編集者が相槌を打ってくれたぐらい。


特に最近はひとりで過ごすようになって、喫茶店で「トーストとコーヒー」と注文しても「ハイ?」と聞き返されるほど声が小さくなった。
全体的に、他人に対して接し方が雑になった。年をとって声帯が弱くなったから、とでも言い訳したいのだが、姿勢が悪かったり、態度がだらしないとか、正せば直る要素も多いのではないだろうか。

あと、喉の奥が大きく開いていないと声が響かないと言われる。基本的に、身体が緊張しているんだよね。思わぬ場面で猛烈に発汗するのも、根本的な緊張状態のせいだろう。酒を飲んでリラックスすると、もちろん話しやすくなる。
もうひとつ、高校時代に母と喧嘩して、怒鳴ったことがあった。その時は、我ながら太くていい声だと自覚できた。つまり、怒鳴ってまで相手に伝えたい強い思いがないと、声って細くなってしまうんだろうな。ひどい言い方だけど、僕はもう、そこまで真面目に他人に向き合ってないよ。好きな異性もいないし、友だちなんて年に1~2回会うだけでよくない?と思っているし……。他人に向ける意志が弱くなったと思う。ひとりで何でも楽しめるようになったから。

毎日、好きなようにのびのび生きていることと、何も努力していないのに(声でも外見でも)褒められることって別の種類の幸福なんだろう。
今から声を取り戻そうとしても、それは努力して無理やりに得た幸福であって、「望んでもいないラッキー」とは性質が違うよね。せめて、「確かに俺っていい声だな」と自覚して活用していれば、もうちょっと人生前半の自尊心を高められたのかも知れない。30代前半までは、本当に自分が嫌いだったから。声だけ褒められてもちっとも嬉しくない。
僕はいろんなものをあきらめることで、こんなに身軽になれた。自分を好きにもなれた。だけど、生得的な意味では失ったものもあるわけだ。それは明白な事実なので、ともかく受け入れるしかない。というわけで、明日は記者発表。

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2023年6月24日 (土)

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1年以上にわたって準備してきた展覧会『日本の巨大ロボット群像』()、あちこちのニュースサイトに情報が載りはじめています。
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ビジュアル・デザインは、植松久典さん。美術館に通うのが単なる趣味だったはずの僕は、なんとキュレーターとして招かれました。
一部媒体でフライング的に明らかにされたように、宮武一貴さんに巨大なロボット絵画をお願いしていて、その制作を見守るために、5月末から1ケ月近く、せっせと横須賀美術館へ通いつづけていたのでした。


東京でレギュラーの仕事を進めながらとはいえ、週に2~3日は海と山に挟まれた横須賀に滞在していたわけで、それは夢のような泡沫のような、リアリティの薄い非日常な日々だった。バスから見える壮大な水平線にも、いつしか慣れてしまった。
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ホテルを出て6~7分ほど歩くと、駅前の喧騒から離れた喫茶店“かうひいや かーぼ”がある。
店名のセンスが、すでに70~80年代っぽい。合皮レザーの椅子、レンガ壁、そしてフュージョンというか打ち込みの薄っぺらい耳ざわりのいい曲の流れる店内。何種類かあるモーニングセットの中から、いちばん高い生野菜とロースハムのサンドを頼む。入り口ドアのガラス越しに、外光が差し込んでくる。「カフェ」なんかではなく、昭和らしい「喫茶店」。もちろん、新聞・漫画雑誌も本棚にぎっしり。
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すっかりレトロな気分に染まって、ちょっと歩いたところにあるデニーズさえも、80年代風に見えてくる。西海岸というか、大滝詠一のアルバムジャケットのような、古き良きアメリカ文化の雰囲気……。デニーズの外装って、こんなに良かったっけ?と思う。
「ぺんぎんずばあ」というか「サントリー缶ビール」、「ダウンタウンソーダカムパニィ」とか、80年代のアルコール飲料CMの軽薄かつロマンティックな気分。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』的なオールディーズ感。まあ、店内はガッツリと2023年ジャパンだと思うので、海岸通りに向かうアメリカンな空気感だけ味わっておく。

海岸通りを目指して寂しい道を歩くと海が見えてきて、海沿いのテラス席で、戦艦三笠を眺めながらクラフトビールを一杯やれるのである。頭の上は青空でいっぱい。
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こうして、一つ所に留まることなく、あちこちへ旅するように仕事したかったはずなのに、毎晩居酒屋には行くし、金銭的な不安もなくはない。通知されてきた税金の高さには、いつも驚かされる。横須賀美術館へ行くたび、「毎日ご苦労様です。ハイ、出張手当一日一万円です」ってわけにはいかないのである。
いまの僕だったら、自分が何をやろうが楽しいわけだから、用務員や清掃員でも意義を見つけて、まあまあ前向きに取り組めるんではないかと思う。地味で寂しいのが好きだし、ほどほどに楽しめるんじゃないだろうか。若い頃のような「有名にならなくちゃ」って焦りもないし、結婚も海外旅行も経験できたし、もう人生にそれほど巨大な娯楽を求めちゃいない。
これからキュレーターになろうが、用務員になろうが、「自分が主軸」なので大して違わないとすら思いはじめた。


最近観た映画は『シカゴ』、ヒッチコック監督『逃走迷路』。
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シリアスなサスペンスに見えて、実は支離滅裂なシーン展開で何度も何度もどんでん返しを続ける『逃走迷路』のアナーキーなスタイルには、驚かされた。ストーリーもテーマもなく、ただ観客の予想を裏切るため奇想天外なシーンを繋いだだけ。無理やりなロマンスもあるし、終盤でキーパーソンだったはずの人物が出てくる頃には展開が錯綜しすぎ、もう彼が何者なのか分からなくなっている。ヒロインが「それって誰だったかしら……」と言うのだから、確信犯だろう。
そうそう、ヒロインが「道路の看板のモデル」とかいう奇妙な設定で、今後の展開を暗示するかのようなキャッチコピーを刷った看板が随所に登場するのにも笑った。でも、これがエンタメなんだと思う。途中、あまりに面白すぎて泣きそうになったぐらい。「なーんだ、真面目に見ることないんだな」という開放感があるんだよね。ラストも、いきなりバツンと終わってしまうし、これでいいんだよな。
そして、しっちゃかめっちゃかな『ピアニストを撃て』は映画の形をしたヒッチコック論だったのだと、あらためて思う。

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2023年6月11日 (日)

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金曜日、アーティゾン美術館「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」。
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鍵岡リグレ アンヌの幅6メートルの大作、これを見るために来たようなものだと納得できた。展示の最後のほうにあった作品だが、すべてをかっさらうぐらいの鮮烈さがあった。
美術館という場所は、文脈や意味を喪失させるために、いわばラリるために行くので、言葉による感想は空しい。また、僕には論評できるほどの知識もない。しかし、3フロアを使った壮大な展示を見られて良かった。


美術館の帰りに丸ビルへ寄ると、7階のオープンエアのテラス席が大幅に改築されていた。
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分かりづらいのだが、簡素な椅子と机だけのエリアは何も買わなくても入れるが、ソファのある豪奢なつくりのエリアは店舗の飲み物さえ買えば出入り自由だと後で分かった。
とりあえず、COEDO 毬花が1000円なのは人件費などを考慮しても高いと思い、東京クラフト(エール)にした。それでも、750円する。お店のお姉さんは「東京クラフトビールですね」と言っていたが、メニューには「東京クラフトエール」と書いてある。メニューを書いた人が、あまりビールに興味なかったんだろうな。クラフトビールと称して東京クラフトしか置いてないと、かえってガッカリする。前に来たときは生ビール(銘柄不明)だったのだが、どうせプラコップだし、それで十分なんだよね。

こういう気持ちになりたくなければ、いろいろ調べて試して、改善していくしかない。自分の好みのシチュエーションを微調整していく。だって、井の頭公園の休憩所では「キリンかアサヒ」「缶か瓶」、その二択だけで十分に楽しいもの。
人生が面白くない人って、こういう、ささやかな好みの部分で妥協している。あるいは、べつに好きでもないものを雑に「好き」と思い込んでいる。つまり、向上心が低い。


翌日、どんより曇っていたが、わざわざ開店時間にあわせて三鷹北口の喫茶店へ行く。二人ほど客が待っていたが、窓際に座れた。
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メニューのクロックムッシュの上から、テープで「アンチョビバタートースト(ピクルス付き)」と貼られていたので、迷わずそれにした。
しかし、「ピクルス付き」で分かるように、完全にワインのつまみであった。でも、それでいいんだよ。確かめずに知ったふりをするよりは、試して失敗したほうが気がすむ。
そのために少し高いメニューを頼むのは、ちっとも惜しいとは思わない。ここで下らない後悔を残すぐらいなら、僕はお金を使う。

窓際の席から道行く人たちを眺めていると、日曜日でデートなのかお洒落な人が多い気がする。たまに、オジサンでも洒落た格好の人がいるので油断できない。ぽつぽつとした人通りを見下ろしていると、この世への愛おしさのような感情が湧いてくる。
……何も後悔はない、自分はよく頑張った。仕事も遊びも、欲張ることができた。いろんな国へ行ったし、何人かの女性にも愛された。1年で20万円もとられる税金のことを考えると重たい気分になるはずなのだが、時にはずる賢く図太く、自分は無理やりにでも乗り切ってきたのだろうと思う。
最初から何もなかったような、そもそも生きてすらいないのだから死ぬわけがない……といった不思議な安心感がある(母の死が大きかったのだな、やはり。死ぬことは母と同じ体験をするわけだから、べつに怖くない)。生まれたくて生まれてきたわけでもなければ、日本政府と契約したわけでもない。最初から何もないのだから、怖いものも無いはず。


最近観た映画は『十八歳、海へ』と『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』。後者は何度目だろうか、私財を投げうって終わりのない撮影に挑むコッポラを見ていると勇気が出てくる。ただ、この当時のコッポラは家族と潤沢な報酬に恵まれており、べつに狂ってはいなかったと思う。

ここのところ横須賀への出張が多いので、ホテルのベッドに寝転がって缶ビールを飲みつつ、つげ義春原作『散歩の日々』のドラマもよく視聴している。この作品を原作漫画で知ったときは20代終わりごろの90年代、貧乏アルバイト時代。その苦しい時期に出会った漫画や音楽には、ひときわ思い入れがある。

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2023年6月 6日 (火)

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スーパーマンたちが10代の姿に!何度でも“聴きたくなる”「ジャスティス・リーグxRWBY」豪華声優が参加した吹替版の魅力とは?
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ムービーウォーカーに掲載されたコラムです。
自分には、もうこういう短いスパンの仕事は来ないだろうと思っていたら、編集者さんが『RWBY』の日本語版に詳しいライターということで探し当ててくれました。
版権元からの要請を上手くさばいて、こちらへの要求と修正を最低限に抑えてくれて、こんな有能な編集者がいたのか……と、短い納期ながら気持ちよく仕事できました。


『RWBY Volume.1』の日本語吹き替え版の試写会に呼んでもらったのは、もう8年ぐらい前。
最初は類型的な美少女キャラを並べただけのコミカルなアクション物かと思っていたら、最後のエピソードで、慄然とした。それまでチーム論、リーダー論がストーリーを牽引してはいたけれど、最後はチーム内での人種差別の話だった。
被差別人種のブレイクと、上流階級の令嬢ワイスが対立する。最後に、ワイスは「これからはチームメイトに相談なさい」とブレイクに告げる。ちゃんとチーム論に回収している。しかし、このエピソードではゲスト的にロボット少女のペニーが登場して明らかに異質な存在として扱われるので、人種対立や差別といったテーマは解決するどころか、むしろ深まっているのだ。

テーマだけの問題ではない。
行方をくらませたブレイクを探して歩くメンバーたち。高慢な態度の中にも迷いを見せるワイスの芝居は、モーションキャプチャーを使って細かな芝居を拾っている(「無実なら逃げないはずですわ」と、つまらなそうに呟くところ)。
コミカルな動きの多いアニメなので、さり気ない日常芝居が良いアクセントになる。
ペニーが大活躍した後、すでに仲間のもとへ戻ったブレイク、ペニー(一人だけあぐらをかいているのが可愛い)らのところへ、ワイスが黙って歩いてくる。このラストシーンでワイスとブレイクは和解するのだが、まず停車しているパトカーの絵にかぶせて警察無線がノイズっぽく入り、ワイスの足がフレームインすると同時に、静かなピアノ曲が始まる。
ド派手で子供じみたアクションで始まったのに、情感豊かにひっそりと幕を閉じる大人のセンス。その深い余韻に陶然として、誰とも話したくなくて、ひとりでワーナーの試写室から遠い駅まで歩いた。少し泣きながら帰った記憶がある。「こんな良いものがまだ世の中にあったのか」という驚き、喜びだった。
それ以降、『RWBY』に関ることはすべて僕の個人的体験であり、いかようにも書くことが出来る。


仕事で、先月末から何度か横須賀美術館へ通っている。泊まりで行っても午前中は時間が自由なので、横須賀中央駅の西側の山を登ってみた。
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山に向かう道なので、商店の向こうは空だけだ。日曜だからなのか、ほとんどの商店が店を閉めている。
その静寂の中、DIYのお店が歩道に花をいっぱい並べていた。自分は脳内麻薬物質が過多だと思うのだが、その光景だけでも天国のように美しく、山の上にある横須賀市自然・人文博物館までの道のりが楽しくて仕方なかった。

将来の収入など、いろいろ不安なはずなのに、世界の存在を感じているだけで嬉しい。今日、曇り空の早稲田通りを歩いたけど、風が涼しくて気持ちよかった。雨の日も晴れの日も、ぜんぶ愛おしい。


最近観た映画は、『ブレイクアウト 行き止まりの挽歌』『さらば映画の友よ インディアンサマー』をプライムビデオで。
原田眞人監督の『さらば映画の友よ』は、二回目かも知れない。観客ほったらかしの支離滅裂な内容だが、『ピアニストを撃て』のような爽快感はない。この10年後が『ガンヘッド』である。
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『ブレイクアウト』は、ひさびさに目が釘付けになるほど集中して観られた。ロッポニカという変なブランド名になって、「邦画ってダセえなあ」と当時は失笑していたものだが、いざ見てみると、日活の底力を感じさせる娯楽作だった。
クライマックスは二転三転しすぎるが、パトカーが三台も潰れる派手なカーチェイスがあったりして、ちっとも飽きさせない。車が納屋に突っ込むシーンでは、納屋の中にもカメラを置いて撮っている。
何より感心させられるのは、シーンをまたいで霧雨が降りしきっていること。雨がやむと、地面がしっとり濡れている。当たり前のようだが、時間をかけて計画しないと、こういう撮影はできない。霧雨が、絶望的な逃避行の情感を醸しだしている。何となく晴れ、何となく曇りではダメなのだ。

藤竜也の顔に傷ができて、それが少しずつ治っていく……こういう描写も、技術と段取り、スタッフワークの賜物である(ちなみに、特殊メイクは原口智生さん)。村川透監督のキャリアを、甘く見ていたようだ。ロッポニカ作品=低予算という思い込みもあった。
こと実写映画に関しては、僕の興味は「現場の記録」からどれぐらい離れているか、「現場の記録」から一歩も出ていなくても、それはそれで映画の在りようではないのか……と、その辺りに滞留しつつある。

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