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2023年5月20日 (土)

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火曜日は、寺田倉庫WHAT MUSIEAMで開催中の高橋龍太郎コレクション「ART de チャチャチャー日本現代アートのDNAを探るー」、公開制作:能條雅由「うつろいに身をゆだねて」へ。
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いずれも、狭い会場内をテクスチャの異なる多様な作品で埋め尽くし、濃密な時間を体感できた。これらの美術作品を間近に見ても、言語化できるような意味もストーリーも読み取れない、だけどそれは無意識の知覚領域が起動されている証拠だと思う。
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面積・体積の大きな作品は、それだけで有無をいわさぬ表現力がある。でも、それ以上に質感や密度が体感時間に影響する。僕は田代裕基、熊澤未来子の作品の間を何往復もしたが、多めに見積もってもトータルで20分ぐらいだっただろう。
でも、2時間ぐらい見ていたような感覚で、外へ出ると軽く疲れを感じるほどだった。


天王洲アイルに来たら、ほぼ必ず寄るT.Y.HARBOR。まだ13時半で、奥の席は大勢の客でうるさいので入り口に近い席に座るようにしている。
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まずIPA、二杯目はフランク・ザッパをイメージしたという期間限定のIPA。ショートサイズなら、ほぼ1時間かけて2杯飲むのに丁度いいうえ、千円ちょっとで済む。

翌日は猛暑のなか、取材で新宿へ行った。
その翌朝も暑かったが、お気に入りの喫茶へモーニングを食べに行き、深煎りブレンドを一杯おかわり。
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午後からリモート会議が続くので、この日は休肝できた。
好きな時間に起き、好きなだけ喫茶店の窓から、ぼんやりと外を眺めていると、こうしている間に100年、200年と時が流れていくような不思議な感覚になる。こんな贅沢な時間の過ごし方があるだろうか? 
逆に、20~30代の貧困時代にどうやって生きていたのか不思議に思う。毎日の晩飯が、松屋の定食であったことは、よく覚えているのだが……。


月収60万稼いでいても、全額をホストにつぎこんで、自分は路上で暮らしている女性がいる。好きなことに使っているのだから、それはそれで幸せな人生だろうし、そんなに稼いでいてもホームレスになり得るという事実を彼女は立証してもいる。
思ったように物事の進まないストレス状態を、僕たちは「不幸」と認識する。20代の僕は、自分は優れたクリエーターとして有名になるべきなのに、まだ誰にも見出されていないから、朝から晩まで我慢してアルバイトして時間を切り売りするしかないのだ……と不満を抱えていた。

40代になってから、ライター業で空いた時間に掃除のバイトを入れてみたら、それは納得づくで働いているので、人間関係を楽しむゆとりがあることに気がついた。なぜ、そういうオペレーションで会社が清掃作業を回しているのか興味がもてたし、改善策も思いついた。
「自分は望んでもいない掃除のバイトを無理してやっているんだ」という認識ならば、たとえ何十万稼げようと、それは「不幸」なのだ。おそらく僕は「不幸」や「不満」が再び自分の人生を覆いつくすのを恐れるあまり、「貧乏」という経済的な属性を与えたがっている。そうしないと、漠然とした不安を直視できないのかも知れない。
……だが、毎日こんなに好き勝手に生きているくせに、「漠然とした不安」など、本当はありもしない幽霊を怖れているようなものじゃないのか?


最近観た映画は、『氷の微笑』、『ゴーストバスターズ』、『あばよダチ公』、『ラストムービー』、『キャスト・アウェイ』。配信以外では、自分で購入した『転校生』のDVDも見た。
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『キャスト・アウェイ』は三回目ぐらいなので、ぼんやりと次の展開を覚えていた。にも関わらず、かじりつくように画面を凝視できた。
というのも、シーン転換する最初のカットに印象的な被写体を持ってきて、そこからカメラを引いて全体状況を把握させる……という段取りを、パターン的に行っていると気がついたのだ。すると、興味がどんどん喚起されて飽きずに見られる。

トム・ハンクス演じる主人公は、FedEx社の輸送機に乗って遭難するのだが、最初に飛行機に乗るシーン。輸送室にコンテナを運び入れる一社員をカメラが追い、彼が飛行機のドアから出ていくまで撮る。彼と入り代わりに、主人公が乗り込んできて、カメラは今度は主人公を追う。主人公が操縦席へ乗り込むまでを撮ると、ワンカットで「操縦席」と「輸送室」の近さが把握できる。すると、遭難時に主人公が大量の荷物とともに島に流れ着くことに、説得力が生まれる。

登場人物の動線にしたがって、カメラが動く。これはロバート・ゼメキス監督がいちいち指導していたというより、現場が慣習的に(おそらく撮影監督が主体となって)行っていたカメラワークじゃないだろうか(撮影監督はドン・バージェス)。
主人公が飛行機で事故に遭う前の、機内に無造作に脱ぎ捨てた靴のアップから恋人から贈られた時計までのパン。一方、生還後の主人公は靴を脱がずにキチッと足を揃えて乗っている……等、前後を比較して分かりやすいシーンもある。どちらも、シーンの冒頭にくるカットだ。
しかし、そうした文芸的な意味のないアップにこそ注目したい。たとえば、生還後の主人公を祝う同僚たちのパーティー。
●「そろそろパーティーはおひらきだ」と、主人公の同僚が告げるのだが、まず彼が空のワインボトルをアイスペールに放り込むアップから始めている。歩き出した同僚をカメラが追うと、その先には疲れた顔の主人公が立っている。
●カメラはそのまま、今度は大勢の人に囲まれて歩き出す主人公を追う。同僚の動線から主人公の動線へと、乗り換えているのだ。主人公は立ち止まりカメラも止まり、去っていく人々を見送る。再び、同僚がフレームに入ってきて、主人公をハグする。ここまで、ワンカット。
効率的に状況を説明しつつ、俳優の表情も無理なく撮れている……が、それ以上に起承転結の流れがある。ワインボトル、同僚、主人公、主人公と同僚、少しずつモチーフが移り変わっていく。その流れを、カメラが作り出している。僕は、こういう検証をしているとき、我を忘れて熱中できるのだ。

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