■0513■
先週、着席したとたんに猛烈に汗をかいてしまい、逃げ出すように席をたった喫茶店。平日、定例ミーティングの前に再訪してみた。
野菜たっぷりのオープンサンド、これは日によって野菜の種類が代わるらしい。そして、深煎りブレンドの器はザラリとした手触りで、これも好み。今回は女性客と向かい合わせの位置に座らないよう、壁を向いて座った。壁には、大きな森の写真が掲げられていた。静かで雄大で、すごくセンスがいい。
客層もいい。女性客は明るく「ごちそうさま」と言って退店し、窓際席に残った男性はノートパソコンを広げて仕事していた。しかし、カチャカチャとうるさくしない。立ち振る舞いが、静かでスマートだった。
親切なメールをくれたご主人だが、「こないだはすみませんでした」「いえいえ」といった程度の会話しか出来なかった。まあ、人間そういうもんだろう。「パニック発作」と言っただけで、普通の人は引くもんね……いい勉強になった。
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翌日は都心のほうへ打ち合わせに出かけたので、高田馬場のちょっと変わった喫茶店へ。
カウンターで注文・会計をすませるタイプのお店で、いけてる感じのお兄さん・お姉さん店員が和やかに会話しているのだが、こういうアウェイなお店にこそ、足を運ばないと! タイソーセージサンドウィッチには辛みを和らげるためのリンゴが挟んであって、感心させられた。
やや狭くて、あまりゆっくりできないタイプのお店かと思いきや、40分ぐらい読書に没頭できた。明るい店員さんたちだけど、けっして失礼ではない。そこが大事なところだな。
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帰りは陽気がいいので、中野で途中下車してクラフトビール。
スプリングバレー、TOKYO BLUES……どこにでも置いてあるようなメジャーな銘柄だが、それでも構わない。
2杯で1500円は確かに高いはずだけど、ほかの部分で切り詰めているんだと思う。ここでケチると、「思い通りにしなかった」悔いだけが残る。
ベンチでウクレレを弾いている人がいて、子供たちがシャボン玉を飛ばしている平日の夕方。ここで飲まないで1500円を浮かせたところで、いったい他に何に使う?
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結局、お金というのは「どんな良い思いができたか?」「ちゃんと自分の気がすんだか?」に換算しないと、いくらあっても変わらない。貯金が20万円だろうが200万円だろうが、今日やること・やりたいことは変わらないのだ。そして、体験を重ねれば重ねるほど、欲望の精度は上がっていく。
体験を積んでない人は、質の低い欲望で満足してしまう。質を高める=高級店へ行けばいいというほど単純ではない。僕の場合、晴天だろうと曇天だろうと、その日の表情を感じとれる喫茶店で、ゆっくり読書したい。その欲求と体験に対価を払っているので、高すぎるとは思わない。満足できることのほうが大事なのだ。
「お金がもったいないから、缶コーヒーを公園で飲めばいい」「ビールなんてスーパーの発泡酒で十分」……その短絡的な「我慢」の発想が、「貧しさ」だと思う。
20代で、何もかもケチってやりたくもないアルバイトをしていた頃は、クーポン券やポイントカードを頼りに安い居酒屋にばかり行っていた。「これで節約できているはずだ」と信じていたが、それなのに毎日がつらかった。そんな貧困生活が10年近く続いた。
本当は、もっと頭のいい楽しみ方があったんじゃないか? 工夫が足りないか、知識と経験が狭いだけだったんじゃないか?と、今なら分析できる(その分析を経たうえでなら、スーパーの発泡酒にも別の価値が見つかるのかも知れない)。
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若いころの僕のように、「考えの浅い人」を引っかける罠が、社会にはたくさんある。「コスパ」「タイパ」のように、貧乏な人を貧乏のサイクルに押しとどめておく概念は、いつの時代にも流布している。店にできる行列もそう、「平等」という考え方もそう。「誰もが平等なはずだ」という思い込みが、無用な嫉妬を誘発する。嫉妬心は人の心を汚し、枯れさせ、疲れさせる。
「暇つぶし」という考え方、誰かの指示を待つ仕事のやり方……世の中には、人を不幸にする概念ばかりが履いて捨てるほどある。
20代の僕は、ことごとく、それら社会に広まりやすい不幸のサイクルに引っかかりつづけていた。「もっとキツい仕事をしないと」「早く有名にならないと」……これらの空虚な思い込みは、貧乏と相性がいい。
モラハラ気質の元嫁との、なかば強引な結婚と離婚、母の不条理な死が強制的なリセットとして作用した。元嫁の父親は経営者だったので生活の心配はなくなり、貯金ができた。母の死によって、裁判という形で社会参加できることを学んだ。いろんな制度に僕は守られているし、権利もあると知った。あとはモラハラ気質の人を遠ざけて、なるべく人と関わらずに一人でも充実できるよう、自分だけのセンスを磨くこと……。
なぜだろう、20代のいちばん辛かった時期が懐かしい。もう、あのころの価値観には戻れないという安心感があるのかも知れないし、自分を好きになれたという証拠でもあると思う。
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