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2023年5月30日 (火)

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ホビージャパンヴィンテージ Vol.10 明日発売
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1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』放送、『ガメラ 大怪獣空中決戦』公開などを起点としたキャラクター文化の夢のような繁栄期を多数のプラモデルと共に振り返る40ページ巻頭特集の構成・執筆を行いました。
インタビューは『カウボーイビバップ』の南雅彦プロデューサー、メカニックデザイナーの山根公利さん。もう一本、平成『ガメラ』シリーズの怪獣造形で知られる原口智生さんにも取材しました。ツクダホビーのソフビキット、あんなにお金のない時期だったけど、ちゃんと八王子の模型屋で買って組み立てたんだよなあ……と、ちょくちょく書いているように、苦しいアルバイトで貧乏暮らししていた90年代がものすごく懐かしい。なので、この特集には、当時の風俗や流行もなるべく掲載しました。
(地下鉄サリン事件は、八王子の模型工場でアルバイトしているとき、ラジオで聞いた。そのアルバイトは時給1000円で、他のバイトたちより多くもらっていたのに、それでも3食100円の焼きそばを友達に買ってきてもらって、毎日そればかり食べていた。その友だちは奥さんの実家に住んでいたので、晩御飯に呼んでくれたりもした)


ようやくライター業にありつけたのは1998年、『ガンダム』20周年の前年。それまではテレビで『Gガンダム』や『∀ガンダム』を見て、アルバイト代でオモチャやプラモを買っていた。『Vガンダム』の頃は、すぐ近所に住んでいた女友達に録画してもらっていた。
その人とは、互いの家で安酒を飲んだりして、クリスマスには彼女の友だちと3人でパーティーしたことさえあるのだから、貧乏とはいえ割と楽しかったんではないか……と、まるで他人の人生を覗き見ているような不思議な気持ちになる。

何が苦しかったかといえば、自分は本当は映画監督(というか何か凄いクリエーター)になるべき才能があるのに、誰からもぜんぜん認められてない……という自己肯定感の低さなんだろうな。25歳のときに彼女ができて、僕のシナリオを読んで「凄いじゃない、もうプロ並みだね」と誉めてくれたけど、ぜんぜん価値がないと自分で分かっていたから、余計に苦しくなった。恋人だからって内輪受けでシナリオを誉めてもらって、恥ずかしくすらあった。
「こんな程度の低いシナリオを誉めてしまうような女と付き合っていたら、さらに自分はダメになってしまう」という不安が強まり、その恋人とは1年ぐらいで別れてしまった。あれほど彼女が欲しくて誰にでも声をかけていたくせに、いざ女が出来ると不満しか出てこない。

枯渇感・飢餓感を自分で再生産しているというか、わざわざ苦しくなるほうへ自分から向かって行って、「ホラな、やっぱりダメだったろ?」と不幸を確認して、そこに安住していたんだと思う。本気じゃないというか、本当は何をどうしたいのか考えていない。
人生には何か難解で崇高な答えがあって、何かしらの困難な方法によって、この脆くて傷つきやすい自我が救済されねばならないと、30代前半まで信じていた。「いつまでたっても一向に救われない自分」に酔っていた。だから、よく泣いていた。何もかもが、つまらなかった。


先ほど書いた『Vガンダム』を録画してくれていた女友だちは、僕の嘆き癖をよく見抜いていて、恋人ができるたび「結局、きみもマイホームパパ、平凡な人生か」と揶揄してきた(当時は、FAXでよくやりとりしていた)。無論、僕が結婚する時にも、精一杯の嫌みを言っていた。確かにその後、離婚したり何だりで、ひとりで海外へ行くのが楽しみな人生になったのだから、女友達の言うことは大当たりだったのだ。
女友達は、僕のパニック発作にも理解があって、取材で人と会わねばならないと電話で告げると,「じゃあ、お薬いっぱい飲まないとね」と精神安定剤のことを肯定的にとらえてくれていた。今ここにいる自分を否定せず、精いっぱい楽しむしかないのだと、あの人には分かっていたんだろうな。
壮絶にオンチな僕のことを笑わず、よくカラオケにも行っていた。「じゃあ、20代のころ楽しかったんじゃん!」と、我ながら思う。

その女友達は旅行作家になって、今でも本を出しつづけている。
「〇〇君(僕につけられた仇名)も、海外へ行けばいいのに」と、よく言っていた。彼女に言われた通り、離婚後の僕は海外旅行を大好きになったのだから、羅針盤はそっちを指し示していたのだ。きっかり30年前の話である。思い出しながら、唖然としている。
あの絶望的な貧乏時代に、「こっちへ行けば脱出路があるぞ」と道は示されていた。だのに、僕にはそれが脱出路に見えなかった。


プレイステーションのギャルゲーを買って、西八王子駅南口の古本屋で安い本やCDを買って、少しでも知識を増やして……そうこうする間に、30歳をすぎてしまった。
八王子~豊田の低賃金の工場、アルバイトでしか稼げないと信じていた沢山の人たち。彼らを乗せたバス。あの小さな世界が、今では不思議と愛らしい。その後につづく、牢獄のような結婚生活すら、ふいに愛おしくなるのだから人生は面白い。自分を肯定すると、過去がすべてポエムになる。


最近観た映画は、変わった邦画『ケイコ 目を澄ませて』、『TANG タング』、あと仕事関係で『ジャスティス・リーグ』など。
ドン・バージェスが撮影監督をした『フォレスト・ガンプ 一期一会』も再見したが、『キャスト・アウェイ』とは演出に明確なスタイルの違いがあって、共通点は見つけづらかった。


パニック発作で、初来店時には猛烈に発汗してしまった喫茶店、3度目に行って来た。
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小学生の頃に自転車で通りすぎた道、中学~大学にかけて犬を散歩させた道が、水槽の向こうに沈んでいるかのような静寂に包まれている。その向こうでは、物理的でない雄大な時間が流れている。それは死を内包した、永遠の時間とも言える。

一万円で買ったバッグが壊れてしまったので、駅前のカバン専門店で18,000円のカバンを買った。
そのカバンを背負って歩くこれからの時間を買うつもりで、ケチらずにお金を使う。服でもそうだが、「本当に欲しかったのはコレじゃない」と思って歩いていると、毎日が暗くなる。未来へ投資するつもりで買う。

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2023年5月20日 (土)

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火曜日は、寺田倉庫WHAT MUSIEAMで開催中の高橋龍太郎コレクション「ART de チャチャチャー日本現代アートのDNAを探るー」、公開制作:能條雅由「うつろいに身をゆだねて」へ。
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いずれも、狭い会場内をテクスチャの異なる多様な作品で埋め尽くし、濃密な時間を体感できた。これらの美術作品を間近に見ても、言語化できるような意味もストーリーも読み取れない、だけどそれは無意識の知覚領域が起動されている証拠だと思う。
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面積・体積の大きな作品は、それだけで有無をいわさぬ表現力がある。でも、それ以上に質感や密度が体感時間に影響する。僕は田代裕基、熊澤未来子の作品の間を何往復もしたが、多めに見積もってもトータルで20分ぐらいだっただろう。
でも、2時間ぐらい見ていたような感覚で、外へ出ると軽く疲れを感じるほどだった。


天王洲アイルに来たら、ほぼ必ず寄るT.Y.HARBOR。まだ13時半で、奥の席は大勢の客でうるさいので入り口に近い席に座るようにしている。
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まずIPA、二杯目はフランク・ザッパをイメージしたという期間限定のIPA。ショートサイズなら、ほぼ1時間かけて2杯飲むのに丁度いいうえ、千円ちょっとで済む。

翌日は猛暑のなか、取材で新宿へ行った。
その翌朝も暑かったが、お気に入りの喫茶へモーニングを食べに行き、深煎りブレンドを一杯おかわり。
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午後からリモート会議が続くので、この日は休肝できた。
好きな時間に起き、好きなだけ喫茶店の窓から、ぼんやりと外を眺めていると、こうしている間に100年、200年と時が流れていくような不思議な感覚になる。こんな贅沢な時間の過ごし方があるだろうか? 
逆に、20~30代の貧困時代にどうやって生きていたのか不思議に思う。毎日の晩飯が、松屋の定食であったことは、よく覚えているのだが……。


月収60万稼いでいても、全額をホストにつぎこんで、自分は路上で暮らしている女性がいる。好きなことに使っているのだから、それはそれで幸せな人生だろうし、そんなに稼いでいてもホームレスになり得るという事実を彼女は立証してもいる。
思ったように物事の進まないストレス状態を、僕たちは「不幸」と認識する。20代の僕は、自分は優れたクリエーターとして有名になるべきなのに、まだ誰にも見出されていないから、朝から晩まで我慢してアルバイトして時間を切り売りするしかないのだ……と不満を抱えていた。

40代になってから、ライター業で空いた時間に掃除のバイトを入れてみたら、それは納得づくで働いているので、人間関係を楽しむゆとりがあることに気がついた。なぜ、そういうオペレーションで会社が清掃作業を回しているのか興味がもてたし、改善策も思いついた。
「自分は望んでもいない掃除のバイトを無理してやっているんだ」という認識ならば、たとえ何十万稼げようと、それは「不幸」なのだ。おそらく僕は「不幸」や「不満」が再び自分の人生を覆いつくすのを恐れるあまり、「貧乏」という経済的な属性を与えたがっている。そうしないと、漠然とした不安を直視できないのかも知れない。
……だが、毎日こんなに好き勝手に生きているくせに、「漠然とした不安」など、本当はありもしない幽霊を怖れているようなものじゃないのか?


最近観た映画は、『氷の微笑』、『ゴーストバスターズ』、『あばよダチ公』、『ラストムービー』、『キャスト・アウェイ』。配信以外では、自分で購入した『転校生』のDVDも見た。
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『キャスト・アウェイ』は三回目ぐらいなので、ぼんやりと次の展開を覚えていた。にも関わらず、かじりつくように画面を凝視できた。
というのも、シーン転換する最初のカットに印象的な被写体を持ってきて、そこからカメラを引いて全体状況を把握させる……という段取りを、パターン的に行っていると気がついたのだ。すると、興味がどんどん喚起されて飽きずに見られる。

トム・ハンクス演じる主人公は、FedEx社の輸送機に乗って遭難するのだが、最初に飛行機に乗るシーン。輸送室にコンテナを運び入れる一社員をカメラが追い、彼が飛行機のドアから出ていくまで撮る。彼と入り代わりに、主人公が乗り込んできて、カメラは今度は主人公を追う。主人公が操縦席へ乗り込むまでを撮ると、ワンカットで「操縦席」と「輸送室」の近さが把握できる。すると、遭難時に主人公が大量の荷物とともに島に流れ着くことに、説得力が生まれる。

登場人物の動線にしたがって、カメラが動く。これはロバート・ゼメキス監督がいちいち指導していたというより、現場が慣習的に(おそらく撮影監督が主体となって)行っていたカメラワークじゃないだろうか(撮影監督はドン・バージェス)。
主人公が飛行機で事故に遭う前の、機内に無造作に脱ぎ捨てた靴のアップから恋人から贈られた時計までのパン。一方、生還後の主人公は靴を脱がずにキチッと足を揃えて乗っている……等、前後を比較して分かりやすいシーンもある。どちらも、シーンの冒頭にくるカットだ。
しかし、そうした文芸的な意味のないアップにこそ注目したい。たとえば、生還後の主人公を祝う同僚たちのパーティー。
●「そろそろパーティーはおひらきだ」と、主人公の同僚が告げるのだが、まず彼が空のワインボトルをアイスペールに放り込むアップから始めている。歩き出した同僚をカメラが追うと、その先には疲れた顔の主人公が立っている。
●カメラはそのまま、今度は大勢の人に囲まれて歩き出す主人公を追う。同僚の動線から主人公の動線へと、乗り換えているのだ。主人公は立ち止まりカメラも止まり、去っていく人々を見送る。再び、同僚がフレームに入ってきて、主人公をハグする。ここまで、ワンカット。
効率的に状況を説明しつつ、俳優の表情も無理なく撮れている……が、それ以上に起承転結の流れがある。ワインボトル、同僚、主人公、主人公と同僚、少しずつモチーフが移り変わっていく。その流れを、カメラが作り出している。僕は、こういう検証をしているとき、我を忘れて熱中できるのだ。

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2023年5月13日 (土)

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先週、着席したとたんに猛烈に汗をかいてしまい、逃げ出すように席をたった喫茶店。平日、定例ミーティングの前に再訪してみた。
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野菜たっぷりのオープンサンド、これは日によって野菜の種類が代わるらしい。そして、深煎りブレンドの器はザラリとした手触りで、これも好み。今回は女性客と向かい合わせの位置に座らないよう、壁を向いて座った。壁には、大きな森の写真が掲げられていた。静かで雄大で、すごくセンスがいい。
客層もいい。女性客は明るく「ごちそうさま」と言って退店し、窓際席に残った男性はノートパソコンを広げて仕事していた。しかし、カチャカチャとうるさくしない。立ち振る舞いが、静かでスマートだった。

親切なメールをくれたご主人だが、「こないだはすみませんでした」「いえいえ」といった程度の会話しか出来なかった。まあ、人間そういうもんだろう。「パニック発作」と言っただけで、普通の人は引くもんね……いい勉強になった。


翌日は都心のほうへ打ち合わせに出かけたので、高田馬場のちょっと変わった喫茶店へ。
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カウンターで注文・会計をすませるタイプのお店で、いけてる感じのお兄さん・お姉さん店員が和やかに会話しているのだが、こういうアウェイなお店にこそ、足を運ばないと! タイソーセージサンドウィッチには辛みを和らげるためのリンゴが挟んであって、感心させられた。
やや狭くて、あまりゆっくりできないタイプのお店かと思いきや、40分ぐらい読書に没頭できた。明るい店員さんたちだけど、けっして失礼ではない。そこが大事なところだな。


帰りは陽気がいいので、中野で途中下車してクラフトビール。
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スプリングバレー、TOKYO BLUES……どこにでも置いてあるようなメジャーな銘柄だが、それでも構わない。
2杯で1500円は確かに高いはずだけど、ほかの部分で切り詰めているんだと思う。ここでケチると、「思い通りにしなかった」悔いだけが残る。
ベンチでウクレレを弾いている人がいて、子供たちがシャボン玉を飛ばしている平日の夕方。ここで飲まないで1500円を浮かせたところで、いったい他に何に使う?


結局、お金というのは「どんな良い思いができたか?」「ちゃんと自分の気がすんだか?」に換算しないと、いくらあっても変わらない。貯金が20万円だろうが200万円だろうが、今日やること・やりたいことは変わらないのだ。そして、体験を重ねれば重ねるほど、欲望の精度は上がっていく。

体験を積んでない人は、質の低い欲望で満足してしまう。質を高める=高級店へ行けばいいというほど単純ではない。僕の場合、晴天だろうと曇天だろうと、その日の表情を感じとれる喫茶店で、ゆっくり読書したい。その欲求と体験に対価を払っているので、高すぎるとは思わない。満足できることのほうが大事なのだ。
「お金がもったいないから、缶コーヒーを公園で飲めばいい」「ビールなんてスーパーの発泡酒で十分」……その短絡的な「我慢」の発想が、「貧しさ」だと思う。
20代で、何もかもケチってやりたくもないアルバイトをしていた頃は、クーポン券やポイントカードを頼りに安い居酒屋にばかり行っていた。「これで節約できているはずだ」と信じていたが、それなのに毎日がつらかった。そんな貧困生活が10年近く続いた。
本当は、もっと頭のいい楽しみ方があったんじゃないか? 工夫が足りないか、知識と経験が狭いだけだったんじゃないか?と、今なら分析できる(その分析を経たうえでなら、スーパーの発泡酒にも別の価値が見つかるのかも知れない)。


若いころの僕のように、「考えの浅い人」を引っかける罠が、社会にはたくさんある。「コスパ」「タイパ」のように、貧乏な人を貧乏のサイクルに押しとどめておく概念は、いつの時代にも流布している。店にできる行列もそう、「平等」という考え方もそう。「誰もが平等なはずだ」という思い込みが、無用な嫉妬を誘発する。嫉妬心は人の心を汚し、枯れさせ、疲れさせる。

「暇つぶし」という考え方、誰かの指示を待つ仕事のやり方……世の中には、人を不幸にする概念ばかりが履いて捨てるほどある。
20代の僕は、ことごとく、それら社会に広まりやすい不幸のサイクルに引っかかりつづけていた。「もっとキツい仕事をしないと」「早く有名にならないと」……これらの空虚な思い込みは、貧乏と相性がいい。
モラハラ気質の元嫁との、なかば強引な結婚と離婚、母の不条理な死が強制的なリセットとして作用した。元嫁の父親は経営者だったので生活の心配はなくなり、貯金ができた。母の死によって、裁判という形で社会参加できることを学んだ。いろんな制度に僕は守られているし、権利もあると知った。あとはモラハラ気質の人を遠ざけて、なるべく人と関わらずに一人でも充実できるよう、自分だけのセンスを磨くこと……。

なぜだろう、20代のいちばん辛かった時期が懐かしい。もう、あのころの価値観には戻れないという安心感があるのかも知れないし、自分を好きになれたという証拠でもあると思う。

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2023年5月10日 (水)

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一昨日の月曜日は、森美術館の「ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」展へ。
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朝から雨だったけど、近所のお気に入りの喫茶店でモーニングを食べて、10日ぶりぐらいの美術館はすごく楽しかった。有名どころを中心に、現代美術のベスト盤みたいな充実ぶり。
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隣接する東京シティビューの「ヘザウィック・スタジオ展:共感する建築」、これも優れた展示だった。展示されている模型より、バナーを大量に使った空間デザインがセンスいい。
さて、歩いていける東京ミッドタウンにクラフトビールのお店がある。でも、雨があがったばかりでテラス席は使用不可だというので、近くで別のお店を探した。
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スーパーでも売っているBREWDOGのIPAだが、この時間・この天気・この場所で飲みたいので高くても頼む。
すると、雨上がりのテラス席に、一組また一組と人が増えてきた。赤ワインを頼んでいる人たちもいる。月曜だから、昼間だからこそ自分の時間を満喫しなくては。


翌日の火曜日は、六本木と一駅しか離れていない青山一丁目で打ち合わせだった。
一時間ほど早く現地へ行って、レトロ調の喫茶室でサンドウィッチ。窓からの緑、風が気持ちよかった。
打ち合わせ後、気分いいし暖かいので、そのまま外苑前へ歩いて信濃町駅近くのテラス席へ座った。クラフトビールのメニューが増えていた。
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この店は、好きだった女の子とよく歩いた高校の通学路に面しているのに、もはや以前のように懐かしい気持ちにはなれない。だからといって悲しくもない、不思議なものである。もっともっと、中身のつまった新しい思い出ができたからだろうな。
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そんな心境変化もあってか、千駄ヶ谷駅近くのカフェへ移動したくなった。歩いて8分ほどだと分かった。
やや汗ばむぐらいの陽気。夕陽のコントラストが映える、線路沿いの道なりも美しかった。
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18時をずきて、確かに夕陽は沈んでいくのだが、いつものように周囲がオレンジ色に染まるほどではない。なかなか難しい。そのかわり、帰りの総武線から見るビル街の上階が、夕陽を照り返して、まぶしく煌めいていた。
テラス席には、ひとりで座っている男性が2人いて、ひっそり静かだった。彼らはそれぞれに、ぼんやりと都会の夕景を楽しんでいた。

だからまあ、これでいいんだ。こういう日もあるし、また別の日にはもっといい思いを出来るかも知れないよね……と考えられる、この気持ちが手に入ったことのほうが、僕は嬉しい。
打ち合わせで都心へ行くのも楽しいし、それにかこつけて新しい喫茶店を探すのも楽しい。
将来の収入に不安はあるけど、うだるような夏、凍えるような年末、それぞれの美しさがあると知っている。世界の美しさは、永久に変わらない。だから、たとえホームレスになるとしても「明日が楽しみ」、これだけは変わらない。


スターバックスやマクドナルドで、従業員のマスクが自由になったという。
マスクしてない店員がつくると飛沫入り、ウイルス入りの飲み物が出てくると騒いでいる人がTwitterにいる。先日、スープストックで「赤ん坊が来るなら、もう店には行かない」と騒いでいた人たちと同じで、主体的に行動しない。いつまでも、どこまでも受動的な「お客様」だから文句を言うぐらいしか自由がないと思っている。
こういう変化の時こそ、全国チェーン店へ習慣で行くのをやめて、自分の行動範囲を広げて、自分だけの楽しい場所を探し当てるチャンスかも知れないのに、そもそもチャンスが来ていることに気がつかない。

前回書いたように、僕はふとした不安感や違和感から、滝のような汗を流すパニック発作に苦しんではいる。軽度の障害だろうし、生きづらいとも思う。
でも、それは自分のことだから「次に自分自身がどうするか」しか関心がなくて、「お店や世の中がルールを変えるべき」とは思わない。上手くいかない辛いときですら、自分が主人公。「お客様」ではない。
でも、何もかもがつまらない人って、自分が一体どうしたいのか、何が面白くて絶対に嫌なのは何なのか、そこまでつき詰めて考えてない気がする。受動的だから、周囲の価値観に合わせる。他人の指示を待ち、結果に文句を言う。
孤立しようが排斥されようが、「次に自分がどうしたいか」だけを考えていれば、何がどうなっても納得のいく人生になると思う。

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2023年5月 7日 (日)

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三鷹北口の某カフェ、連休の土曜日なので開店時間に2~3人が待っていた。
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女性の店主が、センスのいい映画ポスターを店内に貼って、のほほんと経営している。コロナで2~3年ほど開店したり休んだりしていたが、ようやく通常営業に戻った。僕は窓際の席に座って、40分ほどかけて読書した。

……が、ここまで来るのが大変だった。
まず、出かける前に新しい喫茶店へ行こうと決めて、開店時間を調べた。ランチタイムにぶつかっているので混雑するかも知れないが、その時はその時だ。ちょっと窮屈な席に座ることになっても、まあ仕方ない。そんな気分で出かけた。
気温は28度で、かなり蒸し暑くはあるのだが、タオルで汗をぬぐうほどではない。ところが、その店に入って着席した途端、服の中を汗が流れるのが分かるぐらい、滝のような汗が噴き出てきた。
店主は女性、2人のお客も女性。席が少ないので、僕はひとりの女性客と向かい合うようなところに座ってしまった。本当は、その人の視線をかわせるソファもあったのだが、4人席なので遠慮してしまった。
(念のため言っておくと、その女性客がじろじろ見ていたわけではない。何というか、見られても仕方のない場所へ座ってしまった、その関係性が怖いのだ。)

いつもなら、10分ぐらい何とか我慢すれば、汗はひいていく。ひさびさに「これはヤバイ」と思ったので、財布から精神安定剤を取り出して飲んである。しかし、女性客の視界内で汗を拭きつづける無様さに耐えられず、一度机に広げた本やスマホを片付けて、「ちょっと気分が悪くなってしまって」と、席を立った。
お金はいらないとのことだったが、店主は呆気にとられていた。こちらに向いた席に座っている女性客も、「?」という感じで見ていた。


店内にいる間は、地獄の釜の中に縛られているような逃げ場のない気持ちだったのに、外へ出たとたん爽やかな風の中に解放されて、たぶんサウナってこんな快感なのだろう(徒歩2~3分のところにサウナがあるようなのだが、マナーが分からないのが怖くて、行ったことない。こんなに気持ちいいなら、行ってみたい)。
大通りを歩いて、2年ぐらい前に行っていた今ひとつ冴えない喫茶店へ行ってみようか?と足を向けた。思い出したのだが、1日に一度、この緊張を味わえば、2度目はない。体質がそういう構造なのか、それとも思い込みなのか、とにかくそういう法則がある。だから、もう大丈夫のはずだ。

ところが、精神安定剤をもう一錠飲んでも、店に入る勇気が出なかった。また発汗しそうで、怖い。
どうしようかと周辺をさまよった末、もう少し歩いた場所にある上の写真の店舗へ向かったのだった。その頃には精神安定剤が効きはじめたからだろうか、それとも2週間ぐらい前にも来たから慣れてるのだろうか、何だかうきうきしたような気分で過ごすことが出来た。


帰宅してから、先ほど食べずに出てきてしまったお店にメールを送った。お店のせいではなく、僕にはパニック発作の傾向があるのです……と。
お店の方はすぐに、好意的な優しい返事をくださった。そういえば、赤の他人にこの奇妙な緊張癖、精神科医ですら病名を与えられない症状を話したことは初めてのことだ。
元妻は、「精神安定剤を買う金がもったいないから我慢しろ」とまで言った。離婚後に好きになってくれた女性に打ち明けてみたが、「私も緊張することあるよ」と言ってくれた程度だった。僕は緊張のたびに、世の中から弾き出されたような疎外感に襲われるのだが、そこまでは分かってもらえない。

『エイリアン』のデザイナーである画家、H.R.ギーガーが日本のテレビ番組の取材で、工藤静香にインタビューされていた。
ギーガーは可哀そうに、女性を前にして緊張したのか、早口で何か話しながら汗をハンカチで拭っていた。僕は大学生ぐらいだったが、「同じ人が他にもいるんだ」とホッとした。それぐらい、この病気(?)は珍しい。

これは、一種の障害ではないかと思う。
自分でバリカンで刈るようになる前は、床屋へ行くたびに不自然に大量の汗をかいていたので、苦痛でならなかった。やっぱり、自分の外見に自信がないんだと思う。僕が親だったら、子供がどんなに醜くても、鉄壁の自信をもてるように育てる。僕は、そうではなかった。何かしら、家の中には対立があった。兄と母のケンカが終わると、今度は父親が怒鳴り出すという感じ。
だから、恋愛して女性に受け入れられることで、ようやく自分を肯定できた。ようやく、自分のような醜い出来損ないにも価値があると認めることができた。離婚してからキャバクラに通っていたのも、そういうことではないかと思う。
なので僕は、ホスト狂いの女性たちには「好きなだけ遊びなさい」と言いたくなってしまう。誰に騙されていようと、それは不合理な人生に対する復讐であり、復讐だけが傷をいやす方法なのかも知れないからだ。


飛行機の中、バスの中、好きで行っているはずの喫茶店、どこで緊張状態が起きるかは分からない。
その遠因は、心の休まらなかった家庭にあると思う。体育ができずに、学校がつらかったことも関係しているだろう。
でも、皮肉なことに、この不合理に対する怒りが、仕事においては爆発的なエネルギーになる。他の人には、こういうエネルギーはない。そこそこのレベルで、受け身で満足してしまう。それは家庭や学校に居場所があって、嘆いたり怒ったりする必要がなかったからではないか。それはそれで、そっちの方が幸せなのかも知れない。
だけど僕は、そうではなかった。前触れもなく襲いかかる緊張状態が、僕の個性を決定づけている。個性とは身体のことなのだ。


最近見た映画は『セブン』(二度目)、『ベルファスト』、『殺人魚フライングキラー 』。

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