« ■0423■ | トップページ | ■0430■ »

2023年4月26日 (水)

■0426■

撮影のためスタジオへ行く前、早稲田通りの喫茶店へ寄った。通りをよく見渡せる窓際の席に、はじめて座ってみた。
343191800_529068439433382_34419598130567
テーブル席は、近くの大学の学生たちだろうか、女性客ばかり……と思いきや、いかつい顔つきの男性サラリーマンが座っていたので、なかなか客筋の読めない店だ。丸い顔のお姉さんが一人で切り盛りしていて、独特の柔らかいムードがある。パンを温めて、おかわりとして持ってきてくれるところもいい。
でも、コーヒーまで注文すると千円を超えてしまう。正直、そこまでの価値は感じられない。やっぱり、窓からの眺めとか空間の気持ちよさを求めているんだと思う。

気分を変えて、前から気になっていた店へ移動し、コーヒーだけ頼んで窓際のカウンターに座った。なぜなら、少しでも長く早稲田通りを眺めていたいから。こんな曇天の日でも、独特の透明感がある。
343191
こっちの店からの眺めは、今はなきお気に入りの喫茶店にイメージが近い。椅子やテーブルの規格がバラバラで、いきなり大きなソファがあったり、かと思うとチェーン店のようなカウンターが並んでいたり、多様性のあるところもいい。
ただ、店内の音楽はうるさめで、学生たちの話し声もデカい。やっぱり、客が店のイメージを固めていくんだと思う。そういえば、カウンター席の端っこには金髪のお姉さんが、ノートパソコンを開いて何か一生懸命、メモをとっていた。その知的な雰囲気が良かった。

そういう綺麗なお姉さんがいたとか、お店の間取りとか、偶然と偶然の生み出す美しい時間を求めて、喫茶店へ行くんだと思う……というか、こういう穏やかな時間を楽しむことが、人生の目的といってもいい。
それほど重要だから、お気に入りの店が早稲田通りから消えてしまったことが、思わぬ喪失感になっているんだろう。


その後、いつものスタジオで30分かそこら撮影して、家に帰ってPDFとともに、デザイナーに画像データを送った。
1日の労働といえば、たったそれだけである。長い目で見れば、集中して仕事している時期もあるんだと思う(3時間ぶっ通しで撮影のときは、それなりにキツい)。
先々のことを考えて調べものをしたり、先回りして誰かにメールしたりもしている。でも、たいていは毎日、フラフラと遊び歩いている。

その時間がもったいないから、何かアルバイトでもしよう……という気にはなれない。
46歳ぐらいの頃か、朝なら取材などが入らないので、徒歩10分ぐらいのオフイスで清掃のアルバイトをしていた。女性ばかりの華やかな職場で、力仕事はない。たった3時間でパッと終わるところも良かった。お互いの生活を尊重しながら、毎日のローテーションを決めていった。誰かが一方的に押しつけるとか、「何でこうなってるの?」といった理不尽な事態も起きなかった。
そのアルバイトをしている間にスウェーデンへ旅行していたのだから、我ながら結構なご身分と思う。女性たちはそれぞれ家庭を持っていたので、旦那さんの癖がどうとか、子供がどうしたとか、僕とは無縁の平和な日常話を聞くのも楽しかった。みんな、人間ができていた。

当時は母が亡くなって3年たち、やるだけのことはやったし、それなりの苦労もしたし、「後はなるようしかならないじゃない?」という気分が、僕の人生に流れ込んでいた。あきらめと自由は、よく似ている。
ポケットを空にしなければ、何も新しいものを入れられない。たいていの人は空っぽの状態、自由が怖いのだと思う。


不思議と、人生が行きづまっている人って、自分から抑圧的な状況へ近寄っていく。「やっぱりマスクしないとダメだ」とか、自分だって苦しいだろうに、自由よりもルールに固執する。
誰かがパワハラで支配しているような人間関係へ、どういうわけか自ら進んで入りこみ、その窮屈さに安住しているかのように見える人たちがいる。「組織」って、そういうものなのかも知れない。「自分の意思じゃない、仕方なく従ってるだけだ」と言い訳したい人たちには、組織が向いている。
ブラック企業は、依存体質の弱者を搾取しているわけだけど、別の見方をすれば「彼らのニーズに応えている」とも言えるのではないか……。いじめられる事で、ようやく落ち着くような心理状態ってあるような気がする。

僕が20代のころにやっていた重労働で低賃金のバイトだって、僕が勝手に「もっと苦しい思いしなきゃ」「頑張らなきゃ、耐えなきゃ」と自分から選んでやっていたことだ。
どうも、その頑迷固陋な思い込みの不幸回路に、「マスクしなきゃ」が位置しているように思えてならない。逆を言うと、そうやって自分から回路に入り込まないかぎり、不幸になりようがないような……。


最近観た映画は、成瀬巳喜男監督の『銀座化粧』。
343191_20230426232001
成瀬監督が、年に3本も撮っていた時期の作品だ。それほど制作体制が充実していたんだろうし、マンネリ化もしていたと思う。
登場人物が立ったり座ったりして話しているだけで、シーン転換でも同じサイズであることが多く、ストーリーの把握すら難しい。なので、何度か巻き戻して見直した。
しかし、「どうしてこんなに分かりづらいのか?」と考えながら見ていったからこそ、人物のサイズが似通っていることに気づけたわけだ。芝居をカメラで記録しても、ストーリーを伝えることは出来ない。逆を言うと、ストーリーなど伝わらなくても劇映画のフォーマットは維持できるのだ。

|

« ■0423■ | トップページ | ■0430■ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■0423■ | トップページ | ■0430■ »