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2023年4月15日 (土)

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本日は雨だが、昨日金曜日はマクラウドさん主催の「1978年の世界」展、そして豊島区立トキワ荘マンガミュージアムへ。
まずは、会場のある高円寺駅の近くでモーニングをやっている喫茶店へ行った。こういうお店、僕は前日にがっちりしつこく調べる。
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モーニングはトマトジュース、サラダ、ゆで卵、トースト……と、完璧な出来ばえだったのだが、何より入り口の緑が美しい。
スマホでは、広角気味で小さくなってしまうが、もっと鬱蒼とした雰囲気。外は人通りのある普通の駅前の道なのだが、いまにも降り出しそうな曇天が、しっとりした雰囲気をつくっている。
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入り口近くのテーブル席では、常連の男性がママさんと雑談していたのだが、何とも落ち着きのある大人の話し方で、ちっともうるさくない。お店って不思議だなと思う。読書の手を休めて、入り口の緑と湿気を含んだ空気を楽しんだ。
こういうゆったりした時間のために生きているんだ、と改めて思う。


マクラウドさんの企画展は、20分ほどお邪魔して、ちょっとだけカンパして出てきた。
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トキワ荘マンガミュージアムは12時40分という変な時間に予約してしまったので、まだ1時間以上もある。東中野から歩くことにした。
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写真では雰囲気が伝わらないのだが、山手通りの換気塔を眺めながら歩く、この寂しいような懐かしいような解放された気分。お店が少なく、通行人もまばら。その閑散とした雰囲気が心地いい。
大学卒業間際に付き合っていた女性の寮が西武池袋線沿いにあり、夜中に武蔵野市の自宅まで歩いて帰ったことがあった。そういう思い出とすら言えない断片的な記憶が、僕の美意識を形づくっている。


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トキワ荘マンガミュージアムの近くに、通りに面した喫茶店を見つけた。こうして路上でGoogleマップを見たついでに、なんとなく気になってくる通りすがりのお店もある。おばちゃんたちの働く、いかにも個人営業らしい庶民的な雰囲気。ピアノが置いてあったりして、どこか垢ぬけない。
ホットドッグが800円は高いけど、お腹が空いていたので、店の雰囲気を楽しみながら食べる。
せっかく見つけたお店で、お金を惜しまない。その時、よりベターな「気分」を買う。どうしても面倒でないかぎり、そう簡単には妥協しない。ほとんど毎日喫茶店へ行っても、生活が脅かされることはないのだから。

……では、1000円よりも3000円のメニューの方が贅沢な気分を買えるのかというと、それは「何もかも100均ショップで買えば安くてお得」と同じ地平の思考なんだと思う。「服を選ぶのが面倒だから、高級ブランドで全身固めた」と同じ、自分なりの評価軸や価値観の欠落なのだ。
このニュアンスを、うまく言語化できないでいる。僕の人生では、貧乏で家賃も払えず日雇いのアルバイトを探すようなルートは断たれたので、もう心配しなくていいらしい。でも、どういう理屈で断たれたのか、自分で分析できていない。「運がいい」ぐらいの感覚でしかない。
(確かに自分は、離婚~母親の死という経験の中で段取りを組むことを覚えた。それはせいぜい、貯金がゼロにならないよう接ぎ木しながら急場をしのぐ……程度のことだ。10年ほど前、掃除のアルバイトをしていたことがあるが、それは辛いどころか女性に囲まれた楽しい職場だった。いずれ、掃除のアルバイトについては書きたい)

1000万円貯めていても、「服なんてユニクロで十分」という人もいる。それはそれで、ひとつの贅沢の形だろう。僕の知らない価値意識が、まだまだいっぱい世の中にある……この予感が、僕の心を豊かに広げてくれる。
まだ僕の知らないものが一杯あるんだ、だから明日が楽しみなんだ……という、この気持ちが毎日つづいている。


トキワ荘マンガミュージアムは、よくデザインされた優れた施設であった。
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外の風景は写真ではなく、水彩画を布に印刷したもの。そこに、柔らかい照明を当てている。

最近観た映画は、デビット・リンチ監督『ロスト・ハイウェイ』。実は前半で飽きてしまって、後半は今夜見る。
しかし、『独裁者と小さな孫』で気がついた「映画は撮影現場の記録でしかない」という認識に立脚すると、どんな映画も新しく見えてくる。
『ロスト・ハイウェイ』で言うと、パーティー会場に来た主人公が顔を白く塗った不気味な男に、携帯電話を差し出されるシーン。携帯電話に出たのは、目の前の男である。声も話し方も、そっくりだ。男は2人いるのだろうか、それとも携帯電話が過去へでも繋がっているのだろうかと疑念が広がる。
その現実ばなれしたシチュエーションを、アフレコによって創出している。つまり、「現場の記録」から「作品」へと加工する段階が必要なのだ。加工の段階で、映画だけの価値が立ち現れてくる。

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