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2023年4月30日 (日)

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先週は、出版社の方にお酒をご馳走になった。しかし、ほぼ初対面の人と飲酒するのはハイレベルな交遊術で、酔っぱらうにしたがって、会話内容や食事に対する態度がルーズになっていくのが自分でも分かる。
いかに酩酊しながら自分を律していけるか、試されている気がした。僕は毎日ひとりで好きなように生きているので、人との距離感が分からない。
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その前日、いつもの店にモーニングを食べに行ってコーヒーをおかわりして、玉川上水の緑が晴天の下で輝くようだったので、そのまま井の頭公園まで散歩した。
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すると、ちょうど休憩所が開店の時間で、お姉さんがアルバイトの女性に開店準備の手順を教えているところだった。
スポーティな雰囲気の中年男性が明るく挨拶しながら入店していったので、僕も彼に続いた。さすがに、平日の午前11時から飲んだら嫌な顔をされるかな?と危惧したが、後から入店してきたオジサン2人組、若い夫婦、どのテーブルでもビールを開けていたので、これで良かったのだ。
窓の外には、新緑が青々と広がっている。信じられないぐらい、毎日を自由にのびのびと生きている。遠い昔に見た夢の中のように感じる。


翌日は、すみだ北斎美術館へ。
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下町風情の残る、ちょっと辺鄙な場所にあって、周囲には建物を面白く使ったハイセンスな店舗が散在している。

御茶ノ水のビル1階、テラス席のあるビアホールでIPAを2杯頼んだ。
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まだ16時だが、だからこそ飲む価値がある。頭のうえに広がった夕空を眺めながら飲んでいると、女性の一人客がテラス席に陣取り、料理とビールを注文した。
そう、堂々と振る舞えばいい。僕の自由なふるまいに感化された人たちが、「じゃあ自分も……」と解放されていくのだから。

御茶ノ水といっても、ニコライ堂を経由して外堀通りに面した店である。そのまま、17歳~18歳ぐらいのころ通っていた御茶ノ水美術学院を横切って、かえで通りに出る。
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しっとりとした、静かな通りだ。
実はあの頃、予備校にはカバンだけ置いて、半分以上をサボっていた。僕の絵に対する興味や情熱なんて、その程度のものだった。自分を誤魔化していたから、そのまま20代後半になっても人生が重たくてつまらなくて、どこへ行って何をしたいのか曖昧なままだった。
逃げるようにして、高校がえりに好きだった女子と一緒に御茶ノ水周辺を歩き回っていた。その風景に愛着はあるが、今となっては甘い思い出ではない。人生後半がおおらかで自由になればなるほど、あの頃のことを思い出すことも少なくなるんだろう。


38歳で離婚したときから、僕の人生が始まった。
2005年ごろだから、その時期の音楽や映画は懐かしく感じる。離婚直前は2ちゃんねるに逃避していたから、あの時代のネット文化も好き。
横浜市戸塚から三鷹へと、居住の拠点が代わっていく。どんどん捨てていく、どんどん足どりが軽くなる。確かに寂しくはあったのだが、それは心地よい孤独であった。静かな景色がどうして美しいのか、寒さを知った分だけ理解できるようになった。

どんどん、一人になっていった。仕事に執着せず、人と争わず、懇意にもなりすぎず、孤独になればなるほど、静かで穏やかな気持ちが流れこんできた。同じ景色が、前よりも美しく見えるようになった。その自由な心のかたちこそが、何にも代えがたい財産だ。
僕は、この空っぽの人生を、質の高い時間で満たそうと試みるようになった。


「スープストック」は女性の“聖域”だった? 離乳食無料に賛否も…炎上の理由は
この炎上は、僕の知ったときには鎮火しつつあった。この件に顕著なように、飲食店のハードルを下げると、結局は妬みぶかい低レベルの客に合わせることになってしまう。
彼らは自分から追及して意識を高めることはせず、「調理のしかたが自分のときだけ雑だった」「料理の量が自分のときだけ少なかった」等と不平等感にこだわり、「自分だけガチャが外れた=運が悪いだけ」と、いじけた納得のしかたをしようとする(彼らは「損」「ズル」という概念/感覚にとらわれているので、すぐ分かる)。

それが不幸になる回路なのだ。「人間は平等なはず」と妄執すると、その硬くて狭い平等の範囲内だけが「正解」となって、人生の価値観が小さく固着してしまう。ある部分では確かに損しているかも知れないが、別の部分では不当なほど、圧倒的に優遇されている……つまり、人間の不平等さを認めて逆に利用すればいい。
全国チェーンやフードコートのように人がたくさん集まっているところには、貧乏や不幸へいたる回路が必ずある。それを見つけて避けられるかどうかだし、そもそもそういう店には近づかないのが最良だろう。


最近観た映画は、『祇園の姉妹』『鳩の撃退法』『イエスマン “YES”は人生のパスワード』。
『祇園の姉妹』は大学時代にも観たが、映画は見るたびに関係性が変わる。価値観は自分の外側にあるのではなく、内側に生じるもの、自分で更新するものだと思う。

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2023年4月26日 (水)

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撮影のためスタジオへ行く前、早稲田通りの喫茶店へ寄った。通りをよく見渡せる窓際の席に、はじめて座ってみた。
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テーブル席は、近くの大学の学生たちだろうか、女性客ばかり……と思いきや、いかつい顔つきの男性サラリーマンが座っていたので、なかなか客筋の読めない店だ。丸い顔のお姉さんが一人で切り盛りしていて、独特の柔らかいムードがある。パンを温めて、おかわりとして持ってきてくれるところもいい。
でも、コーヒーまで注文すると千円を超えてしまう。正直、そこまでの価値は感じられない。やっぱり、窓からの眺めとか空間の気持ちよさを求めているんだと思う。

気分を変えて、前から気になっていた店へ移動し、コーヒーだけ頼んで窓際のカウンターに座った。なぜなら、少しでも長く早稲田通りを眺めていたいから。こんな曇天の日でも、独特の透明感がある。
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こっちの店からの眺めは、今はなきお気に入りの喫茶店にイメージが近い。椅子やテーブルの規格がバラバラで、いきなり大きなソファがあったり、かと思うとチェーン店のようなカウンターが並んでいたり、多様性のあるところもいい。
ただ、店内の音楽はうるさめで、学生たちの話し声もデカい。やっぱり、客が店のイメージを固めていくんだと思う。そういえば、カウンター席の端っこには金髪のお姉さんが、ノートパソコンを開いて何か一生懸命、メモをとっていた。その知的な雰囲気が良かった。

そういう綺麗なお姉さんがいたとか、お店の間取りとか、偶然と偶然の生み出す美しい時間を求めて、喫茶店へ行くんだと思う……というか、こういう穏やかな時間を楽しむことが、人生の目的といってもいい。
それほど重要だから、お気に入りの店が早稲田通りから消えてしまったことが、思わぬ喪失感になっているんだろう。


その後、いつものスタジオで30分かそこら撮影して、家に帰ってPDFとともに、デザイナーに画像データを送った。
1日の労働といえば、たったそれだけである。長い目で見れば、集中して仕事している時期もあるんだと思う(3時間ぶっ通しで撮影のときは、それなりにキツい)。
先々のことを考えて調べものをしたり、先回りして誰かにメールしたりもしている。でも、たいていは毎日、フラフラと遊び歩いている。

その時間がもったいないから、何かアルバイトでもしよう……という気にはなれない。
46歳ぐらいの頃か、朝なら取材などが入らないので、徒歩10分ぐらいのオフイスで清掃のアルバイトをしていた。女性ばかりの華やかな職場で、力仕事はない。たった3時間でパッと終わるところも良かった。お互いの生活を尊重しながら、毎日のローテーションを決めていった。誰かが一方的に押しつけるとか、「何でこうなってるの?」といった理不尽な事態も起きなかった。
そのアルバイトをしている間にスウェーデンへ旅行していたのだから、我ながら結構なご身分と思う。女性たちはそれぞれ家庭を持っていたので、旦那さんの癖がどうとか、子供がどうしたとか、僕とは無縁の平和な日常話を聞くのも楽しかった。みんな、人間ができていた。

当時は母が亡くなって3年たち、やるだけのことはやったし、それなりの苦労もしたし、「後はなるようしかならないじゃない?」という気分が、僕の人生に流れ込んでいた。あきらめと自由は、よく似ている。
ポケットを空にしなければ、何も新しいものを入れられない。たいていの人は空っぽの状態、自由が怖いのだと思う。


不思議と、人生が行きづまっている人って、自分から抑圧的な状況へ近寄っていく。「やっぱりマスクしないとダメだ」とか、自分だって苦しいだろうに、自由よりもルールに固執する。
誰かがパワハラで支配しているような人間関係へ、どういうわけか自ら進んで入りこみ、その窮屈さに安住しているかのように見える人たちがいる。「組織」って、そういうものなのかも知れない。「自分の意思じゃない、仕方なく従ってるだけだ」と言い訳したい人たちには、組織が向いている。
ブラック企業は、依存体質の弱者を搾取しているわけだけど、別の見方をすれば「彼らのニーズに応えている」とも言えるのではないか……。いじめられる事で、ようやく落ち着くような心理状態ってあるような気がする。

僕が20代のころにやっていた重労働で低賃金のバイトだって、僕が勝手に「もっと苦しい思いしなきゃ」「頑張らなきゃ、耐えなきゃ」と自分から選んでやっていたことだ。
どうも、その頑迷固陋な思い込みの不幸回路に、「マスクしなきゃ」が位置しているように思えてならない。逆を言うと、そうやって自分から回路に入り込まないかぎり、不幸になりようがないような……。


最近観た映画は、成瀬巳喜男監督の『銀座化粧』。
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成瀬監督が、年に3本も撮っていた時期の作品だ。それほど制作体制が充実していたんだろうし、マンネリ化もしていたと思う。
登場人物が立ったり座ったりして話しているだけで、シーン転換でも同じサイズであることが多く、ストーリーの把握すら難しい。なので、何度か巻き戻して見直した。
しかし、「どうしてこんなに分かりづらいのか?」と考えながら見ていったからこそ、人物のサイズが似通っていることに気づけたわけだ。芝居をカメラで記録しても、ストーリーを伝えることは出来ない。逆を言うと、ストーリーなど伝わらなくても劇映画のフォーマットは維持できるのだ。

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2023年4月23日 (日)

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先週月曜から三泊四日、神戸~福岡へ撮影と打ち合わせに出かけていた。
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最終日は快晴で少しだけ時間があったので、中洲の川に面したテラス席で、ペールエールを一杯やった。これで800円ちょっとなんだから、飲まない理由はない。二日目は仕事しているチームと飲み会だったのだが、その前後は神戸でソロで一杯、福岡市でもソロで一杯。さらに毎晩、ホテルへクラフトビール2本ずつを買って帰って、よくもまあ二日酔いにならず、朝から打ち合わせに出られたものだと思う。
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これは、神戸で食べたアボカドの天ぷら。あっさりしていて、他の料理を引き立ててくれる。最後の皿はアスパラの肉巻き串なので、赤ワインを合わせた。こういう組み合わせが出来たとき、自分は勘がよくてセンスあるとも思うのだが、店の選択からして間違う場合もある。たまに読みが外れるから、探したり選んだりする楽しみが生まれるのだ。
上の写真の鶏バルは、器も盛りつけもカッコよかった。他にも、モーニングのために喫茶店をハシゴしたり、仕事の合い間に一人で遊んでいた。


いま関わっている仕事のチームは、誰ひとり高圧的な人間はおらず、何か月も気持ちよく仕事できている。
一方で、僕は彼らに甘えている、許してもらっているという自覚がある。彼らの中にいると、我がままで乱暴な癖にいじけやすくて悲観的な、自分の核になっている未熟さ・脆弱さが露呈してしまう。17歳ぐらいの頃から、その核は変わっていないようだ。

いつものように一人でいるとき、僕は鷹揚で自信に満ちた中年になり切ることが出来る。だから、孤独ほど高価で贅沢なものはない。
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静かな喫茶店に腰を落ち着け、ゆっくりと読書にふける。これから何をテーマに考えようか、いくらでも思索を巡らせることが出来る。行ってみたい海外のこと、仕事にできそうなこと……。店の人に丁寧に接することで、自尊心を高めることだって出来る。
しかし、人の中に暮らしていたら、自分の短気さに苛立って、とても考えを深めることなど出来なかっただろう。焦って、怒鳴ってばかりいただろう。だから、僕は組織に入れない。組織もまた、僕のような半端者を排除することで結束するのだと思う。

他人には期待しない、甘えない、ほどほどの距離を保つ……そうすれば、傷つかずにすむ。


最近、寝る前にはVTuberのおしゃべりを聞くようになったが、ホストクラブに通う破滅的な女性たち(ホームレス含む)の動画も、よく見ている。
彼女たちは何百万、何千万とホストにつぎ込んで、現金で60万円ぐらい持ち歩いていたりする。その堂々とした、誰にも遠慮しない欲望の解放のさせ方は、見ていて気持ちがいい。どんな人間でもちょっとずつ病んでいるので、彼女たちに「真面目に働いて結婚しろ」などと旧世代のオジサンたちが説教するのは完全な筋違いだ。あなただって病んでるじゃないか、と言ってやりたい。

男性のホームレスでも、Twitterで「欲しいものリスト」を公開して食料を送ってもらったり、中にはPayPayでお金を送ってもらっている人までいる。別にアイドルでもインフルエンサーでもない、憧れるような存在でもないのに、不思議と求心力を発揮する。“推し”という感覚に近いのかも知れない。赤の他人から恵んでもらうことは、一種の才能だろう。
SNSを介した新しい生き方に、既存の社会福祉は追いついていない。生活保護は、しょせんは「労働して税金を納める」という旧態依然のシステムに、働く能力のない人々を再回収する仕組みでしかないからだ。


最近観た映画は、たぶん2回目か3回目の『ピアノ・レッスン』。
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この手の愛欲・情欲を描いた映画でよく思うのは、どうして正常位で挿入するだけの退屈なセックスばかりなのだろう?ということ(しかも、男性は早漏気味で行為は2~3分で終わる)。
現実に暮らしている人々は、もっと変態的な行為をしているはずなのに、リアリティがない……というより、監督に描きたい欲望が欠けている点で、すでに面白くないのだ。セックスを、品位のある崇高な行為として様式化してしまっている。

それはさておいて、この映画にはラストシーンが2つある。
浮気がばれて夫に指を切断された主人公が、海へ捨てられるピアノと心中するようにして、海中へ没するシーン。綺麗な終わり方なのに、なんと彼女は船に乗っていた男たちに救出され、切られた指には義指を付けて、浮気相手の男性と平和に暮らしている……という『ブレードランナー』の初期バージョンのように、都合のいいハッピーエンドが付け足してある。
しかし、付け足しのように見えるハッピーエンドのほうが死の間際の夢であるかのように、映画は再び海中に没したピアノを映して終わる。「本当は」主人公はピアノと心中して死んだのかも知れない。「本当」も「夢」も、俳優や風景を撮影した化学フィルムという意味で同一のレイヤーに位置している……その皮相な構造こそが映画の限界であり、面白みでもある。

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2023年4月15日 (土)

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本日は雨だが、昨日金曜日はマクラウドさん主催の「1978年の世界」展、そして豊島区立トキワ荘マンガミュージアムへ。
まずは、会場のある高円寺駅の近くでモーニングをやっている喫茶店へ行った。こういうお店、僕は前日にがっちりしつこく調べる。
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モーニングはトマトジュース、サラダ、ゆで卵、トースト……と、完璧な出来ばえだったのだが、何より入り口の緑が美しい。
スマホでは、広角気味で小さくなってしまうが、もっと鬱蒼とした雰囲気。外は人通りのある普通の駅前の道なのだが、いまにも降り出しそうな曇天が、しっとりした雰囲気をつくっている。
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入り口近くのテーブル席では、常連の男性がママさんと雑談していたのだが、何とも落ち着きのある大人の話し方で、ちっともうるさくない。お店って不思議だなと思う。読書の手を休めて、入り口の緑と湿気を含んだ空気を楽しんだ。
こういうゆったりした時間のために生きているんだ、と改めて思う。


マクラウドさんの企画展は、20分ほどお邪魔して、ちょっとだけカンパして出てきた。
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トキワ荘マンガミュージアムは12時40分という変な時間に予約してしまったので、まだ1時間以上もある。東中野から歩くことにした。
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写真では雰囲気が伝わらないのだが、山手通りの換気塔を眺めながら歩く、この寂しいような懐かしいような解放された気分。お店が少なく、通行人もまばら。その閑散とした雰囲気が心地いい。
大学卒業間際に付き合っていた女性の寮が西武池袋線沿いにあり、夜中に武蔵野市の自宅まで歩いて帰ったことがあった。そういう思い出とすら言えない断片的な記憶が、僕の美意識を形づくっている。


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トキワ荘マンガミュージアムの近くに、通りに面した喫茶店を見つけた。こうして路上でGoogleマップを見たついでに、なんとなく気になってくる通りすがりのお店もある。おばちゃんたちの働く、いかにも個人営業らしい庶民的な雰囲気。ピアノが置いてあったりして、どこか垢ぬけない。
ホットドッグが800円は高いけど、お腹が空いていたので、店の雰囲気を楽しみながら食べる。
せっかく見つけたお店で、お金を惜しまない。その時、よりベターな「気分」を買う。どうしても面倒でないかぎり、そう簡単には妥協しない。ほとんど毎日喫茶店へ行っても、生活が脅かされることはないのだから。

……では、1000円よりも3000円のメニューの方が贅沢な気分を買えるのかというと、それは「何もかも100均ショップで買えば安くてお得」と同じ地平の思考なんだと思う。「服を選ぶのが面倒だから、高級ブランドで全身固めた」と同じ、自分なりの評価軸や価値観の欠落なのだ。
このニュアンスを、うまく言語化できないでいる。僕の人生では、貧乏で家賃も払えず日雇いのアルバイトを探すようなルートは断たれたので、もう心配しなくていいらしい。でも、どういう理屈で断たれたのか、自分で分析できていない。「運がいい」ぐらいの感覚でしかない。
(確かに自分は、離婚~母親の死という経験の中で段取りを組むことを覚えた。それはせいぜい、貯金がゼロにならないよう接ぎ木しながら急場をしのぐ……程度のことだ。10年ほど前、掃除のアルバイトをしていたことがあるが、それは辛いどころか女性に囲まれた楽しい職場だった。いずれ、掃除のアルバイトについては書きたい)

1000万円貯めていても、「服なんてユニクロで十分」という人もいる。それはそれで、ひとつの贅沢の形だろう。僕の知らない価値意識が、まだまだいっぱい世の中にある……この予感が、僕の心を豊かに広げてくれる。
まだ僕の知らないものが一杯あるんだ、だから明日が楽しみなんだ……という、この気持ちが毎日つづいている。


トキワ荘マンガミュージアムは、よくデザインされた優れた施設であった。
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外の風景は写真ではなく、水彩画を布に印刷したもの。そこに、柔らかい照明を当てている。

最近観た映画は、デビット・リンチ監督『ロスト・ハイウェイ』。実は前半で飽きてしまって、後半は今夜見る。
しかし、『独裁者と小さな孫』で気がついた「映画は撮影現場の記録でしかない」という認識に立脚すると、どんな映画も新しく見えてくる。
『ロスト・ハイウェイ』で言うと、パーティー会場に来た主人公が顔を白く塗った不気味な男に、携帯電話を差し出されるシーン。携帯電話に出たのは、目の前の男である。声も話し方も、そっくりだ。男は2人いるのだろうか、それとも携帯電話が過去へでも繋がっているのだろうかと疑念が広がる。
その現実ばなれしたシチュエーションを、アフレコによって創出している。つまり、「現場の記録」から「作品」へと加工する段階が必要なのだ。加工の段階で、映画だけの価値が立ち現れてくる。

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2023年4月13日 (木)

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火曜日は二日酔い気味だったため、人の多い都心ではなく、バスで行ける練馬区立美術館へ。
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「本と絵画の800年 吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレクション」展、本の展示は面白くなかったが、後半は油彩画が増えていく。
ペッタリした本の羅列を見たあとに絵の具の盛り上がりや光沢などの不規則なテクスチャを見ると、本とは情報の質が違うために見ごたえがある。ネットにある客観的な会場写真では、まったく何も伝わらない。自分の足で歩かないと、展示の流れによって生じる驚きは実感できない。
絵の前にいるのは、ほんの数秒である。だが、それは近所を散歩する数秒ではない。知覚や認識力が総動員された数秒なのである。


さて、中村橋から阿佐ヶ谷へバスで帰るのだが、阿佐ヶ谷北一丁目あたりが好きなので、途中下車して歩く。
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並木道の前後が、ゆったりした坂道になっていて、音もなくバスが登ってくるのが遠くに見える。
高校時代、好きな子と歩いていた通学路を思い出す……が、正確にはこんな並木道ではなかった。16歳ぐらいの頃は知覚が鋭敏だから、ただ強く記憶が残留して反応しているだけなのだろう。おそらく、当時目にしていたCMや映画の印象とも、溶け合っている。遠い遠い、未知の記憶に触れている感触。
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ここ2~3年は、ずっとこんな甘美な感覚に捉われている。陽光や木漏れ日、あるいは雨を含んだ曇天、ビルの谷間に溜まった光、すべて美しい。いつどの瞬間も懐かしく、しかしそれは新鮮で、生き生きとしている。
まるで自分の肉体は何十年も前になくなっていて、生きていたころの美化された記憶をビデオデッキで再生しているような恍惚感。しかし、それは追憶に逃げ込むような、後ろ向きな気持ちではない。明日どこへ行こうかな?と、「これからのこと」を楽しみに思っている。
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(阿佐ヶ谷北の並木通りには、喫茶店が2店舗ある。広い窓から、向かいのビルに落ちた木漏れ日を眺められる店に入った。窓際の席には座れなかったんだけど、他の客の頭ごしに、ちらちらと外を眺めていた。)
数年後も、この世界の美しさを感じていられるだろうな、という確信がある。貯金がなくなってホームレスになっても、世界は輝いたままだろう(それぐらい、僕は収入が途絶えて路上生活する可能性を案じてもいる)。


そういえば、練馬区立美術館へ行くバスの中で、中年の女性に話しかけられた。

その人は、座席に座ったまま財布の中のレシートなどをガサガサとずっと整理していて、次にはカバンの中を忙しく確認しはじめた。こういう人って、たまにいるよな……たいていお金が溜まらないタイプなんだよな、と冷ややかに見ていた。
しかし、僕が乗り物の中や店舗で猛烈に発汗するように、精神的な不安から意味のない行動をとってしまうのは、まあ分かるよなと考え直した。僕はその女性の後ろに座ったのだが、その人は振り向いて「すみません、いま何時ですか?」と、かなり大きな声で聞いた。僕はスマートフォンを取り出して、時刻を見せながら、「0時6分です」と答えた。
その人は「ありがとうございます」と言って、さらに自分が降りる時に「先ほどは、ありがとうございました」と、はっきりした口調で言った。僕は無言でうなづいて、頭を下げるだけだった。彼女のように他人に明朗快活な態度をとれない自分を、少し恥じた。


最近観た映画は、『あなたの名前を呼べたなら』、『ザ・ブルード 怒りのメタファー』、『独裁者と小さな孫』。
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『独裁者と小さな孫』は、架空の国を舞台して抽象的な童話のような映画にしたかったのだと思う。
実写映画をリアリティのない寓話にするには、余計な情報を落としていくしかない。映画冒頭の10分ぐらいは豪華な衣装など、装飾性が強いので、その試みは上手くいっていた。しかし、独裁者が孫と逃避行するうちに服装は貧しくなり、生活感が前面に立ちはじめる。そのプロセスで、俳優の身体性が赤裸々になっていく。
物語の背景にある政治体制や思想を曖昧にしてあるため、登場人物たちが不平や不満を叫ぼうと嘆こうと、間が持たないのだ。途中で言うことがなくなって来ているのにカメラが長回しするものだから、そわそわしているのが分かってしまう。「この人殺し! 悪魔!」と独裁者を罵っても、具体性がないからすぐ語彙が尽きて、手持ちぶさたになっているのが伝わってくる。俳優の表情も、どうして登場人物たちが苦しそうにしているのか根拠がないので、もっともらしい神妙な顔をしてばかりいる。

実写映画の本質は、ドキュメンタリーなのだと思う。映画を撮るためにハリボテのセットを作り、俳優を集めて本物っぽく見せる。「本物」ではなく「本物っぽく見せている現場の記録」、それが実写映画だ。演劇は「現場」そのものだが、映画は「現場の記録」なのだ。
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「制作者や俳優が作品をつくろうと四苦八苦している」事情、生っぽさをいかに糊塗して、「作品」そのものを出現させるか。それが、実写映画に課せられたテーマなのだと思う。しかし、『独裁者と小さな孫』は「寓話的な実写映画にしたかった」記録、痕跡でしかない。
では面白くないのかと言うと、最後まで、それこそエンドクレジットまで飽きずに見られた。自主映画のように無様ではあるのだが、「思った通りには出来なかった」と正直に告白していもいるように見える。かと思うと、たまに息をのむほどシャープなカット割りがある。かなり奇妙なバランスの映画だと思う。

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2023年4月11日 (火)

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先週金曜日は、府中市美術館「江戸絵画 お絵かき教室」へ。
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曇りの日なのに、バス停を降りてから美術館までの道のり、すごく軽やかな気分だった。
企画展は自由で、遊び心をもって考え抜かれた優れたものだった。でも、その日全体を、朝からお気に入りの喫茶でモーニングを食べて出かける自分の軽い「気分」が貫いていた。どんな良いアイデアを前にしても、感じる心がなければ無駄なのだと思う。


日曜、月曜と徒歩圏内の喫茶店へ出かけたが、ちょっと脳内麻薬物質が過多じゃないかと思うほど、玉川上水の樹々や陽の光が気持ちいい。
帰り道、三鷹駅前の商店街が途切れる寂しい場所へ出て、ちょっと陽の傾いた深い午後を歩く。すると、ずっと過去の記憶をたどって歩いているような深遠な気持ちになる。
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こんな毎日喫茶店へ行って、お金がどんどん減っていくのかと言うと、決してマイナスにならないように、どこかでバランスをとっているんだと思う。これが、20~30代のときには出来なかった。時間がない、お金がない……そのショートスパンの焦りが、貧困へ直結する。
30代の終わりに離婚したとき、相手の引っ越し費用など数十万円も払ったのに、まだ十分に貯金が残っていた。あの時から、「焦らなくていい」という余裕が生じた。その余裕を接ぎ木するようにして、今まで何とかなってきた。なので、離婚したときに住んでいた戸塚の風景を見ると、あの時の解放感がよみがえってくる。
キャバクラで放蕩しようと海外へ2週間旅行しようと、何とかなっている。仕事に追われてもない、毎日好きに暮らしている。

街を歩く人の服装を、心の中で論評するのが好きなのだが、最近は「そのシャツの柄いいね」「色の組み合わせが冴えてるな」と誉めるようにしている(もちろん心の中で……男女問わず、写真を撮りたくなるようなスタイリッシュな人もいる)。
以前は「そんなダサい格好よくしてられるね」とけなしてばかりいた。しかし、良いところを見つけるようにすると、自分の心も明るくなる。


最近観た映画は、アッバス・キアロスタミ監督『トラベラー』、『作家マゾッホ 愛の日々』、4時間もある『象は静かに座っている』、東映動画『海底3万マイル』。
『トラベラー』はモノクロなので、キアロスタミ監督がイタリアン・レアリズモに近い資質なのだと分かる。
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トリュフォーの『大人は判ってくれない』のような少年の逃避行で、追いつめられたような解放されたような曖昧なラストシーンが胸に残る。

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2023年4月 6日 (木)

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徒歩圏内の喫茶店を巡回することに閉塞を感じ、たまたまGoogleマップで発見した新開店の店へ、わざわざバスで行ってみた。
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古民家風で、すごくよく空間のゆとりを考えてある。
でも、店主の美意識が店に堆積していくには、時間が必要なんだと思う。アルバイトの若い店員では、重みが出ない……これは一概には言えず、入店したばかりの軽い雰囲気のアルバイトのほうが、その店の雰囲気にマッチする場合もある。
個人とか家族で経営している我の強い店、飽くまで「小さな企業」として人を雇っている店、それぞれの方向性が違う。こうした読解こそが、喫茶店へ行く楽しみだと思う。


愛読しているブログ「不安が多い人のための転職ガイド」()の作者さんの本が、kindleアンリミテッドで読める。
このブログはタイトル、挿絵のセンスもなっちゃいないとは思うが、その不器用なところに誠実さを感じる。この作者さんは学校の勉強ができず、若いころは低賃金のアルバイトを転々としながらホームレスになる不安におびえていた。自尊心の低さゆえ、自分には誰にでも出来るアルバイトしかないと思いこんでいた。僕とそっくり。
ようやく彼は、組織の中でうまく流れていないウィークポイントに手を加えて、仕事のシステムを快適に流れるように構築しなおす仕事を自分で見つけた。つまり、誰かから与えられるのではなく、自分で自分の仕事をつくってしまったわけ。本には、その辺りの事情が詳述してあった。

まるでゲームを遊ぶように、自分ひとりで楽しみながらシステム構築して、無能な上司の先回りをして信頼を勝ちとっていく。
そこまで一人でやると、どんな仕事でも怖いものがなくなるという気持ち、ちょっとは分かる気がする。自分の能力の範囲を把握していて、その圏内で必ず勝てる戦いをやっている。
今では寿命まで困らないぐらいの莫大な資産を手に入れて、これといった欲も趣味もないので、40代で引退して毎日のんびり暮らしているという。
話がその辺りへ及ぶと、いまだホームレスになる不安を抱えている自由業の僕とは乖離しはじめるものの、人生や仕事に対する考え方、他人との距離感や孤独の愛し方には大いに共感させられる。
(自己愛性パーソナリティ障害につけこまれがちな人は、他人に期待しなくなって濃密な関係を避けるようになる。そして、孤独の貴重さに気がつくのだ)


上記ブログとは関係ない人の言葉だが、「よく遊ぶ」ことがお金の不安をなくす……これにも、得心がいった。
「よく遊ぶ」とは、他人のつくった遊びのルールを享受するのではなく、自分で遊びの計画を立てること。
僕の場合なら、旅行に行くための計画をあれこれ考える。タクシーを使わざるを得ない場合は、いくら必要か多めに想定して、現金を確保しておく。その余裕の範囲内で、屋外でビールを飲める場所を見つけて突発的に飲んだりしている。その贅沢のためにタクシーに乗れなくなった等という、頭の悪い事態には陥っていない。
臆病なぐらい慎重に考えるけど、その目的は「楽しむこと」なんだよな。
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この画像は公園の休憩所のものだが、日常的な飲酒や喫茶も、旅行と通底していると思う。「これぐらいならダメージはない」というバッファの中で、好き勝手をしている。あれもこれも我慢、とにかく節約、少しでも安く……という発想には、計画性がなく、もっとも貧乏に近い。
「マスクしてください!」ヒステリーにも、同質のものを感じるんだよな。安全、安心の範囲を自分で狭くしておいて、その窮屈さがストレスを生んでいる。「楽しく生きるにはどうしたらいいのか?」という、長いスパンでの目的と考察が欠落している。
ちょっとリスクを冒す勇気がないと、自由にはなれないんだろうな。


最近観た映画は、『そして人生はつづく』。2回目。
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一度でも中東に旅したあとでは、その質素な生活風景が、日本にも似た親しげなものに見える。……こうした、ちょっとした視点の広がりのために、何十万もかけて旅行へ行ったんだよな。この自分だけの財産を元手に、さて次はどんなことをやろうか?と考えてしまう。
誰のものでもない、海のように広がるこの「気持ち」。それが手に入ったのだから、もう十分なのかも知れない。でも、「これから」が気になる。

作品の半分は作者のものだけど、鑑賞するのは僕だけしかない。僕だけが、作品の価値を決められる。僕が変われば、作品の価値も変わる。その重み、その脆さを受け止めきれない人が、他人に頼る。

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2023年4月 2日 (日)

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なんとか時間をつくり、国立近代美術館へ行ってきた。
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企画展は「重要文化財の秘密」。国宝とか重要文化財とかタイトルにつくと、平日でも混む。
それはさておいて、だいたい60代ぐらいだろうか、パッとしない垢抜けないオジサンたちをチラホラ見かける。はっきり言うと、元いじめられっ子……という雰囲気。会社で出世したとか、責任ある立場とか、そういう成功と縁遠い人たち。僕も、彼らと同じに見えるだろう。
実を言うと、御茶ノ水の美大受験の予備校へ入って、一浪して日大芸術学部へ入れたとき、同じような安堵感をおぼえた。高校までと違って、はみだし者、変わり者の集まりだったので、ようやくホッとできた。

でも本当は、そこでホッとしてはいけないんだと思う。この後に書くことに通じるけど、「はぐれ者」というフィールドに留まっていても、それだけでは人生は面白くならない。どこに居ようと、負ける者は負けるのだ。大企業の経営者だろうと資産家だろうと、負けつづけている人はいる。……というより、たいていの人は人生がつまらない、こんなはずではなかったと思い悩んでいる。


Twitterで、ピンとくる言葉に出会った。
「制限された中で最適化していくと、人生がどんどん不自由になっていく」。……これ、20~30代のころ、貧困にあえいでいた僕。
僕は貯金のないアルバイトなんだから、食べるものはチェーン店の牛丼しかないと思い込んでいた。クーポン券で50円引きなら、それで得した気になっている。僕は何の取り柄もない無能なんだから、キツくて安い短期アルバイトをするしかない……と、勝手に委縮している。
自分から狭い世界に閉じこもって、そこで我慢していれば損しないはずだという一種の信仰なんだよ。貧乏になる秘訣だと思う。

本当は、ひどい状況に耐えてはいけない。自分から抜け出ないと、もっと酷い目に合わされる。
でも、現実を直視する勇気がないから、「自分が負けている」状況に逃げこんでしまう。そして、「負けている」状況に甘えて、それを維持するため「仕方がない」「それが世間の常識なんだ」「誰だって我慢している」と、様々に合理化する。「負けている」状況を維持しているかぎり、自分が虐げられている本当の現実と向き合わなくて済むから。
あれもこれも全て政府が悪い、現政権が悪いので皆で声をあげましょう、選挙に行って彼らを落としましょう……と年がら年中、繰り返している人たちは、野党とか反〇〇とかいう「負けている状況」を自己目的化している。自分が与党になるためにはどうすればいいのか、決して具体的に考えようとはしない。
本当は、自分が不甲斐ないだけなのだ。勇気がないだけなのだ。その認めがたい現実を受け入れると、そこから道が開ける。というより、道があることに「気がつく」。

喫茶店は、ドトールやスタバだけではない。同じ街の名も知れぬ個人経営の喫茶店へ、同じ値段で入れる。店の広さ、インテリア、食器、多様な楽しみがあることに「気がつく」。
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別に、誰か友達と行かなくたっていい。一人のほうが気楽で自由であることに「気がつく」。みんな、一人が怖いから仲間だ友達だと群れ合っているだけではないのかと、これもやはり視野が広がったから気がつけたことだ。
面白さに対して貪欲にならないと面白くならない。働くからには満員電車に乗らなくてはダメ、マスクしていないと変な人に思われるから暑くても我慢、いつも遊んでばかりだと不謹慎だからほどほどに……本当にそうか? 胸に手を当てて考えてみればいい。


最近観た映画は、『神は見返りを求める』、『最後にして最初の人類』、『禁じられた歌声』、『オールウェイズ』など。

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