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2023年3月27日 (月)

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早稲田のスタジオによく出かけていくのだが、仕事前にいつも立ち寄っていた喫茶店が、今月で閉店してしまった。
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これは、閉店を知ったときの最後の写真。過去のFacebookの日記を見ると、歩くのがキツい真夏にはタクシーで行ったりするぐらい、気に入っていた。「人生でベスト3」「大好き」と何度も書いていた。
この店の大きな窓ガラスから早稲田通りを眺めると、まるで水槽のように静まりかえって見えた。通りの向こうに、ガラス張りの建物があることも関係していただろうし、グレーと水色に塗り分けられた店内の色調も作用していただろう。

僕は人の顔を覚えられないので特に誰、というわけではないのだが、何人かの女性店員が接客していたことも大きいと思う。たまに、厨房で調理しているお兄さんが出てくることもあったが、テーブルの間を行き来するのは女性店員だった。
何しろ顔を覚えられないぐらいなので、特に誰が気に入っていたというキャバクラ的な感覚ではない。しかし、女性の目にさらされる機会の多い店だから、恥ずかしい格好をして行かないようにと、前夜から服を選ぶほどだった。
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もちろん、お店の人たちは僕の服装なんて見てないだろう。「他人からどう見られるか」ではなく、「自分で自分をどう思うか」なんだ。「ちょっと背伸びして出かけよう」という向上心を維持しないと、人間は早々と堕落する。惰性ではなく「あの店は特別だ」「あのお店に相応しいお客でありたい」という上向きな気持ちを喚起してくれたことは間違いない。
Facebookには「この店に、片思いしている」とまで書いた。この店の透き通った価値観、美意識に自分を合わせようと頑張っていた。背筋を伸ばして、静かに、丁寧にふるまおうと。だから閉店してしまった今、こんな喪失感を味わっているんだろう。

まずは、その話をしておこう。


他にも、休業してしまった喫茶店がある。
1月に訪れたその喫茶店は、70代の女性がひとりで経営していたが、ヨルダン旅行から帰ってきた2月中旬以降、いつ行ってもシャッターが閉まって「事情により休業いたします」の貼り紙がしてあった。
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先日行ってみると、シャッターは半分ほど開いていて、何とか人が入れる。どうしようかな、と迷っていたら、たまに見かける常連のおじさん(この人も70代だろう……年末の大掃除を手伝っていたのは、この人だったと思う)が、ヒョイとシャッターをくぐって入っていった。
じゃあ、いいのかなと思って、僕も後につづいた。

店の中には、女性が二人ほどいて、70代の女主人もいた。お弁当が置いてあったので、これから三人で食べるのだろう。
「こんにちは!」と、女主人は元気に僕に挨拶した。話によると、ここのところ病気で休んでいて、今からまた療養生活に入るので、またしばらく休業だという。「でも、生きて帰ってきます」と笑顔だった。「楽しみにしてます」と、僕はその場を辞した。
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先に店を出たおじさんが、「残念だね」「(女主人は)痩せたね」と呟いた。この人と話をするのは、初めてのことだった。僕は店の人と話すことはあっても、常連客とは話さない。だけど、3年も喫茶店を回っていると、必然的に人間関係が出来てしまうのだと分かった。

女主人は、僕の「ヨルダンへ旅行に行くんです」という一言をきっかけに、自分の父親のこと、人生観や人間観を話し出したことがあった。
唐突には感じなかった。なんとなく、お互いの距離感や深度を測れていたから。仲がいいとか気が合うとか、そういうのでもない。年齢とともに、心の形がそうなっていった……とでも言うのだろうか。
30歳ぐらいでも、それなりに人生経験を積んだ人は、他人とほどよい距離感を保っていると思う。それは人による。年齢のせいではないんだろうな。


30代の僕は未熟だったから、他人に頼り、甘えた。他人に過剰に期待し、愛されたい・認められたいという執念・怨念で生きていた。
ところが今は、ほとんど誰とも口をきかない。このブログを読んでいれば分かるだろうが、他人蔑視が激しい。凡人をバカにしまくっている。
反面、自分がダサくて気持ち悪い男だと蔑まれても、そういう見苦しい生き方をしてしまっている自分を認めるぐらいのゆとりがある。
その心の在り方が、焦って他人を求めてばかりいた若いころと、決定的に違う。他人に嫌われても憎まれても、そういう流れなんだから仕方がないんじゃない?とあきらめられる。あきらめた心の隙間に、穏やかな気持ちが流れこんでくる。
その仕組みを知っているんだよ、今の僕は。なるようになるんだから、焦らない。

僕は、運がいい。離婚して家族が凄惨な死に方をしたけど、だからこそ自分の心が納得いくように考え抜くことが出来た。何が幸せなのか、どうするのが好きなのか、嘘をつかずに追求できた。あの時、僕は一度死んだのだ。だから、今の穏やかな暮らしがある。一周めぐって、運がいい。


最近観た映画は、『異端の鳥』。長いので、3回ぐらいに分けて見終わった。
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僕らしくひねくれた事を言うと、上のスチールの戦争シーン。全体に硬質、静謐な映画なのに戦争・虐殺シーンは別の映画のようにカットワークが激しい。独特のムードをもった映画なのに、ここだけ普通の映画から借りてきたように見える。
それは、現場に集まったのがアクションの得意なスタッフだったからじゃないか。ロケ場所、スタントマン、メイク、小道具、スケジュール。そういった外的・物理的な要素でしか映画は成立しない。「思い」なんてものでは、映画は成り立たないのだ。

「思い」を物理要素に分解して、作業・事業として遂行させる。それが、映画の実質である。逆に実務として遂行可能なレベルに分解できたら、映画は必ず完成する。そういう考え方を、こういう芸術性の高い映画から学ぶことだって出来るわけだ。

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2023年3月23日 (木)

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昨日水曜日は、三鷹美術ギャラリーの合田佐和子展へ。
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都内の美術館へ行くような時間はなく、手近にすませたいという気持ちもあったが、『帰る途もつもりもない』というタイトルに心惹かれた。天井の低い商業ビルのワンフロアだが、展示数は多かったし、レイアウトにメリハリがあって資料性も高かった。

「時間がない」と言いながら、陽気にうかれて玉川上水を歩き、井の頭公園の休憩所で飲んでしまった。
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平日昼間だというのに、飲んでいる人が多い。日本酒だビールだと盛り上がっているテーブルもあった。こういう何もない自分のコントロール可能な余白がないと、いずれは精神的に追い詰められていく気がする。
逆に、クラフトビールを外で飲み歩くと、明らかに金銭的なマイナスが大きいので、そういうのも精神的によくない。自分で選べるそこそこの贅沢、そのバランス感覚が大事。「節約、節約」とケチっていてお金が溜まったことなど、過去に一度もない。


どうしてこんな事を書いたのかというと、YouTubeでホームレスの人に密着取材した番組をよく見ているからだ。
単に先のことを考えず、無計画にホームレスになってしまった人が多い。犯罪に手を染めた人、精神病で社会に適応できない人もいる。中には、素晴らしい才能を持ったまま年をとって、埋もれている人もいる。そういう人は人間嫌いだと言うわりに、なぜか余裕があって飄々としており、笑顔が多い。
しかし、何よりゾッとさせられたのは、実家に住んでいながらクレジットカードの限度額いっぱいに贅沢してしまい、家を出てきてしまった人。高価なブランド品を買ったわけではなく、たんに好きな物を食べていたらそうなった……というのが生々しい。

そんなだらしのない人でも、浪費して贅沢している間は幸せだったんじゃないかと想像すると、幸せって何だろうと考えてしまう。正社員で就職して結婚して月給をもらい、社会にしっかり組み込まれていることが幸せなのだろうか? 社会から少々はずれているほうが豊かさや幸せに近づいているように、僕には思える。


兄のことは、いずれゆっくり書きたいと思うのだが、昨年だったかアパートの外で死んでいたと警察から電話があった。
彼はまず80万円の借金をつくり、それから実家に戻ったり出ていったりして、やがて生活保護で暮らしたり精神病院に入院したりしていたそうだが、僕はとにかく彼と関わらないように留意した。市役所から遺体の引き取りなども頼まれたが、すべて断った。
頭の悪い人は、「家族だから」「血を分けた兄弟だから」など薄っぺらい社会通念にとらわれて、ダメ人間と関わりを持ってしまうのだろう。父親が母親を刺殺するという血の経験を経た僕は、家族といえども情けなど見せたら自分も不幸に引き込まれると学んでいる。

心を自分のコントロール下に置いておくこと。自分が穏やかで、機嫌よく過ごせるにはどうすればいいのか、落ち着いて考えること。するとやっぱり、喫茶店でゆっくり読書したり美術館へ足を運んだり……という孤独な暮らしになる。
幸せとは大豪邸に住むことではなく、「心穏やかに過ごすこと」だとあらためて思う。とらわれないこと、自由であること。
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季節それぞれの美しさを知っていること。凄惨な出来事や邪悪な人々と同じぐらい、素晴らしい価値がこの世にはあり、その限りなく良いものを、これからでも作ることが可能なのだと分かっていること。


最近観た映画は、アンソニー・ホプキンスの演技が素晴らしい『ファーザー』。
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舞台劇の映画化で台詞が多いが、カット割りは単なる切り返しではない。映画の中で起きていることは、アンソニー・ホプキンス演じる老人の実体験、事実として捉えられている。予想外の出来事に驚愕する老人に寄り添うようにアップで撮り、みず知らぬ他人は引きで順光で撮り、距離を保つ。
たいしたプロットではない。でも、だからこそ丁寧に撮ってあることが分かる。どんなに仕事が立てこんでいても、寝る前のちょっとの時間に映画を見ることは必要だし、喫茶店へ行けるゆとりも大事。

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2023年3月16日 (木)

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最近観た映画は、アッバス・キアロスタミ監督のドキュメンタリー『ホームワーク』。
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小学生の子供たちに家での宿題についてインタビューしていくだけのシンプルな構成だが、イランの封建的な社会風土や政情が明らかになっていく……という、かなり難しい映画だった。
それ以外は、ひたすらアンマンのダウンタウンを歩くだけのYouTube動画を寝る前に見て、一ヵ月前の旅行の余韻に浸っている。


火曜日は静岡県へ行って、プラモデル関係の取材。ただ、これは企画自体が中止になったので、いつどこの媒体に載るか分からなくなってしまった。でも、設計者のMさんに会うのは一年以上ぶりになるので、夜は飲もうと誘われた。
Mさんはお年の割には、元気に飲むタイプなので、急性膵炎になったらどうしようとビビりながら飲んでいる僕は、ちょっと気持ちが臆してしまう。店でビール2杯、レモンサワー2杯、さらにホテルへ帰ってビール2缶を飲んでも、みぞおちと背中が張っているような腫れているような感触があるだけで、強烈な痛みなどは起きない。

何年か前、消化器内科で検査してもらっても「もし痛いとしても膵臓ではなくて胃だろう?」と怪訝な顔をされたので、ただの心配性なのかも知れない。
翌朝はホテルから歩いて、住宅街にある喫茶店でモーニングを食べた。ここはもう何度か来ているので、近所のおじちゃん・おばちゃん達で賑わう店の雰囲気はつかめている。大きな窓越しに、朝の光が差し込むのが気持ちいい。
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東京に仕事を残してきたので、さっさと新幹線で帰ってきた。ひとつ仕事が消えたはずなのに、まだ沢山ある。


独身中年男性、狂ってきたので今のうちに書き残しておく

ずいぶん文章が達者で、誇張も入っているとは思う。多くの人が指摘しているように、年をとったからではなく鬱だろう。
それでもなお、自分の不甲斐なさを何もかも「加齢による衰え」ですませ、「お前らもいずれ皆こうなる」的な恫喝的なポーズをとるのは非生産的だし卑屈だと感じる。

自分の価値観が何もない人って、ほぼ必ず年齢・性別など本人にはどうにもならない属性をダシにする。その人自身に独自性がないから、歳のことを指摘すれば、誰でも絶対に凹むだろう……みたいな浅い考えでいる。
同性愛者で、一見すると女性のような美しい人に向かって「でも、しょせんキミだって男だよねえ?」と、鬼の首でも取ったように勝ち誇っている男がいた。その程度で、相手の急所をついたつもりでいる。
僕がTwitterに巨乳モデルの画像など貼っていると、「こんなの歳とったらシワシワだよな」とレスして、何とか白けさせようとする人がいる。その年齢ならではの、多様な美しさのあることを知らない。凡人にかぎって、老いや死を極度に怖れる。

29歳になり、ちらほらとライターっぽい仕事が舞い込むようになった頃、同業でサッパリ芽の出ない年上の人が「30歳すぎるとガクンと体力落ちますよお!」などと脅してきたが、別に落ちなかった。むしろ、30歳すぎてからバリバリ働くようになって、以降は仕事の量やペースを自分で調整できるようになった。「加齢による衰え」を言い訳にしたがるのは、自分の能力の分析を怠り、何も対応できていない証拠だ。

そうしたルーズな人たち特有の短絡さを感じさせる投稿だった。
自分で「オッサンだから」「もうジジイなので」と前置きするのは、やっぱり何か逃げているんだと思う。


先ほどの投稿についてだが、結婚に関する記述もダメ人間の見本のようだった。
「婚約指輪、結婚指輪、結納金、両家挨拶会、結婚式、新婚旅行、新生活に子育てまで見越したパンフレット」……そこまでマニュアルどおりに進めようとすれば、必ずどこかで脱落するだろう。そもそも、何のために結婚したい?
「年収を上げるのだと仕事を頑張り、キャリアを求め、転職も重ねた。」……ここも分からないんだよなあ。年収を上げて、お金を何に使いたいの? 仕事するのが好きなの、キャリアを求めた先に何があるの? 結局どうしたい? その追求が足りてない。

結婚もキャリアも年収も、すべて「他人(世間)の価値観」なんだと思う。
自分の内側に光を当てていない。(1時間も満員電車に乗りつづける生活なら、そこから抜けたいのか平気なのか、もし抜けたいなら具体的にどうするのか戦略を立てなければ、自分の人生など始まらない。)
他人のゲームに参加していれば、他人が勝つ。自分だけが勝ち続けられるゲームを、自分でつくってしまえばいい。僕はそうやっているから、たまに「どうして勝てないんだろう?」「廣田さんばかりズルい!」と怒り出す人がいる。それは貴方のゲームではなく、僕のゲームなんだから、そりゃそうでしょ。
逆に、「廣田なんてミジメでカッコ悪くて、ああはなりたくないな」と蔑んでいてもらっていた方が、僕は自由になれる。僕は自分に価値があると分かっているし、どうすれば自分が楽しくなるのかも熟知している。自分が好きだし大切だ。他人に愛されたい、称賛されたいという欲がない。それが一番大きいかな。そういうゲームをデザインしていけば、行きたい外国へ旅行できるようになるよ。お金じゃない、自尊心だよ。

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2023年3月 9日 (木)

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最近観た映画は『バニシング・ポイント』、『007スペクター』、『風の吹くまま』。すべてプライムビデオ。
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『風の吹くまま』はイランのアッバス・キアロスタミ監督の作品で、以前にまとめて何本か観たはずなのだが、中東へ旅したあとだと興味が深くなる。
この映画では、画面外から人物の会話が聞こえていても、話し手にべったり張りついて撮るようなことはしない。彼らの乗った自動車やバイクなどは、あっという間に道の向こうへ遠ざかってしまい、映画には風の音、農家の軒先を歩くニワトリなどが残る。その“隙間”には、技巧ではつくりだせない思想がある。

人間を追いすぎない、同情もしすぎない。映画のラスト近く、墓穴を掘る職人が生き埋めになってしまうが、彼の顔は一度も映らない。主人公が取材しにきた病気の老婆も、台詞には何度も出てくるのにとうとう最後まで顔は出てこなかった。
ストーリー、あらすじからは決して読み取れない隙間が、カメラの置いた位置から生じている。カメラは置き去りになる。すべてを見せてくれるわけではない。きっちり計算された構図・カッティングでは、ストーリーの裏側をすり抜けるような、この感覚は構築できない。


みぞおちと脇腹が軽くうずくので、3日ほど酒をやめてみた。聞くところによると、過度の飲酒による急性膵炎は激痛だという。死ぬのは怖くないけど、痛いのは怖い。
ほぼ毎日、喫茶店へ出かけて新しいお店も開拓できた。
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ヨルダン旅行で30万ほど使ってしまい、手痛い出費だし貯金残高も減っているというのに、あいかわらず平時昼間から何に追われるでもなく、のほほんと暮らしている。喫茶店まで散歩して、寝たいときに寝ている。
使えるお金の額は、実は30代からたいして変わっていない。となると、人生や暮らしに対する認識が変わったのだとしか思えない。焦らなくなったし、我慢もしなくなった。30代前半は、いつも焦っていた。
そのころ、毎日の我慢と節約でお金がたまったのかと言うと、どんどん貧乏になっていった。


僕の強みは、あきらめたものの数が多いことかも知れない。
SNSをやっていると、「どうしてアイツだけ得して、私は損ばかりなのだろう?」という負のエネルギーの熱量を感じる。僕は絵に挫折したし、映画作家にもなれなかったけど、成功した誰かに嫉妬しない。媚びたりもしない。
「あきらめた」から余裕が生まれて楽になれた、という実感はある。

あと、女性だけでなく同性から愛されたり称賛されなくても、ぜんぜん平気になった。これも大きい。自分の存在には少しばかり価値があって、それに見合った報酬は得ているのだから、毎日ぶらぶら暮らせるのは、まあ当然じゃない?と胸を張っている。
「アイツだけズルをしている!」と嫉妬ぶかい人は、そのバランス感覚がない。下手に「だって人間は平等だろ?」などと信じているから、劣等感に苦しむことになる。苦しいなら、その頑迷な思い込みを手放せばいいのに、執着して我慢して報われようとする。僕の30代までが、まさにそうだった。
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母の死は、荒療治だった。あの日から、社会で平凡に生きている人たちに期待しなくなった。以前は、ちゃんと就職して結婚している人たちに後ろめたい気持ちがあったんじゃないだろうか。彼らの人生も楽しいのかも知れないが、自分の人生だって無限に自由で楽しいんだと気がついた。


ダメな人というのは、すぐそこに幸運があるのに気づかず通りすぎてしまう。スマホ歩きしている人のポケットからは、お金がざらざらこぼれ落ちているように、僕には見える。
嫉妬ぶかくて怒りっぽい人は、そのマイナスの感情によって、自分の心がざっくりえぐられている痛みに気がつかない。鈍感なんだよ。痛みに鈍感で我慢ばかりしているから、自分の心の底からの欲望にも気がつかない。何が欲しいのかどうしたいのか、自分で分かっていない。だから焦るわけだ。

僕は自分がどうしたいのか分かっているから、こんな少ない稼ぎでも旅行に行けた。
本当は30代の頃でも行けたんだろうけど、自分の心に対して探求心が足りていなかった。他人の価値観、どこかの誰かが「いい」と思うもので心を埋めようとしていた。自分がそうだったから、仕事していてもウソを言っている人、強がっていても自信のない人はすぐ見ぬける。でも、彼らをどうこうしたい欲求はないので、そのまま放っておく。自分がどういう気持ちになりたいか、それが最優先なので他人に干渉しない。
そういう、こだわらないスタンスを手に入れた、気がつけた時点で勝ちなのだと思う。お金でも権力でもなく、自由がもっとも高価だった。

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2023年3月 4日 (土)

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魚河岸の顔「ターレットトラック」のナゾ 実は名前すら曖昧? 何度もプラモ化されてきた“魅力”
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小さいけれど、ひさびさに仕事の告知。「乗りものニュース」にプラモデルのコラムが掲載されました。
メーカーさんに自分で連絡して、画像を提供してもらって……という細かい実務はいとわないけど、小さなウェブ媒体で少しずつ書いていく機会は激減してるし、よほどの事情がないかぎり、やらないと思います。
いまメインでやっている仕事は早くて3ヶ月後、半年後……というスパンです。そういう仕事をする時期に、自分は入ったのだと思います。


水曜日は東京駅近辺、アーティゾン美術館とインターメディアテクへ行ってきた。
アーティゾン美術館はダムタイプの展示が楽しみだったが、あまりにも規模が小さかった。ただ、余白を怖れない大胆な会場の使い方は見習うべきなのかも知れない。お化け屋敷のような、暗闇を効果的に使った展示だった。
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インターメディアテクは入場無料なのに特別展示がふたつもあり、どちらも凄く参考になった。上の写真は 『被覆のアナロジー —組む衣服/編む建築』、これも十分に凝ったレベルの高い展示だが、目当てにしていた『極楽鳥』は夜~朝焼け~昼(天空)へと背景のパネルの色が置き換わっていく。
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会場全体が青空に変わるところは、新しく壁を斜めに立てて、角を折れると、視界が一気に明るく変わるよう工夫してある。その瞬間が気持ちよくて、つい何度も同じ場所をうろうろしてしまう。


ヨルダン旅行から帰国して、早くも20日間が経過して、なじみの喫茶店にモーニングを食べに行くようになって、すっかり日本の日常に戻ってきた。
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ただ、あらためて土日や祝日に飲食店へ行ってはいけないと思い知らされた。土日にしか来られない客が集まるので、(いつもの静かな店なのに)周囲に無遠慮に資料やパソコンを広げるような客がいる。これでは、チェーン系の喫茶店と変わらない。
でも、せっかく僕は平日昼間からウロウロできる身分なのだから、僕のほうから土日祝日は出かけないようにするーーこれが最も頭のいい対策だろう。

「土日祝日には飲食店へ行かない」……これはマナーや身だしなみの本で知った概念だが、なかなか説明しづらい。
10人の客しか探しあてられない個人経営の喫茶店と、ほっといても100人の客が集まるチェーン系の喫茶店では、後者の方が「世間」の平均に近づく。雑多で、マナーの悪い人も多く混ざっているのが「世間」というものだと理解し、「世間」が正しいわけでも優れているわけでもない……とあきらめれば、おのずと自分の属する次元の選択肢が浮かび上がってくる。
(他人に期待するぐらいなら、自分の心の中を整備したほうが効率がよいし勝率が上がる。他人に頼るのは、そもそもハイリスクな選択だ)


何度も書いていることだが、20代の僕は「チェーン系の牛丼屋に行かないと食事できない」「なぜならお金がないから」と信じていた。
よく探せば、同じ金額でもっと多様な食事ができただろうに、食事に対する好奇心も探求心も薄かった。お金ではなく、精神的な余裕がなかったのだ。
だから、ろくに探しもしないで街中で目立つチェーン系の店へ、習慣で通っていたに過ぎない(チェーン系の店はスマホアプリのように、怠惰な人でも気がつくようデザインや色彩が設計されている)。なのに、それが唯一の選択肢だと頑なに信じていた。
「貧しさ」とは、つまり狭くて安易な「価値意識」のことなのだと今なら分かる。人生に何も付加価値のない人に残るのは、「せめて長生きしたい」。これは、いい尺度だと気がついた。


最近観た映画は『バグダッド・カフェ』(3回目)『ダイアモンドの犬たち』、『バハールの涙』、『漁港の肉子ちゃん』(2回目)、『アンデルセン物語 にんぎょ姫』、あと『フードインク』(確か2回目)、『ショックウェーブ』などのドキュメンタリー。
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『バグダッド・カフェ』は、映画冒頭でカフェへ持ち込まれた魔法瓶の色が、映画の随所に使われている。給水塔、窓に貼られたセロファン、そしてカフェ側の登場人物の服装が、ちょっとずつレモンイエローになっている。異邦人であるドイツ人の婦人も、最後の最後でレモンイエローのシャツを着る。
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綿密に設計されたデザインではないが、象徴的な色として意識しているのは間違いない。

『バハールの涙』は、クルド人の女性たちが小規模のゲリラ部隊を結成する。一種の戦争映画だ。
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主人公バハールの部隊が、苦難の末に敵の拠点を制圧する。バハールは電波塔によじ登り、そこに掲げられていた敵の黒い旗を投げ捨てて、「自由クルディスタン万歳!」と叫ぶ。ここはロングである。次のカットは、くすんだオレンジ色の空に黒々とした雲が流れていくだけ。夕闇に染まっていく空だろう。ズーン……と重たい音楽が流れる。
その次のシーンは拠点外観のロング、そして内部なので、空と雲のカットは時間経過ぐらいの効果しかない。しかし、雲はスロー撮影で動きを早く加工してある。すなわち、実時間ではなくバハールの心理描写、心の中の風景だとも捉えられる。

こういう瞬間があるから、僕は映画を見ている。『バハールの涙』自体は、古典的なヒューマン・ドラマに過ぎない。しかし随所に、ストーリーやドラマに還元できない感覚的な描写が散りばめられているのだ。

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