■ヨルダン旅行記-2■
■ダウンタウン-2
ホテルに戻っても、まだ昼過ぎだ。
近くの観光地・ローマ劇場へ出かけて、その帰りにダウンタウンを歩くうち、だんだん居心地がよくなってきた。まるで、アメ横のような密度感なのだ。昨夜の夜は、嫌悪感が凄かったのだが……不思議な親しみをおぼえはじめた。
アジア人がひとりも歩いていないので、「おっ?」という感じで見られる。自分がそもそも最初から「異物」として扱われている解放感。「ニーハオ!」とも声をかけられたし、チキンバーガーとターキッシュコーヒーを食べに寄った食堂では、黒人の青年に「フロム・ヤパン?」と聞かれた。彼は笑顔だった。
一度はホテルに戻って、また街へ出かけたりした。もちろん、前日に見つけた店でペトラビールも仕入れた。
■ジジイ-2
翌朝、アンマンは前日にも増して雨模様で、凍えるような寒さであった。そして、雨水だけでない謎の汚水が歩道を汚している。
スタバの横にある朝から営業しているレストランで、アラビック・ブレックファーストを頼んでみた。これでも、まだまだ西欧風にアレンジされている。豆腐のように四角いのは、後にちょくちょく出会うベタ甘いお菓子。
さて、昨日のタクシーのジジイは10時に来るのだろうか? 実は、タクシーはダウンタウンを多数往来しており、わざわざ約束する必要もなかったのだ。
とりあえず、10時までホテル前で待ってみた。「おっ、2~3分前に来たな」と乗ってみると、運転手はジジイではなく若い男性だった。
その後、ジジイは来たのだろうか? 僕を待ち続けたのだろうか? それは分からない。忘れてしまったか、そもそも約束などしていないのかも知れない(後日、ペトラ遺跡で似たようなやりとりが生じ、それでジジイが20ディナールと倍の金額を持っていった理由が分かるような気がした。後述)。
■アカバ-1
午前11時のバスに乗り、アカバという南端のリゾート地へ向かう。4~5時間ほどの旅だ。アンマンの市街を離れると、荒涼とした風景が続く。
飛行機で一足飛びに向かう手もあったが、バスにして正解だった。早めにチケットを買うと最前列に座れるし、車内で音楽や本に熱中できるし、窓の外を眺めてもいい。飽きない。トイレ休憩もある。アンマンを離れると、どんどん砂漠や渓谷が多くなっていく。その風景の変化は飛行機では楽しめまい。
休憩所を経由してアカバに降り立つと、まさに南の楽園だった。気温20度前後と温かいので、コートを脱いでスーツケースにしまった。
実はビールをテラス席で飲めるレストランも見つけたのだが、ほとんどのレストランで「ビールはない」と言われ、マクドナルドで手近に夕食をすませてしまった。カード決済できるのが嬉しい。現金はキープしておきたい(計11万円をヨルダン・ディナールに換金してあるが、現地で支払うホテル代もある)。
(近くの商店のオジイサンが、水を売りに来た。半ディナールだというので、2本買った。)
ところで、アカバのバス・ステーションからタクシーでホテルまで行ってもらうと、料金はあなたが決めていいよとのこと。20ディナールで満足そうにしてくれた。本当は5ディナールぐらいが妥当だったと思う。
ホテルは、アンマンの壮絶なボロいホテルに比べるとバスタオルは揃っているし、レセプションの対応もしっかりしていて安心できた。しかし、夜は少し冷え込む。
■お弁当
翌朝は8時のバスでペトラ遺跡へ向かうので、まだ暗いうちからホテルを出た。バス・ステーションまでは20分ぐらい、歩道が平坦なのでスーツケースを引いて歩ける。
まだ暗いので、お店はほとんど開いていない。コーヒーを売っているオジイサンが「飲んでいかない?」「どこから来た?」と親しげに話しかけてきたが、バスの乗車30分前にステーションに着かないといけないので、あまり長話はできなかった。しかし、朝ご飯はどうしようと思っていると、小さなレストランの青年が僕を呼びとめた。ピータという薄いパン、フムスというディップをセットにして、トマトとフレンチフライも付けたお弁当を目の前で作ってくれた。
最後にひどいボッタくりタクシーに出会ったものの、この国の商売人たちは誠実ではあると思う。特に、このお店のお兄さんは「オリーブオイルを入れる?」「ピータはこの切り方でいい?」など、工程をひとつひとつ確認して、お釣りを返すときも「10ディテール札を一枚、二枚、三枚……いま、何ディナール?」と一緒に数えてくれた。決して誤魔化してない、という態度のあらわれだろう。
バス車内では食べる機会がなく、ペトラのホテルに着いてから食べた。ここから、フムスにピータや野菜をつけて食べる方式が好きになっていった。そういえば、朝早くから出勤する男たちはパン類をビニール袋に入れて歩いていた。弁当なのだろうな。
■ペトラ-1
バスが休憩所に止まると、すでに壮大な景色が足元に広がっており、まるでリアリティを感じない。80年代のハリウッド映画のマット・ペインティングのようなのだ。
まったく飽きることなく、バスはペトラ遺跡の入り口に到着した。本当は、この近辺の町はワディ・ムサというのだが、バスの行き先は「ペトラ」に統一されている。僕の予約したホテルは坂道のうえにあって、ワディ・ムサからは離れているらしい。
(ホテルの部屋からは、素晴らしい眺めが広がっていた。)
バス・ステーションに着いてすぐ、声をかけてきたタクシーの運転手にホテルまで送ってもらうよう、頼んだ。
その運転手のオヤジがいうには、【ペトラ遺跡へは奥まで山頂のトラックで運んでもらい、そこから一本道を降りてくるだけで徒歩5時間、すべて見て歩ける。】明日、送ってやろうか?と地図を見せて説明してくれる。
なるほど。確かに、入り口から奥まで歩いて5時間も坂道と階段を登って体力消耗、さらに戻るだけで5時間は考えられないスケジュールだ。なので、その提案を飲むことにした。
そして運転手のオヤジ、そこから先が上手い。いまホテルまで送った分、それと明日送る分で20ディナールくれと言う。妥当な金額だし、もし明日なにかあっても自分は損しないわけだ。もし損するとしたら、僕のほうだろう。そして、この話のどこにも嘘はない。こんなに頭のいい人が、どうして儲けの少ないタクシー運転手などやっているのだろう?
(つづく)
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