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2023年2月22日 (水)

■ヨルダン旅行記-5■

■砂漠へ-1
朝食は、宿主らしき老人が運んできて、ひとつひとつ料理の名前を告げた。コックのお兄さんも「昨夜のメシはどうだった?」と聞いてきたので、それなりに料理が自慢ではあるのだろう。確かに、レストランで食べる料理より郷土の味という感じがした。
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ベタベタに甘いゼリーのような物が付いてきたのだが、これはピータに付けて食べるのだろうか? 最後にスプーンですくって食べたが、この辺りから中東料理の麻薬的な甘味に魅了されはじめる。

さて、スマホとWi-Fiで朝の定例ミーティングに出席すると、ちょうど昼ぐらいだ。
前日、大きなキャンプ・サイトにツアー用の4WDが何台か停まっていたので、直接交渉に行く。アラビア語で「ツアーに参加したい」と翻訳したスクショを見せれば、何とかなるだろう。
ツアー客を降ろした4WDは次々と走り去ってしまうのだが、僕が呼び止められたのは親子づれのガイドで、荷台(客席に改造されている)の幌を片付けているから停車していたのだった。その後、僕が乗ってから砂丘を歩いている間、親子は幌をかけ直した……僕ひとりのために。そうしたプロ意識を、徹底的に貫いてくれた。
いきなり声をかけたにも関わらず、ガイドは「1時間、3時間、5時間」と応じてくれた。3時間なら、夕暮れまでに帰れる。値段は50ディテール。相場は調べてあったので、適正な値段だ。すぐに出発となった。

■砂漠へ-2
他の惑星のような砂漠と岩山をさんざん走りながら、その途中で「お茶にしよう」とガイドが言う。そういうのはいいよ……と思ったが、ヤカンでお茶を沸かしている様子を撮影していたら、「これ撮ってるの? じゃあ、俺が撮ってやるよ」とガイドさんが立ち上がった。
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そこそこの値段のしたコートを着たまま、思い切り砂のうえに座っている。この辺りから、だんだん汚れようが何だろうが気にならなくなっていった。しかし、ピータに塗ってくれたヨーグルトが「口についてるよ」と指摘されたのは、恥ずかしかった。
おそらく、ガイドさんの持ち芸であろう、チャイを「ベドウィンのウィスキー」と呼ぶギャグを真似て、お互いに何度も笑いあった。このチャイが、またじんわりと甘く、本当に酒のようだった。
考えてみれば、アンマンのダウンタウンでは香水をやたら売っていたし、東京に帰ってきてから試してみたシーシャもあちこちで見かけた。香りの文化なのだと思えば、初日に泊まったホテルの猛烈な匂いも、何だか憎からず思えてくるのだ。

3時間のコースには、適度に自由に歩けるポイント、トイレに行けるポイントなどが設けられていた。勇壮な風景を巡るだけの一本調子にならないよう、気分をリラックスできる演出、言葉が通じなくても見ただけで分かる工夫も施されていた。
たとえば、垂直に近いような斜面を歩いて登るアトラクション的な楽しみも用意されていた。
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何十枚と写真、動画を撮ったはずだが、どうしても肉眼と認知にはかなわない。記憶や体験を忠実に再現することなんて不可能だから、それで芸術があるんだと思う。
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パスポートからクレジットカードから現金から、すべて入ったバッグを、彼らの4WDには置いていかず必ず持ち歩いていたが、それは結果としては良かったと思う。彼らを疑っているようだけど、逆を言うと「あなた方を信頼してますよ」などという表層的な合図のためだけに命綱を手放すべきではない。
親子とは、握手をして別れた。彼らが僕のために付け直してくれた幌を再び片付けるのを、僕はわざわざ送ってもらったムーンバレー・キャンプのゲート前で最後まで見ていた。彼らの誠実な働きぶりを見せてもらっただけで、もう満足だった。
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せっかくビールをキャンプ内へ持ち込んだのだから、夕飲みしてみた。しかし、寒くて外へ出られず、小屋のドアを開け放っただけ。
翌日は夕方にバスが出るが、昼間にチェックアウトしてワディ・ラムのビジターセンターでタクシーを拾ってみようと考えた。タクシーが見つからなければ、夕方までビジターセンターにいれば、確実にバスは来るしチケットも確保してある。
そのためには、このムーンバレー・キャンプの頼りないコックに、車を手配してもらわないといけない。普通のタクシーは、こんな砂漠までは入ってこられないだろうから。

■ワディ・ラムからアカバへ
翌朝、キャンプの食堂へ行って朝食をとるついでに「正午にビジターセンターへ行きたいので、車を手配してほしい」とアラビア語で表示されたスマホ画面を、コックに見せた。彼は「オーケー、ノープロブレム」と答えた。しかし、電話の向こうで老人(泊まるときに話した宿主)が怒っていた。
あまり面白くない話なので相手の言い分をまとめると、「うちはエクスペディアのアカウントを取り消したので予約できないはず」「現金で払わないと、警察を呼ぶ」とのこと。簡単に折れてはいけないと思って「とっくにカードで払ってある」と食い下がったのだが、今度はもうちょっと英語の分かる別の若者を差し向けてきた。その彼は、僕がアラビア語に翻訳したエクスペディアの領収書を信用してくれたが、やはり電話の向こうの宿主が払えとうるさかったらしい。
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エクスペディアにはチャットで相談してみたが、日本に戻ってから返金されることになった。現地でとられたのは50ディナール。宿代は二泊で42ディナール、車での送迎代に8ディナールだから安いんだよ。朝晩の食事付きで、一泊5千円もしなかったんだから。それでも、現金がごっそり減るのは怖い。

キャンプの入り口に、前日のツアーで乗ったような4WDが昼ぐらいに着いて、臨時雇いの運転手はコックからいくらか現金を受け取っていた。別れ際、コックの青年に手を振ったが、彼は関心なさそうに応えた。そもそも、今はオフシーズンで彼は休暇だったのではないか。
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最初に書いたように、ワディ・ラムのビジターセンターでタクシーを探していると、すぐアラブ人のおじさんに「タクシー探してるなら、彼らと一緒に行けばいい」と声をかけられた。一人何ディナールか聞き取れなかったので、またしても翻訳アプリで「一人20ディナール?」と表示させると、イギリス人の青年が「違う違う」と計算機で数字を示した。「6.666666…」と表示されていたが、3人で20ディナールということ。もう一人の同乗者は、カナダ人のおばちゃんで、2人は同じホテル。日帰りでワディ・ラムのツアーに参加したのだろう。
最終的には、運転手にチップを要求されて12ディナールほど取られた。それでも、50ディナールぐらいタクシー代を覚悟していたので、かなり助かった。15ディナールのJETTバスを予約してあったのだが、それを含めても安い。

■アカバ-2
さて、アカバは一泊ずつで三回目の滞在になる。今夜は、最初に泊まったのと同じホテルだ。早く着いたので、手近なレストランに入った。
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基本的に夜はビールとポテトチップスなので、こういう機会に野菜をとらないと不安になる。どうせビールはないだろうと思って、飲み物はお茶にした。観光地なので、メニューは英語併記だ。これぐらいの量を食べておけば、夜はポテトチップスだけで大丈夫。
ボーイのおじさんは最初は怖い顔をしていたが、僕のテーブルに野良猫が飛び乗ると、「シッシッ」と追い払って、ちょっと照れ笑いした。接客業の人は、そう簡単に愛想笑いしないというイメージがある。

ちょっと海沿いへ歩くと、なんと「ビール」とメニューに明記してあるレストランがあった(外の壁に貼ってあった)。しかも、テラス席あり。抜けるような青空で、これから夕方になる。このタイミングで、飲まないわけにはいかない。
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岩山を登って遺跡を歩いたし、どう交渉すればいいのか検討もつかなかった砂漠のツアーも単独で参加できたし、もうこれで十分……という気持ちだった。ビールはペトラのドラフトとヴァイツェンその他いろいろ揃っていたので、ペトラの安いほうを二杯飲んだ。
二週間、欠かさず飲んでいたことになるが、別に膵臓か肝臓を壊して倒れても、それはそれで仕方ない。それよりも、こんな天国のような場所で飲まずに後悔するほうが、いまの人生にとって欠損になる。翌朝は11時のJETTバスに乗ればいいので、早起きする必要もない。
自分が何を欲しているのか、よく精査してそれに基づいた行動をとれば楽しくなるのであって、人生がつまらない人は「何をどうすれば自分は楽しくなるのか」の詰めが甘いんだと思う。

(つづく)

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