■ヨルダン旅行記-6■
■白タク
この旅も、そろそろ終盤へさしかかっている。あとはアカバから4時間、快適なバスの旅でアンマンへ帰りつけば終わり……なのだが、思わぬトラブルが発生する。
(アカバからのバスは11時発なので、ホテルからゆっくり歩いて、広いレストランでモーニングを食べた。中東風のモーニングを選んで、飲み物はコーヒーではなくチャイ。しかし、キャンプでの食事や砂漠で飲んだチャイにはかなわない)
アンマン(バスの発着場所はアブダリ)に着いて、すぐ白タクに呼び止められた。ホテルまでちょっと距離はあるが、そう高くはないだろうと踏んだのだが、運転手は「あまりに遠すぎる」「もっと近くのホテルに泊まったらどうだ?」と、最初からイライラしていた。
24ディナールという話だったのに、降りる時には54ディナールと言われた。札を1枚ずつ数えて渡そうとしたら、1ディナール札を手で払いのけられた。「ありがとう、ウェルカム、バイバイ!」と投げやりな態度で財布から出した札をすべて握って、運転手は走り去った。
50ディナール以上とられたので、これまで節約したお金が無駄になったし、こんなことなら、あのベドウィンの親子にチップでも払ってあげれば良かった。これまでの旅程を汚されたような、ひどい気分だった。
おどおどしてないで、怒るべきだった。
ホテルは、小さな店が固まった郊外のビルで、部屋は広くて清潔。しかし、ホテルの裏には寂寞とした空き地が広がっている。
アラビア語しか話さない男が、スマホを差し出した。相手は女性で、宿泊費の27ディナールを現金で払ってほしいと言う。30ディナール渡したのに、男は2ディナールしか釣りをよこさなかった。実はデポジットの1ディナールを預かっただけなのだが、もう誰が何をどうしようが、信じられなくなっていた。
ホテルの前の道路は激しく車が行きかい、例によって信号も横断歩道もない。ダウンタウンより危険な交通量だ。エンジン音を響かせて乱暴に走る車もあれば、スピードを緩めて「どうぞ」と手で示してくれる女性のドライバーもいた。
近隣のレストランへ行ってみたが、注文の仕方が分からず、店員が相手してくれなかったりした。観光客など来ない場所で、店は地元客だけを相手にしているのだ。一軒ぽつんと、カードの使えるチェーン系の小さなフライドチキンの店があった。
その店のお兄さんは英語ができて、丁寧に注文を聞いてくれた。よく分からないがチキンとポテト、サラダなどの大きめのセットを頼んだ。コーラは普通のがいいか、それともゼロカロリーがいいか尋ねてくれた。
店を去るとき「ハブ・ア・ナイスディ!」と、お兄さんは爽やかに笑った。少し救われた気分になった。その店には、小学生の男子二人組がポテトの小さな箱を買いに来たりして、子供が買い食いできる平和な店なのだと分かる。
ホテルの部屋で、ビールとチキンを食べて、さっさと寝ることにした。
■戦車
夜中、なんとなくスマホで「海外 タクシー ぼったくり」で検索して、日本人旅行者の体験談を読んでみた。すると、海外ではタクシーアプリを使う時代になっており、「流しのタクシーはすべてボッタくり!」と強調してあった。そこで、タクシーアプリのUberをダウンロードしてみた。これなら、カード払いで料金も事前に分かる。しかも、すごく安い。
そこで、Uberでタクシーを手配し、ホテルの近くから王立戦車博物館まで行ってみることにした。今日は丸1日空いているので、ゆっくり昼近くに出かけて、博物館向かいの中東料理をファストフードにしたような店で食事した。
それなりに調理時間はかかるが、生野菜がついてくるところが中東っぽい。そして、大量のフレンチフライは西欧文化の影響なのだろう。懐かしいプルトップ式のペプシコーラは、ストロー付きでデフォルトで出てくる。
日曜だから混んでいると思ったら、戦車博物館は数えるほどの客で、ゆっくり見て回って2時間近くかかった。
帰りは、またしてもUberでタクシーを呼んで、安く手軽に帰れた(運転手がみんな、挨拶すらしないのが不気味ではあるが……)。戦車博物館で撮った膨大な写真は、Facebookにアップしてある(■)。
■チップ
やや早くホテルに帰ってきたが、ちょっとした事件が起きた。
ロビーに、赤と白のストライプの鮮やかなヒジャブを巻いた娘さんが座っていて、たどたどしい英語で「312号室の人ですか? 何か必要なものはありませんか?」と聞いてきたのだ。そこで、「新しいタオルだけ欲しい」と頼んだ。「それだけ? では、5分後に行きます」と彼女は言った。
この国の人たちは本当によく「5分後に」と言う。そして、現れるのは10~15分後。娘さんは、バスケットに新しいタオル1枚、石鹸とシャンプーを2人分持ってきた。「他に何もありませんか? 本当に?」と、両手を広げた。こんな可愛らしい女性の仕草は、ひさびさに見たような気がする。物足りなさそうにしていたのは、もしかするとチップが欲しかったのかも知れない。
そう考えると落ち着かなくなってきた。
あんな乱暴な白タクのオヤジに大金を取られたのに、郊外のホテルで働いている質素な娘さんには1ディナールもチップを払えないのか? Uberのおかげで、もう現金が減る心配はない。そこで、5ディナール札をポケットに入れて、ホテルの中を探してみた。昨日の男が、部屋を工事している施工業者と何か話しているだけで、娘さんの姿はない。
手持ち無沙汰になり、なんとなく近所の商店で、水とポテトチップスを5ディナール札で買った。しかし、釣り銭を札とコインで出されてしまったので勝手が分からず、取り忘れて店を出てきてしまった。店の人は2度も「おいおい、忘れてるぞ」「間違ってるぞ」と追いかけてきてくれた。「悪い」と謝ると、「いいよ、気にすんな」とニカッと笑った。悪い人ばかりじゃない、と思えた。
ビールを飲みながら、暮れてゆくヨルダンの空をホテルの窓から見上げていた。
翌朝、荷物をまとめて一階に降りると、ロビーに通じるドアの裏手に昨日の娘さんがいた。頭にはヒジャブを巻いているが、足元はストラップのついた黒い革ブーツで決めていた。お洒落な人なんだな。
娘さんは、黙って1ディナール札を僕に突き出した。「何だろう?」と思ったが、昨日もどってこなかった1ディナールだと気がついた。僕は財布をあけて、合わせて5ディナールを娘さんに差し出した。「何ですか?」という顔をするので、「チップ」と言った。前日、ヨルダンのホテルでチップの習慣があるかどうか調べてあったのだ。
娘さんは「とんでもない、受けとれません」という、困った顔をした。ここまで誠実な気持ちがストレートに顔に出る人がいるのか、と驚いた。すると、隣に立っていた恰幅のいい男性が、「ハハハ」と笑いながら娘さんに何か言った。多分「いいからもらっとけよ」とでも伝えたのだろう、ようやく娘さんは「サンキュー」と、札をポケットにしまった。男性は「シェーシェー」などと言って笑っていた。
おそらく、そのオジサンがホテルの経営者で、娘さんは経営者の子供なのだろう。そんな雰囲気だった。だったら、チップを受けとるほど困ってないのだろうが、チップは日本語で「心づけ」とも言う。
空港で、ベタベタに甘いターキッシュコーヒーを飲んだ。チェックイン・カウンターの女性は、やはりヒジャブを巻いていたが、控えめな笑顔で「グッドモーニング」と小さく挨拶をした。この国の女性たちの清楚な美しさに、遅まきながら気がついた。
(おわり)