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2023年2月22日 (水)

■ヨルダン旅行記-6■

■白タク
この旅も、そろそろ終盤へさしかかっている。あとはアカバから4時間、快適なバスの旅でアンマンへ帰りつけば終わり……なのだが、思わぬトラブルが発生する。
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(アカバからのバスは11時発なので、ホテルからゆっくり歩いて、広いレストランでモーニングを食べた。中東風のモーニングを選んで、飲み物はコーヒーではなくチャイ。しかし、キャンプでの食事や砂漠で飲んだチャイにはかなわない)

アンマン(バスの発着場所はアブダリ)に着いて、すぐ白タクに呼び止められた。ホテルまでちょっと距離はあるが、そう高くはないだろうと踏んだのだが、運転手は「あまりに遠すぎる」「もっと近くのホテルに泊まったらどうだ?」と、最初からイライラしていた。
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24ディナールという話だったのに、降りる時には54ディナールと言われた。札を1枚ずつ数えて渡そうとしたら、1ディナール札を手で払いのけられた。「ありがとう、ウェルカム、バイバイ!」と投げやりな態度で財布から出した札をすべて握って、運転手は走り去った。
50ディナール以上とられたので、これまで節約したお金が無駄になったし、こんなことなら、あのベドウィンの親子にチップでも払ってあげれば良かった。これまでの旅程を汚されたような、ひどい気分だった。
おどおどしてないで、怒るべきだった。

ホテルは、小さな店が固まった郊外のビルで、部屋は広くて清潔。しかし、ホテルの裏には寂寞とした空き地が広がっている。
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アラビア語しか話さない男が、スマホを差し出した。相手は女性で、宿泊費の27ディナールを現金で払ってほしいと言う。30ディナール渡したのに、男は2ディナールしか釣りをよこさなかった。実はデポジットの1ディナールを預かっただけなのだが、もう誰が何をどうしようが、信じられなくなっていた。
ホテルの前の道路は激しく車が行きかい、例によって信号も横断歩道もない。ダウンタウンより危険な交通量だ。エンジン音を響かせて乱暴に走る車もあれば、スピードを緩めて「どうぞ」と手で示してくれる女性のドライバーもいた。

近隣のレストランへ行ってみたが、注文の仕方が分からず、店員が相手してくれなかったりした。観光客など来ない場所で、店は地元客だけを相手にしているのだ。一軒ぽつんと、カードの使えるチェーン系の小さなフライドチキンの店があった。
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その店のお兄さんは英語ができて、丁寧に注文を聞いてくれた。よく分からないがチキンとポテト、サラダなどの大きめのセットを頼んだ。コーラは普通のがいいか、それともゼロカロリーがいいか尋ねてくれた。
店を去るとき「ハブ・ア・ナイスディ!」と、お兄さんは爽やかに笑った。少し救われた気分になった。その店には、小学生の男子二人組がポテトの小さな箱を買いに来たりして、子供が買い食いできる平和な店なのだと分かる。
ホテルの部屋で、ビールとチキンを食べて、さっさと寝ることにした。

■戦車
夜中、なんとなくスマホで「海外 タクシー ぼったくり」で検索して、日本人旅行者の体験談を読んでみた。すると、海外ではタクシーアプリを使う時代になっており、「流しのタクシーはすべてボッタくり!」と強調してあった。そこで、タクシーアプリのUberをダウンロードしてみた。これなら、カード払いで料金も事前に分かる。しかも、すごく安い。
そこで、Uberでタクシーを手配し、ホテルの近くから王立戦車博物館まで行ってみることにした。今日は丸1日空いているので、ゆっくり昼近くに出かけて、博物館向かいの中東料理をファストフードにしたような店で食事した。
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それなりに調理時間はかかるが、生野菜がついてくるところが中東っぽい。そして、大量のフレンチフライは西欧文化の影響なのだろう。懐かしいプルトップ式のペプシコーラは、ストロー付きでデフォルトで出てくる。
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日曜だから混んでいると思ったら、戦車博物館は数えるほどの客で、ゆっくり見て回って2時間近くかかった。
帰りは、またしてもUberでタクシーを呼んで、安く手軽に帰れた(運転手がみんな、挨拶すらしないのが不気味ではあるが……)。戦車博物館で撮った膨大な写真は、Facebookにアップしてある()。

■チップ
やや早くホテルに帰ってきたが、ちょっとした事件が起きた。
ロビーに、赤と白のストライプの鮮やかなヒジャブを巻いた娘さんが座っていて、たどたどしい英語で「312号室の人ですか? 何か必要なものはありませんか?」と聞いてきたのだ。そこで、「新しいタオルだけ欲しい」と頼んだ。「それだけ? では、5分後に行きます」と彼女は言った。
この国の人たちは本当によく「5分後に」と言う。そして、現れるのは10~15分後。娘さんは、バスケットに新しいタオル1枚、石鹸とシャンプーを2人分持ってきた。「他に何もありませんか? 本当に?」と、両手を広げた。こんな可愛らしい女性の仕草は、ひさびさに見たような気がする。物足りなさそうにしていたのは、もしかするとチップが欲しかったのかも知れない。

そう考えると落ち着かなくなってきた。
あんな乱暴な白タクのオヤジに大金を取られたのに、郊外のホテルで働いている質素な娘さんには1ディナールもチップを払えないのか? Uberのおかげで、もう現金が減る心配はない。そこで、5ディナール札をポケットに入れて、ホテルの中を探してみた。昨日の男が、部屋を工事している施工業者と何か話しているだけで、娘さんの姿はない。
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手持ち無沙汰になり、なんとなく近所の商店で、水とポテトチップスを5ディナール札で買った。しかし、釣り銭を札とコインで出されてしまったので勝手が分からず、取り忘れて店を出てきてしまった。店の人は2度も「おいおい、忘れてるぞ」「間違ってるぞ」と追いかけてきてくれた。「悪い」と謝ると、「いいよ、気にすんな」とニカッと笑った。悪い人ばかりじゃない、と思えた。
ビールを飲みながら、暮れてゆくヨルダンの空をホテルの窓から見上げていた。
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翌朝、荷物をまとめて一階に降りると、ロビーに通じるドアの裏手に昨日の娘さんがいた。頭にはヒジャブを巻いているが、足元はストラップのついた黒い革ブーツで決めていた。お洒落な人なんだな。
娘さんは、黙って1ディナール札を僕に突き出した。「何だろう?」と思ったが、昨日もどってこなかった1ディナールだと気がついた。僕は財布をあけて、合わせて5ディナールを娘さんに差し出した。「何ですか?」という顔をするので、「チップ」と言った。前日、ヨルダンのホテルでチップの習慣があるかどうか調べてあったのだ。
娘さんは「とんでもない、受けとれません」という、困った顔をした。ここまで誠実な気持ちがストレートに顔に出る人がいるのか、と驚いた。すると、隣に立っていた恰幅のいい男性が、「ハハハ」と笑いながら娘さんに何か言った。多分「いいからもらっとけよ」とでも伝えたのだろう、ようやく娘さんは「サンキュー」と、札をポケットにしまった。男性は「シェーシェー」などと言って笑っていた。

おそらく、そのオジサンがホテルの経営者で、娘さんは経営者の子供なのだろう。そんな雰囲気だった。だったら、チップを受けとるほど困ってないのだろうが、チップは日本語で「心づけ」とも言う。
空港で、ベタベタに甘いターキッシュコーヒーを飲んだ。チェックイン・カウンターの女性は、やはりヒジャブを巻いていたが、控えめな笑顔で「グッドモーニング」と小さく挨拶をした。この国の女性たちの清楚な美しさに、遅まきながら気がついた。

(おわり)

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■ヨルダン旅行記-5■

■砂漠へ-1
朝食は、宿主らしき老人が運んできて、ひとつひとつ料理の名前を告げた。コックのお兄さんも「昨夜のメシはどうだった?」と聞いてきたので、それなりに料理が自慢ではあるのだろう。確かに、レストランで食べる料理より郷土の味という感じがした。
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ベタベタに甘いゼリーのような物が付いてきたのだが、これはピータに付けて食べるのだろうか? 最後にスプーンですくって食べたが、この辺りから中東料理の麻薬的な甘味に魅了されはじめる。

さて、スマホとWi-Fiで朝の定例ミーティングに出席すると、ちょうど昼ぐらいだ。
前日、大きなキャンプ・サイトにツアー用の4WDが何台か停まっていたので、直接交渉に行く。アラビア語で「ツアーに参加したい」と翻訳したスクショを見せれば、何とかなるだろう。
ツアー客を降ろした4WDは次々と走り去ってしまうのだが、僕が呼び止められたのは親子づれのガイドで、荷台(客席に改造されている)の幌を片付けているから停車していたのだった。その後、僕が乗ってから砂丘を歩いている間、親子は幌をかけ直した……僕ひとりのために。そうしたプロ意識を、徹底的に貫いてくれた。
いきなり声をかけたにも関わらず、ガイドは「1時間、3時間、5時間」と応じてくれた。3時間なら、夕暮れまでに帰れる。値段は50ディテール。相場は調べてあったので、適正な値段だ。すぐに出発となった。

■砂漠へ-2
他の惑星のような砂漠と岩山をさんざん走りながら、その途中で「お茶にしよう」とガイドが言う。そういうのはいいよ……と思ったが、ヤカンでお茶を沸かしている様子を撮影していたら、「これ撮ってるの? じゃあ、俺が撮ってやるよ」とガイドさんが立ち上がった。
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そこそこの値段のしたコートを着たまま、思い切り砂のうえに座っている。この辺りから、だんだん汚れようが何だろうが気にならなくなっていった。しかし、ピータに塗ってくれたヨーグルトが「口についてるよ」と指摘されたのは、恥ずかしかった。
おそらく、ガイドさんの持ち芸であろう、チャイを「ベドウィンのウィスキー」と呼ぶギャグを真似て、お互いに何度も笑いあった。このチャイが、またじんわりと甘く、本当に酒のようだった。
考えてみれば、アンマンのダウンタウンでは香水をやたら売っていたし、東京に帰ってきてから試してみたシーシャもあちこちで見かけた。香りの文化なのだと思えば、初日に泊まったホテルの猛烈な匂いも、何だか憎からず思えてくるのだ。

3時間のコースには、適度に自由に歩けるポイント、トイレに行けるポイントなどが設けられていた。勇壮な風景を巡るだけの一本調子にならないよう、気分をリラックスできる演出、言葉が通じなくても見ただけで分かる工夫も施されていた。
たとえば、垂直に近いような斜面を歩いて登るアトラクション的な楽しみも用意されていた。
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何十枚と写真、動画を撮ったはずだが、どうしても肉眼と認知にはかなわない。記憶や体験を忠実に再現することなんて不可能だから、それで芸術があるんだと思う。
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パスポートからクレジットカードから現金から、すべて入ったバッグを、彼らの4WDには置いていかず必ず持ち歩いていたが、それは結果としては良かったと思う。彼らを疑っているようだけど、逆を言うと「あなた方を信頼してますよ」などという表層的な合図のためだけに命綱を手放すべきではない。
親子とは、握手をして別れた。彼らが僕のために付け直してくれた幌を再び片付けるのを、僕はわざわざ送ってもらったムーンバレー・キャンプのゲート前で最後まで見ていた。彼らの誠実な働きぶりを見せてもらっただけで、もう満足だった。
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せっかくビールをキャンプ内へ持ち込んだのだから、夕飲みしてみた。しかし、寒くて外へ出られず、小屋のドアを開け放っただけ。
翌日は夕方にバスが出るが、昼間にチェックアウトしてワディ・ラムのビジターセンターでタクシーを拾ってみようと考えた。タクシーが見つからなければ、夕方までビジターセンターにいれば、確実にバスは来るしチケットも確保してある。
そのためには、このムーンバレー・キャンプの頼りないコックに、車を手配してもらわないといけない。普通のタクシーは、こんな砂漠までは入ってこられないだろうから。

■ワディ・ラムからアカバへ
翌朝、キャンプの食堂へ行って朝食をとるついでに「正午にビジターセンターへ行きたいので、車を手配してほしい」とアラビア語で表示されたスマホ画面を、コックに見せた。彼は「オーケー、ノープロブレム」と答えた。しかし、電話の向こうで老人(泊まるときに話した宿主)が怒っていた。
あまり面白くない話なので相手の言い分をまとめると、「うちはエクスペディアのアカウントを取り消したので予約できないはず」「現金で払わないと、警察を呼ぶ」とのこと。簡単に折れてはいけないと思って「とっくにカードで払ってある」と食い下がったのだが、今度はもうちょっと英語の分かる別の若者を差し向けてきた。その彼は、僕がアラビア語に翻訳したエクスペディアの領収書を信用してくれたが、やはり電話の向こうの宿主が払えとうるさかったらしい。
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エクスペディアにはチャットで相談してみたが、日本に戻ってから返金されることになった。現地でとられたのは50ディナール。宿代は二泊で42ディナール、車での送迎代に8ディナールだから安いんだよ。朝晩の食事付きで、一泊5千円もしなかったんだから。それでも、現金がごっそり減るのは怖い。

キャンプの入り口に、前日のツアーで乗ったような4WDが昼ぐらいに着いて、臨時雇いの運転手はコックからいくらか現金を受け取っていた。別れ際、コックの青年に手を振ったが、彼は関心なさそうに応えた。そもそも、今はオフシーズンで彼は休暇だったのではないか。
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最初に書いたように、ワディ・ラムのビジターセンターでタクシーを探していると、すぐアラブ人のおじさんに「タクシー探してるなら、彼らと一緒に行けばいい」と声をかけられた。一人何ディナールか聞き取れなかったので、またしても翻訳アプリで「一人20ディナール?」と表示させると、イギリス人の青年が「違う違う」と計算機で数字を示した。「6.666666…」と表示されていたが、3人で20ディナールということ。もう一人の同乗者は、カナダ人のおばちゃんで、2人は同じホテル。日帰りでワディ・ラムのツアーに参加したのだろう。
最終的には、運転手にチップを要求されて12ディナールほど取られた。それでも、50ディナールぐらいタクシー代を覚悟していたので、かなり助かった。15ディナールのJETTバスを予約してあったのだが、それを含めても安い。

■アカバ-2
さて、アカバは一泊ずつで三回目の滞在になる。今夜は、最初に泊まったのと同じホテルだ。早く着いたので、手近なレストランに入った。
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基本的に夜はビールとポテトチップスなので、こういう機会に野菜をとらないと不安になる。どうせビールはないだろうと思って、飲み物はお茶にした。観光地なので、メニューは英語併記だ。これぐらいの量を食べておけば、夜はポテトチップスだけで大丈夫。
ボーイのおじさんは最初は怖い顔をしていたが、僕のテーブルに野良猫が飛び乗ると、「シッシッ」と追い払って、ちょっと照れ笑いした。接客業の人は、そう簡単に愛想笑いしないというイメージがある。

ちょっと海沿いへ歩くと、なんと「ビール」とメニューに明記してあるレストランがあった(外の壁に貼ってあった)。しかも、テラス席あり。抜けるような青空で、これから夕方になる。このタイミングで、飲まないわけにはいかない。
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岩山を登って遺跡を歩いたし、どう交渉すればいいのか検討もつかなかった砂漠のツアーも単独で参加できたし、もうこれで十分……という気持ちだった。ビールはペトラのドラフトとヴァイツェンその他いろいろ揃っていたので、ペトラの安いほうを二杯飲んだ。
二週間、欠かさず飲んでいたことになるが、別に膵臓か肝臓を壊して倒れても、それはそれで仕方ない。それよりも、こんな天国のような場所で飲まずに後悔するほうが、いまの人生にとって欠損になる。翌朝は11時のJETTバスに乗ればいいので、早起きする必要もない。
自分が何を欲しているのか、よく精査してそれに基づいた行動をとれば楽しくなるのであって、人生がつまらない人は「何をどうすれば自分は楽しくなるのか」の詰めが甘いんだと思う。

(つづく)

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2023年2月21日 (火)

■ヨルダン旅行記-4■

ヨルダンから帰国して、早くも一週間が経ってしまった。
もう思い返すのも面倒なような、これからやってくる経験に比べて、遠ざかりゆく過去を文字化して固定することに前向きな意味を見出せないような気もする。経験は、身体の芯にはしっかり残っているので。

■ワディ・ラム-1
今回の二週間の旅のなかで大きな決断は、ペトラ遺跡の町に執着せず、一日繰り上げてアカバへ帰ったこと。アカバで一泊して、翌朝にバスでワデイ・ラムの砂漠へ向かった。アカバはバス・ステーションがあるし、宿にも飯にも困ることがない。暗くなってから帰ってきても、必ず何とかなる。Wi-Fiさえ繋がれば、スマホで宿を予約できる。
アカバからワディ・ラムへは、ペトラへ向かったのと同じ時間帯(朝8時)のJETTバスの券を買ってあった。タクシーでの移動は高額になりそうなので、カードの使えるJETTバスで全ルートを押さえておいたのだ。

ワディ・ラムのビジターセンターでバスを降りたが、他の乗客はアカバへ日帰りするのだろう、早々と入場券を買ってツアーに参加するための交渉を始めた。僕は目的地であるムーンバレー・キャンプの名前をスマホに表示させて、ツアーの勧誘をしてくるベドウィンたちに「ここへ行かねばならない」「このキャンプは何処にある?」と聞いてみたが、「何の話か分からん……」という顔をされた。
(当初の計画どおり、夜分に無人のビジターセンターに着いていたら……と考えると、ゾッとする)
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とりあえず腹が減ったので、ビジターセンターに併設されたレストランに入って、サンドイッチを注文した。
店の人は「ソーダとポテトの付くお得なセット」を指さした。そのメニューは、Google翻訳でカメラ撮影して日本語に訳して理解できた。観光関連業者の誰もが英語ができるわけではないし、僕も「あなた英語はできないの?」と何度も聞かれたほどなので、Google翻訳は頼りになった。しかし、店の人はソーダを忘れていたようだ。この手のセットを頼むと、たいていコーラが付いてくる。

ビジターセンターの駐車場で、タクシー運転手から声をかけられた。
僕の予約してあるムーンバレー・キャンプの場所は分からないそうだが、何度も地図を見直して、「あそこだよ。線路をこえて歩いて行くんだ」と指さした。彼の誠実な態度に腹は立たなかったが、それは別のキャンプ場だった。

僕がスーツケースを引きずって砂漠を歩いていくと、キャンプの事務所(というか食堂のような共有スペース)からベドウィンの男性が出てきた。彼は「どうした?」「なんでここに来た?」と言う。僕は「ムーンバレー・キャンプ」と表示されたスマホを見せたが、彼は英語は話せても読めないようだ。
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そのキャンプのゲートから走り出てきた車の運転手にも「どうかしたのか?」と呼び止められたが、僕の英語は下手すぎて通じなかった。彼の隣には、中国人らしいアジア系の女性が座っていた。「ひょっとして、あなたと言葉が通じるんじゃない?」と運転手は彼女に話しかけた。「僕は日本人ですけど」と言うと、そこで会話は止まった。

「彼は英語は通じるの?」と運転手が女性に聞くと、「たぶん……」と彼女は答えた。ちょっとムカつくけど、そういう低レベルの英語であることは確かだ。車は走り去り、僕とベドウィンの人は食堂へ引き返した。彼の仲間が、チャイを淹れてくれた。なんと親切な人たちだろう。
ベドウィンの人はあちこちへ電話して連絡をとり、お互いに翻訳ソフトで英語とアラビア語をやりとりした。「向こうのキャンプは電話に出ない」「5ディナールで、誰かに連絡させる」「それか、10ディナールで車で送ってもいい」……言うまでもなく、車で送ってもらった。ツアーでよく使われる4WDだ。ムーンバレー・キャンプまで、10分近くかかった。
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しかし、ゲートが閉まっている。運転を買ってでてくれた人はクラクションを鳴らしたり、キャンプへ電話したり、あれこれしてくれた。しばらくすると、太った男性が「すまなかったな」とゲートの向こうに現われて、ようやく僕は目指すキャンプに入れた。
しかし、男性はスマホを差し出し、僕は電話の向こうの老人に「何泊する?」「食事はどうする?」などと聞かれた。この時に気がつくべきだったが、予約が通っていなかったのだ。僕はフラリと砂漠に現れた、アジア人の風来坊でしかなかった。
だとしても、現地でも孤立したように誰からも知られていない古いキャンプに、わざわざ車で現れるだろうか? 予約したとおりトイレとシャワーとエアコンのついた部屋に泊まれたし、いまだに腑に落ちないのだが。

■ワディ・ラム-2
荷物を降ろすと、太った男性(彼はKITCHENと書かれた厨房で働いていたので、ただのコックだったと思われる)にカードではない実体のキーを渡された。最初に泊まったアンマンのホテルほど不潔ではなかったが、タオルはない。
コックは、「晩飯は何時にする? 6時、7時、8時……」と聞いた。7時にしておいた。彼は僕と同レベルで、片言の英語しか出来ないので話しやすかった。
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アラブ式トイレのハンドシャワーは勢いがよく、用便には困らなかった。それと、気候が乾いていたせいか、砂漠で汗をかくようなことはなかった。
Googleマップによると、歩いて30分ぐらいのところに小さな町があり、レストランもあると分かった。とりあえず、そこへ行ってみよう。アカバでビールは4本も仕入れてあるから、町に売ってなくても困らない。

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歩いて見ると、車道に近づくにつれて大きなキャンプ・サイトが2つほどあると分かった。
近代的なハイテク・テントが沢山あって、入り口には広い駐車場もあり、JETTバスも何台か止まっている。貸し切りで、直接キャンプへ客を運んでいるのだろう。そして、ツアー客を乗せた4WDが何台も行き来しているのが見えた。
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歩いて着いた町は、ほとんど廃墟ではないかと思えたのだが、もう少し奥へ進むと八百屋やパソコン屋、おもちゃ屋まであった。しかし、車の解体や修理がもっとも盛んな様子だった。
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ジュースでも買おうと店に入ったら、その店の主人はピータのようなパンを並べて、いろいろ具材を挟んでいるところだった。主人はファラフェルと呼ばれる小さなコロッケを、僕の口元へ差し出した。遠慮なく食べると、美味しい。すると今度は、ソースにつけてもう1個、食べさせてくれた。ジュース代のつもりで適当に札を出してあったのだが、金額も見ずにアラビア語で「これとこれ、入れようか!」「これも入れる?」とノリまくって、サンドウィッチを1個つくってくれた。
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値段は、どうもこの町ではハッキリと決めない様子だ。他の店でポテトチップスを買ったところ、ポケットにあった小銭を適当に出したら「もうこれでOK」と手で止められた。このサンドウィッチとジュースで3~4ディナールぐらいだから、別に高いわけではない。
予期せずして昼飯にありつけた。店の前の椅子で座って食べていると、西洋人の女性が隣のパン屋で何か買っていた。隣にアラビア人の男性がいたので、結婚して町に住んでいるのかも知れない(店の並んだ奥に、平屋の住宅街のようなエリアがあった)。

少し英語を話せる若い男性に「よお、どこから来た?」「へーっ、日本?」「日本といえばさあ…」と、あれこれ話しかけられた。つまらなそうに、手持ち無沙汰にうろついている子供もいた。

さて、ゆっくり歩いて車道から砂漠へと分け入り、我がムーンバレー・キャンプへ帰る。『バグダッド・カフェ』の主題歌「コーリング・ユー」をスマホで聞きながら歩くと、風の吹き抜ける砂漠にはピッタリだった。
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よく見て欲しい。看板のうえに何か紙が貼ってあって、キャンプ場の名前が読みとれない。
僕以外は誰も泊ってないように見えて、翌朝は隣の建物から中年の男性が出てきたりした。食堂に、二人ほどの関係者?が寝ていたり、マイクロバスが停まっていることもあった。その割には、それほど大人数が滞在している気配はない。どうにも不思議な雰囲気なのだが、この方が観光客でいっぱいのキャンプより、明らかに僕に向いている。

1日目の晩御飯は、こんな感じだ。
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僕ひとりしかいないのに、3人前ぐらいある。左側はイモとタマネギなどをケチャップのような調味料で炒めたもの、真ん中はよく見かけるトマトとキュウリのサラダ、左側はピータの下にチキン(これもあちこちで出てきた)。
これらを、コックと70歳はとうに過ぎている老人(電話に出た宿主だろう)が黙々と運んできて、カップ入りの水と紙ナプキン、つまようじを机に置いた。
とても食べきれないので1/3ほど残すと、翌日はさすがに量が半分ぐらいに減っていた。つまみとしてポテトチップスを買ってあるけど、食後はビールを飲む気さえなくすほど満腹だった。

食堂のほうがWi-Fiの入りがいいので、ひさびさにYouTubeを見たりした。翌朝は、この食堂の前から定例ミーティングに出席した。
そういえば、持参したWi-Fiルーターが不調なので日本のレンタル会社にメールして、改善策を聞いたりもした。ペトラ遺跡では、ホテルで寝ているときに日本からの電話を普通に受けられた。日本の部屋にいるのと、大して変わらない気さえする。
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夜中3時に起きると、噂に聞くほど星が沢山あるわけではない。風がすごいので、コートにくるまってビールを飲んだ。どこへ向かうのだろう、飛行機の翼端灯が、小さく頭上を通りすぎていく。
キャンプには、やはり僕のほかには誰もいないようなのだが、孤独ではない。後から事件が起きるにしても、僕にしかコーディネートできない、あまりにも自分らしい旅だった。

(つづく)

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2023年2月18日 (土)

■ヨルダン旅行記-3■

■ペトラ-2
さて、ホテルで一休みしてから、ペトラ遺跡へ行ってみることにした。明日、タクシー運転手のオヤジの提案どおりに全て見て回ればいいので、今日は3日通し券を購入して、ちょっと様子見だ。
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しかし、入り口をはいってすぐのところで「馬に乗らないか?」と声をかけてくる商人たちがいて、まずは彼らが雰囲気をぶち壊しにしている。「インディ・ジョーンズ体験ができるぞ!」などと幼稚な誘い方をされると、かえって覚めてしまう。
この人たちは公式に雇われており、追加料金を取られたりはしないらしい。でも、本当にしつこい。商売のしかたが逆だよ、黙って待っていれば客のほうから声をかけそうなものなのに。
翌日に分かったことだが、ほとんどの観光客は歩いて一時間ほどの場所にあるエル・ハズネという遺跡だけ見て、そこで引き返してしまうのだ。
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この写真は翌日に撮ったものだが、何百人という観光客が同じように遺跡の前でポーズをとって写真を撮り合っていて、げんなりした。場所は中東でも、システムが西欧化されている。自由なはずなのに、みんな同じような行動をとる。嬉しくないのに、嬉しそうな顔だけを写真に残して現実を直視しない。まるで、満員電車だった。
どんな秘境も遺跡も、システムによって平均化されてしまう。そのことが、僕を白けさせた。

■ペトラビール-1
遺跡入り口付近には、個人経営の小さな商店が櫛比しており、飲み物やポテトチップスなどを売っている。
さて、ビールでも買って帰ろうかとすると、ノンアルコールビールしかない。「これはノンアルコールだよね?」と言うと、ある店の青年が声をひそめて「あなたが言っているのは、ペトラビールなどのアルコール度数が10%ぐらいある本物のこと? だったら、俺の車にある」「ペトラビールあるの?」「あるよ、だからここで待ってて。一本10ディナールだ」「高くない?」「え? ペトラビールは10ディナールだよ」と、ちょっとイライラしている様子なので、2本分20ディナールを渡した。

「5分待って」と言ったのに15分ほど経過して、青年は店の裏手の階段からジャンパーをふくらませて戻ってきた。そして、隠れるようにペトラビールのロング缶を僕に渡すのだが「早くバッグにしまって!」と早口で言うのであった。
アカバでは大量に酒屋があったのに、なぜ本物のビールを売るのにそんなに怯える? 実は、すぐ近くのThe Cave Barという大きなバーでは本物のビールを公然と売っているのである。その関係かも知れない。
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ともあれ、ホテルの窓から夕陽に染まっていく山腹の町を眺めながら、夕飲みすることができた。

■ペトラ-3
翌朝7時半、ホテルの朝食。食堂は素晴らしい眺めで、テラス席もある。
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不器用そうな青年が、注文通りにオムレツを焼いて持ってきてくれる。ピータもあるが、イギリスっぽいパンもある。中東と欧米の折衷のような料理が揃っていた。コーヒーも、欧米風だ。

さて、朝10時より少し遅れて、運転手のオヤジが到着した。「5分しか遅れてないよな?」と、時計を示した。こういうところ、本当に抜け目がない。そして、かなり荒々しい道を登って、ペトラ遺跡の裏側へ着いた。
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オヤジが事務所に寄って、「遺跡の入場チケットと5ディナール」と言った。5ディナールはオヤジの取り分ではなく、トラックの乗車運賃なのだ。しかし、オヤジに「明日帰ることにしたから、バス・ステーションまで送ってくれない?」と話してみたら「よし分かった。でも、今日は5時間も歩くわけだから疲れるだろう? 帰り、ホテルまで送ってやるから電話しろよ。その分も含めて、いま10ディナールくれ」と、今回も自分だけは損しないシステムで前払いさせるのだ。
10ディナール程度なら、まあいいかな……と思わせるのだが、実は言葉たくみに運賃を重複して先取りしている。賢い。
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このトラックは違法でも何でもないのだが、利用する人は多くはない。トラックではなく、徒歩で裏側からペトラ遺跡を下ろうという人も何人かいた。
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ところが、トラックを降りてから岩山を歩くのが、かなり怖い。東京から砂漠を歩けそうなシューズを持ってきておいて良かった。
風も凄いので、足を滑らせたら谷底に落ちかねない。何も考えず、歩くことだけに集中した。こういう緊張をしたのは、久々のことだ。コートをホテルに置いてきてしまったので、鼻水が出る。
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一時間ほど歩いただろうか、ようやく最深部の遺跡、エド・ディルに出た。あとは山道を下るだけなのだが、かなり不規則で急な階段、坂がえんえんと続く。降りるだけでも大変なので、登ってくる人たちは苦しそうだ。これはタクシー運転手のオヤジが正解を言っていたわけで、彼が助言してくれなかったら、僕は途中で引き返していただろう。

■ペトラ-4
ところが、一本道に点々と残された遺跡を眺めながら歩いて、「あと半分ぐらいかな?」というあたりで軍隊や消防が通行止めをしていた。
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特殊車両が何往復もして、人々をピストン輸送している。消防車が、高所へ放水している。昨年末、激しい洪水があったそうで、似たような災害が起きたのだろう。
通行止めされている向こう側には、普通に観光客がいる。バカバカしくなって、他の人たちにならってロバの歩く急斜面を登って、観光ルートに戻った。
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正直に言って、どれも似た感じの遺跡なので、やや飽きてくる。脇道にまで登って細かいところまで見たい、という気持ちにはなれなかった。3日通し券を買ったが、今日これだけ見て歩ければ十分だ。
なので、さっさとホテルへ帰って夕飲みしたかった。

■ペトラビール-2
さて、今日はペトラ遺跡を出てすぐのところにあるThe Cave Barでビールを仕入れてみよう。
Googleマップでの口コミで、ビールをテイクアウトできることは確認ずみなので「ペトラビールを4本、持ち帰りたい」とアラビア語で表示させると、「ペトラは切らしている。アムステルしかないな」と、本当に麻薬の取引みたいな雰囲気。しかし、ここはホテルに隣接した有名なバーである。テラス席でビールを飲んでいる人もいる。
アムステルビールはアルコール度数が低いので今ひとつだが、難なくカードで買えた。
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ところが、店には適当なビニール袋がなかったようで、いかにも違法なブツのような凄い包み方になってしまった。
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そして、3泊の予定を2泊に切り上げてアカバで一泊することにした。なぜなら、夕方のバスでアカバへ戻って、そこから一時間かけて砂漠のワディ・ラムのキャンプへ移動するのは危険すぎると気づいたからだ。その頃には、もう辺りは真っ暗だろうし、ビジターセンターからキャンプへの移動手段も明らかではない。
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この読みは、的中した。ペトラ→アカバへのバスは、ワディ・ラムのビジターセンターへ寄ったのだが、その時間にはセンターは閉まっている。レストランも土産物屋も閉まっていて、トイレぐらいしか開いてない。ひと気もなく、この環境でキャンプへ行くなど無理だろう。
安心のリゾート地・アカバの新しく予約したホテルへ向かった。ただし、翌日から泊まるキャンプではビールを売っている場所などないとの情報を得ていたので、2日分のビールだけ、アカバに沢山ある酒屋の一軒で仕入れておいた。これをスーツケースで運べば、砂漠でも飲める。
翌朝はバスでワディ・ラムへ向かうのだが、砂漠のキャンプまで行くのが一苦労であった。

(つづく)

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■ヨルダン旅行記-2■

■ダウンタウン-2
ホテルに戻っても、まだ昼過ぎだ。
近くの観光地・ローマ劇場へ出かけて、その帰りにダウンタウンを歩くうち、だんだん居心地がよくなってきた。まるで、アメ横のような密度感なのだ。昨夜の夜は、嫌悪感が凄かったのだが……不思議な親しみをおぼえはじめた。
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アジア人がひとりも歩いていないので、「おっ?」という感じで見られる。自分がそもそも最初から「異物」として扱われている解放感。「ニーハオ!」とも声をかけられたし、チキンバーガーとターキッシュコーヒーを食べに寄った食堂では、黒人の青年に「フロム・ヤパン?」と聞かれた。彼は笑顔だった。
一度はホテルに戻って、また街へ出かけたりした。もちろん、前日に見つけた店でペトラビールも仕入れた。

■ジジイ-2
翌朝、アンマンは前日にも増して雨模様で、凍えるような寒さであった。そして、雨水だけでない謎の汚水が歩道を汚している。
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スタバの横にある朝から営業しているレストランで、アラビック・ブレックファーストを頼んでみた。これでも、まだまだ西欧風にアレンジされている。豆腐のように四角いのは、後にちょくちょく出会うベタ甘いお菓子。

さて、昨日のタクシーのジジイは10時に来るのだろうか? 実は、タクシーはダウンタウンを多数往来しており、わざわざ約束する必要もなかったのだ。
とりあえず、10時までホテル前で待ってみた。「おっ、2~3分前に来たな」と乗ってみると、運転手はジジイではなく若い男性だった。
その後、ジジイは来たのだろうか? 僕を待ち続けたのだろうか? それは分からない。忘れてしまったか、そもそも約束などしていないのかも知れない(後日、ペトラ遺跡で似たようなやりとりが生じ、それでジジイが20ディナールと倍の金額を持っていった理由が分かるような気がした。後述)。

■アカバ-1
午前11時のバスに乗り、アカバという南端のリゾート地へ向かう。4~5時間ほどの旅だ。アンマンの市街を離れると、荒涼とした風景が続く。
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飛行機で一足飛びに向かう手もあったが、バスにして正解だった。早めにチケットを買うと最前列に座れるし、車内で音楽や本に熱中できるし、窓の外を眺めてもいい。飽きない。トイレ休憩もある。アンマンを離れると、どんどん砂漠や渓谷が多くなっていく。その風景の変化は飛行機では楽しめまい。

休憩所を経由してアカバに降り立つと、まさに南の楽園だった。気温20度前後と温かいので、コートを脱いでスーツケースにしまった。
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実はビールをテラス席で飲めるレストランも見つけたのだが、ほとんどのレストランで「ビールはない」と言われ、マクドナルドで手近に夕食をすませてしまった。カード決済できるのが嬉しい。現金はキープしておきたい(計11万円をヨルダン・ディナールに換金してあるが、現地で支払うホテル代もある)。
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(近くの商店のオジイサンが、水を売りに来た。半ディナールだというので、2本買った。)
ところで、アカバのバス・ステーションからタクシーでホテルまで行ってもらうと、料金はあなたが決めていいよとのこと。20ディナールで満足そうにしてくれた。本当は5ディナールぐらいが妥当だったと思う。
ホテルは、アンマンの壮絶なボロいホテルに比べるとバスタオルは揃っているし、レセプションの対応もしっかりしていて安心できた。しかし、夜は少し冷え込む。

■お弁当
翌朝は8時のバスでペトラ遺跡へ向かうので、まだ暗いうちからホテルを出た。バス・ステーションまでは20分ぐらい、歩道が平坦なのでスーツケースを引いて歩ける。
まだ暗いので、お店はほとんど開いていない。コーヒーを売っているオジイサンが「飲んでいかない?」「どこから来た?」と親しげに話しかけてきたが、バスの乗車30分前にステーションに着かないといけないので、あまり長話はできなかった。しかし、朝ご飯はどうしようと思っていると、小さなレストランの青年が僕を呼びとめた。ピータという薄いパン、フムスというディップをセットにして、トマトとフレンチフライも付けたお弁当を目の前で作ってくれた。
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最後にひどいボッタくりタクシーに出会ったものの、この国の商売人たちは誠実ではあると思う。特に、このお店のお兄さんは「オリーブオイルを入れる?」「ピータはこの切り方でいい?」など、工程をひとつひとつ確認して、お釣りを返すときも「10ディテール札を一枚、二枚、三枚……いま、何ディナール?」と一緒に数えてくれた。決して誤魔化してない、という態度のあらわれだろう。
バス車内では食べる機会がなく、ペトラのホテルに着いてから食べた。ここから、フムスにピータや野菜をつけて食べる方式が好きになっていった。そういえば、朝早くから出勤する男たちはパン類をビニール袋に入れて歩いていた。弁当なのだろうな。

■ペトラ-1
バスが休憩所に止まると、すでに壮大な景色が足元に広がっており、まるでリアリティを感じない。80年代のハリウッド映画のマット・ペインティングのようなのだ。
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まったく飽きることなく、バスはペトラ遺跡の入り口に到着した。本当は、この近辺の町はワディ・ムサというのだが、バスの行き先は「ペトラ」に統一されている。僕の予約したホテルは坂道のうえにあって、ワディ・ムサからは離れているらしい。
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(ホテルの部屋からは、素晴らしい眺めが広がっていた。)
バス・ステーションに着いてすぐ、声をかけてきたタクシーの運転手にホテルまで送ってもらうよう、頼んだ。
その運転手のオヤジがいうには、【ペトラ遺跡へは奥まで山頂のトラックで運んでもらい、そこから一本道を降りてくるだけで徒歩5時間、すべて見て歩ける。】明日、送ってやろうか?と地図を見せて説明してくれる。
なるほど。確かに、入り口から奥まで歩いて5時間も坂道と階段を登って体力消耗、さらに戻るだけで5時間は考えられないスケジュールだ。なので、その提案を飲むことにした。

そして運転手のオヤジ、そこから先が上手い。いまホテルまで送った分、それと明日送る分で20ディナールくれと言う。妥当な金額だし、もし明日なにかあっても自分は損しないわけだ。もし損するとしたら、僕のほうだろう。そして、この話のどこにも嘘はない。こんなに頭のいい人が、どうして儲けの少ないタクシー運転手などやっているのだろう? 

(つづく)

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2023年2月17日 (金)

■ヨルダン旅行記-1■

2/1から2/15まで、ヨルダン・ハシェミット王国へ旅行してきた。
その期間の前後、スイスのチューリッヒ空港近くで一泊ずつしたので、ヨルダンには13日ほどの滞在だ。2019年のアゼルバイジャン以来、4年ぶりの海外旅行となる。
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(ワディ・ラムの渓谷で、ベドウィンのガイドさんが撮ってくれた写真)
しかし、今回は以前のように時系列で旅行記を書く気持ちになれない。まず、このココログが右クリックが使えず写真の挿入も手間がかかって書きづらいこと。
もうひとつは、「経験」が「記憶」へと変換されていくため、その時の気持ちを思い出して書いても、最初の「経験」とは本質が違ってしまっているからだ。とらえどころのない「現象」が、僕という器の中で、どんどんストーリー化されていく。その「ストーリー」には、果たして意味があるのだろうか?
険しい遺跡や砂漠、喧騒に満ちた清潔とは言いがたい首都アンマンを歩いた経験は、確かに筋肉の中には残っている。ピータ(薄いパン)にフムス(ディップ)をべっとり付ける食事も、味覚としてセットされた。もう忘れない。それで十分ではないか?という気がする。

■飛行機
成田~スイス間の飛行が12時間もあったが、機内は空いており、三人席や四人席を占有して横になれ、のびのびと快適に過ごせた。食事も、まあまあ。ビールも飲めた。
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スマホでチェックインしておいて、後からトイレに近い空いている席を選び直せるのもグーだった。他にも、Googleマップで迷わず歩けたのはもちろん、ホテルを予約したり仕事のメールを返したり、翻訳ソフトで会話したり、アプリを落としてタクシーを呼べたりなど、スマホとWi-Fiルーターには本当に助けられた。
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機内上映で観た映画は、『ギャング・オブ・ニューヨーク』、『恋人たちの予感』、『恋愛小説家』、『ニューヨーク、ニューヨーク』、『イージーライダー』、帰りは『最後の決闘裁判』、『トップガン マーヴェリック』、『マネーモンスター』、まあ2回目のものもチラホラあるが、どれも面白く観られた。

■スイス
スイスのチューリッヒ空港から徒歩圏内のホテル(行きはタクシーを使ったが、帰りは30~40分ぐらいで歩けた)で、清潔な部屋に一泊ずつ出来たのも良かった。朝食は3000円ほど追加でかかるが、空港で食べても、同じぐらいかかったと思う。
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スイスからヨルダン行きは午後便なので、午前中はゆっくりして、スマホで定例ミーティングにも出られた。そして、前述のように歩いて空港まで行けた。歩道は平坦なので、スーツケースがあっても問題ない。

■ダウンタウン
ところが、ヨルダンに入国すると印象はガラリと変わる。空港からのタクシーでは、カードが使えずチップまで現金で求められるため、ずっとタクシー代には悩まされた。
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ホテルはダウンタウンのど真ん中、1階で店舗で上階がホテルになっている。まずは、行きかう車がひっきりなしにクラクションを鳴らしているのに面食らった。路上に店を出している商人たちは、なぜか喧嘩でもしているかのように大声で怒鳴り合っている。
ホテルは、もちろんズタボロに汚く、バスルームにタオルはない。床はベタベタしており、匂いもキツい(おそらく煙草の匂いだろう……2日目には、この不潔さに慣れてしまうのだが、とりあえず白いスラックスは脱いでスーツケースにしまい、ヨルダンでは2度と履かなかった)。
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そして、大量の車が行きかう夜、もちろん信号などない車道を人々が自己責任で横断する中に混じって、とりあえずビールだけ買いに出た。
こういう時の僕は、野性の勘で酒屋を探し当てられる。ホテルから5分ほどなので、翌日はカードで払った。ビールの入手は、土地によっても事情が異なり、なかなかエキサイティングだった。

■ジジイ
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翌朝は雨が降ったりやんだりで、コートを脱いだり着たりした。この季節のヨルダンでは、コートが欠かせない。ペトラ遺跡へは、うっかり薄手のジャケットだけで出かけてしまった。
JETTという、国内最大手のバス会社まで歩いて翌日のチケットを買いに行ったのだが、40分以上も登り坂が続く。バス・ステーションの受付はヒジャブを巻いた女の人で「1分だけ座って待ってて」とムスッとしていたが、僕の順番がきた時、こちらを向いてニコッとほほ笑んだ。ヨルダンの人は威厳を保つためか、接客業でも不愛想で硬い感じの人が多い。しかし、たまに人間臭さが顔を出す。

バス・ステーションからの帰り、歩いてもよかったが、たまたまタクシーが近くにいたので送ってもらうことにした。
運転手は、74歳とのこと。このジジイが話好きで、僕の離婚話まで引き出して「55歳だろ? またそのうち、いい嫁さんが見つかるよ」などとヒザを叩いて笑いながら言うのだった。この人なら信頼できるかな……と思い、明日の朝10時にバス・ステーションまで送ってほしいと話してみた。
すると、ジジイの態度は曖昧であった。「バスでどこへ行く? アカバか?」「いやあ、アンタに会えてよかったよ」と握手を求めてきたりする。料金を聞くと、10ディナール。ところが、20ディナール札を渡してもお釣りを返さない。
チップが必要かと思って1ディナール札を2枚差し出すと、「何だコレは? どういう意味だ?」とムッとしてしまう。ところが帰り際、「明日の朝10時だったな」などと言うのだから、約束はしたのだろう。翌朝の分も含めて、20ディナール受け取ったのだろうか?
最後まで読めなかった、この人懐っこいジジイの腹の中は。

(当時のメモを一切見ずに、Facebookにアップした写真だけを頼りに書いている……早くも、僕の意識が「ストーリー」を「体験」を封じ込めようとしている……つづく)

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