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2022年11月28日 (月)

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ホビージャパン社が本格的スケールモデルを展開しはじめた理由、誰もが憧れる「74式戦車」プラモに搭載された超絶ギミック開発の舞台裏【ホビー業界インサイド第86回】
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僕はホビージャパンから仕事を請け負っていますが、このプラモデルを開発しているのはまったく別の部署、担当者も知らない人なので、いきなりTwitterのダイレクトメッセージを送って、取材をお願いしました。


クラフトビール専門のお店が、徒歩圏内に3軒もあるので、つい通ってしまう。2~3日に一度は行ってしまう。
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これは武蔵境なので、途中までミニバスで行ったのだが、わざわざ遠くまで行って一杯だけ……というのも楽しい。ただ、250mlで750円だから、やっぱりお金のかかる趣味ではある。それでも、一度に2杯は飲んで味の違いを感じられないと、気がすまない。400円ほどするミックスナッツは、味にノイズが混じるし割高なので頼まないようにして、少しずつビールだけを舐める。
お茶のような、自然物だと感じられる味がすると、「美味い」というよりは「出会えた」「探し当てた」感動がある。バクチのようだし、恋愛のようでもある。
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喫茶店は、ほとんどモーニングしか行かなくなったが、朝8時の空いている時間を狙っていくのが楽しい。
やっぱり、時間との関係が大事なんだと思う。夕方から喫茶店へ行く気はしない。これから始める、という午前中の気分に喫茶店は向いている。酒は「終わらせる」「止める」気分なのだと思う。その分、空間の広がりを犠牲にして真っ暗な店内へ昼間から入ることもあるので、そこは店を選ぶなりして改善したい。


ヨルダンへの旅行は、いろいろと面倒なことになりそうだ。
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首都アンマンに19:30に着いたら、ホテルに一泊だけして、翌朝には国内線でアカバに飛ぼう。アカバで一泊して、日数のかかりそうなペトラ遺跡へ移動して2~3日宿泊。ペトラ遺跡のあるワディ・ムーサからワディ・ラムへは、バスかタクシーで1時間程度なので、そこで2泊してからアカバへ戻り、また飛行機でアンマンへ……。
と、2か所の観光地を巡るだけで、かなり面倒。そもそも、飛行機やバスの到着時間とホテルの予約とが、そんなにうまく合致するんだろうか? そういえば、トランジットでスイスでも宿泊しないといけない。

しかし、2019年のアゼルバイジャンでも現地でバスを探したり、ジンバブエでは国内線を予約して移動ばかりだったのだから、必ず出来るはずだ。
本当は、時間を削ってまで段取りを組みたくはないのだが、海外旅行とは、そもそもこういう趣味だった気がする。丸3年も行ってないので、忘れかけている。


最近観た映画は、『荒野の決闘』。ジョン・フォード監督。
1946年の映画なので、劇映画は技術的に熟成してきていて、町のセットを丸ごと立てるなど金もかかっている。
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技術や様式が安定しすぎたこの時代の映画は、退屈なところもある。しかし、数人の男たちが閑散としたひと気のない牧場で撃ち合うクライマックスは、「手に汗にぎる」でも「ハラハラドキドキ」でもなく、淡々とした「表現」になっている。
男たちが物陰にかくれて、自分が撃つチャンスをうかがっているところへ、馬の群れがなだれこんでくる。真っ黒い馬たちが男たちの視界を遮るし、フレームの中を埋めて観客の得られる情報を遮断しかく乱する。ストレスを生じさせるから、決闘の行方が気になる。

こちらに背を向けてフレーム内へ男が歩いてきて、なぜか地面に向けて銃を撃つ。そこにあった水桶に弾が当たり、水面が跳ねる。
そのまま男は倒れる。実はフレーム外で撃たれていたのだ、と分かる。情報が単一方向に流れておらず、前後の流れで認識させる。すると、撃ち合いはただの撃ち合いでなく、「撃ち合いを表現したもの」に変わる。

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2022年11月22日 (火)

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月曜日は、国立新美術館へ「DOMANI・明日展 2022-23」を観に行った。
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若手芸術家の発表の場なので、作品は練度が低くて見ごたえがない……と思いきや、空間の使い方が大胆で好感をもった。作家たちの言葉で、コンセプトが丁寧に説明してあるのも良かった。
(ところで、マスク未着用のことなど一度も聞かれずにすんだ。公立の美術館は、もう大丈夫だと思う。)

帰りは、御茶ノ水駅から少し歩いたところにあるクラフトビール屋さんへ。
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都内のテラス席を探し回る中で、店の存在には気がついていた。しかし、南向きなので夕陽を眺めるには向かないから……と、候補から外していた。クラフトビールに興味が出てきた今では、行かない理由がなくなった。
一杯580円ぐらいでスマホから注文可能、店主がいろいろ説明してくれるのも良かった。客は、僕のほかには店の関係者らしいお兄さんだけ。広々としたテラス席で、午後の陽に照らされた紅葉を眺めながら、贅沢な時間を過ごした。


翌朝は、近所の喫茶店でモーニング。9時台で、そこそこの混み具合。
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通勤で駅へ向かう人たちの服が、とても洗練されたコーディネートに見えてくる……こうして朝から太陽を浴びて歩いていると、脳内麻薬物質が過多になるせいか、五感でかんじられるすべてが「予定通り」に演じられる作り物のように、完璧に美しいものに感じられる。
すこし不気味だが、いい気分だ。多幸感と言っていい。子供のころ飼っていた犬が散歩に行きたがるのは、この気分が楽しみだったせいかも知れない。
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午前から行われたリモート会議が上手くいったので、ご機嫌で井の頭公園へビールを飲みに行った。二日連続ビールになってしまうが、気分いい時に飲まないのは損だ。店内には、ほかにもビールをやっている年配のカップルがいて、のんびりと平和な午後。

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2022年11月21日 (月)

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三鷹駅北口のクラフトビールバーへ行ってみた。普段は18時から、土日のみ15時からオープンしている。前に行ったことのあるむらさき橋通りぞいのバーは昼間から営業しているが、混んでいた。
なので、いつも濃いコーヒーを淹れてくれる「go café and coffee roastery」へ寄ってから、駅方向へ戻った(この季節のこの時間帯は1日が終わってしまった気がして、駅から離れた商店街の外れを歩くと寂寥感が増していく)。

夕陽が窓から差し込むほの明るい店内は僕ひとりで、バーテンは暇そうにしている。そのバーテンに苦めの味が好きだと告げて、2銘柄を選んでもらった。
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せっかく趣味のいい椅子やテーブルを気ままに配置しているのに、店内には大きなテレビで地上波のくだらない番組を流している。DJブースもあるのだが、カッコつけすぎないところがいい。地上波テレビのノイズというか喧騒が、いいバッファになっている。
さて、三鷹近辺のクラフトビール屋はすべて回ったことになるが、この趣味は出費が痛い。一杯1000円前後、安いところで1/2パイント500円。ミックスナッツなど頼むと2000円近くになる。どうすれば自分の気がすむんだろう……という尺度で行動しているので、これでいいのかな。

「酔えればいい」「安いほうがいい」「どこでもいい」とリスクを減らしていくと、結局は選択肢が減っていく。それが貧しさだと思う。「これしかないんだ」「仕方がないんだ」という“狭さ”と“我慢”が、心に深刻なダメージを蓄積していく。


気がすむように……といえば、ヨルダン行きの往復航空券を12万円ほどで予約した。
2週間も滞在するのは初めてだが、いつものように一週間で帰ろうとすると料金が少しずつ増えてしまう。こういう部分では1万、2万とケチっている。でも、「海外へ行きたいなあ」と毎日思いながら「理由をつけて何もしない」自分には、我慢がならないのだ。

ヨルダンはビザ不要、酒も飲めるし観光地も沢山ある。
しかし、日本へ帰るのにワクチン接種か有料の(街中では無料なのに?)PCR検査が必要……という不合理に納得できず、外務省にメールを送ってみた。ただの段取りのためにワクチンの副反応や出費を覚悟しないといけない、仕事のペースを乱される理不尽を飲みこむことは難しい。


最近観た映画は、『暗殺のオペラ』。大学時代、ベルナルド・ベルトルッチ監督がブームになり、この映画を絶賛しているクラスメイトがいた。
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これがファーストカット。右手の森から大きくPANして、この構図になる。電車から主人公が降りてきて、画面左側へ向かう。
驚いたことに、この映画は8割ほどのカットが「手前から奥へ」道や建物が伸びる、パースのかかった構図になっている。単純な切り返しがない。放射状の空間で、すべてが起きる。室内でも同じである。

すると、すべての出来事が映画のスクリーンという平面に対して、垂直の中に屹立しているように見えてくる。
「詩は歴史性に対し垂直に立つ」という稲垣足穂の言葉を思い出す。
映画の後半、町の中で人々が、ジッとラジオの放送に聞き入っている。不自然なほど、誰もが立ったまま静止しているのだ。その奥で、主人公だけが足早に歩いている。人々が止まっているから、主人公の動きが際立つ。「ない」ことによって、「ある」ことに注目するよう人間の認知が働く。ドラマは、そこで起きている。

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2022年11月16日 (水)

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「仕事」としてアニメーターという人生を生きる――ベテラン原画マンの横山健次に、「無理せずマイペースで長く働けるコツ」を聞く【アニメ業界ウォッチング第94回】

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横山さんは、『バイファム』のセル画がTwitterに載っていて、それでずっと覚えていて取材のお願いをしました。
人と争うことなく比べることなく、ゆったりのんびり自分だけの理想と楽しみと充実感を追っていく……理想の仕事のしかただと思います。取材場所に選んだ大泉学園近くの清潔な会議室も、いい雰囲気でした。


クラフトビールのことを少し調べながら、なるべくブルワリーのある店で飲むようにしてみた。

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すると、以前のように「なんとなく高級感をおぼえながら酔えればいい」という雑な気分から遠のいて、自分の選んだ銘柄が間違っていなかったか、慎重に味と香りを楽しめるようになってきた。生ビールのようにぐいぐい飲むのではなく、ワインのように舐めるように味わう……一杯あたりが高いのだから、なおさら丁寧に飲むようになる。

豊かさも貧しさも、心の問題なのだとつくづく思う。今よりお金のあったころの僕は、夕方から朝まで歓楽街で飲んでは記憶をなくしていた。そんな自暴自棄のために一晩に何万円も使っていたのだから、工場でアルバイトしていた貧困時代と精神的には大差ない。
金銭のあるなしは実は関係なく、いかに満足感・充実感の贅肉をそぎ落として混じりけのない静謐なものにするか……それが重要なのだ。


そういう文脈で言うと、どんなに自信満々に見えて才能のある人でも、虚栄心などの夾雑物が混じると、とたんに心が濁ってしまう。
自己愛性パーソナリティ障害の人はたいてい、そういう精神状態だと思う。せっかく立場や能力に恵まれているのに、「他人を従わせたい」「自分を実際よりも大きく見せたい」欲望が強すぎて、本来の価値を曇らせている人って、意外と多い。

本当に凄い人でも、「どうだ、凄いだろう?」と自分からアピールしすぎて台無しにしてしまう。そこから心に磨きをかけるのが、本当に難しい。ようするに、自分で自分を「まあまあ頑張ったな」と密かに認めてやる、甘やかしてやるのは健全なことなのだが、他人から常に注目されたい、過剰に称賛されたいという“関係”に執着すると、周囲も本人も自己愛の泥沼でもがくことになる……ということだ。

何よりも、自由であること。とらわれず、こだわらないことが幸せの正体なのかも知れない。


「マスクはもう、おまじないみたいなものになっています」
「そもそも、なんでマスクをしているのか、という本来の目的がもう曖昧になっています。マスクに限らず、感染対策は目的を見失っている状態が続いているんです」(

死はいけないもの、忌むべきもの、悪いことという考えが社会の根本にある。「命は平等」とか「ひとりも死なせない」とか、そういう平坦で高圧的で実感のないスローガンは「寝ないで、ボロボロになるまで頑張った(だから価値があるはず)」といったブラック企業の思想と、どこかで繋がっている気がする。
だから、「(私の言うこと聞かないと)沢山の死者が出ますけど、いいんですか?」という脅し文句が成立する。

11年前に僕の母が殺されたように、人は理不尽に死ぬ。その非合理さ、無意味さを受け入れるには強くなくてはいけない。「命は平等」? そんな甘いことは言っていられなかった。自分の冷淡さ、残酷さをも認めて、自分の武器とせねば乗り切れない時だってある。


最近見た映画は、ピーター・ジャクソン監督の『ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド(彼らは生きていた )』。
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途中で、俳優を使った疑似ドキュメンタリーではないかと疑ってしまうほど、デジタル技術で克明に再現された記録フィルム。
ドラマ、物語に還元できない「人が生きている」実体験感がある。ご飯を食べて、用を足して眠ることだけが人間の本質として残る。だが、戦争という状況は生活の基本と対立し、兵士たちは糞尿にまみれながら、ぎりぎりの食事で生きのびる。「なぜ、ここまでして生きていくのか」という不可解な問いが浮かび上がる。

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2022年11月 9日 (水)

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昨日は松戸まで取材だったので、「上野から一本で行けるから」と無理やりな理由をつけて御徒町のホテルに泊まった。
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前泊して居酒屋で一杯やりたいという目的が大きいのだが、取材は午後からなので、東京国立博物館と国立西洋美術館へ立ち寄れるというメリットもあった。国立博物館は特別展のチケットは売り切れ、西洋美術館もピカソか何かの企画展だったので、それぞれ常設展のみにした。
それでも、朝からそこそこ混んでいたので驚いた。
(マスクについては、国立博物館は代わりのマークを首から下げればOK、西洋美術館では特に問責されず。ずいぶん雰囲気は変わったと思う)


前日はホテルに荷物だけ置いて、まず谷中銀座へ行った。午後4時すぎである。
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いつも寄る中華料理屋が開店していることを確認してから、気になっていた喫茶店へ入ろうと散策するが、どこもかなり混んでいる。「みんな」が行くような店に、僕がわざわざ行く必要はないと感じてしまうのだ。
それで、駅に近い中華料理屋へ戻って、空いている店内で餃子と生ビールを頼んだ。横に座った高齢のご婦人が「ラーメンと中ビール」を頼み、おかみさんに「中ジョッキ……あちらの方と同じでよろしいですか?」と、僕の飲んでいるビールを指さしたので笑ってしまった。この程よい距離感が、心地いい。店の適度な狭さやテーブルの配列、照明のぼんやりした平和な明るさも好き。
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この店は谷中銀座からは少し離れており、駅までの坂道にはお寺とルノアール、セブンイレブンぐらいしかない。その寂しさがいい。
いつもは三鷹の家へ直行するのだが、今日は宿をとってあるのだから、夕闇に沈んでいく店の近辺を歩き回った。「もう家になんか帰らなくていいんじゃないか?」「ずっとどこにも“帰らない”としたら、どんなに自由な日々だろう?」と、感傷的な気持ちにひたる。
この感傷癖はホームレス願望にもつながっているし、海外旅行へ行く動機にもつながっている気がする。


しばらく歩いて、ほとんど客のいない居酒屋で気分転換することにした。
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こういう客の入ってない店は、料理が微妙なのでは……と危惧したのだが、どれも独創的で工夫された皿ばかりだった。
少しずつ客は増えてきて、「ガールズバーってさあ」と、さっきの泥酔サラリーマンたちと会話のネタは同じなのに、こんな静かに上品に話せる人たちもいるのだなと認識をあらためた。

決定的だったのは、僕のふたつ先の席に座った中年男性が「ここに荷物を置いてもよろしいですか?」と、こちらが恥ずかしくなるぐらい丁寧な口調で話しかけてきた時だ。「どうぞ」と答えると、「すみませんね、失礼しますね」と……こんな品のいい態度は、僕にはとれない。
いつの間にか、店は満席に近い状態になっていた。それでも、客たちは誰ひとり「だからよお」「バカ野郎がよお」などという頭の悪い話し方はしない。不思議と、一定の品位を保っている……不思議なものである。店員たちと客が雑談することもない。
地獄もあれば天国もあるのだ。不幸な人というのは、地獄しかないと思っている。天国を探さない。たいていの人は、せっかく幸運が巡ってきているのに「気がつかない」。気がつけるセンサーが育っていない。目指す理想が無いから、ますます鈍麻して閉塞していく。


最近観た映画は『ショーシャンクの空に』(二回目)、『荒野のストレンジャー』、『ジョー・ブラックをよろしく』。

『ジョー・ブラックをよろしく』では、クレア・フォーラニとブラッド・ピットが初めて出会うコーヒーショップのシーンが白眉だった。
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単純な切り返しで会話を撮っているのだが、ブラッド・ピットは朝食をとっており、クレア・フォーラニはノートをとっている。なので、寄りのカットになっても目線がフレーム外の朝食やノートにそれる。どちらかが手を止めると、会話に熱中していると分かる。
そして、コーヒーをもう一杯ずつ飲むことにした二人は、砂糖を入れるタイミング、ミルクを入れるタイミング、スプーンを持つタイミング、すべて同じ。つまり、手元さえ見ていれば二人のフィーリングが合致していくのが分かる構造になっている。

このように、映画には機能がある。狙いに基づいて組み立てられている。「心のこもった演技だから」とか「そういうストーリーだから」感動したという認識が僕は怖い。意図や価値を見抜こうとしていないし、自分の茫洋とした感覚を疑ってもいないから。映画というより、物事への洞察が足りないと思ってしまうのだ。
自分の思考の外に、絶対的な答えがあると思いたがるのは、教育の結果なのかも知れない。

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