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ストイックすぎてハイブローな異色作? 劇場アニメ「夏へのトンネル、さよならの出口」で田口智久監督が試みたこと【アニメ業界ウォッチング第92回】(■)
このアニメは、見る人によっては「一生に残る一本」になると思うので、たとえ埋もれてしまっても、見つける人は見つけるはずです。どんな作品でも20億ごえのヒットを期待され、即座に利益が出なければ失敗と見なされるのではなく、20年後、40年後と視聴できる状態を維持しつづけることのほうが大事です。
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上の記事で『転校生』を例に出しているので、どこからも配信されていない1982年版の『転校生』のDVDを購入した。40年前の作品。
高校2年生のときに『時をかける少女』を見て感激して過去作が気になり、『転校生』は高校卒業後、文芸座の大林宣彦特集で16mmの自主制作作品と一緒に見たような気がする。それ以外に当時、ロードショーの終わった映画を見る手段はなかったんじゃないだろうか?
すぐにビデオをレンタルしてきて古い作品を見られる環境が整うのは、もう2~3年後の1984年頃だろう。『ブレードランナー』(1982年)もビデオではなく、池袋や中野の名画座を追いかけて、何とか6回見ることが出来た。
角川映画の『時をかける少女』は文庫や主題歌とタイアップしていて学校でも話題にのぼっていたけど、『転校生』がヒットして誰も知っている状態だったかというと、やや通好みだったと思う。アニメブームではあったけど、実写の日本映画はまだまだ若者への訴求力に欠けていた時代だ。
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2人の体が入れ替わってからカラーになるが、一夫と一美がそれぞれの体でいる状態ではモノクロ……この構造は、1987年に公開される独映画『ベルリン・天使の詩』へ継承される。『~天使の詩』では、人間の目に見えない天使が人間界に落ちてきて肉体をもった瞬間から、カラーになる。
「痛みを持った肉体」の象徴が、カラーフィルムなのかも知れない。そういえば、一夫の心が宿ってからの一美はケンカして絆創膏を貼っていたり、料理を手伝おうとして指を切ったり、怪我するシーンが多い。
アップで肌や汗を撮れば肉体性が伝わるというほど、映画は単純なものではない。人物の外見に注目させたいメインパートをカラーにして、肉体の問題が解決され、物語が内面化するラストではモノクロに戻して、テーマを抽象的・文学的に移行させる。大林監督のレトロ趣味もあるとは思うが、フィルムの構造によってドラマを強化している。
小津安二郎に通じる古典的な日本映画の流れも汲みつつ、日テレとATGという当時ならではの製作体制といい、とても一言や二言では足りない魅力に富んだ作品。
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先週水曜日は横須賀、おとといは京都で打ち合わせがあり、それぞれ一泊した。
横須賀の翌朝は神奈川県立歴史博物館へ行って、帰りは人形の家の1階にあるカフェのテラス席で、クラフトビールを店のお姉さんに選んでもらった。
公園通りの並木道で飲んでいると、不思議と通りすがりのカップルが「俺たちも休んでいこうか」とテラス席に座る。これは翌々日の京都でも同じで、「ひとりで堂々と贅沢してる」ムードを出していると、思わぬ波及効果があるのだろう。
京都では打ち合わせ後に居酒屋、焼き鳥屋と一人で飲んだ翌日、細見美術館・京都国立近代美術館・京セラ美術館と渡り歩いた。
近代美術館で個展が開催されている清水九兵衞/六兵衞の作品は、向かいの京セラ美術館のコレクション展にも大型のものが展示されている。そういうコラボがあるので、企画展だけ見て帰ってはいけないのだ。
六兵衛の作品はおおまかに二種類があり、ひとつは粘土が柔らかいうちに切りこみを入れて、わざと形を崩したもの。焼き上がったあと、崩れた断面を金色で塗ったりして、几帳面な立方体が内破していく面白み、豪胆さが感じられた。自由で大胆で、深く心に刺さった。
近くに露店が出ていて、ビールを飲んでいる人たちもチラホラいたのだが、でも、プラ製カップで道端で飲むのは嫌だなあ……と思っていたら、建物の二階に傘が立っていた。こういう時の僕は、すさまじい感度でテラス席を探し当ててしまう……というより、向こうから寄ってくるのだ。
こんなにいい天気なのに、テラス席に座っているのは家族連れが一組だけ……と思いきや、そのうち二組ほど増えた。やっぱり、一手間かけるというか、ちょっと視点を上か横に振るだけで、楽しみの幅はグンと広がる。
安く手軽にすませようとすると、それなりの人生しか待っていないのだ。
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さて、マスクの話題。
横須賀~京都と一泊ずつしてきたわけだが、横須賀での打ち合わせはアーティストのご自宅までうかがって、双方ともマスクなしの素顔で長時間、じっくりと話した。「マスクどうしましょうか」なんて会話すらなく、最初から最後まで、ずっと素顔のまま。先へ先へと進む人は、立ち止まっていられないのだ。
その夜、横浜市内のホテルに泊まったのだが、繁華街の居酒屋では店員さんたちが、そもそもマスクしていない! ごく当たり前のことだが、素顔の店員さんの笑顔は、やっぱり気持ちがいい。カウンターに寄ってきて、素顔同士で雑談もしてくれた。こうやって、声高に何か叫ばなくても、勝手に緩んでいる部分がある。これが、庶民の底力だ。
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では、美術館でのマスク事情はどうだったのか?
結論から言うと、神奈川県県立歴史博物館、細見美術館、京都国立近代美術館、京セラ美術館、「お客様、マスクは?」と聞かれるものの、すべて「僕はマスクできないんです」と困ったように答えるだけで、それ以上は強制されなかった。「マスクしない」ではなく「できない」と言えば、それでOKみたい。せいぜい、「適宜ハンカチなど使ってくださいね」と言われたぐらい。
新幹線車内でも素顔で座っていたが、誰からも何も言われなかった。なので、ムードは確実に和らいできている。ジブリ美術館のように執拗にマスクを強いる施設が、むしろ珍しくなってきている。
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