■0924■
キルギス共和国への航空券を買った。18万円。
日本への帰国時の水際対策のため、3回目のコロナワクチン接種を予約した。前に打ったのは一年近く前だ。2回目までは、最初に「2回セットで」と言われていたので、納得して打った。副反応も、「ちょっと頭がダルいかな?」という程度ですんだ。
「早くワクチン打ってマスク外したい」
「ワクチン打てば旅行に行くくらい許してほしい」(■)
これは、昨年6月の記事。僕も同じような気分の中にいた。3回目なんて打たなくていいよな、だって最初に「2回セット」って言ったのに、話が違うよな?という気分だったので、旅行のために3回目というのは気が進まない。
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以前にも書いたことだが、僕が20代の後半に付き合っていた女性は、浮気男に騙され裏切られ、その男の子供を一人で育てていた。
彼女の身のうえ話を聞いた後では、「何か悪しきもの、不幸をもたらすものが世の中に存在している」「悪しきものを避けて生きねばならない」という彼女の人生観も、まあ仕方がないと分かる。
その「悪いもの」とは、彼女の場合は合成保存料とか食品添加物だった。彼女は、スーパーで普通に売っている洗剤を「これは毒だよ、毒!」と幼い子供に教えていた。
ワクチンが人類粛清計画だとか、ワクチン接種によってチップを埋め込まれる……とか言う人も、同じように「世の中には絶対的に悪いものが存在している」という人生観を、どこかで育ててきてしまったのだろう。僕は、ちょっと幼稚に感じる。
そして、マスク装着にこだわる人たちも、「他人は汚い」「外が怖い」といった世界観を背負ってしまっていると思う。「自分で考えず周りに合わせよう」という日本の教育によって植えつけられた側面もあるので、なかなか根が深くて厄介なことと思う。
ワクチン陰謀説もマスク強制も、自分の「外部」を手近なところに設定して、安心したい心理から生じるんだと思う。「異物」も「毒」も自分の内部にあるのではないか……という疑い、「この世界には不合理で理不尽な出来事も起こりえる」という複雑さに耐えられないんだろう。
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Twitterで見かけた、興味深い画像(引用元■)。
「集団への忠誠の証となる」「苦痛を乗り越えた者の証となる」……たとえば、満員電車はどうだろうか? 飲食店の前にできる行列は? 「だって仕方がない」「みんなも我慢してるんだから」という諦めと引き換えに、他者との結束感や絆を与えるシステムではないだろうか。
会社員がカードキーを首から紐でぶら下げるようになってから、日本は低迷期に入ったと聞いたことがある。今なら、少しは分かる気がする。どこか、判断を他人や組織にまかせたい心理があるのかも知れない。
どんな底辺の人間にも平等感を与えてくれるのが、ワクチンでありマスクなのだろう。ところが、ワクチンを打たずマスクをしない者がいると、底辺に与えられた平等感が崩れてしまう。だから彼らは、意地でも全員もらさずマスクをさせたい。無理にでも平等を作り出したい。
「罰を与えると同時に結束を与える」……これは、漫画『ナチュン』に出てきた奴隷のコントロール方法だ。奴隷たちは足の裏を棒で思いきり叩かれるが、主人公は「殺さずに罰してくれたということは、俺たちは認められているということだ」と感じて、感謝の涙を流す。それは甘美な痛みなのだという。
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9/25追記……早朝、キルギス行きの航空券をキャンセルした。料金の1/3ほどキャンセル料がかかったが、安いものだ。
気持ちが軽くなったので、お気に入りの喫茶店でモーニング。
自由になるために海外旅行へ行くのに、健康のためではなく単なる手続きのために新たにワクチンを打つ……という無意味な段取りには、やはり納得できない。最初にワクチンを打った時には、「これで苦しい感染対策から解放されるし感染しにくくなる」という期待があったのだが、そうはならなかった。その欺瞞というかルーズさに付き合うつもりはない。
(海外へ行くのには何の規制もないのに、帰国時だけ規制が厳しい……って、日本政府が愚鈍なだけでしょ?)
それでも、僕が自由なつもりでも日本政府の配剤ひとつで、意に沿わないルールに従わされるのだと、いい勉強になった。
来年春には、規制は緩和されてるんじゃないだろうか。お金も溜まっているはずなので、今度こそ納得して航空券を買おう。
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