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2022年9月30日 (金)

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ホビージャパン ヴィンテージ Vol.8  本日発売
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巻頭のアートミック特集40ページを構成・執筆しました。キットレビューのほか、吉祥寺怪人さん×柿沼秀樹さんの対談、荒牧伸志さん、宮武一貴さん、園田健一さんインタビューもやりました。


水曜日から木曜日にかけて、大船の観音と鎌倉の大仏を見学しに行った。
まずは大船へ行って、ホテルに荷物を置いて、江の島へ遊びに行った。結婚していた16年前は嫁さんと初詣に行ったものだが、離婚後に一回、ビールと天ぷらを食べに来た程度だ。
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もちろん、午後4時~5時ぐらいの夕暮れを狙ってテラス席を渉猟する。実は、そんなに奥まで行かなくても海の見えるテラス席はちらほらある。だけど、そこで妥協しないのは、もはや性癖である。奥まで行って、そこが混んでいたり閉店だった場合に初めて引き返す。つまり、最上のものを知らない者に妥協する資格などないと思うのだ。
結果は、断崖から海へ張り出した西向きのテラス席に座れた。まずは、江の島ビール。
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エビの塩焼きが来るころにはビールが空いてしまうので、普通の中瓶をオーダーして、この上ない楽園が目の前に出来上がった。レモンとはじかみ生姜の置き方からして、かなりレベルの高い店だと分かる。
他にも、一人でビールをやっている男性がいた。たいていはカップルか女性同士でかき氷など食べており、満席ということはなく常時2~3席は空いているのがいい(「テラス席に蜂がいて料理の中に入るかも、店内の方が落ち着きますよ」という店員さんの忠告も効いていそう)。
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写真には映らなかったが、雲の中にうっすらと虹が混じっていた。こんな天国のような景色を、当たり前の日常として受け入れている店員さんたちは、どんな気持ちで生きているんだろう? 島の中で寝起きしてるんだろうか?

島を降りる17時半ごろには、もう夕陽の見ごろは終わってしまっていた。なので、今回も運は僕の味方をした。たいていの店は日没前に閉まってしまうが、この店は18時まで営業していると調べてあったのも良かった。
しかし、薄暗くなった島へ向かうカップルがいると、なんだか「今から行ってもつまらないんじゃない?」という寂しいような、それでも僕の知らない世界があるのだろう……といった穏やかな気持ちになる。閉館の近い美術館でチケットを買うカップルにも、同じような気持ちをいだく。


その夜はホルモン焼き(自分で焼くタイプ)の店、和食の店に寄ってからホテルへ帰ったが、どちらもイマイチの店だった。料理が美味くても、出てくるのが遅すぎると一杯余計に酒を頼むことになり、酔いすぎてしまうのだ。こっちは料理との相性や食べすすむバランスを考えて酒を頼んでいるのに。

翌朝、駅近くの昭和っぽい喫茶店でモーニングを食べて、バスで大仏を見て、さっさと鎌倉駅へ移動。神奈川県立近代美術館・鎌倉別館まで歩く。
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こういう作品に「初恋」などというタイトルを付けられて、ハッとしてしまう。タイトルで余計な意味づけをされている作品が多い気がするが、古い布に微細な刺繡をほどこす沖潤子さんの作品は別だった。タイトルによって、作品の見方を教えてもらえる。
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「幸運は強い意志を好む。偶然も強い意志がもたらす必然である。」
沖さんがラジオや読書で出会った言葉をメモしている、そのノートも展示してあった。小さいけど、気持ちの行き届いた良い美術館だった。僕がいる間は、僕ひとりしか客がいなかった。鶴岡八幡宮は混んでいたのに、徒歩数分の美術館だけはひっそりしていた。こういう寂しさは、とても贅沢だと感じる。


鎌倉駅前の蕎麦屋で、天ぷら盛り合わせ(海老2本と季節の野菜)と瓶ビール。トータル、1700円という安さ。
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もう少し歩いたところに、テラス席でクラフトビールを飲めるお洒落なレストランがあったのだが、ほぼ満席でガヤガヤしていて駄目。昨夜の居酒屋で失敗したせいもあって、天ぷらで一杯やりたい気分だったので、たまたま見つけた蕎麦屋に入った。昼飲みを喧伝している居酒屋もあったけど、観光地なので賑やかすぎる。ちょっと外れにある寂しい店がいい。
テーブルで栓をあけてくれたし、タレではなく塩で食べさせる趣向もいい。ビールには、しば漬けが付いていた。
ビールを追加しなくてすむように、途中から飲むペースを落とした。だらしなくグイグイ飲まないことだ。


一応、マスクのことを書いておく。
居酒屋二軒、喫茶店一軒、蕎麦屋一軒、どこでもマスク着用のお願いはされず。
近代美術館ではお願いはされたものの、「ちょっと出来ないんですけど……」と弱気に言うと、くしゃみや咳をするときはハンカチを当てて等の注意事項を見せられただけでオーケー。
他の人にもマスクを外せとは、僕は言わない。僕はもともと社会不適合なので、好きなようにしているだけ。苦しくても周囲に合わせたい人は、別にそれで構わないと思う。


鎌倉~新宿は一本で帰れるが、グリーン車にした。約一時間。
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結婚している頃に住んでいた戸塚駅前には、記憶にある建物がそのまま残っていた。しかし、あそこから脱出することで僕の人生が始まったので、センチメンタルな気分にはなれない。30代後半までの自分は、負け犬根性が身に染みついていた。ライター業だけでは、生活は不安定だった。
しかし、元妻がお金の管理や家事を手堅くやってくれて、僕の極貧生活がリセットされた。「少しずつでいいから貯金しろ、マイナスにはするな」という考え方の人だった。そのことには感謝している。離婚後、みじめで無意味なアルバイトをしなくても、好きな仕事だけで生きてこられている。

電車が都内に入ると、大井町や大崎あたりから見慣れたビルが多くなっていく。センチメンタルになれるのは、この光景だ。
無数の記憶のレイヤーが、かすかに脳裏に浮かび上がってくる。たくさん歩いたし、たくさん飲んだ。キャバクラを遊び歩いていた放蕩の日々も楽しかったのだが、一人で出かける時間が、何よりも充実している。自由で、何もかも自分で決められる最良の日々を、自分で手に入れることが出来た。

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2022年9月26日 (月)

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医者に行った帰り、喫茶店に寄ってから図書館に借りていた本を返して、いつものように玉川上水を散歩した。午前中から青空で、草木が陽に照らされている。
脳内麻薬物質がドバドバ出て、天国を歩いているような上機嫌になる……ようやく、いつもの調子が戻ってきた。
不定形な植物が繁茂した道を歩くと、脳がリラックスしていくのが分かる。こういうのも、一種の防衛本能なのだと思う。


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公園の休憩所で一杯やってお会計しようと立ち上がったら、若い女性数人のグループが注文しようと店員さんを呼んでいた。しかし、お店の人には聞こえない。僕はどうせお会計するので店員さんを呼んで、その女性たちのテーブルを「こちら」と手で指した。
女性たちは「ありがとうございます」と、お礼を言ってくれた。結局は僕のお会計が先になったけど、人に親切にして女性からお礼を言われるのは、嬉しいものだ。たとえマスクをしていようと、やっぱり人間は人間なんだと思う。


最近観た映画は、『カイジ 人生逆転ゲーム』。

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2022年9月24日 (土)

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キルギス共和国への航空券を買った。18万円。
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日本への帰国時の水際対策のため、3回目のコロナワクチン接種を予約した。前に打ったのは一年近く前だ。2回目までは、最初に「2回セットで」と言われていたので、納得して打った。副反応も、「ちょっと頭がダルいかな?」という程度ですんだ。

「早くワクチン打ってマスク外したい」
「ワクチン打てば旅行に行くくらい許してほしい」(

これは、昨年6月の記事。僕も同じような気分の中にいた。3回目なんて打たなくていいよな、だって最初に「2回セット」って言ったのに、話が違うよな?という気分だったので、旅行のために3回目というのは気が進まない。


以前にも書いたことだが、僕が20代の後半に付き合っていた女性は、浮気男に騙され裏切られ、その男の子供を一人で育てていた。
彼女の身のうえ話を聞いた後では、「何か悪しきもの、不幸をもたらすものが世の中に存在している」「悪しきものを避けて生きねばならない」という彼女の人生観も、まあ仕方がないと分かる。
その「悪いもの」とは、彼女の場合は合成保存料とか食品添加物だった。彼女は、スーパーで普通に売っている洗剤を「これは毒だよ、毒!」と幼い子供に教えていた。

ワクチンが人類粛清計画だとか、ワクチン接種によってチップを埋め込まれる……とか言う人も、同じように「世の中には絶対的に悪いものが存在している」という人生観を、どこかで育ててきてしまったのだろう。僕は、ちょっと幼稚に感じる。
そして、マスク装着にこだわる人たちも、「他人は汚い」「外が怖い」といった世界観を背負ってしまっていると思う。「自分で考えず周りに合わせよう」という日本の教育によって植えつけられた側面もあるので、なかなか根が深くて厄介なことと思う。

ワクチン陰謀説もマスク強制も、自分の「外部」を手近なところに設定して、安心したい心理から生じるんだと思う。「異物」も「毒」も自分の内部にあるのではないか……という疑い、「この世界には不合理で理不尽な出来事も起こりえる」という複雑さに耐えられないんだろう。


Twitterで見かけた、興味深い画像(引用元)。
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「集団への忠誠の証となる」「苦痛を乗り越えた者の証となる」……たとえば、満員電車はどうだろうか? 飲食店の前にできる行列は? 「だって仕方がない」「みんなも我慢してるんだから」という諦めと引き換えに、他者との結束感や絆を与えるシステムではないだろうか。

会社員がカードキーを首から紐でぶら下げるようになってから、日本は低迷期に入ったと聞いたことがある。今なら、少しは分かる気がする。どこか、判断を他人や組織にまかせたい心理があるのかも知れない。
どんな底辺の人間にも平等感を与えてくれるのが、ワクチンでありマスクなのだろう。ところが、ワクチンを打たずマスクをしない者がいると、底辺に与えられた平等感が崩れてしまう。だから彼らは、意地でも全員もらさずマスクをさせたい。無理にでも平等を作り出したい。
「罰を与えると同時に結束を与える」……これは、漫画『ナチュン』に出てきた奴隷のコントロール方法だ。奴隷たちは足の裏を棒で思いきり叩かれるが、主人公は「殺さずに罰してくれたということは、俺たちは認められているということだ」と感じて、感謝の涙を流す。それは甘美な痛みなのだという。


9/25追記……早朝、キルギス行きの航空券をキャンセルした。料金の1/3ほどキャンセル料がかかったが、安いものだ。
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気持ちが軽くなったので、お気に入りの喫茶店でモーニング。
自由になるために海外旅行へ行くのに、健康のためではなく単なる手続きのために新たにワクチンを打つ……という無意味な段取りには、やはり納得できない。最初にワクチンを打った時には、「これで苦しい感染対策から解放されるし感染しにくくなる」という期待があったのだが、そうはならなかった。その欺瞞というかルーズさに付き合うつもりはない。
(海外へ行くのには何の規制もないのに、帰国時だけ規制が厳しい……って、日本政府が愚鈍なだけでしょ?)

それでも、僕が自由なつもりでも日本政府の配剤ひとつで、意に沿わないルールに従わされるのだと、いい勉強になった。
来年春には、規制は緩和されてるんじゃないだろうか。お金も溜まっているはずなので、今度こそ納得して航空券を買おう。

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2022年9月22日 (木)

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21日水曜日は、ひさびさに上野の国立科学博物館へ行った。
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企画展「WHO ARE WE 観察と発見の生物学」、腹が立つほど知的でセンスのある展示だった。これは、よい勉強になった。

地球館は以前にじっくり見たので、日本館だけ見て、道なりに歩いて東京藝術大学美術館へ向かった。
ところが、入り口には満員電車のような行列ができていて、ゲンナリして早めの谷中散歩に切り替えた。まだ昼過ぎだ。
目当てにしていたカヤバ珈琲が、これまた店外に行列が出来るほどの混み方なので、もちろんスルーして先へ行く。
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すると、台湾デザートの店「愛玉子」がある。
このお店、30年前の極貧アルバイト時代、一度だけ来たことがある。「フロムエー」しか定期購読している雑誌がなかったのだが、その中で谷中~千駄木の特集がカラーで組まれており、なけなしの電車賃を払って、無理やり下町散歩したのであった。本当に情報源がフロムエーしかなく、切り抜いてスクラップしていた。

その当時は、浅はかなレトロ趣味ぐらいしか自分の心の支えがなかった。
確か年収150万円ぐらいだったのでは……いや、確定申告に行った記憶もない。何とかして将来は映画監督……は無理にしても、もう何でもいいから「物語をつくる仕事がいい」と苦しまぎれの無いものねだりをして、そういう時はお金の使い方も分かっていないから、毎月の家賃を捻出するのが塗炭の苦しみであった。

今でも年収300万円を切る時があるから、収入は当時と変わっていないのだが、別人のような振る舞いだと思う。いつも金のなかった20代は、酒といえば酒屋の一番安い焼酎を買ってきて、お湯で割って、マズイのに我慢して飲んでいた。
そうやって、自分から「いかにも貧乏な暮らし」を求めて節約したつもりが、さらに困窮してしまう。現状に不満があるのに、改善しようとしないのである。勝手に自分でブレーキを踏んでおいて、「損をした」と苛立っている。


「愛玉子」のすぐ近く、地図で場所を確認してあった「谷中ビアホール」へ行く。古民家を改造したお洒落な店だが、せっかくのテラス席も目の前が住宅街である。しかし、天気はそこそこ良い。
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大きく分けて二種類のクラフトビールがあり、苦みやコクの違いを選べる。Mサイズがそこそこ大きいので、二杯目はSサイズにした。枝豆は、バターで炒めたもの。安くても、凝ったおつまみ。
店内には、高貴な雰囲気のお姉さん二人組が、思い出話にふけっていた。どうやら、僕よりも年上らしい。連休の谷間とはいえ、こんな昼過ぎからグラスを傾けられるなんて、これが勝利の味だと、つくづく思う。


さて、8月の散歩のときには閉まっていた朝倉彫塑館へ行くつもりが、すっかり道に迷ってしまった。
すると、適当に歩いていた裏道に、『伝説巨神イデオン』の看板が並んでいた。樋口雄一さんのFacebookの投稿で「イデオン放映40周年記念展 メカニックデザイナー樋口雄一と8人の造形作家たち」が始まったのは知っていたが、「場所は東京のどっかでしょ」という程度の認識だった。
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この写真は、先に会場に来ていた玩具業界の方が撮ってくださった。
樋口さんは【模型言論プラモデガタリ】で初めてお会いして、そのあと何度か取材でお会いしたが、ちゃんと覚えていてくれた。
「この辺り、ギャラリーが多いんだよね。月曜日に行くと、どこも休みで。友達と2人で“勉強不足だったね”なんて笑ったもんだよ」と、若いころの話をしてくださった。樋口さんは、今も若い。軽やかなんだよね、話し方や表情が。そういえば、湖川友謙さんとは一年以上会っていない。
しかし、本当にただ道に迷っただけなのに、「何か面白いもの」と求めて歩いていると、こんな偶然もあるんだな。樋口さんもギャラリーに来るつもりはなくて、帰り道だからたまたま寄ってみただけだと言う。


そして、朝倉彫塑館へ。この美術館、樋口さんがちゃんと知っているところがカッコいい。
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入場料たったの500円で、古い日本家屋の中庭をゆったりと回廊から見て歩いて、さらには屋上から東京の空を望む。
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館内はほとんど撮影禁止だが、この空ぐらいはいいと思う。ここから谷中銀座へすぐ出られる、その距離感もいい。こんなに静かなのに。
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帰りは、目当てにしていた昼飲みできる店が二軒とも閉まっていたため、この前も来た中華料理屋へ。
午後4時なら、ぜんぜん空いている。店内には70~80年代の洋楽が流れ、気取らない家庭的な雰囲気。窓際の席に座れたので、喧騒からはほど遠い商店街の雰囲気を、ちょっとだけ感じることが出来た。客はネットで情報を見て来たらしい女性、店の人と同業らしい男性……みんな、すごく落ち着いている。
この店から日暮里駅の小さな入口までの坂道がまた、しっとりした寂しい雰囲気で良いんだよね。

この時間であれば、東京まで足を伸ばして、丸の内のビルのテラス席へ行っても良かったのだが、帰りは曇ってきた。なので、餃子でビールが正解だったのだ。なんという、充実した半日……これが、僕の休日だ。


最後に、やはりマスクの話題を。
科学博物館は受付で「マスク、50円で販売しますよ」と言われたが、いつもの困った顔で「いや、マスク付けられないんです」と言うと、「マスクを着けられません」「事情があります」などと書かれたカードを首からかけるよう指示された。一度、館内で「マスクは?」と呼び止められたので、カードを見せた。
朝倉彫塑館は受付では何も言われず、4人ぐらいいる監視員の一人が「マスクは……」と話しかけてきた程度。「つけられません」と答えると、「すみません」と逆に謝られた。


最近見た映画は、オーソン・ウェルズ監督『上海から来た女』、ギレルモ・デル・トロ監督『ナイトメア・アリー』。

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2022年9月19日 (月)

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殴られた巨大ロボットに、果たして痛覚はあるのか――? 「マクロスF」屈指の名シーンに学ぶ【懐かしアニメ回顧録第94回】
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巨人化したクラン・クランが、ミハエルの乗るバトロイドの頬っぺたを「バカッ!」とビンタする、抱腹絶倒の痴話げんかシーンです。

編集側から『マクロスF』でどうか……と提案されて、赤根和樹さんが絵コンテを書いた第4話の作画の面白さに、あらためて感嘆させられて、そちらを取り上げるかどうか迷いました。ランカの歌唱シーンには、ロトスコープも使われていたと記憶します。ハイエンドな3DCGを駆使する一方で、人間の筋肉というか、手の力で魅せる作画もある。そのごった煮感が、この時代のアニメの面白さです。
上の記事にも書いたように、『創聖のアクエリオン』で3DCGのロボット描写が生き物のように進化して、作画と鍔迫り合うレベルに到達した。では一体、アニメーション映像の面白さの本質とは何か? 「動き」だとしたら、一秒あたりのFPSさえアップすればそれでいいのか?と、考えるテーマが広がります。


最近観た映画は、ドキュメンタリー映画『画家と泥棒』、イタリアの『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』、ポール・ヴァーホーベン監督『エル ELLE』、『ブラックブック』。ヴァーホーベン監督の2本には、たいへんな感銘を受けた。
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どちらも、女性が考えうるかぎりの侮辱と暴力にさらされるが、毅然として、勇気と行動でしぶとく活路を切り拓いていく。
『ブラックブック』では、ナチスの人種弾圧によって両親と弟を目の前で撃ち殺された主人公が、「不思議なことに涙が出ないの」と差し出されたハンカチを拒否する。俗世間は、「家族を殺されて絶対に悲しいはずだ」と決めつけるが、主人公はそんな浅い次元に生きていない。美貌も歌声も、使える武器をすべて駆使して、次々と降りかかる理不尽な困難を巻き返していく。
歴史を舞台にした一種のファンタジーだろうが、それは意志の力に満ちたファンタジーである。
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映画のタイプとしては、思わせぶりな暗喩に満ちた『エル ELLE』のほうが好きだ。
主人公はゲーム会社の女社長で、CG映像をテスト映写するシーンがある。その中では、ゴブリンが女性をレイプするのだが、まずはそのCGの質感・デザイン・動きがチープで、すごく気持ち悪い。その悪趣味さも凄いが、レイプシーンのカメラアングルが、どういうわけか冒頭で主人公がレイプされる実際の場面と同じなのだ。
すると、ゲームのCG映像が実際に起きたレイプを象徴的になぞっている(ゲームで起きたことが現実にも起きた)ことが観客には伝わるのだが、映画の中の登場人物は誰ひとり「映画を撮っているカメラ」など感知していない。映画で撮られた世界に、映画を撮っているカメラは存在しないのだ。

だから(と言うべきか「しかし」なのか)、「たまたまカメラアングルが一致する」出来事など起こりえず、そこには映画制作者の意図だけが残される。我々はその意図を探ろうという欲望に、とりつかれる。
いつもいつも、僕たちは物語が矛盾しているとか登場人物の行動に必然性がないなどと粗探しをするが、なぜ存在していない世界に合理性を求めるのだろうか。「映画とは何か?」「何が映画を映画たらしめているのか?」といった本質的な問いから、僕たちは目をそらしつづけている。ヴァーホーベン監督は、その僕たちの怠慢さを見抜いているのだ。

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2022年9月11日 (日)

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ストイックすぎてハイブローな異色作? 劇場アニメ「夏へのトンネル、さよならの出口」で田口智久監督が試みたこと【アニメ業界ウォッチング第92回】
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このアニメは、見る人によっては「一生に残る一本」になると思うので、たとえ埋もれてしまっても、見つける人は見つけるはずです。どんな作品でも20億ごえのヒットを期待され、即座に利益が出なければ失敗と見なされるのではなく、20年後、40年後と視聴できる状態を維持しつづけることのほうが大事です。


上の記事で『転校生』を例に出しているので、どこからも配信されていない1982年版の『転校生』のDVDを購入した。40年前の作品。
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高校2年生のときに『時をかける少女』を見て感激して過去作が気になり、『転校生』は高校卒業後、文芸座の大林宣彦特集で16mmの自主制作作品と一緒に見たような気がする。それ以外に当時、ロードショーの終わった映画を見る手段はなかったんじゃないだろうか?
すぐにビデオをレンタルしてきて古い作品を見られる環境が整うのは、もう2~3年後の1984年頃だろう。『ブレードランナー』(1982年)もビデオではなく、池袋や中野の名画座を追いかけて、何とか6回見ることが出来た。

角川映画の『時をかける少女』は文庫や主題歌とタイアップしていて学校でも話題にのぼっていたけど、『転校生』がヒットして誰も知っている状態だったかというと、やや通好みだったと思う。アニメブームではあったけど、実写の日本映画はまだまだ若者への訴求力に欠けていた時代だ。


2人の体が入れ替わってからカラーになるが、一夫と一美がそれぞれの体でいる状態ではモノクロ……この構造は、1987年に公開される独映画『ベルリン・天使の詩』へ継承される。『~天使の詩』では、人間の目に見えない天使が人間界に落ちてきて肉体をもった瞬間から、カラーになる。
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「痛みを持った肉体」の象徴が、カラーフィルムなのかも知れない。そういえば、一夫の心が宿ってからの一美はケンカして絆創膏を貼っていたり、料理を手伝おうとして指を切ったり、怪我するシーンが多い。
アップで肌や汗を撮れば肉体性が伝わるというほど、映画は単純なものではない。人物の外見に注目させたいメインパートをカラーにして、肉体の問題が解決され、物語が内面化するラストではモノクロに戻して、テーマを抽象的・文学的に移行させる。大林監督のレトロ趣味もあるとは思うが、フィルムの構造によってドラマを強化している。

小津安二郎に通じる古典的な日本映画の流れも汲みつつ、日テレとATGという当時ならではの製作体制といい、とても一言や二言では足りない魅力に富んだ作品。


先週水曜日は横須賀、おとといは京都で打ち合わせがあり、それぞれ一泊した。
横須賀の翌朝は神奈川県立歴史博物館へ行って、帰りは人形の家の1階にあるカフェのテラス席で、クラフトビールを店のお姉さんに選んでもらった。
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公園通りの並木道で飲んでいると、不思議と通りすがりのカップルが「俺たちも休んでいこうか」とテラス席に座る。これは翌々日の京都でも同じで、「ひとりで堂々と贅沢してる」ムードを出していると、思わぬ波及効果があるのだろう。

京都では打ち合わせ後に居酒屋、焼き鳥屋と一人で飲んだ翌日、細見美術館・京都国立近代美術館・京セラ美術館と渡り歩いた。
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近代美術館で個展が開催されている清水九兵衞/六兵衞の作品は、向かいの京セラ美術館のコレクション展にも大型のものが展示されている。そういうコラボがあるので、企画展だけ見て帰ってはいけないのだ。
六兵衛の作品はおおまかに二種類があり、ひとつは粘土が柔らかいうちに切りこみを入れて、わざと形を崩したもの。焼き上がったあと、崩れた断面を金色で塗ったりして、几帳面な立方体が内破していく面白み、豪胆さが感じられた。自由で大胆で、深く心に刺さった。
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近くに露店が出ていて、ビールを飲んでいる人たちもチラホラいたのだが、でも、プラ製カップで道端で飲むのは嫌だなあ……と思っていたら、建物の二階に傘が立っていた。こういう時の僕は、すさまじい感度でテラス席を探し当ててしまう……というより、向こうから寄ってくるのだ。
こんなにいい天気なのに、テラス席に座っているのは家族連れが一組だけ……と思いきや、そのうち二組ほど増えた。やっぱり、一手間かけるというか、ちょっと視点を上か横に振るだけで、楽しみの幅はグンと広がる。
安く手軽にすませようとすると、それなりの人生しか待っていないのだ。


さて、マスクの話題。
横須賀~京都と一泊ずつしてきたわけだが、横須賀での打ち合わせはアーティストのご自宅までうかがって、双方ともマスクなしの素顔で長時間、じっくりと話した。「マスクどうしましょうか」なんて会話すらなく、最初から最後まで、ずっと素顔のまま。先へ先へと進む人は、立ち止まっていられないのだ。
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その夜、横浜市内のホテルに泊まったのだが、繁華街の居酒屋では店員さんたちが、そもそもマスクしていない! ごく当たり前のことだが、素顔の店員さんの笑顔は、やっぱり気持ちがいい。カウンターに寄ってきて、素顔同士で雑談もしてくれた。こうやって、声高に何か叫ばなくても、勝手に緩んでいる部分がある。これが、庶民の底力だ。


では、美術館でのマスク事情はどうだったのか?
結論から言うと、神奈川県県立歴史博物館、細見美術館、京都国立近代美術館、京セラ美術館、「お客様、マスクは?」と聞かれるものの、すべて「僕はマスクできないんです」と困ったように答えるだけで、それ以上は強制されなかった。「マスクしない」ではなく「できない」と言えば、それでOKみたい。せいぜい、「適宜ハンカチなど使ってくださいね」と言われたぐらい。
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新幹線車内でも素顔で座っていたが、誰からも何も言われなかった。なので、ムードは確実に和らいできている。ジブリ美術館のように執拗にマスクを強いる施設が、むしろ珍しくなってきている。

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2022年9月 4日 (日)

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先日の石田祐康監督のインタビュー()前は、シーンの確認をした程度だったので、あらためて『ペンギン・ハイウェイ』を見た。
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木漏れ日の落ちる整然とした歩道、同じ形の家、せまい車道に沿って並ぶ街路樹、ふいに現われる空き地と雑木林、コンクリートで段々に区切られた丘と送電線、緑色のフェンスで区切られた給水塔……大林宣彦監督がマット・ペインティングまで駆使して創出した尾道のようなユートピアが、石田監督が故郷の記憶も使って描いた新興住宅地なのだと思う。あらためて、その清潔で理知的な空間が映画のテーマと結びついているなあ……と感心させられるし、魅了させられる。確信をもって美しく描いてあると分かるので、最初の数分で心をつかまれる。

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一方で、車道がぐるっと円を描いているバスの終点は、僕の頭の中で漆原友紀さんの短編マンガの舞台と、ややごっちゃになっていた。しかし、不思議なことが起きる舞台として、袋小路になった車道を使うなんて、つくづくセンスがいい。勘がいい人だと思う。
二度目にバス停が出てくるとき、あおりで捉えた送電線の向こうに曇り空が広がっていて、三度目は厚い雲が空を流れ、たまに晴れ間が見えるだけの荒天である。そのような天気である理由はセリフで説明されるのだが、地面に出来た水たまりに空が映っていたり、次のシーンの冒頭で紫陽花に雨粒が落ちるカットを挿入したり、絵づくりのアクセントに使っているところがいい。上手い。

そして、ペンギンたちの群れを、お姉さんが指笛で従えるカット。
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無理やり引用するなら、個と集団を同じフレームに収める手は、黒澤明がよく使う。でも、音と動きがシンクロするだけでこんなに感動するのか、と驚かされる。
その後につづく疾走シーンでは、地面に突き刺さった道路標識や車が、動画で奥へ飛んでいくセンスが素晴らしい。パソコンの小さな画面で見ていても、人間の脳は遠近感を補正して、大きな空間へ飲みこまれていくように錯覚する。だから僕は、「大画面で見ないと迫力が伝わらない」という伝説を、まるで信用していない。たとえ、何億キロというサイズのスクリーンで見ても、画面効果は変わらないだろう。映画という発明は、そこまでバカではない。賢い演出家は、人間の錯覚をちゃんと利用して演出している。
作家たちの、その向上心に僕はいつも胸を打たれる。「登場人物に同情して泣いた」なんてものばかりが、感動ではない。


ガッとふすまが開いて、ボスグループのひとりが吐き捨てるように…中川翔子を苦しめた“理不尽すぎる”いじめ体験

「絵なんて描いてんじゃねえよ! キモいんだよ!」
イジメという常套句に誤魔化されがちだが、これが社会の構造だ。権力を握るのは、ほんの数名。残りの大多数は、彼らのターゲットにされないように無難に立ち回るのみ。それ以外の、オタク的な趣味に逃避している一部は、社会に出ても居場所がない(ゲーム業界が成長して、かなり受け皿が出来たんじゃないかとは思う)。
でも、そもそも人との関りは苦痛なだけ……と中高校生のころに刷り込まれているので、どんな職場にも馴染めない人が多いのではないだろうか。人間嫌いの弱っちいオーラを発散しているから、誰かを支配して抑圧していないと気がすまない人たちには、すぐターゲットにされてしまう。僕がいつも誰かのターゲットにされているらしいと気がついたのは、なんと40代も終わりかけた頃、数年前。

離婚と母の死を経由して、旅行や仕事を楽しみはじめた頃になっても、「廣田って、教室の隅でいじめられてた陰キャの分際でなに楽しそうにしてるの?」と癪に障るんだと思う。オジサン同士なのに、裏から手を回して数人がかりの嫌がらせにあったりした。40代になってもまだ、そんなことがある。
大事なのは、「社会という場所は、そういうクソみたいな凡人たちが組織や決まりで嫌がらせしてくるクソな場所」と認めることだ。現実を直視さえすれば、次に何をすべきか戦略が見えてくるよ。

© 2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会

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2022年9月 1日 (木)

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子ども時代の原風景を探して……石田祐康監督が最新長編アニメーション「雨を告げる漂流団地」にこめた想いを語る
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あの『ペンギン・ハイウェイ』の石田監督、インタビューがかないました。『ペンギン~』は、丘を切り開いた新興住宅地、バスの終点、雷雲のせまる薄暗い喫茶店、空間の設定が素晴らしかったです。



昨日は、アーティゾン美術館と東京ステーションギャラリーへ行った。
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平日昼なのに、なぜかそこそこ人の入っているアーティゾン美術館は青木繁、坂本繁二郎、「ふたつの旅」。悪くなかったけど、この館はコレクション展のほうが予想外の作品に出会えて面白い。
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東京ステーションギャラリーは「東北へのまなざし」と題して、戦前に東北の文化を研究したブルーノ・タウトらの足跡をたどる。その手記は温かみに満ちていて、ガイド役の日本人のメモが時系列で並行するように配置してある。
何より、東北ならではの防寒用の衣装、生活用品が可愛らしく、とても凝っていて、まるで異世界の文化を見ているかのようで、涙腺が緩んできた。こんな視点もあるのかと、おおいに勉強になった。

さて、どちらの施設でも「マスクは?」と言われたのだが、「出来ないんですけど」と答えるだけで見逃してくれた。
「では、ハンカチを口元に」とも言われたのだが、「話してない時もずーっとですか?」と聞いたら、「そうですね……、では話すときだけですかね」と口ごもってしまった。頼む側も、よく分かっていないのだ。


おととい、谷中銀座の奥のだんだん坂で素晴らしい餃子屋に出会ったばかりだが、昨日は丸の内のビルの七階で飲んできた。この時も、一階の車の行きかうバーにもテラス席があるし、そこでいいか?と妥協しかけた。でも、「いや上階にテラス席があるはず!」と探したおかげだ。
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どの店の席……と決まっているわけではない。店は屋内に4~5店舗あり、店頭でワインやビールを買って、テラス席に持っていくことが出来る。まだ15時ぐらいだから夕飲みではないけど、頭の真上には屋根がなくて、直接空なのだ!
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一日おきに飲んでいるので、ちょっと気をつけないといけないのかも知れないが、この雄大な空のもとでくつろぐだけで、人生が豊かに、無限に広がっていく気がする。頭上を過ぎていく雲を眺めているだけで、意識が肉体の制約から解放されていく思いがする。
サラリーマンの男性や、小奇麗なお姉さんがノーパソを広げて仕事していたが、その気持ちはとても分かる。こういう場所でなら、絶対いい仕事ができそう。
いつか、ルーフトップに仕事場が持てると信じている。いま、年収300万に満たない年さえあるのに、一体どうやって?と自分でも思うのだが、必ず運は向いてくる。僕には分かる。

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