■0824■
月曜日は国立新美術館、李禹煥の個展へ。
この画像は購入した絵ハガキをスキャンしたものだが、平面作品のほうが印象に残る。
規則的な点や線を描こうとしているのだが、人力なので途中でブレが出てきてしまう。絵の具も、描きはじめから少しずつ減衰していく。その時間と力の摩耗が、作品として立ち上がってくる。
同じ次元の話で、人間よりも大きな作品には作者の力の痕跡が刻まれやすい。小さな作品には、そうした体感が宿らない。大きな作品には、地球の重力も作用する。
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気分がよくなったので、御茶ノ水駅近くの神田川ぞいのテラス席でビールをやって、さらに信濃町で下車してお気に入りのシェーキーズで続きをやってしまった。
時間も15時ぐらいで早いし、曇り空なのに、ついついクラフトビールを頼んでしまう。翌日の取材は、さすがに二日酔い気味になってしまった。せめて仕事のある日の前は、気をつけないと……。いつも旅行の時は、店で2~3杯(会食の場合は4杯というパターンが多い)、ホテルに帰ってから缶ビールなどを2個ぐらいで、翌日は問題なく遊びに行けるのだが。
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さて、すさまじい猛暑のなかを取材に向かい、今日はマスクを机のうえに置いて「これでいいですよね?」と聞いてみた。一度は口につけてみたのだが、息苦して耐えられなかったのだ。僕はもう、首から「マスクしてます」と書いたカードを下げていても同じだと思っている。
実は、ひとりひとりに聞いてみると、その人なりの性格や考え方に基づいて、マナーとしてマスクをしているんだな……と納得させられることが多い。喫茶店で「俺は形だけマスクね」「日本人は形から入るからさ」と話している人がいて、その感覚なら分かると微笑ましく思った。
なので、そこまで彼らをバカにしているつもりはない。ただ、人間は集団になると怖いのだ。
日本へ入国するための水際対策が、少しだけ緩くなるという。海外旅行しやすくなるので、3回目のワクチンを打とうかと思う……とFacebookに書いてみたら、ただのひとつも「いいね」が付かない。前にマスクについて不満を書いたときも、聡明な皆さんはきれいにその投稿だけ見なかったことにした。
そういうところが、気持ち悪い。「いや、マスクぐらいした方がいいよ?」「えっ、まだワクチン打ってなかったの?」と言ってくれればいいのに、黙って口裏をあわせる感じが、気持ち悪い。SNSってそういうものなんだろうけど……まあ、いいのかな。ずっと孤立して生きてきて、いまも一人で飲んだり旅したりが好きなんだから、お利口な方たちとは、ただ距離をおけばいいだけなのかも知れない。
高校時代、体育の時間ばかりか廊下を歩いているだけで嘲笑されていたことを、最近よく思い出す。大声でバカにしてくるのは、せいぜい2~3人。後の数十人は孤立を恐れて付和雷同するだけであった。あの連中が社会の大多数なのだと考えると、とても納得がいく。
彼らは具体的・積極的な改善策を思いつかず、理不尽なルールに黙って耐えることでしか生存権を獲得できない。悲惨なのは、いじめられっ子ではない。いじめっ子に態度や言動を支配され、保身のため自由を手放した“その他大勢”だったのだ。
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さいきん観た映画は河瀨直美監督の『朝が来る』、口直しに庵野秀明監督『ラブ&ポップ』。
登場人物が何かしら悲劇的な運命を背負い、映画のほぼ半分、泣きながら話す『朝が来る』には、日本社会の陰湿さがぎっしり詰まっているような気がした。
たとえば、新聞販売店の店主が、悩みを抱えた主人公に助け舟を出すシーン。自分の同棲していた彼女が、いきなり投身自殺してしまった過去話をするうち、涙声になってくる。そういう理不尽な悲劇を涙ながらに話すのは、脅迫だと思う。僕もよくその手を使って相手の同情を引き出していたから、よく分かる。若いころ、何も武器がなかったので悩んだフリ、泣いたフリで異性の気をひこうとしていた。
望んだ反応が得られなければ、相手を「冷たい人」と責められる。『朝が来る』の登場人物は、悲劇と涙を武器にして互いに殴り合っているようなもの。小声で「……ありがとう」と万感の思いでささやくような、もったいつけた演技の連続にも耐えられなかった。偽善よりは、みもふたもない悪意のほうがいい。
僕は人間の目に見えない「本質」なんてものを信じていない。目に見えるものしか、信用しない。
ひさびさに観た『ラブ&ポップ』は、学生の自主映画のような好奇心旺盛なカメラワークが気持ちよかった。
女子高生に変態性欲まる出しのオジサンたち、お金目当てであることを隠さない女子高生たちのほうが、涙声で同情をねらう偽善者より、よほど好感をいだける。黙って耐えてないで、自分の欲望を素直に認めたほうがいい。大多数の人にそんな勇気はなく、結果として損をさせられているのだから。人間は平等ではない、勇気のあるものが勝つ。
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