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16年前、雨女さんと観に行った『ハチミツとクローバー』を、プライムビデオで見てみた。
雨女さんはキャバクラ勤務だったので、原則的に飲酒した状態で会っていたはずだが、2人とも素面で2時間もこんな退屈な映画を見ていたのか……というショックがあった。劇団四季の『ライオンキング』を見たあとは、「わたし感動しちゃったよ」と素直な感想を言ってくれたのに、『ハチミツとクローバー』の後はニコリともせずに帰ってしまった。つまんない映画だから、白けたんだろう。
今でも異性は好きだし街を歩いていて「なんと魅力的な人だろう」と振り返って見てしまうことさえあるが、恋愛にはこれといった理想のない自分に気がついた。だから、『ハチクロ』に出てくる片思いの人たちが、結局はどういう状態を望んでいるのか想像できない。
原作漫画を読んだ離婚直後のころは、それなりに作中の恋愛関係にロマンを感じていたはずだ。その映画版に雨女さんを誘ったということは、恋愛図式の中に彼女を配置したかったのかも知れない。
(16年前、アフターで焼き肉屋に行った写真が出てきたので、再アップしておく。右は同じキャバクラに勤めていた彼女の友人。)
むしろ、互いの魅力を認めつつ、どれだけ自由でいられるか、そこに人間の値打ちが出るように今では思える。「相手に介入しない」「だけど尊重している」という意味では、僕はかなりのスキルを体得したと自負している。
あと、磯村一路監督版の『あさってDANCE』も見た。これも、Vシネマで見た1991年当時はドキドキしたものだが、今は恋愛という関係に建築的な未来があるとは思えないんだよな……。
むしろ、主役二人の相思相愛に感づいた裕木奈江が自分からは三角関係に立ち入らない、その大人っぽい判断に感心した。
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一時期は300人ぐらいいたFacebookの「友だち」設定を、また何人か解除した。「そっちはそっちで幸せに生きてください」という程度で、怒りも憎しみもない。冷酷に聞こえるかも知れないけど、他人にそこまでの関心はない。他人を恨んでる暇があったら、自分ひとりで気持ちよくなれる遊びを探す。なにかを悔やんでる時間が、もったいない。
結局、親兄弟という関係は無論のこと、「友達だから」「仲間だから」などの自縛的な考え方が不幸の元凶なんだと思う。「親の前でも言えるのか?」「友達を裏切れるのか?」って言葉、脅迫的にしか使われないでしょ? 僕はそこまで他人を追わないし、追われたくもない。それほど期待もしてないし、急に嫌われても仕方がないんじゃない?としか思わない。裏切りによって金銭的な実害が生じたら、法的手段で解決するのみ。そこで下手に「信頼」なんていう形のないものに頼ろうとするから、面倒なことになる。
モラハラ気質の人は、その形のない感情部分を何とかコントロールしようと付け入ってくる。「信頼」とか「愛情」とかに振り回されている人なら、コントロールは簡単なのだ。
逆を言うなら、不幸な人は例外なく、形のないプライドだとか人間関係を信じすぎている。
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日本への入国規制がようやく緩和されるそうで、海外旅行に希望が持ててきた。
しかし、海外から観光客が増えるため「外国人からの感染が広がりそうで怖い」と言っている人もいるそうで、ようはコロナの正体とは人々の排他感情なんだと思う。ちょっと地方に旅行するだけで「東京からのお客さん、お断り!」と入り口に貼ってある飲食店があった。
「マスクしてください!」という高圧的態度も、他人に対する漠然とした警戒心が形をまとったものに過ぎない。「人はいつか死ぬ」という本質を直視できない。「ひとりも死んではならない」「命は平等だ」などと、幼稚な思い込みの中に生きている。
実際には、一日に3千人も様々な原因で人が亡くなっているのに、そっちは見ようとしない。「コロナで死んだらどう責任とるんですか?」と、他人を責める手軽な道具がほしいだけなんだ。
そして、いまだに「自粛しないとダメ」「感染したらどうするの?」と言っている人は、「明日もしかすると死ぬかも知れない」レベルの、未来に対する漠然とした不安に耐えられないんだと思う。その弱さなら、分かる気がする。
陽性者になったら隔離されるかわりに保険金や大量の食料にありつけるそうで、それだけで生まれて初めて「社会」に救われた気持ちになる貧しさ……それは侮蔑して言うのではなく、僕だって20代のころの底辺アルバイト生活の絶望的貧困状況だったら、飛びついただろう。ほどこしを受けるような形でしか社会に生存を認められたと感じられない……、その感覚なら覚えがある。ワクチンを何回打ちましたと自慢げに話す人も、社会との接点が欲しいのではないだろうか。
要領さえよければ、公的な福祉だけで毎日酒を飲んで、合法的に楽しく生きていけるのではないか、「それで本人が幸せなら問題ないよね?」と僕は思っている。
だけど、それを恥ずかしいと感じたり、知恵が回らない(調べる習慣がない)ため不幸のループに陥っている人が、意外と多いのではないだろうか。そういう人にとっては、誰もが平等に我慢を強いられるコロナという状況は嬉しかったのではないだろうか?
意味のないマスクを我慢して着用することで、誰もがちょっとずつ借金を返したような、「得はしてないけど損は埋まった」ような気持ちになっているのかも知れない。でも、借金は返せてないんだよ。そんな表層的なことをやっているから日本は、不況から抜け出せない。
僕はそういう、「出来てないのにやったフリ」はしたくないんだよ。
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