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2022年8月19日 (金)

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まず、15日は角川武蔵野ミュージアムまで『ファン・ゴッホ ー僕には世界がこう見えるー』。
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月曜なら空いているだろうと思ったら、お盆休みとかで満員電車かと思うほどの混雑。ただ、ワンフロアの一角が丸ごとスクリーンになっているだけで、あとは年表(パネル)を並べた部屋があるだけで入場料2000円。もうひとつ会場があるのだが、そこは無料スペースだった。
マスクしないで入ったら、10秒かそこらで係員が走ってきた。それは前もって知ってはいたからいいのだが、なぜか多くの人は「みんなが集まるところ」へ行きたがる。そっちの方が怖い。わざわざ、縛られる方向へ行きたがる。人気店に行列したがるのもそう。社会心理学的に、何か行動原理があるとしか思えない。マスクを外せない理由も、何か心理的要因があるのだろう。


17日水曜日は、翌朝8時15分から『Gのレコンギスタ Ⅴ 死線を越えて』を見るため、昭島駅前に前泊した。
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現地で居酒屋を探して一人飲みするのは月に1~2度の贅沢なのだが、最近はちょっと回数が増えているかも……。2軒目は我慢して、ホテルでコンビニのワインと缶ビールにした。
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ところが翌日は、徒歩圏内で夕飲みしてしまった。気温はそこそこ低いし、この雨上がりの夕暮れを逃す手はないだろう。
夕陽を見ながら酔うとき、僕は「永遠」を感じようとしている。酒の酔いというものは、小さな死なのかも知れない。思えば、朝までキャバクラを渡り歩く、つまり朝に来てほしくない心境も、死に近づいている。死というと怖いから「永遠」と言い換えている。

それに対してコーヒーを飲むのは僕にとって「継続」であり、その後に仕事をする場合が多い。コーヒーだけ飲んで酒を飲まなかった日は、ちょっとは自分がマシに思える。でも、お店のレビューなどでランチや喫茶のことだけ書いてあって酒に触れてないと、ものすごく退屈な感じがする。それぐらい僕は、正気でいることをつまらなく思っている。


『G-レコ』劇場版シリーズは、富野由悠季さんへのインタビューが何度も重なったせいもあり、深く味わうことができた。
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ロボットや宇宙戦艦のせいで見慣れたルックスになってしまっているのが惜しくはあるが、根底には人間賛歌がある。日常的な芝居の前後を切って、アクションの途中を見せると、画面に映っている以外にも世界が広がっているように見える。 物語の背後に広がる暮らし、ひいては生命を肯定する視点を感じさせる。そこには、ベテランならではの演出技術が息づいている。

富野さんはしばしば、細田守さんをライバル視するような発言をしていたが、僕にはずっと疑問だった。
『竜とそばかすの姫』が配信されるようになったから見てみたけど、あまりに多くの関係者の思惑を盛り込みすぎたせいだろう、いったい何についての映画なのか把握できないほど、プロットがあちこちへ分岐してしまっている。それでいて、内気な女の子がネットの世界では大人気の歌姫になるとか、なんら切実さのない表層的な設定に頼っている。
キャラクターのリアクションが定型化しているのも、非常に気になった。
ここまで辛辣に言うのは、前夜に吉田恵輔監督の『机のなかみ』を見ていたせいもあるかも知れない。


吉田恵輔監督は『純喫茶磯辺』で注目し、次回作『さんかく』も絶対に面白いはずだと友人に伝えたところ、容赦のない人物描写に引いてしまったらしい。『机のなかみ』は両作品よりも前の作品なのに、なぜか見ないままだった。
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イケメン男子に片思いしているのに、その彼女と親友のような立場を演じなくてはならない可愛い女子高生(鈴木美生)が、精神的に壊れていく。父親は高校生になった彼女と一緒に風呂に入りたがり、家庭教師として雇われた青年も彼女に勝手なスケベ心を抱いている。男たちは、まるで頼りにならない。
すべてに失敗した主人公は過去に一度、家庭教師に連れていってもらったバッティングセンターへ、ひとりで出かける。そこで、思いがけずホームランを打つ(アップのカットに効果音を入れて、実にそれっぽく見せている)。しかし、家庭教師の言っていたような景品(テレビ)はなく、アイスかタオルだとセンターの係員の老人が告げる。彼女はタオルを選んで、カメラに背を向けたまま悠然とフレームアウトする。

最後のバッティングセンターの場面は、それまでのドラマとは分離している。直前は、イケメン男子との別れとも未練ともつかない泣きじゃくりの会話劇だった。そこから何の説明もなく、いきなりバッティングセンターへ場面が飛んでいる。服が半袖になっているので、季節も違うのだろう。いわば、ルールが違っている。違うルールの中なら、ホームランぐらいは打てるのだ。テレビは嘘でも、タオルぐらいはもらえるのだ。
勝てない人は、それまで負けつづけたルールの外へ出ようとしない。同じように頭のいい映画の構造には、必ず意味がある。僕は、その意味をつかまえたい。

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