■0808 雨女さんのこと■
先日、離婚のことを書いたので、正確な時期を確かめたくてこのブログを最初まで遡ってみた。2006年2月14日に離婚届が提出されたことを、三鷹のキャバクラにいる時に知ったのだった(半年ぐらい前から三鷹のマンションに部屋を借りて別居していた)。
その年の5月には、吉祥寺のキャバクラに勤務する24歳の調理師(ブログでは雨女さんと呼んでいるが、本名で勤めていた)とお好み焼き屋に行っている。近鉄近くの「まりや」という老舗だ。
確か、雨女さんは給食センターで働いていた。吉祥寺駅で待ち合わせると、「見て見て、新作新作~」と笑いながら現れて、仕事中に出来た小さな火傷のあとを見せてくれた。よく同伴(客と店外で会って、そのまま店へ出勤すること)して、駅で待ち合わせていた。
僕が缶ビールを飲んで待っていたら、横から「のど乾いた」と僕が飲みかけのビールを横取りして、一口飲んだりもしていたらしい(ブログを読み返して気がついた)。間接キスじゃないかと思うのだが、べつに性的な関係ではなかった。キャバクラに来る客は、みんな嬢を落としてセックスしたいんだろうと思うかも知れないが、そんなことは一度も考えなかった。
明け方のラーメン屋や焼き肉屋、吉祥寺の行ってみたい食べ物屋を開拓したり、たまには浅草へ行ったり遊覧船に乗ったり、劇団四季の『ライオン・キング』を観劇したり、8月には『ハチミツとクローバー』の映画に行ったり……と、そんなに仲良くしてたっけ?と、16年前を思い返して驚いた。今年40歳の彼女は、結婚できただろうか?
「いま24歳なら、26歳までに彼氏ができるよ」と、よく僕は根拠もなく言っていた。「もし出来なかったら、責任とってよね」と雨女さんは必ず返した。「いい女じゃん」と誉めると、「いい男じゃん」と僕の肩をポンと叩く。
(吉祥寺の古いピザ屋に行って、机のうえにピザが落ちてしまっても「セーフセーフ」と気にしないように言ってくれたり、そういう磊落な言動も好きだった。)
「ああいう店の女はぜんぶ演技だろ、金目当てだろ?」「あんた騙されてるだけだよ」と遊んだ経験のない男ほど言いたがるけど、まあ、そうやってつまらない白けた人生を歩めば?としか返しようがない。場数を踏むと、「いまのは営業だよね」と分かるようになっていく。その独特の気まずいムード、嘘だと分かっているのに気がつかないフリをする息苦しさを知ってから言ってほしい。
丁寧に、だけど大胆に離婚手続きをやった直後なので、この時期の日記には、すこし寂しいほどの自由な風が吹いていて、自分のことなのに「うらやましい」などと思ってしまう。「これからは自分だけの人生だ」という、悲しいぐらい清々しい解放感……。
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一度など、吉祥寺にあったメイド居酒屋に女性の編集者と雨女さんの3人で行ったことがあった。よりにもよって、仕事相手とお気に入りのキャバ嬢を会わせるのかよ、どういう意図で!?と、我ながら思う。40歳前後のころは、まだ人間に興味があったのだろう。母が死ぬ前でもあるし……。
誕生日でもない時に、何度かプレゼントも貰っている。このクジラの形をしたスプーンは、いまだに使っている。
でも、メイド居酒屋へ行ったことでコスプレへの憧れを告白した雨女さんが、店のハロウィン・デーで安っぽいメイドの格好をして、さらに『ファイナルファンタジー』のコスプレ姿の写真を見せてくれた時、僕は覚めてしまった。「いいじゃん、君の好きなように生きなよ」と言える度量さえなかった。未熟だった。
そのコスプレ写真以降、雨女さんの店へは足が遠のき、僕はくだらない店で嬢の顔すら覚えていられないほど酒に溺れるようになった。雨女さんに熱心に貢いでいたとか「遊びのつもりだったのに真剣に恋してしまった」とか、そういうんでもない。別の店でも遊んでいたから、彼女に固執していたわけじゃない。だったら、そこそこの距離を保って雨女さんと仲良くしておけばよかったのに、僕にはそういう心の広さがなかった。彼女のコスプレ姿を嫌悪してしまった。
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それから後は、中央線沿いのアニメ会社の人に誘われるようになり、キャバクラ遊びのパターンが変化した。
吉祥寺のガールズバーで客の男と仲良くなって、深夜に何度か待ち合わせて、今でも思い返すような楽しい遊びもした。だけど、雨女さんみたいに顔と名前を思い出せる嬢は一人もいない。相手の顔も分からぬほど泥酔しているのに閉店後にデートしようとしつこく誘ったり、見苦しい失敗を重ねるようになった。
しかし、ただ黙って向かい合っていても気まずくならない雨女さんを、しつこく追うようなことはなかった。誰のことも追ったりしなくなったし、追われもしない。昨日も今日も、ひとりで静かに過ごしている。この平穏を手に入れるのに、10年かかった。
何年かしてから知り合った女性に雨女さんのことを話したら、「その子すごく良い人だったじゃない!」と絶句された。どうしてそんな良い人と距離を置いてしまったのか……、というニュアンスだった。「いや、あの人はそういう相手じゃないよ」と誤魔化したように思う。でも、それは嘘だよ。いまこんなにも思い出しているのだから。あの豊かな、気負わない、疲れない、柔らかい関係を。
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