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富野由悠季のアクション演出――「OVERMAN キングゲイナー」に見る単純さと複雑さのバランス【懐かしアニメ回顧録第92回】(■)
単純明快なカメラの動きと、あいまいで混沌とした台詞のかけあいとを第一話から選び出しました。
『キングゲイナー』は居住環境の圧迫という問題、ひとりひとりが役割をこなすべきとする組織論、そして何だか要領を得ない台詞という意味では、富野成分がたっぷりです。他にも、牢獄でのパンと水のやりとりにはネオ・レアリズモを想起させるリアリティがあります。
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横浜、山下公園へ仕事の都合もあってガンダム像を観にいった。
前日、ホテルに泊まったので久々に夕飲みしようと赤レンガ倉庫へ出かけていった。
汗だくになって目当てのレストランに着くと、強烈な西日。なので一杯で退散したのだが、帰りにトイレに寄ってみてギョッとした。その日は、誰でも着るようなTシャツとワイシャツを組み合わせていたせいだろうか、鏡の中の自分の大きすぎる頭、バランスの悪い体形、間の抜けた顔つきがみすぼらしく見えて仕方がなかった。同じテラス席が、リア充の男女で賑わっていた影響もあるだろう。
いつもの、一人で飄々としている僕ではない。みじめな気持ちで猛暑の中をとぼとぼ歩き、中華街で居酒屋やバルを物色するうち、またいつもの自信が戻ってきた。僕は僕でしかない、この逆境をパラダイスに変えるセンスが僕にはある。
しかし、僕はあらためて、生物的な出来損ないなのだと実感させられた。
喫茶店で注文するだけでも「ハイ?」と聞き返されるほど、発音ができない。歌も下手だったので、合唱の練習では隣の男に「オンチさん」と呼ばれて、からかわれ続けた。体育も苦手で勉強もできなかったので、「少なくともアイツよりはマシ」という格好のターゲットとなり、いつも誰かしらの劣等感を糊塗するネタとして使われていた。
でも、その試練があったからこそ、自分の豆電球ほどの能力を活用して、積極的に工夫を重ねて、今のように毎日を楽しく過ごせているのだ。僕の人生は発明とは言えないまでも、一種の開発であることは間違いない。
たとえば、僕なんかと違って体形も顔も良くて、女性にも普通にモテるような人が「廣田さんはズルい」という意味のことを言う。つまり、大多数の人は自分の欠点と正面から向き合う勇気など持ち合わせておらず、まして欠点を克服した人間の存在など許せないんだろう。だから、何とか足をすくって元のいじめられっ子の居場所へ戻してやろうと陰湿な嫌がらせをしてくる人がいる(40歳になっても50歳になっても!)。
でも、僕のような出来損ないを目のカタキにしている、ちっぽけな貴方の完敗だよね……という乾いた感想しか出てこない。
それぐらい、独自なものがない、平均的すぎて克服すべき欠落がないことは静かな呪いとなる。
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コロナ陽性者が大量に発生したそうで、またまた記録更新だという。
「コロナが終わってほしくない人たちの内側を想像してみた。」(■)この漫画には悪意がこもっているけど、よく人間観察ができている。
「みんなが平等に不幸であるべき」と愚直に思い込んでいる人が、とても多い。だから、子供たちをも巻き込んで我慢を強いて、ありもしない平等をつくりだそうと努める。「自分はコロナのせいでつまらない思いに耐えているだけで、本当は幸せなんだ」と思いたい。人生の残酷さを直視できない。自分には致命的な欠点があると認められず、何かの、誰かのせいにして目を背けていたい――。人間の心の動きとして、それは理解できる。
僕の場合は目を背けられないぐらい、欠点が多かった。困難が多すぎた。だから、自分で解決策を探さねばならなかった。それが結果としては、大きなメリットになった。適当に誤魔化して、自分を騙しても、ウソをついていることが意識されて、もっと苦しくなる。だから、正直になるしかない。自分に正直になれば、他人からの不当な扱いには抵抗しようという気概も出てくる。それが勇気になる。
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しかし、どんな理不尽なことを強要されても「決まりですから」とあきらめている人が多い。満員電車、サービス残業……。
僕は絶対にイヤだ。30歳を過ぎるころまで、肉体的にキツい無意味に忙しいバイトをして、その徒労感を「意味のある仕事をした」実感と勘違いしていた。絶対に違う。自分の得意なこと、やっていて楽しいことが、社会にとっても価値のある仕事となるのだ。逆を言うと、納得できない楽しくない仕事を貴方がすればするほど、社会には「我慢して嫌々やったクソ仕事」が垂れ流される結果となる。分かるだろうか?
自分にとって楽しいことを見つけて、その楽しさを世の中に広めよう。それが結果として、お金となって帰ってきて、僕はもっと楽しい体験をする。もっと楽しい仕事が出来る。いろんな話が来ている。こうした良いサイクルを作ったり、作れないまでも乗っかってほしい。コロナのせいになんかする気は、なくなるだろう。それぐらい、人生は無限に楽しくできるぞ。僕が証明している。
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