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頭のデカい悪役ロボは好きですか? 「機甲戦記ドラグナー」の1/144ゲバイ(バンダイ)なら、頭デカいよ!【80年代B級アニメプラモ博物誌第23回】(■)
いつもの素組みレビューです。
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木曜日、どちらかというと仕事上の都合により、市民優待枠でジブリ美術館へ行ってきた。10年ぶりぐらいだろう。
僕は外を歩くときはマスクをしないのだが、入り口で「マスクはお持ちですか?」と呼び止められた。なぜマスクを着けねばならないのか聞いてみると、ややキレ気味に「皆さんにお願いしてますからっ!」とのことであった。
子供たちが遊べる猫バスのコーナーでも、全員がマスクをさせられていた。すっかり気持ちが覚めて、目当ての企画展だけ早足に見て、30分ぐらいで帰って来た。Twitterで調べてみるとジブリ美術館のマスク強制は悪名高く、3歳以上は必ず着用なのだという。
メールで「科学的、医療的な根拠は?」と問い合わせてみたが、返事はない。
コロナが流行る何年も前の話である。SNSで「風邪が治ってきたので、ちょっと近所までお買物」と書いた人に対して、「ムッ! 風邪は治りかけが肝心ですぞ」「気を緩めないように!」など、上から𠮟りつける人が結構いた。ようは、コロナ騒動の本質ってそれでしょ? 病気をダシにして他人に言うことを聞かせたい、上に立ちたい、自由を制限したい。仲間外れをつくりたい。でも、そういう空虚な上下関係や圧力によって、社会が維持されてることも間違いないと思う。
「コロナ」の部分に、いろいろなものを代入して、憎悪と排除を正当化してきたんだろう。
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小学校5~6年生のとき、担任教師が「先生は仕事があるので、次の一時間は好きなことしていいぞ」と言った。
驚いたことに、40人ぐらいの生徒は僕以外全員、ドッジボールをするために校庭へ駆け出して行った。僕は教室に残り、一人で『ミクロマン』のイラストをコツコツと描いていた。
たぶん、本気でドッジボールをやりたかったのは数人だったと思う。あとの何十人かは空気を読んで、仲間外れにならないために参加したに過ぎないだろう。それが社会なんだと思う。みんな、そこまで本気で考えていない。みんなが「いい」と言う映画を見に行って、なんとなく「いい」気持ちに染まっている。そのまま平凡に歳とって、なんか不都合ある?という話だ。
僕はドッジボールどころか、体育や運動が致命的にできなかったため、自分で楽しみを探すしかなかった。小学校高学年で『ミクロマン』なんて買っていたので、「まだそんなオモチャ買ってるの?」「幼稚だね」と言われた。そう言っていた彼が中学生になり大学生になり、他人に合わせながら自分を殺して、少しでも得するために四苦八苦していたのを、僕は知っている。自分独自の楽しみや生きがいや価値観を見つけられず、周囲に合わせるのに終始している人のほうが、実は社会の圧倒的多数なのだ。
「地域の仲間」とかさ。「同じ学校の出身」とかさ。何も見つけられなかった人が最後に頼るのが、「組織」「決まり」なんだ。それは不思議なことではない。バカは理不尽な決まりが好き。決まりにさえ従っていれば、どんなバカにも生存権が与えられる。
決まりに従えないバカは、自分の居場所を自分で作るしかない。僕という人間は、その記録なのだ。
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