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2022年3月30日 (水)

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プライムビデオで、ヴィム・ヴェンダース監督の凡庸な人間ドラマ『誰のせいでもない』とラース・フォン・トリアー監督の『アンチクライスト』。
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タイトルで損をしているが、『アンチクライスト』は、CM映像のように人工的かつ淫靡で暴力的な冒頭シーンから魅了された。
以降、手持ちカメラを主体とした会話劇はドキュメンタリーのようにところどころでコマが飛んで、緊張感を持続する。かと思うと、登場人物が空想する風景は、精神病者が描いた絵のようにシュールで不自然。その自由闊達で傍若無人な表現の幅広さに、僕は憧れる。

ウィレム・デフォーとシャルロット・ゲンズブールの夫婦が病室で会話していると、カメラが窓際の花瓶へ寄っていく。花瓶に満たされた水は澱んでいて不潔だ。しかし、カメラはゴミの浮いた汚らしい花瓶を「これでもか!」と言わんばかりの超クローズアップで捉える。容赦がないし、臆さない。これから映すのはすべて汚なくておぞましいものばかりだが、決してウソはつかないという宣言だ。
悪趣味でもいい、豪胆で勇気のある堂々とした作品や人が好きだ。


下着以外の衣類は、近所のクリーニング店で洗ってもらうことにしている。
ごくたまに店が混んでいて、外で待たされることもある。本日は、小太りで赤いフチの眼鏡をかけた女性客が店内にいるのに気がつかず、店に入ろうとしてしまった。こういう場合、「待たせてすみませんでしたね」と丁寧に謝る客もいれば、ちょっとだけお辞儀して去っていく客もいる。今日の客は、(僕が後ろから入店したのが癪に障ったのかも知れないが)何分もかけて長々と値引き交渉した末、こちらをチラリと一瞥して去っていった。
僕がシャツ2枚とスラックス1枚を預けて店を出ると、すぐそこの信号で、先ほどの小太りの女性がスマホを見て待っていた。青信号になったのに、スマホに熱中したまま動かない。僕が後ろから追い抜かすと、その女性はハッとして、思い切り速度をあげて抜き返してきた。言っちゃ悪いんだけど、人生全般で負けてるから、こういう些細な場所で勝とうとして頑張るんだろう。

この一件から、「歩きスマホする人は傲岸不遜」と、あらためて認識できた。


たとえば、あるイベントがもうすぐ終了だと告知されると、「行くつもりだったのに~!」と恨みごとを書く人が必ずいる。
その人は、そもそも行くつもりなんかなかったんだと思う。ただ、終了を告げられて「一方的に不利益をこうむった」構図を捏造することで、「権利を侵害された」自分を演じているに過ぎない。もともと自分は権利など持っていないと心のどこかで分かっているから、終了告知を利用して「俺には確かに権利があったはずなのに、こうやって強制終了させられたおかげで、せっかくの権利を失ってしまったじゃないか」と自分を偽る。実際には、最初から今にいたるまで、何の権利も持ってないのだ。
人生の不満は、たいていこの構造を持っている。

学歴も職歴も自慢できないネトウヨの人は「俺は日本人であって、日本人として正当な権利を享受できるはずなのに、在日外国人のほうへ権利が不当に流れてしまった」という仮想のストーリーを構築して、「はなっから何も権利がない」自分を直視すまいとする。
この誤魔化し、合理化はたいていの人がやってしまっていると思う。「●●大学の■■科を卒業したのに、どうして結婚相手が見つからないんだ?」と不満をのべる中年は、異性にとって魅力がないから結婚に恵まれないだけであって学歴は関係ない。「学歴のせい」という仮構によって、魅力のない自分を磨くチャンスを失っている。

もし、権利というものがボーナスのように与えられる一方のものだとしたら、たいしたものではない。
自分で工夫して、ひとりでコツコツと戦略を練って手に入れたものは、一生使える。そのことを知らないまま、「権利をもらえなかったせいだ」「権利を奪われたせいだ」と呪いながら死んでいく人が大半なのかも知れない。権利は、自分でつくれる。誰かから与えてもらえるのを待っている時点で負けだろう。

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2022年3月26日 (土)

■0326 ポーラ美術館~国立新美術館~森美術館~東京国立近代美術館~東京都現代美術館■

旧キットの金型改修で爆誕した1/144ザク・マリナーを組み立てたら、「機動戦士ガンダムZZ」の混沌ワールドに溺れかけた!【80年代B級アニメプラモ博物誌第20回】
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いつもの連載コラムです。

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22日に小田原駅前に泊まり、翌朝一本きりの直通バスで、ポーラ美術館へ向かった。
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林の中の遊歩道は、雪のため閉鎖されていた。よって、林の中に展示してあるという作品には出会えなかった。
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しかし、質感に富んだロニ・ホーンの作品は、ゆったりと空間をつかって展示してあり、雪明りの差し込む半地下の建物にも満足した。
「水の風景」と題して、モネの作品を水をキーワードに集めた展示はロニ・ホーンのモチーフとの共鳴を狙ったもので、その意図の明確さに気持ちがよくなった。いわば、印象派は添え物だ。美術館全体を堂々とひとつのコンセプトが貫いている。これが正しいのだと思う。
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365日、大晦日も元旦も休まず営業しているという(近隣の温泉から足を運ぶ客がいるのだろう)。しかし、こんな山奥のカフェの食材は誰が運んでくるのだろう? こんな都会を離れた寂しい美術館で働くのは、どんな気分だろう?
直通バスは確かに数えるほどだが、この一帯に温泉や遊楽施設が点々としており、スマホでパスポートを提示して路線バスを乗り降りする客もいた。乗り換え場所さえ間違えなければ、簡単に小田原駅まで戻ってくることが出来た。

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東京へ戻ってきた翌日、24日は国立新美術館へ向かった。
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ダミアン・ハースト展は、似たような桜の絵ばかりで、開放的な空間を構成している。しかし、「えっ、これだけ?」と拍子抜けするような物足りなさがある。
もうひとつのメトロポリタン美術館展は、行列が出来ていたので素通りするつもりだったが、空いてきたようなので入場してみた。
しかし、この手の「〇〇館展」はパッケージ化されて巡回しており、美術館サイドが企画したわけではないという。まして、新美術館は収蔵作品がなく、小屋を貸すだけの美術館だ。だから、この日も場所を借りて素人の作品を展示する公募展が二つもあった。

カフェに寄ると、いかにも俗物な画家きどりの老人が、若い女性相手に「あいつは美大出身で、俺が絵の勉強を見てやった」といったホラ話を得意げに吹聴している。
そうした通俗的な雰囲気が、メトロポリタン美術館展には濃厚に立ち込めていた。みんなもっともらしい顔で小さな絵を食い入るように見つめていたが、本当にいいと思っている? お互いに顔を見合わせて感心したようにため息なんてついているけど、ポーズだけなんじゃない? こういう権威にまみれた企画を「つまらない」と言うには、それなりに勇気がいると思う。


白けた気持ちを少しでも消し飛ばしたくて、そのまま陽光に照らされた六本木の街を横断して、森美術館へ向かった。
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Chim↑Pom展。彼らの作品は二つほど見たことがあって、覚悟はしていたのだが、高校の文化祭レベルだった。
権威や道徳を蹴破って乱暴に表現するとしても、技術は問われると思う。彼らの作品……というよりガラクタは、とにかく汚い。下手くそなだけだ。お客さんの半分は呆れていたが、もう半分は熱心に写真を撮っていた。悪いけど、最上級の美術展を見たことがないんだと思う。
福島原発や原爆ドームをモチーフにするとしても、「そうでもしないと注目してもらえない」薄っぺらさと余裕のなさが感じられる。そして、こうした批判からも「ほらね? そう言われることも最初から織り込んであるんですよ」と逃げているような、「本気でない」ムードが感じられて、すっかり不愉快になった。

先ほどのメトロポリタン美術館展もそう。芸術になんて本気で興味があるわけじゃないのに、自分を騙して、それっぽく取り繕ってしまう。「自分は凡人とは違うんだ、感性が優れているんだ」と思い込んでしまう。人生に待ち受ける罠のなかでも、これはなかなか厄介と思う。


さて、どうしよう? まだ昼過ぎだ。海や川が近いわけでもないし、飲む気にはなれないので、どこか喫茶店へ行こうか?
高校のあった国立競技場の近辺はよく歩くが、原宿方面がにぎやかな感じがして、前から気になっていた。
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まず商店街の入り口に神社があり、その向こうには怖気づいてしまうほど洒落た店舗がポツポツと立っている。
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駐車場のようなところに、真っ白なプレハブの小屋があって、「なんの店舗だろう?」と近づいてみたら、扉をあけてショートヘアの快活そうな女性が歯を磨きながら出てきた。まるで、ヌーヴェル・ヴァーグの一場面のようだ。
そこから先は、不思議な気分だった。脳内物質が不均衡になり、認知能力が鈍ったせいだろう。道行く人々が、みんな洒落た格好に見えるのは場所柄かも知れないが、誰もが映画のエキストラのように「よーい、スタート」で演技をしているように感じられるのだ。
人物だけでなく、建物もすべてがセットのような、表面だけのハリボテに見える。それは多少不気味ではあったが、どちらかという気分がいい。酩酊しているような感じであった。すべてが音楽のように調和していた。
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グーグルマップで調べてみると、駅の反対側に、テラス席のあるカフェが見つかった。
川沿いでも海沿いでもないが、流れるような車の列をながめて、右から新宿御苑の鳥の声、左から高架を走る中央線の音の聞こえる都会らしい環境が、今の気持ちにマッチしていた。
クラフトビールを二杯飲んで、帰宅した。あの酩酊した気分には、なかなか戻ることが出来ない。

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翌日、25日は朝から東京国立近代美術館へ向かった。
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鏑木清方展。日本画で美人画なんて興味なかったはずだが、漫画やアニメに通じるような生き生きとしたスケッチには、心をつかまれた。
大きな絵では着物の柄はパッキリと明快に塗り分けてあり、女性の顔はうっすらと透き通るように、まったく別の描き方をしている。技術が、すなわち説得力なのだ。

また、会場の章立ては「生活」「物語」とテーマで追ってきて、第三章で「小さく描く」と絵のサイズへと視点を変えている。その明快さ、大胆さも気持ちがいい。
コレクション展も、気をつけてみると技術に秀でたものが多い。


竹橋から木場へ、バスを使って東京都現代美術館へ。なんと四つも展覧会があるが、すべて観る。
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井上泰之展、吉阪隆正展。特撮も建築も、ただ図面や写真の羅列になりかねない。後者は、建築模型の向こうに実寸大に引き延ばした図面を配して、さらに本人の写真もライフサイズで壁に貼っている。
しかし、どちらも「なるほど、考えたな」という印象。この美術館では、過去に石岡瑛子やミナ ペルホネンなど、興味の範疇外から一気に胸に飛び込んでくるような優れた展示があった。


さて、コレクション展はあまり変わり映えしないのではないか、だからこそハズレのない安心感を抱いてもいるのだが、中西夏之の抽象画が貼られていて、まずはこれが良かった。
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適当に模様を描いているのではなく、色の選び方が洗練されている。
撮影禁止だったが、宇佐美圭司の抽象画も、同じように完成度の高い作品だった。これだけで、十分に満足のいくものだったが、入場無料の展覧会もあった。
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藤井光の、木板や絨毯などの素材を等間隔にぎっしりと部屋に敷き詰めた作品。空間ごと体験する、有無を言わさぬ作品を無料で見られるのは凄い。
もう15時近く、少し日が傾いてきた時間に若いカップルが入り口でチケットを買っていて、「こんな時間から観るのか、もう一日も終わるのに……」と勝手にセンチメンタルな気分になってしまった。曇り空の下、小さな公園で親子が遊んでいても、似たような気持になる。そういう寂しい雰囲気が、僕は好きなのだと思う。


さて、木場近くのケバブ屋にテラス席があると知った。川沿いなので迷わず寄っていこうと思ったのだが、小さなテラスは橋のすぐ近くで、近所の人が自転車で通るような落ち着かない場所だ。
それと、隣のセブンイレブンの前で、中年男が一番安い缶ビールを買って、路上にしゃがんで飲んでいた。あの男と僕と、何が違うんだろう? こんな場所で妥協してはいけない、茅場町から数分のところにビル4Fのテラス席があると聞いていたので、そこを目指す。

ところが、時間帯が悪い。ランチは15時まで、ディナーは17時からという店ばかり。
グーグルマップを必死に調べて、茅場町から秋葉原へ移動、浅草橋近辺のテラス席を片っ端から当たるが、川沿いではなく歩道に面していたり、どこか今ひとつだ。ヘトヘトになってしまったが、ここまで来たら両国へ行くのも同じだと思って、隅田川の向こうのイタリア料理屋を目指す。ところが、その店もランチとディナーの中休み。これはもう、飲まずに帰れという神のお告げなのだろう。

しかし、いつか浅草橋での取材のときに、川の向こうに見えた灯りが気になっていた。確か、水上バスの発着場だ。
そこを目指して横断歩道を渡りエスカレーターで登ると、なんとテラス席のレストランがあった! こういう時の自分の勘というかツキは、なかなかのものだ。
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疲れていたので、素直に「ビールとナッツじゃダメですか?」と言えた。ボーイは「軽食ですか? メニューには載っていませんが……」とクラフトビールを紹介してくれた。もちろん、それにする。そこでしか飲めないものを必ず選ぶ。「いつもの安い生ビールでいいや」などと妥協はしない。
一食4,000円という高級店だが、トータル1,700円ほどですんだ。


最近観た映画は、『クリムゾン・タイド』、『フォレスト・ガンプ/一期一会』。

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2022年3月22日 (火)

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モデルグラフィックス 2022年 05月号
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河森正治さんのインタビューのみ、依頼されて担当しました。
連載が終わっても、なにかと頼りにされるのは、有り難いことです。


“変身”とは、物語に挿入される新しい物語――「劇場版 美少女戦士セーラームーンR」で何が起きたのか?【懐かしアニメ回顧録第88回】
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このコラムは何度も作品を見て、メモをとっているうちにテーマが見つかって、その頃には2日ぐらいしか時間がなくなっているので、いちばん書けそうなテーマでまとめています。
20代のときに『狼男アメリカン』の変身シーンが長い意味を考えた評論を読んで、アニメの変身シーンに応用して考えられないか、ずっと考えていました。これから何度でも考えたいと思っています。


【アーカイブ】メカデザイナーズサミットVol.08
大河原邦男×ストリームベースがガンプラを語る。
1979年アニメ放送からガンプラ発売、当時の熱狂的なブームになにがあったのか!
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昨年、司会をやったトークイベントがアーカイブ化されたので、ぜひご覧ください。
出演は、大河原邦男さん、小田雅弘さん、川口克己さんです。


さて、みぞおちの辺りに違和感があるので、大病院へ行ったら90分も待たされた話を、前回書いた。
数日して、今度は消化器科の町医者へ、予約せずに行ってみた。
すると、「お待ちいただきますよ。一時間ぐらい」とのこと。最初に分かっていれば、ぜんぜん気にならない。空いている静かな待合室で本を読んでいると、きっかり一時間で呼ばれた。こういう仕事を段取りがいい、というのだろう。
医者は、声が大きくて的確なことしか言わない優れた人物だった。エコー検査をやってもらうと、膵臓はよく見えないが、肝臓は通常の大きさ(あんなに毎日飲酒していたのに)。膵臓ではなく、胃酸過多なだけかも知れないので、胃酸を押さえる薬を出してもらって、すっかり足取りが軽くなった。

井の頭公園まで歩いて、喫茶店へ行く。なんと、2軒もハシゴ喫茶してしまった。
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コーヒーカップとスプーンが、和風になっている。
いつも静かな店内では、若いサラリーマンたちが熱心に仕事の話をしていた。「この世の中、そんなにバカばかりでもないんだな」と明るい気持ちになる。
そして、一滴も飲まずに帰宅し、スーパーで安酒を買って部屋で飲むのもやめた。気分のいい、解放されたときに飲むだけにしよう。


昨日は、アーティゾン美術館「はじまりから、いま。 1952ー2022 アーティゾン美術館の軌跡—古代美術、印象派、そして現代へ」へ。
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具象的な絵や印象派よりも、緻密な模様を描いただけのような抽象画に心打たれる。
僕は「同じ絵の前で、3時間も4時間も座っていた」という神話を信用していない。アニメの資料系の展覧会で「5時間会場にいた」という話を聞いても、同じ内容の資料集があれば、それで済むよね?と思ってしまう。数字で、作品の重みを表わすのが好きではない。
どんなに心打たれたとしても、客観的な時間でいうと、数分しか絵の前にいないと思う。見た後のすべての時間、死ぬまでの何年もが刷新される、そっちの事実が重たい。どのように展示されているか、どんなタイミングで見たのか、場所や時間との関係を度外視できない。何度も見た絵が隣に飾られていると、印象はまるで異なる。

「画面が大きいから映画への没入感が増す」とかいう話も、まるで信用していない。
優れた映画なら、スマホの大きさでも臨場感を演出できる。それが表現だと思う。


最近観た映画は、『オーシャンズ11』、『42 世界を変えた男』、『アポロ13』など。

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2022年3月17日 (木)

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ガメラのプラモデルは、まさかの1/700スケール!? エクスプラス「少年リック」の目指す、プラモデル製モンスターたちの理想郷【ホビー業界インサイド第79回】
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オーロラやブルマァクは詳しくないのですが、スターログとビリケン商会はドンピシャなので、素晴らしい内容のインタビュー記事になりました。


長年の飲酒癖のせいだと思うが、膵臓のあたりに違和感があるので、いつも健康診断してもらう内科医へ行った。
すると、近くにある大病院への紹介状を持たされたのだが、これが久々に酷い体験だった。とにかく、待たされる。予約時間の30分前に来いと言われたのに、トータルで90分も待たされて、ようやく診察。
血液検査へ回されたが、これがまた順番が回ってこない。胃カメラの予定を組んでもらっていたが、この調子で毎回何時間も削られてはたまらないので、すべてキャンセルした。看護婦さんは「では、今日の診察代だけでも払っていってください」とキレ気味に言うのだが、支払い用のレシートが出てくるまでが、また長いんだ。

帰ってから調べてみると、その病院は4~6時間も待たせることで有名なようだ。
なのに、みんな医者にペコペコしすぎだと思う。仕事を遅れさせる……、これはどんなバカにでもできること。予定どおりに終わらせるには、プロ意識を高く持って、他人の気持ちに配慮して、問題を察知して具体的に行動しなくてはならない。だが、ほとんどの人はボーッと人生を過ごしているんだと思う。


医者もそうだし、政治家も「誰かにやってほしい」依存心を喚起する職業だと思う。必然的に、彼らはだらしなくもたれ合って、醜い堕落のしかたをする。本質的な問題意識をもたず、似たレベルの者同士で安心しようとする。些末なことを針小棒大に騒いで、さも仕事をしてますというポーズだけとる。自分を騙して、問題から目をそむける。
僕は、グズに仕事や娯楽の時間をつぶされるのはまっぴらなので、病院を出て一駅歩き、テラス席でビールを飲んだ。
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僕は、待つために生きているんじゃない。楽しむために生きているんだ。ただし、今までのように部屋でだらだら飲むのはやめて、外で飲むような時間があるときに1~2杯とする。そして普段は、キャベツと大豆を大量に食べるようになった。
病院で待たされる人生ならば、好きなときに酒を飲んで早死にしたほうが理想的だと思う。「ただ死なないでいる」ことの何が幸せなのだろう? 死ぬことって、そんなに悲惨で忌むべきことなのだろうか?


ようやく、レンタル配信で『DUNE/砂の惑星』を観た。
まず、2時間半も映画館のシートに縛りつけられたくない。なので、ちょいちょい席を立てる自宅のほうがいい。あと、「上映が終わると禁断症状が出る」といった首をひねるような宣伝会社の煽り方に疑問をもった。「映画体験」という言葉にも、本質的ではない誤魔化しを感じる。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、僕と同い年だ。J・J・エイブラムス監督も同い年なのだが、彼らは80年代の青春時代に観たSFX娯楽大作を否定できず、同世代のファンから「イメージと違う」と怒られることばかり恐れている。
『DUNE』は、デビット・リンチ版をシックにリメイクしただけで、何も新しいビジュアルがない。旧作のギルド・ナビゲーターのような、監督の趣味まる出しのクリーチャーも登場しない。ホドロフスキーが構想していた『DUNE』のように、満艦飾で祝祭的な、見る人を選ぶような強烈な美意識もない。ただひたすら、リンチ版『砂の惑星』を映画館で観た同世代からのブーイングを怖れて、当たり障りのない表現にとどまっている。
80年代に中高校生だった世代の、原体験を裏切れずに永遠のファンに留まる態度は、一種の病だと思う。現在の中高年が、過去に裏切られて傷つくことを恐れすぎるのかも知れない。

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