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「オヤジの乗る80’sロボット」は、やっぱり最高! クラウンモデルの1/130機甲猟兵スカーツを素組みして確信した!【80年代B級アニメプラモ博物誌第19回】(■)
クラウン製の低価格キットを組み立てて、詳細にレビューしました。オヤジのフィギュア付きプラモは、やっぱり最高です。
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“どこかで見た突き刺さる写真を見て『負けない!』ではなく『同じモノを撮りたい!』と考える人の方が多いらしい。そして、その現場に行って○○と同じ一枚を撮らせろ!当然だろ!と噛み付く者がいる。”(■)
鉄道マニアに関する一連のツイート、非常に納得させられた。このツイートをしたご本人は、時間をかけて偶然を待ち、オリジナリティのある写真を撮っているようだ。それを見たマニアが、そっくり同じ条件で写真を撮ろうとする。
「他人と同じものが欲しい」「他人とまったく同じ思いがしたい、それが権利だ」……一方的に与えられたい 、常に自分が優遇される客の側だと思っている。自分から探さない、自分では選ばない。誰かの探してきたもの、選んできたものを享受したい。
人気ラーメン店に行列してボーッと待っていて、店員に言われた席に座っただけなのに「自分で選択した」気分を味わいたい人たちの心理も、これで説明がつく。あるいは、映画の印象や読解は人それぞれの経験や認識で左右されるというのに「ネタバレ注意」で、正解をひとつに固定しようとする心理。「ネタバレを読んだから、その映画の意味は分かった」と、思考や経験を軽視する態度。
時間と手間をかけて価値観を熟成する楽しみを知らない。自分は客だから、「面倒なこと」をスキップして成果物だけ得る権利があると信じている。それが貧しさだと思う(お金持ちがデザインや質を確かめず、誰が見ても高額だと分かる記号としてブランド品を買う。それも貧しさだ)。
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もうひとつ、気になっていることがある。
YouTubeなどのコメント欄に「いち」「1コメ」などと書きこむ人。2ちゃんねるの盛んだった時代から、単に「最初にコメントした」ことを自慢する人がいたと思う。調べていてもなかなか出てこないのだが、確か凶悪事件を起こした若者が掲示板のスレッドで「1コメ」をとれなかったことで激怒したという逸話もあったように思う。
簡単な方法で評価されたい者は、簡単なことで傷つく。自分独自の価値観がない。自分が何をしたいのか、本当は何が欲しいのか追求していない。
僕は体育が苦手で、いつも校庭の隅に居残りさせられ、中学へ進むと学校の授業にほとんど着いていかれず、100点中「5点」などという成績で、だんだんクラスのみんなに嘲笑われるようになった。
でも、何も得意なものがないから自分だけの楽しみを見つけようと必死にもなったし、ずいぶんと回り道をした。20代が終わるまで、猛烈なコンプレックスに苦しんだ。それは誰にも再現できない、僕だけの苦悩だ。その苦悩の中から、自分を満足させられる価値観を組み立てて、今でもそれに手を加え続けている。他の人にはつまらなくても、僕には圧倒的に面白いものが沢山ある。その変態的といってもいい孤高の価値観が、僕の武器だ。
だから、「廣田さんだけズルい」と言われても困ってしまう。クラスのみんなに合わせて生きてきた人は、それなりの人生になってしまう。中年になると、自分の平凡さに気がついて焦りはじめるのかも知れない。物事を疑って探求する人は、世の中の3割ぐらいしかいないんじゃないか。
漫画『ホーリーランド』の主人公がボクシングを始めたのは、「抵抗しないと自分の居場所がなくなる」ことが理由だったと思う。
孤独だろうが屈折していようが変態だろうが、自分が自分になるため、自分を作り上げるための材料だと思えばいい。どんどん探して、どんどん壊して、また組み直せばいい。
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最近観た映画は『ホテル・アルテミス』、『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』、原一男『さようならCP』。