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2022年2月27日 (日)

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問いかけては裏切られる謎解きの面白さ――「東京ゴッドファーザーズ」を“推理ドラマ”として振り返る【懐かしアニメ回顧録第87回】
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12月も25日を過ぎた寂寥とした年末のムードに浸りながら見ると、外界の空気と劇中の景色が溶けあったような不思議な気持ちにさせられるアニメ映画。
しかし、時間がない中で書こうとするとプロットの巧みさを指摘するのが精一杯で、構図やカット割りがどう機能しているかに踏み込めなかった。「物語」は誰もが読解できるが、「演出」は見えない人には見えない。『インディ・ジョーンズ』で、床に空いた大穴が実はトリックアートで、穴などなかったことを示すショットがある。カメラが横に移動すると画角が変わり、床の穴が錯覚であったと判明するのだ。「演出」とはそのように、観客から見えないよう仕掛けられている。

「物語」はセリフさえ聞き取れれば、誰にでも了解可能だが、「演出」は表層を疑いながら、再び表層へ戻って捉えなおす粘り強さが必要だ。知識も、野心も。何より、誠実に、正直にあらねば「演出」を見つけ出すことは出来ない。


最近観た映画は、原一男監督の『さようならCP』と『全身小説家』。
前者は脳性まひの人たちを丹念に撮ったもので、一時間半の間、字幕なしで彼らの話す言葉を聞きとるよう努めねばならない。
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最初は、彼らに対して嫌悪感がある。だが、彼らが懸命に話すので、何を言おうとしているのか理解しようと努力しはじめる。その過程が、この作品の本質なのかも知れない。
途中、脳性まひの男性の結婚相手が登場する。彼女も脳性まひのようだが、四肢はしっかりしていて、表情と言語に独特のこわばりが見られる程度だ。だが、かなりの美人である。その個性的な美しさは、彼女が障害を抱えているから表出するものではないのか? あの身体の緊張こそが、美しさを形づくっているとは言えないだろうか?
彼らから「障害」という外見的なフィルターを取り除いたら、そこに彼らは残っているのだろうか。僕たちだって「障害」に相当する何らかの屈折したフィルターを被ったまま、「これが普通なんだ」と固く信じて生きているに過ぎないのではないか?

彼らなり僕たちなりを「普通」に矯正したら、もはや「普通」という基準は機能しない。


『さようならCP』の挑むような作風に対して、『全身小説家』は生ぬるかった。
世間から疎外される障害者たちと、いつも大勢のファンに囲まれている有名な小説家とは、正反対に感じられる。しかし、本当にそうだろうか? 
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小説家・井上光晴は、自分の人生を劇的に見せるため、多数のウソをつく。
すると、映画の前半で井上とどんなに親密にしているか、うっとりと語っていた女たちの空々しさが浮かび上がってくる。新年や誕生日など、何かと集まりをもって、酔っ払って男性を怒鳴ったりする井上。周囲から「まあまあ」となだめてもらい、年長者からご機嫌をとってもらう。ああいうドロドロに濃密な環境でないと生きていかれない人生は、僕からすれば地獄だ。
でも、大勢に囲まれてにぎやかに酒を飲むことを人生の成功だと信じてやまない派手好きな男たちは、ウソをついてまで人々を周囲に置いておこうとする。僕は、そこまで他人を追わない。


井上を見ていて思い出すのは、漫画『僕の小規模な失敗』の中で福満しげゆきさんが描いていた、ミュージシャン志望の青年だ。
カッコよくて才能があって、いつも異性にモテる青年は簡単に満たされてしまうので、そこそこの人生で充足してしまう。そんな浅い自分を認めたくないから、いつまでも「武道館でライブしたい」などとリアリティのない夢を語って、ミュージシャン志望でいつづける。
その「ミュージシャンになりたい」という根幹のアイデンティティが、丸ごとウソなのだから苦しいに決まっている。挫折の痛みを知らないので、「まだミュージシャンになれない」という欠落を捏造して、自分を騙しつづける。

そんなウソで底上げした人生を苦しまぎれに生きるぐらいなら、大怪我をするぐらいの挫折を経験したほうが絶対に幸せだし、欠落を欠落として受け入れたほうが堂々と生きられることを、僕は知っている。
「ウソをつかなくてもいい」、これに勝る幸福はない。風のように自由であること、それが何より大切だ。

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2022年2月23日 (水)

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「オヤジの乗る80’sロボット」は、やっぱり最高! クラウンモデルの1/130機甲猟兵スカーツを素組みして確信した!【80年代B級アニメプラモ博物誌第19回】
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クラウン製の低価格キットを組み立てて、詳細にレビューしました。オヤジのフィギュア付きプラモは、やっぱり最高です。


“どこかで見た突き刺さる写真を見て『負けない!』ではなく『同じモノを撮りたい!』と考える人の方が多いらしい。そして、その現場に行って○○と同じ一枚を撮らせろ!当然だろ!と噛み付く者がいる。”

鉄道マニアに関する一連のツイート、非常に納得させられた。このツイートをしたご本人は、時間をかけて偶然を待ち、オリジナリティのある写真を撮っているようだ。それを見たマニアが、そっくり同じ条件で写真を撮ろうとする。
「他人と同じものが欲しい」「他人とまったく同じ思いがしたい、それが権利だ」……一方的に与えられたい 、常に自分が優遇される客の側だと思っている。自分から探さない、自分では選ばない。誰かの探してきたもの、選んできたものを享受したい。

人気ラーメン店に行列してボーッと待っていて、店員に言われた席に座っただけなのに「自分で選択した」気分を味わいたい人たちの心理も、これで説明がつく。あるいは、映画の印象や読解は人それぞれの経験や認識で左右されるというのに「ネタバレ注意」で、正解をひとつに固定しようとする心理。「ネタバレを読んだから、その映画の意味は分かった」と、思考や経験を軽視する態度。
時間と手間をかけて価値観を熟成する楽しみを知らない。自分は客だから、「面倒なこと」をスキップして成果物だけ得る権利があると信じている。それが貧しさだと思う(お金持ちがデザインや質を確かめず、誰が見ても高額だと分かる記号としてブランド品を買う。それも貧しさだ)。


もうひとつ、気になっていることがある。
YouTubeなどのコメント欄に「いち」「1コメ」などと書きこむ人。2ちゃんねるの盛んだった時代から、単に「最初にコメントした」ことを自慢する人がいたと思う。調べていてもなかなか出てこないのだが、確か凶悪事件を起こした若者が掲示板のスレッドで「1コメ」をとれなかったことで激怒したという逸話もあったように思う。
簡単な方法で評価されたい者は、簡単なことで傷つく。自分独自の価値観がない。自分が何をしたいのか、本当は何が欲しいのか追求していない。

僕は体育が苦手で、いつも校庭の隅に居残りさせられ、中学へ進むと学校の授業にほとんど着いていかれず、100点中「5点」などという成績で、だんだんクラスのみんなに嘲笑われるようになった。
でも、何も得意なものがないから自分だけの楽しみを見つけようと必死にもなったし、ずいぶんと回り道をした。20代が終わるまで、猛烈なコンプレックスに苦しんだ。それは誰にも再現できない、僕だけの苦悩だ。その苦悩の中から、自分を満足させられる価値観を組み立てて、今でもそれに手を加え続けている。他の人にはつまらなくても、僕には圧倒的に面白いものが沢山ある。その変態的といってもいい孤高の価値観が、僕の武器だ。
だから、「廣田さんだけズルい」と言われても困ってしまう。クラスのみんなに合わせて生きてきた人は、それなりの人生になってしまう。中年になると、自分の平凡さに気がついて焦りはじめるのかも知れない。物事を疑って探求する人は、世の中の3割ぐらいしかいないんじゃないか。

漫画『ホーリーランド』の主人公がボクシングを始めたのは、「抵抗しないと自分の居場所がなくなる」ことが理由だったと思う。
孤独だろうが屈折していようが変態だろうが、自分が自分になるため、自分を作り上げるための材料だと思えばいい。どんどん探して、どんどん壊して、また組み直せばいい。


最近観た映画は『ホテル・アルテミス』、『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』、原一男『さようならCP』。

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2022年2月20日 (日)

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木曜日、東京都庭園美術館へ『奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム』を観にいく。
翌日、横須賀へ宿をとって、夕方から『Sense Island -感覚の島- 暗闇の美術島 2021』に参加。三笠ターミナルまで歩いて、そこからフェリーで猿島へ渡り、夕闇に沈んでいく小さな島内で美術作品を鑑賞するイベントだ。
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17時に上陸した時は、まだ明るかった。この後、一時間ほどかけて島内を歩いていると、木々に囲まれた島内は夕闇に沈む。
忘れないうちに書いておこう。2人、すごくお洒落な参加者がいた。
一人は女性。70代だと思うが、背筋がシャンとしていて歩き方が綺麗。暗い色の服に目の覚めるような鮮やかな色のショールを羽織っていた。一人で、マイペースにどんどん歩いていく姿にも好感をもった。
もう一人は中年の男性。まず、リュックが20年ほど使っているのではないだろうか、色が落ちて下地の白い皮が見えている。オレンジ色が点々と残っているのだが、マフラーと靴のヒールもオレンジ色だった。リュックに組み合わせたとしか思えないセンスがいい。何年もの時間をかけて生み出したコーディネートだろう、見習いたい。


さて、そこそこ急な階段をのぼりながら、猿島をぐるっと回る。結論から言うと、それほど面白くなかった。展示されている作品が素朴で、地味すぎる。しかし、いい体験をした。入島時、スマホを紙袋に入れて両面テープで封印させられるのだ。
いかに、自分がスマホで撮ってスマホで投稿する時間に拘束されていたか、身に染みて分かる。世界をスマホを通してしか見られなくなっていないか? 暗くなった島内で、最初は何となくグループとして動いていた参加者たちがバラバラになり、最後の道には自分しか歩いていない。後ろから来た女性も、どっちへ進んだらいいのか迷っていた。その不安な時間が、とても新鮮だった。
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実は、ちょっと夕闇の中を歩くと砂浜に出て、そこが最終地点であって、フェリー乗り場はすぐそこなのだ。係員が立っていて、スマホを出してもいいと告げられる。
砂浜に広げられたインスタレーションを観にいくと、もう数人の人々が辿り着いていた。よく目を凝らすと、作品の中を歩いている人もいる。波打ち際に立って対岸の街灯りを眺めているカップルもいる。特にどうしろとも言われず、作品がそこにあるとすら意識せず、それぞれの時間を思い思いに過ごしている。このツアーが与えてくれたのは、そのような主体的なリラックスした「時間」であって、「作品」は媒介物に過ぎなかったのではないだろうか?

最後の夕陽が横須賀の街に沈んでいく、そのたゆたうような、茫洋と広がっていく時間が忘れられない。頭上には、わずかだが星が煌めいている。特に大きな声で呼ばれたわけでもないし、入島時のように「並んでください」と指示されたわけでもないのに、参加者は勝手にフェリー乗り場へ集まっていく(例のご婦人は、真っ先に並んでおられた)。

これから街へ帰れるんだ、という安心感。作品がどれもイマイチだった、という残念感。しかし、悪い気持ちじゃない。係員の人たちは程よい距離感で、参加者を突きなしてくれた。優れたオペレーションだったと思う。
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何よりも、自分で判断し、勝手に行動して規律を保っていく名も知らぬ人々を、こんなに心強く思ったことはない。少なくとも、安全かつ怠惰に過ごせる都会では、このように他人を感じる経験は得られない(強いて言うなら、海外旅行はこういう瞬間の連続だった)。


そう、僕は社会が嫌いだ。だけど、独立した(孤立した)人間は好きだ……というより、いつも見つけたいと思っている。
しかし、システムに安住した愚民は嫌悪する。

さて、賑やかな横須賀の街は19時を回ったところだ。的外れなコロナ自粛におびえる店は少なく、しかし時間がないので通りに面した大衆的な居酒屋へ駆け込んだ。
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ほっといても客が入りやすいロケーションなので、店内は満席に近い。カウンター席で、それぞれ一人で飲んでいるサラリーマンの間に案内された(右側に座っている若いサラリーマンはスマホを机の上に置いて、なにかのアニメを視聴していた。左側の年配のサラリーマンは、kindle端末で読書していた。こういうマイペースな人たちには好感をおぼえる)。

だけど、この店の心地よさを形づくっているのは、ひとりで客席の面倒を見る女性店員の存在だろう。「いつもは鉄板に乗せて提供するのですが、今日は鉄板がないので普通のお皿でいいですか?」などと、どっちでもいいことを丁寧に聞かれると、自分が優遇されていると錯覚してしまう。それがサービスというものなのかも知れない。
また、自信があってきびきびと動き回る女性は、どんな男性でも好きではないだろうか。


三笠ターミナル前の喫茶店が予定より早く閉まっていたので、やむなく近くにあったドトールに入店した。
腹ごしらえだけしてさっさと出てきたのだが、例のどんよりした倦怠感が店内にただよっていた。ほとんどの客がスマホをやっている。歩きスマホではないから、腹は立たない。ただ、座り方がだらしない。

電車の中で足を組む人は多いが、足の裏を向かい合わせるような、子供みたいな座り方をしている中年男性が結構いる。
安心感が強すぎて、ふと家で過ごしている気分になってしまうのだろう。どんよりと弛緩した目で、スマホを眺めている。
他ならぬ自分も、数年前には公の場所でだらしいのない歩き方、座り方をしていた(近所へ出かけるときは、服装も適当)。それを気をつけよう、お店の中でもキチッと座って、きれいに食べ終わろうと心がけるようになったのは、精神的に余裕が出てきたからだろう(注:金銭的余裕ではない)。

「お金がないから、もうドトールでいいや」というあきらめが、座り方に表われてしまう。
実は、同じドトール店内にノートを広げて勉強している女子学生がいて、彼女は背筋がしゃんとしていて椅子に深くこしかけていた。ドトールが安いから悪いんじゃなくて、普段の心がけが身のこなしに出てしまうのである。

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2022年2月13日 (日)

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手が届きそうで届かない宇宙をマンガ映画で表現する――「地球外少年少女」のメインアニメーター、井上俊之の仕事【アニメ業界ウォッチング第87回】

井上さんは、チャンスがあれば絶対に話を聞きたいと思っていたアニメーターです。ただ、『地球外少年少女』の公開タイミングだったので、他の媒体でも井上さんの功績が話題になって、やや新味がなくなってしまったかも……。記者として「どうして今、井上さんなのか?」というタイミングを狙わないといけないのに、「プロデューサーを知っているから、声をかけやすい」という状況に甘えてしまった。そういう状況があると、なんとなく似たようなニュアンスの記事が多くなる。

やっぱり、自分独自のテーマを大胆に提案して、それを受け入れてもらえるぐらいの信用を築かなくては……。それでも、井上さんの発言は、当事者ならではのキレのある、厳しいものになっていると思います。


ありがたいことに仕事が途切れずあるので、新幹線で出かける。
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ホテルで適当に「居酒屋」でマップ検索してみるが、半分ぐらいのお店はコロナのため休業か無意味な酒類制限……かと思うと、堂々と酒を出しているお店も数軒だけあって、大当たりを引いた。
今は右ひざを痛めているのだが、とにかく自分で歩いて探すことだ。駅前にはチェーン系の居酒屋が何軒もあるのだが、ああいう店で一回でも妥協すると、ずるずると落ちていく気がしてしまう。

さて、上の芸術的な温玉シーザーサラダを出してくれたお店。たった一人で数テーブルの面倒を見ている女将さんは、物静かで上品な方なのだが、最初に陣取っていたヤンキー風の中年たちが酷かった(会話の中で50代と言っていたが、幼稚すぎて高校生の会話にしか聞こえない)。
大声で笑ったりするのは、まあ我慢の範囲だ(鞄の中にイヤホンがあったので音楽を聞こうかと迷ったレベル)。すさまじいのは「ウンコ」「大便」「チンチン」などと、下ネタを口にしてはゲラゲラ笑うこと。そのテーブルには女性もいたのだが、まったく気づかいナシ。
かなり寂れた街なので、中学~高校生のころの同級生が疑問ももたずに付き合って、だらしなくもたれ合って大きくなっただけなのだろう。「昔からの仲間」が「いつものノリ」で歳をとると、もう下ネタぐらいしか共有できる話がなくなっていくのかも知れない。あのまま惨めで汚い老人に成り下がって、周囲に迷惑をかけながら死んでいくのだろう。


大学生のころ、マクドナルドで清掃のアルバイトをしていた。例によって、重労働・低賃金のアルバイトしか出来ないと思っていたので、辛くて仕方がなかった。
耳を疑ったのは、閉店後に一人だけ残った女性スタッフに向かって、「そのうち俺たちで回してやるからよ!」とマネージャー(おそらく正社員)が笑いながら言っていたこと。「回す」とは、もちろん輪姦のことであろう。
言われた女性は、苦笑いしていた。
「仕方がない、仕事とか社会ってのは、お互いに我慢し合うものなんだ」とあきらめてしまっている。その「あきらめ」が貧困なのだと、今の僕ならはっきりと言える。マクドナルドだから、ファストフードだからじゃない。「まあ、こんなもんだろう」と自らを低く見積もって、やりたくもないことをやる。それが時給100万円でも、あきらめて妥協して納得してないのに我慢して耐えてやるなら、やっぱり「貧しい」んだよ。


「好きでもないことをやっているヤツの顔は、歪んでいる」……これは、ある有名なミュージシャンの言葉だ。
自分が我慢しつづけている人は、「誰もが我慢しているに違いない」「我慢しないのはおかしい」という歪んだ価値観になる。僕は、世の中の7割ぐらいの人が、ただひたすら「嫌なことを我慢している」のではないかと疑っている。
自分にも他人にも忍耐を強いる体質が、コロナウイルスを口実に若者や子供の楽しみを潰す異常な社会状況を招いている……と、確信する。過剰な自粛を主張する人の発言を遡っていくと、その人自身が抑圧に耐えている場合が多い気がする。もともと自分が楽しくないから、「みんなも楽しんじゃダメだ」という考え方に直結する。

そういう人に仕事で出会って、よくよく話を聞いてみると、「私も我慢してるんだから廣田さんも我慢しないとおかしいよ」という議論に行きつく。こちらは「ハイハイ、それではご自由に」と、手を放してしまう。その場から立ち去るしかない。
そういう人に「僕は自分の好きなように仕事している」と主張しても、「そんなはずがないよ、絶対に嫌々やってるはずだよ?」と言い返してくる。救いがないのはどっちか、よく考えてみてほしい。そういう人は、とにかく楽しそうじゃない。笑っていても暗いというか……幸せな笑いではない。「今回もまた、最悪のパターンですよ」と自分の置かれた状況を皮肉って、自嘲するのが笑いだと思い込んでいるんじゃない? 独特の暗さなんだよね。負け癖がついているというか、幸せになれない方向へ自分から近寄っていっている。

ある経営者の話をYouTubeで見ていたら、リーダーシップのある人は「明るい」と言っていた。「明るい」って、おそらくは表情がすっきりして、隠しごとのないこと。堂々としているが、他人を抑圧したりはしない人。相手を尊重する人。誰に対しても礼儀正しく、丁寧で優しい……でも、貧しい人はこういうポジティブなイメージを持てない。だから、貧しいんだよ。

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2022年2月 4日 (金)

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「作って終わり」ではなく、「学べる教材」としてプラモデルの可能性を掘り起こす——BANDAI SPIRITSが、マンモスをプラモ化する理由【ホビー業界インサイド第77回】
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どこからの依頼でも強制でもなく、「こんなの出るのか、面白そうだな」と自主的に取材申し込みしましたよ!
キャラクター物に比べれば注目度は低いけど、今後もどんどん取材に行って、プラモデルの豊かさを伝えていきます!

三本脚メカはイデオンだけじゃない! アオシマ製1/144ディラノスは「魔境伝説アクロバンチ」におけるシャア専用ザクである!?【B級アニメプラモ博物誌第18回】
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この連載も、「ホビージャパンヴィンテージ」との兼ね合いが難しくなってきましたが、独自路線で続けます!


西位輝実さんが、アニメ業界のブラックな就労環境を赤裸々に明かした『アニメーターの仕事がわかる本』。
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日本の働き方……いや、社会の諸悪の根源が、この一冊に詰まっているかのように思えて、他人事とは思えない。新人アニメーターは「じゃあ明日から来て」と言われて、自分の机まで用意してもらえるので、就職できたと思い込む。その実態は、出来高払い。フリーランスなのに、自分の就労形態がフリーだと気がつかないまま、何年も確定申告せず、いつも仕事に追われて会社に寝泊まりしている。

交渉事が下手で自己肯定感が低いから鬱になったり、仕事に責任感がなくてメールも返さない、電話にも出ない……なんだか、僕の業界と変わらない。
先日、そろそろ校了だというムック本で、最後の最後にインタビューがあって、僕は取材したその日の夜中に原稿をアップした。翌日はもちろん暇なので、井の頭公園の休憩所へ昼飲みへ行った。早く終わるように自分でスケジュールを組んで、後は悠然と好きなように過ごす。これが、僕の仕事のやり方だ。僕は仕事が早い(自分の能力を管理できている)から、好きなときに喫茶店にも美術館にも行けるし、昼間から飲めるわけ。

ところが、「昨日取材して、即日原稿アップしたから昼から飲んでる」とFacebookに投稿したら、何人かの同業者から「いいね」がついた。
普段、僕が遊びに行ったり新しい服を買ったという投稿には、ぜんぜん「いいね」をつけてくれないのに(笑)。察するに、彼らからすると、「取材したその日に原稿をアップする」のがエライというか、「そうそう、俺も同じだよ」「みんな仕事に追われて大変だよねえ」と共感したのではないか……。だとしたら、ちょっと仕事のレベルが低いのではないか……。
「うちの雑誌に書いている20人ぐらいのライターのうち、ちゃんと締め切りに間に合わせてくれるのは廣田さんともう一人だけ」と言われて、ショックを受けたこともある。僕より多く書いている人たちが、みんな締め切りを守れない。自己管理能力が低い、責任感がない、社会性が低い……と、西位さんの本の記述を思い出してしまう。


ここ数年は、進行の悪い仕事からは距離を置くようにしているので、自分のペースで楽しく仕事できている。
夜中に電話がかかってきて「いつ締め切りですか?」「すぐなんです」といったやりとりが、十数年前まではあった。それは、最初に頼まれたライターが黙って仕事をほっぽり出してしまったということ。その無能の尻ぬぐいをお願いします……という発注が常態化していた。
では、次からその無能ライターには仕事を回さないよね? と思っていると、また頼んでるんだよね、しかも何度も(笑)。だから社会性がなくて、「寝てませーん」「また徹夜でーす」とレベルの低い仕事ばかりして、世の中に山ほどある豊かなもの、いいものを見ないまま年をとっていくんでしょ?

僕はそういうクズ拾いみたいな仕事をことごとく断るようになって、収入は半分ぐらいに減った。
だけど、毎日好きなだけ寝てるよ。早起きするとしたら、好きな喫茶店でモーニングを食べるため。その日の思いつきで、美術館へも行けるよ。基本的に、毎日が楽しい。夜寝るのも楽しいし、夢まで面白い。悪い夢、見なくなった。
多分、いっぱい寝てストレスがないから。あと、後悔しないように自分から取材に行って、撮影にも立ち会って、ページのラフも原稿も自分で書いてるから、仕事の出来が悪かったら自分のせいだと納得できる。
そして、少しでも仕事の質を上げるために、普段からジャンルを問わずいろいろな物を見て、メモして、読書も毎日している。いつも新しい気持ちでいる。自分が好き。

でも、いつもギリギリのだらしのないスケジュールに付き合っていた時は、ずっとイライラしていた。ご飯は、いつも松屋の定食だけ。余裕がない、選択肢がない。チェーン系の安い居酒屋で同業者と飲んでは、愚痴ばかり。お金は、その頃のほうが多くもらっていたのに!
でも、今は収入が半減しているくせに、わざわざ遠くへ出かけて、その地方でしか食べられない物を探すようになった。服にも、持ち物にも興味が出てきた。自分だけの誇らしい価値観がある。その価値観を、毎日磨いている。自分のペースで仕事する、自分の人生を生きるって、そういうこと。


20代の僕は、奴隷だった。低賃金のアルバイトは、決まって仕事の段取りが悪い。最初から効率の悪いスケジュールが組まれていて、みんなウンザリした顔で耐えている。自分が嫌い。将来の見通しがつかない。だから、記憶をなくすまで飲む。服なんて、いつもボロボロ。
今となっては、その頃の自分が可愛らしいぐらい。とにかく「嫌なことはやらない」「どうすれば楽しくなるか考える」。工夫すれば、選択肢が広がる。他人に期待しない、絶望もしない。目の前の現実を受け入れて、次に何が出来るかだけを考える。その時の感情に滞留しない。
しつこいけど、たとえ収入が減ろうとも、クソみたいな激務はしない。楽しいかどうかが基準、楽しくなくなったら何か原因があるので、構造的に改善するか穏当に離れる。ルーズで低レベルな人たちとは距離を置く(たとえ家族でも)。それが出発点だよ。

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