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「未来少年コナン」の帆船バラクーダ号を2メートル越えの超大型模型で作りつづける理由:宮崎メカ模型クラブ、かのー会長インタビュー【ホビー業界インサイド第76回】(■)
プラ板で2メートルを超えるバラクーダ号を完全自作したかのーさん、フィギュアを制作したノウミソアキラさんに取材してきました。
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神田沙也加さんが、主演をつとめるミュージカルの上演直前、ホテルから転落死した。
『マクロス ザ・ミュージカルチャー』で神田さんが突如として降板したとき、理由は「諸事情」となっていた。後に「急性胃腸炎」と改められたものの、会場にいた僕は、漠然と精神的な何かが原因ではないかと感じていた。調べみると、有名人である両親との関係が、なかなか複雑だとも聞いた。死ぬことで解放されたのかも知れない。他人の心の中だけは、分からない。
しかし、それであればミュージカルの公演を終えてからでも良かったのではないかと思う。仕事をなくしてからより、スポットの当たった中で人生を終えたかったのかも知れないが、ここまで来た人間には、芸術を楽しみにしている人々と文化に対して責任が生じているというのが、僕の考えだ。Giveする側に回った人間は、その持てる能力を存分に駆使すべきである。
ミュージカルは、ひとりの俳優が趣味でやっているわけではない。演出家から美術、照明、劇場スタッフまで数えきれない人たちが技量を投入している。また、ひとつの表現が何十年、何百年も後に価値を発揮することだってある。
神田さんには、そのスケール感を想像できなかった。余裕がなかったのだろう。
だとすれば、ゆっくり静かにgiveする側から下りて、重たい荷物を降ろす方法を模索すべきだったと思う。逃げることは悪いことじゃない。誰にも邪魔されず、ひっそり生きることのほうが豊かな人生かも知れない。「落ちぶれた」と思う人間には、思わせておけばいい。
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「周囲に相談できる人がいなかったのか」というコメントを見た。「他人」なんてものに、個人の自殺願望を防ぐ力はない。「お前ら凡人に、いったい何が出来るの?」と思ってしまう。
「周囲と調和して生きるべき」という無責任な信仰が、個人を追いつめるのだ。人の命は尊い、誰もが平等、子を思わない親はいない……本当にそうか? なあ、俗物たちよ。
11年前、母が父に殺された時、「廣田さんは仕事できる状態ではない」と勝手に言いふらす編集者がいた。そのおかげで、仕事をひとつだけ奪われてしまった。警察や検察との長時間にわたる事情聴取、残された犬たちの世話、葬儀屋の手配に追われながら、僕は仕事をひとつも遅らせず、打ち合わせにも普通に出ていた。
しかし、平凡な人生観に個人を封じ込めておきたい俗人たちは「もし本当なら、仕事どころではないはず」と決めつける。少なくとも僕に関していえば、父親が母親を刺殺するという理不尽な状況が、うちに秘められていた冷徹な計画性を引き出してくれた。血まみれの現場を見せられても、では、いつどの業者に頼んで片付け、代金は誰に払わせるのか、テキパキと段取りすることが出来た。「被害者遺族」という立場も、有効に利用させてもらった。「次は何をすればいい?」と、常に頭が働いていた。自分がこれほど活動的で計画的だったとは、我ながら驚いた。
それは、母の与えてくれた能力なのである。
ところが、自分から何も生み出さない、takeする一方の俗人ほど、「強がっているだけで本当は悲しいはずだ」「何も手につかないはずだ」と個人の能力を過小評価する。無能ほど「個人は無力だ、人間は弱い」という価値観を維持したがる。そこからは何も生まれない。
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