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2021年11月12日 (金)

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ここのところ暖かいので、平日昼間でも、つい外で飲んでしまう。
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井の頭公園の小さな休憩所「松月」の特等席(ふたつの座席が窓のほうを向いているので、二人で来た客でも滅多に座らない)が空いていたので、こんなにいい陽気なら、一番搾りを一本飲んで帰るしかない。
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このスーパーのお惣菜コーナーそのままのチープ感のあるツマミ類に、かえって温かみを感じてしまう。
店内に音楽は流れておらず、客がいなくなると、公園を出入りする人たちの話し声と風の音ぐらいしか聞こえなくなる。
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十分に世界の美しさを感じて悠然とした気持ちになっても、「さてもう一本頼もうか」と長居させない雰囲気が、この店にはある。清潔感、店の広さ、そして客筋がそうさせるのだろう。


ところが「松月」の後、三鷹まで歩いていつもテラス席で飲むカフェで、うっかり続きをやってしまった。グラスビールを頼んで、テラスに座ってしまったのだ。
後ろの席では、車椅子の老人が50歳ぐらいの女性を相手に、何か古い唱歌をうたっていた。ついには、スマホで音楽を流しはじめた。マナー違反だと思うが、僕が不審に感じたのは女性の対応だ。
老人に話を合わせて、「その曲は好き」「ああ、あの暗い歌ね」と盛んに相槌を打っているのだが、どうも他人行儀だ。父娘という雰囲気ではない。老人から何かプレゼントされると知って、「やったー」「一生大事にするね」などと喜ぶのだが、どうも本気に聞こえない。そう、キャバ嬢が客に話を合わせている感じに、よく似ていた。この二人、どういう関係なのだろう?
席を立つときに女性の顔を見たら、相手も不審そうにこちらを見ていた。

その二人の関係も怪しいのだが、隣席の女性の醸す倦怠感が、とにかく強烈だった。
この店はセルフサービス式なので、いちど席を占有したら、飲み物がなくなっても何時間でも座っていられる。彼女の机のうえのプラスチックのコップは、とっくに空だった。氷も、すべて溶けていた。
他に何もない机のうえで、タバコを吸いながらスマホを見ているのだが、その様子が楽しそうなら、別に気にはならなかったと思う。彼女は、とにかく退屈そうなのだ。ただ座って、ひたすら時間を潰しているに過ぎないのであった(スマホやタバコのように、誰もがやっていることしか思いつかない……だとしたら、誰かと似たような人生にしかならない)。
彼女が立ち上がる時、「やっぱりな」と思ったことがある。荷物が多いのだ。貧乏な人は、三つも四つも袋を持ち歩いていることが多いと聞いたことがある。

いつもテラス席の道に面した席にしか座らないので気にもしなかったが、この手のセルフサービス式の店は、コップが空なのにテーブルに突っ伏して何もしていない人が、ちらほら居る。やっぱり、この手の店には近寄らないようにしたい。貧乏……というか、不幸のオーラが漂っている。


「荷物が多い」、それと「靴が汚い」。これも、貧乏の特徴と聞く。
確かに、大勢で靴を脱がねばならなくなった時、靴がボロいと恥ずかしい。綺麗な女性でも、靴が汚れているとガッカリする。
街で、「おっ、お洒落だな」と思う男性は、靴が綺麗。高い靴でなくても、スッキリしている。この季節になっても裸足でサンダルを履いている、靴のカカトを踏んだまま歩いている、靴ヒモが外れているのに直そうとしない人は、人生において何か重要なことをほったらかしにしているのではないか……と思えてならない。

サイズのあっていないヨレヨレの服を着ている人は、どこかで何かを投げやりにしている感じがして、それが嫌悪感を引き起こすのだと思う。
仕事においても、大事なことを聞いていなかったり、必要なことを先延ばしにしているのではないか……と疑われてならない。「貧乏」とは、「余裕がなくて大事な何かを犠牲にしている状態」を指すのだと思う。
(大学時代、女性とデートする約束をして、まったく自分に向いていない日払いの肉体労働系のアルバイトをして、買ったばかりの靴に穴を開けてしまったことがあった。仕事の条件をよく聞いていなかったので、お金も貰えなかった。若いがゆえに経験が乏しく、選択肢がない。結果として、自分が何をどうしたいのか見極められない。人生でいちばん大事なものが見つからない、その絶望は深い)


自分で靴を磨くと、どこがどう汚れているのか分かるようになる。道具を手入れして次の靴磨きに備えようと、計画性も身につく。
靴クリームを刷毛で塗るのではなく、液体にスポンジが付いたような安易な手入れ用品を使っていると、精神がダウンしていく。その余裕のなさ、創造性の欠落、手抜き、楽……は、確実に人生を浸食する。だから、身の回りの小さなことから始めるしかないのだ。

「楽」をしていると、しかるべき対価しか得られない。
ファストフードやスマホの怖さは「楽」と、手抜きした結果がもたらす貧しい満足だ。みんなの行列している店に並んでも、みんなに染まるだけで何も新しい価値は生まれない。
スマホ歩きもそうだが、発車メロディーが鳴ってから走って電車に乗る。そういう余裕のなさを、まずは直したほうがいい。


とは言え、やっぱりホームレスになるしかないのか?と、覚悟が固まりつつある。先日は、吉祥寺までテントを見に行った。10万円あれば、そこそこ良い寝袋とテントが買えるのではないだろうか。

気をつけて調べてみると、すでにテントと寝袋で生活している人たちがいる。月に2万円でテント暮らししていても住民票が得られるとか、人生の新しい形ではないだろうか。特筆すべきは、彼ら能動的なホームレスはよく調べて、よく考えているのだ。
駄目な人というのは探求せず、その辺にすぐ簡単な答えがあると思っている。そういう人が40歳ぐらいになると、自分には何も蓄積されていないことに気がついて、さらに近道を探しはじめる。

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2021年11月 5日 (金)

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タカラ製1/100「巨神ゴーグ」を組み立てて、“甲冑ロボ”の極意を学ぼう【80年代B級アニメプラモ博物誌】第15回
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ただ旧キットを素組みするだけの連載ですが、なんと、記事のいちばん下に、当時の設計担当者の方のコメントが投稿されていました。
「懐かしいです。ウインガルもゴーグのキットもタカラ時代に担当して設計&商品化しました。 当時の記憶がよみがえりました。」


まず、10月28日(木)はアーティゾン美術館『M式「海の幸」』展へ。
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明治時代の画家、青木繫の絵画「海の幸」を、現代芸術家の森村泰昌がまずテキストで批評し(壁に絵の論評が書かれているのだ)、そして自らコスプレで「海の幸」を再現することによって、新しい文脈を与える。
最終章は映像作品で、青木繫の仮装をした森村が、青木の生涯や彼の生きた時代を関西弁で振り返る(それによって、森村が創作意図がより明確になっていく)。意図を言葉にしてしまうと元も子もないのだが、その誠実な語り口には胸を打たれた。


その後、隅田川まで歩いて、川沿いのカフェで一杯。
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ちょっと物足りないので、とりあえず清澄白河駅まで歩き、バスに乗って勝どき駅へ行くか、歩いて木場公園へ行こうか迷う。どうしても隅田川沿いで飲みたくて、地下鉄で蔵前へ向かい、テラス席のあるレストランまで歩いた。
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ハッピーアワーなので、ビール500円。2杯飲んで、ポテトを頼んでも1400円ですんだ。


11月2日(火)は、寺田倉庫のWHAT MUSEUMへ。バンクシー展は混んでいるので、Obayashi Collection展だけ見ることにした。客は、僕ひとり。
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全3部構成になっていて、二階には数十点の現代美術作品が集めてあった。ジョン・チェンバレンの、鉄板を折り曲げてまるめた作品に、すっかり心奪われた。
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ダン・フレイヴィンの蛍光灯を使った作品は、たしか京都で見たと思うのだが、思わず「アッ」と声が出てしまった。いつの間にか、記憶に残っていたらしい。


せっかく天王洲運河に来たので、川沿いのレストランを目指す。
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お値段の高いレストランは混雑気味で、その手前にあるカフェで比較的安いビールを飲んだ。まだ15時ぐらい。すっかり、川飲みの癖がついてしまった(毎日、ポカポカと暖かいし……)。お値段を考えないと、ちょっと生活が心配になるぐらいの金額が、ゴッソリと出ていってしまう。


ホームレス……というか、テント暮らしをしながらシェア・オフィスで仕事している人のブログを読んでいて、アートとして移動可能な家を作った坂口恭平さんのことを知った。

ただちに坂口さんの『独立国家のつくりかた』を読んだのだが、工夫しながら独自の生活を営むホームレスたちに取材しながら、「学校社会」ではなく自由で創造的な「放課後社会」に生きてきた自分を発見していく前半はエキサイティングだった。考えてみれば、誰ひとり自分の意思で日本に生まれたわけではなく、誰ひとり日本国と契約した人はいない。いつの間にか、漠然とした「決まり」として、税金を払わされているのに過ぎない。35年ローンで家を買って、家のために35年も働きつづける。
しかし、『独立国家のつくりかた』の後半では「やはりお金は必要」と論調が変化し、著者が躁鬱病であることを告白したあたりから、威勢のいいスローガンが、空虚に感じられてくる。
つまり、前半で「お金なんて重要じゃない」「お金がなくても生きていける」が、躁状態の言わせた軽挙妄動だと分かってしまう。この失望は大きい。ロジックで「お金がなくても生きていける」と証明してほしかった。社会に所属しない、完全な自由……それは夢ではないと思いたい。

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