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ここのところ暖かいので、平日昼間でも、つい外で飲んでしまう。
井の頭公園の小さな休憩所「松月」の特等席(ふたつの座席が窓のほうを向いているので、二人で来た客でも滅多に座らない)が空いていたので、こんなにいい陽気なら、一番搾りを一本飲んで帰るしかない。
このスーパーのお惣菜コーナーそのままのチープ感のあるツマミ類に、かえって温かみを感じてしまう。
店内に音楽は流れておらず、客がいなくなると、公園を出入りする人たちの話し声と風の音ぐらいしか聞こえなくなる。
十分に世界の美しさを感じて悠然とした気持ちになっても、「さてもう一本頼もうか」と長居させない雰囲気が、この店にはある。清潔感、店の広さ、そして客筋がそうさせるのだろう。
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ところが「松月」の後、三鷹まで歩いていつもテラス席で飲むカフェで、うっかり続きをやってしまった。グラスビールを頼んで、テラスに座ってしまったのだ。
後ろの席では、車椅子の老人が50歳ぐらいの女性を相手に、何か古い唱歌をうたっていた。ついには、スマホで音楽を流しはじめた。マナー違反だと思うが、僕が不審に感じたのは女性の対応だ。
老人に話を合わせて、「その曲は好き」「ああ、あの暗い歌ね」と盛んに相槌を打っているのだが、どうも他人行儀だ。父娘という雰囲気ではない。老人から何かプレゼントされると知って、「やったー」「一生大事にするね」などと喜ぶのだが、どうも本気に聞こえない。そう、キャバ嬢が客に話を合わせている感じに、よく似ていた。この二人、どういう関係なのだろう?
席を立つときに女性の顔を見たら、相手も不審そうにこちらを見ていた。
その二人の関係も怪しいのだが、隣席の女性の醸す倦怠感が、とにかく強烈だった。
この店はセルフサービス式なので、いちど席を占有したら、飲み物がなくなっても何時間でも座っていられる。彼女の机のうえのプラスチックのコップは、とっくに空だった。氷も、すべて溶けていた。
他に何もない机のうえで、タバコを吸いながらスマホを見ているのだが、その様子が楽しそうなら、別に気にはならなかったと思う。彼女は、とにかく退屈そうなのだ。ただ座って、ひたすら時間を潰しているに過ぎないのであった(スマホやタバコのように、誰もがやっていることしか思いつかない……だとしたら、誰かと似たような人生にしかならない)。
彼女が立ち上がる時、「やっぱりな」と思ったことがある。荷物が多いのだ。貧乏な人は、三つも四つも袋を持ち歩いていることが多いと聞いたことがある。
いつもテラス席の道に面した席にしか座らないので気にもしなかったが、この手のセルフサービス式の店は、コップが空なのにテーブルに突っ伏して何もしていない人が、ちらほら居る。やっぱり、この手の店には近寄らないようにしたい。貧乏……というか、不幸のオーラが漂っている。
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「荷物が多い」、それと「靴が汚い」。これも、貧乏の特徴と聞く。
確かに、大勢で靴を脱がねばならなくなった時、靴がボロいと恥ずかしい。綺麗な女性でも、靴が汚れているとガッカリする。
街で、「おっ、お洒落だな」と思う男性は、靴が綺麗。高い靴でなくても、スッキリしている。この季節になっても裸足でサンダルを履いている、靴のカカトを踏んだまま歩いている、靴ヒモが外れているのに直そうとしない人は、人生において何か重要なことをほったらかしにしているのではないか……と思えてならない。
サイズのあっていないヨレヨレの服を着ている人は、どこかで何かを投げやりにしている感じがして、それが嫌悪感を引き起こすのだと思う。
仕事においても、大事なことを聞いていなかったり、必要なことを先延ばしにしているのではないか……と疑われてならない。「貧乏」とは、「余裕がなくて大事な何かを犠牲にしている状態」を指すのだと思う。
(大学時代、女性とデートする約束をして、まったく自分に向いていない日払いの肉体労働系のアルバイトをして、買ったばかりの靴に穴を開けてしまったことがあった。仕事の条件をよく聞いていなかったので、お金も貰えなかった。若いがゆえに経験が乏しく、選択肢がない。結果として、自分が何をどうしたいのか見極められない。人生でいちばん大事なものが見つからない、その絶望は深い)
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自分で靴を磨くと、どこがどう汚れているのか分かるようになる。道具を手入れして次の靴磨きに備えようと、計画性も身につく。
靴クリームを刷毛で塗るのではなく、液体にスポンジが付いたような安易な手入れ用品を使っていると、精神がダウンしていく。その余裕のなさ、創造性の欠落、手抜き、楽……は、確実に人生を浸食する。だから、身の回りの小さなことから始めるしかないのだ。
「楽」をしていると、しかるべき対価しか得られない。
ファストフードやスマホの怖さは「楽」と、手抜きした結果がもたらす貧しい満足だ。みんなの行列している店に並んでも、みんなに染まるだけで何も新しい価値は生まれない。
スマホ歩きもそうだが、発車メロディーが鳴ってから走って電車に乗る。そういう余裕のなさを、まずは直したほうがいい。
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とは言え、やっぱりホームレスになるしかないのか?と、覚悟が固まりつつある。先日は、吉祥寺までテントを見に行った。10万円あれば、そこそこ良い寝袋とテントが買えるのではないだろうか。
気をつけて調べてみると、すでにテントと寝袋で生活している人たちがいる。月に2万円でテント暮らししていても住民票が得られるとか、人生の新しい形ではないだろうか。特筆すべきは、彼ら能動的なホームレスはよく調べて、よく考えているのだ。
駄目な人というのは探求せず、その辺にすぐ簡単な答えがあると思っている。そういう人が40歳ぐらいになると、自分には何も蓄積されていないことに気がついて、さらに近道を探しはじめる。