« 2021年10月 | トップページ | 2021年12月 »

2021年11月20日 (土)

■1120■

6つの美術館が連携して実現した「富野由悠季の世界」展の道のりを、学芸員・山口洋三が振り返る【アニメ業界ウォッチング第84回】
T640_931305
ようやく、美術業界の人にインタビューできました。と言っても、誰かが場をセッティングしてくれたわけではなく、僕が展覧会の事務局に直接お願いして実現しました。
最近読んだ書籍『美術館の不都合な真実』もそうでしたが、美術の世界の人は思い切ったことを物怖じせず、バシッと言い切るので気持ちがいいです。だから、どの美術館もおおむね展示センスが高いんだと思います。「上の許可が必要なので」と無駄な遠慮をしてビクビクしている業界は、広がりがないです。

アオシマが「1/43 機動警察パトレイバー イングラム」のプラモデルを、自社ブランド「ACKS」で発売する理由【ホビー業界インサイド第75回】
こちらも、アオシマさんとぶっちゃけ話をしながら交渉した結果、「では、イングラムの新キットでいきましょう」と話がまとまりました。いくら待っててもダメです、どんどん自分で進めないと。


都会の行き場のない少女たちを保護する活動をしてきた仁藤夢乃さんが、「温泉むすめ」というご当地キャラクターを攻撃しはじめた()。美少女キャラを見て「ひどい」なら、個人の感想として好きに言えばいいが、「性差別・性搾取」などと言いはじめたので、ひさびさにこの手のツイートに反論してしまった(リンクを貼ったまとめに掲載されている)。

その後、仁藤さんは活動の拠点であるカフェに怪しい男が現れて()、身に覚えのない料理が勝手に配達されてきたなどと騒ぎ始めた()。これらの異常な被害体験を読んでいて、「電波によって攻撃を受けている」「悪い組織が社会で暗躍している」と言い出す統合失調症の女性を思い出してしまった。
検索していると、とても腑に落ちる解説があったので、以下にツイートを引用させていただく。

“(仁藤さんの事ではなく一般論だと予め断っておきますが)以前、「こだわり・プライド・被害者意識」は統合失調症の前駆症状だと前に読んだことがある。
健全な想念は適度に揺らいであちこちにふらふらするが、病的な想念は一点に固着して動かない。その「可動域の狭さ」が「妄想」の特徴とのこと。”

“「被害者意識」の危険性は「弱者である私」に居着くこと。
強大な何かによって自分は自由を失い、可能性の開花を阻まれ、「自分らしさ」が阻害されているという定形に自分を当てはめて、「被害者」をアイデンティティーに組み込んだ人間は、その説明に呪縛されて「居着く」ことになる。”

“もし自分が行動を起こして自由を回復し、「自分らしさ」を実現したとしたら、”強大な何か”はそれほど強大でなかったことになるから、前件に背馳する。
ゆえに一度このIDを採用した人間は、自分の「自己回復」のすべての努力が水泡に帰すほどに「強大なる何か」が強大で→”

以下、もう少し続くので、興味のある人はリンク先から読んでいただきたい。この一連のツイートを読んで、あれこれ思い当たることがあった。


統合失調症まで行かずとも、人生がうまくいっておらず苦しんでいる人は、「強大なる何か」に阻まれて「自己回復」できないと思い込みがちである。
左翼の人が生活の些細なことまで現政権による画策だと訴えたり、「若い人さえ選挙に来てくれれば……」と挫折の美学に安住しようとするのもそうだし、思ったような仕事につけない人が「試験に受かりさえすれば」「資格さえとれれば」「だけど勉強する時間がないから仕方ない」と目標を先送りするのも、自分の不甲斐なさを「強大なる何か」のせいにしている例と言えるだろう。

いま精神病院に入院している僕の兄は、父方の祖母に嫌われていた理由を「俺は母方の血をついだ顔をしているから、嫌われてる」と、自分の性格の悪さを「血筋」「顔」の問題にすり替えていた。
「顔つきが母と父のどちらに似ているか」なんて、本人が似ていると思えば似ているし、他人が似てないと思えば似てないわけだ。主観でどうとでも言えることを自明の理として、強固に譲らない。

フェミニストの人たちが「性的消費」など証明不可能な理由に執着するのは、「自分で自分の感情を制御できない」という本質的な問題から逃げるためではないだろうか。そして、イライラしている本人が「性搾取のせいだ」と言い張るなら、それは第三者には立証不可能なので、批判する人たちを「彼らは性搾取に加担している加害者だ」「私はさらに性搾取されて、苦しい」と被害者の構図に収まることも出来る。
なので、自分の怒りや憎しみを正当化してくれる「性搾取」(「性加害」「性的消費」その他、どうとでも定義できる「強大なる何か」)を手放したくないのだろう。


以前にも書いたかも知れないが、20代のころ、引っ越しのアルバイトをした。
ものすごく重たい荷物を運ぶので、腕力のない僕は現場では役立たずだった。タンスなどの大きな荷物を持ち上げようとした時、同じ現場にいた女性がかたわらで見たまま、「無理じゃないの?」と言った。無理だと思うなら、ちょっとでも手を貸してくれよ……と今では思うのだが、その時は「女性スタッフは軽いものを運ぶだけでOK」と、暗黙のうちに決まっていた。
だけど、それを「性差別」などと騒ぐつもりは、僕はない。ちょっと理不尽ではないかとは思うが、女性と男性では得意分野が違う。むしろ解決すべき問題は、「重いものを持つだけの腕力もないくせに、引っ越しのアルバイトをした自分の迂闊さ」なのである。
僕が「男だから差別された」んじゃない、その現場で役立たずだったのだから、バカにされて当然なのだ。

むしろ、最初は敬語で話していた男性スタッフが「こいつは重いものを持てない」と分かったとたん、タメ口になったこと。あれは不愉快だった。だけど、そもそもの問題は不甲斐ない自分なのだし、世の中は理不尽さに満ちている。
人生が苦しいのは、その場その場で具体的な問題が生じているからであって、「男だから」「女だから」でもなければ、「学歴」や「国籍」などの「強大なる何か」のせいではない。面倒だろうが、ひとつひとつ解決していく地道さ、狡猾さ、そして勇気が必要なのだ。

| | コメント (0)

2021年11月12日 (金)

■1112■

ここのところ暖かいので、平日昼間でも、つい外で飲んでしまう。
Productimage1017708442_1024x1024
井の頭公園の小さな休憩所「松月」の特等席(ふたつの座席が窓のほうを向いているので、二人で来た客でも滅多に座らない)が空いていたので、こんなにいい陽気なら、一番搾りを一本飲んで帰るしかない。
Product024
このスーパーのお惣菜コーナーそのままのチープ感のあるツマミ類に、かえって温かみを感じてしまう。
店内に音楽は流れておらず、客がいなくなると、公園を出入りする人たちの話し声と風の音ぐらいしか聞こえなくなる。
Product024_20211112210401
十分に世界の美しさを感じて悠然とした気持ちになっても、「さてもう一本頼もうか」と長居させない雰囲気が、この店にはある。清潔感、店の広さ、そして客筋がそうさせるのだろう。


ところが「松月」の後、三鷹まで歩いていつもテラス席で飲むカフェで、うっかり続きをやってしまった。グラスビールを頼んで、テラスに座ってしまったのだ。
後ろの席では、車椅子の老人が50歳ぐらいの女性を相手に、何か古い唱歌をうたっていた。ついには、スマホで音楽を流しはじめた。マナー違反だと思うが、僕が不審に感じたのは女性の対応だ。
老人に話を合わせて、「その曲は好き」「ああ、あの暗い歌ね」と盛んに相槌を打っているのだが、どうも他人行儀だ。父娘という雰囲気ではない。老人から何かプレゼントされると知って、「やったー」「一生大事にするね」などと喜ぶのだが、どうも本気に聞こえない。そう、キャバ嬢が客に話を合わせている感じに、よく似ていた。この二人、どういう関係なのだろう?
席を立つときに女性の顔を見たら、相手も不審そうにこちらを見ていた。

その二人の関係も怪しいのだが、隣席の女性の醸す倦怠感が、とにかく強烈だった。
この店はセルフサービス式なので、いちど席を占有したら、飲み物がなくなっても何時間でも座っていられる。彼女の机のうえのプラスチックのコップは、とっくに空だった。氷も、すべて溶けていた。
他に何もない机のうえで、タバコを吸いながらスマホを見ているのだが、その様子が楽しそうなら、別に気にはならなかったと思う。彼女は、とにかく退屈そうなのだ。ただ座って、ひたすら時間を潰しているに過ぎないのであった(スマホやタバコのように、誰もがやっていることしか思いつかない……だとしたら、誰かと似たような人生にしかならない)。
彼女が立ち上がる時、「やっぱりな」と思ったことがある。荷物が多いのだ。貧乏な人は、三つも四つも袋を持ち歩いていることが多いと聞いたことがある。

いつもテラス席の道に面した席にしか座らないので気にもしなかったが、この手のセルフサービス式の店は、コップが空なのにテーブルに突っ伏して何もしていない人が、ちらほら居る。やっぱり、この手の店には近寄らないようにしたい。貧乏……というか、不幸のオーラが漂っている。


「荷物が多い」、それと「靴が汚い」。これも、貧乏の特徴と聞く。
確かに、大勢で靴を脱がねばならなくなった時、靴がボロいと恥ずかしい。綺麗な女性でも、靴が汚れているとガッカリする。
街で、「おっ、お洒落だな」と思う男性は、靴が綺麗。高い靴でなくても、スッキリしている。この季節になっても裸足でサンダルを履いている、靴のカカトを踏んだまま歩いている、靴ヒモが外れているのに直そうとしない人は、人生において何か重要なことをほったらかしにしているのではないか……と思えてならない。

サイズのあっていないヨレヨレの服を着ている人は、どこかで何かを投げやりにしている感じがして、それが嫌悪感を引き起こすのだと思う。
仕事においても、大事なことを聞いていなかったり、必要なことを先延ばしにしているのではないか……と疑われてならない。「貧乏」とは、「余裕がなくて大事な何かを犠牲にしている状態」を指すのだと思う。
(大学時代、女性とデートする約束をして、まったく自分に向いていない日払いの肉体労働系のアルバイトをして、買ったばかりの靴に穴を開けてしまったことがあった。仕事の条件をよく聞いていなかったので、お金も貰えなかった。若いがゆえに経験が乏しく、選択肢がない。結果として、自分が何をどうしたいのか見極められない。人生でいちばん大事なものが見つからない、その絶望は深い)


自分で靴を磨くと、どこがどう汚れているのか分かるようになる。道具を手入れして次の靴磨きに備えようと、計画性も身につく。
靴クリームを刷毛で塗るのではなく、液体にスポンジが付いたような安易な手入れ用品を使っていると、精神がダウンしていく。その余裕のなさ、創造性の欠落、手抜き、楽……は、確実に人生を浸食する。だから、身の回りの小さなことから始めるしかないのだ。

「楽」をしていると、しかるべき対価しか得られない。
ファストフードやスマホの怖さは「楽」と、手抜きした結果がもたらす貧しい満足だ。みんなの行列している店に並んでも、みんなに染まるだけで何も新しい価値は生まれない。
スマホ歩きもそうだが、発車メロディーが鳴ってから走って電車に乗る。そういう余裕のなさを、まずは直したほうがいい。


とは言え、やっぱりホームレスになるしかないのか?と、覚悟が固まりつつある。先日は、吉祥寺までテントを見に行った。10万円あれば、そこそこ良い寝袋とテントが買えるのではないだろうか。

気をつけて調べてみると、すでにテントと寝袋で生活している人たちがいる。月に2万円でテント暮らししていても住民票が得られるとか、人生の新しい形ではないだろうか。特筆すべきは、彼ら能動的なホームレスはよく調べて、よく考えているのだ。
駄目な人というのは探求せず、その辺にすぐ簡単な答えがあると思っている。そういう人が40歳ぐらいになると、自分には何も蓄積されていないことに気がついて、さらに近道を探しはじめる。

| | コメント (0)

2021年11月 5日 (金)

■1105■

タカラ製1/100「巨神ゴーグ」を組み立てて、“甲冑ロボ”の極意を学ぼう【80年代B級アニメプラモ博物誌】第15回
Wetaworkshopdesignstudio183chapp2emoosem
ただ旧キットを素組みするだけの連載ですが、なんと、記事のいちばん下に、当時の設計担当者の方のコメントが投稿されていました。
「懐かしいです。ウインガルもゴーグのキットもタカラ時代に担当して設計&商品化しました。 当時の記憶がよみがえりました。」


まず、10月28日(木)はアーティゾン美術館『M式「海の幸」』展へ。
Weta
明治時代の画家、青木繫の絵画「海の幸」を、現代芸術家の森村泰昌がまずテキストで批評し(壁に絵の論評が書かれているのだ)、そして自らコスプレで「海の幸」を再現することによって、新しい文脈を与える。
最終章は映像作品で、青木繫の仮装をした森村が、青木の生涯や彼の生きた時代を関西弁で振り返る(それによって、森村が創作意図がより明確になっていく)。意図を言葉にしてしまうと元も子もないのだが、その誠実な語り口には胸を打たれた。


その後、隅田川まで歩いて、川沿いのカフェで一杯。
Weta_20211105221501
ちょっと物足りないので、とりあえず清澄白河駅まで歩き、バスに乗って勝どき駅へ行くか、歩いて木場公園へ行こうか迷う。どうしても隅田川沿いで飲みたくて、地下鉄で蔵前へ向かい、テラス席のあるレストランまで歩いた。
Weta_20211105222101
ハッピーアワーなので、ビール500円。2杯飲んで、ポテトを頼んでも1400円ですんだ。


11月2日(火)は、寺田倉庫のWHAT MUSEUMへ。バンクシー展は混んでいるので、Obayashi Collection展だけ見ることにした。客は、僕ひとり。
Weta_20211105222601
全3部構成になっていて、二階には数十点の現代美術作品が集めてあった。ジョン・チェンバレンの、鉄板を折り曲げてまるめた作品に、すっかり心奪われた。
Weta_20211105222901
ダン・フレイヴィンの蛍光灯を使った作品は、たしか京都で見たと思うのだが、思わず「アッ」と声が出てしまった。いつの間にか、記憶に残っていたらしい。


せっかく天王洲運河に来たので、川沿いのレストランを目指す。
Weta_20211105223301
お値段の高いレストランは混雑気味で、その手前にあるカフェで比較的安いビールを飲んだ。まだ15時ぐらい。すっかり、川飲みの癖がついてしまった(毎日、ポカポカと暖かいし……)。お値段を考えないと、ちょっと生活が心配になるぐらいの金額が、ゴッソリと出ていってしまう。


ホームレス……というか、テント暮らしをしながらシェア・オフィスで仕事している人のブログを読んでいて、アートとして移動可能な家を作った坂口恭平さんのことを知った。

ただちに坂口さんの『独立国家のつくりかた』を読んだのだが、工夫しながら独自の生活を営むホームレスたちに取材しながら、「学校社会」ではなく自由で創造的な「放課後社会」に生きてきた自分を発見していく前半はエキサイティングだった。考えてみれば、誰ひとり自分の意思で日本に生まれたわけではなく、誰ひとり日本国と契約した人はいない。いつの間にか、漠然とした「決まり」として、税金を払わされているのに過ぎない。35年ローンで家を買って、家のために35年も働きつづける。
しかし、『独立国家のつくりかた』の後半では「やはりお金は必要」と論調が変化し、著者が躁鬱病であることを告白したあたりから、威勢のいいスローガンが、空虚に感じられてくる。
つまり、前半で「お金なんて重要じゃない」「お金がなくても生きていける」が、躁状態の言わせた軽挙妄動だと分かってしまう。この失望は大きい。ロジックで「お金がなくても生きていける」と証明してほしかった。社会に所属しない、完全な自由……それは夢ではないと思いたい。


何ら独創的な価値観のない者ほど、「決まり」に頼る。組織に所属したがり、匿名性に隠れる。匿名性とは「私が決めたんじゃない」と、主体性を放棄すること。
そして、ほとんどの人には独創性も主体性も、実は必要ないのだと思う。なぜなら、社会が何も創造しない、自分のためには生きない疑問を持たない労働者を必要としているからだ。
若いころの僕は、まさに「社会に奉仕する働きアリ」だった。どれほど貧乏しようと、毎日労働に向かった。創造的じゃないし、主体的でもない。「生きるためには仕方がないんだ」という、愚鈍な思い込みだけが僕を動かしていた。

| | コメント (0)

« 2021年10月 | トップページ | 2021年12月 »