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2021年10月 9日 (土)

■1009■

昭和50年男 VOL.013
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神山健治監督インタビュー、高千穂遥さんインタビュー、あと『攻殻機動隊』SACシリーズの解説を担当しました。


配信レンタルが意外と高いので、『廃市』のDVDを購入した。
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10年ほど前にも、このブログに感想を書いたはずだ。祭に花火、かき氷……といった夏の風物詩が、16mmフィルムの粗い質感とあいまって、気持ちいい。18歳のころだったか、テレビで『時をかける少女』を見て熱に浮かされたように興奮し、大林宣彦の特集上映で『EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ』や『CONFESSION=遥かなるあこがれギロチン恋の旅』などの自主映画と一緒に観たのが最初だったと思う。
他の前衛的な作品に比べると、『廃市』は明らかに分かりやすい。峰岸徹の演じるモテモテの若旦那は、「好きではない」と公言していたはずの浮気相手と心中してしまうのだが、10代だった当時はその難解さを「大人っぽい」と感じていた。撮影当時、40代半ばだった大林監督も、そのように考えたのではないだろうか。

中年になったいま見ると、モテすぎてしまうがゆえに簡単に満たされてしまい、退屈な人生しか生きられなかった男の傲慢さが感じられて、ちょっと不愉快に感じる。
実際、若旦那は「何もすることがないので、音曲に凝るぐらいしかない」などと文句を言いながら、歌舞伎を披露している。その後、楽屋で主人公に向けて話をするのだが、途中で歌舞伎の台詞をえんえんと冗談のようにそらんじるのが、またうっとおしい。その後、浮気相手にそうめんを運ばせて、主人公をさしおいて自分だけ食べるのも、嫌な感じだ(大林監督は食べ物に興味がないのか、あまり美味しそうに撮っていない)。


福永武彦の原作小説を取り寄せたので、原作を読めば、印象が変わったり理解できたりするのかも知れない。
映画の雰囲気は本当に好きなのだが、望まない心中を何か渋い大人びたことのように感じていた自分を、「幼い」と思えるようになった。自殺とか心中よりも、もっと面白い生き方はある。まだまだ先があること、未知のあることが「面白い」ということなのだ。
ここまで書いて気がついたが、だから、好きではない浮気相手とせいぜい心中するぐらいしか思いつかなかった若旦那は「廃市」で滅んでいくしかない、つまらない人生を終えたのだろう。

いい歳をして幼稚な人にかぎって、「この年になると分かるんだけど……」「大人になって分かったんだけど……」などと前置きしたがる。ただ、歳をとっただけ、ただ余分に傲慢になっただけなのに。
また、言われるより先に「おっさん」と自虐するのも、弱さの証という気がする。


さて、『廃市』のこのシーン。小林聡美の演じる妹娘の墓参りに、主人公が着いて行く。
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2人が庭でその相談を始めたところで、画面奥に尾美としのりの演じる船頭が現れる。2人が画面から出ていった後、船頭は家のほうを見る。家の廊下には、お手伝いの女性が立っている。船頭のバストショット、そしてお手伝いさんの手元からナメて庭を撮る。ちょうど、船頭とお手伝いさんが主役2人を挟み込むような位置に立って、無言で目くばせする。
この思わせぶりな構図、実は、主人公が墓参りのついでに隠れて住んでいる姉娘と出会うことの予兆として機能している。この家のもつ秘密をにぎっているのは、当事者たちだけではない。船頭やお手伝いといった周辺にいる者たちが、地域に根差した秘密を構成しているのだ。

僕は、このような映画の構造、知恵や工夫を読み解いていきたい。
「圧倒的な映像体験」などという脅迫的な、全体主義のようなスローガンに乗っていては、独立性のある審美眼が損なわれる。「ネタバレ」も同じことだ。「ネタバレ」は単に「知ること」だけを問題にしており、「読み解く」ことを前提していない。読解力を鍛えないとするなら、後はただ自分で判断できない盲目的なバカになっていくだけだと思う。

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