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2021年9月25日 (土)

■0925■

モデルグラフィックス 2021年 11月号 
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●組まず語り症候群 第107夜
今回の題材は、イマイ製1/72レギオスなのですが、WAVE製の『ガルフォース』のレジンキット(購入特典のラビィの全裸フィギュア)について、大学時代の思い出を書きました。


最近観た映画は、アッバス・キアロスタミ監督『友たちのうちはどこ?』と『そして人生はつづく』。
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『こうのとり、たちずさんで』の監督……と思っていたが、あっちはテオ・アンゲロプロスだった。キアロスタミの映画は、まったく未見であった。
先に言っておくと、後から製作された『そして人生はつづく』を観ると、『友だちのうちはどこ?』が事実ではなく「映画」として語られていることに驚かされる。『そして人生はつづく』は、『友だちのうちはどこ?』の出演者やロケ地をたずねるセミ・ドキュメンタリーとなっているのだ。
『友だちのうちはどこ?』で印象的だったジグザグ道が、『そして人生はつづく』のラストでは別の角度から撮影される――主人公の少年が、友だちにノートを届けたい一心で駆け上った坂道を、車が登ろうとする。あまりに急な坂道なので、車は一度は引き返す……が、後ろから上がってきた男が手伝って、車は再び坂を登る。そして、手伝ってくれた男を乗せて、車は坂道を登っていく。
その超ロングの構図には、虚構の物語へ現実の力で肉薄しようとする作家の粘り強い意志が感じられる。『そして人生はつづく』はオーソドックスな撮り方で、綺麗なシーンには分かりやすい音楽が流れるし、これといったストーリーもないのだが、『友だちのうちはどこ?』とセットにして観たとき、不思議と胸を打つ。


それにしても、『友だちのうちはどこ?』。映画の意義を激しく問いかけてくるのは、こちらである。
キアロスタミ監督は、後にフランス・イタリアとの合作も撮っているので、西欧化されたセンスを持つインテリなのであろう……と勝手に思っている。そう疑いたくなるほど、題材は素朴で、完成度は高い。構図も色彩も、非常に洗練されている。
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少年が友達にノートを届けようと決意して、坂道を登りはじめるシーンで、音楽が入る。それは弦楽器を用いた、民族音楽だ。他のシーンに音楽は入っていないので、そのシーンがどれほど重要なのか分かる。
少年が隣村へ着くと、背中にたくさんの草を背負った老人がいる。背中側から撮っているので、少年はまるで、草のかたまりと話しているように見える。果たして、この演出はどれほど意図されたものなのだろう?
少年がさらに村の奥へ行くと、扉の向こうから大きな岩が投げられる。扉の向こう側にいる老人が投げているのだが、その老人をなかなか映さないので、先ほどの草を背負った老人のように、おとぎ話の中の不思議な出来事に見える。

そういえば、映画の後半、すっかり暗くなった村で少年が最後に出会う老人は、「わしは家の扉や窓を作っていた」という話を、しつこく何度もする。扉を売って商売している男も、途中に出てくる。ロケ地となった村に扉を作る職人が多いだけなのかも知れないが、それをフィクションに取り入れると、寓話的な感じがする。
たまたま、村にいた家具職人を題材にしただけなのだろうか? だとするなら、パン職人でも良かったのだろうか? キアロスタミ監督は、どこまで意図して、この作品に豊かな風土を盛り込んで、ここまで異様な独自性を持たせたのだろう? 
「このように撮れば、必ずこう伝わる」という劇映画の話法は、たとえばロシアのレフ・クレショフが実証した。その後、どう世界に伝播して、どこまで受容され、今日どれほどの範囲で許容されているのだろう?


僕は『友だちのうちはどこ?』の、胸を打つ美しいラストカットには触れたくない。
あのラストカットを観れば、誰でも合点がいくというか「ああ、なるほどね」と、すっきりする。誰にでも伝わる心地よさ、分かりやすさがある。「上手いところで終わらせるなあ」と、おおいに納得がいく。……がゆえに、くだらないとも思う。映画の途中で「こんな朴訥なカットを、なぜ自分は素晴らしいと感じているのだろう?」といぶかしく思っている、その自問に比べたら、「誰にでも分かる感動」の値打ちは低い。

「ネタバレ」という概念には、映画には正しい感動のしかた、正しい受け取り方、正しい物語の解き方、絶対の「正解」があるのだ(それ以外は「間違い」)……とでも言いたげな、余裕のなさを感じる。
「正解」以外の読み解き方しか許容できないから、伏線回収や死亡フラグといった物語の様式にばかり強くこだわるようになる。迷いたくない、疑いたくない、早く答えにたどりつきたい、安心したい、保証がほしい……その焦りが、自分の感受性をやせ細らせていく。
「こんな簡単に感動していていいんだろうか?」と、僕は疑う。自分がどこにいるのか、正確に知りたい。自分の感動が低レベルならば、それを事実として受け止めたい。その迷いと疑いの中にしか、突破口はない。

(C) 1987 KANOON

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