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2021年8月14日 (土)

■0814■

木曜日は涼しかったので、東京都美術館「イサム・ノグチ 発見の道」へ。
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誰もが撮りたくなる大規模なスポットを用意しつつ、回遊型の会場には見ごたえある彫刻がほどよく、単調にならないよう配置されていた。3フロアごとに、はっきりとテーマを分けたのも主張が明確でよい。
各フロアごとにドキュメンタリーを映写する場所が設けてあったが、みんなそのスクリーンの前に集まって、作者の言葉にすがろうとする。自宅で、テレビを見るような感覚なのかも知れない。
彫刻とは具体性のない構造・テクスチャーを前にして、呆然と、あるいは恍惚とするものだろう。しかし、その不安定な関係に、ほとんどの人が耐えられない。

半券で安く入れるギャラリーでは、小規模な写真や絵画を集めた「Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる」が開催中。
いつまた来られなくなるか分からないので、見られるうちに何でも見ておく。よい物を(ハズレを引くことを恐れず)いっぱい見ておく。


映画は、ヴィスコンティ監督の『揺れる大地』と『郵便配達は二度ベルを鳴らす』。いずれも、デジタル完全修復版。
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どちらも、スクリーンで見た記憶がある。『揺れる大地』の二時間半は長すぎるのだが、ネオ・レアリズモの作家であることを意識しながら、生活臭のある貧困生活を見るのは、格別だった。


メンタリストDaiGoという人が、ホームレスを批判して炎上した。
配信や印税で稼ぐフリーランスは、一歩間違えれば即座にホームレスだ。だからこそ、「あいつらとは違う」と攻撃的になる。本当に心に余裕があるなら、「社会にはいろいろな人がいる」と泰然自若としていられるはずだ。
しょせんは、自分と似た者が気になる。過去の自分、あり得たかも知れない自分に敏感になる。同族嫌悪というやつだ。

僕も平日昼間の駅前を歩いていて、自分と似たランクのだらしのない格好のオジサンが気になる。スマホを見ながら、SNSやゲームにハマったまま歩いている若者に腹が立つ。あるいは、スーパーでひとつの品物を買うのにものすごく時間のかかる、おそらく知的障害のある人たち。
そういう人たちと僕は同レベルに属しているから、どうしても視野に入ってきやすい。イライラする要素は相手ではなく、僕の中にある。ああなってしまうことが怖いし、「何とか意識して努力して、ああまで堕ちてはないぞ」という驕りが、彼らへの軽蔑心になる。
怒りや憎しみの原因が自分のコンプレックスにあると、まずは認めておくことだと思う。そして、相手と自分の境界線が薄れてきた時、まるで自分のことのように腹が立つのだろう。ダイエットを始めたばかりの人が、他人の美食にイラつくようなものだ。


ここのところ、明け方に2時間ほどウトウトしてしまう。夢の中で、僕は何かのキャラクター商品を提案している。そのデザインは、2~3歳のころに身の回りにあった安っぽい玩具、お菓子の包み紙か何かをヒントにしていて、僕は「小さい頃に身近にありましたよね、ホラあれですよ」と熱心に説明するのだが、相手には伝わらない。

起きてから、具体的にどんな玩具やお菓子が身の回りにあったか思い出そうとするのだが、あまりに原初的な記憶なので、異様な気持ちになってしまう。それらの玩具(菓子?)は、幼かった自分の唾液や垢で、黒々と汚れていたような気がする。
その身体の汚れからどれほど距離を置けるか……ちゃんと風呂に入り、清潔な服を着られるかが、どれほど生活を文明化できるかが、生きることの意味だ。裏を返せば、人間は自分の汗や唾液などで汚れることから逃れられない。

ホームレスになることの恐れとは、自分が幼児期のような無意識状態に戻ってしまうことへの恐れなのかも知れない。
狂うこと、バカになってしまうこと、向上心を失うことが怖い。

(C)1948 Ar.Te.As. Film, Universalia Produzione. (C)1987 Marzi Vincenzo; (C)2004 MARZI Srl. All rights reserved. International Sales VIGGO S.r.l.

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