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まだまだ元気な79歳! 劇場版『Gのレコンギスタ Ⅲ』「宇宙からの遺産」は富野由悠季を救い、そして地獄を見せている……?【アニメ業界ウォッチング第80回】(■)
『G-レコⅢ』の試写会に行ったら、富野さんご本人がいらしたので、その場で取材申し込み。宣伝会社さんにお願いして段どってもらい、インタビュー成立となりました。
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この記事は、過去の富野さんへのインタビューでも、かなり上手に出来たほうです。
インタビュー記事って、ひょっとして「相手の喋った順番どおりにベタ起こししている」と思っている人が、まだまだ多いのかも知れない。全体を貫くテーマを設定して、最初に「つかみ」となるやりとりを入れて、途中でダレないように「?」と思うような流れをつくって、それこそ「長い」と感じさせないように終わらせる。構成がキモです。
(まったく手を加えないベタ起こしでいいなら、機械にやらせた方が正確で効率的でしょうし、ニーズによってはそういう資料が必要な場合もあるでしょう。)
このインタビューを読んで、インタビュアーが馬鹿、富野さんに怒られてる……と笑っている方がいますが、「こいつ馬鹿だぜ」と読者さんを笑わせるフックとして機能しないなら、怒られたシーンなんて入れる意味がない。
殴られ役を設定しないと、インタビューされている側の強さ、主張が引き立たない。だから、読者さんに「面白いな」と感じさせるひねった構成も演出も必要なのです。報道ではなく、エンタメ記事なのだから、当然のことです。
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小田急線車内で無差別殺傷事件があったそうだが、誰もが嫉妬しやすく、あまりに傷つきやすい社会なのだと思う。SNSによって、他人の幸せや成功が自分への攻撃に見えてしまうらしい。
「こちらが不当に攻撃されたのだから、やり返すのは当然の権利」というやりとりを、何度も目にした。私刑を、みんなが望んでいる。「傷ついた」と言えば、私刑が正当化される。「明日、〇〇を買うつもりで楽しみにしていたのに、もう買う気をなくしました」、そもそも買う気がなくても、お客様のポジションを得ることで優位に立ててしまう。
コロナ禍で注目を集められるからだろう、「医療従事者です、もう限界です」「医者ですが、毎日つらいです」——これらの真偽不明なツイートにも、混じりけのない賛同以外に価値を見出せない、一種の傷つきやすさを感じる。
義務教育は、同年齢の子供たちを「平等」に競争させて、順位をつける。
その価値観から抜け出す、いわば落ちこぼれるためにアニメや漫画など、親や教師が眉をしかめる娯楽に価値を見つけたはずだった。その審美眼だって、SNSに放り込んだとたんに、「学力」と同質の優劣になりかねない。(……と、このように主観を書いたとしても、「アニメや漫画は落ちこぼれじゃない!」「こいつ馬鹿にしてんのか!」と、文脈無視のガチギレが成立してしまうのがSNS)
それぐらい、誰もが欠損を抱えている。どこへでも出かけて何でも見て、自分に向いてないかも知れないものでも試して、いろんな本を読んで、多様な価値観を身につけるしかない。
自尊心を育てるしか、報われる方法はない——。だが、恨みと呪いだけで生きている負け犬の不毛な報復を可能にする時代が来てしまったのかも知れない。
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昨日は、東京ミッドタウン・ホール「北斎づくし」に行ってきた。個別の作品ではなく、展示空間を楽しむ美術展で、好印象。
映画はプライムビデオでロッセリーニ監督『ロベレ将軍』、デ・パルマ監督『パッション』、カサヴェテス監督『オープニング・ナイト』、富野さんのインタビューにも出てきた『オーケストラの少女』。
他には濱口竜介監督『寝ても覚めても』、ドキュメンタリー映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』。
やはりジョン・カサヴェテスが、別格に良かった。積極的に見ていきたい。
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