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『100日後に死ぬワニ』が漫画であることすらよく知らず、したがって完結時に広告代理店が一気に人気を横取りした経緯なども、いまだに詳しく知らない。
では、どうしてアニメ映画化された『100日間生きたワニ』を観に行ったかというと、湖川友謙さんが絵コンテとアニメーション・ディレクターだと聞いたから。Twitterでは、「湖川さんっぽい作画が割とある」とツイートしている人もいたので、話のタネに見ておくか……と、忙しくなる前に出かけた。湖川さんは絵描きなのであって、演出は特に……という印象。
ところが、アバンタイトルの時点で、「いやいや、ちょっと待てよ?」となった。
内容をまったく知らずに観たのだが、ワニは本当に死ぬらしい。こんな単純な絵なのに、こんな思わせぶりな演出なのか? 親子連れもいたし、子供にも分かるような可愛い話じゃないの? 俺が無知すぎたのかも知れないが、全編、30歳ぐらいの都会の青年の淡々とした日常を動物に仮託して描いている。セリフ回しがリアルで、邦画にありがちな大仰な感情表現がない。雨に打たれながら「俺は~~!!!!」とか絶叫する邦画の、ことごとく逆を行く。
(上のお花見のシーンでコーラをつごうとしてこぼしてしまうのだが、なぜそんなに動揺しているか、後に明らかになる。そういう繊細な仕掛けが、あちこちに埋没してある。小道具ひとつ、ゆるがせにしていない。こんな絵なのに、ずーっと緊張感が途切れない。)
よって、ワニが死ぬシーンも「ひょっとして死んだのか?」程度。
周囲のキャラクターたちは、泣きもしない。観客が読みとるしかない演出になっている。この映画では、泣くべき人たちが泣かない。関係ないキャラクターが、関係ない経緯で泣く。すると、感情の部分で、他人だったキャラクターがドラマに絡みつく。ただし、これは湖川さんの手柄とばかりは言えない。上田慎一郎という監督を、僕はナメすぎていたのかも知れない。
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しかし、あらためて見てみると、本当にこんな「前から見た顔」「横顔」「後頭部」ぐらいしかないキャラクターばかりだ。
俳優たちの演技も朴訥で、「あのさ……」「うん」「ああ、いいや」みたいなボソボソした日常会話がつづく。小津安二郎みたいだよ。
しかし、その平坦とさえ言えるセリフを、相手が正面から聞くのか、背中で聞くのかで重みは違ってくる。主人公のワニが、憧れの先輩にクリスマスの予定を聞く。先輩は「予定あるよ」と答え、ワニは「そうですよね、そりゃあ、ありますよね」とリアクションするのだが、そのセリフは画面外のものであって、画面には先輩の後頭部が映っている。カットの終わり、先輩はチラリと振り返って、ワニを見るのだ。
すると、「ああ、先輩はワニがクリスマスに誘う魂胆だったことを察して、ちょっと弄んだだけか」と分かる。さて、シーンが変わる。何の説明も段取りもなく、先輩は街頭でアルバイトをしている。先輩はワニを遠くに見かけるのだが、話しかけない。
でも、分かるんだよ。先輩のワニに対する距離感や、心づかいが。
そういう地味な場面に雑踏の音とか、鳥の声とか、まるで余白の広さを感じさせるように環境音が入る。ぎっちり詰め込まないんだよ。自信のない映画ほど何でも詰め込んで、主人公に「うおおおおー!」「俺は本当はー!!」と叫ばせるんだと思う。
この映画は、内面吐露なんてしないんだよ。代わりに、人物たちは別のことをする。前に通った道を、今度は別の人と通ってみたりさ。同じことが、少しズレる。そこに感情が入りこむ。特に映画オリジナルだという後半に、その効果が生かされているように思う。
こんな絵だからこそ、ちょっとした空白とか余白に、じわっと感情が宿るんだよ。それが表現なんだよ。
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ところが、主題歌を聞こうとYouTubeを検索したら、レビュー動画がひどい。
この映画が期待されてない、ヒットしてない現状は仄聞していたが、それにかこつけて「作画崩壊」だとかさ。こんな単純な絵が、どうすれば崩壊するんだよ。「作画」のさの字も知らないだろう。「目と口しか動かない」とかさ。ディズニーのCG映画の観すぎではないのか。立体でぐりぐり動くのが優れたアニメだと思ってるだろ?
あと、『シン・エヴァ』を観た後に、同じ料金でこれはないわーとかさ。悪いけど、大ヒット作しか観てないよね? みんなが認めて、きっちり保証された作品しか誉めてないよね?
実写の『デビルマン』をとりあえず酷評しておけば、なんとなく映画通の仲間入りができる。その状況から、何も変わっていない。
かろうじて『100日間生きたワニ』を擁護しようと頑張っているプロレビュアーも大同小異で、演出を見ていない。そもそも、構図やカットワークを認識しているレビュアーは、滅多に見かけない。
広告代理店が横入りしてきて、原作ファンが白けたのは推察できる。でも、わざわざ「あんな映画は見ない、俺は騙されない」と威張っている時点で、騙されたのと同じレベルに落ちてしまっている。なんでも自分の目で確かめないと、バカのまま死ぬことになる。
で、「感動」なんてものは他人は一切保証してくれないぞ。感動する主体は、あなた一人だよ。その主体性を、いつも他人にあずけてるだろう? 自分の激しい感情を、自分で引き受ける勇気がないまま、周囲にあわせた凡庸な大人になってしまっただろう?
作品に向き合うとき、誰しも裸にされてしまうんですよ。そして、裸眼で作品と対峙するには、いろいろな作品を区別なく観て、いつも眼力を鍛えておかないとさ。「え? いろいろ観てますよ?」って人にかぎって、ロクに観てないから困っちゃうんだよな……。
では、『100日間生きたワニ』、二回目に行ってきます(連休が終わったら上映が変わりそうなので)。
(C)2021「100日間生きたワニ」製作委員会