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2021年にふさわしい現代的なガンダム作品『閃光のハサウェイ』、超絶クオリティの理由を小形尚弘プロデューサーに聞いてみた【アニメ業界ウォッチング第78回】(■)
小形プロデューサーに、取材させていただきました。
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萩尾望都さんの『一度きりの大泉の話』を、数日で読み終えた。
早い話が、ひとりの漫画家が理想の作品や価値観を夢想して、それに従わない競争相手を仲間と共謀して排除した。排除された萩尾望都さんは、単に「やられやすい性格」だったのだろう。僕も「やられる側」だから、分かる気がする。
創作の世界は、才能に恵まれた人が優越意識を持ちやすいので、「私の価値観を認めない相手を仲間はずれにする」動きが表面化しやすい。嫌味を言ったり、あれこれ嫌がらせをして、何とか相手を傷つけようとする。
価値観の違いを認めず、相手を支配下に置きたい。従わない邪魔者は何とかして排除したい。それは特殊なことではなく、人間の本能なのだと思う。
最近、YouTube Musicで音楽を流しっぱなしにしているが、恋愛の歌がとても多い。
「いつも二人だったから、ひとりの夜はさみしい」とか、そういうヤツ。ミュージシャンも才能や優劣が最上位で、称賛されて愛されて誉められてナンボの世界なので、独善的な優越意識や支配欲が生じやすいものと推測する。
で、悪いんだけど、「いつまでも二人でいたい」「お前だけを愛する」みたいな理想化された(それゆえに強制力のつよい、威圧的かつ依存的な)人間関係しか知らない人が多いんじゃないだろうか。「ひとりの夜は寂しい」ぐらいしか悩みがないのでは。非モテで孤独で、外見のキモいミュージシャンなんて、あまり聞いたことがない。
そういうことも含めて、(とかく美化されがちな)クリエイティブな世界は怖い。
(20代のころに付き合っていた女性は、「男の人が楽器を持っているだけで、ゾクゾクしてしまう」と言っていたし、口説き文句として「俺、音楽やってんスよ」を常用している男もいた。音楽をやっている人は確かに艶福で、いつも色恋沙汰が絶えなかった……偏見とは思うが、そういう印象が強い。才能本位と言いながら、通俗的な「カッコよさ」と直結するのがミュージシャンの世界ではないだろうか)
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繰り返しになるが、他人を支配して言うことを聞かせたいのは、人間の本能なのだろう。漫画家やミュージシャンにかぎった話ではない。
おそらく、乳幼児のころは母親に依存して育つので、人間誰しも「愛される」「誉められる」「言うことを聞いてもらう」が本能に組み込まれてしまうのではないだろうか。その母親という他者に対する甘え、依存、支配欲が性欲とリンクして、生殖行為へ連鎖する。セックスというのは支配的な、暴力的な行為なのに、本能レベルで遺伝子に組み込まれているため、人間の清い理性は反発する。
(まあ、だから先ほどの「ひとりの夜は寂しい」的に、暴力的な性欲や支配欲を美化して歌にでもしないと、自分の醜さに耐えられないのではないか)
べつに恋愛しなくても生きてはいけるが、そういう枯れた人間でも「他人に誉められたい」「自分を認めさせたい」厄介な欲望に呪われている場合が多い。偉くて決定権のある人が、すさまじく凝った嫌がらせで隷従を迫り、一円の得にもならないのに「俺の言うことを聞け」「あいつも俺の思いどおりにしてやったぞ」と、主従関係を築きたがる。それもこれも、お母さんのオッパイを吸っていた頃の習慣であり、恨みでしかないのに。
「他人をどうにかコントロールしたい」、それが人間関係の基礎とすら思えてくる。欲望なくして、人間関係は築けないのではないだろうか。だとしたら、ますます社会から距離をとって、隠遁するように、影のように暮らしたいと願う。
何かしら楽しく生きるコツがあるとしたら、とにかく他人に期待しない、他人への感心を薄めることだろうか。
もっと言うと、「他人に認められたい」欲望をなるべく希釈する。あれこれ絶望すれば、他人がどう思おうが、さほど気にならなくなる。
ひとりの時間が充実すると、ゆったりした時間の流れだとか、空や木々など自然の美しさが身近に感じられる。コーヒーやアルコールが、またとない友となる。作品も、落ち着いて自分の価値観だけで鑑賞できるようになる。本当に用がある時だけ、ちょっとだけ人間の世界へ出かけて、また戻ってくればいい。
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