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目に見えない「人の心」を目に見える形で描く——、テレビ版「新世紀エヴァンゲリオン」の研ぎ澄まされた演出力【懐かしアニメ回顧録第77回】(■)
テレビ版『エヴァ』にはストーリーの流れとは別に、演出というか表現手法の流れがあると思います。劇映画でも、ストーリーの落着とは別に、映画の追求する演出テーマの落ち着く先がある。
第16話で「心」「意識」を線で表現したとき、セルアニメとしての『エヴァ』は瓦解しはじめて、ストーリーが追いつくより先に「演出としてのオチ」が確定してしまい、それがテレビ版の第25・26話だったのでしょう。だから映画版で作り直しても、やっぱり実写などを織り交ぜた前衛的な演出に向かわざるを得ない。
セル画の芝居を苦しまぎれに続けるぐらいなら、表現の暴走によって最速でストーリーを凌駕してしまったほうが、潔いと思うのです。
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来週から取材が相次ぐので、また外泊してきた。今回の目的は、茅ヶ崎美術館の藤田道子展「ほどく前提で結ぶ」。
美術館自体が小さく、展示も小規模。悪くないんだけど、特筆するほどでもない。
前夜は茅ヶ崎駅ではなく、隣の平塚駅のビジネスホテルに投宿した。
駅ビルの屋上にレストランがあるので、夕空でも見ながらビールをやろうと立ち寄ったら、客は私だけだった。
テラス席の座席をあちこちへ忙しく運んでいた青年が、「レストランのお席ですが、よろしいですか」と話しかけてきた。
その青年は抜かりなく、「ビールのおかわりはいかがですか?」と追加オーダーを催促してきたのだが、なぜかペンキ塗りまでやらされて可哀そうだったので、追加を頼まざるを得なかった。
その後、よく吟味して居酒屋を選んだ。四皿+三杯だと、5千円ぐらいかかってしまう。だけど、「ちょい飲みセット」とかで安く無難にすますのは、精神の堕落なんだよなあ……。何をどういう順番で頼むか考えるのが、面白いわけで。
激安チェーン居酒屋に行くのは、僕には「飯なんて松屋の定食で十分」と信じていた貧乏だった青年時代を思い起こさせるので、旅先では一期一会の個人経営の飲食店を探す。スタバやドトールにも、決して寄りつかない。個人の喫茶店で、モーニングを注文する。
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話は前後するが、茅ヶ崎美術館は、駅から海へ向かう道中にある。
一泊するには大きすぎる旅行鞄をもっていたので悩んだが、とりあえず海まで歩いてみた。20分ほどで、砂浜が見えてきた。
オフシーズンだからか、サーファーっぽい金髪のお兄さんは皆無といってよく、近所の保育園の子供たち、お年寄りが多い。
その雰囲気なら落ち着けそうなので、さらにレストランのある辺りまで歩く(事前にスマホで調べてある)。
こういう時、手近で空いている店ですませてはいけない。吟味する。
あと、クラフトビールがあったら、必ず頼む。いつもの生ビールで終わらせない。こうやって自分だけの小さな楽園を卓上につくって、また少しずつ仕事に戻ればいい。
新幹線や特急グリーン車内での缶ビール、おつまみも楽しい。ビジホに帰ってから、地上波テレビをつけっぱなしにして、ベッドで横になりながら、スマホでYouTubeやAmazonプライムを聞くのも楽しい。ひとつひとつが、小さな楽園だ。
そのための時間とお金さえあれば、僕は誰かに認められたいとか愛されたいとは思わない。
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映画は、レンタル配信かレンタルDVDで『ファーゴ』、『テネット』、『ビッグ・リボウスキ』、『悪魔のいけにえ2』、『ゾンビ ディレクターズカット版』、『K-19』など。
『悪魔のいけにえ2』は金をかけすぎて前作のドキュメンタリックな魅力は霧散したが、引きの絵の中で、唐突に姿を現わすレザーフェイスの恐怖感は健在だった。構図だけは、「お金と関係なく効果を発揮する」ということなのだろう。
茅ヶ崎へのプチ旅行の間、風樹茂の『ホームレス入門』を読み終えた。
20年ほど前のルポルタージュで、僕はまだ結婚して戸塚に住んでいた頃に出た本だ。当時は、まるで妻の奴隷のような暮らし方をしていたが、妻の実家がお金持ちであり、妻がやりくり上手なこともあって、貧乏とは縁遠い生活だった。
ホームレスとは要するに、権力や社会による管理から逃れる、抵抗する生き方だ。「生活保護を受ければいいのでは?」と思ってしまうが、ようするに人間を税金を生み出す奴隷として生き延びさせるシステムが、生活保護なのだ。
それを知ったうえで、システムを悪用して自由を満喫するなら(たとえそれが小銭稼ぎのパチンコだろうと)、そのほうが賢いし、人間らしい人生とも思う。
平日昼間、駅前で買い物していると、ボーっとしている人が多い。
スマホ歩きはもちろん、よそ見したまま歩いていたり立ち止まっていたり、トロい人は判断力が鈍い。
仕事でも、もじもじ悩んだまま、何日も決断を先送りにする人がちょくちょくいる。そして、社会全体が、そういうトロいダメ人間を許容するぐらい、雑に出来ているのではないか……と思えてきた。
僕は中学~高校時代は成績表が1と2ばかりで、これ以上ないぐらいバカだったはずなのだが、「誰かと一緒に同じことをしていないと不安でしかたがない」「自分で判断したくない、問題をうやむやにしておきたい」ような人間にはならなかった。
ほどほどの満足感で、だましだまし生きてくると、中年になってからツケが回ってくる気がする。
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