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2021年4月29日 (木)

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あいかわらず朝晩ずっと、松村直登さんの動画ばかり見ている()。
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海外の反核集会に呼ばれたときは、確かに「原発をなくしましょう」と言ってはいるのだが、10年が経過しても、松村さんのしていることは牛や犬猫にエサを与えて回るだけ。現実的な実行力に終始していることが、この人の強みだと思う。
他の地域で似たような活動をしている人もいるのだが、そういう人たちは政府や現状に対する不満のほうが大きいようで、まあ色々しゃべるんだ。煩悩にまみれすぎて、見ていられない。

松村さんは、原発事故後に知り合った女性とのあいだに子供が生まれたそうだが、以前に結婚していた奥さんは、子供二人を連れて十数年前に出て行ってしまったという。松村さんの行動の根底には、あきらめがある。あきらめたからこそ、言動が洗練されているのだろう。
怒らないんだよな、松村さんは。怒らずに、いま出来ることをやる、どうにもならないことはあきらめる。その境地にいたれず、悪あがきするから人は不幸になる。


東京新聞の望月衣塑子記者が、インドのコロナ感染の惨状を引用して、「日本もこうなる」ようなことをツイートしていたので、うっかり批判してしまった。すると、左翼的な人たちが反論してきた。あいかわらず、この手の人たちは「〇〇法に反対!」みたいなリツイートにまみれていて、生活がぜんぜん面白そうじゃない。ユーモアもジョークもない、ギャグが通じないほど頑迷固陋で、融通がきかない。悪いけど、仕事もできなくてお金もないだろうと思う。

そういうダメ人間たちを「日本人というだけで全肯定する」と救ってきたのが、10年ぐらい前のネトウヨだったのではないだろうか。
今はフェミニズムが代わりを果たしているだろうし、ハッシュタグをつけてツイッターデモ(笑)を繰り返す左翼活動が、底辺を祝福するセーフティネットとして機能しているのではないか。実際に国会議員に接触するような運動家はもう少し頭がいいだろうが、たかがツイートごときで「声をあげた」などとお手軽にスマホで完結している人たちは、底辺だと言っていい。
簡単に他人に信用してもらえると思っているし、悪手を打ったくせに勝たせてもらおうとする。見苦しいんだよね、彼らは。努力も工夫もしないくせに、努力や工夫をした人間の分け前をよこせと言っているんだから。

(共産党のような巨大組織は、そういう他力本願なダメ人間をうまく動員していると思う。党内にも、唯々諾々と党の方針に従ってくれる無能な地方議員がいっぱいいるだろう。ダメ人間の雇用という意味で、共産党もセーフティネットの一形態と言えるのではないか。
赤旗の一面に載ってしまった小泉今日子さんの場合、彼女が利用されたというよりは、「キョンキョンが間違えるはずがない」と一方的に信じ込んでいる大量のおバカさんを釣ることに成功したんだろう。それは別に悪いことじゃない、騙されたお前らの考えが浅かっただけだ)


「ヘルジャパン」とか「地獄かよ」が口癖になっていて、人生のつまらなさの原因を社会になすりつけている限りは、死ぬまで負けつづける。
コロナウィルスの感染状況が本当にインドのようになるのであれば、そうならないように考えるのが大人だと思う。だのに、左翼的な人たちは「思っているより状況はずっと悪い」「これから、さらに悪くなる」という暗雲たちこめる話が大好物だ。給付金の支給が決定したのに、「外国人にも!」 外国人への給付が決定したら、今度は「不法滞在している外国人にも!」とかさ。不満と不完全が、人生観のベースになってしまっている。
改善策を社会や他人に丸投げしているんだから、そりゃあ人生面白くないよね。心穏やかに、機嫌よく過ごしている人間の勝ちですよ。思想も政治も性別も関係ない。

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2021年4月26日 (月)

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昨日、『ナオトひとりっきり』()を見てから、松村直登さんの登壇したトークイベントや松村さん自身が撮影した動画などを、片っ端から見ていた。
やっぱり、ジャーナリスト系の人は松村さんに自分のストーリーを反映しがちだ。特に、トークイベントで話を聞く立場のくせに、「うんうん、それで?」「それからどうなったの?」とタメ口をきく女性記者が不愉快だった。まあ、その人のように松村さんをセルフ・イメージづくりに利用している人が、世界中にいっぱいいるんだろう。

松村さんは各地の反原発デモにも呼ばれて、中にはマイクを握ってスピーチしている動画もあった。
一応、「東電が」「国が」と口にはするのだが、「汚染地域に暮らしていて、むしろ元気になった」と笑わせて終わっている。そこに司会者が入ってくると、もう「都会の物質」というか、余計な垢、情報だのイメージだの空虚なものが多量にこびりついていて、見るにたえない。もちろん僕も、そのような堆積した垢の中に生きているんだろう。

松村さんの行動は一切が具体的であり、ストーリー性など入る隙間がない。動物にエサをやれば生きるし、弱い動物は死んでいく。松村さんは泣かないし、「死んだから埋葬した」とそっけない。(この「泣く」という生産性のない行為が、人間から現実感を膨大に奪っていると思うんだよな……だから、僕は「泣きました」とアピールしたがる人は、とりあえず信用しない。そういう人は、自分の空っぽさを誤魔化している)


考えてみれば、人生のほとんどが罠で出来ている。
自尊心だとか見栄だとか虚栄心だとか、こうして言葉にした端から空しくなっていくが、家庭や学校で叩き込まれるんだろうな。あと、文化や表現も、そういうまがい物で成り立っているのかも知れない。
どんなにキラキラしていて、たくさんの人に囲まれてにぎやかに生きていても、そのきらびやかなイメージ自体が即座に虚栄だと分かる。ぜんぜん幸せじゃない。本質的じゃない。

Twitterを見ていると、落ち目の演劇人や芸能人は、安易な左翼思想に堕する。彼らは、人生にまとわりつくイメージを金に換えている。だけど、その緊迫感がない。反体制、反権力、これもまた甘美な罠である。
嘘は必ず、本物のふりをしてやってくる。


 『ナオトひとりっきり』の中で、印象的なシーンがあった。
松村さんが、津波で消滅した町に立っている。防波堤のあたりで手すりが壊れていて、松村さんは折れた手すりを持ち上げて、元の場所へ戻そうとする。だが、手すりはポロッと落ちてしまう。松村さんはそれ以上は何もせず、ほったらかしにして立ち去る。
まったく無意識の仕草だ。彼は一度は手を差しのべるのだが、どうにもならなかったら追求しない。現実を、あるがままにしておく。どうにかなることしかやらない。ほとんどの人は、どうにもならないことばかり大義名分で覆い隠して、無駄な怒りやら悲しみやら憎しみやらをまき散らしている。

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2021年4月25日 (日)

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「機甲界ガリアン」の1/100 ウィンガル(タカラ製)を組み立てて、‟甲冑ロボ”の重々しさに陶酔してみた!【80年代B級アニメプラモ博物誌】第10回
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タカラ製の1/100ウィンガルを、素組みレビューしました。

モデルグラフィックス 2021年6月号
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「組まず語り症候群」は、連載102回目です。やっぱり連載があると、業界の人から「見てますよ」と言ってもらえるので、強いですね。


原発事故後、「見捨てられた牛が餓死していくのが嫌だったから」程度の理由で農家の牛たちを預かり、誰もが避難した無人の福島県富岡町に暮らす男を追ったドキュメンタリー映画、 『ナオトひとりっきり』。
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建設会社を営んでいた松村直登さんは、事故後は保証金で暮らしている。なので、牛たちにエサを与えるのは道楽でしかない。朝晩、鉄パイプで囲った農場を車で回ってはいるが、あまりに適当に飼っているため、牛たちはやせ衰えて死んだり、勝手に妊娠・出産している。そのアバウトさが、気持ちいい。
汚染地域に暮らしているため、フランスの反核団体に招かれたりもしているが、「海外で何か聞かれたら、すべては俺の運命だと答える。すると、質問が来なくなるから」と笑うほど、思想がない。

霞ヶ関での反原発デモに牛を連れて参加しているが、「除染などしても税金の無駄」「金がもったいない」という程度で、別に反体制とかそういうんじゃない。
それなのに、知り合ったジャーナリストは何かしら、それっぽいストーリーを松村さんの人生に与えようとする。そのインテリ特有のぜい肉のような見栄や執着を捨てることこそが、思いつくままに生きている松村さんが我々に突きつけているテーマではないだろうか。


松村さんの主食は、卵と納豆、あとはレトルト食品。
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荒れ放題の家の中、ボランティアの獣医と80歳をすぎた父と酒を飲むシーンがある(酒は映っていないが、紙コップで何か飲んでいるのと、焼き鳥のようなものを食べていたので間違いないだろう)。
すると、獣医はインテリなので、未来の話だの今後の展望だのを話すのだが、こちらの脳が受けつけない。脳が松村さんの生活意識にチューニングされているので、都会人の思考回路についていけないわけだ。そこに、ぜい肉というか煩悩をそぎ落とすチャンスがあると思うんだよな。

松村さんに牛を預けて、仮設住宅に暮らす老夫婦が出てくるが、そこでの質素な暮らしすら、すでにシステムに飲まれている。松村さんは保証金で暮らしながらも、国だの行政だのと正面から戦わず、ひらりと交わすような鮮やかさがある。
獣医が「話にならん」と呆れるほど、でたらめに牛を飼うだけの日々だが、「話にならん」ことこそが強みだと思う。話になったら、負けなんだろうな。

それにしても、津波で全滅した住宅地に車が乗り捨てられ、コンクリートの隙間から草が生えている風景の、なんと美しいことだろう。


他に観た映画は、『ア・フュー・グッドメン』、『ザ・コンサルタント』、『黒い家』、『めし』、『SF核戦争後の未来・スレッズ』。すべてAmazonプライムでレンタル。DVDを探してレンタルしてきて返すのは、あまりにも効率が悪くてダメ。


先週火曜日、ようやく時間ができたので、またお台場に行って、今度はバーベキュー場へ行ってみた。
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海沿いで、しかも屋上という絶好の立地。そして、自分で焼くポップコーン、ポテト、チキンが美味かったのだが、このカップ入りの酒がクセモノ。この量だと調整がきかず、つい5~6杯も飲んでしまう。「小さなカップだから、たいした量じゃないよな」と油断していたので、たちまち二日酔いになってしまった。あと、肉が焼けるまでは飲むしかないため、つい量が過ぎてしまう。ああ、飲酒は難しい……。


歩きスマホをする人は仕事ができない理由

歩きスマホばかりか、歩きながらノートPCを開いている人がいて、びっくりしてしまう。段取りの悪いバカを、公共の場で目撃したくない。僕からすれば、歩きスマホは欲望のおもむくままオナニーしながら歩いてるようなもの。部屋でひとりでやれ、というだけの話。

歩きスマホしている人は、通行人の三割程度で、半数以上の人は自分の進む方向をしっかり見て歩いているのではないだろうか。
遊びの約束に遅刻してくる人は、例外なく仕事も遅れて提出する。「そんなことはない、仕事になればキチッとする」などと言われても、僕は信用しない。というより、ストレスのたまる社会とは、なるべく関わらずに生きるのがベストなんだろう。

金持ちになって、その日暮らしで世界を転々とできる「贅沢なホームレス」になれないか、考えてしまう。

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2021年4月 9日 (金)

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目に見えない「人の心」を目に見える形で描く——、テレビ版「新世紀エヴァンゲリオン」の研ぎ澄まされた演出力【懐かしアニメ回顧録第77回】
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テレビ版『エヴァ』にはストーリーの流れとは別に、演出というか表現手法の流れがあると思います。劇映画でも、ストーリーの落着とは別に、映画の追求する演出テーマの落ち着く先がある。
第16話で「心」「意識」を線で表現したとき、セルアニメとしての『エヴァ』は瓦解しはじめて、ストーリーが追いつくより先に「演出としてのオチ」が確定してしまい、それがテレビ版の第25・26話だったのでしょう。だから映画版で作り直しても、やっぱり実写などを織り交ぜた前衛的な演出に向かわざるを得ない。
セル画の芝居を苦しまぎれに続けるぐらいなら、表現の暴走によって最速でストーリーを凌駕してしまったほうが、潔いと思うのです。


来週から取材が相次ぐので、また外泊してきた。今回の目的は、茅ヶ崎美術館の藤田道子展「ほどく前提で結ぶ」。
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美術館自体が小さく、展示も小規模。悪くないんだけど、特筆するほどでもない。
前夜は茅ヶ崎駅ではなく、隣の平塚駅のビジネスホテルに投宿した。
駅ビルの屋上にレストランがあるので、夕空でも見ながらビールをやろうと立ち寄ったら、客は私だけだった。
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テラス席の座席をあちこちへ忙しく運んでいた青年が、「レストランのお席ですが、よろしいですか」と話しかけてきた。
その青年は抜かりなく、「ビールのおかわりはいかがですか?」と追加オーダーを催促してきたのだが、なぜかペンキ塗りまでやらされて可哀そうだったので、追加を頼まざるを得なかった。

その後、よく吟味して居酒屋を選んだ。四皿+三杯だと、5千円ぐらいかかってしまう。だけど、「ちょい飲みセット」とかで安く無難にすますのは、精神の堕落なんだよなあ……。何をどういう順番で頼むか考えるのが、面白いわけで。
激安チェーン居酒屋に行くのは、僕には「飯なんて松屋の定食で十分」と信じていた貧乏だった青年時代を思い起こさせるので、旅先では一期一会の個人経営の飲食店を探す。スタバやドトールにも、決して寄りつかない。個人の喫茶店で、モーニングを注文する。


話は前後するが、茅ヶ崎美術館は、駅から海へ向かう道中にある。
一泊するには大きすぎる旅行鞄をもっていたので悩んだが、とりあえず海まで歩いてみた。20分ほどで、砂浜が見えてきた。
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オフシーズンだからか、サーファーっぽい金髪のお兄さんは皆無といってよく、近所の保育園の子供たち、お年寄りが多い。
その雰囲気なら落ち着けそうなので、さらにレストランのある辺りまで歩く(事前にスマホで調べてある)。
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こういう時、手近で空いている店ですませてはいけない。吟味する。
あと、クラフトビールがあったら、必ず頼む。いつもの生ビールで終わらせない。こうやって自分だけの小さな楽園を卓上につくって、また少しずつ仕事に戻ればいい。

新幹線や特急グリーン車内での缶ビール、おつまみも楽しい。ビジホに帰ってから、地上波テレビをつけっぱなしにして、ベッドで横になりながら、スマホでYouTubeやAmazonプライムを聞くのも楽しい。ひとつひとつが、小さな楽園だ。
そのための時間とお金さえあれば、僕は誰かに認められたいとか愛されたいとは思わない。


映画は、レンタル配信かレンタルDVDで『ファーゴ』、『テネット』、『ビッグ・リボウスキ』、『悪魔のいけにえ2』、『ゾンビ ディレクターズカット版』、『K-19』など。
『悪魔のいけにえ2』は金をかけすぎて前作のドキュメンタリックな魅力は霧散したが、引きの絵の中で、唐突に姿を現わすレザーフェイスの恐怖感は健在だった。構図だけは、「お金と関係なく効果を発揮する」ということなのだろう。

茅ヶ崎へのプチ旅行の間、風樹茂の『ホームレス入門』を読み終えた。
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20年ほど前のルポルタージュで、僕はまだ結婚して戸塚に住んでいた頃に出た本だ。当時は、まるで妻の奴隷のような暮らし方をしていたが、妻の実家がお金持ちであり、妻がやりくり上手なこともあって、貧乏とは縁遠い生活だった。
ホームレスとは要するに、権力や社会による管理から逃れる、抵抗する生き方だ。「生活保護を受ければいいのでは?」と思ってしまうが、ようするに人間を税金を生み出す奴隷として生き延びさせるシステムが、生活保護なのだ。
それを知ったうえで、システムを悪用して自由を満喫するなら(たとえそれが小銭稼ぎのパチンコだろうと)、そのほうが賢いし、人間らしい人生とも思う。

平日昼間、駅前で買い物していると、ボーっとしている人が多い。
スマホ歩きはもちろん、よそ見したまま歩いていたり立ち止まっていたり、トロい人は判断力が鈍い。
仕事でも、もじもじ悩んだまま、何日も決断を先送りにする人がちょくちょくいる。そして、社会全体が、そういうトロいダメ人間を許容するぐらい、雑に出来ているのではないか……と思えてきた。
僕は中学~高校時代は成績表が1と2ばかりで、これ以上ないぐらいバカだったはずなのだが、「誰かと一緒に同じことをしていないと不安でしかたがない」「自分で判断したくない、問題をうやむやにしておきたい」ような人間にはならなかった。
ほどほどの満足感で、だましだまし生きてくると、中年になってからツケが回ってくる気がする。

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2021年4月 3日 (土)

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ホビージャパン ヴィンテージ Vol.5 発売中
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私が巻頭特集を担当するようになってから、4冊目。評判はよく、5冊目の話も始まりました。
とにかく、前号の反省から出発して、なるべく欠点を克服した。それに尽きます。


東京現代美術館へ、「ライゾマティクス_マルティプレックス」と「マーク・マンダース — マーク・マンダースの不在」、二つの展覧会へ行ってきた。朝一から見たかったので、わざわざ木場駅ちかくのビジネスホテルに泊まった。
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ライゾマティクスの方は、白いキューブがバレエのように美しく交差し、その動きにあわせて無数のパターンの模様が重ねられるパフォーマンスが、最大の見どころ。
もうひとつ、金属で組んだ数メートルのフレームにピンポン玉をいくつも走らせて、動く玉にレーザーで模様を投映するインスタレーションも見ものだった。物理法則を使いながら、デジタル的な演出でプラスアルファしている。物理世界に、独自のいろどりを添えている。

一方のマーク・マンダースの異様な彫刻群も、物理法則を利用しながらも抗うような展示だった。
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自作の家具類に、粘土でつくった巨大な彫像を組み合わせているが、物理的に無理がある。マンダースは、その無理を実現するために、ロープや針金でしばり、ゴムや木材を隙間に突っ込んで、その無茶ぶりをも作品の魅力に転化している。

コレクション展は、いつも近代絵画から始まって、50~80年代ごろのミニマリズムで終わるのだが、今回は構成と解説が念入りで、とても良かった。
帰り道、ちょっと涙が出そうなほどの充実感があった。ひさびさに、美術館の二階にあるサンドウィッチ屋にも行った。曇り空の木場公園を歩いて駅に向かった。


さて、木場駅周辺は飲み屋が多く、ちょっと微妙な居酒屋で個性的な料理を食べた。
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しかし、何はともあれホテルに荷物を置いて、かすかな夕暮れを楽しみながらの屋外ビール! ちゃんと木場公園内にテラス席があってビールを飲ませる店があると、事前に調べてあったのだ。

とにかく、どんどん新しい娯楽を見つけ出して、どんどん体験する。フリーランスなので貯金は大事にしているが、遠慮しすぎてはいけない。
大金をかければいいわけではない。最近、世捨て人やホームレスの本を読んでいるが、幸せの方向はどっちを向いているか分からない。今の生活をキープするのが本当の幸せなのか? どんどん探求しなければ、面白くならない。


昨年、新藤加菜という女性が自作のアベノマスクブラを着けたポスターで都議補選に立候補したとき、北区を拠点とする共産党の池内さおりさんが「女性を差別し性的に消費し続ける宣言」などと、厳しく批判した()。
詳しい話を聞こうと編集者をつうじて取材申請したが、断られてしまった(結果、新藤さんが自分の正しさを述べるインタビューだけが成立した→)。

その池内さん、今度は電車の乗降時に男性にぶつかられたことをツイートし、「女性差別」「政治を変えよう」などと、例によって判で押したような美辞麗句を、絆創膏のように乱雑に貼った()。
僕も珍しくTwitterで意見を述べた。
確かに、人混みでぶつかってくる男はいるよ。僕もヒョロヒョロしていて猫背だから、たまにタックルされるよ。屈辱だよ。その悔しさは分かるんだけど、「女性差別」という池内さんが全力で取り組んでいるはずの重要なイシューを、こんなチリ紙みたいに軽々しく使うところがバカだよねえ……。
「ぶつかられて悔しい」とだけ言えば、ここまでの反発は招かなかったと思う。「女性差別ではなくマナー違反」という批判が多いけど、こういうテンプレ対テンプレの図式で停滞するパターンが多いよね。

ウェブ上の批判に対して、またしても「匿名からの悪意あるリプ」とか返してるでしょ? 政治家は、新しい問いかけを用意してくれよ。そんな宛てがいぶちの使い古された紋切り口調でしか反論できないなんて、本当に実体験も知恵も枯渇してるんだと思う。
共産党内でも活動家でもフェミニストでも、もっと上手く立ち回っている頭のいい人は沢山いると思う。


「差別反対」というイシューを最初にかかげておくと、批判意見に対して「この差別主義者め!」と脊髄反射的な切り返しができるわけ。最果てのバカでも可能ないちばん幼稚な切り返しだよ、「Aに反対している私を批判する人は、すべてAを推進する悪者だ」なんて。
政治にかぎらず、映画とかの話も、この種の「Aに賛成しなければAに反対のはず」という閉鎖したトートロジーによって停滞している。SNSが、そういう循環に陥りやすい構造なんだろうね。で、それに気がついた以上は、循環構造から抜け出す工夫をしないと、ひたすらバカになっていく一方なんだよ。

屈強かつ傲慢な男は、確かに女性や弱そうな男を狙ってぶつかってくるよ? それは事実だよ、俺も経験したから。
でもさ、「体の強い男性は怖いものなし、社会の中で理不尽に威張っている」「肉体的な優劣が、社会的立場に影響する場合がある」、この残酷な事実を「差別反対」のはるか手前で認めないかぎり、何の解決策も出て来やしないよ。人はルックスでも差別されるし、年齢や体力でも差別されますよ。その人間の度し難さや醜さを、まずは歴然たる事実として受け入れないと、何も始まらない。
そのためには、勇気も覚悟も必要だし、ずる賢いほどの知恵も必要なんだよ。

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