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3/20(土)15:00~ 配信予定!(■)
大河原邦男さん、小田雅弘さん、川口克己さんによるガンプラ創成期……どころか、ガンプラ発売前から始まる壮大なトークです。見逃さないように!(私は司会です。アニメの取材とプラモデルの取材、両方つづけてきて良かったと思います。)
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先週水曜、なんとか原稿を終わらせて、昼から水戸へ行ってきた。
チームラボの屋外展示、「偕楽園 光の祭」を鑑賞するため。18時から2時間ほどしかオープンしない。
園内の枯れ木に、色とりどりの花が咲いては散っていくCGを投影している。ここまで歩いてくるころには、もうかなり脳内快楽物質が分泌された状態だ。
「うわあ……」と声が出てしまったのは、コレ。普通の樹木と植木に、格子状の模様を動くように投射すると、その場にない空間が浮きあがる。ちょっと言葉では説明できない、ホログラムのような非現実感。自分の目が信用できない。これが一番、すごかった。
1800円の価値は十分にある、広大な展示だった。チケットは完売で、一時間近くも並ばされるオペレーションの悪さには閉口したけど……(同じチームラボの「どんぐりの森」よりはマシかな)。
客層は、ふだんは美術館などには絶対に来なさそうな家族連れ、アベックがほとんど。真っ暗な森を光で照らしだす展示なのに、みんな自撮りしたり相手の顔を撮るのに懸命だった。……こういう層が、ふつうにチームラボの作品に接する、チームラボの作品がふつうに生活空間にある状態が、僕は理想だと思っている。なので、「これは彼らの仕事が浸透している結果なのだ」と受けとめる。
それとは別に、僕はやっぱり「家族」という単位が好きではないのだろうと、あらためて思った。他人に期待しない、ひとりでやれる範囲のことを存分に楽しむのが好き。
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帰りは水戸駅前の庶民的な小さな居酒屋で一杯やって、格安ビジネスホテルの一室、横になって音楽を聴いたり、適当な動画を観たり、至福の時間をすごした。
翌日、喫茶店でモーニングを食べてから、水戸芸術館・現代美術センターへ足を延ばした。この前の展示も悪くなかったので、今回は前情報ナシで、ぶっつけで行ってみた。
展示テーマは、「3.11とアーティスト 10年目の想像」。たまたま3月11日だったので、入場無料。
上の展示は、被災地での手記を1日ごとに木箱に入れて波打つように配置してあり、右側には3月11日から最近までの事態の推移が、大きな薄い紙に印刷されている。紙は下が止めてないので、何かの拍子にフワッと揺れる。静止した木箱の中の手記、揺れ動く外側の事実。
帰宅困難区域ぎりぎりの場所を描いた、数枚の油彩画のひとつ。
原発事故後に繁茂したであろう草木は、カンバスから浮き出るぐらい絵の具が盛り上がっているが、「立入禁止」の看板はペタッと薄く描いてある。空だけは、どの絵も綺麗なグラデーションでサラッと描いてある。
これが、風景画を描く意味だと思う。目の前の状況を分解して、作者の技術で構築しなおしている。「原発が題材だから」ではなく、「題材に技術で向き合っている」、この誠実さが作品の価値だと思う。
綺麗か汚いかの印象で言ったら、汚い。でも、「汚い」という部分すらもコンセプトなのだ。
この作品は、いささか凝りすぎた構成だ。まず、入り口とぴったり合う大きさのディスプレイが、侵入をはばむように置いてある。画面にはPCの起動画面。その裏は、被災地を取材した映像。本当の作品は、壁の向こう側を覆うレンガで、それは原発事故によって「見ることが出来なくなった」作品であり、その前には封印につかう透明の玉が置かれている。
その封印の玉の向こうへ行ってみると、部屋の隅に隠すようにしてモニターが置かれており、被災者のドキュメンタリーが映されている。
つまり、自分から封印の向こう側へ歩いていかねば、作品すべてを見ることはできない。その「自分から見にいく」能動性というか決意が、作品の喚起する価値なのだ。
ただ、綺麗な絵画を壁に貼ってあるのが美術館だと思うだろう? もっともっと良いものを、どんどん自分から見にいかなくては、人は簡単に堕落する。
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3.11といえば、YouTubeで一般の人が撮った津波の映像ばかり見ていた。被災した人たちに、そう安易に感情移入などすべきではない。
反原発デモに参加したことは、後悔していない。「政府が決めたとおりに従おう」「決まりは守ろう」という受動的な生き方は、自分には出来ない。しかし、リベラルとか反権力といった人たちも、十分に受動的かつ無責任で丸投げあることが、ありありと分かってきた。
日本人は、主に教育によって、自尊心を奪われている。権力に従いすぎるのも、また代案もなしに反発するのも同レベルの甘えではないだろうか。要求を通したいなら、自分が確実に責任を負える範囲で、実情に即した手続きを通していくよりない。怒りであれ憎しみであれ、社会の中で合法的に「手続き」化できないければ、人は無力だ。
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