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ふるさと納税でプラモデルが手に入る? マイクロエース(有井製作所)が、新橋駅前の蒸気機関車をプラモ化する理由【ホビー業界インサイド第69回】(■)
せっかく関東にある模型メーカーなので、取材に行きました。こういうの、模型誌はやらないので。
モデルグラフィックス2021年5月号も、発売されております。連載101回目のお題は、アトランティス製の「1/72 空飛ぶ円盤」です。記事中では円盤ではなく「UFO」と書いてるので、タイトルで担当編集さんに苦労かけちゃったみたい……。
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日曜日にいろいろ仕事を終わらせたので、月曜日は日本橋にあるアートアクアリウム美術館へ。
ここまで悪趣味だと、いっそすがすがしい。「果たしてこれが美術館なのか?」という揺さぶりをかけてくる。ラッセンの絵画のような存在。
日本橋の喫茶店でトーストを食べたあと、通りすがりに見かけた遊覧船の出港時間に間に合うので、乗り場に駆けつける。3500円という予想外の値段だけど、とにかくどんどん行く。「次でいいや」とは考えない、今を楽しくする。
まるで『パトレイバー2』でしょ? 動画もTwitterに上げたので、見てほしい(■)。
桜の名所を回るという企画なんだけど、僕は東京の裏側……無表情な倉庫街、オフィスビルのはざまに建っている小さな雑居ビル、洗濯物の干された木造アパート……に魅了された。それらは東京の裏の顔であり、寂しくささやかだった。
護岸船のうえに、プレハブの事務所や仮設トイレがあって、カッコよかった。こんな船上で寝起きできたら、どんなにいいだろう。お風呂は銭湯に行くしかないが、憧れてしまう。
桜見物の遊覧船なのでアベックか女性同士の客ばかりだが、いいんだよ。中年男ひとりで、どんどん行くんだよ。僕の愉しみは、僕にしか分からないんだから。
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翌日、突発的に京都へ行った。安いビジネスホテルを予約して、新幹線に飛び乗る。
ホテル近辺の居酒屋で、焼きたまねぎを頼んだり、酒と料理の配分を自分なりに考えて楽しむ。
格安ビジネスホテルで就寝後、翌朝は喫茶店でモーニングを食べて、バスで30分ほどかけて京都市京セラ美術館へ。
どうやら観光名所らしく、建物内で自撮りして帰る人ばっかり。俺は、ちゃんと企画展もコレクション展も見たが、お目当てはこれ。
湊茉莉さんの作品だが、地下の小スペースに1点のみの展示だった(無料)。
地上出口のピンクの模様が、陽光によって、展示スペースを桜色に染めている。羽衣のような布が地上部分へはみ出していたりして、もっと良いコンディションの会場で見たかった。
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大阪にも一泊しようと衝動的に決めたので、新幹線で移動。
中之島公園に、テラス席つきのレストランがあるとマップ検索で分かったので、とにかく行く。どんどん行く。
フライドアンチョビポテト、聞いたこともない料理だったが、抜群に酒に合う。なので、赤ワインも頼んで都会の夕空を楽しむ。まだ17時前だが、他にも酒を飲んでいる客がいる。そう、日々の中に楽園を見つけるんだ。
17時をすぎたので、居酒屋に移動して、本格的に始める。
しかし、最初に入った店が安いメニューを小皿で次々と提供する駄菓子屋タイプだったので、ビール一杯とレモンサワーで、さっさと辞す(それでも3千円ほどかかってしまった。通行人がちょっと覗いて入らなかった店はハズレだと確信した)。
気分を一新したかったので、居酒屋ではなく、小さなワイン屋に入る。
赤ワイン、生ハム、そして「ワインにあうポテトフライ」。焼いたニンニクが、さりげなくまぶしてある。これだ、こういう料理で満足したかった。単に酔いたいというより、こういう文化と工夫に出会いたいから、知らない土地で飲酒するわけだ。
激安チェーン店では話にならないが、高級店・有名店にとびつくのも豊かとは言えない。
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翌朝、またしても地元の喫茶店でモーニングをキメてから、ホテルから10分ほどの国立国際美術館へ行く。
お目当ては、コレクション展「見えるものと見えないもののあいだ」、これが抜群によかった。
ダン・フレイヴィンの作品は、たった2本の蛍光灯だ。しかし、これを壁に展示すると、周囲の空間すべてが作品化する。
木漏れ日を撮った写真。一面に小さな写真を等間隔に並べると、「1枚の写真を1枚ずつ見る」ことは不可能で、どうやっても視界に一度に入ってくる。その不可避の関係性こそが、「見えるものと見えないもののあいだ」なのだと思う。
他の作品も、少しずつ情報が欠落していたり、局所的なクローズアップばかりだ。「見えるものと見えないもののあいだ」は、鑑賞者の視覚や知覚の内部に横たわっているのだ。その発見こそが、作品を鑑賞することの目的なのだと思う。
このコレクション展は安く入場できるが、実は企画展を見るとタダで見られる。後から知った。
一応、企画展も見たけどさ。荒々しいタッチの絵画や彫刻をいっぱい並べれば、それで「芸術」だと思ってない? 上野の美術館なんて、全部そうでしょ。そのほうが、大衆受けするからだよ。
何枚か、いい作品もあった。だけど、大きい作品=迫力があると浅いところで満足している美術館側と、考えもなく群がっている観客の「妥協」がイヤだった。
企画展の券でコレクション展も見られるから、もういちど、コレクション展を見たよ。そのほうが有意義だ。
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昼過ぎに新幹線に乗って、16時ごろにマンションに帰ってきた。
数万円つかってしまったけど、とにかく時間をつくってドンドン出かける。いい作品もダメな作品も見て、いい酒の飲み方も勉強する。今この瞬間を充実させていく。
つまらなく生きてる人って何も工夫してないし、マイナスの感情にばかりとらわれている。逆に「いいっすね、感動しました!」と頻繁に口に出すのも、浅い貧しい態度と思う。「実のところ、沈黙を続けられない人間にいささか蔑みを覚える」(『ある世捨て人の物語』より)
観光地に行くと、5人とか6人とかでぞろぞろ歩いている若者がいる。同じような髪形、服装をしている。
僕がディズニーランドで見た女子高生たちは、スマホに付いている鏡のような機能を全員が使っていて、まるでローテーションでも決まっているかのように、スマホを見ては前髪をチラチラと整えていた。3~4人が、まったく同じ仕草をかわるがわる、やっている。つまり、自分は「みんな」の一部なのだと思っていないと、不安なんだろうな。
その不安は、若いうちだけの特性なのだろうか? 似たような格好の大人が、ぞろぞろ歩いているのを見ると、情けなく感じる。スマホを見ながら歩いている人は、「私は計画性も危機管理意識もなく、仕事が出来ません」と宣伝しているも同然だ。
僕は、人が好きではないのだろう。人に期待してもいない。他人の僕に対する勝手な思い込みには腹が立つが、認められたり称賛されたいとは思わない。「他人に誉められなくても満足だ」と思った瞬間から、人生が充実しはじめた。