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2021年3月26日 (金)

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ふるさと納税でプラモデルが手に入る? マイクロエース(有井製作所)が、新橋駅前の蒸気機関車をプラモ化する理由【ホビー業界インサイド第69回】
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せっかく関東にある模型メーカーなので、取材に行きました。こういうの、模型誌はやらないので。
モデルグラフィックス2021年5月号も、発売されております。連載101回目のお題は、アトランティス製の「1/72 空飛ぶ円盤」です。記事中では円盤ではなく「UFO」と書いてるので、タイトルで担当編集さんに苦労かけちゃったみたい……。


日曜日にいろいろ仕事を終わらせたので、月曜日は日本橋にあるアートアクアリウム美術館へ。
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ここまで悪趣味だと、いっそすがすがしい。「果たしてこれが美術館なのか?」という揺さぶりをかけてくる。ラッセンの絵画のような存在。

日本橋の喫茶店でトーストを食べたあと、通りすがりに見かけた遊覧船の出港時間に間に合うので、乗り場に駆けつける。3500円という予想外の値段だけど、とにかくどんどん行く。「次でいいや」とは考えない、今を楽しくする。
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まるで『パトレイバー2』でしょ? 動画もTwitterに上げたので、見てほしい()。 
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桜の名所を回るという企画なんだけど、僕は東京の裏側……無表情な倉庫街、オフィスビルのはざまに建っている小さな雑居ビル、洗濯物の干された木造アパート……に魅了された。それらは東京の裏の顔であり、寂しくささやかだった。
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護岸船のうえに、プレハブの事務所や仮設トイレがあって、カッコよかった。こんな船上で寝起きできたら、どんなにいいだろう。お風呂は銭湯に行くしかないが、憧れてしまう。
桜見物の遊覧船なのでアベックか女性同士の客ばかりだが、いいんだよ。中年男ひとりで、どんどん行くんだよ。僕の愉しみは、僕にしか分からないんだから。


翌日、突発的に京都へ行った。安いビジネスホテルを予約して、新幹線に飛び乗る。
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ホテル近辺の居酒屋で、焼きたまねぎを頼んだり、酒と料理の配分を自分なりに考えて楽しむ。
格安ビジネスホテルで就寝後、翌朝は喫茶店でモーニングを食べて、バスで30分ほどかけて京都市京セラ美術館へ。
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どうやら観光名所らしく、建物内で自撮りして帰る人ばっかり。俺は、ちゃんと企画展もコレクション展も見たが、お目当てはこれ。
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湊茉莉さんの作品だが、地下の小スペースに1点のみの展示だった(無料)。
地上出口のピンクの模様が、陽光によって、展示スペースを桜色に染めている。羽衣のような布が地上部分へはみ出していたりして、もっと良いコンディションの会場で見たかった。


大阪にも一泊しようと衝動的に決めたので、新幹線で移動。
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中之島公園に、テラス席つきのレストランがあるとマップ検索で分かったので、とにかく行く。どんどん行く。
フライドアンチョビポテト、聞いたこともない料理だったが、抜群に酒に合う。なので、赤ワインも頼んで都会の夕空を楽しむ。まだ17時前だが、他にも酒を飲んでいる客がいる。そう、日々の中に楽園を見つけるんだ。

17時をすぎたので、居酒屋に移動して、本格的に始める。
しかし、最初に入った店が安いメニューを小皿で次々と提供する駄菓子屋タイプだったので、ビール一杯とレモンサワーで、さっさと辞す(それでも3千円ほどかかってしまった。通行人がちょっと覗いて入らなかった店はハズレだと確信した)。
気分を一新したかったので、居酒屋ではなく、小さなワイン屋に入る。
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赤ワイン、生ハム、そして「ワインにあうポテトフライ」。焼いたニンニクが、さりげなくまぶしてある。これだ、こういう料理で満足したかった。単に酔いたいというより、こういう文化と工夫に出会いたいから、知らない土地で飲酒するわけだ。
激安チェーン店では話にならないが、高級店・有名店にとびつくのも豊かとは言えない。


翌朝、またしても地元の喫茶店でモーニングをキメてから、ホテルから10分ほどの国立国際美術館へ行く。
お目当ては、コレクション展「見えるものと見えないもののあいだ」、これが抜群によかった。
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ダン・フレイヴィンの作品は、たった2本の蛍光灯だ。しかし、これを壁に展示すると、周囲の空間すべてが作品化する。
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木漏れ日を撮った写真。一面に小さな写真を等間隔に並べると、「1枚の写真を1枚ずつ見る」ことは不可能で、どうやっても視界に一度に入ってくる。その不可避の関係性こそが、「見えるものと見えないもののあいだ」なのだと思う。
他の作品も、少しずつ情報が欠落していたり、局所的なクローズアップばかりだ。「見えるものと見えないもののあいだ」は、鑑賞者の視覚や知覚の内部に横たわっているのだ。その発見こそが、作品を鑑賞することの目的なのだと思う。

このコレクション展は安く入場できるが、実は企画展を見るとタダで見られる。後から知った。
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一応、企画展も見たけどさ。荒々しいタッチの絵画や彫刻をいっぱい並べれば、それで「芸術」だと思ってない? 上野の美術館なんて、全部そうでしょ。そのほうが、大衆受けするからだよ。
何枚か、いい作品もあった。だけど、大きい作品=迫力があると浅いところで満足している美術館側と、考えもなく群がっている観客の「妥協」がイヤだった。
企画展の券でコレクション展も見られるから、もういちど、コレクション展を見たよ。そのほうが有意義だ。


昼過ぎに新幹線に乗って、16時ごろにマンションに帰ってきた。
数万円つかってしまったけど、とにかく時間をつくってドンドン出かける。いい作品もダメな作品も見て、いい酒の飲み方も勉強する。今この瞬間を充実させていく。
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つまらなく生きてる人って何も工夫してないし、マイナスの感情にばかりとらわれている。逆に「いいっすね、感動しました!」と頻繁に口に出すのも、浅い貧しい態度と思う。「実のところ、沈黙を続けられない人間にいささか蔑みを覚える」(『ある世捨て人の物語』より)

観光地に行くと、5人とか6人とかでぞろぞろ歩いている若者がいる。同じような髪形、服装をしている。
僕がディズニーランドで見た女子高生たちは、スマホに付いている鏡のような機能を全員が使っていて、まるでローテーションでも決まっているかのように、スマホを見ては前髪をチラチラと整えていた。3~4人が、まったく同じ仕草をかわるがわる、やっている。つまり、自分は「みんな」の一部なのだと思っていないと、不安なんだろうな。
その不安は、若いうちだけの特性なのだろうか? 似たような格好の大人が、ぞろぞろ歩いているのを見ると、情けなく感じる。スマホを見ながら歩いている人は、「私は計画性も危機管理意識もなく、仕事が出来ません」と宣伝しているも同然だ。

僕は、人が好きではないのだろう。人に期待してもいない。他人の僕に対する勝手な思い込みには腹が立つが、認められたり称賛されたいとは思わない。「他人に誉められなくても満足だ」と思った瞬間から、人生が充実しはじめた。

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2021年3月15日 (月)

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3/20(土)15:00~ 配信予定!(
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大河原邦男さん、小田雅弘さん、川口克己さんによるガンプラ創成期……どころか、ガンプラ発売前から始まる壮大なトークです。見逃さないように!(私は司会です。アニメの取材とプラモデルの取材、両方つづけてきて良かったと思います。)


先週水曜、なんとか原稿を終わらせて、昼から水戸へ行ってきた。
チームラボの屋外展示、「偕楽園 光の祭」を鑑賞するため。18時から2時間ほどしかオープンしない。
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園内の枯れ木に、色とりどりの花が咲いては散っていくCGを投影している。ここまで歩いてくるころには、もうかなり脳内快楽物質が分泌された状態だ。
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「うわあ……」と声が出てしまったのは、コレ。普通の樹木と植木に、格子状の模様を動くように投射すると、その場にない空間が浮きあがる。ちょっと言葉では説明できない、ホログラムのような非現実感。自分の目が信用できない。これが一番、すごかった。
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1800円の価値は十分にある、広大な展示だった。チケットは完売で、一時間近くも並ばされるオペレーションの悪さには閉口したけど……(同じチームラボの「どんぐりの森」よりはマシかな)。

客層は、ふだんは美術館などには絶対に来なさそうな家族連れ、アベックがほとんど。真っ暗な森を光で照らしだす展示なのに、みんな自撮りしたり相手の顔を撮るのに懸命だった。……こういう層が、ふつうにチームラボの作品に接する、チームラボの作品がふつうに生活空間にある状態が、僕は理想だと思っている。なので、「これは彼らの仕事が浸透している結果なのだ」と受けとめる。
それとは別に、僕はやっぱり「家族」という単位が好きではないのだろうと、あらためて思った。他人に期待しない、ひとりでやれる範囲のことを存分に楽しむのが好き。


帰りは水戸駅前の庶民的な小さな居酒屋で一杯やって、格安ビジネスホテルの一室、横になって音楽を聴いたり、適当な動画を観たり、至福の時間をすごした。
翌日、喫茶店でモーニングを食べてから、水戸芸術館・現代美術センターへ足を延ばした。この前の展示も悪くなかったので、今回は前情報ナシで、ぶっつけで行ってみた。
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展示テーマは、「3.11とアーティスト 10年目の想像」。たまたま3月11日だったので、入場無料。
上の展示は、被災地での手記を1日ごとに木箱に入れて波打つように配置してあり、右側には3月11日から最近までの事態の推移が、大きな薄い紙に印刷されている。紙は下が止めてないので、何かの拍子にフワッと揺れる。静止した木箱の中の手記、揺れ動く外側の事実。
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帰宅困難区域ぎりぎりの場所を描いた、数枚の油彩画のひとつ。
原発事故後に繁茂したであろう草木は、カンバスから浮き出るぐらい絵の具が盛り上がっているが、「立入禁止」の看板はペタッと薄く描いてある。空だけは、どの絵も綺麗なグラデーションでサラッと描いてある。
これが、風景画を描く意味だと思う。目の前の状況を分解して、作者の技術で構築しなおしている。「原発が題材だから」ではなく、「題材に技術で向き合っている」、この誠実さが作品の価値だと思う。
綺麗か汚いかの印象で言ったら、汚い。でも、「汚い」という部分すらもコンセプトなのだ。
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この作品は、いささか凝りすぎた構成だ。まず、入り口とぴったり合う大きさのディスプレイが、侵入をはばむように置いてある。画面にはPCの起動画面。その裏は、被災地を取材した映像。本当の作品は、壁の向こう側を覆うレンガで、それは原発事故によって「見ることが出来なくなった」作品であり、その前には封印につかう透明の玉が置かれている。
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その封印の玉の向こうへ行ってみると、部屋の隅に隠すようにしてモニターが置かれており、被災者のドキュメンタリーが映されている。
つまり、自分から封印の向こう側へ歩いていかねば、作品すべてを見ることはできない。その「自分から見にいく」能動性というか決意が、作品の喚起する価値なのだ。
ただ、綺麗な絵画を壁に貼ってあるのが美術館だと思うだろう? もっともっと良いものを、どんどん自分から見にいかなくては、人は簡単に堕落する。


3.11といえば、YouTubeで一般の人が撮った津波の映像ばかり見ていた。被災した人たちに、そう安易に感情移入などすべきではない。
反原発デモに参加したことは、後悔していない。「政府が決めたとおりに従おう」「決まりは守ろう」という受動的な生き方は、自分には出来ない。しかし、リベラルとか反権力といった人たちも、十分に受動的かつ無責任で丸投げあることが、ありありと分かってきた。

日本人は、主に教育によって、自尊心を奪われている。権力に従いすぎるのも、また代案もなしに反発するのも同レベルの甘えではないだろうか。要求を通したいなら、自分が確実に責任を負える範囲で、実情に即した手続きを通していくよりない。怒りであれ憎しみであれ、社会の中で合法的に「手続き」化できないければ、人は無力だ。

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2021年3月 9日 (火)

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“眼に見えないものを見る”ための効果音が、「機動警察パトレイバー2 the Movie」には暗号のように埋設されている――【懐かしアニメ回顧録第76回】
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アキバ総研に連載しているコラムです。今回は『パトレイバー2』です。
『パトレイバー2』の中で、主人公サイドである特車二課が自衛隊の駐屯地へ警備に行くように命じられます。このシーンでは、国民を守るはずの自衛隊と警察が対峙してしまい、事態は悪化しているようです。
しかし、その場にいる後藤隊長が「これはマズイことになったぞ」と焦ったり慌てたりの描写はありません。彼は「わが隊のレイバーは故障中です」とシレッと嘘をついて、本音を隠します。

そして、他の部隊のレイバーが駐屯地前を見張る、そのカメラを正面から、またカメラの内側から捉える。その場にいる人たちの心理描写ではなく、「向き合っている」「監視しあっている」事実だけを無感情に表現している。
事態は悪いほうへ向かっているようなのに、人物の感情はさておいて、外側の現象だけを撮る。押井守監督の言葉を借りれば、映画を「物語の器」に終わらせないためです。果たして映画の目的は、「物語」を伝えることなのでしょうか?

ディズニー映画を見ると、「出来事」を明確に示して、登場人物が嬉しいのか悲しいのか「感情」だけを強調して、観客が登場人物に「感情移入」することのみが目的になっている。その他のノイズ、解釈不能な情報は、映画から徹底的に排除されています。
そういう映画ばかり見ていると、観客にとって映画が「物語の器」「感情移入するツール」と化してしまい、だから「ネタばれ」(ネタとはようするに「物語」のこと)というくだらない概念が出てくるのです。
映画は「物語の絵解き」ではないと思います。「物語」を支える、あるいは解体する「構造」が映画なのだと思います。


そういう観点から、昨日公開された『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』も批評すべきと思う。
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二時間半もの長尺で、なぜミサトがゲンドウの計画を阻止したいのか、なぜまたシンジが戦わなければなせないのか、周囲の人々はどう思っているのか、悲しいのか嬉しいのか、「これでもか!」「これで分かったか?」「ちゃんと感情移入して泣けるセリフにしてあるだろ!?」と言わんばかりに、シナリオに盛り込んである。
それで説得されるぐらいなら、しょせんは映画を「物語の器」としか見ていないんだと思う。シナリオを読めば、それぐらいのことは分かる。

僕がショックだったのは、壮大なクライマックスだったはずのラストバトルを、旧劇場版と変わらない手法(実写映像や原画の挿入、背景美術の裏側が映画のセットになっているといったメタ描写)ではぐらかしてしまったことだ。
セルアニメで描くと決めたからには、最後まで「セルで描かれたことのみが事実」というルールを逸脱しないでほしかった。内面世界を描くために未完成の映像素材を使う、それはもう20年前の思い付きであって、形骸化したスタイルのうわべだけをトレースしているに過ぎないと思う。
今回は予算が潤沢にあるから、物量にまかせた総力戦を見せるんじゃなかったんだろうか? テレビ版のころはお金が尽きてアイデアも尽きて、満身創痍であることがブラウン管ごしに伝わってきた。絵コンテや脚本を映すイレギュラーな手法に、必然性があった。


前半、『Q』で全滅したかに思えた地球上にも、実は生き残った人々の生活共同体があることが明かされる。
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オーバーテクノロジーを背景とした生活描写に説得力があったのは、3.11の東北大震災からの復興と年月の重みがシンクロしたからだろう。「前作から14年」という乱暴なプロットに、「震災から10年」という現実の時間が歩み寄った。スタッフも登場人物も大人になったんだなあ……と、感心した。丁寧に描かれた暮らしの中で、シンジやアヤナミにも変化が訪れる。アスカの立ち位置もよかった。大人の考えたプロットだったし、SFとして成立してもいた。
そして、高度な作画で描かれた小さな楽園が、思わぬ形で崩壊して、その衝撃がシンジの背中を押す。クライマックスへの道が開けた。上手い。

難解な用語をギッシリと詰め込んだ最終作戦が立案され、特殊装備を満載したエヴァたちが過剰な物量で、スクリーンを突き破らんばかりに暴れまわり、かつて見たことのない想像を絶する戦闘シーンが続出する。「CGが自由に使えるとはいえ、いったいどうやって作ったんだ!?」と、呆気にとられる。やりすぎである。でも、魂がこもっている。観客を手ぶらでは帰らせない、お腹いっぱいで吐くまでサービスするという覚悟を感じた。
でも、だから……それで終わってほしかった。また一人一人の内面を、また幼稚なモノローグに頼って描くのか……またATG風のスタイルで、自主映画みたいなことをやるのか……。それは、ウソをついている。お金のない時代だからこそ通じた手法を、いま輪郭だけなぞるのは誠実ではない。


昨夜『シン・エヴァ』を観たのは、『ガンダム』第一作を観るために朝から並んだ吉祥寺オデヲンである。『帝国の逆襲』も、ここで観た。
一緒に行ったのは、小学校時代からアニメやSFX映画を観て育った同年齢の友だちだ。

しかし、時代は変わった。ハッピーエンドかバッドエンドか、「泣ける」か「泣くほどでもない」か、エンドクレジットの後に驚きのオマケ映像があるんじゃないか? 僕らはディズニー的というかGAFA的な、便利で確実でハズレのない即物的な映画の受容に慣れきってしまった。
もしかすると、ATG映画のようなメタ的なゲリラ戦をいま一度展開することで、『シン・エヴァンゲリオン』は映画館の暗闇に僕らを引き戻そうとしたのかも知れない。

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2021年3月 1日 (月)

トークイベント【模型言論プラモデガタリ】最終回、書き起こし

2019年8月27日、阿佐ヶ谷ロフトAで毎月開催してきたトークイベント【模型言論プラモデガタリ】が、最終回を迎えました。
テーマは、『フレームアームズ・ガール』などの可動する美少女プラモ。ゲストは、編集者・写真家の都築響一さんでした。
以下の書き起こしは、トークをご覧になった方が自主的に作成してくれたものです。明朝体が僕の言葉、「」内が都築さんの言葉です。どうぞ、お楽しみください。

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