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EX大衆 2021年2月号 本日発売
●僕たちにとって『エヴァンゲリオン』とはなんだったのか
切通理作さんのインタビューを含む、6ページの特集記事です。『エヴァ』は、やはり90年代のサブカルチャーとしての側面を欠かしては語れないと思います。この「語る」という部分がそもそも今は欠落していて、アニメでも映画でも「感情移入する」「激しく感情を揺さぶられる」ことが目的になってしまいました。
『エヴァ』には、受け手が独自に解析する、自分なりに読み解くムーブメントがあったはずです。一方でキャラ萌えとか“推し”の萌芽のようなものもあって、今のフィクションはそっちが肥大して、作品に対して依存的な感情の振幅だけが問題にされ、送り手側もファンの盲目的な愛、過剰な思い入れを望んでいるかに見えます。
「泣いた」「号泣した」でなければ、「ネタバレになるので」と語ることを禁じ合ってしまう。作品を鑑賞する、愛好する態度も全体主義化しているような気がします。誰もが主体性を失い、権威に弱くなりました。
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EX大衆の『エヴァ』特集は、最初は版権元に正式に許可を得ようとしたのですが、かなり意地悪な態度で「検討させてください」と言われて、結局は断られたんですね。
それで切通さんの前にインタビューをお願いした方が「今の『エヴァ』公式は、在野の評者が自由に語るとか90年代独自の文化と結びつけることを嫌がっているのではないか」と言ってらしたそうです。
ようするに、あれだけ大量に刊行されていた謎本や研究本の類いをなかったことにして、公式・正式なアナウンス以外は一切禁じたいのではないだろうか……と。
なので、この記事は画像などは一切借りず、DVDのジャケットだけで構成しました。それでも、ちゃんと面白い記事にできますから。フリーランスで生き抜いてきた編集者やライターを舐めんなよって思ってますよ。
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原稿が早く終わってしまったので、水曜日は井の頭公園駅まで歩き、そこから渋谷に行って軽く喫茶して、東急東横線で横浜へ行った。何かというと海辺へ行きたがるのは、やっぱり放浪癖の発露なんだと思う。
まっすぐシーバス乗り場へ向かうと、遊覧船が出航間近だった。そのまま、山下公園まで700円。
出発するとき運行会社のおじさんたち、海沿いの公園の子供たちが手をふってくれたのに、僕は恥ずかしがって無視してしまった。隣のアベックが手をふってくれていればいいんだけど……平日なので、僕のほかはアベックが二組だけ。
船が山下公園に着いたときには16時をまわっていたので、急いで赤レンガまで歩く。海と夕陽を臨めるレストランは候補Aは眺めが悪い、Bもいい席がない、前と同じCのテラス席に落ち着いた。こんな時間なのに、いや平日のこんな時間だからなのか、空いている。
クラフトビールと、自家製ナッツで夕陽を迎える。しかし、対岸のビルが黄金色に輝くのはほんの一分ぐらいだった。
あとは、オレンジと紫のグラデーションに空が染まるだけ。その一分のためのビールなので、一杯だけで十分だ。馬車道まで歩いて、電車で一時間もかけて帰宅する。ふと、本当に帰宅する必要などあるのか?と自問する。明日も何も予定がないのに、何のために帰る?
この考え方はホームレス一直線なので、ちょっとヤバい(笑)。翌日は医者へ薬を取りに行き、お気に入りの喫茶店で読書した。
この店は、品のいい老婦人がひとりで切り盛りしている。と言っても、たいてい客は僕ひとりだ。
僕は勝手に、この婦人は美大を出ているに違いないと思っている。それぐらいインテリアの趣味がいいし、メニューの文字も美しい。喫茶するのも寄り道だし漂泊だし、流れ着いた末に店を開くのもまた漂泊の人生だろう。
帰宅してから観た映画は、サム・ペキンパーの『ガルシアの首』。焼きすぎたステーキのように、ぎらついてコクのある映画だった。
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