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2021年1月30日 (土)

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「機動戦士Zガンダム」といえば、ジェリドの愛機「バイアラン」! 400円の低価格キットを組んで、君もジェリドになろう!【80年代B級アニメプラモ博物誌】第7回
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あえて、1/220スケールの低価格帯キットを選びました。この連載は自分で持ちこんだものだし、もう次号の原稿も出来てます。
「月刊モデルグラフィックス」2021年3月号も発売されています。連載「組まず語り」99回は増ページで、僕が企画して株式会社MICさんで開発されたプリプラ「妖精ピコ」のテストショットも掲載してもらいました。


21日木曜日は、神楽坂のギャラリー「√K Contemporary」で「絵画の見かた reprise」を観た後、またもお台場海浜公園へ。
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午後3時台にレインボーブリッジのノースルートを歩いて、染まっていく空を眺めながら芝浦ふ頭を目指す。
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4時に、芝浦ふ頭駅から徒歩10分ほどのバーに着く。
夕陽ではなく、夕陽に照らされた倉庫街を眺められるテラス席で、クラフトビールを2本飲んだ。
店の外縁にもベンチが沢山あるのだが、やはり店舗で冷えたコップで飲むと自制心がきく。「みっともなく酔いすぎてはいけない」という気持ちが、質の高い時間を連れてくるのだと思う。(先日のお台場のようにビュッフェ形式の雑な店だと、大量に飲んで早く酔おうと焦ってしまう)

西の空を楽しむのであれば、平日の芝浦ふ頭公園は空いているので、そこで缶ビールを飲めばいい。


今週水曜は、取材のため静岡へ。
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雨の降る前日だったが、西の空がきれいだったので駅ビルの屋上で缶ビール。
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駅からホテルへ向かう途中の洋食屋で、赤ワイン。この皿は、豚の角煮の唐揚げ。やはり、生ジョッキのがぶ飲みばかりでは精神が廃る。こういうお店で、そこそこ酔ってサッと引き上げるコツをつかまないと。飲み足りなければ、ホテルで缶ビールを飲めばいい。
この日は3千円ほどだったが、これが3万円なら10倍ぜいたくな気持ちになれるのか?というと、そうではないと思う。300円の缶ビールでも、場所や景色を選ぶことで30万円の贅沢になりえる。


ひさびさに、スパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』を見た。
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公開当時は、リーが毎年新作を発表していたこともあり、なんとなく流行りで理解した気になっていた。

今なら分かるのだが、怒っている俳優を撮影するだけでは、怒りは表現できない。『ドゥ・ザ・ライト・シング』は暴動を描いているが、構図も編集もカメラワークもいたって正気で冷静であり、ただ被写体が暴動を起こしたり泣いたり怒鳴ったりしているというだけだ。

グラウベル・ローシャ監督のモノクロ映画で、盗賊が銃を放つシーンで終わる作品があった。そのシーンで、盗賊は何発も銃を撃つのだが、銃口から煙が出て即座に2発目の銃口、3発目の銃口……とぶつ切りのカットを乱暴につないでいる。一発を撃ってから狙いをさだめて……という段取りがなく、同じ構図・同じアクションを叩きつけるように重ねている。
すると、すさまじい勢いで、猛然と銃を撃っている感じが伝わってくる。俳優は何も演技していないのだが、映画の構造が猛り狂っているのだ。構図や編集のメカニズムを駆使すれば、被写体が怒っていなくても、抽象的な「怒り」は表現可能ということだ。映画の構造に分け入って表現しなければ、俳優がいくら人種差別をわめいても通俗的なハリウッド映画と思想は同じじゃないか、と思ってしまう。


「映画秘宝」の編集長が、ダイレクトメッセージで脅迫的な文章を送っていた件……。
人と人が集まれば、そこに社会が生じてしまい、すなわちモラル・ハラスメントが起きることは避けられない。こういう時に「俺は絶対にあんな変なメッセージを送りつけたりしませんよ」「俺だけは潔白ですよ」と善人ぶるヤツが、最も人間をナメていると思う。

僕はとにかく、人間とは必要以上に関わらない。友人と呼べる数少ない相手とも、そこそこ距離を保って、それぞれに孤独を楽しむ。
しょせん、他人とは分かり合えない。でも、旅行したり作品を観ることによって、もっと高い次元で人間や世界を理解できる。みみっちい人間関係で疲弊するぐらいなら、ひとりで作品に触れに行ったほうがいい。

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2021年1月21日 (木)

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中華料理屋への注文内容をえんえんと繰り返す「機動警察パトレイバー ON TELEVISION」の“話芸”的な面白さ【懐かしアニメ回顧録第74回】
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日曜日にアップされ、非常に好評だった記事です。
ある程度みんなが知っていて、深すぎず浅すぎない分析なら、個人のコラムでも読んでもらえる。なおかつ、「そうそう!」と賛同してもらえることもウェブでは大事だと思いました。


先日、三か月かけてようやく持続化給付金が入った。
ホッとしたのも束の間、今度はマンションの契約更新時期。更新料は払えるからいいとして、民放改正にともない、連帯保証人の直筆と実印が必要だという。
今の保証人は(お金持ちの知り合いや友達に「契約条件がハードすぎる」と断られた後)、叔父さんにお願いした。母の弟さんなので、10年前ですでに70歳をこえていた。母の死について、僕に同情的だったのは母の弟さんと妹さんなのみ。どちらも、80歳をこえているはずだ。普段、まったく連絡をとりあわないので、生死すら分からない。

もっとも、不動産管理会社も「そういう方が増えているので、保証会社を通す方法もありますよ」とのことで、その料金は家賃の半分程度だという。だったら、もうそれでいいよ。高齢の叔父さんに、ご本人にまったくメリットのない契約書を書けなんて頼めないよ……。
35歳ぐらいからはどこにも借金してないし、家賃を滞納したことなど一度もない。そういう実績は、まったく何の保障にもならず、親戚という“生贄”が必要なんだよなあ、今の社会。

本当に、「多様な生き方」なんてものが実現できてるんだろうか? あいかわらず「大卒で就職、定年まで働く」という高度成長期の人生設計がベースになっているんじゃないの?


コロナで職を失った人がいるという。将来の見通しが見えず、自殺した人もいるという。
僕の場合はコロナとはおそらく関係なく、フリーランスによくある農閑期というか、三年に一度ぐらいガクンと貯金が減ってしまう時期が訪れたにすぎない。3月に確定申告して還付金が出れば、何とかつなぎが出来て、5月ぐらいにはまとまった報酬が入る……という読みがある。そのやりくりが、フリーランスの面白さでもある。
それでも、今回は綱渡りだった。家賃は毎月の連載で十分にまかなえるのだが、その他の出費を10万以下におさえるのが難しい。

……にも関わらずだよ?
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あいかわらず、海辺へ出かけては、夕陽を眺めながらレストランで飲酒だ。
いや、スーパーやコンビニで安酒も買うけれど、こういう場所と時間を失ったら、僕は生きていく意味がないと思っている。
20代後半、家賃を強引に分割払いにしながら、三食100円のやきそばのみで生きのびていた経験からすると、「ただぎりぎり生きていく」ことは精神を摩耗させる。「あれ? 家賃ならちゃんと払いましたよ?」などと、ウソをつきながら逃げのびねばならないわけだから。

もちろん、美術館にも行くわけです(SUICAに何千円もチャージするのは避けて、そのつど切符を買っていたけど)。
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(目黒区美術館、『視ることの楽しみ』展、木材から金属から紙から絵の具から、古今東西のありとあらゆるマテリアルを同一規格のケースに配置した異様に凝った展示! これが無料で見られるのは凄いよ。)

あのね、借金してでも美術館に行くべきだと思っているの。さらに言うと、その借金は踏み倒していい。
自分が何を欲しいのか心の底から熟考して、その欲望に忠実に生きるべき。さもなくば、後悔の人生しか待っていない。「美術館に行ったり夕陽を見ながらビールなんて贅沢だ、そんな時間があったらアルバイトしなきゃ」と本気で思っている人、アルバイトするのが楽しいならそうすればいい。楽しくないなら、それはウソの人生だ。
そして、己の欲望を解放できず「必ず~せねばならない」と屈折した思いを抱えている人は、さまざまに利用される。「現政権が悪い」「性表現が悪い」……、すべて屈折した正義感や義務感につけこまれているに過ぎない。


給付金が出た翌日、スタジオでプラモデルの撮影があり、帰りにしみじみと編集者と語り合った。「俺、自殺願望はないけど湾岸地域でホームレスやろうかって考えてた……」。
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山谷でなくて東京の湾岸地域でホームレスするとしたら、それは僕にとって「一種の贅沢」なんだよ。この寒さに耐えながら外で暮らすような体力はないので、夢物語ではあるけど……。

三鷹市は市民税を滞納すると、口座を凍結して、無理矢理に生活保護を受けさせる。どうしてかというと、何でもいいから仕事をしてもらって、納税させるためですよ。
僕は「ライターなんてやめてもらって、警備員・清掃員・介護士のどれかを選んで」と、市役所に言われた。それでは、税金を払うための家畜、『マトリックス』で電気をとるために夢を見させられている人間にすぎない。
だったら、ホームレスのほうが、まだ意志と工夫に満ちた生き方のはずだ。

だから、「生活保護を受けてください」というのは「社会に適合してください」「税金を払って社会を維持してください」という意味。さて、どうしたい? 好きなことだけをやりながら生きていく、嫌なことを一切、絶対にやらないのはどうすればいい? どこまでも逃げつづけていいんだよ。自由なら、その手の中にある。あと必要なものは自分の欲望に向き合う勇気と、自由を活用する創意だろう。

「あなたは、あなたが妥協したものになる。 」 ジャニス・ジョプリン

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2021年1月15日 (金)

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EX大衆 2021年2月号 本日発売
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●僕たちにとって『エヴァンゲリオン』とはなんだったのか
切通理作さんのインタビューを含む、6ページの特集記事です。『エヴァ』は、やはり90年代のサブカルチャーとしての側面を欠かしては語れないと思います。この「語る」という部分がそもそも今は欠落していて、アニメでも映画でも「感情移入する」「激しく感情を揺さぶられる」ことが目的になってしまいました。
『エヴァ』には、受け手が独自に解析する、自分なりに読み解くムーブメントがあったはずです。一方でキャラ萌えとか“推し”の萌芽のようなものもあって、今のフィクションはそっちが肥大して、作品に対して依存的な感情の振幅だけが問題にされ、送り手側もファンの盲目的な愛、過剰な思い入れを望んでいるかに見えます。

「泣いた」「号泣した」でなければ、「ネタバレになるので」と語ることを禁じ合ってしまう。作品を鑑賞する、愛好する態度も全体主義化しているような気がします。誰もが主体性を失い、権威に弱くなりました。


EX大衆の『エヴァ』特集は、最初は版権元に正式に許可を得ようとしたのですが、かなり意地悪な態度で「検討させてください」と言われて、結局は断られたんですね。
それで切通さんの前にインタビューをお願いした方が「今の『エヴァ』公式は、在野の評者が自由に語るとか90年代独自の文化と結びつけることを嫌がっているのではないか」と言ってらしたそうです。
ようするに、あれだけ大量に刊行されていた謎本や研究本の類いをなかったことにして、公式・正式なアナウンス以外は一切禁じたいのではないだろうか……と。

なので、この記事は画像などは一切借りず、DVDのジャケットだけで構成しました。それでも、ちゃんと面白い記事にできますから。フリーランスで生き抜いてきた編集者やライターを舐めんなよって思ってますよ。


原稿が早く終わってしまったので、水曜日は井の頭公園駅まで歩き、そこから渋谷に行って軽く喫茶して、東急東横線で横浜へ行った。何かというと海辺へ行きたがるのは、やっぱり放浪癖の発露なんだと思う。
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まっすぐシーバス乗り場へ向かうと、遊覧船が出航間近だった。そのまま、山下公園まで700円。
出発するとき運行会社のおじさんたち、海沿いの公園の子供たちが手をふってくれたのに、僕は恥ずかしがって無視してしまった。隣のアベックが手をふってくれていればいいんだけど……平日なので、僕のほかはアベックが二組だけ。

船が山下公園に着いたときには16時をまわっていたので、急いで赤レンガまで歩く。海と夕陽を臨めるレストランは候補Aは眺めが悪い、Bもいい席がない、前と同じCのテラス席に落ち着いた。こんな時間なのに、いや平日のこんな時間だからなのか、空いている。
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クラフトビールと、自家製ナッツで夕陽を迎える。しかし、対岸のビルが黄金色に輝くのはほんの一分ぐらいだった。
あとは、オレンジと紫のグラデーションに空が染まるだけ。その一分のためのビールなので、一杯だけで十分だ。馬車道まで歩いて、電車で一時間もかけて帰宅する。ふと、本当に帰宅する必要などあるのか?と自問する。明日も何も予定がないのに、何のために帰る?

この考え方はホームレス一直線なので、ちょっとヤバい(笑)。翌日は医者へ薬を取りに行き、お気に入りの喫茶店で読書した。
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この店は、品のいい老婦人がひとりで切り盛りしている。と言っても、たいてい客は僕ひとりだ。
僕は勝手に、この婦人は美大を出ているに違いないと思っている。それぐらいインテリアの趣味がいいし、メニューの文字も美しい。喫茶するのも寄り道だし漂泊だし、流れ着いた末に店を開くのもまた漂泊の人生だろう。

帰宅してから観た映画は、サム・ペキンパーの『ガルシアの首』。焼きすぎたステーキのように、ぎらついてコクのある映画だった。

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2021年1月12日 (火)

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世間は三連休だが、そんなことは関係ないフリーランスなので、連休明けを目標に原稿に取り組んでいた。
すると、連休2日目で原稿が出来てしまったので、昨日は東京都現代美術館へ行ってきた。「石岡瑛子」展……石岡さんが衣装デザインした『ドラキュラ』にはいいイメージないし、映画のネームバリューで個展とかやらない方がいいよ……と思っていたのだが、映画50本をまとめて見たような圧巻の展覧会だった。食わず嫌いは損をする。
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撮影禁止だったのが残念だが、もし撮影可能だったら、スマホのバッテリーが尽きるまで写真をとりまくっていただろう。以下の画像は、学芸員の藪前知子さんのインタビュー記事より()。
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シルク・ドゥ・ソレイユの衣装展示であれば、壁面いっぱいにショーの様子がエンドレスで映写されている。三島由紀夫をテーマにした映画『ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ』の美術であれば、金閣寺の巨大な模型が部屋の中央にあって、壁の二面が金色になっている! 次から次へと異世界へ迷いこむ衝撃の連続。
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後半は衣装の展示が増えていくが、細長い部屋に衣装とデザイン画を向かい合わせて展示してあるとか、三角形の展示台をさまざまに組み合わせて統一感を出したり、同じデザインで数の多い衣装は、壁に波のような形で飾りつけたり……ひとつひとつの展示に、何かしらドラマ性がある。衣装に染みついたドラマを展示のレイアウト方法で再現している、とでも言おうか。マイルス・デイヴィスのジャケットデザインの部屋では、本物のアナログレコードが回っているとか。
現代美術館の展示室は二箇所ほどに休憩エリアがあるのだが、そこでも石岡さんの短いインタビュー音声が聞こえている(同じ言葉が繰り返される)演出も効果的だった。これだけ膨大なのに、三つのチャプターに章分けしただけなのも、思い切った構成だと思う。


しかし、何よりも僕がかぶりつくように観察したのは、石岡さんが広告のアートディレクターだったころのゲラ刷りに対する執拗な書き込みだ。
「もっと元の写真のシャープさを生かす」「ちゃんと元のイラストを見て」といった抽象的な指示だけでなく、「ここの幅は何ミリで」といった具体的な指定が多い。ゲラが校を重ねても、「商品名を明確に」といった指示が繰り返されている。それは職人の知性が駆動した痕跡である。
僕が窓ガラスに覆いかぶさるように見ていたせいか、展示室を警備している人にマークされてしまった(笑)。でも、それぐらいアーティストの頭脳の働きに、僕は魅了される。

しかし、横で見ていた夫婦づれの奥さんは「すごいスピードで、ササッと書いた感じね」などと言っていた。そりゃあ、メモ書きなんだからササッと書くでしょうよ。
まあ、普通の人はそこまで深掘りして見ないよね。僕のような人間がしっかり認識して記憶して、自分の仕事に反映させなきゃならないんだ。


さて、ここからが本題かも知れない。
現代美術館は木場駅から18分ほど歩くのだが、まだ14時すぎだ。以前そうしたように、反対方向にある菊川駅を目指して十数分歩くが、すれ違うバスの行き先に「豊洲」と書かれているのに気がついた。豊洲か……やはり、湾岸地区はいいよね。大晦日に歩いた荒涼とした雰囲気が忘れられず、菊川駅から地下鉄で汐留駅を目指した。ゆりかもめに乗って、お台場公園海浜駅で下車する。
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背後には、大晦日にビールをやったばかりの東京ジョイポリスが見えているが、今日は曇っているので夕陽は期待できないだろう。
そこで反対方向へ歩きはじめた。ゆりかもめの車窓から、レインボーブリッジを歩いて渡っている人たちが見えたので、同じことをやろうと思ったのだ。「次でいいや」などと考えず、今日すぐやる! 幸い、雲ってはいるが凍える寒さではない。
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景色を眺めるのが目的なので、片手にはワインの紙パック。これを日本酒パックに置き換えると完全にアル中だよな……と自分でも思うのだが、2日も休肝したし、たまにすれ違うだけの人の目を気にすることもないだろう。
芝浦埠頭側へ渡ると、眼下に釣りをしている人たちがいる。僕は、海沿いの茶色いビルに心惹かれた。
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たぶん、船舶関係の事務所なのだろうが、ここに住めないものだろうか? ゆりかもめの芝浦ふ頭駅は、徒歩10分と離れていない。屋上に人工芝も敷いてあるし、毎日夕陽を拝めるだろう。僕に染みついた孤独癖だけが望める、一生の夢だろう。


もうひとつ、特筆すべき光景を見た。スマホのバッテリーが底をつきかけていて、あわてて撮ったピンボケ写真しかないが……。
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西側を向いた対岸のビル群が、いっせいにオレンジ色に輝いていた。頭上にはレインボーブリッジが腹を見せていて、鉄骨の一本一本まで、きれいに夕陽が描きだしている。
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やはり、写真ではダメだ。西空から東側のビル群にかけてのパノラミックな超絶味が出せない。
ビルの窓は、高さによって夕陽の反射率が違う。するどく輝いている窓もあれば、薄く染まっているだけの窓もある。まるで、天国の建物だ。
臨海というか湾岸は、境界だから美しいのだと思う。日常から少しだけ踏み出す雰囲気に惹かれるのだろう。一種の逃避だ。しかし、僕は死は怖いので自殺願望はない。50年の人生に残留した放浪癖が、僕を湾岸へ向かわせる。単なる趣味といえば趣味なのだが、僕という存在の本質に触れた趣味である。

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2021年1月10日 (日)

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「バットマン」、「スター・ウォーズ」……世界中のオモチャコレクターたちの熱い魂に触れられるカフェ「東京ToyCafe」に行ってみた! 【ホビー業界インサイド第67回】
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中目黒駅からすぐの場所にある東京トイカフェ、店長の上田さんにお話をうかがってきた。
本当は、世界のコレクターたちの傾向や行動など、面白いネタ話があった。それを盛り込めば、にぎやかで笑える記事にはなったはず。反省はしているけど、僕は「心筋梗塞で死にかけた」「今やらなければ」、その焦りが上田さんの行動動機に思えたので、一貫して「未来に向けて何をやるか」という話に終始させていただいた。

僕がインタビューしている後ろでは、編集者が店内の写真を撮っていたのだが、上田さんは「椅子ありますよ」「寒くないですか」と声をかけていた。
何気ない言葉に思えるだろうか? 他人の痛みは、ただ生きていても分からない。それなりにマイナスの経験をした人は、本気で他人を心配できるのだ。マイナスの経験がないプラスだけの人は、いくらでも他人に傲慢になるし、カラッポのくせに威張ったりする。
一見チャラく見える上田さんには、ちょっとだけ影のようなものがある。そこに心惹かれた。滲み出るような笑顔だった。とはいえ、インタビュー記事はもっと弾んだものにすべきであった。


ずーっと家で原稿やっているので、編集者とデザイナーさんが三鷹駅まで打ち合わせに来てくれた帰り、テラス席でワインを飲んだ。
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ワインが410円、自家製ピクルスが400円。計810円だが、高ければいいってものじゃない。外飲みは、ロケーション第一だ。
ちなみに、後ろの席ではお姉さん2人が生ビール、机にはカツサンドみたいなものが賑やかに広がっていた。いいぞいいぞ、冬こそ明るいうちから外飲みだ。
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この夕陽を810円で買ったと思えば、もはや酒のほうがオマケなのだ。こういう景色を味わうために、酒が付随する。夕陽を狩るツールとして、足代わりに酒がいる。30分で暗くなるから、一杯で十分なんだ。

それにしても一週間ぶりのアルコールだったので、帰りにコンビニで安酒を買って飲んだら、けっこう酔ってしまった。家飲みは、こんな汚いワンルームで飲む時点で、人生のクオリティとしては低位に属すると思う。だからって、一杯何千円もする高級酒ならいいって話でもない。


自殺願望はまったくないのだが、何年か前から「家出して山谷にでも行ってはどうか?」とは考えることがある。
山谷で生きていくほどタフではないから、大晦日に歩いた豊洲あたりはどうだろう? コンビニも市場もあるから、残飯で食いつなげるのでは? しかし、橋の下で寝泊りするにも、寒さをしのげないとなあ……などと考える。

だったら、限界まで借金して、そのまま新幹線で遠くまで行って、金が尽きるまでビジホに泊まるか? まあ、一ヶ月ぐらいで使い果たしてしまうだろうな。
僕は仕事はやりたい願望はあるけど、この場で暮らしつづけることには、それほど執着していない。三鷹駅前の商店会事業に参加していたら、この地域でセーフティネットが築けるのではないか、ひょっとすると市議会議員にでも立候補して……と、数年前は夢想もしていた。

だけど、生まれ故郷や地元をカネにする人は、やはりそれなりに短くて浅い。というか、僕は面白くないと思ったら徹底して、やらない。面白いことなら安い金でもやる、それだけだ。


同様に、20代のころのように興味のない何かの工場でバイトしてまで生活費を得る必要があるか?とも思う。面白くないなら、仕事なんてしなくていい。
今は、好きな仕事ができている。先日、ひさびさに怒鳴ったので、編集者には謝ろうと思う。仕事環境を面白くしてくれたので、赤字でもそれほどは気にしない。いい仕事になるだろう。だけど、終わったら忘れてしまってもいいんじゃないか?
終わったら、いい夕陽を探して酒を飲んだほうが幸せじゃないのか? いい喫茶店で読書して、ちょっと遠くの美術館まで足を運んだら? それがすぐ何かになるわけじゃない。とりあえず、24時間中、「面白い」ことが大事じゃないの? 

20代のころは、「とにかく生活せねば」と強迫観念にかられて、内容のよく分からない工場だとか肉体労働のバイトに応募して、ひどい屈辱感と数千円を持ち帰った。
大事なのは「生活すること」ではない。「面白い」ことだ。そう簡単には死なないし、理不尽で酷い体験をしてきた。他人に幻滅もした。でも、磨かれた人間の美しさも知っている。嘘をつかなくても生きていける。もう虚勢をはる必要なんかない。失った分だけ、空のポケットにいっぱい何でも入るようになった。

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2021年1月 2日 (土)

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年末になんとなくレンタルで観たブライアン・デ・パルマ監督『ミッドナイトクロス』、なかなかの異色作だった。
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デ・パルマは『アンタッチャブル』でも『戦艦ポチョムキン』の乳母車が階段を落ちていくシーンを模倣していたが、「映画作品をもって映画表現に言及する」癖のようなものがある。

この作品では劇映画の音響効果マンが主人公。彼は冒頭で、スリラー映画で女優が殺されるシーンの悲鳴が上手くいかない……という問題を抱えている。映画のラストで、主人公はヒロインが殺されるときの悲鳴を映画に使って、映画を完成させる。一応、主人公はヒロインの死を嘆いているかのような演技を見せるが、映画の最後でさらに映画を完成させて終わらせる構造は、ちょっと変わっている。
蛇足とも思えるアイデアだからこそ、何故わざわざそんなシーンを挿入したのか気になる。

それだけではない。
主人公は音響素材を深夜の山で収録しているとき、たまたま車が橋から転落する事故を目撃する。彼はマイクを持っていたので、事故の音声だけは録音してあった。しかし、音だけでは、決定的証拠にはならない。
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ところが、同じ事故現場に、車が転落する瞬間を連続写真で撮影したカメラマンがいたのだ。主人公はその連続写真をつなぎ合わせてフィルムにして、さらに自分の録音した磁気データを同期させて、車のタイヤが狙撃されたことを確信する……。なんという、不思議なシーンだろう?
われわれは映画の中で「実際の出来事」として車の転落シーンを見ている。なのに、主人公は録音テープと連続写真を使って、自ら「映画のシーン」をつくることによって、観客と同じ地平に立とうとする。
「映画の中の人物」にとって、劇中の出来事は事実であって「映画のシーン」ではない。しかし、主人公はわざわざ「事実」の断片を「映画のシーン」へと加工しなおすのである。

デ・パルマに実験精神があるとまでは思わないが、ずいぶん奇妙なことをする監督だと思った。何本か観てみようかと思う。


大晦日、かねてより考えていた娯楽を試してみることにした。
昨年、チームラボの展示施設「チームラボプラネッツ」を鑑賞するため、ゆりかもめ新豊洲駅で下車し、その周辺の整然としたひと気のない空間に魅了された。
そこで年末の寂しいシーズンを狙って、湾岸エリアの閑散としたムードを満喫しようというわけだ。新橋駅で立ち食いそばを食べて押井守的なムードを熟成し、ゆりかもめに乗って新豊洲の駅に降り立った。ここからダイバーシティ東京まで歩く計画だ。Googleマップによると、50分ほどの距離。
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新豊洲駅を降りて歩きはじめた時には、もう14時30分になっていた。
天気はいいのだが、ひとつ誤算があった。このエリアにはマンションが多く、公園で家族連れが遊んでおり、倉庫ばかりが並んでいそうな寂しい区域にもコンビニどころか、ふいに賑やかな商業ビルが現れて、雰囲気がガラリと変わってしまうのだ。
ジョギングしている人も多く、ひと気が途絶えることはない。
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ランドマークとして目立つ建物が多くて見晴らしがいいため、迷うことはない。ダイバーシティ東京に着いたのは16時前後だったと思う。一時間半ほどの散歩コースだ。
さて、ダイバーシティで予定していた買い物を終わらせると、西の空がちょうどいい色に染まっている。徒歩数分の東京ジョイポリスで、海側のテラス席を見つくろう。6階や5階の店は閉まっているか値段が高すぎるため、確実にテラス席に座れてビールの看板まで出ている2階の店に落ち着いた。
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たまたま持っていた藤原新也の『東京漂流』をテーブルに置けば完璧である。お店のお姉さんが、ストーブを点けてくれた。テラス席に座っているのは僕ひとりなのに、申し訳ない。こういう時、サッと「ありがとう」と言えないのが、僕のダメなところだ。
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単価1000円のフィッシュ&チップスは冷凍食品感が濃いが、ビールはハッピーアワーなので安い。この景色に、文句を言ってはいけない。
陽の光が頼りなくなっても、今度は対岸の高層ビル街に、ポツポツと人工的な灯りがともりはじめた。
刻一刻と、一年が「終わり」に向かっていく。「終わり」を楽しもう、味わおうとすればするほど、「終わり」は引き伸ばされていく。むしろ夜景を楽しむために人の数が増えはじめるのだから、どこからどこまでを「終わり」と呼んでいいものか分からない。「終わり」という概念が消失していくのを待っていたのかも知れない。

二杯目のビールを飲んで席を立つと、まだ17時前だ。この超絶的な海沿いの夕暮れを楽しんで、値段は2000円もしなかった。前日は立川で「DINO-A-LIVE」を見た帰りに、外のベンチでクラフトビール。新娯楽、「冬の外飲み」の完成である。
「この世に生まれてきたのに、楽園に住まないでどうする?」――好きな言葉だ。


10年前の昨日、母が父親の凶刃に倒れた。
この10年間、僕は海外旅行へ出かけるようになり、ここ最近は喫茶店で読書、毎週のように美術館へ行っている。年収はむしろ下がっているのに、自分のための贅沢だけは抜かりなくやってきた。
生前の母は「海外へ旅しなさい」と、かみしめるように言っていた。アフリカや南米まで行ったのだから、天国で喜んでいると思う。
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あの日、無責任な人殺しの父親から捨てられる格好になった犬2匹は、立川警察の冷たい廊下で震えていた。「トビラを閉めること」と貼り紙してあるのに、警察官たちはドアを開けっ放しにして、犬たちはオリの中で寒そうにしていた。不憫でならず、ペットボトルの水を手からあたえた。
そのことだけをTwitterに書いたら、「犬にペットボトルの水は与えない方がいい」とコメントがついた。
警察から紹介された葬儀屋は「お母様と話をしたい」と妙なことを繰り返した。父親が死んで、母親が生き残ったと勘違いしているのだ。犬を引き取ってもいいとネットで申し出てくれた人は、自分の犬哲学で僕に説教をした。普通に悠々と暮らしてる凡人たちは、それこそ些細なことで「親でも殺されたように」怒る。
検察と警察とペットショップのその他、普通に仕事している人たち。彼らに、事件は関係ない。警察や検察にとってすら、仕事のひとつでしかない。裁判で戦ってくれたまだ20~30代の検察官3人組、彼らには感謝している。多くの人が花をもって家を訪れてくれたことも、忘れていない。


だけど、母の死と殺人と、父親が凶悪な犯罪者になったことと世の中とは、徹頭徹尾、関わりがない。関わりがあるのは僕ひとり、僕ひとりが僕だけの世界を背負って生きるのだ。離婚した妻は、この事件を知っただろうか? 精神病院への入退院を繰り返しているらしい兄は? 僕からは伝えていない。
家族も親戚も関係ない、もし関係あるとしたら敵なのだ。事実、親戚たちは法廷では反対側の席にすわった。僕だけに決定権がある。僕だけが誰の味方になるか、誰の敵になれるか決められる。他の人たちは仕事だとか、世間体で役割が固定されている。僕だけは違う。

母の死が、僕を解放した。僕を世界に放り出し、国際線の飛行機に乗せ、美しい夕陽を見せた。無限を知った。永遠を知った。
世の中など関係ない。他人など関係ない。僕は他人に期待しなくなった。喧嘩したり説得することもなくなった。どちらが偉いわけではない、僕がバカなのかも知れないが、とにかく「世の中など関係ない」のだ。僕はひとり世界に放り出されたので、僕のことだけを最優先に自由奔放に生きるのだ。僕は母に、二度生んでもらったのだと思う。 

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