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2020年12月 3日 (木)

■1203■

12月に入ってから、来年いっしょに仕事する予定の編集者に酒をおごってもらって、オヤジばかりの枯れた感じのショットバーを見つけた。高齢のマスターと客との会話は、映画と音楽の話がポツポツと出る程度で、「俺って頭いいだろ?」「俺ってセンスあるだろ?」などと誰も競い合っていない、パッとしない感じが気持ちよかった。
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今朝は井の頭公園駅前まで30分ほど歩いて、いくつか並んでいる喫茶店のうちから「千」に入って、読書した。知的な雰囲気の老婦人がひとりで切り盛りしていて、いつも僕ひとりしか客がいない。二階の窓からは小さな駅を一望でき、店内には静かにクラシック音楽が流れている。
年内は、あと二つ取材があるだけで、原稿は一本だけ納めればいい。僕は、寂しいのが好き。ひとりが好き。広漠とした自由な時間を、ひっそりとした読書や美術館めぐりで充実させていく。それ以外の、何かキラキラしたものは必要ない。


話題になっているNIKEのプロモーション映像は一回だけ見て、「ふーん……まあ、俺にはあまり関係ないかな」という感じだった。
いつの間にか「ネトウヨが批判して炎上させている」「あのPVを評価しないのは、ネトウヨの差別主義者」という流れになっているらしい。みんな、争いが好きだねえ。そうまでして、自分だけが圧倒的に勝ちたい? 優越感が欲しい?

NIKEのPVを、「体育の時間に苦しんだ者を差別している」というツイートも見かけた。
そのツイートに対する反発が、もう物凄くキツくて、見るのをやめてしまった。「だからウンチ(運動音痴)はダセえんだよ」「学生時代の劣等感を引きずったままかよ」「こじらせている」などなど……酷すぎる、これじゃあイジメじゃないか。

僕は体育ができずにクラスの男子から罵声を浴びせられ、女子からも笑われ、特に高校時代には凄まじい抑圧に耐えていたけど、それを「イジメ」「差別」と呼びたくはない。被害者ヅラもしたくはない。そんな簡単に分かるわけがない。
あの体験の何が勉強になったかというと……、先頭に立って怒号や罵声を浴びせるのは、せいぜいカースト上位の2~3人にすぎない。他の中間層の男子たちは、体育の時間になると、その2~3人の側に加わって、「この時間だけは廣田に冷たくしよう」とモードを変えてくるんだよ(体育の時間は男女別だったから、女子に見られる心配もないし……)。
中には、「だって廣田くん、トロいんだもん」と声に出して言い訳するヤツもいた。でも教室に帰ると、普通に話しかけてくるんだよね。ようするに、強い側に加わって、自分が巻き添えをくわないために、廣田を切り離すわけ。

……まあ、大衆なんてそんなもんだよね。
社会の8割ぐらいは、自分の意見や独自の価値観なんて持ってないんだよ。デマをコロッと信じてしまうのも、教室で右顧左眄していた中間層だから、別に驚きはしない。生きのびるために考える必要がなく、多勢に流されるだけでそこそこ生きてこられた人間に、警戒心なんて育たないわけ(「NIKE」のPVは、そういう人たちに支持されているのかも知れない。でも、ヒットする作品も売れる商品も、何も考えない愚民たちが支えているので、いつものことだろう)。


しかし、体育ができず、そのことが人生観に影響をおよぼすぐらい深刻だったと告白しても、やっぱり分かってもらえないんだな。
女性が性被害の体験を語るたび、「油断していた貴女のせいだ」と言われてしまうのって、こんな感覚なのかも知れないな。悔しいよな。
僕は、体が大きくてルックスが良くてコミュニケーション能力の高い男たちが、弱い者に対して何をするのか、十代のころにハッキリと知ることになった。たいていの女子たちは、そういう強者サイドの男がワイ談をしても笑って聞き流す。生物的に強いものが無条件に得をする、それが社会の真理だ。

その真理を、16歳の俺は認めても「飲みこむまい」としたんだろうな。それは真理かもしれないが、納得するものかって。
キラキラした連中の秘めているドス黒さを決して忘れず、彼らの侵入できない自分だけの王国をつくろうとしたんだ。無数に挫折を重ねながら。今、こうして悠々と自由な毎日を送れているんだから、それは成功したんじゃない?
だけど、20代のころはずっと、身を引き裂かれるような自己否定感、劣等感に苦しんでいた。女にフラれるたびに、電車の中で大量の汗を流しつづけるパニック発作が酷くなっていった(パニック発作は完治しておらず、今でも精神安定剤を服用しているけど……余談だけど、海外旅行に行くと、パニック発作はほとんど起きない。ひょっとすると、日本社会が抑圧的なムードを発しているのかも知れない。そういう意味では、NIKEのPVは間違ってない)。

偉そうな態度のフェミニストの人が、人ごみの中でパニック発作を起こして苦しんでいるという話をたまに聞くけど、俺にはよく分かるよ。劣等感が強いから、やむなく社会の中で強者のように振る舞っているだけで、もっと根深いところで傷がうずいている。その傷を癒さなくては。


体育の時間はクラス中から蔑みの目に晒されつづけていたわけだから、そこから気持ちをそらす方法を必死に、無我夢中で考える。その頑張りが、ものすごいバネをつくっていたことに、最近になって気がついた。
あのね、カースト上位にいた奴ら、付和雷同していた中間層には、そんなバネはないんだよ。だって、右に左に流されるだけで上手く生きてこられたわけだから。彼らは中年にさしかかって、「自分には何もない」と気がついて、今ごろ焦っている。何ら独自のもの、切実なものがない。守りたいものがない。
誰かが「Aがいいです」と発言したら、「いいえ、私は反Aです」とか「A以外はどうなるんですか?」とか、主体的な意見に難癖をつけるぐらいしか出来ない。「じゃあ、何がいいんですか?」と聞き返されても、自分自身からは何も提案できない。ほとんどの人がそうですよ。死に物狂いになった経験なんてないわけ。

いい歳して、「俺ってモテるんですよ」「スポーツも音楽も万能なんですよねー多趣味で」とわざわざ自慢する人は、人生にそれしか残らなかったわけ。
そういう学生気分でキラキラしていたい人からすると、ひっそりと自分だけの王国で楽しんでいる人間は得たいが知れないだろう。心が穏やかで、いつも気分がいい。それが勝利の味ですよ。いま体育で苦しんでいる中高校生たち、君らの中にバネは育っているぞ。


最近レンタルで観た映画は、レバノン映画『判決、ふたつの希望』。

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