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2020年11月 3日 (火)

■1103■

モデルグラフィックス 2020年 12月号 発売中
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今月の「組まず語り症候群」は連載第96回、ボークスさんの塗るプラ「輪入道」と「キジムナー」です。


レンタル配信で、深田晃司監督の『さようなら』。やはりこの監督、ただ者ではないと思う。
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原発事故によって日本全土に人が住めなくなり、少しずつ海外への避難が進んでいる近未来の日本……と聞いていたのだが、『日本沈没』的なパニック色は皆無。映画の舞台は、『ヨコハマ買い出し紀行』のような寂しい田舎町である。ススキが、画面いっぱいに茂った原っぱ。
そして、日本から脱出する設定なのに、主人公はフランス人の女性である。難民である彼女と暮らすのは、車椅子に乗った女性型ロボットだ(このロボットが買い物に出かけるのだから、ますます『ヨコハマ~』っぽい)。

しかし、ちょっと待ってほしい。
車椅子に固定された全身麻痺の女性といえば、『淵に立つ』で重要な役割を果たしたではないか? 多言語を話す主人公もそう、体を動かせない女性もそう。深田監督の、いびつなまでの身体への興味を、僕はそこに感じる。
在日外国人、難民、犯罪者、そして障害者、……物事の中心ではなく、(倫理を踏みこえてでも)辺境から描いていく人なのだと思う。だから、言動が反体制的なのかも知れない。この人は、ただ作品を撮るだけで、勝手に多様性に寄与しているので、言葉にする必要ないんじゃない? 立派な変態監督だよ。


ここのところ配信に頼りっきりだったので、ネットでは見当たらなかった『その男、凶暴につき』のDVDをTSUTAYAで借りてきた。
公開時には、気がつかなかったショットがある。
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初めて観たときは、シャブ中になった妹をビートたけし演じる刑事が、躊躇なく撃ち殺したように見えた。実際には、それまで無表情だったたけしが、やるせないような表情を浮かべる。その表情が、2カットも挟まっている。
そして、妹を射殺するロングショットでは、たけしの姿は柱に隠れて、まったく見えないのである。かろうじて、銃口からの炎を視認できるのみ。妹が倒れると、たけしは柱の影からフラフラと歩き出てくる。後ろ姿ですらない、完全に感情移入を拒否する「身体そのものを隠す」描写。いや、それは描写ですらないのだろう。
この作家は、「映画に何ができるか」より「何ができないか」を知っていて、その不自由さを喜んで武器にしていたのだと分かる。


しかし最近は、何よりも『じゃりン子チエ』に嘘のようにハマってしまった。映画版は、毎晩のように観ている。
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原作マンガと比較すると、シーンの合い間合い間に、高畑勲監督が得意の心理描写を挿入していることが分かる。
二本足で歩く猫・小鉄とチエの出会いのシーンは、漫画にもテレビアニメ版にもない映画だけの創作である。チエが椅子でテツを殴るシーンで、小鉄がチエに椅子を渡すカットが挿入されている。さり気ない演出だが、これもアニメ化のときに付け加えられて、喜劇のようなおかし味を出している。
チエが母のヨシ江と密会するシーン、チエは嬉しさのあまり駆け足となり、スキップして、さらには転びそうになる。心が弾むような情緒的な演出は、漫画にはまったくない。高畑監督の真骨頂だ。歯ブラシの入ったコップに朝日が当たるとか、ちょっとやりすぎなぐらい豊潤な、人間くさい演出の数々……いつか、しっかりとまとめてみたい。

そして、小津安二郎の『晩春』がそうであったように、これは父娘の擬似恋愛なのだと思う。
「ウチがお嫁に行ったら、テツどうして生きていくんやろ」……、まさに原節子の憂鬱だ。だが、映画はチエの設定した課題には答えようとせず、ネコ同士の戦いをクライマックスに据える。テレビアニメ化が決まっていたせいかも知れないが、このはぐらかし方も憎い。


テツには、現役で店を営む両親がいるし、妻子も働いている。どう転んでも、食いっぱぐれない。その安定のうえに、笑いも恋も成立するのだと思う。(『うる星やつら2 ビューテイフル・ドリーマー』は、その構造に分け入ってしまったのが面白くもあり、無粋でもあった。)

自分は、かなり幼い時期から家庭という生活単位に期待しておらず、自分が結婚するときも、漠然と「いずれ破綻するのだろうな」とあきらめに似た気持ちでいた。
あきらめが良いせいか、いまや一人で毎日ぶらぶらするのが楽しく、恋人すら欲しいとは思わない(20代までは異性が自分を救ってくれると思っていたから、依存度が凄まじかったが……実際、恋人ができてセックスすると対人緊張がなくなるという体たらくであった)。
1日の振る舞いを自分だけで決められる、これ以上の贅沢はない。何時に起きようが、朝から酒を飲もうが喫茶店へ行こうが、何なら新幹線でどこかへ泊まりに行っても困らない。仕事のシメキリなど、いつも一週間後ぐらいに設定しているから、追い立てられる要素がない。自由すぎて怖いぐらいだが、これが勝利の味なのだろう。

(C)2015「さようなら」製作委員会
(C)1989 松竹株式会社

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