■1105■
とにかく、時間と金はあるうちに、自由自在に使え!と思うので、特急ひたちのチケットを予約して、水戸芸術館・現代美術センターへ行ってきた。
もちろん格安ビジネスホテルも予約して前泊し、駅近辺の飲み屋を見つくろのうが楽しみだ。
一軒目は魚屋の2階にある飲み屋に入ったが、予想に反して刺身は美味くなかった。二軒目は沖縄料理か、普通に串焼きにするか迷ったが、散歩しているときに見つけたテラス席のあるお洒落系のカフェへ入ってみた。テラス席は寒いので、店員のお姉さんがブランケットを出してくれた。
このお姉さんは気のつく人で、「少しお腹が空いている」と言ったら、あれこれとオススメの料理を紹介してくれたのだが、それをすべて無視してハムとソーセージだけ頼んで、悪いことをしてしまった。ちょっと謝ればよかった。
このカフェは、夕方のまだ明るい時間に見つけた。昼間はコーヒーなども出しているらしく、地元の女子高生たちが10人ほど集まっていた。
僕が席に着くと、まだ彼女たちはテーブルを囲んでいて、やがて店内にはバースデーソングが鳴り響いた。友だちの誕生日パーティのようだ。もう2時間以上になるのに、すっかり暗くなった空の下、まだ数人の制服姿の女子たちが元気に談笑していた。その、すさまじい体力に圧倒された。
■
翌朝、ホテルから数分のところにある水戸芸術館へ向かった。
コロナ対策のためにコインロッカーを閉鎖しているそうで、僕はふたつの巨大なカバンを抱えたまま、汗だくで作品を観て歩くことになってしまった。しかし、やがて荷物の重さなど気にもならなくなっていった。展示のタイトルは、『道草展:未知とともに歩む』。
天窓のある空間を、たっぷりと、ぜいたくに使っている。この余裕とスケール感だけで、すっかり笑顔になってしまう。
広い空間に、わざと衝立を設けて、足元に北海道の原野や福島原発周辺の土地の名前が記してある。場内を歩いていると、それら因縁のある土地を巡っているような、迷っているような気分になる。頭の中に、想像上の距離が生じるのだ。
また、あるインスタレーションでは、乱開発によって生じた無用な道路、えぐりとられた樹木などが、つぶやくような短い解説とともに、ふたつのスクリーンに映写される(韓国・ミックスライス氏の作品)。
それは問題提起でもあるが、少しずつ情報のずれる2つのスクリーンの演出が、なによりも詩的で美しい。社会問題を的確に伝えるには、伝え方がスマートで洗練されていなければダメなのだと痛感させられる。優れた作品だ。
うまく写真をとることが出来なかったが、完全な暗室にペン型のブラックライトを持って、ひとりずつ入っていく展示があった(日本・上村洋一氏の作品)。
ブラックライトで真っ暗な壁を照らすと、流氷についての雑学が、書き文字で浮かび上がる。スピーカーから聞こえている不思議な音は、どうやら流氷の割れる音なのだと推測できる。文字と音のみで、流氷の写真など一切見せることなく、暗闇の中で鑑賞者に流氷をイメージさせる。そこにはない風景を、頭の中に結像させるわけだ。
そして、ふと足元の感触に驚いて手を触れると、その暗室の床は砂がぎっしりと敷き詰めてある! 何がどう物語化されたわけではないが、僕は驚きのあまり、声をあげてしまう。物語に感動するわけではない。むしろ、物語性が決壊したとき、感動が生じる。
また、「ペンライトを持つ」、「ペンライトで照らさないと見えない」ことによって、鑑賞者は能動性を喚起される。作品を観ているあいだ、主導権は鑑賞者にあり、鑑賞者は肯定される。上村洋一さんの作品、今後は注視していきたい。
■
僕がホテルのベッドに寝転がってKindleで漫画を読んだり、Amazonプライムビデオで映画を観ている間、Twitterではタイツのメーカーが、またしても萌え系のイラスト企画によって炎上していた。
タイツの萌えイラスト叩きで、「お前らオタクが調子のってんじゃねーよ。」と憤っている女性がいた。
その女性が議論する中で「小学校からイラストの仕事してたよ。」「金はもらってないけど、依頼されて描くものは仕事と小学生の時から思っています。」「私小学生で君より絵上手かったからな。」「自分の絵が下手なのを責任転嫁するな。」などと発言しているのを見て、切なくなってしまった。
その女性はジュニアネイリストを名乗っており、ネイルチップアクセサリーを作って売ってもいるのだが、そちらのアカウント数はゼロ、アクセサリーもひとつしか売ってない。ああ、人生が上手く行ってないんだな……と、ピンときてしまう。ひどい言い方をすると、絵で食えるほど上手くもないし賢くもないから、プロのイラストレーターに嫉妬しているに過ぎない。
そうだとしたら、僕も漫画家や映画監督を目指しては数知れず挫折してきた敗残者なので、彼女を嘲笑う気にはなれない。
■
ほとんどの人は、願ったとおりの人生を歩めずに、妥協線を探る。
その過程で、しっかり自己肯定できれば楽しい人生なる。日雇いのアルバイトでも低収入でも、もっと言うと無職で借金まみれであっても、自己肯定感で満たされているなら人生は楽しいはず。
だけど、「お前だけ満たされるな、俺らと同じように我慢しろ」と、嫉妬心から足を引っ張るのが日本社会だ。能力や適性を生かして楽しく生きていると「ずるい」と言われてしまう。
同い年の子供たちを、よーいドンで一斉に競わせるような教育のなかで、自己肯定感を簒奪されなかった人はいないだろう。
でも、心から楽しいのは何か、自分は何を欲しいのか真剣に考えれば、開けられた穴は塞がっていく。真剣に自分の欲望と向き合わない人が、「社会が悪い」「現政権が悪い」と簡単な答えを求め、「Twitterで騒ぎにしてやれ」とリスクの少ない解決法に頼ろうとする。僕が左翼的な人を嫌うのは、彼らの思考や解決が安易で本質的でなく、結果として低クオリティな人生しか送ってないから。壊れた自転車を修理しないまま乗りつづけて、「どうして真っ直ぐに走れないんだ!」と怒っているようなマヌケさが嫌い。
■
最近観た映画は、Amazonプライムで『地獄の黙示録・特別完全版』。完全版は二回目だが、なんど観ても打ちのめされるような衝撃を受ける。
| 固定リンク
コメント