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2020年11月30日 (月)

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モデルグラフィックス 2021年 01月号 発売中
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私の連載「組まず語り症候群」も、第97回目になりました。今回は、高校時代のイタタな思い出話を、ちょこっと書きました。


先週の木曜日は、「眠り展:アートと生きること」を観るために、東京国立近代美術館へ。
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展示してある作品はどうでもよくて、トラフ建築設計事務所と平野篤史氏(AFFORDANCE)による空間デザインが目当て。眠りを意識させるため、グレーのカーテンやカーテン風の模様、波打ったような文字レイアウトで統一されている。
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会場を出て振り返ると、こんな窓があって、いま観たばかりの絵が、窓の奥に見える。しかも、角ではなくアールで丸めてある。
こんなレイアウトを本でやろうと思ったら大変だけど、色の使い方などは大いに参考になった。
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意外にも、小企画「男性彫刻」が良かった。このパンフからして、立体展示の面白さをよく表しているよね。
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好きなだけ間近に立体を見られるのは、よい刺激になる。
この日もぽかぽか陽気だったので、ちょっと歩いて喫茶店へ寄り、神保町を経由して水道橋へ向かった。
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後楽園ホールの端っこにあるビアスタンド「SCHMATZ」へ! 陸橋を渡れば駅、という場末感がいい。まだ14時だけど、秋の日は傾いて、昼飲みというよりは夕飲みという雰囲気だ。平日昼間から飲む、後ろめたい優越感がいいんだよ。
翌日は、小学校時代からの友人と、吉祥寺で酒。いつものチェーン店ではなく、めぼしをつけておいた居酒屋へ。料理の盛りつけまで含めて「味」だと思うので、店は厳選して、クオリティの高い飲酒にしなくては。料理は一級品だったけど、二日酔いになってしまったので、酒の飲みこなしはまだまだだなあ……。


広告やPR漫画などをTwitter上で攻撃してきたツイフェミの方たち、今度は加入していないと観られないネット・ドラマの予告編を燃やしている。
ジャニーズ事務所に所属するアイドルが原案・主演だそうで、ターゲットでない僕は「ふーん」という感じ。この程度で配信中止になるぐらいなら、制作サイドも本気じゃないんだろうね。なんというか、これが何かの闘争だとしても、争いのレベルが低すぎるので、「どう転んでも面白いな」と思ってしまう。
だってもう、ツイフェミの人たちのTwitter内クレーム攻撃は女性解放とは無縁な、「キモオタ」「ネトウヨ」「クソオス」に対する憎悪と嘲笑でしかないじゃない。男に都合のいいツイートをした女性にも、「てめえ」「謝れや」とチンピラ並の罵詈雑言。うーん……まあ、それで気が晴れるなら止めはしないけど。

そんな凄まじい憤激が溜まっている時点で、人生マイナスじゃん。それが全部、男社会のせい? 
それじゃあ、「ぜんぶ在日特権のせい」「生まれながらに日本人である我々は、優遇されている在日外国人に差別されてる」と被害妄想してきた一昔前のネトウヨと変わらないよ。「冷静になろうよ」と呼びかけている女性も、いるじゃない。(「権力が欲しい」と言っているツイフェミさんもいて、苦笑してしまったけど……)


“新橋の広告の件、「女の仕事が奪われた」という意見もあるが、モデルさんの仕事は撮影時点で完結しており、将来の仕事がどうかは定かでない。また「表現の自由」が「規制」されたわけでもない。
但し現に失われたモノがあるのは事実で、それは「見る側の楽しみ」である。議論すべき論点かは別として。”

新橋の広告ってのは、大きな胸を広告として使うことを売りにしている女性YouTuberさんがモデルになったED治療の広告。
別にそんな広告あってもなくてもいいし、巨乳なら男は誰でも喜ぶとか絶対に勃起するとか、そんな単純なものじゃないよね。女性を見て「きれいだな」と思ったとしても、それは自分だけが密かに培った内なる美意識であって、「きれいだからセックスしたい」なんて原始的なものではないわけ。
萌えイラストだって、巨乳でスカートが短ければオタクは百発百中、興奮するかというと、いろいろ面倒な経路をたどって屈折した愛情や愛着を抱くわけで、いきなりズリネタにして終わらせるだけの人なんているの?

で、その手前勝手な男たちの美意識なり愛着なりが、先ほどのツイートのいう「見る側の楽しみ」なんだろうし、即物的に考える女性からすれば「キモイ」「キモイから加害」ってことなんだろう。
人に「私に対して、そのような印象を持つな」と命令することはできない。大人であればね。どんな印象をもたれようと、まずは我慢して受け入れて、そこから要求を通す道筋を探らなければならない。その面倒な手続きの上にしか、確固たる幸せは成立しないと思うんだよな。
そこを面倒がって手っ取り早く気をすまそうとすれば、他人に対する嫉妬と憎悪から逃れられず、ずーっとイライラしたまま終わるだろう。


最近レンタルしてきて観た映画は、ドイツ映画『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』、『太陽の王子 ホルスの大冒険』など。

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2020年11月23日 (月)

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巨大ロボにサウンド、発光ギミック……50周年を迎えたミニカーの王様「トミカ」、その“変わった部分”と“変わってない部分”とは?【ホビー業界インサイド第65回】
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スナップフィットの低価格キットで、「蒼き流星SPTレイズナー」のライバル機「ザカール」のゴージャス感は表現可能か?【80年代B級アニメプラモ博物誌】第5回
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はい、ホビー系の連載が2日つづけてアップされました。面白いんだから、ちゃんと読んでください!


今日も、朝から天気がいい。徒歩10分ほどの「モリスケ+横森珈琲」の店内は、若いアベックなどで賑わっていた。
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モーニングセットの中から、いちばんお気に入りのハムトーストとコーヒー。薄いハムがぺたっと乗っているだけなので、ハムを落とさないように齧っていくのだが、本当にそれが正しい食べ方なのだろうか? 隣席の男性がハムトーストを頼んでいたのでチラリと見たら、同じ食べ方で、僕より上手に食べていた。

昨日は、吉祥寺の「茶房 武蔵野文庫」が開店しているのを初めて目撃し、休日らしく混みあった店内にすべりこんだ。
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ブレンドとハムトーストを注文して、まあ、それはそれとしてだ。
日曜日のみ15時からオープンするワインの店が、井の頭公園前駅のすぐ近くにあるのだ。ここで昼飲みしない手はないので、二軒となりの小さな喫茶店「tallata tallata」まで歩いて、15時まで時間をつぶした。
ところがですよ? 15時に昼飲みワイン店に足を踏み入れると、「ご予約の方ですか? 本日はご予約の方のみで……」。で、入れてもらえず。ああ、そうですか……。

井の頭公園内を足早に横断して、テラス席でビールを飲ませてくれるイタリア料理店を無視して(テラス席に気の強そうなアベックが座っていたため)、目指すは……そう、公園の外れのお休み処「松月」でしょう!


15時すぎ、そこそこ暖かいので、今日はおでんという気分ではないな……枝豆でもいいんだが、肉シュウマイを試してみようか?
そんなことを考えながら「松月」に足を踏み入れたとたん、女性店員から「今日もキリンとおでんにしましょうか?」と話しかけられて、笑ってしまった。ハハ、こないだのこと覚えてたんだ(笑)。「じゃあ、キリンと……」「キリンは中瓶でよろしいですか?」 そう、缶もあるんだ。そこは確認してくれるんだな。
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あいかわらず、五分とたたずに出てくるのでシュウマイは冷凍食品だと思うけど……おでんの土鍋につづいて、肉シュウマイは中華セイロですよ? とり皿にはカラシ付きですよ? めちゃくちゃ気分が高まる。これ、直径20センチの王国でしょう!

松月で僕の座る席というのは、ふたつの座席が並んで配置してあるので、たとえ夫婦や恋人同士でも照れるだろうし狭いだろうし、いつも空いてるんだよ。だから、僕のような一人客の特等席。椅子は窓側(公園側)を向いているし、文句ない眺めだよ。

僕はあまり、お店の人に「あの客が来た」と認識されたくないと思っていた。しかし、ひとりも家族がいない身としては、「今日もおでんですか?」と聞かれて、意外にも嬉しいものだった。寂しいのは好きだけど、少しずつ、あちこちに小さな居場所が点々とあるのは嬉しい。
みんなに囲まれてワイワイ騒ぐのが人生だと思っている? 自分ひとりの小さな場所と時間を満喫する……それが、僕の手に入れた贅沢だ。


人が悪いと思われるだろうが、ツイフェミの人たちが苦しまぎれな論争を繰り返しているのが、僕にはプロレスのような娯楽となってしまった。
数日前から、萌えイラストを使った広告を批判して、その正当性を強化するために「私は広告業界のクリエイター」「私も仕事で萌えイラストを描く」と強弁している人が、ひとつの証拠も出さずに「私はクリエイターなのに、あなた方はクリエイターを叩くのですか?」と論理をすりかえていて、いかにも苦しい。

「それは作り手としてのあなたが批判されているんじゃなくてツイッターをやっている人としてのあなたが批判されているんでしょ。」)……この二人のやりとりとは引用リツイートなどで分岐して複雑だけど、とても読みごたえがあるよ。

やっぱりさ、匿名アカウントは自分が何者であるか隠すことでリスクを軽減しているわけだから、「実話なのに信じてもらえない」状況ぐらい覚悟して受け入れるべきでしょ? 第三者に検証可能な情報を出さないかぎり、そりゃあ信じてもらえないよ。名前を出したり顔を出したり、リスクと引き換えに信頼してもらえるんだよ。
(とは言え、コロナ関係で「医療関係者です」と言うだけで、コロッと騙されてしまうカモがいっぱいいるからなあ……。「疑って考えずに伝聞を鵜呑みにしても、そこそこ適当に生きてこられた迂闊で幸運な人」が世の中の大半なのかも知れない)


“大体、社会って制度を設けなきゃ生きられない以上、人間そのものが八百長的存在なんだろうな。”

“でも、皆八百長の自覚は希薄だったりするでしょ。まァ個人だったら、自覚する奴はしてるけど、それが最大公約数になると、もう微塵もないよな。それどころが八百長の否定を「良識」だと勘違いしているから、だから「みんな八百長じゃねえか」って公言する勝新みたいな人は、執拗に攻撃されんだよね。”

(根本敬 『因果鉄道の旅』より)

汚いチンポを汚いマンコに挿入しないと、今のところ子供をつくる方法はないわけです。そのために本能レベルで性欲が備わっていて、そこに苦痛も嫌悪も、快楽も搾取も生じるわけです。女性のほうが圧倒的に不利、それが真理です。でも、だから女性を大事にしなくてはならない……、それは「真理ではなくて常識」なわけですよ。真理と常識をごちゃ混ぜにしている人が多い。
「人間は平等」、これは真理ではなくて、めんどくさい調整を重ねて初めて「常識」になる……という程度のものでしかない。実際には、肉体や知能によって歴然と埋めがたい差があるので、「平等ではない」。そこを社会に丸投げせず、自分の身の丈にあった工夫をすることで他人と適切な距離を築き、ようやく幸せになれるんじゃないの?

どうもね、フェミとかリベサヨって人たちは「私の人生が上手く行ってないのは私のせいじゃない、なので私は工夫しない」「でも、人間は平等だろ、私は何も工夫してないけど、とにかく平等にしろや」……こういうワガママを通そうとしているように見えて仕方ない。それじゃあ勝てないのに、わざわざ勝てないルートを選ぶ。だから、延々と負け惜しみを言ってるのよ。


最近観た映画は『かぐや姫の物語』、『おもひでぽろぽろ』、『ホーホケキョ となりの山田くん』、あと『かぐや姫~』のメイキングDVDも買った。
実写映画は『ロッキー』ぐらいだなあ。『かぐや姫~』を久々に観てから、映像に対する認識が変わってしまった。

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2020年11月21日 (土)

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日曜日、スーパーフェスティバルに参加したところ、けっこう儲けが出た。国民健康保険税を3万円も払ったのに、まだ何万か余裕がある。そこで、地元の三鷹で一人打ち上げを行った。
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とある居酒屋にて、まずは生牡蠣。レモン、辛子明太子、ネギの色合いがいい。他に頼んだのは、揚げギンナン、アジフライ、それと、お通しの活け海老の頭と尻尾をサッと唐揚げにしてくれた。これが予想外に美味かった。
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アジフライを“立たせて”いる新聞紙みたいな紙は、わざわざ漫画本をコピーしたもの。こういうレイアウトと演出も、センスいいと思う。
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あと、半熟オムレツ。これをラスボスと考えると、ビールでは役不足なのでホッピーで迎え撃つ、という選択になった。
最初に頼んだピリ辛こんにゃくと揚げギンナンは使い勝手がいいので、最後まで残しておく。そういうローテーションを考えて、酔いすぎないように配分していくのが面白い(ホッピーはアルコール度数高いので、やや二日酔いになってしまった)。まあ、5千円以上かかるので、滅多にやれない遊びだけど。
あと、地元では滅多に飲まないので、店選びも慎重に数件ほどの候補の中から……、ただし冒険心、開拓心を失わず……。

私は根がオタクなので、妥協すれば「チェーン系の居酒屋でいいや」となってしまう。「ファミレスでビール飲めばいいや」とか。そんなことをすれば、たいへんな自己嫌悪に陥るのは、金のない20代で痛感している。


翌々日の火曜日、最近見つけた井の頭公園駅前の一角に足を向けた。自宅から玉川上水ぞいに、徒歩30分ほどだ。
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個性的な喫茶店が揃っている中から、上品な老婦人がひとりで経営している「千」へ。ハムサンドを頼んだが、6ピースあるサンドを2ピースずつジクザグに配置、左右をオレンジで支えている。
果物といえば、店内に入ってすぐ横の冷蔵庫に、青いリンゴがひとつだけ入っていた。子供じみたケーキ類がぎっしり並んでいるより、僕はひとつのリンゴに絵画性を感じてしまう。こんな品のいいお店なのに、昼時で客は私ひとり。前回は女性客が二人だった。どちらも一人客で、黙々と新聞を読んでいた。
そういう静かなところも、店の魅力なんだろうな。


さて、まだ昼だし天気もいいので、「20代のときに住んでいた池ノ上から駒場東大前、下北沢あたりを散策してみようか?」と思いついた。
ところが、井の頭線に乗ってからスマホのバッテリーが急減して、画像データが消えていることに気がついた。これはおかしい、故障だろう。西永福で折り返し、吉祥寺駅を経由して、三鷹駅前のauショップへ直行した。
すると、画像データは無事であることが分かった。せっかく20代の貧乏時代の思い出の地を歩こうと思っていたのに、こんな実務的なことで時間を浪費してしまって、とても癪だった。

今日一日を実のあるものに変えたかったので、家でスマホの充電と洗濯をすませてから、武蔵境駅へ向かった。
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ジャーン、これである! 明るいうちからテラス席でビール! 武蔵境駅西側の高架下にはセンスのいい店がデザイン的に配置されており、「Ond」は僕にとっては昼飲みポイントである。この日はクラフトビール「Mr.SAKAI」とプレーン味のソーセージ、1500円ちょっと。
まあ、一人飲みはどうしても割高になるので、基本はスーパーかコンビニで安ワインと安いハイボールを買って宅飲みだ。そういう時は80年代のポップスを聞いてセンチメンタルな気分にもなれるが、外でビールを飲みたいときは、何が何でも飲むべきと思う。そのとき考えられる、最高の場所で。それが、僕の王国になる。

その日の夜、肝臓が破裂して死ぬかも知れない。でも、その日その日、小さなパラダイスを卓上につくりあげて満たされた時間を過ごしているなら、今夜人生が終わっても後悔はしない。やりたい仕事はあるが、こうした日々の充実なしに、仕事もへったくれもあるまいと思うわけだ。
だから、そこそこ休肝もする。金のない若い時ほど安酒を鯨飲して、つまらない仕事を二日酔いで休んで、ますます貧乏に陥っていった。


今だって、べつに儲かっているわけじゃない。去年の半分ぐらいじゃないだろうか。なのに、国内旅行と喫茶店と美術館、昼飲みの日々だ。(コロンビア行きの航空券はキャンセルしたが……一体どこにそんな金があったのかと、我ながら不思議に思う)
 
来年の仕事は、いろいろと売り込んではいるが……焦って「何でもいいから仕事ください」と頼みこむよりは、本当にやりたい仕事を自分から提案したほうがいい。なぜか、「生活のためだ」と追いつめられながら、好きでもない仕事を仕方なく受けると、そのお金は早く出ていくような気がする。
いよいよとなったら借金して、そのまま遠くへフラリと旅に出て……帰ってこなくてもいいぐらいに考えている。別に寂しい人生じゃない。ひとりになるために、ここまで努力と工夫を重ねてきたのだから。大金持ちにならなくても、それなりに贅沢な日々を過ごしている。


Twitterで論争に明け暮れているフェミニストの人が、「お前がクソリプを送っている間、私たちはこんなに優雅な暮らしを楽しんでいる」と、リゾート地で食べ放題のお寿司だとかプールサイドでのトロピカルドリンクなんて画像をアップしている(勝部元気さんのことだけど……)。
論争相手に当てこすりする目的で食べ物を自慢しても、そりゃあ不味そうに見えるでしょうよ。あとね、プールサイドでトロピカルドリンクって、勝部さん本心では良いと思ってないよね。通俗的で女性ウケが良さそうなシチュエーションを選んで、トレースしてるに過ぎないんじゃない?
シュナムルさんがクリスマスのイラストをアップした時、七面鳥の丸焼きとワイングラスが描いてあって、失礼ながら「貧乏人が夢見るクリスマスだよな……」と思ってしまった。「ウチのクリスマスは、なぜか日本酒とお好み焼きで祝うんですよー」と言われれば、面白いうえにリアリティが出るのに。そこまで知恵が回らずユーモアに欠けるのが、彼らの限界なんだ。

勝部さんだって、マクドナルドや松屋のカレーの画像をアップして「誰が何と言おうと、これが俺だけの贅沢です!」と言い切れば、すごくカッコいいと思う(そういう自虐ツイートが面白いアカウントを、いくつか知っている)。
「街で女子高生を見かけるだけで興奮してしまう」などと変態丸出しだったころの勝部さんは、俺は今でもまぶしいと感じる。自分だけのパラダイスを実現しようとしていたから。
どうしてフェミ系の人って、そんなに見栄はるんだろうか。私の仕事は管理職で責任重要なポストだとか、年収は高めでクリエイティブな業種で……とかさ。他者への優越感と蔑みが、常につきまとっている。そんなの、ぜんぜん幸せでもなければ豊かでもないじゃない。

僕は、友だちは男ばかり3~4人ぐらい。家族はいないので、正月もひとりで過ごす。大晦日は、どこか寂しい場所を歩いて、いい酒を飲もうと画策している。自由。何にも代えがたい、僕だけの王国。僕は、それを手に入れた。

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2020年11月14日 (土)

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「機動警察パトレイバー アーリーデイズ」で、立ち食いそばを食べていたのは誰と誰?【懐かしアニメ回顧録第72回】
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『二課の一番長い日』に出てくる立ち食いそばについて、考察しました。無駄を削ぎ落とした、理知的な脚本だと改めて感心しました。


木曜日は、パナソニック汐留美術館へ。
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『分離派建築会100年展 建築は芸術か?』、興味のない人にクリエイターの仕事を理解させるには、切り口が必要と思った。いくつかのセクションを貫くように、壁一面に横長の壁新聞のようなものが貼ってあった。その壁新聞と各セクションの内容が時系列的にマッチしていれば、理解の一助になるはずだ。

金曜日は、予約してあった原美術館へ。企画展は『光―呼吸 時をすくう5人』。
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前回は真夏に行ったので、迷ったあげくに汗だくになってしまったが、今回は、閑静な住宅街の中をまっすぐに来ることが出来た。
二階の常設展示の中に、宮島達男さんの作品があった。千葉市美術館まで、個展を観に行ったほど気に入っている作家だ。前回、原美術館に来たときは名前すら意識に上らなかった。あちこちの美術館を見てまわったお陰で、気がつくことが出来た。

さて、展示はどうだったか。
前回の『メルセデス・ベンツ アート・スコープ 2018-2020』は、空いていたうえに、外光と一体化した作品、音声のみの作品などバラエティに富んでいた。今回は、平面の作品がメインだ。
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上の画像は公式サイト()より、展示室Ⅰの作品。窓から射しこむ自然の光と、室内から強く照射した人工の光とを競わせている。壁の絵はメインではなく、光の媒介物にすぎない。

この美術館は、建物が主体なのだと改めて思う。展示室Ⅱの広々とした、生物の体内のような有機的な広がりには全身が痺れるような快感をおぼえる。いちばん奥に小さな窓があるところもいい。今回の展示では、その小さなエリアで自動ピアノが演奏していた。もしかすると、その自動ピアノと建物との関係が、今回いちばん感動したポイントかも知れない。


さて、原美術館を出て大崎駅まで戻ってくると、陽気がいいのでビールを飲みたい。しかし、駅周辺の施設にはテラス席が見当たらない。
地元の武蔵境駅まで戻れば、テラス席でビールを飲めるカフェがある。だけど、そこは自宅から歩いていつでも行ける。そんな安易な飲み方は避けたい。
大崎からはりんかい線が出ているので、お台場あたりで飲めるのではないか? とにかく、地元に戻れば確実に飲めるんだけど、それは消極的に思えた。

検討の結果、東京テレポートで下車してみた。
ヴィーナスフォートはあいかわらず閑散としていて、まるで商売する気がない。もちろん、テラス席でビールを飲ませる気のきいた店など見当たらない。
そこで、ちょっと離れたダイバーシティ東京まで歩くのだが、駅のすぐ近くに、テラス席常備の小さなカフェがあるのに気がついた。しかし、そこで手軽に済ませるのも、またちょっと癪なんだよね。探さないと気がすまない。
ダイバーシティの二階テラスを歩いて、建物前の広場も回ってアルコールを置いてないことを確認すると、ようやく「まあ、先ほどの店で妥協しとくか」と心が決まる。なんとしてでも、屋外でビールを飲みたいわけだから。
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すると、使い捨てカップに注がれた、たったこれだけのビールと、ちょっと暖めてもらった適当なサンドが、格別の美味さとなる。
いわば、歩いて探して無駄足をふんだ過程が、味に貢献している。最初に見つけた時点で、「この店でいいや」と衝動的に飲んでいたら、こんな美味い酒にはならなかった。歩いて疲れて、「まあ、いいか」と一息つくと、11月の枯れたような午後の陽光がかけがえのないものに感じられる。店のお姉さんたちも、優しかった。


また別の日、吉祥寺まで散歩した午後、老舗喫茶の「ロゼ」でトーストを食べた帰り、井の頭公園の休み所「松月」に寄った。
頼むのは瓶ビールと決まっているが、ツマミは一考したい。そろそろ寒いので、450円の枝豆は避けたい。何か暖かい物……とメニューをめくると、おでんが600円だ。ビールが500円だから計1000円を超えてしまう。
しかも、松月は本格的な食堂ではない。枝豆もウィンナーの盛り合わせも、冷凍食品をチンしたか軽く茹でた程度。おでんも同じだろう。
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しかし、いかがだろうか? 中身は確かにスーパーのパックであろうが、ミニ土鍋付き! とり皿にカラシ。れんげも付いている。完全お一人様仕様だ。暮れてゆく井の頭公園の外れ、一気に充実感が増す。玉子の位置など、具のレイアウトもいい。レイアウトも含めて「味」、時間帯やロケーションも含めて「味」である。
ここでもし、「やっぱり1000円以下に抑えたいな」と冷たい枝豆を頼んでいたら、後悔しか残らなかっただろう。トライ&エラーを繰り返して、日常の小さな幸せを獲得していく。この日使ったお金は、喫茶ロゼでの飲食代も含めて2千円以下。2万円使ったら幸福感も10倍かというと、そんなことはない。

しばらくすると、僕一人しかいなかった松月に中年の男性客が現れて缶ビール、つづいて焼酎のロックを頼んでいた。
アテは何を選んだのか分からないが、彼には彼だけの卓上の小さなパラダイスがあるのだろう。午後深い、夕闇に沈んでいく松月の店内。男たちの孤島のパラダイスが二つ、かすかに灯をともしていた。
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この数日のあいだに観た映画は、山下敦弘監督『リアリズムの宿』。
原作漫画2本のプロットを部分的に拝借し、途中の女性が出てくるエピソードは完全なオリジナル。コスプレのような服装と髪型で「ほら原作そのままでしょ? 原作ファンの皆さん、責めないでくださいね」と言わんばかりの漫画原作映画に比べれば、どんなに稚拙でも監督が自分のフィールドに引っ張りこんでワガママをやった作品のほうが、圧倒的に好感はいだける。


話題は変わるが、最近のTwitterは「ツイフェミ」の皆さんの痛々しさがエンタメのレベルに達している。
ドラマだろうと漫画だろうと、どんな創作物も自分の女性性を傷つけ搾取しに来ているという主張に、統合失調症の「集団ストーカーに狙われている」「電波でコントロールされている」などの妄想を思い出してしまったが、すでに「糖質(統失)」と「フェミ」を結びつけている人は、沢山いる。
フェミニスト兼ヴィーガンの方が「鬱病」と「パニック病」(おそらくパニック発作のこと)で苦しんだ……というツイートをしていて、そりゃまあ確かにそうだろうな……と、ちょっと憐れみを感じる。俺もパニック発作だけど、精神安定剤でかなり助かってるよ。嫌なこと、苦しいこととは戦わずに逃げろ。

あと、彼氏ができたけどフェミニストとしての言動は「洗いざらい話した」とか(普通は隠すものらしいな)、たまにパートナーが「ミソ的(女性嫌悪的)な発言」をする……といった悩みを抱えているフェミニストもおり、まあ頑張って幸せになれよ、としか。誰も邪魔しないよ。幸せになって、カッカして広告や創作物に噛みつかなくてすむようになると、すべて円満だよねえ……としか思えないね。
本当に自信がある人は心おだやかだから、知らない相手に向かって「お前」「こいつ」なんて言わない。真に強ければ強いほど、礼儀正しく振る舞うものだよ。無闇に強がったり、誰彼かまわず敵視してマウントとりたがるのは、負け犬だから。

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2020年11月 9日 (月)

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J9シリーズ、アクロバンチ……国際映画社のロボットアニメを支えつづけた四辻たかお氏が、破天荒な制作舞台裏を今こそ明かします!【アニメ業界ウォッチング第71回】
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四辻さんは、過去にインタビューした方から個人的に紹介してもらいました。もしメーカーさんや広告代理店が入り口だったら、こんな自由奔放な面白いインタビューにはならなかったと思います。どんな仕事でも、「誰と」するかが大事ですね。


最近観た映画は、『八月の狂詩曲』、『秋日和』、そして深田晃司監督の『よこがお』。
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これで深田監督の映画は4本目だが、今回も怪作であった。この人は一体、何を考えて生きているのだろう?
深田監督は「多様性が大事」と発言しているが、言葉にしなくてもあなたが映画を撮るだけで、映画の世界は否応なく多様になっていくよ(笑)。それぐらい、変なところに凝った複雑骨折したような異様な映画。

たとえば、上のカット。
動物園の、サイの檻を前にした会話がカットバックする。主人公のホームヘルパーは、働いている家の長女と一緒にいる。ところが、長女の恋人とも別の日に動物園を訪れたようだ。服装が違うので、かろうじて別の日だと分かる。主人公は、二人と知り合いであることを隠している。その二面性を表すには、同じ場所で別々の人物と会話させ、なおかつカットを前後させるのが最も効果的だ。
……いや、本当に効果的かどうかはさておいて、「ん? これってどういうこと?」と、観客が身を乗り出すのは確かだ。深田監督の映画は、このような機能的とは言えないドロッとしたプロットの構成、目くらましのようなシーンの組み立てをしている。


『よこがお』を観た人は、ヘルパーを演じる筒井真理子と、彼女に憧れる長女役の市川実日子が横断歩道を渡ろうとするシーンを印象づけられるだろう。
そのシーンでは歩道を走る2人がスローモーションになり、SEとして聞こえていた信号機のメロディに伴奏がついて、BGMとなるからだ。しかも、カメラは筒井の見た目となって市川の後頭部を撮る。一体なぜ、「二人で横断歩道を渡る」などという日常的なありふれたシーンを、こうまで劇的に撮らねばならないのか?

実は、市川が横断歩道を渡りきって筒井がその場にとどまることは、筒井が意図せずに市川を裏切るというプロット展開の暗示になっている。
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(横断歩道を渡りきった後、市川にとっては快くない事態が待っている……説明は非常に難しいので、映画を観てほしい)

また同時に、ラストシーンの舞台も横断歩道なのである。だから、最初の横断歩道のシーンは、印象的に撮る必要があった。
ただし、筒井は横断歩道を自ら渡るのではなく、外から見ている立場だ。一方の市川は、またしても一人で横断歩道を渡る側だ。横断歩道を「誰かと一緒に渡る」「ひとりで渡る」……それぞれを、主観カットで撮る。すると、言葉にしがたい比喩的な意味が生まれる。
機能性からは程遠い、難解な手法ではあるのだが、深田監督が映画にしか出来ないことをやっているのは間違いない。他の映画が、ただの会話ですませているようなことを、ねっとりとしたカメラワークで多角的に撮っている。ストーリーが進むと、あちこちに仕掛けてあった罠が時限爆弾のように破裂して、隠された意図が浮かび上がってくるのだ。測りがたい才能だと思う。


共産党の池内さおりさんが赤旗に掲載された記事を持ち上げて、セックスワークやジェンダー関係に詳しい人たちから猛反発をくらっている()。
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これだけ多数の反論をくらっているのに、ただの一言も釈明せず議論すらしないのは、本当に何も考えてないんだろう。
「差別も戦争もNO」とか「自分らしく」「多様な個性」とか内容空疎なスローガンばかり、まるでアクセサリーのようにプロフィールに散りばめて、本人は何も困っておらずぬるま湯で楽しく暮らしているんだろうな。本人が幸せに生きているならそれで問題ないわけだから、適当に「勉強します」とでも言っておけば怒っている人たちも収まるだろうに、下手っぴだなあ……と思う。

フェミニストでも左翼でも、自分の不得手な危険な領域にわざわざ飛び込んでいって、「痛い、怪我した!」「差別された、攻撃された!」と騒いでいるだけに見える。自分の不得意な相手はスルーして、関わらなくてすむように距離をとる。それだけで、かなり人生は楽になるよ。


自分のやりたくないことは、頑なにやらない。すると、そこに自然と道はできていく。
20代のころ、どうしてあんなにも苦しかったのか思い返すと、とにかく生活費だけでも稼がねば……と、キツい土木作業みたいなバイトを嫌々やったりしていたから。
体力を使わない工場などのバイトに方向転換しても、「こんなつまらない仕事、どこの誰が考案したの?」というぐらい非効率で非人間的なバイトばかりして、疲れるし気分も晴れないから安い酒を大量に飲んで自己嫌悪になって、それなのに家賃すら払えず……と、悪いループにはまっていた。

今でも、ライター業が成り立たなくなったら、また誰にでも出来る退屈なバイトをすればいいのでは……と思っているフシがある。だが、そういう生計の立て方だと「こんなダメな仕事すら出来ない不甲斐ない自分」に苦しめられることになる。精神的な苦痛だけは、なんとしてでも回避せねばならない。そのためには「嫌な仕事」「嫌な人間関係」から逃げつづけることだ。今でも、高圧的な編集者とはケンカせず、すーっと身を引くようにしている。ケンカしたければ、僕の負けで結構ですよ、憎んでも嫌っても結構ですよ~って。


ただ生きていくだけだったら、生活保護で十分なんだよ。今の日本社会は、そう簡単に国民を見殺しにしやしないよ。もしも餓死するとしたら、知らず知らずに自分でマイナスの道を選んでしまっているんだよ。糞バイトに疲弊していたころの自分は、まさにマイナスの貧乏ループへ自ら進んで飛び込んでいたからね。
確かに格差も貧困もあるし、景気は悪いままなので行政にはムカつくけど、大真面目に損する道を歩むほうが、もっとバカだよね?とも思う。カモられるほうがバカで、カモる側は賢いんだよ。残念ながら。くやしければ賢くなれ、という話でしかない。

勝新太郎が、自分のプロダクションが倒産しようが借金で豪遊しつづけ、返済しないまま死んだ……というエピソードは、僕を元気づける。
そりゃあ、勝新に金を貸したほうの負け。好きなように遊びまくって踏み倒した勝新の勝ちでしょ? 彼は、自分が何を欲しいのか理解していたんだよ。欲しいものを我慢する必要なんかないと知っていたんだ。他人の目を気にして「真面目に生きなきゃ」と勝手に思っている側が、いつも損をする。欲望のまま楽しく生きようと思うなら、他のすべてを犠牲にしてもいいと思うんだ。たった一回かぎりの人生、遠慮していたら負けたまま終わるよ。

(C)2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS

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2020年11月 5日 (木)

■1105■

とにかく、時間と金はあるうちに、自由自在に使え!と思うので、特急ひたちのチケットを予約して、水戸芸術館・現代美術センターへ行ってきた。
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もちろん格安ビジネスホテルも予約して前泊し、駅近辺の飲み屋を見つくろのうが楽しみだ。
一軒目は魚屋の2階にある飲み屋に入ったが、予想に反して刺身は美味くなかった。二軒目は沖縄料理か、普通に串焼きにするか迷ったが、散歩しているときに見つけたテラス席のあるお洒落系のカフェへ入ってみた。テラス席は寒いので、店員のお姉さんがブランケットを出してくれた。
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このお姉さんは気のつく人で、「少しお腹が空いている」と言ったら、あれこれとオススメの料理を紹介してくれたのだが、それをすべて無視してハムとソーセージだけ頼んで、悪いことをしてしまった。ちょっと謝ればよかった。

このカフェは、夕方のまだ明るい時間に見つけた。昼間はコーヒーなども出しているらしく、地元の女子高生たちが10人ほど集まっていた。
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僕が席に着くと、まだ彼女たちはテーブルを囲んでいて、やがて店内にはバースデーソングが鳴り響いた。友だちの誕生日パーティのようだ。もう2時間以上になるのに、すっかり暗くなった空の下、まだ数人の制服姿の女子たちが元気に談笑していた。その、すさまじい体力に圧倒された。


翌朝、ホテルから数分のところにある水戸芸術館へ向かった。
コロナ対策のためにコインロッカーを閉鎖しているそうで、僕はふたつの巨大なカバンを抱えたまま、汗だくで作品を観て歩くことになってしまった。しかし、やがて荷物の重さなど気にもならなくなっていった。展示のタイトルは、『道草展:未知とともに歩む』。
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天窓のある空間を、たっぷりと、ぜいたくに使っている。この余裕とスケール感だけで、すっかり笑顔になってしまう。
広い空間に、わざと衝立を設けて、足元に北海道の原野や福島原発周辺の土地の名前が記してある。場内を歩いていると、それら因縁のある土地を巡っているような、迷っているような気分になる。頭の中に、想像上の距離が生じるのだ。
また、あるインスタレーションでは、乱開発によって生じた無用な道路、えぐりとられた樹木などが、つぶやくような短い解説とともに、ふたつのスクリーンに映写される(韓国・ミックスライス氏の作品)。
それは問題提起でもあるが、少しずつ情報のずれる2つのスクリーンの演出が、なによりも詩的で美しい。社会問題を的確に伝えるには、伝え方がスマートで洗練されていなければダメなのだと痛感させられる。優れた作品だ。

うまく写真をとることが出来なかったが、完全な暗室にペン型のブラックライトを持って、ひとりずつ入っていく展示があった(日本・上村洋一氏の作品)。
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ブラックライトで真っ暗な壁を照らすと、流氷についての雑学が、書き文字で浮かび上がる。スピーカーから聞こえている不思議な音は、どうやら流氷の割れる音なのだと推測できる。文字と音のみで、流氷の写真など一切見せることなく、暗闇の中で鑑賞者に流氷をイメージさせる。そこにはない風景を、頭の中に結像させるわけだ。
そして、ふと足元の感触に驚いて手を触れると、その暗室の床は砂がぎっしりと敷き詰めてある! 何がどう物語化されたわけではないが、僕は驚きのあまり、声をあげてしまう。物語に感動するわけではない。むしろ、物語性が決壊したとき、感動が生じる。

また、「ペンライトを持つ」、「ペンライトで照らさないと見えない」ことによって、鑑賞者は能動性を喚起される。作品を観ているあいだ、主導権は鑑賞者にあり、鑑賞者は肯定される。上村洋一さんの作品、今後は注視していきたい。


僕がホテルのベッドに寝転がってKindleで漫画を読んだり、Amazonプライムビデオで映画を観ている間、Twitterではタイツのメーカーが、またしても萌え系のイラスト企画によって炎上していた。

タイツの萌えイラスト叩きで、「お前らオタクが調子のってんじゃねーよ。」と憤っている女性がいた。
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その女性が議論する中で「小学校からイラストの仕事してたよ。」「金はもらってないけど、依頼されて描くものは仕事と小学生の時から思っています。」「私小学生で君より絵上手かったからな。」「自分の絵が下手なのを責任転嫁するな。」などと発言しているのを見て、切なくなってしまった。
その女性はジュニアネイリストを名乗っており、ネイルチップアクセサリーを作って売ってもいるのだが、そちらのアカウント数はゼロ、アクセサリーもひとつしか売ってない。ああ、人生が上手く行ってないんだな……と、ピンときてしまう。ひどい言い方をすると、絵で食えるほど上手くもないし賢くもないから、プロのイラストレーターに嫉妬しているに過ぎない。
そうだとしたら、僕も漫画家や映画監督を目指しては数知れず挫折してきた敗残者なので、彼女を嘲笑う気にはなれない。


ほとんどの人は、願ったとおりの人生を歩めずに、妥協線を探る。
その過程で、しっかり自己肯定できれば楽しい人生なる。日雇いのアルバイトでも低収入でも、もっと言うと無職で借金まみれであっても、自己肯定感で満たされているなら人生は楽しいはず。
だけど、「お前だけ満たされるな、俺らと同じように我慢しろ」と、嫉妬心から足を引っ張るのが日本社会だ。能力や適性を生かして楽しく生きていると「ずるい」と言われてしまう。

同い年の子供たちを、よーいドンで一斉に競わせるような教育のなかで、自己肯定感を簒奪されなかった人はいないだろう。
でも、心から楽しいのは何か、自分は何を欲しいのか真剣に考えれば、開けられた穴は塞がっていく。真剣に自分の欲望と向き合わない人が、「社会が悪い」「現政権が悪い」と簡単な答えを求め、「Twitterで騒ぎにしてやれ」とリスクの少ない解決法に頼ろうとする。僕が左翼的な人を嫌うのは、彼らの思考や解決が安易で本質的でなく、結果として低クオリティな人生しか送ってないから。壊れた自転車を修理しないまま乗りつづけて、「どうして真っ直ぐに走れないんだ!」と怒っているようなマヌケさが嫌い。


最近観た映画は、Amazonプライムで『地獄の黙示録・特別完全版』。完全版は二回目だが、なんど観ても打ちのめされるような衝撃を受ける。

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2020年11月 3日 (火)

■1103■

モデルグラフィックス 2020年 12月号 発売中
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今月の「組まず語り症候群」は連載第96回、ボークスさんの塗るプラ「輪入道」と「キジムナー」です。


レンタル配信で、深田晃司監督の『さようなら』。やはりこの監督、ただ者ではないと思う。
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原発事故によって日本全土に人が住めなくなり、少しずつ海外への避難が進んでいる近未来の日本……と聞いていたのだが、『日本沈没』的なパニック色は皆無。映画の舞台は、『ヨコハマ買い出し紀行』のような寂しい田舎町である。ススキが、画面いっぱいに茂った原っぱ。
そして、日本から脱出する設定なのに、主人公はフランス人の女性である。難民である彼女と暮らすのは、車椅子に乗った女性型ロボットだ(このロボットが買い物に出かけるのだから、ますます『ヨコハマ~』っぽい)。

しかし、ちょっと待ってほしい。
車椅子に固定された全身麻痺の女性といえば、『淵に立つ』で重要な役割を果たしたではないか? 多言語を話す主人公もそう、体を動かせない女性もそう。深田監督の、いびつなまでの身体への興味を、僕はそこに感じる。
在日外国人、難民、犯罪者、そして障害者、……物事の中心ではなく、(倫理を踏みこえてでも)辺境から描いていく人なのだと思う。だから、言動が反体制的なのかも知れない。この人は、ただ作品を撮るだけで、勝手に多様性に寄与しているので、言葉にする必要ないんじゃない? 立派な変態監督だよ。


ここのところ配信に頼りっきりだったので、ネットでは見当たらなかった『その男、凶暴につき』のDVDをTSUTAYAで借りてきた。
公開時には、気がつかなかったショットがある。
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初めて観たときは、シャブ中になった妹をビートたけし演じる刑事が、躊躇なく撃ち殺したように見えた。実際には、それまで無表情だったたけしが、やるせないような表情を浮かべる。その表情が、2カットも挟まっている。
そして、妹を射殺するロングショットでは、たけしの姿は柱に隠れて、まったく見えないのである。かろうじて、銃口からの炎を視認できるのみ。妹が倒れると、たけしは柱の影からフラフラと歩き出てくる。後ろ姿ですらない、完全に感情移入を拒否する「身体そのものを隠す」描写。いや、それは描写ですらないのだろう。
この作家は、「映画に何ができるか」より「何ができないか」を知っていて、その不自由さを喜んで武器にしていたのだと分かる。


しかし最近は、何よりも『じゃりン子チエ』に嘘のようにハマってしまった。映画版は、毎晩のように観ている。
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原作マンガと比較すると、シーンの合い間合い間に、高畑勲監督が得意の心理描写を挿入していることが分かる。
二本足で歩く猫・小鉄とチエの出会いのシーンは、漫画にもテレビアニメ版にもない映画だけの創作である。チエが椅子でテツを殴るシーンで、小鉄がチエに椅子を渡すカットが挿入されている。さり気ない演出だが、これもアニメ化のときに付け加えられて、喜劇のようなおかし味を出している。
チエが母のヨシ江と密会するシーン、チエは嬉しさのあまり駆け足となり、スキップして、さらには転びそうになる。心が弾むような情緒的な演出は、漫画にはまったくない。高畑監督の真骨頂だ。歯ブラシの入ったコップに朝日が当たるとか、ちょっとやりすぎなぐらい豊潤な、人間くさい演出の数々……いつか、しっかりとまとめてみたい。

そして、小津安二郎の『晩春』がそうであったように、これは父娘の擬似恋愛なのだと思う。
「ウチがお嫁に行ったら、テツどうして生きていくんやろ」……、まさに原節子の憂鬱だ。だが、映画はチエの設定した課題には答えようとせず、ネコ同士の戦いをクライマックスに据える。テレビアニメ化が決まっていたせいかも知れないが、このはぐらかし方も憎い。


テツには、現役で店を営む両親がいるし、妻子も働いている。どう転んでも、食いっぱぐれない。その安定のうえに、笑いも恋も成立するのだと思う。(『うる星やつら2 ビューテイフル・ドリーマー』は、その構造に分け入ってしまったのが面白くもあり、無粋でもあった。)

自分は、かなり幼い時期から家庭という生活単位に期待しておらず、自分が結婚するときも、漠然と「いずれ破綻するのだろうな」とあきらめに似た気持ちでいた。
あきらめが良いせいか、いまや一人で毎日ぶらぶらするのが楽しく、恋人すら欲しいとは思わない(20代までは異性が自分を救ってくれると思っていたから、依存度が凄まじかったが……実際、恋人ができてセックスすると対人緊張がなくなるという体たらくであった)。
1日の振る舞いを自分だけで決められる、これ以上の贅沢はない。何時に起きようが、朝から酒を飲もうが喫茶店へ行こうが、何なら新幹線でどこかへ泊まりに行っても困らない。仕事のシメキリなど、いつも一週間後ぐらいに設定しているから、追い立てられる要素がない。自由すぎて怖いぐらいだが、これが勝利の味なのだろう。

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