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すっかり観た気でいた『戦場のピアニスト』、恥ずかしながらDVDレンタルで今ごろ観た。
逃亡生活をおくるポーランド人ピアニスト。彼の弾くピアノに感銘をうけたドイツ人将校は、彼の逃亡生活を支援する……これがメインプロットと聞かされていたのに、上のカットが登場するのは、端正な構図で撮られた暴力と惨殺をさんざん見せられたずっと後のことだ。
主人公のピアニストは、廃墟の中で見つけた缶詰を開けようと、あれこれ手を尽くす。火かき棒を使って缶を開けようとするのだが、缶は手からすべって、床を転がる。カメラは、転がった缶を追う。缶が止まった先には、何者かの靴がある。誰かが立っている。
カメラはそのまま、ゆっくりとティルトUPする。靴は長いブーツだと分かる。ということは、主人公ではない。他人だ。そのままカメラがティルトしつづけると、缶の転がった先には既にドイツ兵が立っていた……という冷徹な事実が、ゆっくり時間をかけて認識されていく。ティルトUPする時間の分だけ、観客は混乱して、やがて絶望を感じはじめる。「もう終わりだ、この事実はくつがえせない」と。
映画は、あっさりと殺されるユダヤ人やポーランド人を、丁寧な構図で突き放して(とりたてて感情をこめずに)描いてきたので、ドイツ人将校の初登場を告げる入念なティルトUPは異様に感じる。
さらに言うなら、それ以降のシーンから、主人公にぴったりとくっついていたカメラが、いきなりドイツ人将校を追いはじめる。映画の視点が、突如として客観性を帯びるのだ。こういう転換を、よく記憶せねばならない。感動したか泣けたかは問題じゃない。映画が、事実や現実をどのような角度から見せようとしているか、それが重要だ。それに気がついた者だけが、映画に認識をアップデートしてもらえるのだ。
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さて先日、群馬県立近代美術館へ行こうとして、長身のイケメン君が吸い殻を捨てるのを黙って見ているしかなかった、という話を書いた(■)。
でも、「イケメン」は顔の造形だけが突出して優れているのではなくて、そこそこ運動して身体を美しく保って、さらに小奇麗なファッションを選んで身につけているから「イケメン」と認識されるわけだよね。
まあ、吸い殻を人前で捨てるような傲慢な男は、彼女を殴ったりモラハラ的抑圧を加えているに決まっていると俺は確信しているけど、イケメンであることは「努力の成果」だと認めてもいる。
イケメン君を目撃した翌日、横浜美術館へ行って、みなとみらいの美しい街並みに酔いしれていると、桜木町や関内からホームレスっぽい人たちが流れてくる。(彼らが吸い殻を捨てるのと、イケメン君が捨てるのとでは、話の次元が違うような気がする。)
僕が遊覧船に乗ろうとしたら、用務員みたいな格好のおじさんが歩いてきたので、仕事帰りだろうと思っていた。でも、そうじゃなくて私服だった。高校時代、模型雑誌でモデラーさんが「服装は実用重視」と言っていて、その言葉はオタクファッションから脱け出せない当時の僕には呪いのように響いた。見た目ではなく「実用重視」だと、結局はポケットの多い作業着みたいなダサい服を着て歩くことになるんじゃないか……? 本当に、それでいいのか?
本日、健康診断で病院に行ったんだけど、確かにポケットの多い水色の作業着の高齢男性がいる。作業着でないとしても、靴が小学生が履くような運動靴。青地に白のラインが入ったような、子供っぽい靴を履いている男性は、例外なく服装が「実用重視」、ようするにどうでもいいような安い服を着ている。
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もちろん、それで本人が幸せなら別にどうこう言いたくはない。心の平穏だけは、お金では買えないから。
単に、僕自身がかつて「実用重視」から脱け出そうとして、何がなんだか分からないダサい服装を延々と買いつづける人生だったから、フッと気を緩めて「実用重視」の罠にはまってしまい、そのまま歳をとるのが怖いんだ。
だって、「服なんて実用重視、履くのは安い運動靴でいいや」と妥協することは、「酒なんて酔えればいい」と大五郎のペットボトルを買うようなものじゃないか。あきらめてしまうことが、僕はとても怖い。それは、自分が醜くてひ弱な中年男だという現実から、目をそらすことではないのか? 目をそらす、現実を直視できないのは「勇気がない」からだよな? 本当に怖いのは、勇気がないがために現実から目をそむけることだ。俺が、イケメン君が吸い殻を捨てたのを黙って見ていたのは、勇気がなかったからだよね。もう、こんな惨めな思いはしたくないんだ。ここまで育てた大切な人生を、単に見た目で勝る他人に蹂躙されるなんて。
本当は、顔の美しさや背の高さなんて問題じゃない。「自分の見た目をあきらめたダメ人間」は他人から舐められるってだけの話なんだろう。
あきらめた人間には、それなりの人生しか待っていない。
来週は大金が入るので、新しいシャツを買おうと思う。
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