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2020年10月 2日 (金)

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なぜ今、「モスピーダ」なのか? 監督・メカデザイナーの荒牧伸志氏が、80年代メカのロマンを語る!【アニメ業界ウォッチング第69回】
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こういうインタビューをやれるのは僕の年齢の強みだと思うので、今後もいくつか準備しています。自分からどんどん仕掛けないと、待っていても来てくれませんからね。


いやはや、もうメチャクチャである。本当に、毎日が日曜日状態で、どんどん出かけている。
先月の18日だったか、金沢21世紀美術館へ行ったが、一昨日は高崎からバスで30分のところにある群馬県立近代美術館へ。新幹線+ビジネスホテル+夜は地元居酒屋で楽しく飲んで、本日は横浜美術館へ。
まったく予定になかったが、天気がいいので屋外でホットドッグとコロナビール、行き当たりばったりで遊覧船(みなとみらい~山下公園)にも乗って帰ってきた。毎日ずーっと遊びっぱなし。
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横浜博物館の『ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」』、中には良い作品もあったが、「手を消毒してください」「ちょっと密なので待っててください」など、コロナ対策があちこちでうるさすぎて、落ち着いて真面目に見る気をなくしてしまった。
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上の作品は、例外的に気に入ったものだが、会場全体に学園祭のようなゴチャゴチャ感があって、どうにも落ち着かない。
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上は、群馬県立近代美術館『佐賀町エキジビット・スペース 1983–2000 -現代美術の定点観測-』より、絨毯の上を自由に歩ける展示物。横浜美術館にも同様の展示があったんだが、「靴を脱ぐだけでなく、向こうで手を消毒してください」とか何とか細かく言われて、「じゃあいいや」となってしまう。
あと、人だけではなく作品が他の作品を邪魔しないレイアウトも大事だと思った。横浜美術館は、学芸員がポエムみたいな見どころを小さなパネルに書いているのもいただけない。作者の言葉と学芸員の言葉が、何の注釈もなく混じり合っているのは分かりづらい……美術館って、本当に雑誌の編集とよく似ている。


関連する話だが、高崎駅前に泊まった夜、二軒目に入ったお店は、店員さんがマスクせず。消毒用アルコールが置いてある程度で、何もうるさくない。ストレスのない飲食空間だった。
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しめさばだけど、皿の形と料理のレイアウトが、ちゃんと調和してるでしょ?
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栃尾の油揚げ、ハムチーズはさみ揚げ。四角い料理だけど、六角形の皿を使って動きを出している。
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最後に、河エビの唐揚げ。まあ普通の皿かな?と思うけど、下にしいてある白い紙。デザイン的に折りたたんで、箸を運ぶよう視覚的に促しているように僕には見える。
料理ってのは、やっぱり動態だからさ。喫茶店で軽食を頼むと、四角いパンを何とか美味しそうに見せようと、斜めにカットしてあったり、ズラして配置してあったりする。不味そうなのは、真四角にカットしたサンドウィッチを皿に平行に置いてある場合。
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ほら、こんなシンプルなサンドウィッチでも斜めに切って、互いにもたせかけることで有機的な動きを出しているでしょ? この置き方なら、手を伸ばす気になれる。
「食えば分かる」「見た目なんて気にしない」じゃなくてさ、創意工夫で編集していかないと、面白くならないわけ。料理も美術館も雑誌も、どんな娯楽も一緒と思う。

で、しめさばと油揚げだったら日本酒が合いそうだけど、僕は日本酒は苦手だから和風の緑茶ハイにして、河エビなら酸味のあるレモンサワーを合わせてみようか?と、こちら側も舌や胃袋に合わせて、流れを編集していく。
美術館って、どんな絵も同じ時間だけジックリと観ればいいの? 僕は、小走りに通りすぎるべき作品もあると思う。何時間も一枚の絵の前に座っていたから、すごくその絵を気に入った……というのは、ウソだよ。それは、他人から誉めてほしいからそれっぽい話をしてるだけ。ほんの一瞥だけでも、自分に必要なものは絶対に記憶に残る。残らないものを気にしているから、どんどん時間が無駄になるんだよ。
居酒屋の料理でも美術館のレイアウトでも、送り手のエディットに対して、受け手側もエディットする。そうして、自分だけの快楽を編集して、自分だけの極上の王国をつくる。それが人生の醍醐味だ。「明日でいいや」なんて言ってられない、今すぐやるんだ。

(余談だけど、上に写真をアップした高崎駅の居酒屋。気の強そうなタイプとおっとりしたタイプ、2人の女性店員が可愛かったんだけど、僕がトイレを探していたら、気の強そうな方が電話を受けながら「こっちです」と、目と仕草で教えてくれた。そのジェスチャーと表情がプロだし、働く女性は美しいなあ……と、しみじみ思った。)


最近、レンタルして観た映画は、『パラサイト 半地下の家族』。Twitterに、横長フレームのことを書いた()。
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横に広いフレームサイズに対して、映画前半では横長のスマホ画面、横長の窓などが位置する。半地下の家は、廊下の形などで縦長にデザインしてある。映画中盤、再び縦長デザインの地下室が登場する。かと思うと、洪水のシーンでは構図も被写体の動きも、横長を意識したものに戻る。
以前の僕なら、こうした変化に何か意味を付け足したと思う。だけど、言葉にしないで滞留させたほうがいいような気がしてきた。無意識に訴えかけてくる要素は、こうして書きとめておかないと不安だけど。


さて、群馬県立近代美術館へ行くには、小さなバスに30分も揺られないといけない。
高崎駅前のバス乗り場で待っていると、身長180センチぐらいのイケメンのお兄さんが停まっているバスに乗り込んだ。手にしていたタバコをポイッとその場に投げ捨てて、車内に入ると狭い座席で悠々と足を組んでいた。その人にとっては、いつもの日常なんだろう。誰からも注意されたり怒られたりせず、これまでの人生ずーっとタバコを捨てて、誰かに掃除させてきたんだろう。こういう傲慢な人は、人間関係も似たようなもんなんだろうな……と内心イライラしているくせに、「これ落としましたよ」と吸い殻を持っていく勇気は出なかった。僕の前にいた気弱そうなサラリーマン2人組も同様だ。
これが、僕たちの人生だ。オラオラした態度のイケメン君が目の前でゴミを捨てて、僕たちは見て見ぬフリをしているだけなのだが、実は「こんなヘボい外見の男どもが、イケメンの俺様に文句を言えるはずがない」と無言のうちに蹂躙されているわけだ。

女性が口にする性に対する不愉快さって、ヘナチョコな不細工男が体格のいいイケメンから侮辱的に扱われるのと同質な気がする。
だから、「肉体の優劣が社会的な優劣に直結しないよう、能力主義で平等に扱われるように社会を改革しようぜ」って話なら分かるんだけど……、例えばシュナムルさんって、気持ち悪い童貞オタク男を社会的に侮辱する勝ち組イケメン君の立場に収まりたいわけでしょ? そのためにフェミニズムだとか女性の立場だとか便宜的に口にしているだけで、優越感さえ堪能できれば実は何でもいいってのがバレている。理想的な社会なんて思い描いてないから、そこを不審がられていると思うんだけど……。
でも、「人生が理想どおりに行ってない」悔しさが、彼のぞんざいなツイートからは漏れ出してしまっている。……おっと、何かと話題のつきないシュナムルさんの話にすりかわってしまったが、同性から侮辱されたように感じることは、毎日楽しく過ごしている俺にも実はあるんだよ、という話。平日昼間からブラブラしていると、同じような60~70代の冴えないオジサンたちがいるのに気がつく。服装といい行動パターンといい、独特のだらしなさが感じられるんだよね……。
ああならないためには、借り物ではない“切れ味”のようなものが必要なんだろう。そして、たいていの人は自分の刀を錆びさせてしまっている(だから、社会からの借り物で満たされようとする)。自分だけの孤高の武器を磨き上げるには、さてどうすればいいのか。

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