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1971年放送のギャグアニメ「カバトット」、来年で50周年! 笹川ひろし監督の見たタツノコプロ創成期のあれこれ【アニメ業界ウォッチング第70回】(■)
笹川ひろしさんへ『カバトット』をテーマにインタビューする、という企画自体はタツノコプロさんから僕に提案されたものです。その話を、僕がアキバ総研さんへ持ち込んだ形です。編集者が話を持ってくるのを待つのではなく、ライター個人が版権元(アニメ会社)とやりとりして、記事を実現させていくパターンですね。
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自衛隊の出てくる映画を研究したいので、東映の制作・配給した『宣戦布告』という映画をレンタルしてきた。
低予算だったのだろうが、嬉しくなるぐらい安っぽい映画で苦笑してしまうのだが、低予算だからダメってわけではない。ゴダールのように、街頭で手持ちカメラを回しても、その低予算ぶりが作品の個性になる場合がある。身の丈にあわないことをやるから、意図とズレてしまう。そして、その意図のズレ具合を楽しめるぐらい、観客も鷹揚に構えていなくては。
それでまあ、『宣戦布告』に苦笑した後にTwitterを見ていたら、以下の記事が目に飛び込んできた。
「コロナ禍の前から日本の映画界は危機的状況」 偉才・深田晃司監督が本気で語る映画のこれから(■)
『鬼滅の刃』の大ヒットに触れているせいか、「実写映画の監督はアニメ映画をバカにしている」という文脈で伝わってきたんだけど、バカにしてるかな?
そのような批判をしている人の大半がアニメばかり観て、実写映画はヒット作・話題作しか観てないんじゃないの? アニメしか観ていない人が「アニメのほうが優れている」といくら言っても、説得力はない。
そもそも、深田監督がどういう映画を撮っているのかに触れている人が少なすぎる。ちゃんと観てから批判してる? 僕もこの記事で初めて深田監督の名前を知ったので、『淵に立つ』と『海を駆ける』をネット配信で観てみた。
『淵に立つ』は、すごい映画だった。ストーリーの衝撃度も高いが、容赦ないぐらい人間を鋭く観察している。どの角度から何を撮れば、人間関係の酷薄さを正確に描出できるか、慎重に考えている監督だよ、この人は。
不安を抱えている人物の顔をフレーム外に置いて、見せないようにするとかさ。不安な表情のアップなんかより、見せないことが効果的だと熟知している。
抜本的な状況の変化があったとき、わざとアップばかり重ねて俯瞰的な説明を避けるとかさ。こちらの裏の裏をかいてくる。
是枝裕和監督には、いかにも商業映画的な、女優を可愛く撮ろうという俗な野心が感じられる。しかし深田監督には、必然性のない愛嬌とか愛想はない。『海を駆ける』は美男美女ばかりの青春群像だけど、『淵に立つ』は容赦ない。純粋な表現欲のみで成り立っている。
その分、『鬼滅の刃』のようにも、あるいは『万引き家族』のようにもヒットはしないだろう。映画館やソフト化だけではなく、別の回収方法を考えないと成り立たない。助成金をもらう、というのもひとつの手だろう。
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さて、そこで深田監督が発起人となった「ミニシアター・エイド基金」(■)だ。
僕自身、美術館が大好きになって映画館に微塵も興味がわかなくなったせいもあるけど、「映画文化を守る」という弱者めいた言い方が気に入らない。守られなくても、勝手に生きのびるのが作品というものだ。すべての映画が『鬼滅の刃』のように、製作委員会を束ねて各業界とコラボしまくらなくてもいいわけ。それだけが映画の成功じゃないよ。『淵に立つ』をIMAXや4DXで上映する必要はない、届く人にだけ届けばよくない? 観るべき人は、いつか必ず観ることになるんだよ。僕だって今回、上の記事によって深田晃司という才能を発見できたわけであってさ。今後も、深田作品は観ていくだろう。
だけど、その僕の内面的な喜び・豊かさとミニシアターを救う、映画文化を守るってのは別の話だよ。
10年前、『マイマイ新子と千年の魔法』の上映存続のため、バウスシアターさんに協力したことがあった。そのだいぶ前にミニシアターの本を読んで、座席あたりの週アベレージ(50席の映画館なら、一席で週にいくら稼がねばならないか)などを知ってはいた。そして、松竹からのフィルム・レンタル代金を聞いて、バウスシアターさんの座席数で割ってみると、連日満席でも赤字になる。せめて1日に何度も上映できればいいんだけど、レイトショーだから1日一回のみ。
確か当時、「ぜんぜん儲けが出ないのでは?」と確認したと思う。だけど、足りない分は他の映画やグッズの売り上げで何とか補う、という話だったかな。ともあれ数年後、バウスシアターさんは閉館してしまった。
ハナっから、商売として成り立っていなかったんだろう。そういう仕事の仕方をしている人たちを、鑑賞代金とは別にお金を出して救うという方法は……まあ、純粋だとも思うし、虫がいいとも思う。
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古舘寛治という俳優さん、Twitterでの左翼的な反体制発言にウンザリさせられていたが、『淵に立つ』での存在感は素晴らしかった。主張しすぎず、無力な表情でボソッと呟くだけで、どういう人物なのか表現している。なんだ、いい俳優だったんじゃないか。あまりのド左翼発言で損をしているよ。
深田監督も、反体制的なツイートをしていたそうで、なかなか難しいね。森達也さんほどの優れたドキュメンタリー作家が、よりにもよって望月衣塑子なんていう三流記者に取材したときも、ちょっとガッカリした。それでも、深田監督や森監督の映画は、今後も観ていくだろう。
作品の中だけは治外法権。優れた作品さえ残してくれれば、俺は対価を払うし、その価値を語り継いでもいく(プロなんだから作品の外で甘えるな、という気持ちもある)。
むしろ、「芸術映画は難解で退屈だから儲からなくて当然、大衆向けの娯楽映画なら大歓迎」という幼稚な観客が多すぎる、それが興行界の悲劇じゃない? IMAXや4DXを「凄い! まるで映画の中にいるみたいだ!」と無邪気に喜んでいる人たちね。でも、そういう観客たちに頼らねば、映画興行が成り立たないんだと思う。入場料金も、どんどん高くなっているし。
一方で、かつては団券販売のように、大手配給会社が絶対に損しない前売り券の売り方があった(日大芸術学部の学生だった僕も、大学から買わされたものだ)。あるいは、客がひとりも入っていない映画をえんえんと無人の映画館で上映しなければならないブロック・ブッキング。そういう既得権益にすがらないと映画興行を維持できない時代が、ずっと続いていたじゃないか。なぜ今さら、観客のふところに頼るんだよ。ちゃんと自分たちの儲かる体制をつくれよ、と思う。