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2020年10月25日 (日)

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1971年放送のギャグアニメ「カバトット」、来年で50周年! 笹川ひろし監督の見たタツノコプロ創成期のあれこれ【アニメ業界ウォッチング第70回】
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笹川ひろしさんへ『カバトット』をテーマにインタビューする、という企画自体はタツノコプロさんから僕に提案されたものです。その話を、僕がアキバ総研さんへ持ち込んだ形です。編集者が話を持ってくるのを待つのではなく、ライター個人が版権元(アニメ会社)とやりとりして、記事を実現させていくパターンですね。


自衛隊の出てくる映画を研究したいので、東映の制作・配給した『宣戦布告』という映画をレンタルしてきた。
低予算だったのだろうが、嬉しくなるぐらい安っぽい映画で苦笑してしまうのだが、低予算だからダメってわけではない。ゴダールのように、街頭で手持ちカメラを回しても、その低予算ぶりが作品の個性になる場合がある。身の丈にあわないことをやるから、意図とズレてしまう。そして、その意図のズレ具合を楽しめるぐらい、観客も鷹揚に構えていなくては。

それでまあ、『宣戦布告』に苦笑した後にTwitterを見ていたら、以下の記事が目に飛び込んできた。

「コロナ禍の前から日本の映画界は危機的状況」 偉才・深田晃司監督が本気で語る映画のこれから

『鬼滅の刃』の大ヒットに触れているせいか、「実写映画の監督はアニメ映画をバカにしている」という文脈で伝わってきたんだけど、バカにしてるかな?
そのような批判をしている人の大半がアニメばかり観て、実写映画はヒット作・話題作しか観てないんじゃないの? アニメしか観ていない人が「アニメのほうが優れている」といくら言っても、説得力はない。
そもそも、深田監督がどういう映画を撮っているのかに触れている人が少なすぎる。ちゃんと観てから批判してる? 僕もこの記事で初めて深田監督の名前を知ったので、『淵に立つ』と『海を駆ける』をネット配信で観てみた。

『淵に立つ』は、すごい映画だった。ストーリーの衝撃度も高いが、容赦ないぐらい人間を鋭く観察している。どの角度から何を撮れば、人間関係の酷薄さを正確に描出できるか、慎重に考えている監督だよ、この人は。
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不安を抱えている人物の顔をフレーム外に置いて、見せないようにするとかさ。不安な表情のアップなんかより、見せないことが効果的だと熟知している。
抜本的な状況の変化があったとき、わざとアップばかり重ねて俯瞰的な説明を避けるとかさ。こちらの裏の裏をかいてくる。
是枝裕和監督には、いかにも商業映画的な、女優を可愛く撮ろうという俗な野心が感じられる。しかし深田監督には、必然性のない愛嬌とか愛想はない。『海を駆ける』は美男美女ばかりの青春群像だけど、『淵に立つ』は容赦ない。純粋な表現欲のみで成り立っている。

その分、『鬼滅の刃』のようにも、あるいは『万引き家族』のようにもヒットはしないだろう。映画館やソフト化だけではなく、別の回収方法を考えないと成り立たない。助成金をもらう、というのもひとつの手だろう。


さて、そこで深田監督が発起人となった「ミニシアター・エイド基金」()だ。
僕自身、美術館が大好きになって映画館に微塵も興味がわかなくなったせいもあるけど、「映画文化を守る」という弱者めいた言い方が気に入らない。守られなくても、勝手に生きのびるのが作品というものだ。すべての映画が『鬼滅の刃』のように、製作委員会を束ねて各業界とコラボしまくらなくてもいいわけ。それだけが映画の成功じゃないよ。『淵に立つ』をIMAXや4DXで上映する必要はない、届く人にだけ届けばよくない? 観るべき人は、いつか必ず観ることになるんだよ。僕だって今回、上の記事によって深田晃司という才能を発見できたわけであってさ。今後も、深田作品は観ていくだろう。

だけど、その僕の内面的な喜び・豊かさとミニシアターを救う、映画文化を守るってのは別の話だよ。
10年前、『マイマイ新子と千年の魔法』の上映存続のため、バウスシアターさんに協力したことがあった。そのだいぶ前にミニシアターの本を読んで、座席あたりの週アベレージ(50席の映画館なら、一席で週にいくら稼がねばならないか)などを知ってはいた。そして、松竹からのフィルム・レンタル代金を聞いて、バウスシアターさんの座席数で割ってみると、連日満席でも赤字になる。せめて1日に何度も上映できればいいんだけど、レイトショーだから1日一回のみ。
確か当時、「ぜんぜん儲けが出ないのでは?」と確認したと思う。だけど、足りない分は他の映画やグッズの売り上げで何とか補う、という話だったかな。ともあれ数年後、バウスシアターさんは閉館してしまった。
ハナっから、商売として成り立っていなかったんだろう。そういう仕事の仕方をしている人たちを、鑑賞代金とは別にお金を出して救うという方法は……まあ、純粋だとも思うし、虫がいいとも思う。


古舘寛治という俳優さん、Twitterでの左翼的な反体制発言にウンザリさせられていたが、『淵に立つ』での存在感は素晴らしかった。主張しすぎず、無力な表情でボソッと呟くだけで、どういう人物なのか表現している。なんだ、いい俳優だったんじゃないか。あまりのド左翼発言で損をしているよ。
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深田監督も、反体制的なツイートをしていたそうで、なかなか難しいね。森達也さんほどの優れたドキュメンタリー作家が、よりにもよって望月衣塑子なんていう三流記者に取材したときも、ちょっとガッカリした。それでも、深田監督や森監督の映画は、今後も観ていくだろう。
作品の中だけは治外法権。優れた作品さえ残してくれれば、俺は対価を払うし、その価値を語り継いでもいく(プロなんだから作品の外で甘えるな、という気持ちもある)。

むしろ、「芸術映画は難解で退屈だから儲からなくて当然、大衆向けの娯楽映画なら大歓迎」という幼稚な観客が多すぎる、それが興行界の悲劇じゃない? IMAXや4DXを「凄い! まるで映画の中にいるみたいだ!」と無邪気に喜んでいる人たちね。でも、そういう観客たちに頼らねば、映画興行が成り立たないんだと思う。入場料金も、どんどん高くなっているし。
一方で、かつては団券販売のように、大手配給会社が絶対に損しない前売り券の売り方があった(日大芸術学部の学生だった僕も、大学から買わされたものだ)。あるいは、客がひとりも入っていない映画をえんえんと無人の映画館で上映しなければならないブロック・ブッキング。そういう既得権益にすがらないと映画興行を維持できない時代が、ずっと続いていたじゃないか。なぜ今さら、観客のふところに頼るんだよ。ちゃんと自分たちの儲かる体制をつくれよ、と思う。

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2020年10月18日 (日)

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“駅ナカ”でソフビフィギュアやカプセルトイを販売するケンエレファントが、世の中を面白くする!【ホビー業界インサイド第64回】
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「太陽の牙ダグラム」のコンバットアーマー、その“ジミ渋い魅力”を、童友社の「ブッシュマン」を組み立てて満喫しちゃおう!【80年代B級アニメプラモ博物誌】第4回

「このダグラムは……僕のぜんぶだ!」 主人公とロボットの深すぎる信頼関係を「太陽の牙ダグラム」から読みとる【懐かしアニメ回顧録第71回】

上記、最近アップされた記事3本です。
最後の『ダグラム』のコラムは、たいへん評価が高かったです。だけど、このコラムは台詞の良さや脚本の構成、ようするに「ストーリー」の良さを素直に誉めただけであって、そういう簡単に読解できる記事の評判がいいのは良い傾向ではないと思います。ストーリーの評価ではなく、映像演出を評価したいからです。


金沢21世紀美術館、群馬県立近代美術館、横浜美術館へ出かけたのは、もう先月のことだ。
一昨日は、やはり泊りがけで千葉市美術館へ。「宮島達男 クロニクル 1995-2020」は、期待以上に感動的な展示だった。いま、一番好きな作家だ。
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うっかり見落とすところだったが、一階には無料で見られる作品もあった。床面にデジタルの数字が漂う動画が映写してあり、その上を靴のまま歩ける。作品の規模は、いずれも大きい。八階の展示室に入ると、壁いっぱいに女性の顔が映写されているなど、驚かせて興味を誘う演出が上手い。休憩ゾーンの窓に数字が映っているなど、ふっと息をつかせる小さな展示もある。
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撮影可能エリアにある作品。一部が鏡になっていて、鑑賞者自身が作品と関係を持たざるを得ない。だが、そこで完結せずに数字の配置を工夫したり、色を工夫したり、客観性とエンタメ性を意識しているところが気持ちいい。いつも他者を念頭に置いていて、自閉しない作家だと思う。
展示の最後は、円形の池のあちこちに数字カウンターがホタルのように明滅する巨大な暗室だった。大きな余韻を残して、展示室から出る。本当に、演出が冴えていた。もう一度最初から観ようかな、と思ったが、作品は触れた瞬間にすべてがあるので、再体験はできないような気がして、常設展示へ向かった。

どの美術館も常設展示は保守的で退屈なものだが、宮島達男の師匠である榎倉康二の写真がたくさん展示してあった。70年代に、演出や技巧を凝らして撮られた実験的な写真、解説文とともにじっくりと観てきた。


このような高尚な体験がある一方で、近郊への小旅行は「格安ビジネスホテルに投宿」、「地元居酒屋で一人飲み」、これが最大の娯楽である。
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今回入ったのはチェーン系の居酒屋だったのかも知れないが、何を注文して、どういう流れをつくるのか考えるのが面白い。「枝豆」「ポテトフライ」なんていう安易な流れは禁止する。

一人飲みは高くつく(3千円~5千円ぐらい)が、3杯ぐらいで「もう十分」というぐらい酔える。それでも、夜中に酒が欲しくなったら切ないので、コンビニで缶ビールを買ってホテルに帰る。帰ってからは、延長コードで充電しながらベッドに寝転がり、スマホで音楽でも映画でも何でも楽しめる。すごい自由と開放感だ。
スマホとWi-Fiによって手のひらで映画が楽しめるようになって、僕にとっては映画館の存在理由がほとんどなくなった。映画は「四角いフレームの中で時間によって情報が変化する」以上のものではないからだ。


映画といえば、DVDレンタルよりも配信レンタルで観ることが多くなった。
昨夜は『トレマーズ』、『フォードvsフェラーリ』、『1917』。いずれも百円~四百円ぐらいで、帰しにいく期限を気にする必要がない。


吉祥寺で、新しいジャケットを買った。男性店員は「これが定番です」「これが流行っているんです」しか言わないが、女性店員は柔軟性があり、「デザインや色が可愛いかどうか」を切り口に話題を展開してくれる。なので、服を買うのも楽しみになった。
(オタクの人は「服なんて寒さをしのければ安くて十分」と実用重視に陥りがち、努力を放棄しがちなので、それだけは気をつけている。努力を放棄したら、先ほど書いたように「酒のつまみなど、枝豆とポテトフライを頼めば間違いない」と思考停止し、堕落するだけだと思う。)
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服を買った帰り、井の頭公園・松月の窓際の席でビールを飲んだ。
酒ばかり飲んでいるが、健康診断でのγ-GDPは非常に低く、医者に「お酒はまったく飲まないんですね」と言われるほどであった。

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2020年10月10日 (土)

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最近レンタルして見た映画は、『復讐するは我にあり』、『善き人のためのソナタ』。意外にも面白かったのが、ほぼ40年ぶりに見た 『スキャナーズ』である。
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スキャナーと呼ばれる、手でふれずに他人をコントロールできる超能力者たちの戦いを描いている。スキャナーたちは最初から最後まで、ずーっと座っている。主人公のスキャナーがベッドに拘束される冒頭近くのシーン、敵のスキャナーが実験で他人の頭を破裂させるショッキングなシーン、いずれも椅子に座った観客たちが演劇でも見るように「黙視している」。この奇妙な2つのシーンで、主要人物が「身動きがとれずとも万能」であることに気づかされるのである。
スキャナーたちが銃をもって戦うシーンは皆無で、彼らは座ったまま念じるだけで相手の持っている銃の引き金をひかせることが出来る。銃を持って動き回っている人間より、座って黙視している人間のほうが強い……そこに、この映画の構造的な、深層心理的な面白さがある。

映画は、座ったまま黙って凝視することで成立する表現だ。われわれ観客は、映画の中でわれわれと同じように身動きがとれずに事態を黙視している人間に親近感をおぼえる。自由自在に動き回っている人物よりも、ただ座っている人物に感心が向かう。その心理構造を応用した、(悪趣味でくだらないけど)実は知的な映画である。


LGBT巡り“足立区が滅ぶ”発言 炎上の自民長老議員の主張と事実誤認


毎日新聞はLGBTを軽視する発言をした議員を晒し上げたつもりかも知れないけど、俺は議員の圧勝だと思う。

「私は、LGBTに反対してないと言ってるんだけど。人の生き方ですから、私自身は、どういう生き方だろうと干渉も反対もしません。」
「(ひ孫が当事者だとしても)それは生き方だから。自分が選んだ道だから、悲しいと思うような人生を選んだんだからしょうがない。」
「当事者と思われる人から連絡もありました。真面目に話をするということなら、聞く気はあります。」
「出会う機会があって真面目に話す気があれば、十分に話は聞きますよ。」

この議員は具体的にLGBTを迫害するような条例をつくろうとしたり、LGBTに有利な制度を撤廃させようとしているの? だとしたら、制度に反対している議員にコンタクトするとか、LGBTに興味のない議員にロビイングすればいいでしょ? それが議会制民主主義じゃないの?
そうではなくて、この議員はLGBTについて主観を、感想を述べたにすぎないよね、区政と直接関係ないよね? 「仮に同性愛者ばかりになったら子供が生まれず人口が減って、足立区が滅びる」と、漫画みたいな例え話を出したにすぎない。何か数字があるわけでもなければ、実際に足立区が滅びつつある証拠もない。心証にすぎないじゃん。なぜ、そこに咬みつくの?

本気で分からないんだけど、性的マイノリティが暮らしやすい制度や法律をつくるしか、自分たちの権利を獲得する方法なんてないと思うんけど、どうして個人が「私はこう感じている」レベルの発言に咬みつくの? この議員を署名活動とかハッシュタグで辞任させると、性的マイノリティの社会生活がどう改善するの? 辞任させられたらスカッとする、溜飲が下がる、気分がよくなる……他に、何かあるかな?
もう一度聞くけど、区政が関係しているの? この議員が法的手続きによって性的マイノリティが生きづらい制度をつくっているのかな、だったら議会で戦えばよくない? そのための選挙でしょ、そのために性的マイノリティにも選挙権があるんじゃないの?


特別定額給付金の交付が決まったとき、「日本人だけでなく、日本国内の外国人にも給付を!」「不法滞在している外国人にも!」と、確実に10万円もらえる人たちが叫んでいたけど、あれで弱者の味方に立ったつもりなんだろうな。
本当は外国人の暮らしなんて心配してないのに、自分がいかに弱者に目を配っているかアピールしたいんだよね。LGBTも、自己アピールしたい人たちの格好のダシになっていないか、そこをチェックしたほうがいいと思う。

東京新聞の望月衣塑子記者が、「菅総理の天敵」と書かれていて苦笑してしまったけど、彼女はそういうもっともらしい言葉で他人から評価されることを目的にしているんだよ。「菅総理の政策」ではなくて、「菅総理の政策に反対している私」が大事なわけ。「巨悪と戦う新聞記者」というルックスを維持するのが目的だから、相手には巨悪っぽいイメージを保っていてもらわないと、望月記者の立つ瀬がないわけ。
私やみんなが生きやすい社会を具体的に構築するために権力者を追及しているのではなくて、自分の暮らしは会社員としてすでに安定しているから、「権力者を追及している」という生きがい、見てくれのいいオプションをつけたいだけなんだよ。箔をつけたいだけ。菅総理の天敵って、たとえば自民党内や内閣にいるのかも知れない。本質的なことって、見えづらいんだよ。
足立区議の発言にクレームをつけてる人って、具体的に何が困っている? 「なんか気に食わないな」って印象を持ったに過ぎないでしょ? そんな分かりやすい表面的な悪役をやっつけても、何も変わりはしないよ。茶番のような人生を見直して、本質的な敵と対峙しようよ。

(C)1980 AVCO EMBASSY PICTURES CORP

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2020年10月 6日 (火)

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すっかり観た気でいた『戦場のピアニスト』、恥ずかしながらDVDレンタルで今ごろ観た。
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逃亡生活をおくるポーランド人ピアニスト。彼の弾くピアノに感銘をうけたドイツ人将校は、彼の逃亡生活を支援する……これがメインプロットと聞かされていたのに、上のカットが登場するのは、端正な構図で撮られた暴力と惨殺をさんざん見せられたずっと後のことだ。
主人公のピアニストは、廃墟の中で見つけた缶詰を開けようと、あれこれ手を尽くす。火かき棒を使って缶を開けようとするのだが、缶は手からすべって、床を転がる。カメラは、転がった缶を追う。缶が止まった先には、何者かの靴がある。誰かが立っている。
カメラはそのまま、ゆっくりとティルトUPする。靴は長いブーツだと分かる。ということは、主人公ではない。他人だ。そのままカメラがティルトしつづけると、缶の転がった先には既にドイツ兵が立っていた……という冷徹な事実が、ゆっくり時間をかけて認識されていく。ティルトUPする時間の分だけ、観客は混乱して、やがて絶望を感じはじめる。「もう終わりだ、この事実はくつがえせない」と。

映画は、あっさりと殺されるユダヤ人やポーランド人を、丁寧な構図で突き放して(とりたてて感情をこめずに)描いてきたので、ドイツ人将校の初登場を告げる入念なティルトUPは異様に感じる。
さらに言うなら、それ以降のシーンから、主人公にぴったりとくっついていたカメラが、いきなりドイツ人将校を追いはじめる。映画の視点が、突如として客観性を帯びるのだ。こういう転換を、よく記憶せねばならない。感動したか泣けたかは問題じゃない。映画が、事実や現実をどのような角度から見せようとしているか、それが重要だ。それに気がついた者だけが、映画に認識をアップデートしてもらえるのだ。


さて先日、群馬県立近代美術館へ行こうとして、長身のイケメン君が吸い殻を捨てるのを黙って見ているしかなかった、という話を書いた()。
でも、「イケメン」は顔の造形だけが突出して優れているのではなくて、そこそこ運動して身体を美しく保って、さらに小奇麗なファッションを選んで身につけているから「イケメン」と認識されるわけだよね。
まあ、吸い殻を人前で捨てるような傲慢な男は、彼女を殴ったりモラハラ的抑圧を加えているに決まっていると俺は確信しているけど、イケメンであることは「努力の成果」だと認めてもいる。

イケメン君を目撃した翌日、横浜美術館へ行って、みなとみらいの美しい街並みに酔いしれていると、桜木町や関内からホームレスっぽい人たちが流れてくる。(彼らが吸い殻を捨てるのと、イケメン君が捨てるのとでは、話の次元が違うような気がする。)
僕が遊覧船に乗ろうとしたら、用務員みたいな格好のおじさんが歩いてきたので、仕事帰りだろうと思っていた。でも、そうじゃなくて私服だった。高校時代、模型雑誌でモデラーさんが「服装は実用重視」と言っていて、その言葉はオタクファッションから脱け出せない当時の僕には呪いのように響いた。見た目ではなく「実用重視」だと、結局はポケットの多い作業着みたいなダサい服を着て歩くことになるんじゃないか……? 本当に、それでいいのか?
本日、健康診断で病院に行ったんだけど、確かにポケットの多い水色の作業着の高齢男性がいる。作業着でないとしても、靴が小学生が履くような運動靴。青地に白のラインが入ったような、子供っぽい靴を履いている男性は、例外なく服装が「実用重視」、ようするにどうでもいいような安い服を着ている。


もちろん、それで本人が幸せなら別にどうこう言いたくはない。心の平穏だけは、お金では買えないから。
単に、僕自身がかつて「実用重視」から脱け出そうとして、何がなんだか分からないダサい服装を延々と買いつづける人生だったから、フッと気を緩めて「実用重視」の罠にはまってしまい、そのまま歳をとるのが怖いんだ。
だって、「服なんて実用重視、履くのは安い運動靴でいいや」と妥協することは、「酒なんて酔えればいい」と大五郎のペットボトルを買うようなものじゃないか。あきらめてしまうことが、僕はとても怖い。それは、自分が醜くてひ弱な中年男だという現実から、目をそらすことではないのか? 目をそらす、現実を直視できないのは「勇気がない」からだよな? 本当に怖いのは、勇気がないがために現実から目をそむけることだ。俺が、イケメン君が吸い殻を捨てたのを黙って見ていたのは、勇気がなかったからだよね。もう、こんな惨めな思いはしたくないんだ。ここまで育てた大切な人生を、単に見た目で勝る他人に蹂躙されるなんて。
本当は、顔の美しさや背の高さなんて問題じゃない。「自分の見た目をあきらめたダメ人間」は他人から舐められるってだけの話なんだろう。

あきらめた人間には、それなりの人生しか待っていない。
来週は大金が入るので、新しいシャツを買おうと思う。

(C)2002 STUDIOCANAL - HERITAGE FILMS - STUDIO BABELSBERG - RUN TEAM Ltd

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2020年10月 2日 (金)

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なぜ今、「モスピーダ」なのか? 監督・メカデザイナーの荒牧伸志氏が、80年代メカのロマンを語る!【アニメ業界ウォッチング第69回】
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こういうインタビューをやれるのは僕の年齢の強みだと思うので、今後もいくつか準備しています。自分からどんどん仕掛けないと、待っていても来てくれませんからね。


いやはや、もうメチャクチャである。本当に、毎日が日曜日状態で、どんどん出かけている。
先月の18日だったか、金沢21世紀美術館へ行ったが、一昨日は高崎からバスで30分のところにある群馬県立近代美術館へ。新幹線+ビジネスホテル+夜は地元居酒屋で楽しく飲んで、本日は横浜美術館へ。
まったく予定になかったが、天気がいいので屋外でホットドッグとコロナビール、行き当たりばったりで遊覧船(みなとみらい~山下公園)にも乗って帰ってきた。毎日ずーっと遊びっぱなし。
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横浜博物館の『ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」』、中には良い作品もあったが、「手を消毒してください」「ちょっと密なので待っててください」など、コロナ対策があちこちでうるさすぎて、落ち着いて真面目に見る気をなくしてしまった。
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上の作品は、例外的に気に入ったものだが、会場全体に学園祭のようなゴチャゴチャ感があって、どうにも落ち着かない。
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上は、群馬県立近代美術館『佐賀町エキジビット・スペース 1983–2000 -現代美術の定点観測-』より、絨毯の上を自由に歩ける展示物。横浜美術館にも同様の展示があったんだが、「靴を脱ぐだけでなく、向こうで手を消毒してください」とか何とか細かく言われて、「じゃあいいや」となってしまう。
あと、人だけではなく作品が他の作品を邪魔しないレイアウトも大事だと思った。横浜美術館は、学芸員がポエムみたいな見どころを小さなパネルに書いているのもいただけない。作者の言葉と学芸員の言葉が、何の注釈もなく混じり合っているのは分かりづらい……美術館って、本当に雑誌の編集とよく似ている。


関連する話だが、高崎駅前に泊まった夜、二軒目に入ったお店は、店員さんがマスクせず。消毒用アルコールが置いてある程度で、何もうるさくない。ストレスのない飲食空間だった。
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しめさばだけど、皿の形と料理のレイアウトが、ちゃんと調和してるでしょ?
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栃尾の油揚げ、ハムチーズはさみ揚げ。四角い料理だけど、六角形の皿を使って動きを出している。
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最後に、河エビの唐揚げ。まあ普通の皿かな?と思うけど、下にしいてある白い紙。デザイン的に折りたたんで、箸を運ぶよう視覚的に促しているように僕には見える。
料理ってのは、やっぱり動態だからさ。喫茶店で軽食を頼むと、四角いパンを何とか美味しそうに見せようと、斜めにカットしてあったり、ズラして配置してあったりする。不味そうなのは、真四角にカットしたサンドウィッチを皿に平行に置いてある場合。
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ほら、こんなシンプルなサンドウィッチでも斜めに切って、互いにもたせかけることで有機的な動きを出しているでしょ? この置き方なら、手を伸ばす気になれる。
「食えば分かる」「見た目なんて気にしない」じゃなくてさ、創意工夫で編集していかないと、面白くならないわけ。料理も美術館も雑誌も、どんな娯楽も一緒と思う。

で、しめさばと油揚げだったら日本酒が合いそうだけど、僕は日本酒は苦手だから和風の緑茶ハイにして、河エビなら酸味のあるレモンサワーを合わせてみようか?と、こちら側も舌や胃袋に合わせて、流れを編集していく。
美術館って、どんな絵も同じ時間だけジックリと観ればいいの? 僕は、小走りに通りすぎるべき作品もあると思う。何時間も一枚の絵の前に座っていたから、すごくその絵を気に入った……というのは、ウソだよ。それは、他人から誉めてほしいからそれっぽい話をしてるだけ。ほんの一瞥だけでも、自分に必要なものは絶対に記憶に残る。残らないものを気にしているから、どんどん時間が無駄になるんだよ。
居酒屋の料理でも美術館のレイアウトでも、送り手のエディットに対して、受け手側もエディットする。そうして、自分だけの快楽を編集して、自分だけの極上の王国をつくる。それが人生の醍醐味だ。「明日でいいや」なんて言ってられない、今すぐやるんだ。

(余談だけど、上に写真をアップした高崎駅の居酒屋。気の強そうなタイプとおっとりしたタイプ、2人の女性店員が可愛かったんだけど、僕がトイレを探していたら、気の強そうな方が電話を受けながら「こっちです」と、目と仕草で教えてくれた。そのジェスチャーと表情がプロだし、働く女性は美しいなあ……と、しみじみ思った。)


最近、レンタルして観た映画は、『パラサイト 半地下の家族』。Twitterに、横長フレームのことを書いた()。
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横に広いフレームサイズに対して、映画前半では横長のスマホ画面、横長の窓などが位置する。半地下の家は、廊下の形などで縦長にデザインしてある。映画中盤、再び縦長デザインの地下室が登場する。かと思うと、洪水のシーンでは構図も被写体の動きも、横長を意識したものに戻る。
以前の僕なら、こうした変化に何か意味を付け足したと思う。だけど、言葉にしないで滞留させたほうがいいような気がしてきた。無意識に訴えかけてくる要素は、こうして書きとめておかないと不安だけど。


さて、群馬県立近代美術館へ行くには、小さなバスに30分も揺られないといけない。
高崎駅前のバス乗り場で待っていると、身長180センチぐらいのイケメンのお兄さんが停まっているバスに乗り込んだ。手にしていたタバコをポイッとその場に投げ捨てて、車内に入ると狭い座席で悠々と足を組んでいた。その人にとっては、いつもの日常なんだろう。誰からも注意されたり怒られたりせず、これまでの人生ずーっとタバコを捨てて、誰かに掃除させてきたんだろう。こういう傲慢な人は、人間関係も似たようなもんなんだろうな……と内心イライラしているくせに、「これ落としましたよ」と吸い殻を持っていく勇気は出なかった。僕の前にいた気弱そうなサラリーマン2人組も同様だ。
これが、僕たちの人生だ。オラオラした態度のイケメン君が目の前でゴミを捨てて、僕たちは見て見ぬフリをしているだけなのだが、実は「こんなヘボい外見の男どもが、イケメンの俺様に文句を言えるはずがない」と無言のうちに蹂躙されているわけだ。

女性が口にする性に対する不愉快さって、ヘナチョコな不細工男が体格のいいイケメンから侮辱的に扱われるのと同質な気がする。
だから、「肉体の優劣が社会的な優劣に直結しないよう、能力主義で平等に扱われるように社会を改革しようぜ」って話なら分かるんだけど……、例えばシュナムルさんって、気持ち悪い童貞オタク男を社会的に侮辱する勝ち組イケメン君の立場に収まりたいわけでしょ? そのためにフェミニズムだとか女性の立場だとか便宜的に口にしているだけで、優越感さえ堪能できれば実は何でもいいってのがバレている。理想的な社会なんて思い描いてないから、そこを不審がられていると思うんだけど……。
でも、「人生が理想どおりに行ってない」悔しさが、彼のぞんざいなツイートからは漏れ出してしまっている。……おっと、何かと話題のつきないシュナムルさんの話にすりかわってしまったが、同性から侮辱されたように感じることは、毎日楽しく過ごしている俺にも実はあるんだよ、という話。平日昼間からブラブラしていると、同じような60~70代の冴えないオジサンたちがいるのに気がつく。服装といい行動パターンといい、独特のだらしなさが感じられるんだよね……。
ああならないためには、借り物ではない“切れ味”のようなものが必要なんだろう。そして、たいていの人は自分の刀を錆びさせてしまっている(だから、社会からの借り物で満たされようとする)。自分だけの孤高の武器を磨き上げるには、さてどうすればいいのか。

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