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DIME(ダイム) 2020年 11 月号 発売中
●森口博子 ガンダムとの運命の絆
歌手の森口博子さんに、単独インタビューいたしました。以前(2016年、『THE ORIGIN IV』上映時)は、ぶら下がり取材のみだったんです。今回は、せっかく単独取材なので、富野由悠季監督へのインタビュー経験の豊富さも生かせたと思います。
そして、この上なく丁寧に原稿を構成したつもりです。
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今週は取材も原稿もないので、フラリと金沢へ泊りがけで行ってきた。
金沢21世紀美術館が、主な目的。レアンドロ・エルリッヒの作品『スイミング・プール』は観光客に大人気のようで、10時すぎに入館したのに、プール内に入れたのは11時20分! 途中で帰ってしまう人もいたので、この待ち時間は事前にアナウンスするか、整理券を発行する必要があっただろう。
しかし、地下道を歩いて抜けた先に、いきなり水中のような空間の広がっている驚きと幻想味は、自分で体験しないと分からない。十分に並ぶ甲斐はあるし、企画展の入場券を買ったのに、プールだけ見て帰ってしまう人さえいた。
企画展は『de-sport : 芸術によるスポーツの解体と再構築』。独特の円形の建物のせいか、ボリュームは足りない。
ザ・ユージーン・スタジオの《Mr.Tagi’s room and dream》。架空の楽器を2人の男が叩いている様子を、ナレーションも何もなくただ撮った映像を、複数のスクリーンに映写している。部屋に入ってきた観客は、どれかひとつのスクリーンを見て意味を読みとろうとするが、どうしても視界に他のスクリーンが入ってしまう。
室内を歩き回っているうち、部屋の中央に斜めに吊り下げられたスクリーンが、刻々と部屋のイメージを変えていく。
映画館では、ただひとつのスクリーンから意味を読みとるよう、僕たちの脳は集中する。夾雑物を排除して、純粋にひとつの意味を心の中で結像しようと試みる。しかし、このインスタレーションは、その試みを放棄させる力を持っている。視点は分散せざるを得ない。スクリーン内の情報は部屋の中を縦横に飛び交い、それは僕たちの歩く速度、どこにいつ視点を向けたかによって、秒速で変化する。
映画館の中で、僕たちは限りなく静止しようとする。ゼロになろうとする。この作品の前では、まったく逆だ。「歩く」という主体性が、作品の構成要素になる。ちょっと部屋をのぞいて立ち去ったとしたら、作品の価値はグッと低くなってしまう。自ら歩いて、どこにも視点を傾けない散歩しているような状態になったとき、初めてこの作品のラフさ、美術館という空間の自由さを感じられる。
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柳井信乃の作品《Blue Passages》も、同じような構造を持っている。
聖火をくべるたいまつが部屋の中央にあり、左右の壁にモノクロとカラーでたいまつを手にして歩く女性の姿が映し出されている。
中央のオブジェを見ようとすると、どうしてもスクリーンが視界に入ってしまう。スクリーンは、オブジェの背景だ。背景だけを見るには、自分で最適な位置を見つけないといけない。「どこから見るの?」と考えている暇があったら、自分からどう見るか考えないといけない。
そうやって、空間と時間を自分で調整していくのが、美術館の面白さだ。
企画展とは関係ないが、すべての壁が台形になり、真上の空に向けて窓のひらかれた部屋。この部屋それ自体が、ジェームズ・タレルの作品だ。時刻や天気によって、刻々と表情を変える。日光までもが、作品の一部だ。
この緑壁は、パトリック・ブランの作品。あちこち通り抜け禁止になっているが、ガラス張りなので恒久展示はどこからでも見られる。どこか、遠い未来に残された廃墟のような寂しさが漂う。東京の美術館には、こういう侘びはなかなか感じられないかも知れない。
館内で働く女性たちのユニフォームは、ミナ・ペルホネンの皆川明さんデザイン。独特の柔らかさ、穏やかさも感じられる美術館だ。
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喫茶店で休んでから、近くにあった石川県立美術館へ。
こちらはまあ、江戸時代の刀とか屏風とか。蒔絵はデザイン性があって、なかなか面白かった。全体に堅苦しい美術館だったが、国宝と呼ばれるものは見ておいたほうがいい。
前の夜、ホテル近辺の居酒屋があまりに高くて、しかも料理がチャチだったので、東京へ帰る前に何とかして美味いものを食べたくなった。
美術館からはちょっと距離があるのだが、近江町市場というところまで歩いてみた。右も左も、海鮮丼の店が櫛比している。こういう競争率の高いエリアなら、ハズレはなさそう。「席、ありますよ」と声をかけられ、ふらふら入店。
まだ14時台だが、かまわずビール。明日なんて言っていられない、欲しいときに飲めるように日々を設計していく。
さざえのつぼ焼きが品切れだと店のお姉さんは言うが、おすすめのホワイトボードには、「石川県産さざえ」の握りがあると書いてある。出来るかどうか聞いてみると、水槽の中から板前さんがさざえを取り出し、そのまま調理してくれた。
こうやって、「確実にある」と分かっているものより「あるかどうか分からない」ものを頼んでみる。「ありますよ」と言われたときの喜びが大きい。ちょっとしたリスクが、人生のスパイスになるわけだ。「どうせ無いんだろう」「どうせ駄目なんだろう」などと言っていては、こうやって泊りがけで美術館へ行く贅沢な日なんて絶対にやってこない。来週かぎりで人生が終わると思って、貪欲にどんどん行くんだ。自分で求めていかないと、人生は面白くならないぞ。
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映画は、配信レンタルで『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』、『ヒッチコック/トリュフォー』。
どちらも、ヌーヴェル・ヴァーグの存在意義の感じられる優れたドキュメンタリーだった。貴重な音声や映像がいっぱいで、映画の引用も適切なシーンばかり。
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